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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2012年01月31日 06時07分36秒

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    大雪警報の日

    大雪警報が発令されている。
    この雪はいつまで続くのかと天を見上げて嘆いていることと思う。
    雪下ろしをしなくては、家が倒壊してしまう危険がある。
    4mの積雪の山間集落では、高齢者の一人暮らしが多く、
    その作業がままならないのが現実のようだ。
    屋根に上がれなくなったら、業者を頼むしかない。
    何とも切ない話だと思う。

    人は、雪を降らすことを止めることはできない。
    降り続けば降り続いたまま、その雪の中で生活して行かねばならない。
    自然とはそういうもので、決して人がコントロールできないものだ。
    だから、嘆くことも多いが、その雪を諦め、その雪の中でも生きられる道を選ぶ。

    五木寛之さんの「下山の思想」を読んでいる。
    50歳を過ぎた頃から、50代には50代の生き方があると悟った私。
    それではどのように生きたらよいのか考えた。
    以前、五木さんは「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」の四つの時期に人生を分けた本を出していた。
    私は、その時、私自身が「林住期」に入ったことを知った。
    里を捨て、市井の生活から少し離れた林に住まい、
    しがらみを捨てて、身も心も軽く自由に生きる時期と感じた。

    それは「降りてゆく生き方」でもあった。
    そのことに気づいた時に、
    この世の中の欲のようなものは私から少しずつ消えて行った。
    それは、いろいろと人の心を支配し、惑わせる欲望とは反対の生き方だった。
    そして、その生き方が、この林住期に入った私にはふさわしいと思えるようになった。
    天はそんな転換期に、大いなる試練を私に与えた。
    きっとあの時、私は自分で自分を墓に葬ったのかもしれない。

    「居ても居なくてもいい人は、居てもいいのだ」
    そんな軽さで、そんな弱さで、そんなちっぽけさで生きようと考えた。
    そしたら、やっぱり心がすっと楽になった。
    ただし、これも日々の修行であるから、
    弱気になったり、心が萎えたり、辛かったりのこともある。
    それでもその林の中で静かに暮らすことにより、
    初めて悟れる境地もあるのだと信じている。

    今年の夏で55歳になる。
    見事に立派な「おじん」である。
    もし私が20代だったら、今の私を見てどう感ずるだろうなぁと興味がある。
    私は、時間を止めることはできない。
    私たちは自分の意志でコントロールできないことだらけの中で生きている。

    母の体重を増やして健康な体に戻してやることも、
    脳梗塞で思うように動かせなくなった父の体を奇跡の回復をさせることも、
    次男を学問に専念させることも、
    この大雪をやますことも、
    考えてみたら、自分でコントロールなんぞ出来ないものだらけなのだ。
    欲望とは、そんなものを対象にコントロールしようと願ってやまず、
    自分がそれを手に入れるまで飢え渇く修羅の姿だ。

    嘆くより生きろ。
    嘆くより諦めろ。
    今日一日だけは生きてみよう。
    そして、今日を楽しもう。

    その境地で生きられることを願いつつ、修行しているのが今の私だ。
    この境地に徹せられたら、後はつらつらと遊びの中で生きられる。
    どうせ人は最期は死ぬのだ。
    大雪の日もあるが、諦めて、今日を生きる。
    ひと降りごとに、確実に春が近づいているのだから。

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  • from: クマさんさん

    2012年01月30日 06時11分07秒

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    てかがみを観た

    語り継ぐことは、大切なことだ。
    物語を通して、語り継ぐべきことは語り継いでいく。
    それが次の世代への責任である。

    「てかがみ」は、素晴らしいオペラだった。
    新演出に圧倒され、その市民パワーに感動した。
    舞台は戦中の山ノ下でもある。
    捕虜収容所は赤道のガソリンスタンド裏の広大な空き地にあったそうだ。
    そこから臨港埠頭なのか、港に連れて行かれ、強制労働をさせていた。
    信濃川には機雷が置かれ、掃海艇がそれに触れ爆発・沈没したことも事実だ。

    長岡の空襲ではたくさんの人たちが亡くなり、
    この空襲を忘れぬために長岡の花火は毎年開催されている。
    新潟には新型爆弾を落されるという噂が広がり、
    新潟市から人が居なくなったという記録も残されている。
    広島と長崎に原爆を落とされ、敗戦を迎える。

    語れば、歴史の話であるが、
    物語にして、舞台で上演すると、感動的なオペラとなるのだった。
    物語を創る。物語を演ずる。物語を伝える。
    それはやはり次の世代への責任であると感じた。

    二階の最上段の席から、双眼鏡で劇団の仲間たちを追っかけていた。
    するとオーケストラピットの指揮者がいつも舞台の鏡に映し出されていた。
    まるで指揮者もこの舞台の登場人物のような感じがした。
    私は、合唱ではみんなと声を合わせて心の中で歌っていた。
    この歌を一緒に歌えることの幸せを感じた。
    タイトな稽古の日程について行けずに、今回は断念だった。
    しかし、この舞台を観ることができただけでもありがたかった。

    物語を通して語り継ぐべきことは、語り継いでいく。
    東区市民劇団で「王瀬の長者」を上演し続けて来たのはそのためだった。
    次の「沼垂の柵物語」も、目的はそこにある。
    歴史の中に原点があり、私たちがこれからいかに生きるべきかの応えもあった。
    問いをもったら、歴史に学ぶことである。
    私は今、縄文にその答えを求めようと考えている。

    しかし、素晴らしいオペラだった。
    ラストは、涙が次々と流れてしまった。
    それは、菊水のせいだけではないはずだ。

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  • from: クマさんさん

    2012年01月29日 06時44分09秒

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    グレーン・グールド

    本日、オペラ「てかがみ」の本番だ。
    私は、訳あって途中で練習に参加しなくなった。
    タイトな練習日程と、仕事が重なり、ご迷惑をかけてしまった。
    歌うことの喜びを、練習を通して改めて感ずることができた。
    途中で辞めたが、合唱曲は全部歌えるだけ自主練習はした。
    音程は?であるが、それだけは満足している。
    東区市民劇団のメンバーが多数出演している。
    我が歌姫のヒョンちゃんも出演している。
    とにかく応援には駈けつけるつもりだ。

    3月の演劇祭のりゅうとでの公演も私は何もかかわっていない。
    東区の沼垂の柵プロジェクトに向けた脚本に専念していたためだ。
    離れると、何だかそこが自分の居場所ではなくなってしまったような気もする。
    かかわり、参加し、共に多くの時間を過ごすことで、
    お互いの絆は固く、確かなものになる。
    練習や稽古を積むと言うことは、
    それを共に創りあげる仲間となり、同志となることなのだ。
    振り返ってみたら、
    良念さんで演劇に参加していたころが一番充実して、楽しかった気がする。
    毎日トンネルを歩いて台詞を覚えていた頃から、
    既に1年たっている。

    グレーン・グールドというカナダ出身のピアニストがいた。
    私は、20年以上前だろうか、彼のバッハを聴き、衝撃を受けた。
    これはバッハではなく、これがバッハだった。
    そのゆったりとしたつぶやくようなピアノの音に魅了された。
    「ゴールドベルク変奏曲」は、毎日聴いても感動ものの音だった。
    そんな彼のドキュメンタリー映画がシネウィンドで上映されている。

    高さ30センチの椅子に座り、ピアノに肩の高さで両手を置く。
    バッハを分解し、彼のバッハに組み直す。
    グールドは、音を真摯に追究し続け、創造する音楽家であり続けた。
    その音は、きっと聴衆に感動と驚きとを与える音だと信じ、
    その効果を手応えとして感じていた音楽プロデューサーでもあった。
    愛を求め、家族を求め、そして、孤独に生きた人。
    グールドは繊細で、人との付き合いが苦手で、エキセントリックに我儘だった。

    ああ。あれだけ私が憧れ、心静かに聴いていた曲は、
    こんな風にして演奏されていたのだなぁ。
    私にとっての幻のグールドが、目の前で独特な動きでもって演奏している。
    音を創る。音を紡ぐ。その音は、演奏者の魂に響き、人々の心に届く。
    創作された表現は、聴く人たち全てと共有される。
    その共感を生み、その涙を生むのは、グールドがピアノを弾いたからである。

    グールドが、森を歩き、雪解けの激しい川の流れを前に、
    音楽を歌いながら、両手を挙げて指揮をしているシーンがある。
    その怒涛の流れの中に在る音楽を彼は感じ、歌を歌う。
    表現すべきものはそこに在り、表現する人の登場を待っている。
    そして、グールドが現われ、バッハやモーツァルトに新たなる息吹を与えた。

    表現は、その瞬間、即今の芸術だ。
    そして、神や自然や命や人生が、そこに表現者を介して現われる。
    その非現実的なドキュメントに、我を忘れて心を打たれる。
    表現者も忘我であり、聴衆も忘我である。
    我が無いところにこそ、真実の我が在る。
    感動とは、それなのだと今は思う。

    オペラ「てかがみ」
    演劇「王瀬の長者」
    それも表現者の喜びとして同じことなのではないだろうか。
    忘我の中に真実がある。
    本日の「てかがみ」にきっとその真実が現われることと思っている。

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  • from: クマさんさん

    2012年01月28日 08時07分41秒

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    吠える。火を吹く。

    さてさて、先週一週間は雪、雪、雪だった。
    おかげさまで「せきとり」へ四連ちゃん。
    この時期限定のカウンターだ。
    受け皿にこぼしてくれる酒の量が少し増えた。
    料金が定番で60円アップした。
    1000円で20円のお釣りだったのに、
    現在は「お勘定」と言うと、1040円となってしまった。
    それでも二本の焼き鳥と、ここの熱燗が旨いのだ。
    あの夏目マリ似のお姉さんといろいろと話すことができた。

    昨夜は「山ノ下を考える会」だった。
    お馴染みのメンバーが久しぶりに顔を合わせ、楽しく呑めた。
    私は、お銚子を手酌で呑んだ。
    これだと酒量が自分で分かるからだった。
    向かいに座るCさんと、Sさんは、90キロ以上の巨体だった。
    数年前の私だと思うと、食べる量もセーブしていた。

    さて、話題は祭りの話だった。
    後期高齢者が頭を取っている現状では、なかなか改革は進まない。
    お年寄りは面倒なことが嫌いなために、変わったことは面倒だと却下される。
    しかし、よる年波には勝てず、年々年をとり、弱って行く。
    祭りについての知名度、注目度も低く、
    この山ノ下の伝統芸能(工芸ではない)を継承し、
    存続させようと考えているもの好きはごくごく希少なものだった。
    そんな絶滅危惧種のような巨体の男たちが、
    「祭りを何とかせんばならねぇ」と吠えて、火を吐いていた。

    私からは、水と土の芸術祭に予算申請した話をした。
    とにかく「沼垂の柵プロジェクト」の一環として、
    山ノ下では伝統芸能と祭りとで、
    水と土との戦いと共生の中から培われた文化を提唱することをコンセプトにしたと語った。
    酔っ払いの面々がどれだけその壮大な構想を理解したかは定かではないが、
    金がもらえると言うことで、大賛成を受けた。

    今年の夏の大イベント「山ノ下なじらね音楽市場」を、
    いずれはモントルーjazzフェスティバルのような新潟市の名物にしてやるぞと、
    元巨体の親父の私は、そう吠えて、火を噴いた。

    日本酒がストップしたあといつもの「ぽから」焼酎呑み放題だった。
    そこから無礼講が始まり、とにかく語り合った。
    「種を捲いても、すぐには芽はでないもんだ。」
    「とにかく期待しつつ待つことだ。その間に、何をすべきか考えよう。」
    「人がやっていることをやっても無駄だ。
    誰もまだやっていないことで、これは人のためになり、やりがいのある仕事を発見しよう。」
    「内部から組織を変えることは無理だ。みんな上を見て、自分が可愛いだけだから。」
    「その地域の面白い人たちと知り合いになろう。」
    「その人たちに学び、その人たちと仲間になろう。」
    「そして、やりたい仕事を始める時は、その人たちの声で始めたらいいのだ。」
    「人は、外圧には弱いものだ。」

    そんな話を熱くして、またまた親父は吠えて、火を噴いた。
    40代に一つ何かエポックになるようなビッグな仕事をすればいい。
    そのための30代であり、そこでつながった人たちと楽しむ50代であればいい。
    私は実際にそう生きて来たし、そう生きている。
    ただし、何と出会うかは、その人の運にある。

    吠えて、火を吹く親父たち四人は、
    大声で語りながら雪の山ノ下を歩いて帰った。
    よしはら、鹿の肉・カキ鍋・刺身美味かったよ。
    これで3000円では、いつもいつもすまないねぇ。
    それにしても朱鷺マラソンは、10キロにしませんか?

    巨体親父二人は、またサークルKでアイスを買って帰るそうだ。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年01月27日 05時48分23秒

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    ソウイウヒトニ

    大雪が続く。
    そう言えば何年前だろうか、新潟市が大雪だったことがある。
    その時は、バスも止まり、車線が半分になり、車もすれ違いが出来なかった。
    丁度出張だった私は、歩いて万代橋を渡り、附属小学校まで行った。
    嘆くことなく、諦めて、次なる行動をする。
    たった一本できた雪の歩道を歩くと、
    向こうから歩いて来る人に道を譲って避けていたことを思い出す。
    あの日、本当に道を譲る人が少ないことに驚いた。

    今週は、一度もジョグをしていない。
    体重を図っていないために、恐ろしいことになっているかも知れない。
    酒はその分毎晩量が増えている。
    どうしょうばとは思うのだが、寝るまで呑みながら何かをしている。
    トンネルを走ろうかとも思っているが、
    これはなかなか実行に移せなかった。
    その分、三日間は4キロの雪道を雪中行軍よろしく歩いて帰宅した。
    どうも左膝に痛みがあるのはそのせいらしい。
    大雪により、生活と体とに変化をきたした一週間だった。

    今晩も大雪は続くのだろうか。
    「山ノ下を考える会」が、今晩「よしはら」で行われる。
    またまた愉快で、熱い仲間たちが集まるはずだ。
    それぞれが山ノ下を愛する想いをもって、
    その想いを実現し、新たな町づくりを行うために生まれた全く自由な会だった。

    会員は、入りたい人は誰でもOKだ。
    職業も立場も考え方も違う人たちが、どういうわけか集まっている。
    昨年度の「音楽市場」はこの会の企画・運営だった。
    今は、「木遣り」について考えている。
    祭りをどうやったら地域参加型の祭りへと変えられるか。
    誰に頼まれたわけでもないが、やっぱり考えているメンバーだった。

    私は、そんな関係から、「山ノ下通信」という地域コミュニティー紙にコラムを毎月掲載することとなった。
    森野熊太郎は、私のことだ。
    これは地域限定の通信となっている。
    そこには、今は「王瀬の長者」のことを書いている。
    2月の原稿はすでに送った。

    何かを始めようと思っている人は多いと思う。
    地域のためや、子どもたちのために何か出来ないかと考えている人も多いだろう。
    しかし、その想いや願いを実現する機会や、
    仲間となかなか出会えないのが現状だと思う。
    しかし、山ノ下には、そのチャンスが存在している。
    だから、やる気さえあれば、やれないことはないと思っている。
    地域にそんな会があることは、幸せなことだ。

    誰も歩いていない雪の歩道に道をつける人は必要だ。
    一本しかないその道を、人に譲って通してやる人も必要だ。
    例え大雪でも、その雪の中を歩く人も必要なのだ。
    地域とは、そういう人たちが誰にも分からぬ内に動かしているものなのではないだろうか。

    ソウイウヒトニ ワタシモナリタイ

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  • from: クマさんさん

    2012年01月26日 06時00分35秒

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    永遠に、静かに

    あと1基だけだ。
    それが停止したら、全て停止の状態になる。
    そしたら、絶対に安全だ。
    電気は未だに止まっていない。
    計画停電もその声を聞かない。
    山手線もちやんと動いているではないか。

    選択肢は、一つだけだ。
    こんな危険で恐ろしく有害なものを稼働させる必要はないのだ。
    電気料金で納得させようとしているが、
    それは1企業の問題であって、私たちの問題ではない。
    故郷は、いつまでも美しい故郷であって欲しい。
    家族ともここで安心して暮らしたい。
    その権利を奪うことは、誰にも出来ないはずだ。

    放射能物質の生産工場を持っていることが異常なのだ。
    処理できない放射性廃棄物を量産していることが異常なのだ。
    しかし、私たちは情報操作によって、その事実に気づかなかった。
    原発の問題について危機感を持ったのは、福島以来だ。
    国民は、全てを知っている。
    永遠に静かに眠りについてくれることを、願っている。

    さて、大雪だ。
    昨日もバスで通勤し、帰りは長靴を履いて歩いて帰って来た。
    そんな日に母はK病院だった。
    胃の調子が思わしくなく、低血糖で具合が悪い日もあった。
    気丈にも普段通りの生活をしているが、
    85歳の母は、やっぱり体の変化を感じているらしい。

    大雪の中、母が私の前を黒いオーバーで歩いていた。
    小さかった。
    私は後ろから母に声をかけた。
    タクシーは、大通りに出てからひろうそうだ。
    この雪でタクシーも来ないことが予想された。
    何もしてやれない私は、バス停に向かうために母と別れた。

    バス停でバスを待っている間にも、母のことが気がかりだった。
    どうしただろうか。無事にタクシーに乗れただろうか。
    こんな時、携帯を持たない母には連絡がつかない。
    雪が降っていた。

    やっぱりあれから大変だったそうで、歩いてタクシーを探し、
    とても時間がかかったと言っていた。
    何よりも胃に少し異常が認められたらしく、再検査を言われたそうだ。
    一度でも癌を宣告され、手術を受けた人には分かるだろう。
    その再検査とは、心が不安になり、再発の心配が頭から離れないと思う。
    体重が32キロになっていた。

    それを止めることは、誰にでもできないものだ。

    次男がこの大雪にスキー合宿に津南に行っている。
    天気予報が出ると、津南の天気が気になる我が家だ。
    大雪の中大変だけれど、楽しんでいるだろうなぁと思う。
    離れていればいるだけ、心配なのは家族のことだ。
    そう言えば、最近長男から連絡が無い。
    この雪の中でどうやって生きていることだろう。

    この家族との平安な暮らしを奪う権利は誰にもないはずだ。
    やっぱり日本中の全ての怪物には永遠に眠りについてもらいたい。
    その英断をすることこそ、子々孫々への人間としての責任ではないだろうか。

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  • from: クマさんさん

    2012年01月25日 05時50分28秒

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    10年日記のこと

    今日から明日にかけて大雪になるそうだ。
    母は、今日K病院なのだが、タクシー会社に予約を断られたそうだ。
    次男は、例のスキー合宿に今日から二泊三日で出かける。
    何と鞄の中にはプレステーションが入っていた。
    これでいいのか高校生。
    私は、昨日バス通勤で、帰りは40分間のウォークだった。
    途中「せきとり」で注酒は欠かせない。
    この雪のために、ジョグができないことを嘆いている。
    大雪になることで、人々の生活には何らかの影響を与える。

    しかし、月日のたつのは早いものだ。
    私はこう見えても十年日記をつけている。
    2冊目の8年目となっている。
    つまり、18年間はこの日記を続けて書いているということだった。
    しかし、毎日ということが苦手な私は、
    時には一カ月以上をまとめて書くことを許している。
    日記と言うよりか、エッセィのようになっていたりする。
    しかし、それでもちゃんとした家族の記録になっている。

    7年間の同じ時期の記録を読める。
    親父である私は全く成長を感じられないが、
    父と母には、やはりその年なりの老いが感じられ、
    伸び盛りの子どもたちには、目覚ましい成長が感じられた。
    私自身振り返ってみたら、大したことをしていない自分に気づく。
    苦しみの中での愚痴も多く、弱音もたくさんここには書かれてあった。

    そんな私の変遷を辿ってみると、
    どうもやっぱり「欲」が薄くなり、
    「いい加減」にだんだん移行して行く感じがした。
    肩の力が抜けたとでも言うのか、どうでもよくなったとでも言うのか、
    どうしてもこれを達成しなければならないとか、
    どうしてもこういう人になれとかという面倒なことから、
    どうもどうも降りているようなのだ。

    人の目を気にしない。
    人からどう思われようとかまわない。
    人の評価は、しょせんその人だけの評価なのだ。
    自分は、自分。
    「居ても居なくてもいい人は、居てもいいのかもしれない。」
    40代で突っ走った頃のように華々しい業績も賞もない。

    50代の初めにずっこけて、家族や友のおかげで再び生還してから、
    やはり私の人生観は変わったようだ。
    「そのままでいい。」
    失敗だらけで、人に迷惑をかけることが多い私である。
    でも、そんな愚かなる自分のことを鑑みると、
    誰に対しても「そのままでいい」と想えるようになった気がする。

    それは、欲が薄くなったからだと思う。
    自分をよく見せたいとか、もっとよい評価を得たいとか思うと、
    心が定まらず、落ち着かないものだ。
    真面目に生きていてCならCで仕方ないし、
    それでもやっぱりそんな自分を褒めてやりたいと思う。

    そう想えるようになってから、家族に対しても、子どもたちに対しても、
    私の見方は変わり、穏やかになった。
    「そのままでいい。」
    その存在そのもの丸ごと全てを尊いものと感じる自分。
    実は、これが一番楽な生き方だと、やっぱり悟った。

    この大雪の中、母は母のままで。次男は次男のままで。私は私のままで。
    そのまんまでこの大雪を憂うることなく、嘆くことなく、
    淡々と受け入れて、本日を生きればよいのだ。

    しかし、この日記、書いても書かなくてもいい日記になっているなぁ。

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  • from: クマさんさん

    2012年01月24日 05時56分04秒

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    「ありがとうございました」

    仕事から帰って来ると、「ありがとうございました」と父と母に声をかける。
    母は、台所に立って夕餉の支度をしていることもあり、
    炬燵に入ってテレビを観ていることもある。
    昨晩は、父は炬燵で丸くなって眠っていた。
    「爺ちゃん元気らけ。」と母に聞く。
    母は、「元気らよ」と答える。
    「婆ちゃん具合どうらん」と聞くと、
    「大丈夫。少しよくなった」と返事が返ってくる。

    そんな会話が、ここ何年間我が家で続いている。
    「ありがとうございました」というのは、
    長男と次男のことを預かり、親身になって育ててくれたからだ。
    私たちは共稼ぎであるために、
    朝は、子どもたちのことをお願いして仕事に行かねばならなかった。
    長男が保育園。次男がまだ赤ん坊の頃からお世話になった。
    母は、次男をおぶって大山保育園に長男の手を引いて連れて行ってくれた。

    怪我をさせてはいけない。
    病気にならせてはいけない。
    わがままに育ててはいけないと、
    子どもを預かることは心配なことが多かったようだ。
    我が家がいつも楽しく、笑顔で暮らせたのは、
    この二人の子どもたちのおかげさまだった。
    とにかく長男はよくしゃべり、よく動いた。
    次男は、どうやったら笑わせられるか考えて、愛嬌たっぷりの子であった。

    「ただ今」「ありがとうございました」
    だから、いつしかそれが帰宅の時の挨拶になった。
    私が帰って来ると、長男も次男も飛んで来たものだが・・・。
    それは、今は夢の夢。
    子どもたちの賑やかな声と笑いが溢れていた頃が懐かしいとつくづく感じる。

    さて、父も母もすっかりと年を取ってしまった。
    老いるとはどういうことなのか。
    それは、日々の二人を見ているとよく分かった。
    いずれ私も行く道なのだ。
    枯れるとでも言うのだろうか、命がしぼむとでも言うのか、
    そのことに対しては、生きているもの全ては抗うことができないことなのだ。
    「降りてゆく生き方」とは、父と母を見ていると、
    人の自然な生き方なのだと納得する。

    2年前の秋に、母は胃癌の手術を受けた。83歳だった。
    気丈で体力のある母だからこそ、生還できた手術だった。
    その秋に、私はその年の正月はないと覚悟を決めていた。
    父はどう生きるのかとも心配していた。
    しかし、お陰様で、今年の正月も母の手造りの「こと」を食べられた。
    父と母には、まだまだ長生きしてもらいたい。

    子どもたちが大きくなり、長男は大学生となり自宅を出た。
    次男は高校生となった。
    帰宅の時の挨拶は、それでもやっぱり「ありがとうございます」だ。
    私は、何について感謝しているのだろうかと、考えてみた。
    それは、「今日も生きてくれていてありがとうございました」であり、
    「父と母とを守ってくださり、ありがとうございました」なのだと今、悟った。

    「ありがとうございました」と、父と母に言える平安。
    その平安に対しても「今日一日をありがとうございました」なのだと思った。

    これからも、毎日、ずっとずっと、「ありがとうございました」を言い続けたいと心から願っている。

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  • from: クマさんさん

    2012年01月23日 06時37分54秒

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    降りてゆく生き方を観た

    昨日、北区の文化ホールで「降りてゆく生き方」の上映会があった。
    この映画とは、実は私にはある因縁があるのだった。
    プロデューサーの森田氏が新潟県内で町づくりや教育、福祉で活躍している人たちに会い、
    この映画のシナリオ作りに生かそうと活動を始めた。
    そのきっかけは、私が尊敬する清水義晴さんの本に彼が出会い、
    衝撃を受けたからだ。
    そこで、新潟県を訪れ、彼はその人たちに出会い、「ことば」を探した。

    実は、私もS町の元教育長のTさんと一緒にインタビューを受けていた。
    これは清水さんからの紹介だったのか分からないが、
    私がこれまで取り組んで来た町づくりや、総合的な学習について話す機会を得ることができた。
    その時、森田氏と意気投合し、逆に私が力をもらったように感じたものだ。

    その翌年から、撮影は新潟県内で行われた。
    私は、オーディションを受け、森田氏との再会を喜んだ。
    しかし、撮影が始まった春から、私は休職をした。
    どん底な状況の中で、撮影が順調に進行していることがメールで分かった。
    どんな場面でもいいからエキストラとして出演したかったが、
    それは叶わぬ夢だった。

    その翌年に映画はクランクアップした。
    市民ホールで森田氏や清水義晴氏の講演会があり、
    映画の主役の武田鉄也氏も講演をした。
    私は高校生の頃から「海援隊」の大ファンだった。
    LPレコードを抱え、無理を言って控室にお邪魔して、
    そのLPにサインをしてもらった。
    それは夢のような話だった。

    県民会館での上映会では、超満員だった。
    その頃はまだ出会っていない劇団員の彼や彼女が、
    昨日改めて観たらいろいろな場面で登場していた。
    そこにも不思議な縁を感じた。
    「降りてゆく生き方」
    無農薬・無肥料で自然の命の力で米を創る農家の生き方であり、
    発酵の力を信じて玄米から酒を創る杜氏の生き方である。
    企業戦士としての競争から降りて、人として心をもって生きる生き方であり、
    教師を辞めて、森や自然を守るためにアクションを起こす生き方でもあった。

    私たちは、何だか間違った生き方だけを信じさせられ、
    騙されて今も生きているのではないだろうか。
    本当はそうではないのに、本当は違うと思いながら、
    その信じさせられた生き方から、私たちはなかなか降りられないのだ。
    私は、天の恵みで心の病となり、休職をした。
    自動的に降りてゆく生き方を選択させられた。
    私は、それがよかったと今でも思っている。
    心は、囚われることなく、世間体も気にすることなく、あるがままで生きている。
    楽になった分、人からは馬鹿にされることも多くなった。

    昨日も泣いた。涙が止まらなくなってしまった。
    それは、私の中にも共感する温かな心が在るからだと思っている。
    最後に語った音楽家の人の話にも泣いた、泣いた。
    「そのままでいい」本当に「そのままで人は尊い存在なのだ」

    北区社会福祉協議会の人たちに感謝である。

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  • from: クマさんさん

    2012年01月22日 07時31分25秒

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    jazzストリート

    jazzストリートが昨日あった。
    冬は一日限定だ。
    雪が無く曇り空だったので助かった。
    私が大好きなボサノバを聴きに、ホテルオークラのエジンバラに向かった。
    ギターのさとうえみさんと、アコーディオンの田中トシユキさんだ。

    さとうさんのボサノバに、とにかく魅了されている。
    ギターもそうだが、歌声がなまらいいのだ。
    田中さんのアコーディオンには、
    その超絶的な技巧から奏でられる音楽にはいつも素敵な魔法がかけられる。
    そこにブラジルがあり、パリがある。
    その音楽にはその国で生きている人たちの哀愁があり、喜びがあり、愛があった。
    ギターとアコーディオンが鳴ると、空気が一変する。
    音楽に酔う。本当に酔えるのだ。
    エジンバラの高級グラスで水割りを呑みながら至福の時なのだ。

    私にとって、このお二人との縁は、とてもとてもかけがえのないものだった。
    昨年の今頃、私は山ノ下タワーでの田中さんのシャンソンコンサートを聴きに行った。
    それは、「なじら家コンサート」への出演をお願いするためだった。
    港の景色をバックにフランス語でのシャンソンを歌う田中さんは、格好よすぎだった。
    私たちは、コンサートの後で「なじら家」で打ち合わせをした。
    カウンターで話しながら、年が近いこともあり、
    何だか初めて会った気がしない親しみやすさを感じられた。
    嬉しかったなぁ。
    憧れのjazzメンとこうして話ができたのだから。

    コンサートの夜のことは、以前ここに書いた通りだ。
    お客さんたちは、田中ワールドに魅了され、大いに盛り上がったものだった。
    懇親会になっても田中さんはアコーディオンを抱え、
    次々とリクエストに応えて、演奏を続けてくれた。
    ミューズは田中さんを選び、田中さんはバッカスに囚われ、
    酒を呑み呑み、笑顔でフランス映画のテーマ曲を演奏した。
    こんな贅沢な夜は、もう二度とないだろう。

    8月の山ノ下市場でのjazzコンサートの企画について相談した。
    すると、とても素敵なアイデアを教えてくれた。
    市場通りのあちらこちらで同時にコンサートを開くということだった。
    これは面白い。
    そして、田中さんに大プデューサーのTさんを紹介してもらい、
    Tさんからコンサート開催のノウハウを教えてもらい、
    出来たのが「山ノ下なじらね音楽市場」だった。

    昨年は、山ノ下中学校でもコンサートを開いてくれた。
    何と音楽市場で大ファンになった地域教育コーディネーターのGさんが、
    お二人を招いてくれたのだった。
    何だかとっても嬉しくて、私も体育館で演奏を聴かせてもらった。

    人の出会いは不思議なものだ。
    私はお二人のコンサートの追っかけとなり、
    一度も山ノ下に来たことのない田中さんは、
    山ノ下で何度もコンサートを開くことになった。
    これからも私はお二人の音楽の信奉者である。

    3月3日東北グリーンプラザを今から心待ちにしている。

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