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  • from: 倭寇の末裔さん

    2017年03月18日 12時20分35秒

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    安全と安心

    東京の食の中央卸売市場築地からの移転先豊洲を巡って「安全」「安心」の論議が盛んになっている。それに火を付けたのが小池都知事だ。しかし、彼女は安心、安全の説明不十分なままに、ことばだけを使っているから益々分らない。
     豊洲問題では、小池都知事が元都知事の石原慎太郎が何故あのような汚染された地を選んだのか、その経緯を暴こうとしているし、石原は、専門家が科学的に安全だと判定している豊洲に移転せず、業者を困らせているだけでなく、月に500万円もの維持費を税金から支払っている小池都知事の不作為の罪の責任こそが問われるべきだと息巻いている。
     食物でも自然災害防止措置でも病でも薬でも、絶対に安全なんてことはあり得ない。動物実験などの繰り返しで、安全基準などが決められるのであろうが、どこかで「エイヤッ!」と線引きしているのである。
     しかし、その専門家の安全という判断が何処まで信頼性があるのかは、素人には分らない。分らないから、専門家が安全だと云うなら、それを信じようということなのだ。
     航空機に乗る場合でも、信用できる航空会社だし、整備もきちんとやられているだろうから安全だろうと思って乗るのだが、100%安心しきっているわけではない。
     安全と安心の心理の例をあげると次のような場合である。
     子どもが登下校する道は、歩道と車道もきちんと区分されており、安全な通学路であると思っているが、心配しないではない。子どもが帰宅して初めて安心するのである。
     つまり、リスクに対して十分にリスク回避の措置が行われていると感じるのが安全認識であり、リスクを心配する必要がなくなった状態が安心領域だと言えるのであろう。
     村上新八
     

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