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  • from: 倭寇の末裔さん

    2014年09月30日 07時31分13秒

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    懐疑の哲学 (4)

     カントは、ものごとの真理である「もの自体」(イデア)が認識不可能なものであることを認めているから、懐疑主義に賛同していたものと思われるが、その一方で、現象を「真理の国」と呼んで、それが起因する因果関係を客観的に証明されるものとしている。
     つまり、懐疑の余地がないものもあると考えていたものと思われる。
     ヘーゲルは、懐疑主義は、理性が陥るアンチノミ-(二律背反)を指摘するもので、それによって理性の弁証法的思考を促し、人間の理性的活動を向上させるものであるとしている。それによって、遂には真理に到達できるであろうと説いている。
     つまり、懐疑を抱くということは、人間に更なる思考を促すキッカケになるものだから、真理に近づくためには有効なものであると認めているのである。
     このように、哲学者も大筋では、懐疑主義信奉まではゆかなくても、懐疑という意識の必要性は認めているのである。
     それは当然のことであると思う。
      人間のやることだから、問題が絶無とは言えないし、また、指導者層が、国益の為と称したり、あるいは自利のために、故意に民衆や個人を騙そうとすることも少なくはないからである。


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