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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年06月07日 11時40分52秒

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    一強他弱の変遷

     「一強多弱」という言葉は、民主党政権が倒れ、自民党が大勝した2012年の総選挙から生まれた言葉である。
     当初は衆院で三分の二近くを擁した自民党に対して、大敗した民主党はじめ多数党に分散した弱小党の状態を示す言葉であった。
     それが、従来の内閣見解を一変させて、限定的ながら、憲法違反の集団的自衛権行使を容認する安保法制の制定以来、一強の意味が自民党ではなく、安倍首相を指すように変わった。
     阿倍の意見が即自民党の政見になつてしまってきたからである。
     これは、阿倍が偉大な政治家で、卓見を持っているからでは全くない。なのに、何故そうなってしまったのか、それは首相に権限が集中する結果になったからである。なぜそうなったのか、いくつかの理由がある。
     第一は、小選挙区制になって、一人区でなくても、自党から複数候補を当選させる事が難しくなり、公認候補は一人にせざるを得なくなったこと
     第二は、第一の条件ともからむが、自民党内に多数あった党派の力が弱くなったこと
     第三は、公認の認定が総裁を中心とする党の中枢に集中し、総裁の権力が強大化したこと
     第四に、選挙基盤が弱く、公認だけが頼りの新人議員が増え、公認認可権を持っている中枢に対しては唯々諾々と従順になることを余儀なくされていること
     この四つが阿倍を一強にしているのである。派閥の長も自派の議員を増やす、あるいは減らさないためには一強に逆らわない方がよいと判断することになるのだ。
     つまり、党内政治力は、公認候補認可権限の把握程度如何ということになるのである。
     村上新八
     

     

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