新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

イタリア!小さなまちと田舎の旅

イタリア!小さなまちと田舎の旅>掲示板

公開 メンバー数:397人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

from: 倶楽姐さん

2012年05月19日 14時53分39秒

icon

2012年5月のトリノ

すみませんね、このところトリノ続きで。今回は長姉を誘っての旅でした。姉はこのところずっと母の介護をしているので、ちょっと気分転換したいだろうと思って誘

すみませんね、このところトリノ続きで。
今回は長姉を誘っての旅でした。
姉はこのところずっと母の介護をしているので、ちょっと気分転換したいだろうと思って誘いました。
母には施設のショートステイをしてもらって。

姉は、イタリアはローマとナポリ界隈しか行ったことがないので、
今回は姉の案内係として、それなりに観光&カフェ巡りをしてきました。

羽田発の深夜便でフランクフルト経由でトリノへ。
フランクフルトからのアルプス越えの景色。


観光のため、トリノ・ピエモンテ・カードを購入しました。
2日間25エウロ、3日間29エウロでしたが、2日=使い始めた時間から24時間ということだったので、
ユーヴェの試合を観るときは関係ないので2日間のカードを購入しました。

ガイドブックには、交通網利用し放題と書いてありますが、
内容が変更されていて、今は普通のバスやトラム、メトロには使えません。
ポー川の船やスーペルガ聖堂に行く電車には乗れました。
モーレアントネッリアーナのエレベーターにも使えました。

というわけで、初日の宿のあるポルタ・スーザの駅に着いてすぐに、今回は3日間乗車券を買いました。
前回はちゃんと調べていなくて1日乗車券で満足していましたが、
1日は5エウロなのに、3日は10エウロなのです。

宿にはまだチェックインできなかったので、荷物を預け、早速昼食をとりに出かけました。

前回お昼を食べに行って気に入った店に姉を連れて行きました。
12:15頃だったでしょうか。お昼にはまだ早く、お茶を飲んでいる人が少しいるだけ。
店のおねえさんが、客にメニューを知らせるために、黒板を見ながらメモを書いていました。


今回も前菜盛り合わせ2人前


ヴェテッロ・トンナートなど前回と同じものもありますが、
今回はこの金属容器の中はどちらも野菜たっぷり。
これだけでも満足できる1皿でした。
あ、盛り合わせだと、本当にメニューのアンティパスティ欄に書いてある全種が入っているんですよ。


そしてプリモのズッキーニ、バジリコ、ミントのペーストのタヤリン


もう1つのプリモは、ブラのサルシッチャ(ソーセージ)のネッビオーロ(ネッビオーロ種の赤ワイン)煮込みソース、ぺペロンチーノ入りタヤリン


これ、どちらもすっごく美味しくて、それぞれが違った美味しさで、
姉は感動していました。

セコンドの1つは、ブレザオーラ(牛肉の生ハムのようなもの)の削ったトミーノチーズ添え。
野菜も付いていました。


もう1つは、仔羊の赤ワイン煮込み


骨付きだからと油断していたら、骨はちょっとで肉がたっぷり。
肉好きの人にはたまらない1品だと思います。
とても美味しいのですが、ボリュームありすぎ。

というかこんなにフルコースでがっつりと食べる人は、
近頃イタリアでもそう多くはないのでしょうね。
これに2分の1リットルの赤ワインを2つ。
もうお腹い〜〜〜〜〜っぱいでした。

腹ごなしにちょっと観光に出かけます。続く。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 23
  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 2

icon拍手者リスト

from: 倶楽姐さん

2012年05月21日 19時24分18秒

icon

「2012年5月のトリノその3」
スーペルガ聖堂は、歩いてすぐ。


18世紀初め。フランスが勢力を拡大し、
トリノもフランス軍によって攻撃を受け、占領されていた頃のこと。
オーストリアにいたエウジェニオ王子がトリノ入りし、
王子はまず、フランス軍がどこを占領しているか
全体像をつかもうとこの山に登り、当時ここにあった小さな教会に勝利を祈願。
そして歴史に残る大戦の後、フランス軍を撃退。
その記念に新たにこのスーペルガ聖堂が建築されたのだそうです。
ですから、スーペルガはトリネーゼにとって、またイタリア人にとって
フランス軍に勝った勝利のシンボルなのだとか。

そしてこの聖堂にはサヴォイア家の墓があるのですが、
ガイデッド・ツアーの時間が合わなくて、見ませんでした。

ここは、標高700メートルの高台にあるので、眺めが素晴らしいと聞いていました。
せっかくなので一番高いところ、クーポラから見ることに。
狭い螺旋階段を上って、上って、上って。
うわあ、素晴らしい眺めです。(でも残念、逆光)








せっかくなので、聖堂の中の写真も。




1949年5月4日視界の悪い中をポルトガルから飛んできた航空機が
この聖堂に激突し、乗員・乗客31名全員が死亡するという事故がありました。
その中に含まれていたプロサッカークラブ、ACトリノの選手18名と監督以下スタッフ5名の墓が裏手にありました。


私が行った11日が、命日から1週間後だからでしょうか、たくさんの花が供えられていました。

ウェールズの旗(赤いドラゴンが描かれています)があります。
ちょっと調べたところでは、監督がイギリス人だったとあります。
彼がウェールズ出身なのでしょうか。

彼らの写真と名前なども置かれていました。


この時のACトリノのメンバーの大半はイタリア代表にも名を連ねる選手達であり、
彼らを失ったことはイタリアサッカー界全体にとっても大きな損失だったそうで、
クラブの犠牲者全員を国葬で悼んだそうです。

優勝目前でトップチームを丸ごと失ったACトリノは、
リーグ戦の残りの4試合をユースチームで戦うことになり、
"Grande Torino" に敬意を表した相手クラブも同様にユースチームで対抗し、
結局このシーズンはそのままACトリノがスクデットを獲得したのだそうです。

ACトリノはその後、クラブの建て直しが上手くいかず、セリエB降格も経験し、
次のスクデット獲得までに実に27年を要したそうです。

30歳でこの世を去った "Grande Torino" のエース、ヴァレンティーノ・マッツォーラには、
事故当時まだ6歳の幼い息子・アレッサンドロがいました。
息子は、その後父と同じ道を歩んでインテルに入団。
それが1960〜70年代のイタリアを代表するスタープレイヤー、サンドロ・マッツォーラなのだそうです(愛称でサンドロと呼ばれていたそう)。
彼は、今69歳だそうです。
まだ63年前のことですから、遺族がたくさん生きていて、命日に訪れる人も少なくないのでしょうね。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 2

icon拍手者リスト