新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマさんさん

    2005年03月31日 21時34分06秒

    icon

    息子との関係

    息子との会話がなかなか成立しない。
    私から声をかけるようにはしているが、
    彼にとってはうるさいだけなのかもしれない。
    私から言われる事を、とても嫌がっていることがよく分かる。
    イライラとして、聞く耳はもたなかった。
    家庭は、大切な教育の場でありながら、
    彼のことを教え、育てるだけの関係ができていないような寂しさを感じる。
    親として信頼されていないのだろうか。
    私を彼がにらむ事もある。
    いらだってテーブルを拳骨で叩いてることもある。
    少しでも子供の目線に立って理解しようと努力するのだが、
    彼にとっては私の存在は疎ましいだけだった。
    成績は落ちた。学習への意欲を失いかけていた。
    現実の前に自信を無くしているらしい。
    だから、ゲームや遊びに逃れていく。
    信頼はしている。しかし、とても心配である。
    こうしたほうがいいよと、言ってやりたいのだが・・・。
    いつか分かってくれる日が来るだろうとは思っている。
    そんな彼の私に対する目を見ていると、父親としての無力感を感ずる。
    親が子供を育てられなくて、子供がまともに育つわけは無い。
    しかし、いつからこうなってしまったのか・・・。
    待つ事が親の役目か。
    期待はしつつも、こうした関係の中から彼のよさを伸ばしてやれないもどかしさ。
    彼との関係のおかげで、私もいろいろと考えさせられている。
    「大丈夫だよ」「分かっているよ」「大人になったんだよ」
    そんな慰めと励ましとが欲しい今日この頃であった。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2005年03月29日 18時17分34秒

    icon

    親父の5つの魅力とは何か

    私が初めて親父たちの凄さを目の当たりにしたのは、
    O小学校で地域と連携して学校ビオトープ作りをしたときのことだった。
    子供たちのためにビオトープを作りたい。
    そんな夢を実現するためには、学校だけの力では無理な話だった。
    予算を獲得して、専門業者にお願いすれば、
    苦労することなくビオトープは完成するが、私は手作りにこだわりたかった。
    皆の力を結集して創ることで、魂が初めてビオトープには入るような気がしたからだ。
    O小学校は昔ながらの地域で、
    稲作やハウス栽培が盛んな農業を生業としている人たちが多い地域でもある。
    いざというときの縦と横との結束は固いのである。
    私は地域と共に5年間計画でビオトープを創ることを提案した。
    すると、親父たちは「それは面白い」とやる気を出してくれた。
    これが親父のよさその1なのである。
    「新しい提案にも、意欲をもって取り組んでくれる」
    5年計画の構想はビオトープの専門家と共に立てていった。
    その2は、
    「子供たちのためならば、労力を惜しまないこと」である。
    初年度の池作りの作業には、真夏の炎天下70名余りの人たちが集まってくれた。嬉しかったなぁ。
    そこで発見した親父たちのよさその3は
    「組織の中で動いている親父たちは、段取りさえ分かれば主体的に活動できる」ということだった。
    当日の朝に分担された仕事を黙々とこなす親父たちの姿が頼もしく感じられた。
    作業が進展する内に、あちらこちらから声がかかり、
    効率よく作業を進めるための工夫が見られるようになった。
    その4
    「いろいろな職業に携わっている親父たちなので、専門的な知識や技能をもっている人が多い」
    ということが改めて分かった。一つ一つの手作業が丁寧で、そして熟練した技なのだった。
    一日の作業が終わると、グラウンドでビールを飲んでの慰労会となった。
    その日初めて知りあった親父同士が、学年を越えて実に満足げに、
    楽しく語りあっているのだった。
    私はその笑顔を見ながら、その5である
    「親父たちには、少年時代の想いや願いが存在している」ことを確認できた。
    参加した子供たちより夢中になって取り組む姿に、
    なんだか懐かしい少年の心を感じられた。
    その心とは、遊びに夢中になれる心かもしれないとも思った。

    私はこの経験から、親父たちの凄さを学ぶことができた。
    5つのよさを発見することで、私はこれはいけると思ったのだった。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2005年03月27日 20時26分05秒

    icon

    道草できる地域になったら・・・

    今の時代、変な大人たちに出会うことが子供たちには必要ではないかと考えている。
    子供の大人体験の少ない時代。
    そのおかげで、子供たちはときめきを感じ、憧れを感じる大人との出会いの機会を失っているのかもしれない。
    変な大人とは、まっとうな大人だけでなく、
    酔っ払いがいたり、頑固爺さんがいたり、おかしな大人がいたりしてもいいのである。
    その出会いから子供たちは何かを感じ、何かにきっと気付くからである。
    学校と家庭との往き帰りだけの世界観では、
    これからの日本の社会を改革できる人材も生まれてこないのではないだろうか。
    家庭では、私のような父親が居て。
    学校では、管理教育の教師たちが居る。
    昔は職員室に入るともっとえたいの知れない不思議な雰囲気のただよう大人の先生がいたものだか。
    教師自体がとっても真面目にマニュアルを守る人たちが増えているので、
    ここでひょんなことから人生の方向を変えてもらえる先生に出会えることもまれになってしまった。
    つまり、家庭と学校だけでは、残念ながら出会う価値観と人生観とは限られているのだった。
    上手くその路線に乗れる子供は救われようが、
    個性的で、枠にはまってたまるものかと感じている子供たちにとっては、
    なんだかゆとりの無い、単純で、つまらぬものに感じられることもあるだろうとは思っている。
    既成の概念や価値観に対して、NOと言いたい子供たちにとって、
    何処へ行けばその心の欲求が満足され、
    自己実現を図るための自信を与えられるのだろうか。
    案外、面白くて、変な生き方をしている大人の存在こそ、
    そんな子供たちの夢や希望となるのではないだろうか。
    人生は複線である。
    人生には失敗はつきものである。
    世の中が何と言おうと、自分の好きな道を全うしなさい。
    当たり前の人の中に、当たり前の人としての輝きがあるんだ。
    大器晩成。自分の人生の価値を長いスパンで考えていこうよ。
    ということを、自分の生き方を通して語れる人生の哲学者が、
    きっと地域社会には存在しているはずなのです。
    学校と家庭との往復だけでなく、
    途中の寄り道、道草こそ、子供たちの知恵を育て、
    これからの人生にとって貴重な指針を与える手がかりがあるのではないかと最近思います。
    私自身の人生の師は、やっぱりそういう変な大人たちでしたから・・・。
    子供たちが寄り道や道草をしながら、
    自分を育てられる地域社会が今本当に求められる時代になったようですね。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2005年03月27日 09時47分39秒

    icon

    自治会のプロジェクトX

    地域の自治会を見直して、再編成する時期が来ていると思っている。
    2007年問題と昨今よく聞くようになった。
    地域コミュニティーを再構築するためには、熱心に地域の事を考えて、
    ボランティアで貢献できる人たちの存在が望まれる。
    人は人とのつながりの中で生きている。
    それが生きる事への幸福感につながってくるのだろうと、年をとって思うようになった。
    願いと想いとをもって動ける人たちが出来る事から動き初め、
    活動の事例を作っていくことが大切なのだ。
    もっと地域の人たちと知り合いになりたい。
    同じ趣味の者同士で語り合う時間を持ちたい。
    地域に何でも話せるお茶の間のような場が欲しい。
    相互扶助的なシステムがあり、年をとっても気兼ねなくお願いできる人がいて欲しい。
    世の中はそんじょこらで変わりようが無いけれど、
    隣近所の付き合いの中から、生まれてくる希望はあるのではないだろうか。

    我が自治会も改選の季節を迎えた。
    どこの自治会もそうだとは思うが、何分子供の数がめっきりと減り、
    補導部のなり手が少ないという現状がある。
    私は補導部2年・補導部長を2年務めた。
    それでも、やっぱりもう2年間は補導部長をしなくてはならないようだ。
    なり手がいないから・・・。
    そんな理由からでなく、務めるからには、次につながる実践を残したいと思っている。
    夏休みに自治会館を使って子供たちの勉強会なんか企画したいと思っている。
    大学生と連携して、かってのような子供会を復活させたい。
    そんな夢のある企画を達成できる場も、実は自治会なのである。
    自治会の再編成とは、これまでの自治会のあり方を見直し、
    もっと地域住民(三世代)のニーズに応える自治会になることである。

    私はまだまだ自治会にはプロジェクトXの可能性が無限に残されていると信じている。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2005年03月25日 01時18分03秒

    icon

    コミュニティーの喪失の意味するものは

    地域コミュニティーが今求められる時代となったのだと思う。
    人は、一人では生きてはいけない。これが基本だ。
    個人主義の世の中となり、かかわりの希薄な時代となったことも現実である。
    かっては、かかわりをしがらみと言った時代もあった。
    めんどくさいしがらみから解き放たれた時、自由という言葉と出会った。
    高度成長時代が終わり、バブルがはじけ、閉塞的な時代が10年以上続いている。
    かって私が高校生であった頃は、革命への幻影があったり、
    大人の価値観をぶち壊す希望があった。
    既存の年功序列の価値観に、どこか反抗したくって、ものを申す。
    それが反骨の主流であった。
    人と違う事にアイデンティテーを求め、
    それを自分なりの個性として自己認識してきた。
    人が、右へ往くのならば、私だけでも左へ往こう。
    そんな考えは、とうの昔に消え去ってしまったらしい。
    個人主義の崩壊。
    実は、個の哲学を求めながらも、その答えが見えないままに、
    私たちは集合の中に埋没してしまったのかもしれない。

    私は、どこから来たのか。
    私とは、いったい何者なのか。
    私は、どこへ往くのか。

    日常の生活の中で、私は根源的な意味を問う事も無く、
    日々の生活や組織の欲求の中で、右往左往してきたのかもしれない。
    日常の生活にあくせくする中で、私たちが失ってしまったのは、
    実は、哲学であり、コミュニティーを形成してきた人間らしい社会性だったのかもしれない。
    あの人がこうだから、私もこうあらねばならない。
    人を見すぎて、人に迷う。
    規準を何処に置くかを、見誤った10年がここにあるような気がする。

    本日、我が家に振り込め詐欺の電話がかかってきた。
    79歳の母は、私を守るために必死だった。
    心臓の悪い母は、どうすべきか受話器を取りながら、
    泣きそうになっていた。
    金が欲しい。そのために、一人の老人が死のうが、病気になろうがどうでもいいのである。
    母は、子供である私を守るために錯乱した。
    しかし、父と私の妻とがその幻影を現実にもどしてくれた。

    私たちが失った10年とは、金のために他人の不幸と生命とをものとはしない非情な社会なのか・・・。
    私は許せない。
    たった一つの短い人生ではないか。
    どうしてお互いが優しく、助け合っていけないのだろうか。
    お年寄りを大切にできないのだろうか。
    子供たちには、美しいものを大人として見せてあげないのであろうか。

    コミュニティーの喪失。それは人間の人間らしさの喪失ではないだろうか。
    今夜もしこたま酔っている。
    しかし、人間らしく生きたいとひとしお願う私であった。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2005年03月23日 21時35分32秒

    icon

    三世代交流の場作りのために

    自治会の活動が衰退している現状がある。
    各自治会を調査しても、子供会の活動を行っていない自治会が多くなったような気がするからだ。
    私の祭りの先輩達は、子供会の活動に献身的に奉仕した人たちだった。
    子供たちのために何かやろう。
    しかし、頭の固い自治会長のもと、なかなか理解はしてもらえなかった。
    そこで、先輩達がゃったことは、有志を募り、
    自治会の枠を取っ払い、連合自治会で予算をお互いに負担し合い、
    子供たちを海やキャンプに連れて行ったのである。
    しかし、その先輩達は、すでに定年退職の年代となってしまった。
    クマさん、子供のために活動する大人が居なくなってしまったて・・・。
    先輩達に会うと、そのことが話題になってくる。
    子供たちも地域の中でかわりを失い、
    分断されながら、個人主義の世の中だけを信じて泳いでいる。
    この子供たちに新たな視野と、気付きを与えられる体験を、
    本来は大人たちが用意してやればよいのである。
    地域の教育力というのは、そこに存在しているのだと私は思っている。
    子供がすくすくと育つ環境作りこそ、
    地域の大人たちがこれから本気で考えねばならないものなのだろう。

    私が補導部長になった年に、この先輩達の言葉が課題となっていた。
    自治会長に、とにかく三世代交流の場を作りたいと提案し、
    予算の無い中、その年に「ハイキング」と「餅つき大会」が実現した。
    ハイキングは、近郊の低山を対象にして、お年寄りには麓の温泉を提供した。
    各世代のニーズに合わせて企画を立てるのである。
    これが成功の秘訣であった。
    舞ってましたとばかりに、大勢の方の参加を得ることができた。
    餅つき大会も同様である。
    子供たちの持ちつきに合わせて、町内のお年寄りが集まってきた。
    楽しそうに三世代が語らっている様子に、
    私はこれからの自治会が求められるサムシングを感じた。

    つまり、かかわりを皆求めているのではないだろうか。
    そのかかわりを、自然に設定できる場作りこそ、
    これからの自治会に求められている方向ではないだろうか。

    かっての先輩たちの言葉のように、
    私たちは、自治会に生まれ育ってる子供たちと、
    自治会を終の棲家としているお年寄りとの存在を忘れていたのではないだろうか。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2005年03月21日 06時27分21秒

    icon

    地域の大人の中で子供が育った時代

    私は、自治会で補導部長を2年間勤めてきた。
    2年前、なり手が無いので仕方なく引き受けた仕事だった。

    私の自治会でも子供の数が激減し、
    今は自治会の構成員の大半は60歳以上の老人世帯だった。
    それも年寄りの一人暮らしが多く、
    その実態もプライバシーの関係で自治会長も正確に把握していなかった。
    防災上それは困るだろうと質問しても、
    一人暮らしだということをお年よりは言いづらいらしく、
    自分からそう申請する人は少ないのだそうだ。
    だからといって自治会長が一軒一軒「なじらね」と訪ね歩く訳ではなかった。
    地方都市の小さな百世帯余りの自治会でもこうなのであった。
    特に一人暮らしだと、他の人たちに迷惑をかけてはいけないという思いが先にたち、
    自分から援助や支援を求める事はしないそうだ。
    そこから、老人のひきこもりが始まり、
    孤独死が生まれる原因となっているのだと思っている。

    かってはおせっかいなかかわりが、ご近所同士にはあった気がする。
    我が家のばあちゃんの茶の間には、いろいろなばあちゃんが遊びに来ていた。
    コタツにもぐりながらそんなばあちゃんたちの大人の話が懐かしい。
    「いるかね」と、ご近所が気軽に声をかけ、野菜やら何やらを置いていった。
    街角の電信柱の近くでは、買い物籠を下げた主婦たちが立ち話をしていた。
    「おかえり」「今日は学校はやいね」子供たちはそんな声の中帰宅したものだ。
    豆腐屋さんがラッパを鳴らして来ると、鍋を一つもって走って出かけた。
    そこでもご近所のおばさんと一緒だった。
    大人は必ず子供に声をかけてくれたものだった。
    隣に住む電気屋のおじさんは、よく私と妹を自動車に乗せて、
    遊びに連れて行ってくれたっけ。
    近所の商店街に母に連れられて買い物に行くと、
    今では考えられないが、地域の人たちでごったがえしていた。
    知っている人には、母は挨拶を交わした。
    思えば、昭和30年代、いろいろなおばさんやおじさんが地域に生活していたのである。
    お店の人とのやりとりも面白かった。
    私はそこで魚の名前を覚え、野菜の旬なるものを知った。
    地域社会そのものが、生きるための学校であった時代だったと今は思う。
    路地があり、長屋があり、みんな貧しく、原っぱには子供たちとバッタがいた。

    本当に「かかわり」が地域社会から失われてしまったのだと、
    こうして私の子供時代のことを思い出し、しみじみと寂しい気持ちになってしまった。
    子供は、地域の大人の中で育つべきだと思う。
    しかし、その大人たちが地域から姿を消してしまったのだ。

    補導部長になった私は、さっそく「三世代交流のための場」作りとして、
    「温泉とハイキング」「町内大持ちつき大会」二つを企画して、実施した。
    これがお年寄りに受けたのだ。その話は、また後ほどに・・・。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2005年03月20日 21時17分52秒

    icon

    地域社会は、親父の力を求めている

    NHKの番組で、「ご近所の底力」という番組がある。
    これがなかなか面白くて、ためになる番組だった。
    コンパクトシティーという考え方がある。
    それは顔の見える、お互いが知り合えるエリアでのコミュニティー作りである。
    私たちは、けっして一人では生きてはいけない存在だ。
    ところが、現実の地域社会では一人暮らしの老人が、
    自宅に引きこもり、地域の人たちとのかかわりを絶っていることも多くあるのだ。
    私が参加している「地域楽」の仲間で話題になっているのは、
    こうした引きこもりの高齢者をどのように社会とのかかわりをもたせ、
    生き甲斐の再発見をさせるかというだった。
    私たちは、地域に暮らすお年寄りの存在を忘れていたのかもしれないと、
    私はその話を聞いて、改めて私の町内に住むお年寄りのことを思い出した。
    隣に住む84歳のおばあちゃんは、一人暮らしである。
    おじいちゃんは、先日救急車で病院に運ばれて入院したばかりである。
    同居していた若手夫婦は、年寄りの知らぬ間に家を建てて、勝手に引っ越して行ってしまった。
    可愛そうな話である。
    一人残されたおばあちゃんは、哀れであり、孤独であった。
    先日、私の家にひょっこりと遊びに来たという。
    家の母が久しぶりだねと、我が家に寄ってもらったら、
    何もいらないから話だけさせてと、長居したそうである。
    その数日後、炊き立ての赤飯をわざわざもってきて下さった。
    ディケアーセンターにお世話になるほど弱ってはいないが、
    心はとても弱っているのだと思う。
    いずれ私たちも行く道なのだ。

    さて、「ご近所の底力」で紹介されていた事例の中で、
    こうした一人暮らしのお年寄りとコミュニケーションをとるための
    素晴らしい妙案が紹介されていた。
    それは、お年寄りが、自分と気の合いそうなご近所の方を選び、
    介護員・・・話し相手、お手伝いさんとして自宅に来てもらうのである。
    そのコーディネートを福祉関係のセクションが行うのである。
    1時間800円だったかなぁ・・・。そのお金を支払って、
    身の回りのお世話のお手伝いをしてもらうのだった。

    私は、これが潜在する地域社会のビジネス・ニーズの一つだと思った。
    地域は私たちの終の棲家なのである。
    そこで安心して老いを迎えるためには、
    迎えるだけのシステムを地域社会が持つ必要があると思っている。
    介護保険で保障される部分では、心のケアまではままならないようである。
    地域社会において、かかわりを通して安心して老いていける環境作り、
    これが親父達の役割の一つではないかと、私は思っている。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2005年03月19日 21時59分37秒

    icon

    熱き想いを社会に活かせ

    昨夜は異業種カウンターで高校の先輩方としこたま飲んだ。
    4歳年上のHさん、8歳年上のOさんである。
    団塊の世代の親父達は、熱すぎるくらい熱いのだ。
    そんじょそこらの若い者と話していてもこあはいかない。
    私は職場でも熱血でやっているけれど、
    若い者の方が老成し、冷めているのでもどかしく感じることがある。
    今の若い人は、失敗するようなことには手を出さなくなったようである。
    しかし、この世代の方たちは、どういうわけかいつも青春。
    全共闘世代とでも言うのだろうか、
    血が滾っているのである。
    そのおかげで、私はとことんまで飲まされる。
    そして、原点に帰るのである。

    この世代の親父達の想いや願いが、これからも時代を作っていくのではないかと、
    私は酔っ払いながらも、かすかな希望にときめいている。
    文藝春秋 堺屋太一団塊世代「最高の十年が始まる」
    これがなかなか面白い視点で書かれた読み物だった。
    この熱き親父達が、組織のしがらみから解き放たれ、
    自由に、自分の本来求めていた事を社会のために活動し始めたら、
    つまらぬ老成した若者達の度肝を抜くような目覚しい活躍ができるはずである。
    この人たちには、経験があり、体験があり、知恵があった。
    たくさんの失敗体験を持ち、その体験から培われた哲学があった。
    ソクラテス・カント・ヘーゲル・マルクス・エンゲルス
    そんな哲人の思想が酔っ払いのたわごとの中に入ってこれるのは、
    この世代ならではの教養である。
    黒澤・溝口・小津・木下 そんな名監督の話題を語り、
    映画に投影した自己の人生を語れるのもこの世代の親父達だ。

    生きるとは何かを問いかけながら、
    挫折の人生と共に、復活の希望を失っていない草莽の志士達は、
    未だこの社会の中で健在なのである。
    「親父達よ」と私は再び呼びかけたい。
    この閉塞的な社会を改革と希望の社会へと転ずる道を提言できるのは、
    団塊の世代の先輩たちなのだと、私はここで改めて言いたい。
    青春のあの時代に実現できなかった幸せという夢を、
    現役を引退した後には、
    地域社会で実現に向けたアクションを起こしませんかと・・・。

    今地域社会には顕在化していない心のニーズが溢れています。
    そのニーズをいち早く察知して、
    それをビジネス・・・本当の意味の仕事・・・自分の楽しみ
    にする手立てを模索する事が、次の世代に続く道だとおもうのですが、いかがでしょうか。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2005年03月16日 23時14分01秒

    icon

    子供は可愛いかった。しかし、今も可愛いのだ。

    nutureさんありがとう。
    やっと寂しい親父の独り言から解放されるようですね。
    子供がいてくれたから、親になれた。
    私もそう思っています。
    子供たちがまだ幼稚園や低学年だった頃、
    本当に可愛くて、可愛くて仕方ありませんでした。
    三歳までに子供は親孝行をすますと聴いた事があります。
    あの頃の子供たちとのかかわりの楽しかったこと。
    家へ帰ってくると「お父さーーん」と言って、飛んできたものです。
    とにかくいろいろなことをしゃべり、笑わせてもらいました。
    子供とは一緒に遊び、いろいろと話したつもりでした。
    私は登山が好きだったので、休日は留守にすることが多かったのですが、
    そんな私の後姿を彼は見て育ってきたと思っていました。
    寝るときは、絵本を読み、いつも一緒でした。
    幼稚園の参観日には楽しみに出かけたものでした。
    私を頼りにして、私と遊びたくて、
    休日には公園でサッカーや野球を、彼の友達と一緒にしていました。
    今思うと懐かしい日々でした。
    親父の愚痴。私は大切なことだと思います。
    ふと最近考えるのですが、こうして私が親父達よという掲示板を作っているのも、
    彼と出会ったおかげなのだと・・・。

    子供が我が家に授かってよかったですね。
    子供は神様からの預かり物ですね。

    さて、思春期を迎えた子供たちにどう対処したらよいのか。
    それを考えさせてくれ、私を育ててくれる存在して、
    今、あのかっての坊主が、私の前に生意気な態度で突っ立っているのです。
    彼は彼なりに自己主張しています。

    親父の声、もっと聴きたいですね。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

もっと見る icon