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  • from: 倭寇の末裔さん

    2014年09月21日 10時05分41秒

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    実践の考察 (10)

     実践の具体的事例をみてきたが、それはすべて共産党独裁国家の事例であった。ということは、ある政策を断行するような場合に、民主主義国であれば、様々な意見が続出して、結局は妥協案になってしまい、中途半端なことしか出来ないことになることが多く、それは実践というにはに値しないことになる場合が少なくない。それが一概に悪いこととは言えないが、実態はそういうことになるのだ。
     それに対して、独裁国は、庶民には有無を言わさず、指導者の一存で強行できるから、当初案の政策が歪められずに、そのまま実践されることになるからである。
     日本の場合の例をとれば、史上最大の政策は農地改革であったと思うが、これは、第二次大戦の敗戦後で、日本が占領下にあり、GHQという独裁的な統治体制の下にあったからこそ、その命令で実践できたものである。
     それがなければ、地域の権力者である大地主、政治家、官僚が結託して、大地主が農地を解放して、小作人に分与するなどの農地改革という大転換政策などは絶対に取り上げられもしなかったと思う。
     それを実施する側に、実施力とか、断行力とかの力が伴わなければ、絶対に完全履行はできないのが実践ということなのだと思う。
     その実施力には、反対側を説得する力も含まれるが、民主主義の下ではそれは至難の技なのだ。



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