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イタリア!小さなまちと田舎の旅

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from: ぐら姐さん

2024年04月05日 13時09分06秒

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ロンバルディーアの(小さな)まち

ロンバルディーアは、言わずと知れたミラノのある州です。訪れたまちは、以下の通り。1.ヴィジェーヴァノ2.クレモナコモ湖(3.コモ4.チェルノッビオ(ヴ

ロンバルディーアは、言わずと知れたミラノのある州です。
訪れたまちは、以下の通り。

1.ヴィジェーヴァノ
2.クレモナ
コモ湖
(3.コモ
 4.チェルノッビオ(ヴィッラ・デステ)
 5.トレメッツォ
 6.ベッラージョ)
7.チヴァーテ
8.チェルトーザ・ディ・パヴィーア
9.トレスコーレ・バルネアーリオ
10.パヴィーア
11.ブレーシャ
12.ベルガモ
13.マントヴァ
14.ミラノ
15.モンツァ
16.レッコ

ミラノにはローマ同様、入出国のときによく行ってましたが、
ロンバルディーアの他のまちにはあまり行ってないように感じていましたが、こうして書きだしてみると思ったよりもありました。

次回より、順に書いていきます。
今日は州都のミラノの写真を少し。
これは’08年のもので、よく泊まっていたホテル・ミケランジェロの部屋からの眺め。
真ん中の白っぽいビルの向こうにドゥオーモ天辺の金色のマリア像が見えているのですが、写真だとよく見えませんね。

これは、’05年の9月に屋根の上に上った時に撮ったものです。

当時のデジカメの性能と撮影者(私です)の腕、どちらも問題ありで、パキッとくっきり見えてはいないのが残念。

ミラノに行って、ドゥオーモに行かなかったことはないかも。

それ以上に毎回着いたときと出るときは中央駅には行きますね。

ナヴィーリオにも何度か行きました。

骨董市を見にも行きましたっけ。

今日はこの辺で止めておきます。
また州都特集のときにたくさん写真を載せますね。

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from: ぐら姐さん

2024年04月10日 16時25分07秒

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ロンバルディーアの5.はトレメッツォです。

コモ湖は、水深はイタリアの湖で最も深い414メートル、湖の周囲は170キロもあるそうです。
コモ湖の起源は氷河期にさかのぼり、ローマ時代から訪れる人々がいたとのこと。
コモ湖は「人」という文字に似た形をしていて、右側の足の先がレッコ、左側の足の先がコモ、そして股の部分に当たるのがベッラージョです。

そのベッラージョの西側の対岸にあるのがトレメッツォです。
ヴィッラ・カルロッタと言う美しいヴィッラがあります。

ヴィッラ・カルロッタは、1690年から、ミラノの公爵ジョルジョ・クレリチ(Giorgio Clerici)によって建設され始めました。
クレリッチ家は、コモ湖北部に発祥し、織物の取引で富を貯え、公爵位を獲得するとともに、ミラノやブリアンツァに幾つもの館を持っていたのだそうす。
ヴィッラは、ジョルジョの曾孫のアントニオの時代、18世紀半ばによやく完成しました。

1801年に、ヴィラは、クレリチ家から、産業革命後に中産階級の資本家から公爵となったジャン・バッティスタ・ソンマリーヴァ(Gian Battista Sommariva)へと売却され、1843年には、オランダの王女からプロシャのアルベルト王子に嫁いだマリアンヌに、40年前の10倍の価格で売却されたました。

そして、マリアンヌの娘シャルロッタ(イタリア読みでカルロッタ)と、後のザクセン・マイニンゲン公ゲオルグ2世との結婚の際、結婚プレゼントとされ、この名前が付けられたのだそうです。
シャルロッタは、1855年に23歳の若さで亡くなり、ヴィッラは、第1次世界大戦まで、ザクセン・マイニンゲン公国が所有し、第1次世界大戦中は、イタリアの管理下に置かれたのだそうです。
その後、1927年、ヴィラ・カルロッタ財団(Ente Villa Carlotta)が創設され、以降、財団が管理しているのだとか。

約7haある敷地には、階段や噴水、彫刻・彫像がレイアウトされ、自然美と芸術が調和したイタリア式庭園がありました。



今なら、フィルムの残り枚数を気にすることなく、バンバン写真を撮りまくるでしょうが…

ここの写真もこの2枚だけです。
ヴィッラの内部を見て、広い美しい庭を見て、船に乗ってベッラージョへ向かいました。

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from: ぐら姐さん

2024年04月11日 10時01分06秒

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ロンバルディーアの6.は、ベッラージョです。
昨日書いたように、コモ湖の人という字の股に当たる部分にあるまちです。

なので、見晴らしのよいところからは、「人」の両脚部分を見ることができます。(全部ではありませんが)

その見晴らしのよい先端部分にあるのがヴィッラ・セルベッローニ。コモ湖は、紀元前2世紀には、古代ローマ帝国の支配下に入り、その後、ローマ貴族の別荘が建てられたことも前回書きましたが、現在ヴィラ・セルベッローニ(Villa Serbelloni)となっている場所には、小プリニウスの別荘"Tragoedia"があったのだそうです。

途中、いろいろな人たちの所有を経て、1788年に、アレッサンドロ・セルベッローニ伯爵の手に渡り、別荘の大広間の内装が、17〜18世紀の芸術を集めて大幅に改装され、今のような姿になりました。周囲の庭園には、ツツジや、キョウチクトウ、ヒマラヤスギなど、この地方では珍しい植物が導入されたそうです。

ヴィッラはその後売却され、一部は、ホテルになっています。

でも、広大な敷地のかなりの部分は、現在ニュー・ヨークのロックフェラー財団が所有していて、研究センターとして使用されているため、一般公開はされていません。

ただし、4月から10月末までの間、月曜を除く毎日2回、ガイド付きの庭園見学ツアーが行われているとガイドブックにあったので、午後からのツアー開始時刻を現地で確認し、それまで昼食を摂ったり散歩をしたりして見学してきました。
当時は予約サイトも無かったので、皆現地で行き当たりばったりでした。
(飽くまでも、2000年の時点での話です。)

ベッラージョのまちは、平地が少なく、船を降りて奥へ行こうと思うとすべて上り坂か階段。夏のバカンス地なので、8月は大勢の客で賑わっていました。
食べるところも土産屋も多く、それらの店は売っているもののセンスもよく、アマルフィ海岸のポジターノと似た雰囲気のあるまちだと思いました。

ベッラージョには、もう1つ見るべきヴィッラがあります。
ヴィッラ・メルツィです。
こちらは、一般公開しているので、入場料を払って見ることができました。
なぜか建物内で撮った写真がありませんが、やはり庭がきれいだった記憶があります。
ここは湖畔に沿って建てられたヴィッラなので、平地ばかりです。
同じく庭から見た対岸のまちトレメッツォ。

奥には美しい山々が連なり、モンテローザ(写っていません)も見えました。

どちらもヴィッラなので、建物が立派なはずなのに全然撮っていないお間抜けです。
多分、ヴィッラ・デステも含めて、この時代の豪華なヴィッラには興味がわかなかったのでしょう。(今もそう)

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