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  • from: 倭寇の末裔さん

    2018年02月18日 10時56分14秒

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    医は仁術か

     医を見る立場は二通りある。一つは人倫的に見る立場と今一つは経済的に見る立場である。
     前者の立場に立てば、人を病の苦しみから解放し、病を癒やす術であるから仁術であると言える。
     しかし、医者になるためには通常より長い大学での勉強と、高額な学費が必要となるのだから、これを回収し、収益を上げるには高い報酬が必要ということになる。つまり、この立場からは、「医は算術」ということになるのだ。
     これは両方とも正しい。両者が共存したている関係であると思う。しかし、「仁」と「算」いずれが上位に位置するかといえば、「仁」であろう。医者はやまいを治し、人を救うのを社会的使命とする職業だからである。だから「先生、先生」と敬われるのである。
     「青髯先生」という物語があった。髭を蓄えた町医師だが、恩情家で、金がなく医師にも掛かれない人がいれば、無料で診療を行うことを盛んに行っているという物語である。これはまさに仁術物語である。
     こういうことが物語になるということはき、そういう医師が極く希であるということを示すものであろう。
     特に町医者には、だらだらと長引かせたり、病気でもないのに、病気だと思い込ませて、患者を囲い込むような医師が少なくないのだ。これが「算術医」である。
     医療の腕からみれば、算術医イコ-ル藪医者であると思って間違いない。医師の腕が良ければ、自然と患者が集まり、繁盛するからである。こういう医師は仁術オンリ-で仕事をしておれば、算術に頼る必要もないのである。つまり、算術はへぼ医者の生きるための苦し紛れの知恵なである。

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