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親父たちよ

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from: クマドンさん

2016年07月12日 06時47分12秒

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走った

ジョグをして来た。またこうして走れる日が来るのだろうか。人は、毎日が最期の一日だと想って生きるとちょうどよいかも。長男に庭の水やりのことを伝えた。次男

ジョグをして来た。
またこうして走れる日が来るのだろうか。
人は、毎日が最期の一日だと想って生きるとちょうどよいかも。
長男に庭の水やりのことを伝えた。
次男には、頼むとただそれだけだった。
我が家のことは、この二人が何とか守ってくれることだろう。

長男と次男とに小遣いをやった。
これも生きているからできること。
昨日、身辺整理に半日を過ごした。
机の中のがらくたを整理していたら、3万円が封筒から出て来た。
天からの贈り物。
それは、私から長男・次男へと送りものだ。

こうして腹を抱えて走ることも、これが最期となる。
手術すれば、このヘルニアは一時的には引っ込むはずだ。
よくまあ腹の皮一枚で生きている者だと呆れてしまう。

お地蔵様にお願いをした。
いつも人生の岐路には、このお地蔵さんが黙って眼を閉じて立っている。
「それでいい」としか、言わない。
私は、ご縁をいただいた。
そのお地蔵さんとの出会いで、あの母の死を乗り切ることができたものだ。
今は、私の手術である。

ただ祈る。ただ祈る。
人に出来ることはそれだけだった。
それにしても走れなくなっている。
また走れるのはいつなのか、
ふと自転車に乗っている叔父さんが、
ゴミ捨てのために歩いている叔母さんが、
羨ましく感じた。

何事もない平穏無事こそ、ありがたい一日なんだなぁ。

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from: せみさん

2016年07月30日 09時41分33秒

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「昨日BSで岡本喜八監督の喜劇「ダイナマイトどんどん」をやっていた。小倉の対立するヤクザ同士が縄張りを懸けて野球で勝負する通快な映画だ。文太さんがいい。欣也さんがかっこいい。宮下順子さんに惚れた、惚れた。実は、この映画との出会いは、前回の緊急手術後一週間位だったか、個室でようやく自分で手や足を動かせられるようになった時だった。

テレビをつけたら突然このタイトルが飛び込んできた。それから、ドラマの展開から目が離せなくなってしまった。拍手喝采。やるのーおぬしたち?まあ、この痛快さに魅せられてしまったのだった。しかし、野球の試合の大事な最終回になったら、無情にもCT検査の時刻となり、車椅子で拉致された。

私の入院の唯一の心残りは、この映画のクライマックスであるラストだった。私は観ていなかった。実は、監督の名前すら分からなかったのだ。

そんなこんなで忘れていた映画だったのに、ドキッだった。今週の週間テレビ番組表を見たら、なんと水曜日にやるではないか。またまた、ここは病室のベッドの中だ。三回目の手術を終えて2週間。同じ映画を同じように病室のベッドで観る確率とはどんなものだろか。

本当に人生は、奇跡に満ちている。これを私は偶然とは思わない人となっている。そこにある「意味」を見出だし、ありがたく受け取っているからだ。それは、よきことも、悪しきこともだった。

この三回目の手術を私は感謝している。おかしいだろうか。この痛みと苦しみ、そしてこの入院生活を体験したからこそ、深いところで何かに気づくことかできた。

もし、この年でこのクライシスを体験しなかったら、私はあのままの私で60才を迎えてしまったかもである。病を経験した人の心のひだは深くなる。本当にそうだなぁと、私は合点できるし、腑に落ちる。

変な話で恐縮だが、同室の65才のAさんや80才のBさんは、まだ一回も手術を受けていなかった。だから、私は手術のことやその後の経過や生活の仕方について語れるのだった。

私は、この手術のおかげさまで、手術について患者として語れる人になった。だから、これから手術をしなければならず不安と恐怖を感じている人に、大丈夫だよと、語って、同情と共感ができる人になっている。

だから、この腹膜炎は偶然ではなく、私にとっては必然であり、それは、私の想いや願いを越え、想像を絶したこととして、やっぱり奇跡なのだと、私は認識している。

そう考えると、人生は奇跡に満ちていた。これから始まる同じ1日であるが、出会うことに感謝して、ああ奇跡だなぁと生きて行くか、何でこんなことになったのだ。こうなったのはあいつのせいだと、不平不満でイライラして生きて行くかは、同じ1日という道を歩きながら、全く違った感情や気持ちで生きることになる。

自分を捨てれば捨てるほど、楽になる。自分にこだわればこだわるほど自分が肥大化してどうにもならないモンスターと化する。

捨てるか、こだわるか。その生き方の違いは大きいことなんだとやっと分かるようになった。

「ダイナマイトどんどん」との病室での再会に、私は奇跡を見た。そして、奇跡とはそれを現実にする配慮と意図とが必ず隠されているものだった。そこに、「意味」を見いだせるかどうかに、生きることの面白さがあるように感ずる。

たかが、たった一本の喜劇映画とは思わないことだ。この映画とここで再び出会えたことを奇跡として感動できる生き方に、私はやっと行き着いた。

人は生きてみないと分からない。人生はここから先は全て未知なことばかりだ。ならば、それを奇跡と感じて、日々楽しんで体験し、そこに何らかの意味を発見できたら、楽しく1日だけは生きられるのではないだろうか。

そんないい加減な生き方を若者に伝えてあげたかった。

題「奇跡、奇跡の花盛り」

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