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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマドンさん

    2014年08月31日 10時10分21秒

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    道はあるはずだ

    さてさて、ほとほと愚かな男だと自分を想う。
    愚かだから、愚かな道だけが行く道なのかもしれない。
    そんな自分自身を諦めればいいのに、
    何だか情けないものだ。

    昨日、新津で「がっこうの森」の会があった。
    我が師匠Sさんが小千谷から来てくれた。
    私は、古津の駅でお迎えだった。
    それから二人で八幡山の縄文の遺跡に登った。
    ここに来ると、いつも気持ちが生生とする。
    竪穴式の住居が幾つも建っている。
    大きな栗の木の下で、二人並んでお握りを食べた。

    ほっとした。そして、重かった心が少しずつほどけて解放されていくことを感じた。
    この栗の木は、私が死んでも生きている木なんだ。
    Sさんに今の心境を語った。
    「そうですか。そうですか。」
    いつも優しくそんな私の言葉を一つ一つ受け入れ、肯いてくれる。
    Sさんも、これまでの人生の荒波を語った。
    栗の木と私とSさんとは、同じ深さで互いの想いを聴き合っていた。

    Sさんは、退職してから長い魂の遍歴の中で蘇った人だった。
    私は、その魂の遍歴を始めたばかりだ。
    死ななければ、生きられないなぁ。
    蛹の中でぐちゃぐちゃに融けねばならない私を感じた。
    蛹には、夢や希望は感じられないのだろうか。

    しかし、傍にSさんが居てくれるだけで、心が落ち着く。

    「人は、人の中に暮らしていると、孤独で辛くなります。」
    「でも、この自然の中に居ると、独りを忘れます。」
    そう語る私に、Sさんは慈愛の眼差しだった。

    「そろそろ行きますか。」
    二人で歩いて山を下りると、道を間違ったことに気付いた。
    前もここで迷ったものだった。
    「もどってみましょう。」
    そしたら、左手に下に下りる道があった。

    迷ったら、戻る。
    道はきっとあるはずだから。

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  • from: クマドンさん

    2014年08月30日 10時27分12秒

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    自分が自分であるとは

    自分が自分らしくあるために、何をしたらよいのだろうか。
    自分の自とは、自然の自だとつくづく感ずる。
    その自然を呼吸しながら生きている。
    だから、その自然と一体になることが大切なんだ。
    息には、そんな自然と人の心とが書かれてある。
    そうなんだなぁ。
    いきをするという言葉から、「生きる」が生まれたと教えられたことがある。
    とにかく、こうして息をすることが大事なことだった。

    自分とは、自然のいのちの一部である。
    そんな自覚に徹することができたら、我欲も薄れていくことだろうと感ずる。
    自分なんぞ本当は存在していなかったりするのではないだろうか。
    ただ、自然のいのちの生き物としてのこの形があるだけ。
    ここには生かされている自分がいるだけ。
    それも弱くて、愚かで、ちっぽけな自分が。

    そんなちっぽけないのちに実は自然は満ち満ちている。
    いのちばっかりだ。
    プランタを掘ったら、ちっぽけな幼虫が出てきた。
    その横の土の上にはダンゴムシが這っている。
    アリもせっせと歩いていた。
    こぼれ落ちた種があり、土はそのいのちたちを養い育てている。

    いのちが在るということは、そのいのちを生かしている土があるということだ。
    今朝も突然の雨だった。
    雨上がりはそれはそれはすがすがしいものだった。
    クモの糸には水滴が光り、
    かかったちっぽけな哀れな獲物をクモはじっと見張っていた。
    いのちはとぎれなくつながっている。

    自ずからとは、そういうことらしい。
    あくせくあくせく生きることをいのちたちは悩んでいない。
    せっせせっせとその日を生きる。
    それは無心な営みだった。
    自然のいのちなら、私もそうやって無心で生きるだけでいいのではないだろうか。

    無心に生きたい。ダンゴムシのように。

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  • from: クマドンさん

    2014年08月27日 21時49分25秒

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    愚かな選択

    原発について書きたかった。
    毎日のニュースで原発が話題に上る。
    当たり前のことだと思う。
    原発の爆発で私は自分の故郷を失いたくはないからだ。

    昨日の福島地裁の判決だったろうか。
    故郷を失い、帰れないという事実に直面したある主婦が、
    一時帰宅の束の間に、自死したということで、家族が東電相手に訴訟を起こした。
    当たり前だろう。こんな非道な公害はないのだから。
    まさに、この放射能汚染という公害は、司法で糾弾されるべき問題だと思っている。

    新潟には新潟水俣病があった。
    鹿瀬電工が有機水銀を阿賀野川に垂れ流すことで、
    その水銀に汚染された魚を食べることで、
    何も知らなかった住民は、水俣病となり、苦しみの中で死に至った。
    さの訴訟に対しても、はなはだしい人権被害は存在していた。

    だから、患者さんは黙ってその声を消す人も多かったと聞く。
    私は、何も語れない。
    私には、何も言えないのかもしれない。
    ただ、今回自死を選んだ彼女には、
    公害によって甚大な被害を受け、人生を失った人の一人としての償いの保証は、
    当然あるべきことだと思っている。

    福島の原発事故は、国と一企業による。、
    国民の基本的な人権を侵す、甚大なる公害なんである。
    それも、広島・長崎における被曝という許しがたい事実を経験した国家が、
    国家の意図により、被爆者を作ってしまい、
    その放射能で汚染された地域は、再び人が住むことも、いのちを育てることもできない、
    不毛なる放射能汚染の国土としてしまったのだから、
    その責任は、誰が見ても明らかだと、私は思う。

    鹿瀬の電工は、接待に自らの責任を認めなかった。
    そして、国も公の研究機関も有機水銀と水俣病の因果関係を認めることはなく、
    この訴訟は無駄に多くの年月を経て、今日に至っている。

    簡単なことだ。
    自分の故郷を東電によって奪われた人たちは、個人の名によって訴訟しよう。
    個人が無理ならば、訴訟の団体を形成して、東電を訴えるべきである。
    鹿瀬の企業がそうであったように、これは国と一企業が行った許しがたい公害なんだ。
    どうして、それをお国の方針だからと、被爆者・被災者は黙っているのだろうか。

    福島の原発の収束は、40年、50年後だそうだ。
    今もあの原発の放射能汚染の現場で、いのちがけて戦っている人たちがいてくれる。
    頭が下がる。涙が流れる。

    そんな中で、最近のニュースは、原発の再稼働のことばかりだ。
    何かおかしいのではないだろうか。
    有機水銀は、経済の発展のために流し続けてもよいとのことらしい。

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  • from: クマドンさん

    2014年08月27日 21時25分53秒

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    Jさんが来た。


    さて、復活の第一歩はこうして文を書くことだ。
    親父たちよについては、これからも生きている間は続けたいと思っている。
    書くことが、ある意味私の使命のような気がするからだ。
    書くことでやっとわかることがある。
    自分なんて自分でありながら、自分のことを本当には分かっていないものなのだ。

    分からないなりに、分からないからこそ、
    私は、私として生きる道を進むことができたのかも知れない。
    30日に新津の植物園で「学校の森」の集いが計画されている。
    そこに、我が人生の師とともに参加する予定だ。
    明日の新潟日報の朝刊に私の実践が紹介される。
    そうやって我が道を生きてきた私であるかもしれなかった。

    ただし、見失っているものがある。
    今の自分をとらえきれない自分もいる。
    今夜は56歳最後の夜である。
    明日は、57歳のクマさんとしてこの世に生きる予定である。
    でも、でも、何も分からないのだ。

    今夕に我が心友のJさんが訪ねてくれた。
    嬉しいものだった。
    人は独りで生きていても、独りでは生きられない辛さも感じている。
    その時、私はここに居るよとという心友からのメッセージは、
    やっぱりありがいたものだった。

    彼は、今頃プールで黙々と何千メートルと泳いでいることだろう。
    ランの10キロは当たり前だ。
    そうやって自分を追い込んで、飯のようにしてトレーニングをかする男だった。

    人は、いろいろだ。
    そのいろいろの中に、私は繋がりを求めて、いかに生きるかを問うているらしい。
    57歳の誕生日は、そんな修羅の中で迎えられる。

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  • from: クマドンさん

    2014年08月26日 21時21分06秒

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    さてさて、疾風怒濤

    どうにもならないな。
    やっと書いた文章が、あっという間に消えてしまった。
    疾風怒濤が人生だ。
    こんな日々については、誰も私も予想してはいなかった。
    それでも、ここで生かされている。
    そこには、やっぱり何かの意味があるのだと、かすかに信じている私だった。

    人生は、舞台である。
    確かにそうだった。
    それも、登場人物にはその筋書きも、結末も明かされてはいないのだ。
    まさかこんなことになろうとは。
    それは、人生を生きた人たちが感ずる結末であるかも知れない。

    ただし、人生には結末はないのだ。
    途中の会こそが、私の永遠なる会であるとは今は思っている。
    答えを求めたとしても、その答えに出会うまでは、あまりにも人生は短いのだ。

    またまた、弱い私がむくむくと起きだしてきた。
    それは安逸と平穏とから自ら離れた生き方を選んだからだった。
    そこには闇があろうとも、やっぱりそこへの道を選んでしまう私だった。
    それが、業であり、宿命であったのかも知れない。

    とどまることもできる。
    出家することもできる。
    さてさて、人はそんな岐路でどんな道を選ぶのだろうか。
    選択し、決断し、その行く道を決めて、その道を歩む。
    それしか日々の生き方はないのではないだろうか。

    今、ここに迷いつつ生かされている。
    1日だけは生き延びる。
    それだけなんだなぁ。
    またまた、その弱さと痛みとの中で、暗中模索をに自分自身に絶望したりしている。
    でも、生きることが大事なのだ。

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  • from: クマドンさん

    2014年08月25日 21時28分14秒

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    こんな形での復活だよ

    久しぶりの登場です。
    なんだかわくわくとしますね。
    オーナーでありながら、オーナーとしての復活ではありません。
    いろいろとあった人生の中での、ある選択肢からの発信です。

    やっぱり言葉を紡がないと生きていはいけないことを悟りました。
    言葉とは、やっぱり生きる力そのものなのです。
    もし、自分が迷ったり、どうしてよいのか途方にくれたりしたら、
    言葉を探すといいと思いました。
    言葉を探す・・・・・ではなく、
    言葉と出会う希望とでも言うのでしょうか。
    そこで「あなたでしたか」とヒットしたら、
    きっと生きられるのだと思います。

    今、暗中模索の中での暮らしです。
    ここから先にいったい何があるのか、
    それは、お地蔵様だけが知っています。

    へぇっ、そうなんだ。
    私がやってきたことは、私が積み上げてきたことが、
    それはそれであっという間に消えてしまった。
    でも、私はここに生きている。
    それでは、いかに生きていくつもりなのか。
    そのことを問い続けるために、私は生きているのではないかと、
    今は、思うようになった。

    私の後には確かに道はできる。
    でも、いつもそこから私はおさらばをして、
    また弧なる道に歩みださなくてはいけなくなってしまう。

    あっちこっちに不義理とご迷惑をかけて、
    それでも、そんな修羅の道を歩かざるを得ない。
    へぇっ、私とはよっぽどのばかなんだなぁとつくづく思った。
    しかし、やっぱりこの道を歩く。

    どうなっているんだろうか。
    という、私の愚かなる道を、やっとここで表現できる環境になった。
    これは、親父たちよのパート2なのだ。
    「林住期」を言い渡された親父が、
    戸惑い、辛さを抱え、痛みを感じながらも、
    日々生きていかざるを得ないこの人生は、
    やっぱり記憶にとどめておかなければ、
    子供たちへの遺言にならなすと感じて、また筆をとった。

    それだけなんだ。ただ、自分と向き合って生きたいだけなんだ。

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