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  • from: 倭寇の末裔さん

    2014年02月14日 08時50分30秒

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    責任の哲学 (10)

    ・責任のとり方
     責任のとり方という問題を考える場合、大切なことが二つある。
    その一つは、その行為が、自分の自由な意志に基づいているものであることである。つまり、自分の考え方や信念、義務などと行為が一致しているかどうかである。
     これは、自発的行為でなければならないという意味ではない、他人から依頼されたことでも上司から指示されたことでもよいが、無理やりやらされたことではないことである。
     無理やり、という意味難しい。例えば、兵士が上官の命令で捕虜に暴行を加えたとする。本人はやりたくなかったのだが、上官の命令には逆らえず、やらされたものであった。こんな場合は、一概に行為者の責任というわけにはゆかない。暴行のやり方とか程度で、本人の責任の軽重を決めるしかないであろう。
     いまひとつは、その行為の責任を誰あるいは何に対してとるのか、責任の対象という点である。
     製造物であれば、そのユ-ザ-とか消費者に対してであろうが、政治の場合は、有権者とか国民ということになろう。
     この二つをきちんと認識する必要がある。
     テレビで、大会社の社長やトップが雁首を揃えて、深々と頭を下げて深謝する映像がよく放映される。
     その理由は、製品の欠陥、メンテナンスの手抜きによる事故、企業の組織的不祥事などいろいろあるが、いずれもトップの監督責任を社会に詫びている姿である。

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