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  • from: 倭寇の末裔さん

    2018年06月23日 10時36分59秒

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    遊びの真理 (1)

    「遊び」という言葉で第一に連想するのは子どもである。
    「あそびをせむとや生まれけん」と述べたのは兼好法師だと思うが、子どもはあそびの天才だ。
     我々も子どもの頃、年上の子からいろいろな遊び方教えてもらったものだ。それは主に外での遊びであった。夕方暗くなるまで遊んでいて、よく親に叱られたものである。ところが、今の子どもは外で外で集団で遊んでいるのは見たことがない。珍しく4,5人で頭を寄せているなと、覗いたら各自がスマホでゲ-ムをやっていた。がっかりした。
     遊びを分析した時実利彦によると、遊びは四つに分類できるという。
     その第一は「模倣」である。
     子どもの遊びの「戦争ごっこ」や「追いかけごっこ」がそれであるという。彼はこれは成長の準備のためで、成長すればやめると云う。が、結果的にはそうなるかも知れないが、子どもはそんな狙いでこの遊びを考えたのではないと思う。男の子にとっては、在り余る子どものエネルギ-を使って動き回るに適している遊びだから自然に戦争ごっこや追いかけごっこになったものであろう。
     第二の遊びは「憂さ晴らし」だという。
     人間の大脳皮質のうち、とりわけ前頭連合野の発達で、理性的な能力が発達し、その下にある大脳周辺部の本能的欲求や情動が抑制され、それがフラストレ-ションをため込むことになる。それを発散させるのが「憂さ晴らしの遊び」であり、「歌唱」や「踊り」がそれであると言う。
     憂さ晴らしといえば、酒を飲むことが第一、女性なら「めちゃ食い」や「めちゃ買い」であろう。憂さ晴らしのために歌を歌ったりダンスをするというのは希だと思う。
     第三の遊びは「代償満足」だという。
     人間は、誰でも負けん気や優越感、権力欲、名誉欲を持っているが、それが叶えられる人は希である。その他の人はその感覚は味わえない。そこで、その代償としてゴルフ、マ-ジャンなどの勝負事で代償満足を得るのであるという。
     この説もやや無理がある。代償満足としてパワ-ハラスメントをやるのはあるだろうが、勝負事をやるというのはこじつけ過ぎる。
     勝負事にのめりこむ人は、駆け引きの面白さと、勝った時の快感が忘れられないからである。それが依存症にもつながるのである。
     第四の遊びは学問、芸術であるという。
     学問、芸術の分野で創造的な仕事をすることは最も人間的であると言う。「人間的」という意味は、人間にしか出来ないという意味であろう。
     しかし、学問、芸術は、仕事であって遊びではない。

     以上、遊びについての時実利彦の説を挙げてみたがどうもピンとこない。筆者の考え方を挙げておこう。

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