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  • from: 倭寇の末裔さん

    2013年10月18日 09時41分47秒

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    変貌する兵器で戦争不能になる (2)

    ・哲学者の戦争観
     武器を行使する闘争はいろいろある。一国のなかでも、対立する勢力同士が武器を使って闘争する場合もあるが、これは戦争とは言わない。「内乱」あるいは「暴動」と言う。
     戦争はあくまで、国家の意志で武力を行使して他国と闘争することである。
     人間が武器を使って他人の財産を損壊させたり、他人を殺傷したりすれば、罪に問われるが、戦争下で、敵に与える財産や人身への攻撃は、罪に問われることはない。つまり戦争とは、合法的な破壊、殺戮行為なのである。
     古代ギリシャの哲学者、ヘラクレイトスは、「戦争は万物の父であり、万物の王である」と解いた。
     いささか、乱暴な話だが、当時の都市国家間の戦争や蛮族との戦争は、都市間の競争意識や緊張感を高めたり、敵を破って、奴隷という労働力を得たりすることで、社会、経済の発展を促進するという効果があったためであろう。
     このような考え方は、今も一部にはある。
     第一次大戦後の世界恐慌による景気低迷が続き、この対策として大々的に展開されたアメリカの「ニュ-ディ-ル」も成功せず、第二次大戦が起こったことによって、やっと景気が回復したという経験があるからであろう。
     しかし、このような異端説は除いて、哲学者や思想家が戦争をどう考えてきたかを探ってみよう。それは次の三段階に区分される。

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