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from: ぐら姐さん
2021年02月10日 17時46分00秒
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誰もが知っている街編 ②フィレンツェ
その②は、フィレンツェです。予想は当たりでしたか。フィレンツェを初めて訪れたのは’94年のこと。’89年はローマにミュンヘンに向かうための1泊だけでし
その②は、フィレンツェです。
予想は当たりでしたか。
フィレンツェを初めて訪れたのは’94年のこと。
’89年はローマにミュンヘンに向かうための1泊だけでしたから、この時が実質初めてのイタリア旅行でした。
ローマ~フィレンツェ~ミラノ~ヴェネツィアと2、3泊ずつしてからジェノヴァに移動して1泊、その後西地中海クルーズを1週間楽しんだのでした。
おまけに下船してから一気にインスブルックに移動し、ザルツブルク、ウィーンと見てから帰国しました。
そのときのミラノからインスブルックに向かう車窓の夕暮れの景色の美しさは今でも忘れられません。
さて、フィレンツェでした。
3泊して、大聖堂を見て、鐘楼とクーポラ両方に上り、当時まだ予約制ではなかったウッフィッツィ美術館に入るのに2時間も並び、その他当時ガイドブックに載っていた見どころをざっと回り。
本当にガイドブックと旅行会社のパンフレットに出ているところだけ見て終わりでした。
それでフィレンツェを見た気になってしまっていたのか、次に訪れるまで11年も間が空きました。
北にも南にも行き、同じトスカーナのモンタルチーノやグロッタジュスティ・テルメにも行ったのに、フィレンツェは素通りしていたのです。
その間、ネット検索できることが劇的に増え、宿もいろんなタイプがネットで見つけて予約できるようになり、フィレンツェを駆け足で見た3人と未踏の1人の4人でゆっくり滞在して回りたいね、という話がまとまり、’05年の冬に共同キッチンのある部屋を2室借りて5泊したのです。
’94年の写真はおみせできるようなものがないので、’05年とその後何回かちょこっと訪れた時の写真からいろいろと載せていこうと思います。
スタートは、やはり花の大聖堂から。
ここまでは、’05年冬のものです。
5泊と言っても、アレッツォはじめ近隣のまちを見に行っていたので、大聖堂をとてもじっくり見たわけではないのです。
ここは、外側だけも、ファサードだけではなくいろんな角度から見て素敵ですからそれだけでもできれば時間をかけて見たいところですが、私の場合は何回か行ってやっとというところです。
洗礼堂も素敵です。
ごめんなさい、今日は時間がないので、明日から改めてもう少し細やかに投稿します。
from: ぐら姐さん
2021年02月23日 09時02分46秒
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フィレンツェの最後は、街角写真を適当に載せます。
(え?もう最後なの?と自分でも思いますが、フィレンツェをそれほど何度も訪れていないのと、歩き回っていないのとで、続けるには厳しいのです)
’05年の滞在の時の宿の近くには革製品や衣料品の小さな市の回廊(メルカート・ヌオーヴォのロッジャ)があり
その一角にイノシシの像がありました。
フィレンツェ市民からはポルチェッリーノ(子豚ちゃん)という愛称で親しまれているこのブロンズ像は、その鼻をなでると幸運が訪れると言われているそうで、鼻先がピカかでした。
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
ここのことはちゃんと1回分で書くべきなのでしょうが、中に入った時の写真がみつからないもので。
サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局
ここの写真も、自分や友人たちが入っていない写真はこれだけ。
ここも大好きなトラットリア、ダ・マリオ
フィレンツェのことを書くには、もっともっと調べたり、見たり、歩き回ったりしないとダメでしたね。
さて、次はどの街のことを書きましょうか。
from: ぐら姐さん
2021年02月22日 09時23分16秒
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サンタ・クローチェ聖堂も好きな教会の一つです。
でも、中に入ったのは’05年の時だけ。
しかも写真があまりない…
フィルムカメラからデジカメに替えて2年目ぐらいでしたが、感覚的に何でもカシャカシャ撮っていたわけではなかったのです。
写真の保存用のカードが、今のように大容量ではなかったこともあるのでしょう。
当時PCも持参していませんでしたし。
駅前にあるドメニコ会のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に対応するのがフランチェスコ会のサンタ・クローチェ聖堂ということなのだそうでフランチェスコ会のフィレンツェ本部ともいえる重要な教会なのだそうです。
ドナテッロの高浮彫の受胎告知。
付属博物館にも入りました。
「生命の樹」と最後の晩餐。
この空間がに足を踏み入れたとたん、うわあ…と圧倒されたのを今でも覚えています。
かつて修道院の食堂だったのだとか。
ヴァザーリはこの作品を「ジョットの作品」と記しているそうですが、近代の学者によってジョットの作品リストから外されたという歴史を持っています。
「最後の晩餐」は多くの修道院の食堂を飾っていますが、その最も古い例がサンタ・クローチェ教会のこの作品なのだそうです。
この頃は、デッラ・ロッビア工房の彩色陶板に興味を持っていて、けっこう撮っていました。
今思えば、もったいない見方をしたと思ってここはまた時間を取って見に行きたいと思います。
フィレンツェには、そう思う場所がいくつもあって、最低2週間は必要かも。
ここを出ようとしたときに、急に雪が激しく降ってきてびっくり。
この翌日にフィレンツェに雪が積もったのでした。
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