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from: ぐら姐さん
6時間前
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from: ぐら姐さん
2024年04月18日 11時36分40秒
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ラツィオの1.はヴィテルボです。
’11年8月と’17年1月に行きました。
最初はローマから日帰りで、2度目は帰国直前、ローマの宿にスーツケースを預け1泊分の荷物を持参して。
やはり泊まった方が夜も朝もまち歩きを楽しめてよかったです。
ローマから70キロ、ラツィオ州の北部に位置し、遅い電車で2時間ほどのところにあるまちです。
かつてのエトルリア文明が繁栄した土地の中心地で、その歴史は紀元前にさかのぼり、中世には多くの教皇がローマを離れてこの町に移り、『教皇の町』として著しい発展を遂げたのだそうです。
城壁のほか、塔、貴族の邸宅、広場を飾る華麗な噴水など、町の保存状態の良さはヨーロッパでも屈指、と書かれていて、とにかく見てみたいと思ったのです。
ヴィテルボにはローマ門とフィオレンティーナ門と2つの入り口があり、ローマから列車でヴィテルボ駅に着くとローマ門までは歩いて数分です。
門をくぐると、いきなりタイムスリップしたように世界が変わります。
Piazza Fontana Grande、日本語だと大噴水広場(安易な名前がイタリアらしい)。
それにしては小さいかな。
1月に行った日はとても寒い日で、この噴水が凍っていました。
町で最も古く最も大きいゴシック様式のこの噴水は、イタリア国内でも名高い美しい噴水の一つなのだそうです。
細部がかなり私の好みです。
まちのどこを見ても素敵です。
プレビシート広場
このヴィテルボには、教皇の宮殿があります。
コンクラーベ(教皇選出会議)発祥の地なのだそうで。
コンクラーベ(Conclave)とはラテン語に由来していて「鍵のかかった(con clavis)」という意味だそうです。
教皇クレメンス4世がヴィテルボで没し、新教皇選出の有権者は18人でしたが、意見が分かれ3年間教皇不在の期間が続きました。
何ヶ月も新しい教皇が決まらないのは、枢機卿たちが自由に出歩き、外部と接触しているのが原因と考えたヴィテルボの住人が怒りを爆発させ、選挙会場である司教館に枢機卿たちを鍵を掛けて閉じ込めたのだそうです。
外部との接触を絶たせ、食料もパンと水だけを差し入れ、さらには食事量も減らしていきました。
そしてついに1271年9月、6人の枢機卿の妥協によって、イタリア人の教皇グレゴリオ10世が選ばれただそうです。
教皇宮殿
広場に椅子が並んでいるのは、夏のなにかしらのイベントがあるからだと思います。
その手前にあるドゥオーモ
ドゥオーモの横にオフィスらしきところがあるのが見つかりました。
教皇宮殿のチケットはどこで売っているか聞いたら、
「ガイド付きのツアーしかやっていないので、時間にならないと始まりません。
残念ながら英語のツアーは、今日はもうありません」と言うのです。
イタリア語で大丈夫ですと言うと、なんと3分後にスタートするというのでほとんど待ち時間無しでガイド付きツアーのスタート。
教皇宮殿のガイド付きのツアーは、ドゥオーモの、通常は鍵が掛かっていて見られない部分と教皇宮殿を見るものでした。
ドゥオーモを見た後で、教皇宮殿に入りました。
中は結構な広さがあります。
長くなったの今日はここまでにします。icon
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from: ぐら姐さん
2024年04月17日 16時36分02秒
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ラツィオの(小さな)まち
気が付けばロンバルディーアは10まで進んでいました。
全部で16なので一気に最後まで書いてもいいのでしょうが、それは後半に回すことにして、20州の20番目にラツィオ州について書きます。
とは言え、ロンバルディーアも多くないですが、ラツィオはもっとずっと少ないのです。
ミラノやローマは出入国の際に滞在して、すぐ列車や飛行機に乗って他の州に行ってしまうことが多いからなのかしら。
ひとまずラツィオの訪れたところを挙げてみます。
1.ヴィテルボ
2.オスティア・アンティーカ
3.タルクィーニア
4.チヴィタ・ディ・バーニョレージョ
5.トゥスカーニア
6.パレストリーナ
7.フィウミチーノ
8.フラスカーティ
9.ローマ
ローマは数えきれないほど行っています。
州都というか首都なので、州別シリーズ完結後の州都シリーズでたっぷり扱いたいと思います。
明日から始めますが、今日は’17年のローマの写真を少しだけ載せますね。
朝のサン・ピエトロ広場
こんなに人の少ないこの広場は早朝ぐらいかも。
塩野七生さんの作品によく登場する笠松ごしのサンタンジェロ城
トリオンファーレ市場の一角
7月に泊まる家予定の宿もこの市場に近いところを予約したのでここで買い物をしていろいろ作って食べるのが楽しみです。 -
from: ぐら姐さん
2024年04月16日 15時34分04秒
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from: ぐら姐さん
2024年04月15日 21時03分38秒
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ロンバルディーアの10.はパヴィーアです。
先日も書きましたがチェルトーザ・ディ・パヴィーアとは近いですが違うコムーネです。
そのことを長い間知らずにいて、パヴィーアにcokemomoさんが行かれたことでちゃんと認識し、ロマネスクの建築がたくさんあり、まち並みも素敵らしいと分かって是非とも見てみたいと思ったのです。
'18年1月にミラノから日帰りで行きました。
駅から中心部の方へと歩くとすぐにミネルヴァの像がありました。
エディコラで見かけた可愛いワンちゃん。
ドゥオーモです。
ここはとりあえず見ただけなので、目当てにしていたところをメインにざっと載せます。
サン・テオドーロ聖堂
12世紀に創建され、1887年~1909年に修復されました。
またの名をサンタニェーゼ聖堂ともいい、1525年に描かれたフレスコ画があります。
主祭壇は少し高いところにあって、その周りの装飾が素敵です。
クリプタです。
柱頭彫刻いろいろ。
主祭壇のあるところへの階段を上りました。
両の側壁一面にフレスコ画が描かれています。
もう出ようと思って入り口へと向かったら、入り口近くの床が一部ガラス張りになっ出入り口付近には古いフレスコ画が。
鉄の小さな螺旋階段が床に落とす影も美しくて。
ここ一つを見ただけでも、パヴィーアに来てよかった、と思えるのでした。
次に訪れたのは、サン・ミケーレ聖堂です。
見たいと思っていた主祭壇は見られませんでした。
高いところにある主祭壇の周りの壁がきれいです。
手すりのところの透かし彫りも。
円柱も。
全部素敵でもっともっと載せたくなるのですが、きりがないので、興味がある方はこちらをどうぞ。
https://www.beach.jp/circleboard/ac48590/topic/1100204945761?sortList%5BsortType%5D=2
まち歩き写真は次回載せます。icon
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from: ぐら姐さん
2024年04月15日 16時47分26秒
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from: くるめながさきさん
2024年04月14日 15時16分00秒
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from: ぐら姐さん
2024年04月14日 14時22分01秒
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ロンバルディーアの9.は、トレスコーレ・バルネアーリオです。
’17年3月に行きました。
ロレンツォ・ロットのフレスコ画で埋め尽くされているスアルディ祈祷所があるまちです。
シニョレッリさんのサークルでここのことを知り、シニョレッリさんは、特別な美術鑑賞グループの予約で観られたとのことでした。
調べてみたら、平日は5人以上のグループの予約のガイデッドツアーのみ、日曜だけは予約不要で、1人でも入れることが分かりました。
それでもガイデッドツアーのみで、15時からの1回だけです。
突然その日は休み、なんてことがイタリアでは往々にしてあるので今一つ信用しきれないと思って、トレスコーレ・バルネアーリオの観光協会に事前にメールを書いてみました。
それほど日を置かずに返信が来ました。
しかもちゃんと親切に資料データ添付で。
というわけで、行く手立てをしらべたのでした。
ミラノから列車でベルガモへ、そこからバスに乗ってトレスコーレまで行きました。
15時までは時間があるので、まち散歩を楽しみました。
遠くに見える教会の鐘楼とクーポラ。
サン・ピエトロ・アポストロ教区教会です。
笑顔がとびっきりカワイイ娘さんたちが、
教会の若い人たちの活動に役立てるためのバザーと言った感じで、
手作りのビスコッティやトルタなどを売っていました。
教会のある通りの並木が素敵でした。
このまち、なかなかエレガントな建物も多く、
けっこうお金持ちのまちなのかも、と感じました。
さて、これが観光案内所です。
開始の3時近くになったら、あちらから2人、こちらから4人、そして向こうから3人、
という感じで、30人ぐらいの人が集まりました。
鍵をもったおじいさんがやってきて案内所を開け、チケットの販売を始めました。
1人8€。なかなかの料金です。(今はもっと高いでしょうね)
チケットを買うときにおじいさんが私を見て、ぐら姐さんですか?と訊くのでした。
ちゃんとメールのことを覚えていてくれたのですね。
そしてもう一人のスタッフに、英語の説明書を持って来させたのでした。
スアルディ祈祷所が、ヴィッラ・スアルディの庭の一角にあって、
見学するためには、この観光案内所の中の裏のドアから庭に出るのでした。
この庭の向こうの扉を開けると、ヴィッラ・スアルディの庭です。
スアルディ祈祷所が見えてきました。
祈祷所は、思った以上に小さいです。
ヴィッラの方も見てみたいと思いました。
中は写真禁止でしたが、狭い空間のお祈り用のベンチにみんなで腰掛けて
(マックス25人だとかで、座れない人もいました。
このおじいさん、よく響く低音の美声で、丁寧に説明をしながら、3人いた少年たちにときどきクイズのように話を振って、少年たちを退屈させず、大人には恥をかかせず、40分ぐらい話してくれました。
撮影禁止なので、サイトから写真を拝借して載せます。
ベルガモの貴族バッティスタ・スアルディ伯爵が1501年~1502年にこの祈祷所を建て、1523年~1524年にロレンツォ・ロットがこのフレスコ画を描いたとのこと。
小さな祈祷所ですが、四方の壁と天井にロレンツォ・ロットのフレスコ画が施されていて、入ったとたんため息が漏れました。
祭壇に向かって左側には、キリストと聖人たち、そして聖女バルバラの物語が描かれています。
中央にキリストがブドウの木として描かれています。
キリストが大地にしっかりと根を下ろしたブドウの木でその指先から伸びた枝の先に10人の聖人たち。
足元左側には注文主のスアルディ家の人々。
そして背後に描かれている聖女バルバラの生涯。
聖女バルバラは、3世頃小アジアのの富裕な家庭に生まれた
美貌、知性、しとやかさをそなえた娘でした。
あまたの求婚者たちから美しい娘を遠ざけようとした非キリスト教徒の父は、
バルバラを塔の中で生活させることにしました。
塔での幽閉生活の間に、キリスト教への信仰に目覚めたのだそうです。
ある日、2つの窓のある浴室が塔内に建設されることになった際、
バルバラは窓を3つに増やさせました。
この理由を三位一体を表すためとしたことから、
娘がキリスト教徒であることを知った父は激昂し、手にかけようとします。
この絵は、父が激昂してバルバラが逃げるところです。
続きはまだあるのですが、この辺で止めますね。
天井には、実りの季節の葡萄を摘む天使たち。とても素敵でした。
これまでに観たロレンツォ・ロットの絵に比べると色が抑えめのような感じがしたのですが、おじいさんの話だと、ここのフレスコ画はオリジナルで、後から修復して加えた色はないとのことでした。
近くで見ると剥離してはっきりしない部分もあるのですが、構図や色使いが素晴らしいし、人々の生活の様子や、動きが生き生きと描かれていて、本当に素晴らしいと思いました。
時間をかけて遥々観に行った甲斐がありました。icon
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from: ぐら姐さん
2024年04月13日 15時18分29秒
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ロンバルディーアの8.は、チェルトーザ・ディ・パヴィーアです。
'00年のことで、これもネガフィルムをデータ化した写真があるだけです。
このころはイタリアにはまり始めた頃で、よく分からないままにあれが面白そう、これが楽しそうと、他の国+イタリアという感じで適当に旅程を組んでいました。
この年の旅日記をを見てみると、
アイルランド11泊、ロンドン2泊、そしてコモ3泊、ミラノ1泊、サンレモに2泊、
ミラノに3泊、という、今なら絶対にやらない旅程で周っていました。
しかも、最初から最後まで一緒だったのはイプさん、アイルランド後半3泊から合流のAさん、コモの3泊目ミラノ3泊の2泊目まで合流のBさん、というとても変則的な人数で。
適当に合流したり別れたりはいつものことですが、3か国にまたがってこんなにちょこちょことというのは、それまで結構やっていて、この翌年からイタリアばかりに通うようになってのでした。
チェルトーザ・ディ・パヴィーアには、ミラノ滞在中の1日に行きました。
当時はミラノ観光は一通りしたつもり(今思えば本当に「つもり」でした)で、近場の見どころは?とガイドブックで調べたら、ここが出てきたのでした。
チェルトーザ・ディ・パヴィーアはコムーネの名前なのですが、その名前はこのコムーネにあるカルトゥジオ会の修道院「パヴィーアの修道院」の名からつけられたのだそうで、私たちが行ったのは、まさしくその修道院だけです。
パヴィア修道院は、建造物としての芸術的美しさ、歴史的価値、そして厳粛な戒律を守り続ける修道士たちによって世界5大修道院のひとつとして知られているのだそうです。
あるサイトによると「中世にミラノを統治していたヴィスコンティ家とスフォルツァ家の菩提院を目的とし、ヴィスコンティ家の公園と、パヴィア城の一部であった土地に修道院が建築され始めたのは1396年。修道院内の教会には建設を命じた当時の王、ジャン・ガレアツッオ・ヴィスコンティ(Gian Galeazzo Visconti 1347-1402)は祭壇の右側に、左側にはルゥドリコ・マリア・スフォルツァ(1452-1508)とその妃が祭られています。」とあります。
でも当時はよく分からないままただ見てきただけです。
情けないことに。
分からないなりに確かに建物は素晴らしいと思ったのですけれど。
写真が少しだけあるので載せますね。
中庭の写真ばかりです。
すみません。
さて、おまけの話がありまして、春にテレビで視たリゾットの美味しい店がパヴィーアにあるということで、当時チェルトーザ・ディ・パヴィーアとパヴィーアが違うということを知らず、お店にファクスを送って予約したのです。
お店から返信が来て、それに地図が出ていたのですが、これがサン・ダニエーレの時と同じで(こちらの旅行の方が早い)、店の方は車で来る人のことしか考えていなかったのです。
真夏の炎天下、とんでもなくたくさん歩いて、汗だく&日焼けしてお店に辿り着いたのでした。
お店はパヴィーア、修道院があるのはチェルトーザ・ディ・パヴィーアなので、コムーネを跨いで歩いたことになります。
ちょっと恥ずかしい思い出ですが、お料理はとても美味しかったです。
多分、もうすぐ帰国ということで、フィルム切れの心配がなくなったのでしょうね、料理の写真まで撮っちゃって。
今のデジカメで撮っているような鮮明な写真じゃないのでこのぐらいにしておきます。
ヴィーノの品揃えが豊富でカンティーナも見せていただきました。
自分で笑っちゃうのがこの写真。
’00年当時でセンサーが感知して灯りが点くなんていうのはイタリアで見たのはこれが初めてのことで、びっくりしてお手洗いの写真を撮ってしまったのでした。
本来は、パヴィーアの項に載せるべき写真ですが、思い出としてセットになっているのでここに載せました。icon
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from: ぐら姐さん
2024年04月13日 14時21分51秒