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  • from: 倭寇の末裔さん

    2019年05月11日 13時19分14秒

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    小選挙区制の功罪

     小選挙区制は1993年9月、細川内閣で制定された。この狙いは、長く続いた自民党内閣の長期政権の弊害をなくすために、政権交代がやりやすい選挙制度にすることであった。
     従来の中選挙区をあらため、議員定数1名の小選挙区289(議員数289名)と選挙区11で議員定数176名の比例代表区による小選挙区、比例代表並立制をとったのである。
     この選挙制度によって,民主党政権が誕生したことで、選挙制度変革の成果があがったように思われたが、約3年間続いた民主党政権が倒れた後は、その弊害ばかりが目立つようになった。その弊害は つある。
     第一は自民党の体質が変わったことである。
     中選挙区の時代には、1選挙区の議員定数が複数であったから、自民党から複数の候補者が立候補した。複数の派閥がそれぞれ候補者を立てたからである。
     自民党内の複数派閥は、それぞれ少しづつ異なる政見を主張し合い、党内でも政策をたたき合わせることになり、そそれが民主主義にプラスに作用したのである。ところが小選挙区になってからは、一人しか候補者をたいられなくなった結果、派閥の力が急激に弱化し、党側から内閣への発言や注文がなくなってしまったのである。つまり党としての機能が弱化してしまったのである。
     第二に、内閣の独裁が強化したことである。
     党中枢は、一人区の候補者の独占的公認権を持つ結果、党側は内閣の意見に逆らえなくなってしまったのである。
     それは内閣の力、ひいてはその筆頭である首相の一強体制が出来上がる結果を招くことになったのだ。
     与党で、絶対多数の議席を擁しておれば、何も怖くはない。首相が私的に政策を曲げようとも平気のへいざでいられるのである。派閥がせ強ければそんなことはあり得ないのである。
     第三は、自民党の世襲議員が増えたことである。
     一人区だがら当選か落選かで100%か0%になる。どうしても当選率を高めねばならない。そのためには、既存の支持層がある世襲候補を立てるこど有利である。その結果、自民党議員では三親等内の世襲議員の比率は38.5%にも上っているのだ。これは政策の刷新が起こらず、一強の継続にもつながることになるのである。
     第四は政治の質の低下につながることである。
     その理由はいろいろある。
     絶対多数の安定政権が続いているため、政治にあぐらをかいて
    買ってなことをやる結果そうなったこともあるだろうし、また質の悪い議員でも、連続当選すれば、その当選回数の多さからそろそろ大臣にしなければ、ということで、大臣の資質もないのに大信に任命され、委員会で野党の質問に答えに窮したり、間違ったりすることにもなるのだ。
     それでも、首相は「任命責任は保田氏にあります」とだけ言っておれば、何もしなくても済むのである。
     そろそろ、中選挙区制に戻す必要があろう。
     村上新八

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