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  • from: 倭寇の末裔さん

    2018年06月14日 11時58分42秒

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    人は何故生きるのか

     「人は何故生きるのか」こんな命題がある。
     人は父母の結びつきと、精子、卵子の全く偶然の結びつきによって生まれる。当然のことながら、自分の意思とは全く無関係である。
     生まれて、乳幼児期から義務教育が終わるまでの15年予は、本人の意思とは無関係に保護者によって生かされている時期である。
     高校、大学の時期になると将来の自分の生き方を考え始めるであろう。
     そのころになると「自分の生き甲斐は何か」を自問することもあろう。それはあくまで「生き甲斐」であって「なぜ生きるか」ではない。何をするために生きるのか、何が生き甲斐なのかである。
     それに対して、直截に「セックスができなければ生きている値打ちはない」とか「彼女と一緒になれなければ生きている価値はない」と思う人もいるであろう。それは生き甲斐を感じるための条件であって、「人は何故生きるのか」ということではない、単に生き方を考えるのだ。パトス的なものであって、ロゴス的なものではないのだ。
     この「生き方」とは世間のどのへんに自分の居場所を見つけるか、ということである。
     自分が生きてゆく居場所を見つけるには、まず生活の資を得る仕事、職業をどうするかである。これはなかなか希望通りにはゆかない。
     自分を雇ってくれるところがあれば、そこでやらされる仕事が職業になる場合が多い。
     こうして、収入のめどがついて職業として身についてくれば、やがて結婚し
    て、家庭を築き、妻子を養わねばならぬことになる。
     そうなると、自分と家族のために生きるという時期に入る。
     こうして定年まで働き、そのあとは年金生活に入り、死ぬまで続くということである。
     これが人の一生である。
     つまり、自分の意思とは無関係にこの世に生まれて、自分の居場所をみつけ、そこで一生を終えるということである。
     「人は何故生きるか」という命題は、「人は何故生まれるのか」という命題と同様にナンセンスな命題である。
     もし哲学的な問いかけをするとすれば、「人はどう生きるべきか」と問うべきであろう。
     村上新八

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