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  • from: 倭寇の末裔さん

    2017年11月05日 11時37分53秒

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    災害に学ぶか懲りるか

     戦争や災害に学ぶという言い方が一般的である。
     「学ぶ」という表現では、それから教訓を得て、それを取り入れるということであろう。が、なんとなく、メリハリがない表現である。
     メリハリがないから、学んでといっても、その教訓が活されないということになる。それに対して「懲りる」というのは、ひどい目に遭ってそれが骨身に染みて二度とこんなに目には遭わないようにしょうと、心に決め、そのための対応をすることである。この表現の方が身につまされるし、緊迫感がある。
     「懲りる」から「もうこりごりだ」という言葉が生まれるが、これも實感がよく表されている言い方である。
     「もう二度とご免だ、こりごりだ」という思いが強くなれば人間だから、いろいろと工夫をしてそういう目に遭わないようにするであろう。そのほうが効果的ではないか。
     もっと、懲りるというのは、實感だから、自分が体験しないと分からない。他人の「こりごりだ」ではそうだろうな、大変だったろうな、と思うくらいであろうから、これでは身に付かないが、これはやむを得まい。
     それでも「こりごりだ」の話を真に迫って聞かせることが、「学ぶ」よりも遙かに効果的ではなかろうか。
     村上新八

     

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