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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2011年10月30日 08時11分23秒

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    神山みさ

    とうとうこの日が来てしまった。
    止めることはできない。ただ過ぎゆくその時間を見つめるだけだ。
    思い出あふれるこのカウンターともお別れだ。
    ファイナルの夜。やっぱり私たちはイベントを行った。
    ささやかだが「青春歌声居酒屋」を急遽行うことにした。

    私たちがカウンターで甘豚の餃子を肴に飲んでいると、
    ギターのMさんが、美しい女性(20代前半)を同伴で店に入って来た。
    「歌手です。」だそうだ。
    リードギターのHさんが上で既にリハーサルをしていた。
    そこにHさんが2本のギターを持参して登場した。
    侍が揃った。何とも不思議な雰囲気を持った三人なのだ。

    歌は、歌うぞという想いが大切なのだ。
    それは、自分や一緒に歌う人たちとの勝負でもあった。
    3時間フルで歌い続けることは、ある意味苛酷なトライアスロンである。
    力は抜かない。全力歌唱。喉を労わり、酒をチャージして、それでも絶唱する。
    3本のアコギの阿漕な音に乗せられて、クマは絶好調のフルスロットだった。
    40曲は歌っただろうか。
    「よくやるよ。」と自分を褒めた。
    それにしても、素晴らしすぎるギターなのだ。

    歌手ですと言う美しい彼女は、私の隣りで胡坐をかいて、日本酒をガラスのぐい飲みで飲んでいる。
    その飲み姿が堂に入り、なかなか粋なのだ。
    彼女とは、札幌のススキノの路上で出会ったと、Mさんが言っていた。
    大歓楽街の路上で・・・・。お風呂の人なのかと、余計な想像だった。
    8時を過ぎて、彼女が東京に帰る新幹線の時刻があるからと、
    突然ですがライブをしてもらうことにした。
    よく聞いたら、お風呂関係ではなく、ストリート・ミュージシャンなのだった。
    私と長者と花束王子は、いつもストリート・ドランカーをやっている。
    妙な共感を覚えたクマである。

    彼女が胡坐をかきなおし、Mさんからギターを受け取り、弾き始めた。
    音が違う。
    歌を歌い始めたら、ぐっと魂の奥底に響く歌声だった。
    熱い想いと切ない魂が、私の歌を聴いてくださいと歌っている。
    それも私のすぐ背中で。
    私は目を閉じて彼女の歌に聴き惚れた。
    「歌は、想いなのだ。」
    突然、私の中で彼女が独り歌っている路上ライブの光景が浮かんだ。
    その孤独と、その一途なる音楽への夢と憧れに、私は涙が止まらなくなってしまった。
    二日続けて、音楽で泣いている中年のおっさんである。

    神山みさ 親父たちは、歌い終わった途端全員「ブラボー」だった。
    この人は、すごい人だったんだ。
    それから全ての空気が一変し、みんなで彼女のCDを我先に買い出した。
    「2800円、3000円で釣りはいらねぇ。」何恰好つけてるんだ。
    今もここで彼女の歌声が響いている。そして、泣いているクマだった。
    歌の力。クマは信じる。

    彼女が去った後、また親父たちの歌は続いた。
    しかし、決まったことがある。
    それは、親父バンド「M.O.P」がストリート・ミュージシャンとしてデビューしようということだった。
    神山みささん。あなたの歌が、古町に一つの伝説に残る親父バンドを誕生させたぜ。
    あなたの歌は、私たちにとってレジェンドとなったぜよ。

    これが「なじら家」なんだ。
    物語が生まれ、出会いが生まれ、希望が生まれる居酒屋だった。
    ありがとーーーーーーーーう。Cさん。

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  • from: クマさんさん

    2011年10月29日 06時59分43秒

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    奇跡のコンサート

    一週間を終えることは、一つの冒険でもある。
    金曜日の夜は、ほっとする。
    辿りつけたことの幸を感じつつ。

    昨夜は、奇跡を体験した。
    音楽の神様は、確かにそこに存在していた。
    三階の天井桟敷ののような席から、オーケストラを見降ろした。
    私が敬愛するマエストロの佐渡裕さんがステージに登場した。
    まさにオーラーが放たれた。
    音が鳴る。その音が音楽だった。

    モーツァルト弾きのピアニスト。
    何と可憐でペーソスのあるピアノなのだろう。
    軽く軽く指を動かしながら、哀愁のあるモーツァルトがそこにいた。
    ピアノ協奏曲がこんなに深い音楽だったと、その瞬間理解した。
    万雷の拍手に、このピアニストの音楽の素晴らしさが表現されていた。
    観客を感動で魅了し、唸らせる音楽だった。
    アンコールも、切々とリリシズム溢れる音楽だった。
    「本物の演奏は、哲学になる。」
    それは、彼と言うピアニストを通して、
    ミューズが奏でる瞬間、瞬間なのだ。

    チャイコフスキー交響曲第5番。
    奇跡が起きる予感は、第一楽章の初めから感じられるものだ。
    ベルリン・ドイツ交響楽団。
    その楽団がマエストロを信頼し、全てを託し、全知全霊で演奏に没入している。
    百人が、一つの大きなうねりになり、音楽を鳴らしていた。
    私は指揮者から目が離せなくなった。
    彼は、その瞬間瞬間に音楽を創造している。
    オーケストラは、その想いに応え、我を捨ててその全体の調和の中に溶け込み、
    創り手の一人として、技を出しきる。


    カリスマ的なマエストロは、必要な存在である。

    ここにはない在る世界を、ここに表現することが音楽である。

    ステージには、神がいる。その神に音楽を委ねられる天才がいる。

    表現をすることは、燃え尽きることなのだ。

    フォルン・オーボエ・クラリネットと独奏者は、舞台の名優だ。

    音楽は、かくも劇的であり、魂を高揚させるものなのか。

    私は、素晴らしく美しい演劇を観ているような気持ちになった。
    涙が止まらない。この涙が、人間の私だった。
    どうして人は、感動すると泣けるのだろうか。
    その涙を流せる音楽や演劇に出会うことが、
    観客にとっての何よりもの喜びだ。
    そして、全身が震えるような感動を味わう時、それを人は奇跡と言う。

    私は、独りスタンディングオベーションだった。
    「この人は・・・・。」
    全てを出し切り、神からの使命を果たした彼は、真っ白な笑顔だった。
    30年前に県民会館で小沢征爾を観た時と同じ感じだった。
    「世界のマエストロになってくれたなぁ。」
    そして、私は想った。
    「彼の師であるバーンスタィンが、ここにいた。」と。

    帰り道心が本当に温かかった。
    それではどこかで一杯を・・・。
    800円しか財布にはなかった。残念。

    佐渡さんとバースタィンさんに、家で菊水一番搾りで乾杯を捧げた。

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  • from: クマさんさん

    2011年10月28日 06時02分59秒

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    とうとうこの日が2

    とうとうこの日が来てしまった。
    それは、私の居場所。心のオアシス。「なじら家」が閉店する日である。
    昨年の6月から開店した「なじら家」は、山ノ下にとって大きな貢献をした店である。
    ただの豚串屋ではなく、「居酒屋公民館」として、その機能を十分果たした店である。

    ここで話し合われてことが、どれだけ現実になっていることか。
    「なじら家コンサート」は、第9回がファイナルだった。
    このコンサートで出会った音楽家の人たちとコラボして、
    あの「山ノ下なじらね音楽市場」が開催された。
    そして、将来の山ノ下のどうするかを考え、
    その夢を実現するチャレンジ集団である「山ノ下を考える会」を組織し、運営している。
    ここから福祉のまちづくりを発信し、
    障害のある人や、お年寄りや、外国から来た人等に優しいまち作りが行われるはずである。

    何よりも長年の懸案である「山ノ下祭り」については、
    限られた地域住民だけでなく、
    広い地域の人たちや子どもたちが参画できる体制に抜本的に改める計画を練っている最中である。
    町内会やそひれぞれの所属する組織を超えて、
    この会の人たちは一心になり、山ノ下をよくしようと実践的な努力をしている。

    何よりも「なじら家」の貢献は、ここに集った酔っ払い同士を出会わせ、
    なじら家の友としてくれたことである。
    さて、29日土がそんなんじら家のファイナルである。
    なじら家に思い出や想いがある人たちは、ぜひぜひこの機会に集まってもらいたい。
    「青春歌声居酒屋」も同時開催の予定である。
    3本の生ギターでフォークソングを3時間熱唱しませんかという企画である。

    何よりも惜別の気持ちで、この最後の夜をみんなで送りたいと願っている。
    なじら家わ通して生まれた一時代は幕を下ろす。
    しかし、「なじらや企画」は存続し、
    これからも山ノ下や東区のために活動するつもりである。

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  • from: クマさんさん

    2011年10月27日 06時00分29秒

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    次男の誕生日

    54歳には54歳なりの生き方があり、考え方がある。
    日々いろいろなストレスと出会いながらも、それをどう受け止め、処理をするか。
    向こうからやって来るものに、いちいち感情的になってしまっては、私は持たないだろう。
    それを、どう諦め、どういなし、どうスルーするかだ。
    分からない者は、どうしても分からないものだ。
    「人は、変わらない。」「人の考えは、変えられない。」
    その一方的な視野の狭い我儘な攻撃を、笑って受け止められるように修行の日々だ。

    昨日は、あまりのことにカッとなって、頭痛がした。
    こんなことで突然死しても仕方ないと想い、諦めた。
    「言っても無駄だ。」「分かってはもらえない。」
    この種の人には、言えば言うだけ攻撃されるだけである。
    「負けるが勝ち。」
    体にいろいろな故障を抱えながら、こうした非常識な人と生きねばならない時、
    54歳は、柔軟に対処する技を身に付けた。
    「逆らわぬこと。」「頭を下げること。」「従うこと。」である。
    ただし、私をそんな想いにさせるその人を私は・・・・・だけである。

    昨日は、次男の16歳の誕生日だった。
    彼のリクエストにお答えして、妻は寿司を買って来た。
    ケーキには、誕生日おめでとうと名前がチョコで書かれていた。
    父と母も一緒に乾杯をした。
    恥ずかしそうにしながらも、次男はそんなセレモニーにつき合ってくれた。
    彼は、2歳の冬に生死を彷徨ったことがある。どれだけ私は泣いたことか。
    彼を父はとにかく可愛がり、いつもいつもベビーカーに乗せて町内中を散歩していた。
    彼は、愛情いっぱいに育てられたはずである。

    今は、反抗期真っ盛りなのか、話もしない。
    私が何か言おうとすると煩がる。
    それは長男がそうだったし、私もそうだった。
    一番イライラと、何かに向かって怒鳴りたくなる年頃のようだ。
    毎日サッカーの練習でしごかれ、へとへとになって帰って来る。
    後は、録画したお笑い番組を横になって観ている。
    勉強は・・・・。

    私は、長男と次男が大好きだ。
    だから、親父だからと余計なことは言わないことにしている。
    基本的に生き方は本人が決める。
    親の出番は、彼らが困った時なのだと想っている。
    「指示」「命令」でコントロールは出来ないのだし、してはいけないことなのだ。
    「尊重」することは、「甘やかす」こととは違うと想っている。
    だから、「居ても居なくてもいい親父」は、ここに居るのだ。
    しかし、目は離さない。しっかりと見守っている。

    ある人が言っていた。「今の親たちは子どもに気を使って、厳しくしない。」と。
    私もそうなのかもしれない。
    しかし、「子どものことを心配する親」ではありたいと想っている。
    相手が困っていたり、悩んでいたりしたら、そっと傍にいられる親でありたい。

    日々、私へストレスを与える人は、それとはま逆な人なのだ。
    「一方的に自分の考えを押しつける。」
    「自分だけが正しいと思う。」
    「人を見下し、いつも指導しようと冷たく見ている。」
    「指示・命令」
    人は、言葉では動かない。人は、心で動くものだ。

    長男と次男には、そんな親父でありたいと願っている。
    誕生日おめでとう。
    兄ちゃん、誕生日には帰って来いよ。

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  • from: クマさんさん

    2011年10月26日 05時39分18秒

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    とうとうこの日が

    頭痛が三日間続いた。
    後頭部が時折首の辺りから上に向かって締め付けられる。
    思考停止とお話し停止。
    手足の痺れはないが、何とも言えぬ違和感がある。
    ちょっと待てよ。これって脳梗塞・・・・。
    どきどきとしていた。しかし、休むわけにもいかなかった。
    何よりもこの間、飲み会が存在していたことには恐れ入った。
    それでも、私は飲んでいたのだ。

    しかし、やはり失ってしまうことに大きな不安があった。
    もし脳梗塞ならば、後遺症の残らぬ軽いうちにと考え、内科を受診した。
    症状を語り、脳梗塞への不安を語った。
    「血圧ですね。」「高血圧が原因ですよ。」「脳梗塞ではありません。」
    医師からは、嬉しいような悲しいようなお話を聞かされた。
    この一年間、140代のまま下がらなくなっている。
    献血もお断り状態なのだった。
    学会の基準が変わり、140代以上は高血圧と診断され、加療の対象となったそうだ。
    血圧を下げる薬を飲む。それだけでも、私にとってはショックだった。

    人間ドックの結果を見て一言。
    「54歳。観念する年ですね。」と言われた。
    全ての再検査の原因は、アルコールだったからだ。
    「やめろとは言いません。週に一二回休肝日を作りましょう。」
    その後20分間ベットで安静にしてから採血をした。
    「尿からたんぱくも出ていますね。慢性の腎臓病の可能性があります。」とのこと。
    これでもかこれでもかと次々と出される病名に、私は辟易してしまった。

    年齢が高くなると、今までの生活のままではリスクが大きい。
    アルコールとメタボが原因であること。
    このままだと三大成人病まっしぐらであること。
    肝臓の機能が回復すると、体に起こっているアクシデントは解消されること。
    「クマさん、今、発見されてよかったと思いますよ。」と、医師は笑顔だった。
    つまり、これが「引導」を渡された瞬間だった。

    血圧を下げる薬を飲む。
    週に一日は休肝日を作る。
    食事に気をつけて、運動を続ける。
    それが、私が寿命を延ばすためのパスポートになるのだそうだ。
    もし、そうしなかった場合、心筋梗塞・脳梗塞等の突然死のリスクが何倍も高くなる。
    ある日、ある時、「うっ。」でこの世とお別れをする。
    または、後遺症で寝たきりの生活となる。

    さてさて、やっぱり最後は「酒」だった・・・・。

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  • from: クマさんさん

    2011年10月25日 06時03分07秒

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    老いること。弱ること。病めること。

    父が、母に叱られながら、散歩に出るようになった。
    岩のように固まった父が、動き出した。
    それは、散歩した日には夕食でワンカップが出るからだった。
    散歩と酒とで、少し健康になった父だった。

    同じ町内のお年寄りたちに会うことがある。
    朝、ゴミ捨てに行くと、向こうからゴミの袋を提げて歩いて来る。
    向こうもきっとそう想っているとは思うが、
    とにかくしばらく会わない内に老けたものだと感ずる。
    私がまだ中学生や高校生だった頃は、現役バリバリの大人たちだった。
    その人たちは、ある意味ではこの町内の風景の一つだった。

    私が15年前に我が家に戻り、町内会の活動を始めた頃は、
    頼りになる人たちばかりだった。
    60代前半。まだまだ現役には負けない気概に満ちていた。
    その知恵と力とを借りて、ハイキングや餅つき大会を実施できた。
    その人たちが、既に老いの日々に入っているのだ。
    それは、いずれ私も行く道だった。

    私は、この年になり捨ててしまったことが多くなった。
    偉くはならない。無理はしない。いい加減で生きる。平穏無事を心がける。
    傍から観たら、やっぱり「居ても居なくてもいい人」になっている。
    40代、とにかく突っ走り過ぎた。
    人がやっていないから。人がやらないから。そんな分野で先頭を切って走った。
    そして、突然50歳で電源が切られ、ストンと奈落の底に落とされた。
    そこで分かったことは、自分すら自分の思い通りになにぬということだった。

    その時、言われたことがある。
    「仕事で体を壊しても誰も褒めてくれないんだよ。」
    「仕事のことで死んだって、それであなたの人生に満足できるんけ。」
    私は、その悩みの最中は、死んでこの場を逃れることを考えていたかもしれない。
    しかし、自分でも「生きたい」と願っていることを知っていた。
    そして、想ったものだった。
    「生きていれば、私もこの先輩たちと同じようにこの町内で風景の一人として生きられるて。」と。

    私が、捨てるきっかけのひとつに、この先輩たちの生き方があった。
    「生き抜くことは冒険だ。」
    「居ても居なくてもいい人は居てもいいのだ。」
    私は、これからもこの町内で生きるために、今日も仕事に出かけるのかもしれない。

    「生老病死。秋の風。」

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  • from: クマさんさん

    2011年10月24日 16時29分51秒

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    演劇の原点とは

    迷ったら原点に帰る。
    そうすると、心の迷いやわだかまりがすっきりと取れる。
    学校のすぐ目の前には田んぼと山が広がり、
    すぐ裏手には滔々と流れる信濃川の絶景がある。
    そんな小さな山の学校に、実は原点がいくつもあった。

    演劇の原点とは、やっぱりみんなで一体になって楽しむことなんだ。
    子どもたちは晴れ舞台で張り切り、先生方も心血を注いで舞台を創る。
    衣装がいい。大道具がナイスです。脚本がよく練られている。
    何よりも演ずる一人一人が輝きに満ちていた。
    緊張して失敗することもあっても、それを笑いに変えて次につなげる。
    舞台とは、やっぱり晴れの場所であり、自分を思いっきり表現できる場所だった。
    やっぱり舞台は、人にしか創られない熱い生き物だった。

    その熱演を通して伝えられるメッセージがとてもいいのだ。
    文化を伝えている。文化を受け継いでいる。
    それが舞台の役割の一つだと教えてもらえた。
    舞台は、時代の文化でもあると感じた。
    だから、それぞれの劇には、演ずる意味があった。
    心から伝えたいメッセージが存在していた。
    それは、次の時代をもっともっと自然と共にみんなで幸せに暮らすための大切な先祖からのメッセージでもあった。
    だから、観客の共感を呼ぶのだった。
    舞台とは、人生や生き方を振り返り、改めて見つめ直す場でもある。
    私は5年生のメッセージソングに、泣けて泣けて仕方なかった。
    この歌に出会うために、この発表会に来たのかもしれないと想った。

    私の隣のお婆ちゃんは、フイルムのカメラで孫の姿を撮っていた。
    ジーッというフイルムを捲く音が懐かしかった。
    一家総出での応援だった。
    地域のお年寄りたちは、毎年楽しみにこの発表会に集まって来るそうだ。
    もう学校とは関係が無くなっても、やっぱりこの発表会には来てくれる。
    「ほれほれ○○の子どもが出たれ。」「上手なもんらね。」「あっはっはっ。楽してば。」
    そんなつぶやきが聞こえて来る。
    子どもの舞台は、お年寄りたちには大歓迎だ。
    笑顔で演劇を楽しむお年寄りたちの姿を見て、ここにも演劇の原点を感じた。
    この人たちに愛されてこその演劇なのだ。

    舞台は、喜びであり、悲しみであり、怒りであり、挫折であり、希望であり、夢である。
    役者さんのそうした台詞一つ一つ、動作の一つ一つに共感しながら、
    いつしかその世界に惹きこまれ、吾を忘れて見入ってしまう。
    共に笑い、共に泣き、共に怒り、共に戦いながら、
    いつしか「こころ」に生きる希望や力が湧いて来る。
    演劇には、人の心を励まし、勇気を与える力が確かにある。

    何だかとても単純な気づきだが、その原点がこの発表会の劇から感じた。
    実は、市民劇団を立ち上げる時の夢は、こんな劇団を作ることだった。
    みんなと一緒にわいわいと楽しみながら、協働で一つの劇を手造りでこさえたい。
    お客様は、近所のお年寄りや父ちゃん母ちゃん、子どもたち。
    笑って、泣いて、感動し、「ああっ、いかったねぇ。」と涙を流して帰って行く。
    そんな原点を今は見失ってしまっている。

    そんな迷いと切なさの中で、私はこの山の小学校に呼ばれた。
    そして、私が観たものは、素朴で温かな演劇の原点だった。
    私は、子どもたちの演劇を観て、魂が救われる想いがした。
    ストレートに子どもたちの想いが伝わってくるのは、
    子どもたちの魂が美しいからなのだ。

    諍いや喧嘩をしている人間には、平和な世の中を創る為のメッセージを語って欲しくはない。
    それは、全て嘘っぱちだからだ。
    私は、賢治さんに申し訳なく想い、自分自身が情けなく情けなく情けなく感じていた。
    「雨ニモマケズ」に対して、私はとても恥ずかしかった。
    だからこそ、賢治さんがこの山の学校の演劇発表会に読んでくれたのだろうと、今では想っている。
    私は再び、市民劇団を立ち上げた頃の原点を思い出した。

    人の出会いとは不思議なものだ。
    私が迷い、心重苦しい時に、私はこの演劇を観て心から励まされ、再生された。
    私は、もう一度そんな演劇を創りたいと想えるようになってきていた。

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    2011年10月23日 17時21分31秒

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    原点と出会う1

    昨日は心温まる旅だった。
    人は、旅をすべきなのだ。
    知らない土地に行き、そこに生きる人たちと出会う。
    心から逢いたい人がいたら、バスに乗って逢いに行けばいいのだ。
    人は、人と出会うことで元気をもらう。
    人は、自然と出会うことで元気をもらう。
    そして、人は、優しさと出会うことで元気になるものだ。

    そんな一日の旅ができる幸いを感謝している。
    Hさんという人生の師と共にバスに乗る。
    車中ではお互いの出会いから始まり、二人が感化を受けた人たちの話となった。
    二人のこの十何年間は、とてもとても凝縮された濃いものだった。
    だから、23歳も違ってもこうして付き合っていけるのだった。
    見ている夢が同じだった。

    小千谷でバスを降りると、憧れの師Sさんがが軽自動車を止めて待っていてくれた。
    友、遠方より来る。
    その出会いの感慨は、言葉に尽きせぬものがある。
    新潟と小千谷の師が、初対面だった。
    しかし、大人だねぇ。
    あ、うんで、つながる。
    何もいらない。何も言わない。将よく将を知るである。

    山の中の小学校の学習発表会だった。
    私は、Sさんに申し訳なかったが、無理を言って学校に残してもらった。
    Sさんは、新潟緑百年の大会役員のため、当間高原に私たちを残して行った。
    体育館には、全校児童48名?と来賓・保護者・地域の人たちが200名以上集まっていた。
    この勘定が合わないところが、この学校の全てを物語っていた。
    私は、この発表会に出会い、さまざまな原点を感じ、感動した。
    自然と涙が流れてしまう。
    心が豊かに、温かくなってしまう。
    何とも気持ちよく、涙を流しながらも元気になっていくのはどうしてなのだろうか。

    それは、飲み会から帰って来たからここに記す。
    実は、この学校で学んだことは、日々の私の悩みを解消してくれただけでなく、
    私のこれからの生き方を変える出会いでもあったのだった。

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  • from: クマさんさん

    2011年10月22日 05時57分34秒

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    出会いを大切に

    本日、小千谷に行く。
    私の心の師と友に会いに行くためだ。
    「途中の会」のWさんの教え子たちが、総合学習の発表会を行う。
    地域の地蔵尊との出会いから、川や森の大切さを訴える劇にして、
    伝統と自然とをみんなで守ろうと呼び掛ける。
    ここにも演劇の力が生きていた。
    それを3.4年生が熱演するのだから、応援にいかねばなるまいて。

    二人は、小千谷から「王瀬の長者」を観に来てくれた。
    友、遠方より来る。
    まさにそんな気持ちが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
    想ってもらえることは、人と人とのつながりにとっては何よりものことだった。
    想うから、遠方でも駆けつけるのだ。
    想うから、機会があったら会って話したいと想うのだ。
    私にはそうした大切な師と友が小千谷に居ることがありがたかった。

    本日、高速バスで一緒に旅をする人が居る。
    それはそれは偶然のことなのだが、
    劇団の代表のHさんが、やっぱりこの小学校へ行くことを決めていた。
    実は、75歳のHさんは、新潟市の環境教育では大きな貢献をした人であった。
    河川改修と河川を通じた町づくりにも長年尽力されていた。
    彼も、私には大切な人生の師だった。
    昨夜、久しぶりに沼垂で彼と飲んだ。
    彼の語る夢の大きさに、いつでも私は教えられ、奮起させられる。
    心の元気がなくなった時は、彼にいつも助けられ、励まされた。

    その帰りにバス停でバスを待っていたら、
    停車したバスから降りて来たのは、先週コンサートを開いてくれた佐藤さんだった。
    いやはやその偶然は、必然だと感じた私は、佐藤さんに声をかけ、
    また同じ店に舞い戻り、彼と行って酒を飲んだ。
    彼との出会いが、私の音楽観を変え、なじらや企画の原動力となっている。
    彼とは、沼垂の焼き鳥店「山小屋」で何度もワンコインコンサートを開いた。

    実に、人との出会いとは不思議なものだ。
    出会うべき人に、きっと人生では出会うのだ。
    そして、お互いがそのことを感ずることで、
    その出会いの機会は作られ、お互いの絆がいっそう強くなっていくものだった。

    私は、そうした師や友との出会いによって今がある。
    そのことを感謝しつつ、早朝の高速バスに乗車する。

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  • from: クマさんさん

    2011年10月21日 06時33分55秒

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    その夢面白い

    Cさんからメールが届いた。
    「軽く飲もう。」とのことだった。
    ちょうど私もちょい飲みの気分だったので、吉原で待ち合わせた。
    カウンターで、新潟マラソンの話をお母さんとしていた。
    彼女は第一回目からの参加者で、市長とテレビ番組で対談した人でもあった。
    いつまでも若くて美しい秘訣は、このランニングにあるのだった。
    ここへ来ると、走る話しで盛り上がる。

    そこへ、万代島を自転車で一周して来たCさんが登場した。
    飲みだすと、機関銃のように語りだす。
    いよいよ福祉の時代到来なのだ。
    「なじら家」は、居酒屋としては閉店するが、
    この地域の社会福祉的な活動の拠点としては、
    これからも十分機能させ、活用したいとの想いだった。

    ニートの若者たちの活動参画を図る。
    地域のお年寄りたちとのネットワークを形成する。
    お年寄りや障がいのある子たちの居場所づくりをする。
    お年寄り対象の歌声喫茶を開く。
    安くて格安なお弁当を作り、若者たちに宅配させる。
    御用聞きの業務を委託して、市場や商店と連携する。
    つまり、これから十年後に地域社会において常識となる活動を、
    先駆けて立ち上げようということなのだ。

    新しもの好きな私がのらないわけはない。
    私の本当にやりたいことはこれだったと感じた。
    そのための助成金は、行政も企業も提供している。
    助成金ゲッターとしての腕が鳴る鳴る。
    この企画は、この山ノ下で年を取り、
    老いて行く私たちのための企画でもあるのだった。
    つまり、地域に必要とされるセーフティーネットは自分たちの力で創れということなのだ。
    それも、40代・50代の活動の盛りの時期にだ。

    「なじら家企画」の出番は何か。
    それは、吉原の美人女将の一言で決まった。
    それは、障がいのある子どもたちのための劇団であり、舞踏団であり、音楽隊の結成と活動なのだ。
    私は、それぞれの分野でのプロの皆さんを知っている。
    私がこれまでの人生で出会った点と点の人たちが、
    このパフォーマンスでみんなつながり、面になるはずである。
    東区を表現特区にする夢を私はもっている。
    「これは絶対面白い。」おかげで日本酒を飲み過ぎた。

    そんな熱い心で帰ってくると、冷たい視線を背中に感じた。
    「ごめん、Cさんに誘われて・・・・。」
    「初めからそのつもりだったんでしょ。」
    いいわけはしない。
    私の自己実現は、私のためでなく・・・・。
    なかなか理解はしてもらえないものだった。

    燻っていたクマが、また冬眠から覚めようとしている。

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