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カジュアル哲学 (続)

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年09月29日 10時14分53秒

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    未曾有の異才、天才快男児 (4)

    著者は、ここにおやいて、過去数年に亘り、故原敬、後藤新平、加藤高明、山本権兵衛諸氏等と接触、往来し、何人が果たしてこの難局を救い得るの人物であるかということを深く考究したる結果、その政治的手腕において、山本権兵衛が最適の人物であることを信じ、過去7,8年に亘り、努力奮闘、遂に漸く山本伯が内閣を組織するの目的を貫徹することを得た。
     爾来、居を内閣書記官邸に移し、山本伯が有終の果実を収めしめんが為、各方面の樽狙折衝に努め・・」
     つまり、この難関を乗り切れる政治家は山本権兵衛しかおらぬ、という確固として信念を持って、山本を担いで単騎、有力者、実力者を説得して回り、大命降下の地盤を築き、なみなみならぬ努力の末に、その目的を貫徹したのである。その間、各方面の有力者に面会した回数は、数年間に数百回にも及んだという。
     村上は、山本伯と面識はなかったし、山本からは、一国の指導者としての政見構想的なものが示されていたわけでもなかった。が、日露戦争前後の8年間の長期に亘る海軍大臣の実績、更に1913年には、首相として1年余、政権を担当していた実績はある。この内閣は、シ-メンス事件の責任をとって短命に終わったが、これがなければ、長期安定政権となたであろう。山本伯がその間に示した人並み外れた決断力、判断力、胆力、行動力に敬服していたのであろう。

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