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from: ぐら姐さん
2024年04月17日 16時36分02秒
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ラツィオの(小さな)まち
気が付けばロンバルディーアは10まで進んでいました。全部で16なので一気に最後まで書いてもいいのでしょうが、それは後半に回すことにして、20州の20番
気が付けばロンバルディーアは10まで進んでいました。
全部で16なので一気に最後まで書いてもいいのでしょうが、それは後半に回すことにして、20州の20番目にラツィオ州について書きます。
とは言え、ロンバルディーアも多くないですが、ラツィオはもっとずっと少ないのです。
ミラノやローマは出入国の際に滞在して、すぐ列車や飛行機に乗って他の州に行ってしまうことが多いからなのかしら。
ひとまずラツィオの訪れたところを挙げてみます。
1.ヴィテルボ
2.オスティア・アンティーカ
3.タルクィーニア
4.チヴィタ・ディ・バーニョレージョ
5.トゥスカーニア
6.パレストリーナ
7.フィウミチーノ
8.フラスカーティ
9.ローマ
ローマは数えきれないほど行っています。
州都というか首都なので、州別シリーズ完結後の州都シリーズでたっぷり扱いたいと思います。
明日から始めますが、今日は’17年のローマの写真を少しだけ載せますね。
朝のサン・ピエトロ広場
こんなに人の少ないこの広場は早朝ぐらいかも。
塩野七生さんの作品によく登場する笠松ごしのサンタンジェロ城
トリオンファーレ市場の一角
7月に泊まる家予定の宿もこの市場に近いところを予約したのでここで買い物をしていろいろ作って食べるのが楽しみです。
from: ぐら姐さん
2024年04月21日 11時23分41秒
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ラツィオの2.はオスティア・アンティーカです。
'14年8月に1度だけ行きました。
全部は見ていなくて、続きは今度また、と思ってその「また」がまだ来ていません。
この時は、イプさんとペコさん夫妻と4人で訪れました。
ローマ、ピラーミデから電車に乗って7つ目。
入り口に立ったときは、青空の遺跡日和。
この日のローマの予想最高気温は34℃。
遺跡には青空が似合うのですが、夏の青空はじりじりと肌を焼き、水分を奪い・・・なわけで。
と思ったら、なんと海風が爽やかで(この日はひんやりした風だったのです!)、
しかもときどき曇ってはときどき太陽が顔を出す状態で、最高の遺跡日和となったのでした。
ローマ市の公式ページによると、
「オスティア・アンティーカ(古代オスティア)Ostia Anticaの起源は、紀元前7世紀中庸に生きたローマの第四代王アンクス・マルティウスがテヴェレ川河口にローマ最初の港を建設したことに始まるといわれています。
ローマへの河川からの出入りを統括するための城塞都市として誕生したオスティアは
その後の5世紀の間に堂々たる都市規模に達しました。
しかし、まもなくオスティア港はテヴェレ川からの砂で埋ってしまい港湾機能を果たせなくなったため、クラウディオ帝(紀元1世紀中頃)の時代にオスティアの北に新港が建設されました。
しかしながら、オスティアが最盛期を迎えるのはトラヤヌス帝がクラオディオ帝の港のそば、現在のフィウミチーノ空港付近に新たな港を建設した時代です。
実際、オスティアは新港を運営する行政・商業機能の中核となったのです。
オスティアは当初はローマと同様に、その後はローマ以上に「コスモポリタン」的性格を持つ都市でした。
オスティアには、人種や文化の異なる人々が共存し、
言語や宗教の異なる住民が、職業別に同業組合を形成して居住していたのです。
紀元1世紀から3世紀にいたる繁栄の時代の後、帝政後期には危機そして後退の段階が続きます。
ローマの歴史と密接に結びついたオスティアは、紀元4世紀から5世紀の間にだんだんと衰退し9世紀には完全に見捨てられた都市と化します。」
現在は、ポンペイのような古代ローマの都市の遺跡が見られるます。
特に遺跡好きなわけではないので、その程度の気持ちで見に行きました。
メインストリートであるデクマーノ・マッシモは、長さが2キロにも及ぶ通りです。
2000年も前からある石畳を、テルマエ・ロマエに出てくるようなローマ人が通って行く、そんな様子を想像しながら歩きました。
ネプトウヌス(海の神)の浴場。
これはハドリヌアス帝によるもので、オスティアの公共浴場の一つだったそうです。
建物の上にのぼって、高いところから見られるようになっていました。
この遺跡の中でいちばん大きく、美しいと言われているネプトゥヌスのモザイク。
4頭立ての海馬の馬車に乗っているのがネプトゥヌス。
上の写真の手前に見えている半人半魚はトリトンだそうです。
海老や魚はアクイレイアで見たものと似ています。
アクイレイアのようにカラフルではありませんが、こうやって上から眺めることができ、教会の椅子のような邪魔なものがあるわけでもなくてなかなか楽しめました。
その裏にある「消防士の宿舎」
フォンターナ。ここから水を汲んでいたのでしょうか。
テアトロです。
劇場の向かい側に、交易人組合の広場があります。
広場の3辺にモザイクがたくさんあります。
高いところから見ることができないのでちょっと見難いし、この日は風があり、松葉が被さっていて、でも立ち入り禁止なので手も出せず。
交易人組合の広場よりもう少し先に行ったところにこういうものがありました。
どうやらここはロムルスとレムルスの祭壇のある礼拝堂の跡のようです。
ローマ誕生の物語が描かれています。
左下に、狼から乳を飲んでいる双子が彫られているのが見えるでしょうか。
右下に寝そべっているのがテヴェレ川の精、上は、成人したロムルスとレムルスなのだそうです。
さらに奥に行くと、居酒屋があります。
けっこう壁や炉が残っていて、当時の居酒屋の雰囲気を感じることができました。
すぐ前の建物の上に上ることができ、周囲を見下ろしてみることができました。
オスティア・アンティーカは、河の氾濫で消滅したまちで、土台と壁の一部だけが残っているところがほとんどなのですが、このフォーロの中心部分はこんなに残っていて、予備知識ゼロで行ったのでびっくりというか、感動ものでした。
この辺りで止めてローマに戻ったので、続きはいつか行ってみたいと思います。
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