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  • from: 倭寇の末裔さん

    2014年10月14日 07時11分41秒

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    知性と教養とどっちが大事 (6)

    教養を高めることが良いことであることには誰も異存はないが、問題はその目的と中味である。
     教養の中味は、知識の量と領域の問題だが、これは三つの説
    に分かれている。
     第一の説は、「普通の人の学歴レベルを超えた知識、嗜み」と「大学の専門教育の基礎として習得するレベルの知識」とする。
     第二の説は、「古典を学ぶこと」「学問を通して人格形成に努めること」とするものである。
     第三の説は「自分らしく生きるために世間を変えてゆく、知恵、能力をつける」「共同体を円滑に運営するために政治的な行動をすること」とするものである。
     この三つをめぐって、教養に人格主義的なものを含めるべきか、これを含めるべきでないかに分かれて論争が起こったのだ。
     
     否定論の言い分は、知識の習得で人格陶冶がで出来るものではない、教養ほ積むことと人格形成は別であると言うのである。この論者は第一、第三を支持する。
     これに対して肯定論の言い分は、知識の習得によって、知識人としての性格は強固になり、それが人格陶冶に繋がると主張するのである。この論者は第一の説を支持する。
     しかし、教養をひけらかすような人は人格者とは言えないし、教養と政治家養成とは別であると思う。
     こうかんがえるとこの三説も正しいとは言い切れないし、人格形成をめぐっての二派の論争も無意味であると思う。
     世の中には、「〇〇バカ」という言葉がある。俳優バカとか学者バカ、専門バカなどである。
     これは、特定の専門分野の勉強だけをしてきたため、一般常識に欠けているおり、その面では手も足もでない子ども同然の人をのことである。
     これは教養以前の問題である。

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