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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019年06月30日 07時17分37秒

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    予定の無い一人旅

    本当に何も予定の無い土曜日だった。
    予定を入れない日をつくる。
    これも大事なことだと思っている。

    朝は、いつもの休日ルーテーンだ。
    庭に出てぼーっとする。
    朝風呂に入りぼーっとする。
    朝食を食べてから、また、ぼーっとする。
    このぼーっとする時間に焦りや後ろめたさを感じなくなった。
    まず、この時間のゆっくりとした流れを味わう。味わう。

    9時からスタジオでヨガのレッスンだ。
    身体との対話だ。
    一つ一つの動きを通して、身体の軋みを感じている。
    呼吸を静かに整え、ゆっくりと動きを続ける。
    その内に、ぼーっとする。
    「クマさん」と、名前をM先生に呼ばれて「はっ」とする。
    全く違うポーズをしていたからだ。
    ヨガそのものが目的で、動くこと、じっと耐えること、ねじること。
    それで「いい」と、その時間の流れを味わっている。

    ヨガの帰りにコメリに行った。
    花を買うためだった。
    この夏のプランタでのお花畑がまだ途上だった。
    空いた土だけのプランタが7個あった。
    ここに植える花を探した。

    私は、高い花は買わない。
    高くても300円が限度かな。
    一個75円のマリーコールドは嬉しかった。
    ジーニァスにペンタゴンポーレチカかな。
    いつまでたっても花の名前を覚えられない。
    それを庭で、空いたプランタに並べる。
    この作業が私は好きだ。
    組み合わせ。色の配置。育った後を予想する。
    降りそうな雨を心配しつつ、花植えを楽しんだ。

    花を植えると、身体も心も喜んでいる。
    新たな私の友達たちだ。

    雨はまだ本降りにはならないようだ。
    だから、傘を差さずにバス停まで歩いた。
    3週間ぶりの「あき乃」だった。
    本日は、ピンクのカーネーションにした。
    お店は、若い男女の二人連れだけ。
    お客さんで賑わい、さっとみんな引けた後だった。

    カウンターに座り、蕎麦焼酎を飲みながら、黙って表の景色を観ていた。
    向かいの韓国料理店の叔母さんも、
    入口で立ったまま煙草を吸って、私を見ていた。
    雨が本降りになった。
    自転車で走る叔母さんがいた。
    雨は降る。降る。私は、ぼーっとその雨を観ていた。
    今も雨の音が聴こえる。
    不思議とこの音の中に居ると、心が穏やかになった。
    だから、蕎麦を味わいながらも、ぼーっと雨も味わっていた。

    主人と話した。
    「何で俺が・・・と思っている内は、辛く、哀しく、恨みでした」
    「しかし、ひょっとすると、これにも意味があるのでは・・・」
    「きっとこの痛みを通して、私に伝えようとする意味が、あるはず・・・」
    「そうすると、同じ病室のベットの上が、大事なものに想われて来ました。」
    「それは、天から与えられた意味だったんですね」
    「その意味に気付かない内は、辛く、哀しく、恨みのままです」
    「しかし、ここに意味があると気付けば、人はその意味を考え始めます」
    「身体はこうであっても、精神は、考えます。時熟します」
    「身体が駄目になった時、人は精神として目覚める時。ですね」
    「それを、やるか、どうか、です」

    すっかり気分が善くなったので、はしごすることにした。
    甘味処の「二兎」に入った。
    おお、何と昭和のレトロな佇まいだ。
    窓際のカウンターに座った。「落ち着く」「気持ちいい」「ほっとする」
    マスターがまた、素敵な初老の男性だ。
    ここの氷水が絶品だとオトプラに出ていたので頂くことにした。
    「ミルクあずきS」を頼んだ。
    Sなのにこの盛ですか・・・と嬉しい量が目の前にある。
    私は、赤ワインと一緒に、そのふわふわの食感を堪能した。

    その味に、私の深く深くが感動していた。
    「一期一会」のお店ができた。
    氷水は冷たくても、何だか心が温かくなってきた。
    外の雨は、まだざぁざぁと降っている。

    私は、ヨーカ堂でランニングシャツ・パンツ・Tシャツを買った。
    そして、バスに乗って自宅に帰った。
    菊水一番搾りをコンビニで買った。

    私は、こんな一人旅の土曜日が好きだ。
    いつも独りだ。
    その独りがいいな。

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  • from: クマドンさん

    2019年06月29日 06時47分43秒

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    ビル・エバンスだった

    ビル・エバンスが存在していなかったら、
    私は、彼のピアノを聴くことはできなかった。
    ということは、あの彼の独自な音楽は、
    ここには存在していないということだ。

    あるということは、きっと誰かがあるにしてくれたもの。
    その誰かは、きっと大いなる誰かに選ばれた人。
    そして、その大いなるはたらきは、
    その選んだ人に、使命を与える。
    その使命を果たすためのタレントも与える。

    兄が弾くピアノの下で幼い頃過ごしたと言う。
    ピアノの音が日常だった。
    私もそうだが、音楽を愛する人たちにとって、
    いつも音楽と共に生活することは、ごくごく自然なことだった。

    クラッシックを学び、知的にその音に磨きをかけた。
    jazzに出会い、音を創り出すようになってからも、
    独自ではあるが、それは、セオリーであり、オーソドックスだった。
    多くの偉大なるプレーヤーの驚嘆となるその音楽は、
    彼の繊細な指先だけが奏でられる音色だった。

    きっと彼の内には、音に成りたいと切に願う音がある。
    その音をフレーズの中で探る。探す。追い求める。
    そして、閃きと共に、その音を奏でる。
    これだ。その感動を真っ先に味わっているのも、彼だった。

    生涯に生みだした名曲の数々だ。
    今、ここでも、「ワルツ・フォ・デージー」が鳴っている。
    彼は、よく愛する人に曲を捧げた。
    不思議なんだ。
    彼は、彼で、自分が感動できる音楽を求めた。
    彼は、彼であることで、その音楽と同時に生きていた。


    しかし、その彼も、その音楽をまだ聴いていない。
    彼は、そのまだ音楽にならないその美に、音に、急かされる。迫られる。
    これって何だ・・・。と、鍵盤で音を探る。探す。試行錯誤する。
    予定調和のような、これだと言わんばかりの音と出会う。
    「ああ、そうか、この音だったんだ・・・」と、
    それは、彼が生んだものではないようにして、
    彼は、その響きを味わいながらの感動だった。

    そのことは、マイルス・デービスにも言えた。
    あのパップの巨人のことが、心に遺った。
    もし、マイルスが居なかったら、jazzは今のjazzであり得たのだろうか。
    彼は、その時代の天才たちをバンドに集めた。
    そして、インスピレートするままに、音に自らを委ねた。
    その音が、その響きが、その魂が、
    その瞬間、参加しているメンバーの魂を揺さぶり、インスパイア―される。

    コルトレーンが、チェンバースが、キャノンボールが、
    その音と一体となることで、自らの音を昇華させた。
    合わさることで、どこにも存在しない一つとなった。
    そして、プレーヤーたちは、「これか」「これだったんだ」との驚きだ。
    音楽とは、まだ、誰も、演奏する本人も、
    聴いたことのない音を、この世の音として顕わにすることだ。

    それを演奏するビルが感動したように、
    それを聴く私が感動するのは、
    その音を心から求めている彼と同じ「私」が、
    きっとこの魂に生きているからだと、私は考える。

    今、私は、語りたいことを、語るために、言葉を選んでいる。
    きっと語り始めたと言うことは、
    語りたいと言う自分では気づかない衝動があったからだ。
    では、何を語りたかったのか・・・。
    それは、ここに言葉を紡ぎながら、私も考えていることだった。
    言葉が先にあるのではない。
    想いが先にある。
    または、書きたい。語りたい。が、先にあるのかも知れない。

    私は、それを言葉で探す。求める。希求する。
    考えるとは、その「そうか、それだ」を追究することだ。
    では、「それだ」と言える、「それ」とは、一体どんな「それ」なんだ。
    不思議なことだが、「それ」は、ここに「ある」「それ」だ。
    しかし、「それ」は、黙ってここに在る。
    ずっとずっとここにあるのに、今でも、微笑みながらここに居る。
    いや、きっと「それ」が、私なのではないだろうか。

    「それ」に魅せられ、「それ」の呼び声を聴き、「それ」に選ばれし人は、
    永遠に「それ」を求めざるを得ない宿命を感ずる。
    「それ」に自らが成らなくては、気が済まない。
    「それ」が露わになることをせっついている。
    いつしか、「それ」に動かされ、操られ、自らを捨て、
    ただ、「それ」だけを追い求める生き方となる。

    ビルにとって、「それ」は、ミューズからのミッションだった。
    ドラック・ドラック・ドラック・・・だった。
    最愛の女性と尊敬する兄を自殺で失った。
    彼は、それでも「それ」を希求した。追究した。
    そして、きっと「それ」に近づき、「これだ」と想う音を求め、演奏を続けた。
    「それ」が「自分」になった時、
    彼は、突然車の中で血を吐いて、天に召された。

    ビル・エバンス。その音楽は、永遠からの贈り物だ。
    そのプレゼンテーターに選ばれた彼は、
    この世での自らの役割を全うした。
    人は、きっと深く人生を考える時、
    「それ」と出会う。
    そして、「それ」と一度でも出会った人は、
    「それ」に従う。その忠実な僕としての生き方しか自分自身に許されなくなる。
    ドラック・ドラック・ドラック。

    その狭間を生かされる天才には、きっと耐えられない試練なのに違いない。
    でも、生きることは、やめられないこと。
    生きるならば、ピアノに向かわねばならない。
    それが、ビル・エバンスの宿命だった。

    是非、この映画をシネ・ウィンドで観て欲しい。

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  • from: クマドンさん

    2019年06月28日 05時30分10秒

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    身体に訊く

    どん底だった気がする。
    どうしてここまで肝臓を追い込むのかの生活を続けた。
    無理をしているという実感があった。
    寝不足・過労・肉体疲労と、劣化している身体を自覚した。
    それでも、酒を飲まねばならない。
    その現実と向き合い、ハードな実験を続けたようだ。

    昼、酎ハイの缶を手にしても、栓を開ける気がしない。
    ただ、鉛のように只管に眠る。眠る。
    全くの思考停止状態で、とにかく「休みたい」だけだった。
    それでも、やるべき仕事は向こうから次々とやって来る。
    その仕事の止むことの無い押し寄せる波を、
    両手でかき分けかき分け前に進む。
    進まないと、この流れのままに流される。

    だから、立っている。
    だから、身体をそこに運ぶ。
    そうしないと、熟せないからだ。

    そんな生活は続くわけはないと思っていた。
    しかし、続いた。
    そして、こうして回復の兆しが見えている。
    二日間の休酒が何だか、素直に受け入れられた。
    「これも、ありかな・・・」だった。
    昨日、中学校へ行った。
    蒸し暑い理科室で、熱中症のような症状だった。
    それだけ、抵抗力も体力も弱っていたのだと感じた。

    身体は、実に正直に、あるがままに、ここにあってくれる。
    それを、根性だとか、鍛錬だとか、仕事だとか、
    へんてこな理由を付けて、無視をしないことにした。
    すると、身体と私とは、実に一つであることが、実感だった。
    身体は、私にとっての畑のトマトの樹なんだな。

    生き物であり、生ものであり、成熟途上の生命体である。
    この身体を理不尽にしてはいけない。
    この身体がトマトの樹ならば、
    毎日、せっせと畑に通って水くれをして、
    様子を見てやらねばならない。
    これは本当の話だが、
    育てる人の愛情を感じて育ったトマトは、
    元気で、茎も太く、背も高く、葉の色も深緑の濃さである。

    おいおいだった。ゆっくりゆっくり。
    自分自身の身体を、トマトの樹にしてあげたように、
    養生とお世話をしてきたか・・・だった。
    身体は、無数の細胞であり、細菌であり、骨格であり、臓器でもある。
    その日々の、刻々とした生命維持は、
    自然が生き延びるために、ちゃんと本能として行われている。

    ほっておいても、息は止まらない。心臓は動き続ける。
    私が眠っている間も、私の身体は眠らない。
    細胞は死滅し、再生を繰り返す。
    細胞レベルで言えば、私は、昨日の私と同じ私ではない。
    身体とは、そんな生まれ変わりのようなリスクを、
    日々、今、ここでも、刻々と行ってくれている。
    「感謝」しかない。

    その身体自体の蘇生力・回復力・生命力の衰えは、
    自然な生き物のひとつであるから、致し方ないことだ。
    その致し方ない現実の在り方を、ただ受け入れる。
    いや、その前に、その微かな声に耳を傾ける。
    歳をとったら、この身体と共に生きる生き方の自覚は、
    とてもとても大事なことだと、私は悟った。

    やっぱり歳をとらないと分からないことだった。
    それは、その歳になった身体をやっと感ずることができるようになったからだ。
    感ずることが先である。
    何も感じないから、熟さないんだな。
    愚かに、自分勝手にいい歳をして生きている人たちは、
    何を考え、何を感じ、それをどう実践して生きて来たひとなんだと、
    私は、思う。

    身体に聴く。身体に訊く。身体に効く。身体に利く。
    この一つ一つの違いを理解しつつ、本日も身体と共に一日を生きる。

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  • from: クマドンさん

    2019年06月27日 05時26分00秒

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    身体からの教え

    書けないのは、体調のおかげ。
    やっぱり言葉を書くとは、考えること。
    そのことができるのは、体調が整った時と、
    この一週間、そのことを実感している。

    身体のことを忘れてずっと60歳まで生きて来たわけではない。
    それはそれなりに、身体を大事に想い、
    減量をしたり、トレーニングを続けたり、食事に気をつけたりした。
    しかし、本気で考えていたかと思うと、
    そこいら辺に甘さがあったことを、この歳になっての実感だった。

    つまり、してきてことは、ここの現われであるからだ。
    今、ここの結果とは、それまでずっとやり続けて来たことの蓄積・結果だ。
    今、ここでこうなっているのは、
    それまで長年私が繰り返し、やって来たことの評価でもあった。
    そんなことに気付かずに、私は愚かに生きて来た。

    医師に言われた。
    「肝臓はちゃんとお酒を休めば復活します」
    「しかし、お酒を飲み続ければ、その細胞は傷つき、回復しません」と。
    若い頃は、それなりにタフで、強靭な生命力があるから、
    そうしたお酒に寄るストレスは、その力で跳ね返してもいた。
    しかし、歳をとるということは、まず身体が肉体的に衰えることである。
    それは、全ての臓器にも言えることだ。
    私は、その自覚を持たなかった。
    だから、酒を毎日・毎晩飲み続けた。

    その挙句が、この結果だった。
    「自業自得」とは、このことを言う。
    私は、やってきたように、今、ここの私になっている。
    この下っ腹の皮下脂肪のたるみと、中性脂肪のMaxの高さ。
    それもまた、私の生き方の為せる業だった。
    つまり、「どう生きてきたか」の答えは、
    この身体に現実が語っていることだった。

    今、ここの私の身体は、ここ数年の生き方の結果だった。
    身体は、私の生き方の証・現れだ。
    その身体を、自覚する。
    すると、これからどうこの身体と付き合って行ったらよいのかがよく分かる。

    もう過ぎ去った過去のことをいくら後悔してもどうにもならないことなんだ。
    やってしまったことを、懺悔し、後悔することも、私の人生には多い。
    今、ここの私は、それまで生きて来た私の結果であり、証である。
    そのことを、メタに認識し、自覚することだ。

    身体に対しての「ごめんなさい」は、いくらでもある。
    どうしてこんなに自分自身に対して善くない生き方をしてきたのだろうか。
    それは、後悔だ。
    しかし、今、ここを生きている私にとっては、
    「これからどうしたらいいか」が、「問い」なんだ。

    それは、この8月で62歳になる私の身体への「問い」でもあった。
    ここに、私の身体がある。
    その身体を、自覚する。
    まさに、自覚とは、「自分に目覚める」ことである。
    私ではなく、身体としての自分の声・言葉を聴き、
    その声の示す道を、何も考えず進むことだ。

    「問い」があることは、「答え」があることだ。
    その「答え」に気付き、その答えを自覚するために、「問い」が生まれる。
    そして、その「問い」とは、身体への衰えに対する気付きから生まれるものだ。
    「衰えた」さて、「どうするか」が、
    今の私への身体からの「問い」だった。

    だから、「考える」。
    そして、「こうしたどうだろうか」との声に聴き従い、
    やめるべきをやめ、我慢すべきを我慢して、
    私ではなく、身体そのもののために今、ここを生きる生活。
    その生活こそ、本当に自分を愛し、大事にする生活ではないかと、
    やっとこの歳で、気付くことができたようだ。

    身体と自分との一体感とでも言うのかな。
    身体は、自分なんだという実感。
    それまでは、「私」だけが優先して自分勝手に生きて来たという自覚。
    今は、この身体を優先し、この身体が自分なんだと自覚して、
    その身体との対話を通して、今、ここを生きる生き方への転換。

    昨夜、休酒のために、何度も夜中に目覚めた。
    それでも、こうして朝を迎えると、
    酒を飲んだ翌日とは全く違う、すっきりとした体調の朝になっている。
    この朝は、「気持ちよい」。
    だから、これを書いている。
    それは、「考える」ことができているからだ。

    身体の健康と心・精神の健康とは、一つなんだ。
    この一週間、疾風怒濤の嵐の中での絶不調だった。
    まず、身体を第一にする。
    その生き方が、幸せに生きる道なんだと、改めて知った。

    今夜も休酒だ。
    そろそろ酒とお別れするシーズンが来たのだろうか。
    寂しいことだが、それが身体の声が語る現実である。

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  • from: クマドンさん

    2019年06月25日 05時31分46秒

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    スコーレとは何か?

    ハートネットYVで録画した「失われた学び」を観た。
    那覇に在る夜間中学校の話だった。
    昼間はフリースクールで、不登校の中学。・高校生を教えている。
    数年前から?中学校の卒業証書を出せる夜間中学校も併設された。
    そこに、数名のお年寄りが学びにやって来る。
    夜6時から9時までの3時間。
    下は68歳から82歳の男性までの人たちだった。

    沖縄戦の終結は6月23日。
    その後、占領軍に支配されたこの沖縄で、
    人々は日々を生きることが精いっぱいだった。
    幼い兄弟姉妹を養うために、日雇いの重労働だった。
    中学校へはそんなことで、行っていなかった。
    みんなを羨ましくも思いつつ、
    それでも仕事、仕事の日々だったと言う。

    結婚し、子どもを育て、そして、自らが老人となった。
    すると、むくむくと学びたいという意欲が生まれた。
    ある74歳の女性は、アメリカに嫁いだ妹に手紙を出すために、
    英語をアルファベットから学び出した。
    みんな「勉強は、楽しい」と、笑顔で通った。
    友達に会えるからと、一日も休まずに登校する。

    時には、フリースクールの生徒が、先生となって教える。
    孫に教えられる男性は、その子に深々と頭を下げる。
    数学の小数の掛け算がよく理解できない。
    それを懸命に説明する高校生だった。
    それでも、分からない彼。
    根気強く教える高校生。
    最後は力尽き、「明日にしましょう」と、休憩にした。

    「学ぶことは、世界が広がること」
    「学ぶことは、心が豊かになること」
    「学ぶことは、とてもとても楽しいこと」

    本来は、スコーレとは、そういうところであるはすだ。
    ここに何だか学びの原点を観たような気がする。
    お年寄りたちは、理科の教師から「台風」について教えてもらった。
    その時、深く深く感動するこの人たちだった。
    それは、長年体験して来たことと、原理が一致したことで、
    すっきりと分かったという感動を得たからだった。

    分かるとは、体験だけでなく、
    そこに深い考えの結果、気付きが生まれた時に、露わになる感動だ。
    実は、分かることは、感動することなんだ。
    苦節何十年の貧しさや苦労の中を生き抜いて来た人たちだ。
    今は、家族と別れ独りぼっちで暮らしている人も居る。
    しかし、ここに来ると、心が晴れる。明るくなれる。

    それは、同じ学びの友が居るから。
    それは、学びによって日々豊かになれるから。
    それは、学ぶことの楽しさと感動を実感できるから。
    それは、学ぶことの楽しさを深く深く味わっているから。

    スコーレ=学校とは、本来そういう場であったはずだ。
    だから、今こそ、その学びを「学校」が取り戻さなくてはならない。
    本当にそう想う。
    学校は、学びたい子どもたちのためにあるのだ。

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  • from: クマドンさん

    2019年06月24日 05時24分29秒

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    怒濤の一週間、よく生き残ったものだ。

    怒濤の一週間だった。
    よくよく生き延びたと感謝している。

    火曜日。
    突然、地震だった。
    しかし、この揺れならば大丈夫と感じた。
    津波警報だった。
    あの東日本大震災のことが脳裏をよぎった。
    「避難すべし」だった。
    町内のお年寄りや独り暮らしの人の家を回った。
    それでも、避難した人は、三分の一の人。
    大山台の上には、既にたくさんの避難者が居た。
    それなのに、避難する建物が無い。
    老人憩いの家を開ければいいのにと、みんなは思った。
    保育園も避難所になるのにと、みんなは思った。
    大山台への坂は、車で大渋滞だった。

    水曜日。
    夜中の午前一時に津波注意報が解除だった。
    少し眠ったら、すぐに朝になった。
    それから仕事に出かけた。
    寝不足が身体に効いた。
    とにかく、頭がぼーっとして、身体が鉛だ。
    それでも日々の仕事は、熟さねばならない。

    木曜日。金曜日。
    翌朝は、5時に家を出た。
    修学旅行で、佐渡ヶ島だった。
    ジェットフォイルが早朝の為に、この時刻の出勤だ。
    地震の二日後、延期した小学校も多かったと聞いている。
    何事も無く、楽しく過ごせた。
    無事であることの幸いをつくづく感じた。
    帰りのフェリーでは、カモメに手から餌をやった。

    疲れ果てて、自宅に帰って来たら、すぐに慰労会のために駅前だった。
    この強行スケジュールには、耐えられない歳になっている。
    身体が悲鳴を挙げていた。
    飲み放題。日本酒は飲まないと決めていたが、最後はがぶ飲み。
    一次会で帰るつもりが、「まあ、まぁ」と、拉致された。
    二次会では、記憶を失い、タクシーで帰ったら、金も失った。

    土曜日。
    午前中は、身体が動かず、意識が朦朧として、朝食後は布団の中だった。
    大山を超えたが、次の大山を今日、越えなければならなかった。
    それは、清津狭温泉への家族旅行だった。
    東京から前夜に次男が帰省した。
    妻と長男、次男との、恒例の家族旅行だった。
    何故か知らぬが、こんなにも強行スケジュールになっていた。
    そもそもの躓きの始めは、あの地震による寝不足からだ。

    全く酒を受け付けず、車の中でもグロッキーだった。
    やっと夕食に胃腸が戻り、それでも美味しく頂けた。

    日曜日。
    ところが、早朝に露天風呂に浸かり、
    その後、ロビーでコーヒーを飲んでから、突然、おかしくなってしまった。
    吐いた。吐いた。朝食は、ほんの数口、箸をつけただけで終わった。
    宿の人には申し訳なく思った。
    そして、やっと帰宅して、ほっとしていたその夜に大事件が起こった。
    それは、ここには記さない。

    怒濤の一週間を終えることができた。
    しかし、寝不足のままで、身体も絶不調だ。
    昨夜の大事件の後、何だか、早くこの世から去りたいと思うようになった。
    もういいかな・・・。
    まぁ、余生のつもりで、今日を生きることにする。
    それにしても・・・・。

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  • from: クマドンさん

    2019年06月18日 05時33分29秒

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    「探求型・対話型」の人を育てる人とは

    身体が辛いなぁ。
    いつの頃からか、酒が身体に残るようになった。
    歳なんだなぁと、つくづく感ずる。
    自分自身の身体の変化は、自分だからよく分かる。
    辛くて、身体が難儀で、仕事を休みたいと、思うこともある。
    酒だけのせいではない。
    いろいろなものがこの身体と心に溜まっている。
    それをデドックスして、浄化する必要があるようだ。

    日曜日にあるWSに参加した。
    ひょんなところで、ひょんな人との出会いがあった。
    「探求型・対話型の教育」をどう学校現場で創って行くかだった。
    私は、いつもこうした新しい風を感ずると、
    その反面の虚しさを感ずる。

    トップダウンで、次の時代の教育は、これだと言われる。
    文科省からの通達もある。
    多くの研修が行われ、その考え方の衆知が図られる。
    たくさんの文献・書物が出版される。
    その言葉は、どんどん現場に浸透して来る。
    「総合的な学習の時間」がそうだった。

    しかし、現場はどうか・・・。
    本当に「探求型・対話型」の教職員はどれだけいるのだろうかの話だった。
    根本から何かを変えようと思っている人は、少数だと思う。
    いつものようにいつもの仕事をこなすことに精いっぱいで、
    それどころの話ではないというのが現実だろう。
    教室では、評価する人だ。
    何かを変えることをとても恐れている人だ。
    子どもたちの自由と創造を、許せない人たちでもある。

    「言われた通りにする」
    「余計なことはしない」
    「みんなと同じにする」
    「尖がった子どもは迷惑だ」

    集団の中に担任が勝手に決めた人間的な尺度・基準。
    本当にそれを忖度して、それに従い、文句も言わず、そうなろうと努力する。
    その子の評価は、当然その担任からは高くなる。
    その反対の子が居たとしたどうだろう。
    その子は、その担任にとっての「問題の子」になる。
    「困った子」となる。
    当然評価は、全く低くなるだろう。

    小さな集団で行われていることは、これだった。
    担任という長が居る。
    どうあがこうとも、どうしてもその人とは会わなくても、
    例えば、その人のことが嫌いであろうとも、
    子どもたちは、その教室に毎日通って行かねばならない。
    そして、「困った子」は、よくよく叱られる。

    つまり、担任の価値観や個性、人間性に、合わせているのが子どもたちだ。
    もし、大変な人が担任であったら、
    確かにその子にとってのその1年間は、災難なんだろうなぁと私は想う。
    その人に「探求型・対話型」を求めることは、とかく無理な話だ。
    この人たちにとっては、自由である子。創造的である子は、怖れでしか過ぎなかった。
    自らが、真面目で、人の目を気にして、人からの高い評価を受けるために、
    何だかそのことのためだけに、汲汲と努力して今の立場となった人たちだ。
    その人たちに、その「出過ぎた釘」を出過ぎたままにすることは、
    とかく無理な話だった。

    何故なら、理解できないからだ。
    そうした存在を、自分勝手・我がまま・やりたい放題と、許せないからだ。
    その人のコップは小さく、キャパは少ない。
    そのコップの中に自らを押し込める子は、「いい子」と褒められる。
    そのコップの中に自ら入ろうとしない「困った子」には、制裁が加えられる。
    評価は、この二人の子では、全く逆になる。
    担任の言うことを聞く従順な子か、それとも反発する自由な子か。
    教室とは、個が独り独りその存在として絶対的に認められる場ではなく、
    時には、こうした担任の裁量・度量によって裁かれる場となってしまうこともある。

    実は、教職員自身が、探究的に自分の生き方を考え、
    学校という制度そのものを根本的に見つめなおし、
    子どもたちの為に何をどう変革したらよいのかを「問う」ているなら、
    その生き方に徹している子どもたちの評価は、全く違ったものとなるはずだ。
    教職員同士が真摯に公平な立場で「対話」し、
    相手の考え方や価値観を尊重し合い、学び合うならば、
    きっと、子どもたちにも「対話型の人」として、
    子どもたち独り独りを尊重して、その心の声に寄り添える人となるはずだ。

    つまり、自分がそうではない人が、
    そうなりなさいと、そうである人たちには教えることはできない。
    そういうことが、また、学校で起ころうとしているということなんだな。

    私自身の「問い」は、「私は、探求型・対話型の人であるか」だった。
    そして、現場ではどのようにしてそうした教職員を育てるかである。

    子どもたちは、日々学び、日々変わる。
    それは、成長しているからだ。
    ところが大人はどうだろうか・・・・。

    学ぶことを、変わることを、一番恐れているのは大人なのではないだろうか。

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  • from: クマドンさん

    2019年06月16日 10時10分19秒

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    映画「ROMA」

    あれは南米のどこの国の小都市なのだろうか。
    医師の家に雇われている20歳のメードの話だ。
    クレオだったかな。
    彼女の毎朝の仕事は、犬の糞の掃除からだった。
    4人の子どもたち。

    まずまず賑やかで、忙しい家だった。
    夫である医師は、カナダへ研修の旅だった。
    ところが、本当は愛人との長期の旅行。
    旅先から、妻には離婚が申し渡された。

    真面目で大人しいクオレは、そんな子どもたちの母親だった。
    いつも慰めてくれるのは彼女だった。
    朝、子どもたちを起こすのも、夜子どもたちを寝かすのも、
    彼女の仕事。
    それを彼女も子どもたちもとても楽しみにしていた。

    彼女は、若い格闘家を目指す男に騙された。
    妊娠してしまったことを、彼の住む町に行って知らせた。
    「お前も、その子も、もう二度と会いに来るな」だった。
    彼女は、解雇を恐れた。
    しかし、医師の妻は、クオレにここに住んでいてもいいと言ってくれた。

    ベビーベッドを買いに家具屋へ行った。
    反政府運動のデモ隊だった。
    そこへ軍事政権の手先になった暴徒たちが、銃で市民を撃ち続けた。
    その1人を追って家具屋に来た。
    逃げた男はその場で射殺された。
    その仲間の一人が、彼だった。

    その場で破水した。
    車が大渋滞で動けなかった。
    病院で緊急手術を受けたが、胎児は死んでいた。
    クオレは、その子を胸に抱きしめた。

    家族で避暑地の海に旅をすることになった。
    妻は、彼女を連れて行くことにした。
    彼女は、暗い気持ちのまま、海についた。
    凄い波だった。
    翌日、子ども2人が、波打ち際に遊んでいて、波にさらわれた。
    クレオは、泳げなかった。
    それでも、子どもたちの名前を呼んで、波の中に入って行った。

    二人の子どもは、彼女の腕で助けられた。
    浜辺の砂の上で抱き合う、彼女たち。
    医師の夫は、この旅行の間に、自宅の自分の荷物を全部持ちだした。
    自宅に帰ると、がらんとした家になっていた。
    それから、妻は、また仕事に復帰し、小型の新車を買った。

    そして、クオレともう一人のメイドは、
    また、毎日の仕事を続ける。ただ、それだけ。

    映画「ROMA」だった。

    優しさと、愛しさとかな。
    彼女の無垢で、純な眼差しが美しい。
    何気ないどこにでもあるかもしれないお話しだった。
    その場に、私は立っていた。
    その現実感・臨場感・リアル感が、この監督の映像の持ち味だった。
    私は、クオレと一緒に人生の旅だった。

    幸せとはいかない。
    理不尽な不条理に充ちている。
    独りの人間としては、抗えない、ただあるがままを受け入れるだけ。
    「どうして・・・」は存在しない。
    ただ、「こうなりました」の人生だ。

    その中に、ピュアなものが輝いている。
    人間としての輝き。
    彼女は、その尊い輝きそのものの人として、そこに生きる。
    子どもたちの命を救うために、恐れなく、波の中を突き進む。
    波で打たれ、倒れそうになっても、前に進む。
    そんな健気な姿とそんな勇気に心を打たれた。

    クオレは、独りの貧しいメイドだ。
    しかし、クオレの生き方は、何だか尊いものに感じられた。
    アカデミー賞の「作品賞」「監督賞」「外国映画賞」の作品だ。

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  • from: クマドンさん

    2019年06月16日 05時58分39秒

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    200回記念登山

    昨日は、山賊会200回記念登山だった。
    朝、電車で金塚駅まで行った。
    そこでOさんに車に乗せてもらい、駐車場に向かった。
    懐かしく、ご無沙汰のメンバーだった。
    私は、生き死にの手術のおかげで、山にはブランクがある。
    だから、昨年度あたりから徐々に低山での参加となっている。

    小屋でめいめいが持ち寄ったごっつぉうだった。
    いつもいつもすまないなぁを感ずる。
    ただただ私は、その手作りの美味をご馳走になるたせけだ。
    「クマさん」と呼ばれ、「隊長さん」とも呼ばれる。
    どれだけの山をみんなとご一緒したことか。

    7名の女性と2名の男性だ。
    平均年齢はNさんの歳だから、70歳にはなっただろうか。
    とにかく元気で、エネルギッシュで、バリバリと生きている皆さんだ。
    「日々新たなり」を実践している人たちだ。
    合唱団に入って歌っている人。
    お茶の表千家の師匠である人。
    百名山を踏破した人。
    現役で今でもお仕事を続けている人。
    バラを美しく咲かせている人。
    山の登山道の整備をする人。

    生きるとは、「楽しむ」こと。
    やりたいことがあったら、どんどんやること。
    一つのことをこつこつと続けること。
    「まさか」があってもへこたれぬこと。
    いつもおおらかに、なんてことないと、乗り切って行くこと。

    人としての生き方の師匠たちは、
    やっぱりいつもいつまでも輝いて生きているの実感だった。
    歳をとらなくては、分からない。
    こうした人生の楽しみ方は、やっぱり苦節何十年、
    その自分の苦労の多い人生から学ばせられた知恵だった。
    その知恵があるから、先輩たちは明るく生きる。

    私は、10時から菊水一番搾りを2本も飲んだ。
    まさに酩酊状態だった。
    山では、酒を飲むものと決めている。
    だから、電車で向かった。
    しかし、いつも最後は居眠りで終わる。
    そのことがいつもいつも残念に感ずる。
    しかし、懲りない男だ。

    29年間の「山賊会」だった。
    スイスには全員の参加だった。
    カナダへも彼女たちは出かけ、男組はニュージーランドだった。
    山があったからの人生の楽しみ。
    みんなみんな山のおかげとただただ感謝だ。

    しかし、独りだったら、とうてい山登りは続かなかった。
    それがこうして続けられたのは、
    実は、やっぱり村上のY夫妻が事務局を続けてくれたおかげさまだ。
    誰かが中心になって動かなくては、会は運営できないものだ。
    そのリーダーの存在があったから、
    今でもこうして会は続けられている。
    公式記録200回目の登山も、やっぱりご夫妻のおかけさまと感謝だ。

    私にとっては、この人生、平坦なものでなく、
    まったく様々な試練と、様々な挫折と、様々な病だった。
    それは、私の家族もそうだった。
    「どうして私だけが・・・」と、嘆くことは幾度もあった。
    それでも、こうして今、ここを生きている。
    それは、本当は「私だけでなく、みんなもそうなんだ」という、
    何だか言葉では言えない教え・学びのおかげさまのような気がしている。

    介護のこと。家族のこと。病のこと。夫婦のこと。仕事のこと。退職のこと。
    みんなそれぞれ道は違っていても、その道を歩いている。
    歩いて来た。
    それは、辛くて、もう駄目だと泣くこともあったと思う。
    誰にも言えない痛み・苦しみもあったと思う。
    それに耐えて生きているから、山頂の喜びでもある。

    「山がある」そのことでどれだけ救われたことだろう。
    「私だけでない」そのことでどれだけ励まされたことだろう。
    山で共に生活するから。山でその人そのものとなるから。
    山で本音の人になるから。
    私たちは、その人を深く深く知っている。
    何も言わなくとも、気持ちが通ずる。感じる。分かる。
    そんな仲間がここにいる。

    今から、誰かとそれを積み上げようとしても無理なことだ。
    ここまで苦節29年間だ。
    みんな29年前は、若かった。現役だった。
    その29年間で培われたものは、ここに在る。
    それを全く新たな人たちとこれから造ることは不可能なことだ。

    人生は一回だ。
    その一回の道程を共に歩めた。御同行そのものだった。
    そのことは、きっと人生では稀有な至福ではないだろうか。

    あの山。この山。武勇伝と思い出は尽きないものだ。
    しかし、そのことが不思議に過ぎ去った過去のことではないように感じられる。
    「ああ、あれね。あったあった」と、まるでさっきの出来事のように笑って語れる。
    そのことを深く深くで共有できる仲間は、この人たちだと私は酩酊しながら感じた。
    独り独り全く違う人生を歩んで来たはずなのだが、
    同じ登山道を歩き続けてきたのではないかと、ふと思った。

    山に登る。
    そのことと、一回きりの人生を生きるは、
    同じことではなかったのかと、今は、感じる。
    「もし、みんなが山に登っていなかったとしたら」
    その人生は、今、ここのような人生であっただろうか。

    「山賊会」ありがたい仲間たちだな。

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  • from: クマドンさん

    2019年06月14日 05時34分25秒

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    死者の思い為しを生きる

    昨日は、全身が疲れの海にどっぷりと沈んでいた。
    分かっているが、疲れた時は、酒を飲みたいものだ。
    休酒第一日目をキャンセルにした。

    シンさんのお店に行った。
    Uさんが、カウンターに居た。
    彼は、私の中学校と高校の後輩であることを知った。
    実に、実に、愉快な男で、
    その人生そのものが物語に充ちた人だった。

    その物語を聴きながら、不思議と映画となっていく。
    脚本を書きたい。
    そんな想いがふつふつと湧いて来る。
    しかし、これはプライバシーだから、ここにも書けない。
    人は、やっぱり自分だけの物語を生かされている人なんだとつくづく感じた。

    昨日は、東区ボーイズの合唱だった。
    平均年齢68歳だろうか。
    80代のNさんも元気にテノールで歌っている。
    人生の大先輩たち。
    その姿を観るだけで、その人たちのそれまでの生き方が感じられる。
    人の姿や、立ち居振る舞い、その言葉は、
    全く正直にその人そのものを顕す。

    その人とは、今、ここで、その人になったのではなく、
    長い長い年月の苦節によって、
    その人となったその人だ。
    ある意味、その人は、ハイデガーの「時熟」の人なんだな。
    善き実となって、ここに生かされている人たちは、
    何だかとても優しく、温かい人たちだった。

    歳をとるということは、人が本来の人になるということだ。
    もし、歳をとって頑固で、意固地で、人の悪口しか言わず、自分勝手で、
    我がままで、自分だけ良ければよくて、けちで、根性が悪くて・・・。
    だったとしたら、一体その人は、70年間・80年間何を学んで来たと言うのか。
    その生き方は、その人の顔やその人の言葉そのものだ。
    やっぱり人からは、「優しい人」「頼れる人」「温かい人」と感じられたい。
    そのためには、人は、そうした人生を歩かねばならない。

    「死者の思い為しを生者は生きている。生きるとはそういう物語」だと、
    池田晶子さんが教えてくれた。
    歳をとって、本当に最近になって、この意味が分かって来た。
    もし、私が死者になり、我が子を見守っているとしたら、
    私の願いはただ一つ。
    「善き人になってください」それだと思う。

    人は、そうした死者からの呼びかけ、語りかけを魂で感じている。
    または、死者である先人が遺してくれた言葉によって、
    人は、「問い」を与えられ、その「問い」の答えを求めながら、
    日々を生きているのではないだろうか。

    ただ「善き人」であればいい。
    その人は、「善き魂」の人でもあった。
    ソクラテスが言っている。
    「生きるとは、魂のお世話をすることだ」と。
    その通りだなぁと、今は、言える。

    70年間の生き方そのもの。
    魂の育て方そのものが、その人なんだ。
    独り独り物語が違うのは、物語の背景が違うからだ。
    その千差万別、全く違う舞台で物語を生きながら、
    「善く生きた」人たちが気付いたことは、
    きっと同じではないかと、私は想う。

    その「同じ」「一つ」を、「生きなさい」と、
    死者となった、母は、私に語っている。
    また、池田晶子さんの「言葉」を味わう度に、
    その生き方が、私の身体となり、魂の糧となる。
    「言葉」を食べて、文字通りの「成長」を感ずる。
    この目には見えないけれど、絶対に「在る」ことを信ずることだ。

    そうして生きて来た人たちの瞳は違う。
    その姿は尊い。
    私はそうした大人の人たちを知っている。
    合唱団の人たちは、正にそうした大人たちだ。
    だから、私も、そう生きたい。
    私の死者からの思い為しの物語を、この生涯賭けて全うしたい。

    孔子の「論語」に出会った。

    「子曰く 学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずゆ。
     朋有り、遠方より来たる、また楽しからずや。
     人知らずしてうらみず、また君子ならずや。」

    これは、孔子が生きた物語。
    私も、かく生きたいものだ。

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