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      from: ぐら姐さん 2024/05/31 10:02:02 icon 今日から、州別シリーズのシチリア編パートⅡを始めます。 
 トスカーナ編が40まであるうち最初に12まで書いてたところで、次は24か25まで書いてまた次へ、と思っていたのに調子に乗って30まで書いてしまいました。
 30までで打ち切って、続きはまたパートⅡがある州の最後まで行ってからパートⅢを書くことにします。
 パートⅠは、12のカステルブォーノまで書きましたので、パートⅡは、25まで書こうと思います。
 調子に乗ってずるずる書いてたら、予定を過ぎていますよ、と注意してくださいね。
 では、シチリア編パートⅡの始まりです。
 13は、カラシベッタです。
 日本人にはなんだか面白い響きですよね。
 nasakuraさんがご自身のサークルで書いていらしたのを見てこのまちの名前を知りました。
 シチリアのへそにあたる部分にエンナがあり、エンナから見える丘の上のまちがカラシベッタです。
 ’16年8月にエンナを訪れた時に行きたいと思ったのですが、バス便は無くタクシーは予約でいっぱいで無理でした。
 向こうに見えているのに遠いカラシベッタ… 
 でも、その年’16年の12月に訪れることができました。
 この時は、パレルモからタオルミーナまで友人夫妻のレンタカーで移動しました。
 このときもまずはエンナに行ったので、エンナから見たカラシベッタを撮りました。 
 夏でも冬でも変わりませんね。
 カラシベッタのまち歩き。 
 まちの中心部らしきところに出ました。
 午後の、人通りのない時間帯のまちは寂しい感じ。 
 歩いているシニョーラがいたので、
 エンナが見えるところはどこか訊いてみました。
 教えていただいた方向に行ってみます。
 ようやくこのまちが見える辺りに差し掛かりました。  
 エンナは見えましたが、高台の面積が大きいようで、1枚の写真に収まるサイズのまちではありませんでした。(確かに夏に訪れた時は、1泊して結構歩きましたっけ) 
 昼下がりは、本当にひと気がありません。  
 カラシベッタのまちの端の方が素敵に見えました。  
 遠くに、ロバを従えて歩いている人が見えました。
 のどかでいい感じです。 
 子どもの頃、石けりをしました。このまちの子どもたちも? 
 ヴェスパはどこに行ってもあります。 
 まち役場 
 1軒だけ開いている店を見つけました。
 この店だったら、温かい昼食が食べられたのでしょうが、後の祭りでした(すでに適当に済ませたので)。 
 立派なお宅の庭の木に、猫が上っているのが見えました。  
 車を停めたところの近くでアランチャ・ロッサ(ブラッドオレンジ)を売っているシニョーレ。
 私たちが歩き始めたときからずっとここにいました。寒いでしょうに。 
 ちょっと食べてみたくて、1㎏ちょうだいと言ったら、
 「う~ん、皆袋に詰めちゃってるし... 3㎏ならいいけど。」
 と言うので、3㎏買いました。
 6㎏で4€ですから、1㎏なんて売れないよと言うのも分かりますね。
 結構数があったので、この先の旅でずいぶんと楽しみました。icon 
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      from: ぐら姐さん 2024/05/31 08:50:09 
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      from: teruteruwasiさん 2024/05/30 08:42:09 
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      from: フラさん 2024/05/30 07:52:49 
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      from: ぐら姐さん 2024/05/29 15:54:41 icon トスカーナの30は、ポッピです。 
 '14年にアレッツォに滞在しているときに、語学教室で仲良くなったイギリスからの女性と一緒に、教室が休みの土曜に半日遠足と言う感じで行きました。
 ポッピは、アレッツォから電車で50分ほどのところにある、丘の上の小さな素敵なまちです。
 9時の列車に乗って、電車が着くころに、向こうの丘の上にポッピが見えました。
 9時50分頃にポッピに着きました。
 チェントロ・ストーリコ(歴史的中心地区)までは離れているので、トイレ休憩を兼ねてバールでカップチーノをいただき、2人で途中の景色を楽しみながら、のんびり歩いて行きました。  
 イタリアの最も美しいまちの1つになっています。
 ポッピのまちに入りました。 
 ひとまず、カステッロへ。 
 小高い丘の上のまちの天辺にあるので、眺めもなかなかです。 
 中に入ります。 
 ポッピのカステッロは、その名を"Castello di Conte Guidi"といいます。
 9世紀から10世紀にこの地域の領主グイーディ家が建造し、13世紀にフィレンツェのヴェッキオ宮を模して改築したのだそうです。
 さらに15世紀後半にも増改築が加えられました。
 ダンテが1307年から1311年にかけて滞在し、神曲の地獄篇を書いたとパンフレットに書いてありました。
 城の中もなかなか素敵       
 可愛らしいまち、ただそう思って訪ねただけだったのに、
 このカステッロは、とても楽しめました。
 外に出ると、ここで執筆をしたという、ダンテの大きな頭像がありました。 
 まち歩きも楽しめました。        
 駅も可愛らしかったです。 
 トスカーナ編の最初に12まで書いていったん次へ行き、次は24日25まででまた次へ、と思っていたのに調子に乗って30まで書いてしまいました。
 一旦ここで打ち切って、次の州の続きに移りますね。icon 
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      from: ぐら姐さん 2024/05/28 16:58:14 icon トスカーナの29は、プラートです。 
 2つ前のピストイアと同じ日に行きました。
 はい、12月25日のこと。
 つまりろくな観光ができなかったということです。
 雨の日に行ったので外の写真は霞んでいます。
 私の持っている「イタリア美術案内」によれば、フィレンツェ美術の延長線上で期待できるまちとありました。
 フィレンツェの巨匠達の二級品ではなく、彫刻のドナテッロ、絵画のパオロ・ウッチェッロとフィリッポ・リッピ、建築のジュリアーノ・ダ・サンガッロの第一級品に出会えると。
 そして、ここのドゥオーモは、聖母マリアの腰帯をたいせつに保管している教会であり、フィリッポ・リッピが尼僧ルクレツィアと恋に落ちたまちであり、二人の間にフィリッピーノ・リッピが生まれたまちでもあるのです。
 これがそのドゥオーモです。 
 このファサードに使われている白と緑の大理石は、プラート近郊で産するものだそうです。 
 ここの正面扉のところにも、半円形のルネッタ部分にはアンドレア・デッラ・ロッビアの彩色陶板があります。「聖母子と聖ラウンティウス」です。 
 ドゥオーモの正面右側に、よそではあまり見かけないバルコニーが設けられています。 
 その名も「聖なる腰帯の説教壇」。
 ミケロッツィとドナテッロの共同制作(ミケロッツィが、建築構造担当、ドナテッロが彫刻担当だったようです)ですが、実はこれはレプリカで、本物は大聖堂博物館に展示してあるのだそうです。
 その腰帯は、信憑性はともかく、とりあえず聖母マリアのものとされ、年に5回、この説教壇から司教がそれを掲げる式典があるのだそうです。
 その5回とは、復活祭、5月1日、8月15日、9月8日、12月26日です。
 あと1日遅く訪れていれば見られたのでしょうけれど、残念でした。
 今から5世紀以上も前のプラートのまちで、8月15日の聖母被昇天祭に行われる聖母の腰帯の式典の最中に、ごったがえす群衆に紛れて、サンタ・マルゲリータ尼僧院から一組の男女が駆け落ちしました。
 それがフィリッポ・リッピと尼僧のルクレツィアなのだそうです。
 腰帯の式典のドサクサに紛れて駆け落ちしたのは、彼らだけではなく、同じ尼僧院の修道女4人が、それぞれの恋人と手に手を取って抜け出し、ローマ法王の逆鱗に触れたそうなのですが、画僧フィリッポ・リッピと尼僧ルクレツィアには、メディチ家のコジモの特別の計らいで法王から環俗の許可が出たのだとか。
 ドゥオーモの中には、フィリッポ・リッピやウッチェッロのフレスコ画などがあります。
 私達が入ったときは、ミサの最中でしたので、写真は遠慮しました。
 こちらは、コムーネ広場にあるプレトリオ宮殿。
 階段を上って行くと1850年に創設された市立絵画館があるそうです。 
 その絵画館にフィリッポ・リッピのすばらしい聖母子像があると、IANUAさんマッチンさんに教えていただきました。
 6月のピサ滞在の時に可能なら行きたいと思っています。
 サンタ・マリア・デッレ・カルチェリ教会。
 初期ルネッサンス様式なのだそう。 
 皇帝の城。 
 神聖ローマ帝国の皇帝フリードリッヒ2世によって1237-48年に建築されたためにこう呼ばれています。
 プラートの名物にカントゥッチがあります。
 アーモンドの入った堅焼きビスコッティのようなものなのですが、これをヴィン・サント(甘い食後酒)などに浸して食べると美味しいのです。
 老舗の有名な店があって、買って帰りたかったのに、この日はもちろん休み。
 この街には、腰帯の式典のある日にもう一度来なくては...と心に決めて、クリスマスのイルミネーションに灯りが灯り始めたまちを後にしたのでした。 icon 
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      from: ぐら姐さん 2024/05/28 16:32:37 
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      from: フラさん 2024/05/28 10:03:18 
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      from: ぐら姐さん 2024/05/27 15:52:47 icon 少し間が空きました。 
 トスカーナの28は、ピティリアーノです。
 ピティリアーノは、トスカーナ州のマレンマ地方(Maremma)の最南部にあり、
 ラツィオ州ヴィテルボ県と接し、フィレンツェ(Firenze)の南約170km、ローマ(Roma)の北西約120kmに位置します。
 マレンマ地方というのは、交通の便が悪いため古くから独自の文化を発展させてきたそうで、街が凝灰石の台地の上に、張り付くように形成されているのが特徴なのだそうです。
 ピティリアーノは、断崖の上に築かれた城塞都市で、「イタリアの最も美しい村々」の1つに認定されています。
 ここの写真をどこかのサイトで見て以来、行ってみたい!とずっと思い続けていました。
 ’11年8月に友人たちとの日程やコースのすり合わせの結果ようやっとそれが叶うことになっなったのです。
 シエナから、グロッセートとアルビーニアでバスを乗り継ぎ、ピティリアーノへと向かいました。
 バスは、しばらくはゆるゆると上り、その後比較的平らなところを走っていました。
 きっと遠くにぽこっと浮かび上がるまちが見えてきて、坂道をぐんぐん上って行くのだろうと思っていたら、そうではありませんでした。
 カーブを曲がった途端、それは本当に突然、目の前に深い谷、そしてその谷からにょきっと生えているように崖の上のまち、ピティリアーノが出現したのです。
 あまりに突然、素晴らしい光景が出現し、思わず「オオオーッ」と声を上げてしまいました。
 カメラをスタンバイして、いくつめのかのカーブで車窓からこの写真を撮りましたが、最初に見えたときのインパクトにはとてもとても及びません。 
 そして無事、18:18にピティリアーノに降り立ちました。
 バス停の前の店先に腰掛けて夕涼みしている老シニョーレ&シニョーラ達に、
 私たちの今夜の宿の主、ピッツェリア・リストランテ「マジカ・トッレ」に行くには?
 と尋ねたら、とても近くにあるようだったので信じられない思いでした。
 当時、宿の予約サイトでこのまちの宿を探したのですが1軒も無くて、googleマップで貸し部屋をやっているピッツェリアを見つけてメッセージを送ってみたら予約できたのです。
 貸し部屋は店とはちょっと離れたところだったのですが、まちの通りに面しているところでした。 
 この階段を上って2階です。 
 着いた日の夕方散歩から。    
 その翌日はサトゥルニア温泉に出かけて戻ってからまち歩き、
 その翌日に朝散歩をしてから次のまちに行きました。
 ランダムに写真を載せます。    
 これは日帰り遠足から戻るバスで次のカーブを曲がったら…と構えて撮りましたが、
 やっぱりドンピシャでは撮れなくて… 
 まちの奥の方への散歩も楽しかったです。
 決まった曜日に移動の魚屋がやってくるようです。 
 この肉屋では、干し肉とかサラミとかサルシッチャを作っていて、 
 干し肉を1本買って味見したらとても美味しかったので、少し買って次の滞在地に持って行きました。   
 この子はサラちゃん。
 おばあちゃんが携帯で音楽を鳴らすとそれに合わせて踊るように体を揺らすのが可愛くて、おばあちゃんやそのお友達が何度も何度も鳴らすのでした。 
 そして私たちの後をついて来ようとするのでした。 
 13年も経っているのでもうすっかり美しい娘さんになっているでしょうね。  
 このシニョーラはフィノッキオの花をハサミで切っていました。
 訊いてみたら、お料理に使うのだそうです。   
 夜のポワーッとほの明るいまちも美しかったです。icon 
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      from: ぐら姐さん 2024/05/27 15:05:39 

 
         
        

 
           
      
 
         
        
 
       
      

 
         
              