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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年09月27日 10時48分23秒

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    見解の相違 (1)

     小泉純一元首相は、国会での答弁で、素っ気ない答弁をしたり、質問をはぐらかしたり、逃げたりすることが多かった人だが、あるとき、野党の質問に対して「それは見解に相違だ」と答弁したことがあった。
     「見解の相違」とは、考え方が違うとか認識が違うとかの意味で、質問に対する回答にはならない。
    「君とは考えが違うんです」だけでは、反論に窮したとして、デイベ-ト勝負なら完敗である。国会の質疑では、首相と考え方が違うから、質問したいるのであって、それに対して「見解の相違です」では全く答えていないのと同じである。
     世間では、脱税して、国税当局から、所得や収益の更正決定を受けた時に、主文受けた側は、「国税局とは見解の相違があるが、更正決定に従って納税しました」などと言い訳したりした記事が新聞などで報道される。
     この場合は、脱税がばれた気まずさ、照れ隠しの言い訳にすぎない。自分の判断に自信があれば、更正決定に対して意義申し立てもできるのである。
     そのほか「見解の相違は平行線のまま物別れで終わった」などという。意見の違いを調整すべく会談したが、妥協が成立しなかった場合である。
     思想や信念が違えば、見解の相違は当然生まれる。
     民主主義では、その見解の相違について、徹底討論して、妥協したり、譲歩したり、それも出来ないときは、多数決で決め、全員がその決定に従うというル-ルのもとで運営される仕組みになっている。
     

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