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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018年06月29日 10時31分32秒

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    決勝T進出おめでとう。西野監督・選手のみなさん

    ああいう闘い方もある。
    人はそれぞれの想いで勝手なことを言う。
    でも、どう戦うかは、その場で瞬時に決断しなければならない。
    いつも人の意見ばかり気にしていたら、
    こんな闘い方はできないだろう。
    人からの評価を気にする人に、きちんとした決断はできないからだ。

    その選択は、賭けだった。
    もし、セネガルが1点入れていたら、日本の負けは決まる。
    ラスト10分間。
    あれは、サッカーではなかった。
    あんなサッカーは、確かに指揮官も不本意だった。
    選手たちもどんな想いであのボールを回し続けたのだろうか。
    しかし、その闘いを続けた。
    それは、自問自答の闘いであったかもしれない。

    そんな無様になっても勝ちたいのか。
    いや、決勝Tへの進出が使命なんだ。
    そんな二つの意見のせめぎ合いだった。
    長谷部選手が入り、指揮官の意図を伝え、全員の気持ちを統率した。
    もし、その中の1人でもこの指示に従わなかったら・・・・。
    誰か一人がイェローカードをもらっていたら。
    ポーランドが怒濤の攻めで、攻撃して来たら。
    しかし、現実は、そうならなかった。

    指揮官の指示に従い、引いて守り、ポーランドは攻めなかった。
    試合終了の後、他会場の結果が分かってからも、
    監督には、笑顔はなかった。
    「あれしかなかった」と、そう自分自身に言い聞かせていた。

    私たちが観たのは、サッカーではあるが、心の闘い・心の葛藤だった。
    幾つかの選択肢がある。
    しかし、たとえそのどれをとっても賛否は別れる。
    コーチたちにも意見を求める。
    しかし、決断するのは監督自身だ。
    全ての責任は監督にあるというのは、つまり、こういうことだ。

    それをさせたのは。
    そうしたのは、監督の決断と指示なんだ。
    だから、責任者としての責を監督は独りで受ける覚悟をしていた。
    その覚悟に、その監督への信頼感に、選手は動いた。
    自分を捨てた。
    まず、その決定に意志を統一した。
    そういうドラマを、私たちは監督と選手たちによって見せてもらった。
    私は、そう想っている。

    できても、できなくても。
    やっても、やらなくても。
    人は、やっぱりひの人に対してとやかく言うものだった。
    私は、よくそんな言葉や批判にさらされる。
    なんだかんだと言われ、ただ黙っていることも多かった。
    仕方ないと思っている。
    どうして人は、自分のことを忘れて、人のことを批判できるのだろうか。
    人のことを悪く言っている人の傍には近づきたくないものだ。

    私がよく言われるのは、私がその人の言うことに従わないからだ。
    私がきっと自分の意見をはっきりと言うからだ。
    年長者の言うことをきかない。
    勝手なことばかりする。からだ。
    でも、やっぱりその方が合理的で、みんなのためになるのなら、
    やってみたいが、私の基本だ。
    「口ばっかりで、何もしない」
    「無責任んな男だ」と、言われていることも知っている。
    でも、やめない。

    そんな無責任な私のおかげで、
    復活したものや新たに誕生したものもあるからだ。
    それは、上手くいかないことも多いし、人に迷惑をかけることもある。
    でも、私は、そうだからと言って、やらないよりいいのではないかと思っている。
    動かなければ、何も変わらない。
    言わなければ、次に繋がらない。
    パワハラに忖度して諦めて黙っているより、
    自分からやってみて、がんがんパワハラに攻撃されることを私は選ぶ。

    傍から文句を言う人は、何もしていない人たちばかりだ。
    もし、自分から何かをやってことのある人は、
    きっと私と同じような失敗をして、人に迷惑をかけ、困らせたことがあるから、
    そんな酷いことは決して言わない。
    何も言えなくても、黙って見ている。見守ってくれている。

    常に、何かをすれば、賛否両論。鵜の目鷹の目。
    まぁ、そんなことはどうでもいいことなんだと、
    やっと60歳にして居直れるようになった。
    こんだけさんざんいろんなことを言われてみると、
    何だかそんな無責任な言葉に意味の無いこともよく分かる。
    しゃぁ、お前やってみろと言われても、
    誰もその代わりはできないし、やる気もないのだ。
    でも、口だけは出す。批判はする。陰口を言う。

    監督は、みんな分かって、そうやった。
    そして、日本は決勝Tに進出した。
    「日本は、3敗して敗退ですね」と、サッカー解説者は心に想っていた。
    「親父ジャパン」と、揶揄された。
    本当は、決勝T進出を信じていた人は、どれだけいたことか。
    この私も申し訳なく想っている。
    なのに、彼は選手たちは、その夢を実現した。
    ベスト16なんだ。

    学ぶべきは、勝ち負けではない。
    あの局面に立たされ、
    批判を浴びることを覚悟で賭けた監督と選手の決断と勇気だ。
    人は勝手なことを言う生き物だ。
    それは、それで仕方ない。
    しかし、自分はどう闘うのか、決めるのは人ではない、自分自身だ。

    これからも、私は、そうやって生きて行きたいと、今も、想う。

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  • from: クマドンさん

    2018年06月28日 15時55分39秒

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    次男の引っ越し

    やっと目が覚めた。
    というか、身体がぼろぼろだ。
    昨日は大先輩お二人との飲み会だった。
    日本酒が出て、がんがんつがれた頃から記憶が曖昧だ。
    まだらなんだな。

    確かに松浜行のバスにKさんと乗ったことを覚えている。
    布団の中で寝ていたのだから、ちゃんと帰ったことは間違いなかった。
    今、このキーボードを打ちながら、ふらついている私。
    先週の水曜日から昨日までの八日間。
    何と言う酔いどれの日々であったことかと、反省、反省。

    たった今、次男の荷物を運ぶために、引っ越屋さんが到着だった。
    いよいよ彼は、川崎市に行ってしまう。
    今晩が最後の我が家になり、明日は出発進行だ。
    出て行く彼も不安があるだろう。
    24年間。ずっと我が家で彼は暮らした。
    初めての独り暮らしだ。
    それも、知らない土地で、大都会で、アパートでだ。
    私も東京で4年間暮らしたからよく分かる。
    都会って、何だか、とても孤独なんだな。

    いつも餌を求めてやって来た雀も、産毛が生え代わり、巣立って行った。
    ずっと母親から嘴で餌をもらっていた小雀たちは、
    もうすっかり独り立ちして、母親とも飛んでこなくなった。
    ああ、みんなそうなんだなぁと、
    何だかいつも生き物に教えられる。
    いつまでもここに居ては駄目なんだ。
    いつかはやっぱり、家を出ないと・・・・。

    遺される私たちは、また寂しくなるなぁと、ふと想う。
    彼は東京都品川区の支社への転勤だった。
    そこで、新たな同僚と上司の下で仕事に励む。
    家事をみんな私たちがやって来た。
    それでも、向こうに行ったら全部自分でこなさねばならない。
    そうやって、私も家事を覚えた。
    お金の大切さ、ありがたさもそうだった。

    親と離れて、しみじみと感ずるものがあった。
    彼は、きっと私のことを善くは想っていないから、
    こうして離れて暮らすことは、何も抵抗を感じないとは想う。
    しかし、人は、本当に孤独にならないと大人にはならない。
    そんな意味でも、この自立は彼にとっては吉となるだろう。
    親としては、寂しく、哀しい。

    私は、本当に彼のことが可愛くて仕方ないからだ。
    それだからこそ、そろそろ潮時、別れ目なんだと思っている。
    「荷物、まとめるの、手伝おうか」と、声をかけた。
    「いい、自分のことは自分でやる」と、つれない返事。
    二日酔いで全く使い物にならない父親に、
    確かに頼むことはないようだ。

    彼は、明日、旅立って行く。
    私と妻とは、車でその後を追い、向こうで引っ越しの手伝いをする。
    しばらくは、車での川崎詣でが続きそうだ。
    長距離の運転が苦手な私には、何とも過酷なトレーニングとなるだろう。
    彼の居ない我が家・・・・。
    何だか想像するだけで、哀しくなるなぁ。

    名前を呼んでも返事はしない。
    でも、もう名前を呼べなくなるのは、哀しいことだ。

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  • from: クマドンさん

    2018年06月27日 09時47分14秒

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    言葉なんだなぁ。今、ここに在るんだなぁ。

    言葉を生きる。
    言葉なんだな。
    その意味を自分の意味として、
    その言葉の通りに、ただ生きている。生かされる。
    それでいいと、吉野家で牛丼を食べながら、感じた。

    「生きる意味を味わうのは、魂である。
     味わえるものはどこかからやってくる。
     魂はそれを静かに受け入れる。」

    「生きるとは、魂の世話をすることだ。 ソクラテス」

    「死は肉体との別れだが、この世との決別ではない」

    「死は、新生と同義だった」

    「自らもまた魂として存在していることを自覚せざるを得ない」

    「書けないことこそ書いてみたい。
     書けないと分かっているからこそ書いてみたい」

    「究極の一冊に書かれているものは、存在そのもの、もしくは無」

    「池田にとって書くとは、生きるの異名だ」

    「言葉が宿る。それが真のいのちを帯びる時、言葉を宿した者だけでなく
     言葉を植え付けた人間も救うというのである」

    「理論ではなく、物語を把握する力」

    この言葉は、若松英輔さんの池田晶子さんに対する言葉だった。
    私は、この言葉を、あの新大病院のベッドの上で書き溜めた。
    ちいさなA6版のメモ帳見開き2ページに書いた言葉だ。

    その時、この言葉と出逢った時、
    私は、このままこの言葉を忘れてはいけない言葉と感じた。
    深い意味は、その時は、きっと理解していなかったと思う。
    しかし、痛みと回復を待つ日々の中で、
    私は、池田さんと若松さんの言葉に出会いも
    どれだけ救われたことだろうか。

    読んだ先から、出会った先から、あんなに感動していながらも、
    すぐに私は、言葉を忘れた。
    反芻して、何度も頭の中で繰り返し唱えても、
    やっぱり大事だと思った言葉を私は、忘れた。

    でも、ある時から、それでいいと思えるようになった。
    私は、通り過ぎるその流れの途中で、
    その言葉を拾った。
    そして、メモ帳に記録した。
    そんな言葉が、どんどんと病室のベッドの中で増えて行った。
    池田さんは、もうこの世に居ない人だった。

    若松さんの著書と出会って、彼女のことを私は、知った。
    そしたら、彼女の言葉が、私を触発した。
    何だかその言葉によって、
    生きることについての、原点を教えられたような気がした。
    深く深く、私の中で眠っていたものが、目覚めた。

    そして、私が、私であることを、
    この池田さんと若松さんの言葉が、表してくれた。
    「ああ、こうだったんだ」
    「そうだ。こう生きていれば、それでいいんだ」
    いつしか、私は、
    その言葉のように生きたいなぁと、想うようになった。
    そして、時々、こうしてそのメモを振り返る。
    牛丼を味わうように、冷酒を味わうように、私は、言葉を味わった。

    何だか言葉と共に在るものを、私は感じたいと願っていた。
    牛丼の味わいは、いつもと変わらぬ味わいだ。
    しかし、この味は、あの牛肉とご飯と玉ねぎとを口に入れて味わう時だけ、
    私が感じられる味でもあった。
    それは、ライブであり。ナウであり。今、ここである。
    味わうとは、その瞬間そこしか存在しない行為でもあった。

    つまり、味覚は吉野家の牛丼の味を味わう。
    私は、それと同じようにして、今、この時を味わって生きている。
    それでけで、いいのではないかと、
    毎日何事も無く、日々を平穏に生活して夜を迎え、ただ眠る私。

    昨日は、連日の酒の飲み続けと、31度の蒸し暑さに、
    少々グロッキーな私だった。
    だから、横になった。
    そして、ぐったりとして賢治さんの童話・物語を読んでいた。
    部屋に友だちが欲しかったのか、
    私は2本のヒマワリとフリージアのような花を買って、花瓶に入れた。
    切り花もいいものだ。
    ここに、こんなに傍に、いつも居てくれる。

    それから、夕方、難儀な身体を起こして、バス停まで歩いた。
    コンサートに行くためだった。
    スロバキア国立放送交響楽団。
    「未完成」「運命」「新世界」
    何と言うコンサートだろうか。
    県民会館の入りは、5割くらいかな。
    そして、私は、その音に酔いしれた。楽しんだ。心をときめかせた。
    あっと言う間の2時間だった。
    私は、音を感じた。その音を味わった。その音は、私の魂を楽しませた。
    それだけ。ただ、きっと、それだけ。
    それでいいし、それがいい。

    感じて、動く。
    それが、生きているということではないだろうか。
    ここにある。
    そのここにあるものを、感じ、考え、想い、味わう。

    さてさて、さっきもないし、先もない。
    今、ここにある。
    それを感じている私が居るだけ。

    今日は、朝から雨だった。
    今は、その雨が上がり、蒸し暑さが増して来た。

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  • from: クマドンさん

    2018年06月26日 11時22分10秒

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    人は、「言葉」を遺す

    何だか身体がだるいから、家事の後は何もしない。
    何もしない日があってもいいじゃないか。
    ぼけっと一日中過ごしていてもいいじゃないか。
    本当に疾風怒濤の日々の中、命を削って酒を飲んで生きている。

    退職したら何をしようかなぁ。
    ちょっとの間は、お休みさせてもらおうかなぁ。
    暇を持てあまして、退屈するかなぁ・・・は、全く無かった。
    こうしてビッシリと入れたスケジュールに少々疲弊気味だ。

    昨日Sさんと電話で話した。
    お互いに人生を語り合った。
    Sさん81歳。私60歳だ。
    そして、ふとふと気付いたことがあった。
    それは、言葉についてだった。

    Sさんは小千谷の東山で「木のこん」という親子の自然体験の場で活動している。
    面白くてしょうがないと、よくよく聞かされる。
    私は、そうしたSさんの感性で発見され、気付かれたことを、
    是非、言葉に表し、広くネットで発信してほしいとずっと前からお願いしていた。
    そんな話にまたなった時だ、
    ふと、気付いたことがある。

    「ああ、言葉って、種ではないか」ということだった。
    私たちは自然の中で、「あっ、そうか。そうだったんだ」と気付くことがある。
    私は、この小さな庭の草花や昆虫、鳥たちにいつも教えをいただいている。
    本当に大事なこととは、単純なことだ。
    当たり前のことなんだが、すっかり忘れていたことだった。
    でも、自然のいのちは、ずっとそのことで生かされている。
    どう生きようか。こう生きようか。
    そんなことは、考える必要もなく、考える必然もない。
    ただ、その「はたらき」のまま、生かされている。

    そのことを、ただ感ずるままに「味わって」生きている。
    その何も無い時間の流れに、流されるままに、そこで生きる。
    すると、そこに同じく生かされている自然のいのちと同事になる。
    彼は、我で。
    我は、彼に他ならない。
    違っていて、同じなんだ。

    そこでなんだな。
    私がこうしてここでその気付きを「言葉」で表す。
    その「言葉」は、そのいのちの意味の「種」となる。
    自然の全てのいのちは、次にいのちを繋げる為に懸命に生きている。
    本当は、花は自分自身のために咲いているのではないんだな。
    結実し、「種」を遺すために、花は咲く。
    そして、その「種」は、とにかくあっちこっちに散らばかれる。
    飛んで行く。運ばれる。
    その先にその「種」は落ちる。

    しかし、全ての種が育つわけではない。
    イエスの言う「畑の譬え」だ。
    良き畑に撒かれた種だけが、その地で根を伸ばし、発芽する。
    芽を出し、お日様を浴び、雨に濡れ、風を感じる。
    根毛は大地の隅々まで伸びて行き、水をずっと探し求める。
    そして、その大地の深いところには、「水源」がきっとある。
    根っこはそこにたどり着き、そこから湧き出る水を飲む。飲む。

    さてさて、人としての私ができることも、同じではないかという話。
    つまり、後の人たちのために、「言葉」の「種」を撒く。
    もう歳だし、花の盛りはとうに終わっている。
    今、じっと黙って、成熟を待っている日々だ。
    まだまだ、月日と時間とはかかるようだが、
    そろそろ、実感したことが「言葉」の種になろうとしている。

    私たちが、きっと次の人たちにつなげられるものとは、
    いのちではなく、この「言葉」の「種」なのではないかという話だった。
    だから、Sさん、種を撒いてくださいだった。
    Sさんの気付きや発見、感動をそのまま言葉にして、
    短い文で表現する。
    まず、ここから。

    花は、咲く。
    鳥は、飛ぶ。
    海は、轟く。
    人は、言葉で語る。

    次に、その言葉を「種」のように飛ばす。運んでもらう。繋げる。伝える。
    そのための手段は、インターネット・HP。
    きっとその深い意味ある言葉は、心ある人の想いと言う畑に落ちる。
    そして、そこで根を張り、発芽する。
    Sさんの発した「言葉の種」は、その人の心の想いとなって成長する。
    我が家の畑のかぼちゃの大きな緑色の葉っぱの数々も、
    たった一粒の小さな種から生まれ、育ったものだった。

    言葉は、種なんだ。
    私は、どれだけ「言葉の種」で育てられたことだろう。
    その言葉と出逢わなかったら、
    その言葉に感動しなかったら、
    こうした私としての生き方は、存在しなかったと、想うことがよくある。
    あの人と出会ったからの今なんだ。
    あの人から教えられたからの今なんだ。

    ということは、私もSさんも、
    その「言葉の種」を、次の人たちに受け継いでいく使命があるのだと、
    そんな気が、互いに語り合いながら、してきた。
    不思議だけれど、そう考えると、今、ここで生きている「意味」がある。
    深く感じ、深く気付いた人は、その「言葉」を託された人なんだ。
    だから、その人は、語るべき人であり、記すべき人となる。

    どうでもいいことではなく、大事なことなら、
    やっぱりそのことを「言葉」に表し、伝えることではないだろうか。
    私が感動する「言葉」は、今は、死者たちからのメッセージだ。
    でも、その「言葉」一つ一つが種として、私の心に移植された。
    そして、こうして私と言う人の生き方の羅針盤となっている。
    私は、やっぱり「言葉」で生かされた人の独りだ。

    Sさんは、「水源」と言った。
    深く深く在るそこに到れば、水はこんこんと自ずから湧き出してくる。
    そして、人にとってのそのいのちの皆元である「水源」とは、
    「言葉」なのではないだろうか。
    私は、「言葉」で生かされている。
    それは、不思議だが、確かなことだった。

    だから、Sさんには、その「言葉」を語ってもらいたい。
    その「言葉」を遺してもらいたい。
    その「言葉」を伝えて、広げてもらいたい。
    確かに、千人の中の1人かも知れない。
    999個の種は、育たないかもしれない。
    でも、1個が根を張り、発芽すれば、
    そのSさんの「言葉」は、そこで確実に受け継がれて、生きて、育つ。

    人は、「言葉」を遺すのではないだろうか。

    花は、咲く。
    鳥は、飛ぶ。
    海は、轟く。
    人は、言葉を遺す。

    何だな。
    そう考えると、賢治さんのように「物語」を遺す意味はとてもとても深いんだ。
    何だろうね。
    だから、私もこんな駄文をここに書き続けている。
    不思議たけど、歳をとりながら、だんだんSさんもを私も、
    その水源であるいのちの皆元=「言葉」に近づいて来たような気がしている。

    Sさん。
    書いてください。
    Sさんのその「言葉」を遺してください。

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  • from: クマドンさん

    2018年06月25日 14時42分01秒

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    あったこと。あったこと。

    そして、まだまだ飲み続けなければならない。
    これは、宿命なんだなぁと、つくづく感ずる。
    夜中の2時過ぎまで、大絶叫だったな。
    我が家はパブリックビューイングと化し、
    次男の友達が4人。我が家族が4人。
    乾のゴールと、本田のゴールに大絶叫だった。
    近隣の皆様には、多大なご迷惑をおかけしたことをここで深くお詫びする。

    とにかく、川村のマネへの絶妙なアシストが無かったら、
    あの試合は勝てていた。
    私は、そう信じている。
    今は、寝不足と二日酔いのために、
    身体が重く、生活そのものも難儀で難儀でだった。
    昼に拉麺をこさえて食べた。
    やったことは、それだけかな。
    つくづく酒を辞めねばと反省反省だ。

    酒が抜けたと感じられるのは、夕方だった。
    すると、庭の草花に水くれをしながら、
    何だか酒を飲みたくなってしまうのが、不思議な身体だ。
    今日ぐらいは休まねばと自重するのだが、
    ついつい用事のついでに飲んでしまう。
    そんな酒循環に陥ってしまったようだ。

    その間、とにかくいろいろなことをやっている。
    とうとう念願だった「大山台農園クラブ」の総会を開催できた。
    19名のクラブ員で、この活動を始められたことを喜んでいる。
    市からの活動助成をいただき、
    どれだけ福祉施設の人たちや地域の高齢者に還元できるかだった。
    さっそく、日曜日の朝8時に畑に集まり、
    芝草や小石で一ぱいの畑の整備作業だった。
    動き始めた。
    それを、どのようにして一人一人の喜びにして、
    持続可能な活動とするかだった。

    土曜日には、「ヒューマン・ライブラリー」の研修会に参加だった。
    人が、「本」になる。
    読者は、自分が読みたい本を選択して、その本の話を聴く。
    時には、感想を話したり、質問をしたりする。
    社会においてのマイノリティーの人たちの想いの伝達。
    障害のある人。その障害のある人の親。LGBTの人。
    私は、実は、私を含めて全ての人には、
    語りたい物語があるのではないのかと、感じた。
    語る人がここに居る。実体験だ。想いがたっぷりと込められた言葉ばかり。
    本の活字からの伝達ではなく、語りによるこの伝え方に深いものを感じた。

    私は、帰りにまた「SIN」さんの店に行った。
    そして、いつのまにか彼に本になってもらって、
    ずっとずっと彼の語りを聴いていた。
    「深い人」だなぁと感じ、「意味をもって生きている人」だなぁと感動した。
    それが活字ではなく、本人の声でその物語を聴くことができた。
    幸せな一時だった。
    このお店で「ヒューマン・ライブラリー」ができないかと、ふと考えた。

    帰ろうとしたら、隣のコーヒー店に何と何とシルバーのエスプレッソマシンがあった。
    「あっ、イタリア製だ」
    私は、酔っぱらってこの店に飛び込んだ。
    そして、二人の女性のお客さんにエスプレッソのうんちくをタレ、
    深い味とはもっともっと深くなる味なんだと、語っていた。
    今度は、私が「本」になっていた。
    こうして「読者」が傍に居てくれることが、ありがたかったな。
    この店のエスプレッソ、絶品である。
    美味かったなあ。また、行こう。

    そして、金曜日には「新潟戊辰150年」の講演会だった。
    万代市民会館のホールが満席だった。
    いかにこの戊辰戦争に興味関心をもっている人が多いことかだった。
    そのことについては、後日、詳しくここに書きたい。

    そして、松浜のKさんの「賢治の会」への参加だった。
    面白かったな。食われる者たちが、語りながら食われて行くことの面白さ。
    そして、そのブラックユーモアの中に、
    今、この時代のワイドショーに登場する偉い人たちそのものの姿が現されている。
    いつの時代も人間の愚かさには変わりないようだ。
    「本」としての「物語」の面白さに魅了された。
    この会には、60代70代の女性たちが7名の参加だった。
    それぞれが賢治物語を輪読して、感想を述べあう会だ。
    その時に騙られるその話が、またまた愉快で深い深いお話しばかりだ。
    人は、やっぱり物語を生きているんだなぁと、いつもいつも感動だった。

    こうやって振り返りつつ、今に、戻った。
    これから、ヨガに行く。
    何と連続5日の二日酔いのために、
    あれだけ頑張ったヨガの早朝稽古を5日間休んでいるのだ。
    まだ頭がふらついているが、ヨガでしっゃきとして来たい。

    そして、夜には地域の小学校の先生方と民生委員の懇親会だ。
    月曜日から飲み会なんだな。

    実は、もうへとへとなんだ。
    この「親父たちよ」も、こんな時刻に書いている。
    長生きはできないなぁ・・・・。
    実感だった。

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  • from: クマドンさん

    2018年06月22日 13時36分43秒

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    クマさんは、バーに居る

    飲み続けた二日間。
    今は、討ち死に寸前だった。
    本当に飲み始めると、次々と飲むことになる。
    昼酒はご法度としているのだが、そうもいかないこともある。

    水曜日は地域の中学校との情報交換会だった。
    そして、懇親会も必ず用意されている。
    飲み放題だと、やっぱりその分歯止めが効かなくなってしまうらしい。
    ただし、日本酒は最後に取っておく。
    日本酒は翌日に残る身体となったからだ。

    こうして退職してから、こうした会には自分から出るようにしている。
    酒の席で隣になった人から、いろいろと教わることも多いからだ。
    それに、地域での知り合いを増やすことは、
    ここで日ごろを生活している私には大切なネットワークとなる。
    だから、会合には出る。
    そして、そこで1人でも新しい知り合いを作る。

    また、久しぶりの人との再会も嬉しいものだ。
    こうした会が無いと、この再会も難しかった。
    何かの集まりがあるから、彼も私も参加した。
    そして、ここで再会することができた。
    だから、会には出るものだとつくづく感じた。

    帰りに末広町のカウンターバルに行った。
    酩酊していてもやっぱり行ってしまう私だった。
    Sさんがマスターだ。
    私は、このお店を知り合いから紹介され、
    一度入ってから、とてもディープなファンとなった。
    まず、黒いタイルのカウンターがいい。
    そして、1000円で飲めるところがいい。
    マスターは、大人で何でも話を聴いてくれるところがいい。
    何よりもマスターを慕って集まっているお客さんがいい。

    そして、お客さんの女性がみんな美しいこともいいことだった。
    本当に待ってましたの立ち飲みだった。
    私は、かっての沼垂四つ角にあった「山小屋」を思い出した。
    この店も4時から飲める。
    いつかその時刻には山小屋のようにして、
    濃い濃い常連さんが集まることだろうと期待している。

    町のことは、町の居酒屋で話せば決まる。
    このカウンターこそが、まちづくりの場でもあった。
    私は、さっそくマスターにある企画を持ち込んだ。
    かって山ノ下市場の「なじらや」でやっていたコンサートを、
    この店の2階で復活させようとの企画だった。
    詳細は後日書くが、マスターも乗り気だったのは嬉しかったな。

    まず、こちらから仕掛けることだ。
    そして、新しいお客さんにこの店を知ってもらうことだ。
    私がそうであったように、なかなか重い扉を開けて入るには、
    何だか勇気の居るお店だった。
    私は知り合いから教えられたから独りで入れたが、
    知らない人は、きっと躊躇するだろうなぁだった。

    しかし、1000円で飲める立ち飲みが欲しいと願っていたら、
    このお店が登場した。
    なかなか入りづらいなぁと感じていたら、
    知り合いが紹介してくれた。
    そして、マスターが実に素敵なダンディーだった。
    話が面白いし、話をとことん聴いてくれる。
    こんなお店が、とうとう山ノ下に出来たのだ。

    さてさて、とにかく続けてもらうためには、
    お客さんを増やすことだ。
    私が何度通ったってたかがしれている。
    もし、このメッセージを読んで興味のある人は、ぜひぜひ行ってもらいたい。
    「SIN」さんのお店だ。
    末広橋バス停近く。
    まちづくりセンター駐車場真ん前。
    三件並んだ一番左の黒い扉。

    クマさんは、バーに居る。
    さてさて、実は、昨夜も泥酔しながら、飲んできた。

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  • from: クマドンさん

    2018年06月20日 09時26分44秒

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    これが、サッカーだ

    歓喜の瞬間だった。
    試合を観ていて、これだけ雄叫びを上げ、歓喜できるものはあるのか。
    日本中がこの勝利に歓喜し、雄叫びを上げた。
    サッカーのもっているそのパワーのすごさを、
    またまたここで感じさせられた。

    予想では引き分けも難しい現実だった。
    みんなそれを知っていても、口には出さない。
    ただ、何とかいい試合をしてほしいの気持ちだった。
    解説者も選手たちもサポーターも、
    「絶対勝てる」とは、言わなかったし、言えなかった。

    しかし、開始3分でのレッドカードは、
    一体誰が予想しただろうか。
    「まさか」しか存在しない。
    辺見さんの言葉ではないが、
    「例外は、めったにない。常に、いつもどこでも例外は存在する」だな。
    想定外とは、全てのことが想定内の出来事だ。
    だから、やる前から諦めてはいけない。
    自分勝手に勝敗を予想し、決定してはいけない。

    いつの間にかこの強豪を相手に、
    10対11の試合になっている。
    目の前で展開されていることだけが、事実だった。
    しかし、数的有利は、勝負的な有利とではない。
    個としての実力が絶対に違う。
    相手は3人居たら数秒でカウンターのゴールだった。
    ミスをすれば、即、そのボールは相手のチャンスボールとなってしまう。

    1対1でのせめぎ合いで、やられる。取られる。かわされる。
    タフなものだと、感嘆した。
    相手の主力選手が投入だった。
    不調のためにベンチでのスタートだった。
    そして、何も準備なく出てきても、動きが上手くない。
    自分でもそのことが分かるから苛立ってファールする。
    これも、予想外の展開だった。

    とにかく、「勝つ」という想いが、後半はチーム全体で共有された。
    フルスロットルだ。
    休まない。戦い続ける。ボールを負い続け、身体をはる。
    独り独りが本気でそれをやっていた。
    想いは一つだ。
    「勝つ」ということ。
    そして、日本のためにということ。
    声援を送っているサポーターのためにということ。
    そこには、自分自身すら居なくなってしまう無心な瞬間の連続だと想う。

    本田は、交代してからたった3分後のFCだった。
    そのループは、ここしかないの軌道を描いた。
    それを信じた大迫が、DFの頭を超えて、ヘッドした。
    ボールはキーパーをかわして、ゴール右ポストへ。
    そして、はねっかえって中に入る。
    「ゴーーーーー。」
    この瞬間日本中のサッカーファンのアドネラニンが爆発した。

    こんなにも歓喜と興奮と雄叫びを与えてくれるスポーツはあるだろうか。
    何だか、私は、選手と一体感で、いつのまにか、あのピッチに立っている気がした。
    試合終了の笛が鳴った。
    その喜びを全身で噛みしめ、味わっている選手たち。
    歓声は鳴りやまない。

    さてさて、今日、これから続く、私の一日も同じことだ。
    予定を立てて、心構えを整え、いろいろと工夫しながら、
    一つ一つの時間を過ごす。
    安心・安全であり綴るためには、細心の注意と用心も必要だった。
    ただ生きているのではなく、
    この一日は、ある意味、私にとってのコロンビア戦である。

    一日を、そうやって意識的に生きている。
    どこかで、次のことを考え、それにつなげて生きている。
    小さなことも一つ一つの積み重ねだ。
    ルーテーンがあったら、それを怠けず生きている。
    もうすぐ約束の時刻だから、
    これをやめにして出かける支度をしよう。

    さてさて、私にとってのピッチは、
    この日常生活で私が立っているその場所だ。
    ゲームは止まることははなく、次々に展開が繰り返される。
    意表をついた反応も在り、まさかという瞬間もある。
    それに対しても、少しでもベターに反応をする。
    その準備がピッチに立っている私の心だ。

    何てね。
    やっぱり、何が在るか、何が起こるか分からない。
    それが、サッカーだ。それが、人生だ。
    息子のサッカーの試合を観ていていつも感じたこと。
    「これが、サッカーだ」だな。
    昨日は、そのことをワールドカップのフィールドで実証された。

    次の勝利も同じこと。
    「これがサッカーだ」と、奇跡の女神がきっと微笑んでくれるだろう。

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  • from: クマドンさん

    2018年06月19日 17時00分42秒

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    松浜に西郷さんの一カ月間の滞留

    戊辰150年。
    その年に当たり、いろいろなイベントや講演会が行われている。
    私にとっての何よりもの収穫は、
    西郷さんの松浜一カ月の滞留の事実を知ったことだった。
    昔からお世話になっているKさんの研究の成果だった。
    彼の講演会を、先週の土曜日に聴きに行った。
    そこで、改めてKさんのすごさに気付かせられた。

    西郷さんが、松浜に一カ月間滞留していたことがあるようだ。
    それは、彼が聴いた、噂程度の話だった。
    まさかあの西郷さんが、この松浜で一カ月間も生活しているわけはない。
    ただし、この地にやって来たことは史実だった。
    太夫浜の平松酒店には、西郷さんの宿営場所としての石碑が建っている。

    しかし、松浜に暮らしていたとの証拠は何かあるのか。
    そして、Kさんはかってこの史実を証明しようと奔走したある人の本と出会った。
    そこには、坂井家に西郷さんが一カ月間暮らしていたことが書かれてあった。
    また、大西郷事典?にも、松ヶ崎での記述が残されている。
    それは、彼の従者である人の書いた日記だった。
    つまり、そのことは、ちゃんとした事実だった。
    そして、彼が滞在していた坂井家は、今も松浜に残っている。
    今もそこでは坂井家の御当主が家族と一緒に暮らしている。

    慶応4年。
    鳥羽伏見の戦いが始まってから、官軍が北越を攻めた。
    奥羽列藩同盟が作られ、
    新潟の関屋では官軍と、新潟を守護していた米沢藩等の武士たちと、
    壮絶な切り合いとなった。
    西郷さんは、その戦が沈静した頃に、この新潟に春日丸で到着した。
    300名の兵士が共にいたそうだ。

    彼は、新潟に陣を敷かず、松ヶ崎に行った。
    兵たちは春日丸で待機させた。
    そして、西郷さんは、ここで一カ月間動かなかった。
    その目的は何だったか・・・・。

    そこには、敬天愛人の西郷さんらしい覚悟があったと想像できる。
    ただし、そのことを証明する資料は乏しい。
    しかし、Kさんは、そこに西郷さんの人間的な大きさを感じていた。
    不思議なことである。
    「西郷どん」というドラマは、薩摩での物語だとばかり思っていたら、
    何とあの松浜で彼は物語を醸していたんだ。

    そんな歴史がここにあったことを、私は初めて知った。
    そして、何だかそのことについてもっともっと深く追究したくなってしまった。
    これもまた、性分だから仕方ないな。
    今日の新潟日報に、松浜の歴史の会の人たちが、
    坂井家の前に滞留の謂れを記した看板を立てたことが載っている。
    Kさんが、その看板を見つめている。

    すごい人だなぁと、Kさんを尊敬する。
    西郷さんの一カ月間の滞留という史実が、
    Kさんに一冊の本を書かせた。
    その出版記念の講演会が、先週の土曜日だった。
    何だか、西郷さんがKさんを呼んだような気がした。
    不思議なものだなぁと、
    いつもいつもこうした出会いを目の当たりにすると、
    私は、つくづく感じてしまう。

    Kさんが居なかったら、
    松浜に西郷さんが一カ月間滞留した事実は、
    知られないままにいたはずだからだ。

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  • from: クマドンさん

    2018年06月18日 11時41分06秒

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    こんなことでいいのだろうか。

    今度は大阪で震度6の地震だった。
    午前中のニュース・ワイドショーは全てこの情報だった。
    ここのところ各地で地震が発生している。
    このまま何事もなければよいが、
    これが大きな災害の予兆だとしたら、
    真摯に感じなければならないことだ。

    全てのことは例外である。
    「まさか、こんなことが」は、当たり前。
    そんな状況の中で、原発を動かしているこの国は、
    本当に正常な精神を有しているのだろうか。
    大阪でこんなに大きな地震があったら、
    すぐに日本中の原発は停止すべきなのではないかと私は想う。

    次に、どれだけの地震がどこにやって来るのか、
    全く予測できないことが現状だ。
    ある時、ある原発の直下で、強度の地震が発生し、
    また、原発が爆発して、メルトダウンを起こしたとしたら、
    この国の人たちは、一体どこへ避難して、どこで生活すればいいのか。

    経済がどうのこうの。
    地元の人たちの働き口がどうのこうの。
    原発は絶対に安全だとCMでも繰り返し流しているが、
    そんなことどうでもいいことではないのかなぁと、私は想う。
    まず、この国土の安心・安全が第一だろう。

    次に、あの福島第二原発の廃炉を一刻も早く終息させることだ。
    第一原発の廃炉をやっと発表したが、
    いったい電気と企業の利益と、
    人の命と故郷の環境をどう天秤にかけているのだろかと、
    何とも情けなく感ずる。

    全ての原発を停止して、廃炉に向かう。
    そうした英断を国が行えば、
    その原発立地地域には、働き口ができ、経済的には潤うはずだ。
    廃炉は、大きなビジネスチャンスだ。
    いつまでも動くかどうかわからないまま放置しないで、
    さっそく、廃炉に取り掛かったらどうだろうか。
    すると、人が大勢集まり、廃炉に向けた20から30年間は、
    その地域は、期待される以上の経済効果がもたらされる。

    そして、爆発・放射能汚染のリスクも無くなる。
    どうして、やめられる内にやめようとしないのか、
    そこのところがもどかしく、よくよく分からないことだった。

    無尽蔵な放射能廃棄物の行き場所も、
    処理の仕方も決まっていないのに、
    まだまだその廃棄物を生産しようというこの国の責任者たちは、
    その廃棄物をどうするつもりでいるのだろうか。
    このままでは、この国に廃棄物を貯蔵するために、
    私たち人間が住める場所もなくなってしまうのではないだろうか。

    それよりか、こんなにも処理できもしない放射能物質を、
    後世の人たちに遺産として遺す、私たち先人とは、
    一体どんな生き方をしているひとたちなのだろう。

    電気が足りないと言う。
    じゃあ実験だ。
    日本中の原発を停止する。
    1年間停止する。
    その結果どうであったかを、検証する。

    もうここから先には行ってはいけない崖っぷちに立っている。
    そのことにみんなが気付きながら、それを言わない。
    これも、いつもの空気感。
    忖度をして、自分から損するカードには、自分で手は出さない。

    でも、廃炉は、ビックビジネスになる。
    どうして、そうした簡単な発想の転換ができないのだろうか。
    とにかく、停止しして、今、この国に存在する核廃棄物の量を算出する。
    その廃棄物を環境に影響なく、廃棄できたら、
    これもまたビックビジネスになる。

    原発を廃炉にすることで、新たな雇用が生まれ、
    新たなビジネスチャンスが来る。
    いいではないか。
    そろそろ壊して儲ける時が来たのではないだろうか。

    15mの津波は、想定外でした。
    こんな大きな直下型地震は想定外でした。
    想定外という言い訳は、想定内なんだから、
    そろそろ潮時と感じて、日本中の原発を廃炉にする英断を私は求める。

    まず、再稼働を言うのなら、
    福島の原発を終息させ、廃炉にしてからにしてもらいたい。

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  • from: クマドンさん

    2018年06月18日 07時39分33秒

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    二匹の先生

    昨日、庭に出て驚いた。
    「いない。どこにもいない」
    ずっとスダチの葉っぱを食べて育っていた二匹のアゲハの幼虫。
    4センチ位まで成長して、むしゃむしゃと葉っぱをかじっていた。
    毎朝、確認。
    その無事に安堵していた。

    そろそろ助けてやるかなぁとは、想っていた。
    いつものようにイチゴのパックに葉っぱごと入れて育てる。
    すると、本当に大きくなり、蛹になり、アゲハになった。
    実に感動的な光景だった。
    しかし、今回は、少し待つことにした。
    何だか、この庭で生きているアゲハに対して、
    そうした特別な救済は、不自然な気がしたからだ。

    ここまで、鳥たちの眼から逃れられたのだから、
    もう少しここで、大きくなるのを見守ろう。
    そう想った翌日のことだった。

    不在。
    本当に、ぽつねんとして消えた。
    ぱくりと食べられた。
    そして、一体そのアゲハの幼虫はどこへ行ってしまったのか。
    「分からない」
    それは、カニのお父さんの言葉。カニの子どもの言葉。
    「分からない」
    でも、きっとそこには行かねばならない日がやって来るはず。

    幼虫の突然の不在は、その潔さを私に教えた。
    何だか、昨日からずっとずっとやるせない気持ちで居る。
    ある意味、後悔だ。
    しかし、突然、二匹の幼虫が消えてしまったことで、
    私の中での何かがはじけた。
    それはとても大きな気付きだったような気がする。

    その日がもし、私にも来たなら、
    その時は、この二匹の幼虫を想うことだ。
    つまり、じたばたしない。
    その現実をしっかりと受け止める。
    それは、やられるのではなく、「覚悟する」だった。

    鳥が来た。
    目の前にとまった。
    そして、私を見ている。
    くちばしが開いて、ただぱくり。
    これって、あの賢治さんの「やまなし」のカワセミと魚だな。
    さてさて、それって誰にでもある自然な姿。

    人は、死ぬことから、自分の「生きる」を考えることだ。
    その時、周りの人を見てはいけない。
    みんな凡夫だ。みんな煩悩ならではだし、みんな迷っているからだ。
    人を見ると、だから、もっと空しく、迷うことになる。
    だから、「やめた。やめた」だ。

    人からどう想われようとも、人から何を言われようとも何の関係なく生きる。
    「天上天下唯我独尊」だな。
    私は、庭で自然のままを見ていると、
    いつもそのことに想いが到る。
    「ああ、みんな、独りで生きているなぁ」
    「ああ、みんな、終いが来たら、ちゃんと終いにするなぁ」
    「ああ、何だか未練もなく、潔いなぁ」と。

    それなのに、人と言うものはどうだろうか。
    威張っていたり、俺が俺がと自慢したり、あいつは駄目だと馬鹿にしたり、
    そうなんだな。
    自然のままから人を見ると、
    人とは、何と愚かで救いがたい存在なのかと、ふと想う。
    賢治さんの童話に登場する人間の何と傲慢で、愚かで、
    自分勝手で、威張っていることか。
    人間は、どうやっても善くは書かれない。

    ただ、木偶の坊と呼ばれ、褒められもせず、苦にもされない、
    そんな居ても居なくてもいい人が、物語の主人公となっている。
    その人たちは、自然そのものにもっともっと近い人だった。
    時には、森の声や、動物の語りや、風の音楽に深く深く感ずる人だ。

    考えると人は、おかしくなるようだ。
    とにかく、感ずることだ。
    原理・原則で凝り固まった頑固者がよくよく登場するが、
    みんなから笑いものになっていることを本人は知らないで居る。
    「山猫博士」「警察署長」「市長」「サーカスの団長」等等、
    みんな偉いと自分が思っている人たちばかりだ。
    そこに、自然なるままの子どもが登場する。
    自然なるままの動物たちが姿を顕す。
    とたんに、この頑固者たちが、滑稽な人となり果てる。

    その頑固者の周りを、おべっちゃらを使って、へぇこらへぇこらする者も居る。
    それがこの世の中なんだと、ちゃんとそのことを賢治さんは書いている。
    その通りに、国会もN大もどこやらの国の元首たちもなっている。
    その通りなんだな。
    実に滑稽で、茶番な劇なんだが、
    そんなものは、ただの造りものの、はりぼてでしかないのに、
    何だか、それだけが、正義で、全うで、世間みんなのように想わせる。
    大衆をすっかりと騙した来になってしまうんだな、これが。

    ということは、一切、金輪際、この庭には存在しないことだ。
    二匹のアゲハの幼虫は、ただその運命に静かに従い、覚悟して赴いた。
    何処へ。
    「分からない」だな。

    威張っている人。正義だと言っている人。みんなこうしていると言い切る人。
    その人の傍には、行かないことだ。
    その人とは、かかわらないことだ。
    いつか巻き込まれ、その内に、自分の意見を言おうものなら、
    「何で貴様は俺の言う通りにはしないんだ」と、怒鳴られるのが落ちだからだ。
    本当は、正義や原理や決まりや世間の常識が一番怖いんだな。

    私は、山に登って来た。
    そして、山のてっぺんからあの雄大な景色を見てきた。
    庭で、毎日、こうして何一つこだわらずに静かに行われる生き死にを観ている。
    そうすると、心は、とても穏やかになる。心が鎮まる。
    ところが、こうした人たちにかかわると、途端に腹が立つ。
    威張った人。自分だけが正しい人。世間の常識の人。人の話を聴かない人。
    難しいなぁと、ふとふと感ずる。

    宮沢賢治さんが、あの物語で描いていたことは、
    これだったんだなぁと、またまた、二匹の幼虫に教えられた。

    不思議なんだなぁ。
    人に学ぶことは、「そうありたくないな」で学ぶことが多い。
    しかし、自然から学ぶことは「かくありたいな」と感ずることが多い。

    自然のままを、これからも、私の先生としたい。
    あの二匹のアゲハの幼虫に合掌だ。

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