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イタリア!小さなまちと田舎の旅

イタリア!小さなまちと田舎の旅>掲示板

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  • from: ぐら姐さん

    2024年04月17日 16時36分02秒

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    ラツィオの(小さな)まち

    気が付けばロンバルディーアは10まで進んでいました。
    全部で16なので一気に最後まで書いてもいいのでしょうが、それは後半に回すことにして、20州の20番目にラツィオ州について書きます。

    とは言え、ロンバルディーアも多くないですが、ラツィオはもっとずっと少ないのです。
    ミラノやローマは出入国の際に滞在して、すぐ列車や飛行機に乗って他の州に行ってしまうことが多いからなのかしら。
    ひとまずラツィオの訪れたところを挙げてみます。

    1.ヴィテルボ
    2.オスティア・アンティーカ
    3.タルクィーニア
    4.チヴィタ・ディ・バーニョレージョ
    5.トゥスカーニア
    6.パレストリーナ
    7.フィウミチーノ
    8.フラスカーティ
    9.ローマ

    ローマは数えきれないほど行っています。
    州都というか首都なので、州別シリーズ完結後の州都シリーズでたっぷり扱いたいと思います。
    明日から始めますが、今日は’17年のローマの写真を少しだけ載せますね。

    朝のサン・ピエトロ広場



    こんなに人の少ないこの広場は早朝ぐらいかも。

    塩野七生さんの作品によく登場する笠松ごしのサンタンジェロ城

    トリオンファーレ市場の一角

    7月に泊まる家予定の宿もこの市場に近いところを予約したのでここで買い物をしていろいろ作って食べるのが楽しみです。

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コメント: 全17件

from: ぐら姐さん

2024年04月28日 20時11分34秒

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くるめながさきさん、

まあ!素敵!!!
是非お願いします~~~
トヨタのノアは持ち込みできないでしょうけれど、レンタカーで行きましょう!

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from: くるめながさきさん

2024年04月28日 14時00分53秒

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私 車 持っています トヨタ ノア 8人乗 いかがでしょうか

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from: ぐら姐さん

2024年04月28日 11時41分30秒

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ラツィオの8.はフラスカーティです。
’99年、イタリアに行き始めた頃で、まだ飲んだり食べたりが面白そうと思うところに惹かれていました。
帰国直前のローマで1日あるのに、もう特別に観光したいところもないし、「ローマ郊外のフラスカーティというところに、ワイン産地があり、ローマっ子が週末に出かけて飲食を楽しに行く」と言うようなことを地球の歩き方ガイドブックで目にして面白そうだからと行ってみたのですが、なあんだ、車がないとどうしようもない…というだけのことでした。

電車で出かけたので、駅のホームで記念撮影

旅の最後でフィルムがほとんど残っていなかったようで、あとはカンティーナ(と言っても見学するようなところではなかったような)の前で1枚。

食事も、こんな程度のもので、ローマに帰りました。

次に行くことがあるなら、車を持っている人に案内してもらう機会があるときです。

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from: ぐら姐さん

2024年04月28日 11時26分33秒

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IANUAさん、

ありがとうございます。
フィウミチーノの全面改装は終わったのですね。
もちろん、フレスコバルディがなくなってもフランチャコルタなら文句なしです。

行くのは秋ではなく6月下旬、2か月後に迫りましたが、記録的な円安でどうしようかと…
と言っても、イプさんがすでに航空券を購入してしまっているので、マイレージで取った私だけ変更するわけにもいかず、こんなにイタリアから離れたことは、イタリアに行くようになって初めてのことなので行きますけどね。

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from: IANUAさん

2024年04月27日 22時14分53秒

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今年の秋は絶対行かれますよね?
フィウミチーノ空港は全面改装の後、かなりすっきりした分かりやすい構造になりました。放射状になっているので移動しやすいです。
その中心のすぐそば二階にEATALYのちょっとした店舗があり、食事もできます。そしてそのまた近くにフランチャコルタのバーがあるのでフライト前に一杯できます。いずれもEU内の場所です。プレミアムラウンジもあるので見つけやすいと思います。EU内ラウンジはいつも混んでますけど・・。フレスコバルディがなくなってもフランチャコルタならいいんじゃないでしょうか。

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from: ぐら姐さん

2024年04月27日 09時28分06秒

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マッチンさん、

>「カラヴァッジョの何故」を知るためには所縁の地を訪れて、その環境を知ると、より一層カラヴァッジョ作品への理解が深まる

ありがとうございます。
是非機会を作って再訪したいと思います。

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from: マッチンさん

2024年04月27日 07時43分58秒

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パレストリーナのサンタントニオ・アバーテ教会にカラヴァッジョの帰属作品「聖アガピートの斬首」があります。

ローマでラヌッチョ・トマッソーニを殺して、ザガローロ、パレストリーナの次の逃亡先がパリアーノでした。この三つの町で「法悦のマグダラのマリア(クラインのマグダラのマリア)」、「エマオの晩餐」などを制作しましたが、逃亡前と比べるとカラヴァッジョの画風は明らかに変化して、所謂晩年様式へと移っていきました。

ラヌッチョの兄によって頭部を斬られ、熱がありながらも三つの町で制作して傑作を残した「カラヴァッジョの何故」を知るためには所縁の地を訪れて、その環境を知ると、より一層カラヴァッジョ作品への理解が深まると思います。

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from: ぐら姐さん

2024年04月26日 21時57分17秒

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ラツィオの7.は、フィウミチーノですが、載せるべき画像はありません。
いつも空港を利用するだけなので。

'08年冬に、イプさんと2人旅行だったのですが、航空券はいつもそれぞれ取っていて、彼女と連絡をとりつつも、私は、早々とウェブ予約でチケットを取ってしまっていました。
友人と一緒の旅行は、10年来お世話になっている小さな代理店の方にお願いしていたのですが、アリタリアの英語サイトで予約の方が、日本語サイトより安かったのでそちらで予約したのです。

イプさんは、帰りの便のことで問い合わせたいこともあって(私より早く帰国)、いつもの代理店に依頼していました。

そうしたら、ちょっと困った事態が発生。
成田〜ローマ〜ジェノヴァと飛ぶ予定なのに、ローマ〜ジェノヴァがキャンセルになったので、代替フライトの提案がアリタリアから来ていると、代理店からイプさんに連絡が来たのに私の方には、何も連絡が来なかったのです。

代替フライトはAFで、パリ経由のジェノヴァ行き。
エアフラだって、今後キャンセルしないとも限らないので、できればローマまでは行って、翌日午前のフライトに替えられないか彼女が問い合わせたら、OKの返事。
おまけに、その晩のローマの宿泊ホテルをアリタリア持ちにしてくれたのです。
(こういう時は代理店で買っていると強いのかも)

私はといえば・・・ アリタリアの英語サイトを見ると、Contact usのところに各国の支社・支店が出ていたので、いちばん近い東京へ連絡しようかと思ったら、日本語のサイトには、英語のサイトで予約したものについての質問や変更等は、直接そのサイトに連絡して解決するように、と書いてありました。

英語サイト(アリタリアUSA)にメールを送って、問い合わせをすればよいのでしょうが、気になるのが、私と友人の初日の宿のことです。
アリタリアUSAが仮に同じフライトに振り替えてくれた場合(これは十分可能でしょうが)、私の個人交渉で宿まで持たせるのはかなり難しいかも... その場合、私はシングルで泊まらないといけない... 高くなるし、 おまけに、アリタリア持ちのホテルは、当日までどこになるか確定しないので、私が同じ宿に予約を入れることもできないし。

というわけで図々しいのは承知の上で、ひとまず代理店の方にお願いしてみました。もし可能であれば、代理店の方で、私の分も一括してフライト変更と宿泊費アリタリア航空もちの宿の手配をお願いできないかと。

そうしたら... なんて親切なのでしょう。すぐにアリタリアに連絡を取ってくれて、イプさんと同じフライトに振り替え、宿もアリタリアに持ってもらえるよう交渉し、アリタリアから私へ直接連絡をするようにしてくれたのです。

で、アリタリアからめでたく連絡が来て、すべてOKになったのでした。お陰様で、夜遅くジェノヴァに遅く着くより、ローマで早めにホテルに入って休んだ方が楽そうだし。

フィウミチーノの空港で告げられたホテルは、空港から送迎バスで10分弱のところ。つまり、フィウミチーノのホテルなのでした。ブッフェの夕食も付いていて、しかもワインまで飲み放題でした。

フィウミチーノに泊まったのはその時が初めてではありません。
’01年にサルデーニャに飛ぶときに、乗るはずだったフライトに乗り損ね、翌朝のフライトにしてもらったため(これは私たちのミスなので、航空会社もちで泊まるわけにはいかず、ヒルトン・ローマ・エアポートに1泊しました。
空港から直結で行けるので便利で、その後も数回泊ったことがありますが、安くはないことと、アメリカのホテルなので当然アメリカの雰囲気で、あまり好みではなく、それならもうちょっと安い方がいいなあとヒルトン・ガーデン・インに2度ほど泊まりました。(それでも安くはないのですが)
インの方は、空港直結ではなく、空港のいくつもの駐車場を周る無料のシャトルバスが深夜1時まで運行し、宿のすぐ前に停まります。
そこの写真なら少しあるので載せます。
ダブルのシングルユースでした。

安くはないですが、ヒルトン・ローマ・エアポートよりは安いし、夜遅い到着でバスに乗ってテルミニまで行くと、B&Bにはチェックインできないし、ホテルにするとなるとそれなりの料金にはなるし、第一深夜にテルミニ付近を歩きたくないですし、かと言ってタクシーを使うとしたら、料金的に空港近くと変わらないか高くつくし、いろんなことを考えて、安心で早く眠りに就けるという意味ではよかったです。

部屋は豪華な感じは全くありませんが、部屋は広くてシンプルで清潔感があり、



朝食はなかなかリッチでした。

フィウミチーノの空港の売店、こういうのが一番そそられますが、国際線ではなく国内線のゲートの方なので、帰国時に買って帰ることはできませんでした。

前はフレスコバルディの店があって帰国前の最後の1杯を楽しんでいました。
いつから無くなったのだか…

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  • 9

from: ぐら姐さん

2024年04月26日 20時52分13秒

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マッチンさん、

パレストリーナがカラヴァッジョ所縁の地だとは知りませんでした。
作品もあるのでしょうか?
制作しただけでパレストリーナには無いのでしょうか?
彼の絵は好きですが、所縁の地を訪れるということの面白さとはどういうものなのでしょうか。

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from: マッチンさん

2024年04月26日 09時19分39秒

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>このまちは、ごくありきたりのまちなので
確かにその通りと思いますが、ぐら姐さんはカラヴァッジョがお好きですよね。

パレストリーナはカラヴァッジョ所縁の地としてかなり有名です。
トマッソーニ兄弟たちとの乱闘で、ラヌッチョ・トマッソーニを殺してしまったカラヴァッジョは、ローマを離れ、カラヴァッジョ侯爵夫人コスタンツァ・コロンナの縁を頼ってコロンナ家の領地に逃げ込みました。ザガローロからパレストリーナに入り、パレストリーナの考古学博物館となっているパラッツォ・コロンナ・バルベリーニで過ごしました。パレストリーナで数点の作品を制作したと言われてます。

これからも私はカラヴァッジョ所縁の地であるパレストリーナに訪れる予定です。

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  • 6

from: ぐら姐さん

2024年04月25日 15時09分10秒

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ラツィオの6.は、パレストリーナです。
’11年の暮れにローマから日帰りで見に行きました。

地下鉄B線のポンテ・マンモロまで行き、そこからCotral社のバスで1時間ほど。
ローマ周辺には、古代ローマを建設するにあたって大胆な実験的建設が試みられた都市がいくつもあるのだそうです。
その好例が、ティヴォリやオスティア・アンティーカ、そしてここパレストリーナなのだそうです。
遺跡があるので、よく晴れた日に行くことをお薦めします。
バスを降りて高い方へと、向かいます。

どんどん上って振り返ると、ずいぶん上ってきたことが分かります。

見晴らしのよさそうな公園がありましたが、それもパスして上へ。

とうとう上りきるようです。

上りつめた地点から程近いところにインフォメーション発見。

中には、老シニョーレが座っていて、考古学博物館の入り口はどこかと聞くと、
わざわざ立ち上がり、外に出てあっちだよと示してくれました。
歩きながら、日本の方ですか?と聞かれたので、そうだというと「こんにちは。ようこそパレストリーナへ」と日本語で言うではありませんか。
日本語が話せるのですか!?と聞くと、以前ローマで海外からの電話予約受付の仕事をしたそうで、簡単な言葉を数ヶ国語話せるようになったのだそうです。
韓国語も話せると言うので、お礼を韓国語で言ってみたら、あなたも話せるのですか!?
と今度は彼が驚いていました。私の知っている韓国語はほんのわずかなのですけれど。
インフォのすぐ近くに入り口はあるのでした。

チケットを買って博物館に入場してから、一旦外に出て横断歩道を渡り、遺跡に入場します。
不正入場のないように、係員が立っていました。
せっかく上ってきたのに下るのはもったいない気がしましたけど、下りないと見られないので、階段を下ります。
遺跡より何より、素晴らしい眺め!素晴らしい天気!!

将軍スラはパレストリーナを、フォルトゥーナ女神を祀った神殿のまちに改造すべく、丘の斜面を利用して6段に重層する列柱廊のテラスを設け、そこに神殿に至る参道を組み入れて完全な左右対称とした、舞台装置のような神殿建築プランを立てました。
当時フォルトゥーナ神殿の「霊験」は人気を呼んで、各地から人々がパレストリーナを訪れ、フォルトゥーナ女神の神託を受けたのだそうです。
一時はローマ元老院の保護を集めたものの、キリスト教の勢力が強まる4世紀になると神託は力を失い、391年に神殿は閉鎖されました。

そのフォルトゥーナ神殿です。



博物館に入りました。
フォルトゥーナ女神の頭部

三神殿。一つの石塊から掘り出された点で稀少な例なのだとか。

目当てにしていたモザイクの数々

かなり細かなモザイクで、離れて見ると絵のようです。

是非とも見たいと思っていた「ナイルの氾濫」
氾濫と言っても水害を描いたものではなく、洪水期のナイル川流域の様子をエキゾチックな風物詩として描き出しているものです。
大きさが分かるように、見ている人が入っている写真を載せます。









満足して、ローマに戻りました。
このまちは、ごくありきたりのまちなので、ここは日帰りでいいかな、と思います。

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  • 11

from: ぐら姐さん

2024年04月24日 16時02分07秒

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ラツィオの5.は、トゥスカーニアです。
素敵なロマネスクの聖堂が2つもあるところで、前々回のタルクィーニアから足を伸ばしてバスで訪れました。

バス停近くに宿を取りました。

まちは、城壁で囲まれていて、この門を通って入ります。

門をくぐり、まちを歩きました。

ずんずん歩き、城壁を抜けました。
このまちの城壁の作りは面白くて、城壁を抜けても、さらに城壁があります。

城壁の外が新しいまちというわけでもないようでした。

これはローマ時代の道でしょうか。

いよいよ、目指すサン・ピエトロ教会が見えてきました。

到着

正面に回り込みます。
エトルリアとロマネスクの故郷として知られる人口8,000人のまち。
でも地質学的には火山性の大地の上にあり、1971年の地震で大きな被害を受けたのだそうです。
教会などの建造物は復元されたものの、ロマネスクの絵画の大半が消失してしまったそうで、このサン・ピエトロ教会も外観は美しく修復されていましたが、祭壇の絵は修復中で幕に覆われていました。

サン・ピエトロ教会のファサードです。

パッと見に美しいという感じではないのですが、近付いて細部を見ると溜息ものでした。
この教会は、8世紀に創建され9-11世紀にはトゥスカーニアの司教座教会になっていました。
このファサードは12世紀に建設が始まり、13世紀に完成したそうです。

ロマネスク特有の手のこんだ装飾、コズマーティ装飾の中央扉、
その上に設けられたイオニア式列柱による回廊、大きなバラ窓の幾何学的分割、
バラ窓の四隅に配された四福音書記者のシンボル像、左右に振り分けられた双子窓、
これらが一つの美しいハーモニーを奏でている、と本に書いてありますが、
とにかく、観るだけで楽しくて、嬉しくて、うきうきわくわくしてきます。
なんて素敵、なんて楽しい、なんて美しい・・・と自然に顔がにやけてくるのでした。













中は、撮影禁止でしたが、奥のクリプタに行ったら、写真を撮っている人がいたので、私も便乗して撮っちゃいました。



もう一つのサンタ・マリア・マッジョーレ教会までは、歩いて10分弱。
のどかな道を歩いていると、あっという間に着きました。
教会前の広場がなくて、正面から引いて見ることができません。

この教会も、その前に見たサン・ピエトロ教会も、古代ローマ時代には公共浴場かゼウスに捧げられた神殿があったところであろうと推測されているそうです。
建てられた時期もだいたい同じです。
15世紀に人々の生活の中心がこの辺りを離れ、現在の市壁内の街区に移行したため、
教会は急激に廃れてしまったのです。

バラ窓と列柱回廊のあるファサードも基本的にはサン・ピエトロ教会と同じです。







ここも、内部は撮影禁止でした。
2つの教会のファサードを堪能して、幸せな気持ちで街へと戻りました。

夕暮れの色になってきたまち







一夜明けて、バルコニーから見た明け方の景色。

少し時間が経過して朝もやに少しけむるまち。

いいところでした。

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  • 9

from: ぐら姐さん

2024年04月23日 15時12分46秒

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ラツィオの4.はチヴィタ・ディ・バーニョレージョです。

’09年12月にローマから日帰りで行きました。
ローマからオルヴィエートへ行き、オルヴィエート〜バーニョレージョのバスに乗ろうと思っていたのですが、日曜は運行無し、平日でも学校のない日は少ない、ということが事前にわかっていたので、オルヴィエートの駅に着いたらまずタクシーでバーニョレージョへ行くつもりでした。

ところが駅に待機しているタクシーは5人乗れるワゴンタイプのものがなくて、2台だと結構高くつくので、いずれにしろオルヴィエートのまちには行くつもりだったので、バスでまちへ行き、インフォメーションで5人が乗れる車を手配してもらいました。(私はイプさん、ペコさんとローマに滞在中で、Gina夫妻と部分合流していたのです)

チヴィタには車では行かれないので、例の橋の入り口あの辺りで下車。
まずは写真撮影会。

この当時は入村料のようなものはありませんでしたので、そのまま橋を渡りました。



見上げると、門が見えてきました。

この門からまちに入りました。

チヴィタは、少なくとも2,500年以上前にエトルリア人によって築かれたとされ、かつては5つの港を結ぶ交易の街として栄えたと言われているそうです。
自然の浸食によって集落の佇む丘は徐々に削られ、追い打ちをかけるように発生した三度に及ぶ地震が村に壊滅的な被害をもたらました。
特に1794年に起きた2回目の地震によって生じた土砂崩れは、村を結んでいた自然の橋を巻き込み、ほとんどの住民は丘の麓の街へと避難せざるを得ませんでした。
1965年にようやく鉄筋コンクリートの橋が架けられ、今のような姿になったのだそうですが、’21年現在で住人は11人だそうです。

まちを散歩







教会もありました。





ブルスケッタの店に入りました。
暖炉の炭火でパンを焼くのでした。

香ばしくてとても美味しかった!



このまちには古いまち並みがそのまま残っていますが、あまり生活臭を感じません。近くのまちから、ここへ通っている人が多いように感じました。(多いと言っても、何十人もいるわけではないでしょうが)。
ここに住んで生活を維持することは、かなり厳しいことなのだと思います。

観光客向けの食事処や土産物屋などがちらほらあり、それで何とか成り立っているような。それでも仕方がないのだろうなぁ、それでもいいからこのまちが滅びることなく存続してほしいと思いました。

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from: ぐら姐さん

2024年04月22日 15時34分29秒

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ラツィオの3.は、タルクィーニアです。

'12年1月に行きました。
ローマから所要1時間15分ほどなので、日帰りで見に行く人が多いようですが、そのまちの夜の顔も朝の顔も見てのんびりしたいと思ったので1泊しました。

エトルリアの墳墓群があるところで、チェルヴェテリとセットで世界遺産に指定されています。
エトルリアは、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群で、古代ギリシアとは異なる独自の文化を持っていたそうです。
当時としては高い建築技術を持ち、その技術は都市国家ローマの建設にも活かされたとか。

その墳墓群は、翌朝観に行くことにして、初日は国立博物館を観ました。
墳墓群から見つかった棺などが多数展示されています。



棺の上にはその亡くなった人の彫刻。
棺の側面には、人となりを表す彫刻や絵がついています。



ここの一番の見ものが「戦車を牽く有翼の馬」

紀元前4〜3世紀の優れたテラコッタ彫刻だそうです。
アクロポリスに近いアーラ・デッラ・レジーナ神殿の破風を飾っていたと推定されています。

朝、エトルリアの地下墳墓、ネクローポリを目指しました。
街から2kmほどの距離と書いてありましたが、実際に歩くともっと近く感じました。
思いのほか海も近くて。

これがネクローポリの入り口。

チケットを買って入ると、ひろーい敷地が目の前に広がっています。

この、小さな家のようなものが、墓の入り口です。

墳墓の入り口を入ると階段があります。

降りていくと、墓の中には入れないようにガラス張りの扉に鍵がかけてられていて
横にあるボタンを押すと中のライトが灯り、ガラス越しに見るようになっています。

うわあ・・・
二千数百年前の墓の絵が、こんなに鮮やかに残っているなんて・・・
地下だからなのでしょうね。
あちこち壁は剥がれ落ちているものの、描かれているものはかなり見えます。



階段は2人並ぶのがやっとぐらいの幅なので、
混んでいる時期や時間帯だと見るのがとてもたいへんそうです。
お陰様で、冬なのによい天気だし、朝イチで行ったのでほとんど人はいないし、
このガラス越しの鑑賞を独り占めできました。

特に見事だったのが「LEOPARDOの墓」

色鮮やかに正面にも側面にも隅にも、見事な絵が残っているのです。





階段を下りては観て、また上り、少し歩いて他の墳墓の階段をまた下りて・・・を何度も繰り返し、たっぷりと楽しんで街へと戻りました。

街の門です。

そして城壁。

街に戻ると、この日は市が立っていました。

宿の近くの街並み。

市庁舎(初日の夕方に撮りました)

遠くに海が見えます。

このまちのイルミネーションは、まあるい形。

まちもなかなか趣があって楽しめるところでした。




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from: ぐら姐さん

2024年04月21日 11時23分41秒

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ラツィオの2.はオスティア・アンティーカです。
'14年8月に1度だけ行きました。
全部は見ていなくて、続きは今度また、と思ってその「また」がまだ来ていません。

この時は、イプさんとペコさん夫妻と4人で訪れました。
ローマ、ピラーミデから電車に乗って7つ目。
入り口に立ったときは、青空の遺跡日和。

この日のローマの予想最高気温は34℃。
遺跡には青空が似合うのですが、夏の青空はじりじりと肌を焼き、水分を奪い・・・なわけで。
と思ったら、なんと海風が爽やかで(この日はひんやりした風だったのです!)、
しかもときどき曇ってはときどき太陽が顔を出す状態で、最高の遺跡日和となったのでした。

ローマ市の公式ページによると、
「オスティア・アンティーカ(古代オスティア)Ostia Anticaの起源は、紀元前7世紀中庸に生きたローマの第四代王アンクス・マルティウスがテヴェレ川河口にローマ最初の港を建設したことに始まるといわれています。
ローマへの河川からの出入りを統括するための城塞都市として誕生したオスティアは
その後の5世紀の間に堂々たる都市規模に達しました。
しかし、まもなくオスティア港はテヴェレ川からの砂で埋ってしまい港湾機能を果たせなくなったため、クラウディオ帝(紀元1世紀中頃)の時代にオスティアの北に新港が建設されました。
しかしながら、オスティアが最盛期を迎えるのはトラヤヌス帝がクラオディオ帝の港のそば、現在のフィウミチーノ空港付近に新たな港を建設した時代です。
実際、オスティアは新港を運営する行政・商業機能の中核となったのです。
オスティアは当初はローマと同様に、その後はローマ以上に「コスモポリタン」的性格を持つ都市でした。
オスティアには、人種や文化の異なる人々が共存し、
言語や宗教の異なる住民が、職業別に同業組合を形成して居住していたのです。
紀元1世紀から3世紀にいたる繁栄の時代の後、帝政後期には危機そして後退の段階が続きます。
ローマの歴史と密接に結びついたオスティアは、紀元4世紀から5世紀の間にだんだんと衰退し9世紀には完全に見捨てられた都市と化します。」

現在は、ポンペイのような古代ローマの都市の遺跡が見られるます。
特に遺跡好きなわけではないので、その程度の気持ちで見に行きました。

メインストリートであるデクマーノ・マッシモは、長さが2キロにも及ぶ通りです。
2000年も前からある石畳を、テルマエ・ロマエに出てくるようなローマ人が通って行く、そんな様子を想像しながら歩きました。

ネプトウヌス(海の神)の浴場。
これはハドリヌアス帝によるもので、オスティアの公共浴場の一つだったそうです。
建物の上にのぼって、高いところから見られるようになっていました。
この遺跡の中でいちばん大きく、美しいと言われているネプトゥヌスのモザイク。

4頭立ての海馬の馬車に乗っているのがネプトゥヌス。
上の写真の手前に見えている半人半魚はトリトンだそうです。

海老や魚はアクイレイアで見たものと似ています。

アクイレイアのようにカラフルではありませんが、こうやって上から眺めることができ、教会の椅子のような邪魔なものがあるわけでもなくてなかなか楽しめました。

その裏にある「消防士の宿舎」



フォンターナ。ここから水を汲んでいたのでしょうか。

テアトロです。





劇場の向かい側に、交易人組合の広場があります。
広場の3辺にモザイクがたくさんあります。
高いところから見ることができないのでちょっと見難いし、この日は風があり、松葉が被さっていて、でも立ち入り禁止なので手も出せず。





交易人組合の広場よりもう少し先に行ったところにこういうものがありました。

どうやらここはロムルスとレムルスの祭壇のある礼拝堂の跡のようです。
ローマ誕生の物語が描かれています。
左下に、狼から乳を飲んでいる双子が彫られているのが見えるでしょうか。
右下に寝そべっているのがテヴェレ川の精、上は、成人したロムルスとレムルスなのだそうです。

さらに奥に行くと、居酒屋があります。
けっこう壁や炉が残っていて、当時の居酒屋の雰囲気を感じることができました。





すぐ前の建物の上に上ることができ、周囲を見下ろしてみることができました。



オスティア・アンティーカは、河の氾濫で消滅したまちで、土台と壁の一部だけが残っているところがほとんどなのですが、このフォーロの中心部分はこんなに残っていて、予備知識ゼロで行ったのでびっくりというか、感動ものでした。

この辺りで止めてローマに戻ったので、続きはいつか行ってみたいと思います。

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from: ぐら姐さん

2024年04月20日 20時12分51秒

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ヴィテルボの続きを載せます。
16年1月に行った時に、こんなパレードに遭遇しました。

この小さなパレードの後に、別な場所でもうちょっと大人っぽい、でも同じ地区の人たちにパレードにも出くわしました。

この日は、最低ではなく、最高気温が0℃という本当に寒い日で、このパレードの衣装では寒かっただろうと思います。
昨日もちょっと載せましたが、噴水がこんなに凍っていたのですから。

ライオンに長い顎髭があるみたいでしょ。
きっと教会だろうと思って下の道に下りて見に行って、入口側に回ってみたのですが、残念ながらしまっていました。

とても素敵なのに本当に残念...



まち歩きを続けました。









宿の近くにあった昔の洗濯場



いわゆる名所を見るのも、人々の生活の雰囲気を感じられるエリアを歩くのも楽しめるまちです。

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from: ぐら姐さん

2024年04月18日 11時36分40秒

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ラツィオの1.はヴィテルボです。
’11年8月と’17年1月に行きました。
最初はローマから日帰りで、2度目は帰国直前、ローマの宿にスーツケースを預け1泊分の荷物を持参して。
やはり泊まった方が夜も朝もまち歩きを楽しめてよかったです。

ローマから70キロ、ラツィオ州の北部に位置し、遅い電車で2時間ほどのところにあるまちです。

かつてのエトルリア文明が繁栄した土地の中心地で、その歴史は紀元前にさかのぼり、中世には多くの教皇がローマを離れてこの町に移り、『教皇の町』として著しい発展を遂げたのだそうです。
城壁のほか、塔、貴族の邸宅、広場を飾る華麗な噴水など、町の保存状態の良さはヨーロッパでも屈指、と書かれていて、とにかく見てみたいと思ったのです。

ヴィテルボにはローマ門とフィオレンティーナ門と2つの入り口があり、ローマから列車でヴィテルボ駅に着くとローマ門までは歩いて数分です。

門をくぐると、いきなりタイムスリップしたように世界が変わります。

Piazza Fontana Grande、日本語だと大噴水広場(安易な名前がイタリアらしい)。
それにしては小さいかな。

1月に行った日はとても寒い日で、この噴水が凍っていました。

町で最も古く最も大きいゴシック様式のこの噴水は、イタリア国内でも名高い美しい噴水の一つなのだそうです。
細部がかなり私の好みです。

まちのどこを見ても素敵です。
プレビシート広場











このヴィテルボには、教皇の宮殿があります。
コンクラーベ(教皇選出会議)発祥の地なのだそうで。

コンクラーベ(Conclave)とはラテン語に由来していて「鍵のかかった(con clavis)」という意味だそうです。
教皇クレメンス4世がヴィテルボで没し、新教皇選出の有権者は18人でしたが、意見が分かれ3年間教皇不在の期間が続きました。
何ヶ月も新しい教皇が決まらないのは、枢機卿たちが自由に出歩き、外部と接触しているのが原因と考えたヴィテルボの住人が怒りを爆発させ、選挙会場である司教館に枢機卿たちを鍵を掛けて閉じ込めたのだそうです。
外部との接触を絶たせ、食料もパンと水だけを差し入れ、さらには食事量も減らしていきました。
そしてついに1271年9月、6人の枢機卿の妥協によって、イタリア人の教皇グレゴリオ10世が選ばれただそうです。

教皇宮殿

広場に椅子が並んでいるのは、夏のなにかしらのイベントがあるからだと思います。

その手前にあるドゥオーモ

ドゥオーモの横にオフィスらしきところがあるのが見つかりました。
教皇宮殿のチケットはどこで売っているか聞いたら、
「ガイド付きのツアーしかやっていないので、時間にならないと始まりません。
残念ながら英語のツアーは、今日はもうありません」と言うのです。
イタリア語で大丈夫ですと言うと、なんと3分後にスタートするというのでほとんど待ち時間無しでガイド付きツアーのスタート。

教皇宮殿のガイド付きのツアーは、ドゥオーモの、通常は鍵が掛かっていて見られない部分と教皇宮殿を見るものでした。
ドゥオーモを見た後で、教皇宮殿に入りました。



中は結構な広さがあります。
長くなったの今日はここまでにします。

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