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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2016年12月31日 10時13分26秒

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    さてさて、今年も今日で終わります

    さてさて、今年も今日が最後の一日。大晦日。
    本当にいろいろなことがありながら、よくよく生き延びたことだと感謝している。
    昨年の今頃、退院して三日目だったはずだ。
    日常生活はできるが、身体が衰弱して、力なく、へろへろで生きていた。
    だから、年末の家事は一斉できなかった。
    いつもやる大掃除とキッチンとダイニングの床のワックスがけも、
    まったくできるどころではなかった。

    歩くのもやっとの状態で、30分で行ける教会に、
    元旦に歩いたら、何と40分以上もかかってしまった。
    衰え切った身体を何とか起こしての年末・年始だった。
    それでも我が家に生還できたことは、ありがたく感じた。

    考えたら一年間は、N大病院とのお付き合いだった。
    7月にはまた腹腔ヘルニアの手術だった。
    その術後がまだここに続いている。
    がちがちに縫っ跡は、まだまだ繋がらず、固いいまま無理ができない腹筋だ。
    もし、また無理をして余計な力をかけてしまうと、
    ばらばらに繋がっていた筋肉が離れて、元に戻ってしまう。
    回復まではまだまだ半年かかるとも言われている。

    私は、この経験から何を学んだのだろうか。
    それは。いかに人とは無力な存在であるかということだった。
    そして、だからこそ。人は生かされていることを日々感謝すべきなのだ。
    そんな当たり前のことを、私は59歳でやっと学ばせられたと言える。

    傲慢で、自己中心で、どうにもならない我儘な人であったと、
    振り返るとそう想う。
    きっとどれだけの人を傷つけ、どれだけの人の信頼を失い、
    どれだけの人から呆れられたことかとも想う。
    ただ、そう生きている私自身はそのことに気付かないだけだった。
    自分が何をしているのか分からないとは、パウロの言葉。
    人が最も分からないのは、やっぱり自分自身のことかもしれない。

    客観的にその私を見るためには、
    やっぱりどうしても私のことをどん底に叩き落す必要があった。
    どうにもならない自分と向き合い、ある意味自分に絶望するしか道はなかった。
    そうでなかったら、そのままの迷い道を訳も分からず突き進んだはずだ。
    確かに、今でもこの道でいいのかと、ふと想うこともあるが、
    この道は、私を生かしくださっている大いなるタオに繋がっている道だった。

    私は、ぶっ潰されない限り、その道に気付かなかったと想う。
    こんなどうにもならない男がと、哀しいほどにどん底に落ち込まない限り、
    私には、タオからの呼びかけが、聴こえなかったのだと想っている。
    どうにもならないと、懺悔し、後悔し、呻き、苦しむから、
    私には、その私の傍らに立ち、黙って私を慈愛の眼差しで見つめている、
    その存在に、はっと気づき、吾に還ることができたのだ。

    さっきFMでフルトベングラーの「第九」が演奏されていた。
    圧倒的な迫力と速さとそのパッションはただただ歓喜そのものだった。
    この感動は、ベートーベンが苦難の宿命の中から、
    晩年、とうとう出会うことのできた歓喜の歌声と交響曲でもあった。
    音楽家の命である聴力を失った彼が、絶望ではなく「喜び」を高らかに謳う。
    「苦悩を乗り越え、歓喜に到る」
    そのタオとの真実なる出会いの喜びがあるからこそ、
    この「第九」は「第九」として、演奏され続け、感動を与え続けている。

    1935年この演奏の指揮者であるフルトベングラーも、ベルリンフィルも、
    既にこの世の人たちではない人たちによる演奏だった。
    死者からの音楽。
    ベートーベンも200年前にウィーンで生き、死んだ人だった。
    私が聴く、モーッアルトもバッハもヘンデルも、
    みんな死者からのメッセージだった。

    しかし、哀しみや悲劇を歌いながらも、そこには歓喜と希望とが謳われている。
    きっと悲しみや苦悩の後には、深い深い歓喜と希望とが在ることを、
    死者たちは知っている。
    その死者たちが見つけた人生の真実を、
    音楽家たちは音楽と言うメッセージで、生者である私に伝えている。
    それは、タオからのメッセージでもある。

    つまり、この人生には、生きる意味があるということだ。
    ただここに生きていることだけで、人生の意味は、そのままで満ち足りている。
    そして、少しでも善く生きることを願い、そのように小さな善さを重ねることで、
    日々生かされている小さないのちとしての喜びを感ずる。
    そして、この孤独と哀しみの中にこそ、小さく幸せが輝いていると、
    私は、感ずることができた。

    だから、苦難を経なければ、歓喜には至れないのだ。
    きっとそれがタオの真実・真理だと、今は語れる。
    それは、私がこうして苦難を受け入れ、それでも生かされていることを感じて、
    今、ここを、生きられるようになったからだ。

    全てのことは一つから生まれ、一つであった。
    その一つしかないのだから、その一つで生かされていればそれでいい。
    その一つに戻るためには、その一つでなくなっていた私をとごか死なせねばならない。
    その大いなる円環運動とでもいうのだろうか、
    私は、ずいぶん遠回りをしながら、ここ初めに還って来たような気がする。

    来年は、還暦を迎える。
    どうにもならない私を捨てて、ただ生きる。善く生きる。
    そこには、生きる意味の本当の原点がある気がする。
    そのことに気付かさせられるための、これまでのどうにもならない人生であった。
    苦悩は経た。旅はきっとひと段落したはずだ。
    さてさて、今、ここから、どう生かされて行くかだ。

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  • from: クマドンさん

    2016年12月30日 07時36分40秒

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    さて、言葉だ

    さてさて、言葉の力って何だろうと、感ずることが多くなった。
    言葉で、ただただ感動して涙を流す。
    時には、その涙がとめどなく溢れて、嗚咽すらしている。
    毎日、毎日、私の瞼ははれぼったく、瞳はいつも涙で赤い。
    これって何かなぁと想うことがある。
    けど、そうなんだから仕方ないなぁとも想う。
    だから、泣ける私に私はそのままでいる。

    昨日は、録画していた「こころの時代」で、
    山形小国でキリスト教の全寮制の高等学校の元校長だった人の話を聴いた。
    話を聴きながら、私は何か本当の深さに吸い込まれて行くような感じがした。
    とてもとても普段の言葉での語りだったが、
    何か深く深く私の魂に届き、その魂が聴いている、そんな感じだった。
    それは、やはり語られる言葉の真実と、
    その人の生き方そのものの誠実とが、感じられたからだと想う。

    人は、こんなに深く言葉を語れる人になれるのか。
    「問い」だと、彼も言っていた。
    生きて行くことは、「問い」を「問い」続けることだと。
    そして、人を超えた本当に大いなるものがここにはあると、
    そんな確信に満ちた、喜びと感動に満ちた眼差しで語られた神様。
    ぐっと心に迫るものがあった。

    「怖れなく生きる」
    彼は、ある日卒業を控えた三年生に「恐れているものは何か」を問うた。
    それは、怖れを感ずるものをとにかく全て書きだしていく。
    次に、書きだしたものが本当に怖ろしいものだけを3つ以内まで絞り込む。
    最後に、この怖れから解放されるために足りないものは何か、必要なものは何か。
    その「問い」を向けられたある男子生徒は、
    「先生、三日間時間をください」と、言って来たそうだ。

    そして、たくさんのそのレポートを読みながら、
    彼が発見した高校生たちの怖れとは、
    「時代が怖い」
    「人が怖い」だったそうだ。
    そして、その人とは、父であり母である親に対する怖れだった。

    その親は、私なんだ。
    私が、その父親なんだ。
    突然、瞬時に、即、私だと気付かせられた。
    「ごめんなさい」と、涙が溢れた。
    ああ、こんなに感じやすく、怖れながら、我が子は生きているんだなぁ。
    参った。参った。ただただ頭が下がった。すまないと想った。

    その学校では卒業間近に父母との懇談会を開いている。
    そこで、彼はこの生徒たちの気持ちを両親に伝えた。
    そして、ひとりひとり親たちが立って感想を述べた。
    ただ絶句する父親もいたそうだ。
    子どもたちの心を感ぜず、知らずに、いったいこれまで何をしていたのか。

    私は、子どもを傷つけて来た。
    その「問い」は、私への厳しく切ない「問い」でもあった。

    私の涙は、どこから来るのだろうか。
    今も、こうして、涙が温かい。
    「感じて、動く」この私とは、いったいどんな私なのだろう。

    この「言葉」と出会った。
    その「言葉」とは、今の私として出会った。
    その「言葉」は、だから私の中の私を揺さぶった、震えさせた。
    それは、やはり「言葉」の働きだ。

    今、ここで「言葉」と出会えたから、
    今、ここで、私は気付けた。

    「言葉」は、私を変えた。
    この「言葉」とは、いったいどこに存在しているのだろう。
    語られる言葉は、目には見えない。
    でも、私を揺さぶり、震えさせる大いなる力をもっている。

    言葉で在りたい。

    さてさて、彼のように語れる人になりたいものだ。
    言葉には、力が在る。
    言葉には、真実がある。
    その言葉は、やはり語れる人にしか語れない言葉なのかもしれない。

    「問い」とは、その言葉を語る人になれとの「問い」ではないだろうか。
    私は、その言葉を語れる人を知っている。
    私は、その言葉を語れる人と出会っている。

    人は、きっと言葉を語れる人になれるのだ。

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  • from: クマドンさん

    2016年12月29日 09時38分48秒

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    誰がやる。私でしょう。

    さてさて、たったさっき目が覚めた。
    昨夜は吉原二日目だった。
    Cさんが「飲まねけっ」との呼び出しだ。
    夕食を食べた後、吉原に向かった。

    いつもいつも彼は新しい構想を考えていた。
    福祉のパイオニア。やっぱり彼は爆走機関車である。
    まだ誰もやっていないが、誰かがやらなければならないことがある。
    その何かを彼は感じ、直ぐに実現に向けて走り出す。
    その瞬時の判断と、構想力と、資金を集める力には脱帽である。

    ここを福祉タウンにする。
    それは、私自身の夢でもあった。
    地域のど真ん中に、特別養護施設・障害者施設・ワークセンターがある。
    そこには老人が活用できる施設もあり、
    そこをうまくコーディネートすれば、
    きっと子供・障害者・高齢者との連携ができる。

    私は、福祉とは、自分ができることは人のためにして、
    自分のできないところを人の支援を受けて生活することだと考えている。
    特養に入っているお年寄りたちも、
    自分たちの力を生かし、人のために働く場所があれば、
    きっとそれが生きがいにつながるはずだ。

    そして、地域において孤と孤であったひとりひとりをその活動を通して出会わせ、
    せっかく同じ地域に住んでいる住人同志なのだから、
    挨拶からでも始めたら、それだけでも幸せな気持ちになれるのだと想う。

    必要ならば、誰かが動く。
    批判と中傷はこの世の常と想う。
    例え、孤立無援であろうとも、協力者を募りながら、
    その大事なことを形にする。現実にする。
    そして、一つができたら、その一つを徐々に大きな一つにする。
    その内に集まった人たちから声が出る。
    「今度は、こんなことをしたいですね」「次は、これだよ」と。

    昨日、Cさんと語り合って想った。
    まさに親父の会である「やろう会」の立ち上げはそんなことからの始まりだった。
    あの会を立ち上げて、みんなでわいわいとやったから、
    ここにこうして地域での飲み仲間ができた。
    みんな小学校・中学校の会長や副会長を経験した。
    あれはやっぱり大きな意識改革だったのだと、改めて想っている。

    そして、「福祉タウン」が、私たちの新たなる理想となった。
    そこには、今だからこそ、誰かが実現しなければならない理念が存在する。
    福祉とは、行政が行うものだけでなく、
    地域住民による相互扶助ではないだろうか。
    その繋がりを再構築して、やる気を出し、活性化する。
    今は、働く側でも、20年後には支援をしてもらう側となる。
    だから、今、できる人は、やればいい。

    またまた、そんな話で盛り上がり、
    帰ったら12時?だったけなぁ。
    それから、流しのある山のような食器を全部洗って片づけ、
    お米を3合といで炊飯器にタイマーで仕掛けた。
    目が覚めたらこんなにもびーかんだった。
    寝坊してもったいなかったが、
    Cさんと久しぶりにいい話ができたのが嬉しかった。

    来年からの私の働く場所が決まったようだ。

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  • from: クマドンさん

    2016年12月28日 12時32分30秒

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    さてさて、59歳だよ。

    さてさて、日が差してきた。
    さっきまで冷たい風の音と、どんよりした灰色の雲。
    向かいの家の屋根には。うっすらと雪の白。
    天気だねぇ。冬だねぇ。

    昨日は、突然の歯医者だった。
    ちょっと左上が疼いたので電話したら、どうぞとのこと。
    定期的な歯の掃除を二カ月怠っていた。
    検査したらそんなに悪くはなっていないが、やっぱり年による衰えだ。
    そうした意味では、身体のあちらこちらの老化が始まっている。

    帰りに、名店割烹「吉原」でちょい飲みをした。
    すると、登場したのが私の高校の大先輩のOさんだった。
    ほんのちよっとで帰ろうとしていたのに、
    このパターンは、沼垂山小屋の時と同じだった。
    彼は、先日百歳近くのお母さんを亡くしたばかりだった。
    「独りだとねぇ・・・」と、ここによく夕食を食べにくる。

    「ちょうどさ、クマさんをどうらねって誘うつもりだったんだは」と、笑っていた。
    偶然はない。人生は必然に満ちている。
    急な歯の痛みがなかったら、Oさんとは出会えなかった。
    私は、彼に聴いた。
    「Oさん、年をとって分かったことって何かある?」って。
    67歳、独り身のOさんが、ちょっと笑って応えてくれた。
    「また、ふつふつと旗を振りたくなってきたて」と。
    全共闘の猛者であった彼。
    その年になっても、まだその血が沸騰して騒ぐかねぇ。

    私は、やっぱり人は長生きをしなくちゃ分からないことがあると、
    最近、想うことばかりだった。
    こんな身体だから長生きは無理だとは諦めているが、
    しかし、こんな身体だからこそ、何だか欲がなくなり、力が抜けた。
    どうでもいいなぁと、想えるようになった。
    本当にいい加減で生きていようと想えるようにもなった。
    そして、「今、ここ」で感ずるままを、喜んでいようとも想えるようになった。

    それは、他所に楽しみを求めないということでもあった。
    ここでいいがなぁ。
    これでいいがなぁ。かな。
    Oさんのそんな熱い語りを聴きながら、私は反対だなぁとふと感じた。
    これからでかいことをすることは、何だか億劫な私だった。
    もっともっと人知れず、身近で、細やかな人助けはしたいものだとは思っている。
    だから、今更旗を振ってシュプレキコールでもないなぁと想う。
    衰えたのは、身体ばかりではない。

    家に帰ったら、何とこんな時刻でもあった。
    遅い夕食。遅くなってしまった言い訳。黙って、食べる。
    でも、ひょんなことから、言わんでもいいことを言ってしまい。
    「くそっ」とばかりに、部屋に籠った。
    実は、酒に本当に弱くなっていたんだなぁ。
    自重して、自制していたのに、Oさんに注がれるままに飲んでいた私。
    ここにも老いの衰えを感じた。
    何であんなことを言ってしまったのかと、朝から小さく小さくなっている。

    私は、年をとり、衰えた。
    でも、そのことを哀しいとは想わない。
    自然は全部ちゃんとそうなることを教えてくれているから。
    私だけを特別にとは、誰にも言えない不自然なこと。
    だから、これでいい。
    そして、こうだからこそ楽しめる「今、ここ」に気付き、
    それを行うことが日々の細やかな私の生活なのだとも想えるようになった。

    何も無い1日の単調で平凡な生活。
    でも、その中で「やれたこと」を1つずつ数えて確認だけはしている。
    「親父たちよ」を書いた。
    オシッコを忘れずに貯蔵した。
    「ひきこもり」の本を読んだ。
    歯医者に行った。
    吉原で飲み、Oさんと語った。
    最後の暴れん坊将軍だけは、記憶から消すことにする。

    さっきまでの日差しがすっかりなくなり、
    また灰色の雲がどんよりと蔽っている。
    天気は変わる、気持ちも変わる。
    いいこともあるし、そうでないこともある。

    年をとってできるようになったこととは、
    そういう自然な流れを受け入れられる感とでも言うのだろうか。
    やっぱり「いい加減」で「どうでもいい」になったことだ。

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  • from: クマドンさん

    2016年12月27日 15時11分08秒

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    Wさんからの宿題の応え

    さてさて、Wさんから宿題がもう一つ。
    今日は検査のために自宅に居なくてはならず、
    何もやることがないので、ここにWさんの問いに応えることにする。

    自然と対話をしながら、作物を作り、共同体を大切にすることが自分達に食料や燃料を与えてくれる自然を大切にする山中集落

    作物を作る営みとは、まさに「主体的な学び」だと想う。
    私も野菜を育てているので
    よく分かる。
    目の前の事象とその周りの環境から何を感じ、何を学ぶかだった。
    そして、学んだことを生かして、作物にその知恵を還元する。
    それは、自然と人との共同作業だ。

    子ども達に本当の味を伝えたい。自分達の食べるものを自分達で作ることを教えたい。
    いのちが繋がって、生かされていることを体で知ってもらいたい。

    食べるということは、生きるということ。
    それも、自分が育てた作物を食べることは、そのいのちを味わうこと。
    スーパーで買って来た大根の味と、自分が育てた大根の味は、その深さが違う。
    それは、育てたことのある人だけが感ずる実感であり、喜びだ。
    そんな喜びを子ども時代に体験させたい。
    するときっと野菜を味わえる子に育ち、
    米や野菜が自分の身体を作っていることを実感として分かるはずだ。

    自分の居場所を作り出しています
    森は子ども達の感性を刺激し眠っていたDNAを目覚めさせます。それらは芸術や科学や学問、宗教の種として子ども達のからだに刻み込まれていきます。

    心の居場所がもしも自然の中だったら、どんなに素敵なことだろう。
    ここが私の魂の故郷なのだと、その自然をまるごと感じられたら、
    それはそれは幸せなことではないだろうか。
    きっとその真っただ中で遊ぶことで、細胞の一つ一つがふつふつと目覚め、
    喜びをもって歓喜することだろう。
    細胞も自然なんだ。この身体も自然なんだ。自然でないいのちは一つもないんだ。
    だから、その感動から、歌が生まれ、詩が生まれ、知識が生まれ、笑顔が生まれる。
    大いなるものの前に立たされたちっぽけな私は、
    そこで神様としかいいようのない何かと出会うかもしれない。
    私は、幾多の山登りから、そのことを実感している。

    人生は山登りのようです。子ども達は時に黙って歩き、自分の次の一歩を自分で考えて、決め、歩きます。時に仲間と感動を分かち合い・・そのようなことが幼児にもできる自分のいのちも他の人のいのちも大切にできる子ども達を育てていくにはどうしたらよいか子ども達は遊びながら人間になっていくのです。


    生きることは、選択と決断の連続だ。それは、登山道を一歩一歩登るプロセスと同じだった。歩き続ける。そのためには、次の一歩を置くための石を見つける。そして、一歩を踏み出す。次の一歩はそこにしよう。この選択と決断の連続の中で、考える力は育っていく。自分が弱り、挫けそうになった時には、一緒に登っている人たちが励ましてくれる。分かち合い、助け合えるという信頼感。その中で、私も他の人も同じ人として実感される。いのちと私とは同じなんだと、子どもたちは自然の遊びを通して実感できるはず。いのちは、私。その実感が、人の魂をきっと育てる。


    多くのいのちと出会い、あるときにはそれを殺し、「死」ということも感じます。
    子ども達を取り囲んでいる溢れるばかりのいのちの中で、自分もそのいのちの一部であってその中に共に活かされている存在であることを、知識ではなく、理屈でもなく、自分自身の体で感じたこととして、魂に刻み込まれたこととして獲得していく

    身体に感じたことだけが、魂には刻まれる。考えたことは、そこで終わる。実感として感じたことだけが、言葉になる前の実感のままで魂には残される。そして、いつか、その時が来ると、その魂に刻まれたものが自然に熟し、発酵して、「ああ、これだ」と分かる日が来る。分かるためには、分かるものを魂に刻む必要がある。無いものを分かることはできないからだ。感ずることは、感じたことを魂に記憶することだ。そうした深い体験は、自然の中にだけあるものだ。

    自分達で一緒に暮らしを営んでいくうちに人間として大切なことを学び取っていく、そのようなところだと。そのプロセスで天候の変化、いのちの循環、労すること、感謝すること、人との協力など大切なことを学びます。

    今、人はその営みと生業とを街の中で行う。ここでは、自然は意識しなければ感じられない。残念だが、そうなんだ。冬枯れの梢にムクドリたちが止まっていた。でも、それを見て、感ずる人はどれだけいるのか。街では自然は傍にありながら、道行く人たちには気づかれない。だから、自然からの学びは少ない。それが寂しく、それが残念だ。本当に生きるために大切なことは、きっと自然が人に教えてくれたことだと私は想う。厳しい自然の中で生きるから、人は助け合って生きるのである。あの雪深い妻有の人たちのように。そして、春を迎えることで、いのちの芽吹きを感じ、生きることの喜びを謳歌できる。冬があるから、春が温かい。そして、過酷なる暑さの夏に汗を流し、秋には収穫の時を迎え、人は自然の慈しみと恵みとに感謝する。自然は、神そのものだ。太古から、自然を祈り、自然に感謝し、恵みのほんの一部でもその神に捧げる。祭りをする。
    自然と人とは一体だった。その暮らしから、人は人として大切な生き方を教わったはずてある。

    さてさて、その自然と一体となった学びの場を、今こそ復活・再生すべき時。子どもたちを再び大自然と出会わせて、自然と共に在った古の暮らしを追体験させる。子どもたちの魂に自然の言葉を刻ませる。そのことこそ、「深く生きる人」を育てる風土となるのに違いない。

    きっとWさんは、このことを言いたかったのではと、私は想う。

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  • from: クマドンさん

    2016年12月27日 09時05分07秒

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    バイクしか運転できないのに・・・・

    さてさて、アクティブラーニングだそうだ。
    Wさんから、その資料が送られて来た。
    三つの視点で授業を創る。
    「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」とのこと。
    何だこれは、15年ほど前になるかな、
    総合的な学習の時間に求められていた、「学ぶ力」「生きる力」と同じだな。
    やっぱり時代が変わると元に戻る。
    あっちに行ったり、こっちに来たり、
    本当にすぐにちよこちよこと変わっていいものなのかねぇと、教育を想う。

    「学力向上」「教科主義」「詰め込み教育」はどうなったのだろうね。
    日本の将来を決める教育の原点が、
    いつもいつも時代と共にぶれて、揺れ動き、変わってしまう。
    教育百年の大計という言葉があるが、
    今では5年でその原点も方向も変わってしまう。
    何とも情けないものだといつも想う。

    戦争を鼓舞していた頃もそうだった。
    教育が戦争へ子どもたちを駆り立てた。
    時代の変化に対応するからと仕方ないと想わせようとするが、
    本当は、人間の生き方の根幹のこと。
    時代や政治にかかわらず、しっかりとした普遍の哲学をもつべきではないだろうか。
    「人間教育」これに教育は尽きるのではないだろうか。
    そのためには、教える大人たちがしっかりと自分の生き方を見つめねばならない。
    教えることは、変わることだ。
    そんな信念が無かったら、この看板も画餅に帰することだろう。

    この三つの視点は、我が「途中の会」の大事な大事な原点でもあった。

    「主体的な学び」
    本来、学びとは主体的なもので、主体的でない学びなど存在しない。
    自ら学ぼうとすることで、初めてその学びはその人となる。
    何の為に学ぶのかとは、善く生きるために学ぶことに決まっている。
    全ての教科・領域は、その善く生きる道を学び、指し示すためにある。
    Sさんの師匠、黒田先生は「主体変容」と言われた。
    私たち「途中の会」では、その互いの生き方を語り、その生き方を問うている。
    何故なら、「今、ここ」をどう生きたら善いのか、
    79歳であろうとも、59歳であろうとも、54歳であろうとも、
    日々の課題だからだ。

    「対話的な学び」
    元々学ぶということは、語るということである。
    人は学んだことを言葉に表すことで、初めて学んだことの自覚が生まれるからだ。
    もやもやとむにゃむにゃと何かを学ぶことはできない。
    その学びを言葉で表現することで、その学びは普遍となる。
    互いに自らの学びを語り合う中で、Sさんとはいつもいつも気付きの連続だった。
    人は、視点を変えることで、新たな気付きが生まれるものだ。
    ただし、視点は、なかなかどうしてそのままの生活からは変えられないものだ。
    時には、災害に遭い、病気になり、夢破れ、絶望し、挫折し、苦難に見舞われる。
    その時、やっと人は、自分と言う存在を見つめなおせる。
    それまでの生き方を問い直す。
    「問い」がそこに生まれる。

    対話とは、その新たな視点・気付きを自分のものとすることだ。
    それから、ソクラテスがしたように、
    対話を通して「そうに決まっている」と思っていたことが、
    何だか確かではなくなり、「あれ、どうすればいいんだ」と、
    どこかで不安になり、「ああ、俺は何も知らなかったんだなぁ」と、
    無知を知る。
    ソクラテスは、何も相手には教えていない。
    ただ、自分の疑問や問いを相手に向けることで、
    相手が自分自身の語りによってその真実に気付くだけ。
    対話とは、対話が始まる前の自分と対話の後の自分とが変わっていなければ、
    それはけっして対話とは言わないものだ。

    「深い学び」
    つまり、深く生きようとしている人や、深く生きている人にしか、
    この深い学びとは存在しないのだ。
    ここでずっとずっと池田晶子さんの言葉をお借りして語っていることは、
    そのことだ。

    「長く生きることが善いことではなく、善く生きることだけが善いことだ」
    そんなソクラテスの言葉のように生きたいと願って生きることこそ、
    きっと深く生きることであり、深く学ぶことである。
    もし、そんな生き方をしていないのならば、私を含めての話だが、
    自分ができないことをどうやって教師は子どもたちに教えようというのだろうか。

    ある意味、教育の維新であった「総合的な学習の時間」が、
    いつの間にか立ち消えたのは、
    それは、教師がそう生きていなかったからだと私は想う。
    「生きる力」とは、まさにこの「アクティブラーニング」のことだったのに、
    15年ほど前にこれが新しい教育の原点だと叫ばれ、広められたのに、
    「学力低下」「ゆとり教育の弊害」と、世の中はまったく逆の方向へ向かった。
    それが、今、ここに来て、また「生きる力」だと言う。
    10年後は、きっと学力向上、「アクティブラーニング」批判が起こっているだろう。

    大事なことは、その改革を教師自ら主体的に受け止めているかということなんだ。
    総合的な学習の時間の失敗は、
    教師自らが、「主体的に学ばず」「地域や同僚と対話的に学ばず」
    自分の生き方そのものを「深く、深く問い続け、考え続けていなかった」
    からではないだろうか。
    革袋が古ければ、いくら新しい酒を入れても駄目なんだ。

    「主体的な学び「「対話的な学び」「深い学び」
    それができていると言える教師がどれだけ学校には存在しているのだろうか。
    私には、自戒を込めてそれはとも難しいことと感ぜられる。

    学校とは、ひとりひとりの人が「生き方」を学ぶ場だ。
    そして、教師とは、その「生き方」の先生であらねばならない。
    いかに生きるかの問いを持たずに、教育はできるものだろうか。
    そこには、やはり池田さんが言う、「哲学」が必須なのだと私は想う。
    時代の流れではなく、政治的な求めではなく、経済的な必要感ではなく、
    個人の尊厳を尊重し、人権を守り、自由に生きる。
    そこから教育を問い直し、立て直さなければ、
    この三つの目標は、やっぱり第二の総合的な学習の時間・生きる力となることだろう。

    バイクしか運転できない私に、大型トラックの運転を教えよと言う。
    何と無体なことだろうか。
    10年後も「アクティブラーニング」が評価され、生き残っていることを願っている。

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  • from: クマドンさん

    2016年12月27日 06時29分30秒

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    二つのポリタンク

    さてさて、N大の泌尿器科の外来だった。
    午後からだったので、ランチを展望レストランだった。
    美しい三人の女性がここで働いている。
    私は入院して居る時には、
    毎日午後はここでコーヒーを飲み、ある劇の脚本を書いていた。
    何もすることがなかったので、何か夢中になるものが欲しかったからだ。
    三人は、いつもいつも笑顔で迎えてくれる。
    そして、親切にしてくれる。
    言葉をかけてくれる。
    ありがたいとは、こういうことだった。

    外来の時には、午後ならここでランチにしている。
    「今年も終わりですね。よいお年を迎えてください」と、
    帰りがけに三人から笑顔での挨拶をもらった。
    嬉しかったなぁ。
    こんなちっぽけな私のことを知っていて、覚えていてくれる人がここに居る。

    外来の待合室には人が居なかった。
    いつもは二時間待ちが当たり前のような外来なのに、
    やけに閑散としていた。
    後で分かったことだが、新患のための時間としてここを設定しているとのことだった。
    また、私は泌尿器科の新患として病院通いが始まった。

    若い女医さんだった。
    ドクターって、本当にてきぱきと何でもはっきりと話す人が多い。
    すぐに本題に入り、CTの画像を見せてくれた。
    副腎に腫瘍があると言われても、副腎とはとごにあるのかも知らない私。
    「あのう、副腎ってどこにあるんですか」
    すると、腎臓の上にあるちっちゃな臓器だと教えてくれた。
    「あのう、どんな働きをしているんですか」
    すると、血圧や血糖値をコントロールするためのホルモンを出しているとのこと。

    私は、CTの画像で、瓢箪のようになって膨らんでいる腫瘍を見た。
    「これって、よくない腫瘍なんですかね」
    すると、それを調べてみないと何とも言えませんとのドクターの言葉。
    「どんな検査ですか」と聞くと、
    これがまた大変な検査であることを知った。

    オシッコを全て5リットルくらいのポリタンクに貯めると言うのだ。
    それも、午後2時から初めて翌日の午後2時までの全てのオシッコを。
    そして、二日目にはもう一つのポリタンクに貯め、
    その二日分のポリタンクを、三日目の午後2時にここに届けよとのことだった。
    「えっ、全部ですか」と、私は絶句。
    すると、笑顔で「そうです。全部です」と何事もなく答えられた。
    「あのぅ、仕事が・・・・。出張が・・・・。」
    すると、それでも全部ですと淡々と伝えられた。

    実物を見せてもらった。
    でかい。
    これをもって職場に、出張に行けと言うのか・・・・。無体な・・・・。
    ということで、その大きなポリ容器二つを、
    「特別ですよ」と看護師に言われて、大きな紙袋に入れて会計に向かった。

    「おいおい、災害対策の給水車じゃないんだよ」と、何だか情けなく感じた。

    昨日から、せっせと紙コップでオシッコを入れて、それをポリタンクに移している。
    実は、驚いたことがある。
    それは、一回のオシッコの量である。
    あの500mlの生ビールが入る紙コップが一杯になってしまうのだ。
    いやはや、やってみないと分からないものだ。
    「そんなでかい容器でないとだめですか」と、私が苦言を呈すると、
    「これでも足りない人が居るのですよ」と、即座に却下された。
    こんな不自由な生活が、明日の午後まで続くのだそうだ。

    内臓のことは、内臓に聴く。
    日頃から意識しながら、その声なき声を聴く感性が大事なんだ。
    身体は、私を生かすために、自分自身が生きるために、頑張ってくれている。
    しかし、現在は2人に1人が癌になるとのこと。
    その当たり前については自覚しながら、生活習慣を改善して、無理をせず、
    早期に発見するように努力するしかないようだ。

    風が吹けば桶屋が儲かる。
    一年前の臨港病院での内視鏡手術の失敗が、
    巡り巡って、この副腎の腫瘍にたどり着いたということだった。
    感謝すべきは、失敗したあの若い男性のドクターかな。

    最近は、身体は身体として独立した存在であると考えられるようになった。
    後は、身体さんにお任せすることにした。
    今日一日、ポリタンクを友として、せっせとオシッコを貯めて行こうと思っている。

    また、明日の午後二時にN大に大量のオシッコを届けたら、
    あのレストランで、三人の美女に囲まれて、
    美味い美味いコーヒーを飲める予定だ。

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  • from: クマドンさん

    2016年12月26日 11時11分26秒

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    魂に宿るとは

    昨日は小千谷での「途中の会」だった。
    ちぢみの里の温泉に入って私たちが夢中になったことは、
    何とアルビレディースの皇后杯決勝の応援だった。
    とにかく「これがサッカーだ」とばかりに、彼女たちの闘いに声援を送った。
    どうしてこんなに夢中になってしまうのか。
    PKでの負けはとてもとても残念だったが、
    よくここまで闘ったと、その健闘を小千谷の温泉からエールを送った。

    そして、場所を変えて、Oさんを語る会への参加だった。
    会には20名近くの年配の男女が集っていた。
    Oさんの人柄を忍び、Oさんに感謝したい人たちがここに居た。
    会の始まりが、私たち「途中の会」の言葉からだった。
    私が新潟へ帰る電車時刻があるために、始めの言葉としてくれた。

    私は、SさんのOさんとの出会いの話を聴きながら、
    何か不思議を深く深く感じていた。
    新潟に住む私が、こうし小千谷のOさんと知り合い、
    ほんのささやかな出会いであったのに、ここでOさんのことを語るとは、
    何だかそれがそうあるように私たちが出会う前から決まっていたような、
    何とも言えない不思議な感じだった。

    私は、Oさんのことを讃える文を読みながら、何度か涙で言葉が詰まった。
    それでも、この言葉を最後まで読むことが、
    私からのOさんへの大事な供養だと想い、最後まで読み続けた。
    不思議なのだが、
    私はその言葉一つ一つをOさんに聴いてもらっているように感じた。
    いつものように静かな笑みをたたえ、肯きながら聴いているOさんがそこに居た。
    そうか、言葉とは、あの世とこの世とをちゃんとこうして行き来するものなんだなぁ。
    何だかそんな時間の流れを読みながら感じた。

    ひとりひとりがOさんとの出会いと思い出を語る番になった。
    「私が、離婚した時・・・・」
    「私が小千谷に来て、失業していた時・・・・」
    「私が稲刈りしていたら・・・・」
    何だか、それぞれが苦難や助けを求めて居る時に、
    Oさんは傍らに居て、その話を聴き、その人のために働き、
    その人の心に感謝の念を遺して、何もこだわらずに飄々と生きていた。
    そんなOさんの生き方が、次第に私には懐かしくなってきた。

    Oさんは、聴く人だった。
    Oさんは、語る人だった。
    Oさんは、助ける人だった。
    きっとOさんは、困っている人が傍に居たら、ほっとけなかったのだと想う。
    「見過ごしにできない」は、私が書いた劇「明和義人」のテーマだった。
    彼は、89歳でこのよにサヨナラするその間際まで、
    そうやって生きて来た人だ。

    「ああ、良寛さんだなぁ」と、やっと私は良寛さんが分かった気がした。
    Oさんを語る叔母ちゃん、おじちゃん、独り独りの魂に、
    Oさんの面影は宿っていた。
    それは、やはりOさんがこうして魂に還ったからなのだと、私は感じた。
    魂であれば、誰の魂にも同時にいつでも邂逅できる。
    そして、Oさんは優しい哀しみを知る人として、
    そのひとりひとりの胸の中に宿っている。
    不思議なのだが、そうとしかいいようのない存在感をOさんには感ずる。

    人は、かく生きたいものだと、そう感じた。

    これは、日曜日に私がここで書いた問いへの答えでもあった。
    まさに、Oさんは、Oさんの生き様を通して、
    私に「いかに生きるべきか」を教えてくれた。
    つまり、そのことを私か学ぶためのこの縁であったのだ。
    Sさんを通して私はOさんと出会えた。
    出会った時は、その出会いの大きさが分からなかった。
    しかし、Oさんには、何でもお見通しだった気がする。

    私の話を聴きたがってくれた。
    じっくりと、しっかりと、深く深くで肯き、受け止めてくれた。
    そして、Oさんを語ってくれた。
    含蓄のあるまさに底の知れない話だったと改めて想う。
    「隅におけませんね」と、私を笑ったこともある。
    ああ、お見通しだった。

    さて、どうだろう。
    人は、在ることはできる。
    しかし、この在ると言う生き方が難しい、難しい。
    人は、傍の人たちの魂に宿ることもできる。
    しかし、それは並大抵の生きた方ではそうはならない宿りだった。
    私は、だから、やっと、良寛さんがここで分かった。

    きっとこのOさんを語るようにして、
    遺された村の人たちは、それぞれの良寛さんを語ったことだろう。
    それは、そのひとりひとりの魂に良寛さんが宿っているからだ。
    何をしたわけではなくても、何だか無性に懐かしい人。
    そんな宿りをできる人とは、実は稀有な生き方をした人ではないだろうか。
    しかし、それを誇らず、語らず、自慢せず、ただなんとなく生きている。

    道端の地蔵様のようなものだろうかなぁ。
    地蔵様はずっとずっとそこに居なさるのに、
    普段の生活の中では、忘れ、気付かず、見向きもされない。
    ところが、私が母の余命を知って哀しみに在った時、
    あの宝町の地蔵様が呼びかけてくれたように、
    困った時、哀しい時、辛い時、苦しい時に、
    ふと、人は道端の地蔵様のことを思い出して、祈ったりするのだった。

    Oさんも、良寛さんも、同じ故郷の魂の人だった。
    憂いの人であり、慈悲の人であり、傍らに立つ人であり、施無畏の人だ。

    でも、情けないくらいに家族からは理解されていないし、尊ばれていない。
    亡くなってから、私たちが語る言葉によって、
    やっとそのOさんのことを感じ、知り、そんなこともあったのかと想うだけ。
    その姿を見て、私は何だか安堵した。
    良寛さんもそうだったなぁ。
    乞食坊主の名主の長男を、家族はどんなに見ていたことかと。

    さてさて、生きる道は、ここにある。
    私も59歳になった。
    これから副腎に見つかった腫瘍のことでN大の外来に行く。
    人は、明日は分からない。
    それでいい。
    Oさんのように生きたいものだ。
    そんなことを私が言ったら、きっとOさんは笑っていただろうなぁと今も想う。

    Oさんは、こんな私のちっぽけな魂にも、いつまでも宿ってくださいね。

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  • from: クマドンさん

    2016年12月25日 09時53分20秒

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    沈黙を信ずる

    さてさて、今日は小千谷の旅だ。
    ちぢみの里でアルビレディースの皇后杯だ。
    それから、Sさん、Wさんと、生きるを語る。
    そして、Oさんを語る会に参加して、Oさんの思い出を語る。
    それから、電車に乗って、新潟駅は11時過ぎになる。
    ハードだが、面白い旅になりそうだ。

    Sさんとは、話すとすぐにお互いの気付きの話になる。
    「どうですか」と、問われて、「実は・・・」と応える。
    その対話の中に何か、とても大事なものが現れて来る。
    そのことに対する期待感がいつもある。
    何とも懐かしい魂の話だった。

    そうだなぁと想う。
    その話だけで十分だし、その話ができるだけ幸せなんだ。
    いつもそう感じている。
    振り返ってみたら、何だかそうあるべきように、
    大事な人と二人は出会っていた。
    その人たちとの出会いを通して、自分のことを学んでいる。
    「自ずから分かる」時が来る。
    それまでは、発酵するのを待つようなものだった。

    魂は、発酵する。
    何だかこうなったら、そうなっていくままに任せてみる。
    そのままに委ねてみる。
    本当はそんな生き方に「自由」が、あるのではないだろうか。
    大いなるものを信じて、お任せして生きる。
    そうできたら幸せだろうなあと、想えるようになった。

    昨日、町内を回った。
    それぞれ高齢者や独り暮らしの人の家だ。
    クリスマスで世間はきっと賑やかなのだろうが、
    その家や、その窓からはひっそりとした気配しか感じられなかった。
    独りでここに居る。
    どんな想いで、どんな気持ちでここに生きているのだろう。
    それまで、そんなことを考えもしなかった私だったが、
    何故か、その独り独りの日々の生活が気になっている。

    余計なお世話だ。
    プライバシーだ。
    個人情報だ。
    そうだから、地域のお年寄りたちは孤立する。
    自分から助けを求めたり、弱みを出したりしない世代の人たちだ。
    人には迷惑をかけられないとも想っている。
    他人様という言葉もあった。
    だから、じっと独りで耐えている人も多いのではないだろうか。

    せっかく同じ地域に住み、こうして暮らしているのに、
    お互いに知り合うこともなく、話したこともなく、
    いつの間にか去っていってしまう。
    空き家になってから、その家の住人が施設に入ったことを知る。
    また、独り暮らしで誰ともかかわらないために、
    突然の病で孤独死をしても誰も分からずに放置される。
    障害があるために買い物や日常生活が不自由なのだが、
    遠慮して生活支援を受けることをしていない人たちも多いと聞く。

    みんな自分のことで他人様には迷惑をかけられないと想っている。
    しかし、声に出さなければ、自分の現状を知らして行かねば、
    今は隣近所でもその実態を知ることは難しい世の中となっている。
    こうして豊かな社会になったと言われるが、
    実は、そうであるからこそ格差が生まれ、貧しさが生まれてきていると私は想う。
    そんな地域社会のままでいいのかと、私はふと想ったりもする。

    自分がまだ助けられるうちは、助けたらどうなのだろう。
    自分がまだ動けるうちは、地域の何かのために働いたらどうだろうか。
    何だかほっておいてやることや、かかわらないことが親切のように想う人もいるが、
    本当にそうなんだろうか。

    人は、みんな孤独なんだ。
    その孤独の中で老いている。
    老いるということは、死に近づいているということだ。
    病気もあるだろう。
    経済的な悩みもあるだろう。
    身体が不自由でなかなか日々の生活がままならない人も多いだろう。
    施設に入れる人ばかりではないのだ。

    私は、そうした地域に住む独り独りのお年寄りのことを忘れても暮らせる。
    ただ、亡くなった父や母のことを想うと、
    老いて弱って行く自分自身の哀しみや孤独感を、
    それはそれでどうにもしてあげられないものだったが、
    感じて、私が哀しくなったものだった。
    哀しいねと、ただ傍に居るだけしかできない。

    でも、今、独りのお年寄りたちには、その哀しいねと傍に居て、
    黙って話を聴いてくれる人が居ない。だから、私は想っている。
    心の支援こそ、今全てのお年寄りには求められているのではないかと。

    寂しい。哀しい。辛い。切ない。独りぼっちだ。死にたい。
    クリスマスの夕方、独りぼっちで炬燵に入ってテレビを観ているおじいさん。
    さてさて、それはいずれ私が辿る道。
    後何年かすると、私もその人と同じおじいちゃんだ。

    お年寄りの引きこもりが多いと聞く。
    貧しさで悩む年金暮らしのお年寄りの話も聞く。
    その孤独なる魂を少しでも癒し、話を聴き、繋がってやれる地域社会に、
    そんな本当に人間的で豊かな地域社会にするのは、
    やっぱりまだ動けて、働ける若い人たちや、中高年の仕事なんだと、
    私は、想ってささやかだが、何か行動を起こそうとは考えている。

    地域に住む、お年寄りたちの魂と対話する。
    きっとそこには発酵した、深く、豊かなる魂が存在していることと想う。
    その人たちとの出会いをすることだ。
    そして、その人たちの語りを聴くことだ。
    そして、その人たちのことを忘れずに、私だけでも記憶することだ。

    そこからまた、Sさんとそうであったように、
    いかに生きるかの出会いが始まる予感がする。

    ゆっくりと、焦らず、丁寧に、心を尽くして、誠実にだ。
    昨夜、クリスマス礼拝だった。
    牧師さんが、遠藤周作の「沈黙」の映画のお話しが在った。
    確かに、苦難の最中に神は沈黙されている。
    しかし、絶対に私から目を離してはいない。いつもじっと見守っている。
    それも、私の哀しみと苦しみと孤独とを我がこととして。
    そして、いつもその深い沈黙を通して、私に語りかけて来た。

    沈黙が、語る。
    深い深い言葉は、沈黙だけが語る言葉だ。
    神は、沈黙をする。
    しかし、ここに在る。
    その眼差しと、その想いとを感ずることが私にはある。
    人が私を捨てた時に、神だけは私の傍に佇み、在ってくれた。

    そして、私に、この働きを与えられた。
    まさか、この私に。この私が。どうして私なんですか。ではない。

    考えてみたら、Sさんの向こうには魂の故郷が在る。
    亡くなったOさんは、今でも沈黙の中で魂の故郷から深い言葉を語ってくれる。
    沈黙の声こそ、深い深い魂の言葉なんだ。
    ならば、もうここからは、その声に随い、ただこの道を迷わずに歩けばよい。
    沈黙と向き合う時、けっして私は独りではないのだから。
    その沈黙を信ずるだけで、いいのではないかと、今、ふと気付いた。

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  • from: クマドンさん

    2016年12月24日 07時29分42秒

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    魂は、ここに在る。在り続ける。奇跡は、魂の現れだ。

    何とも嬉しいニュースが飛び込んできた。
    新潟アルビレックスレディースが、皇后杯の決勝に進出した。
    鹿島のファイナルと言い、何とも嬉しいニュースだった。
    私は、レディースサポーター会員でもある。
    試合は、陸上競技場・五十公野競技場と出かけての応援だった。
    大好きな小原・斎藤・佐山選手が居る。
    アルビのユニホームは、サインを書く場所がないくらい、
    彼女たちのサインでいっぱいだ。

    昨年の皇后杯決勝では、澤の引退試合となり、
    澤の劇的なヘディングシュートで惜しくも涙を飲んだ。
    リーグでは前半戦の失速から振るわず、
    よい成績を残せなかったが、今年も彼女たちは決勝に残った。
    すごい人たちだと、感動しているし、尊敬している。

    昨年の決勝戦を病院で観ていたことを思い出した。
    私は、まだ入院していた。
    いつもいつも何だか、そこに還る気がしている。
    「今度、父が、癌になった。」
    今朝読んでいた池田晶子さんの言葉の中に、この言葉を発見した。
    今度・・・・。
    その前は、誰が、癌に、なっていたのだろうか。

    その父親の入院生活のことを書いていた。
    私事をなかなか書かない彼女だったが、
    この入院中の父のことを書いている箇所は、
    私には分かり過ぎるほどよく分かった。

    もし、これをまだ手術失敗で生き死にとなり、
    10時間以上に及ぶ大手術で一命をとりとめ、
    二カ月に及ぶ苦難の入院生活を経ていなかったら、
    どんな気持ちでこれを読んでいたのか、想像に難くない。
    きっと、それは、分かったつもり、そんなものだと、
    何だかその言葉が、私の身体で呼応することなく、
    通り過ぎて行ったものと想像できる。

    言葉とは、ここにあるもの。
    しかし、その言葉の存在は、体験を通し、経験して初めて、
    その言葉は、言葉として現れ、身になり肉になる。
    言葉が身体になるためには、身体で言葉を体験しなければならない。
    そうでない言葉とは、けっしてリアルにそこに存在できないものである。

    「在る」ということが大事なんだ。
    その「在る」になることが、生きるということだ。
    私は、私の生き死にの体験から、身体を通してそれを学んだ。

    「彼は、「死ぬ」ことより「切る」ことを怖がっている。」
    分かる、分かる。そうだった、そうだった。
    二回目のヘルニアの手術は、意識がはっきりしていて、
    生きる死ぬの手術でもなかった。
    私は、刻々と迫る手術の時刻に、恐れ慄いていた。
    風呂に入り身体を清め、忘れるために必死にヨハネの福音書を読み通した。

    妻と長男が来た。
    私は、まったく感情が不安定になり、抑えることができなくなり、
    「ごめんな。ごめんな」と、泣きながら謝っていた。
    自業自得なんだなぁと、やっぱり想った。
    ただし、こうして罰を与えられるだけ、
    私は、神様が私を見捨てずに、愛していてくださることを感じた。

    看護師さんが笑顔で迎えに来た。
    手術着を着ている私は、死刑を執行される人のようにベットから降り、立った。
    車椅子はそこにはなかった。
    「歩いて行くのですか」と、自分でも笑えるほど悲壮感はなかった。
    私は、家族に見送られながら後ろに向かって手を振った。
    そして、あのジュラルミンの手術室の扉が開いた。
    「もう、逃げられない」だな。

    私は、今、ここに、在ることを、願っている。
    いや、きっと、在るものはなくなりはしないのだから、
    在ることは、ただ、そのまま、在るだけだろう。
    「そのままでいいがな」とは、どこかの禅の坊さんの言葉だった。

    明日は、小千谷で「途中の会」だ。
    この皇后杯の決勝戦をどうやって観るか、
    サポーターの先輩のWさんは、今から「どうしたもんじゃろう」と悩んでいた。
    小千谷には、ある目的があっての旅となる。
    それは、9月?に亡くなったOさんを忍び、Oさんを語る会があるからだった。
    私がOさんに書いた拙文を、ぜひお仲間の前で読んでほしいと言う、
    Oさんのお嬢さんの依頼があり、参ずることとなった次第だ。

    「在る」と考えると、いつもOさんのことが思い出される。
    Sさんとも話した。
    「生き死にの境を生きていた人だから、向こうに行っても自然だね」っと。
    そんなOさんのたたずまい。静けさの笑顔。真摯な魂の不動なる力。
    何と表現したらよいのか分からないが、
    ここには、Oさんが「在った」としか言いようのない存在感だった。
    「存在感」こそ、大事な人の人としての在りようではないだろうか。

    私も、願わくばOさんのような存在になりたい。
    人は、居るだけでいい。
    ただ、どんな人としてそこに居るかが大事なことだった。
    迷いが多く、罪深く、どうにもならない私でも、
    今、ここに、在ることを神様は赦してくださっている。
    今夜は、クリスマスイブである。
    イエス様が、この世に誕生した夜でもあった。

    魂の人は、死なない。
    いや、死なんかきっとどこにも存在しないのだろうと、今は想う。
    魂は、故郷を同じにする御同胞だ。
    その故郷から忘却の河を渡って、私としてこの世に生まれた。
    人生は、旅である。
    それも釈迦が語るように苦難こそ、人生だと私も想った。
    ただ、魂は、魂として、何も変わらず、不動にして、在り続けている。

    それは、私が生まれるずっとずっと太古のころから、
    私がこの世から身体が消えても、ずっとずっと永遠にあり続けるように、
    境目がなく、一続きのまま、きっと在るのだろうと今は、感ずる。

    懐かしい人とは、それを感じさせてくれる人のことだった。
    深い人とは、その深い深い見えない底で、大いなるいのちと繋がっている人のことだ。
    そう在れば、きっとそう感じてくれる人も在るはず。
    私がOさんにその懐かしさを感じたように、
    私は、そうした懐かしさを人が感ずる人として生きたいものだと想っている。

    そう考えると、これまでの私の人生の旅とは、
    ある意味、目的と出会うべき人があった旅ではなかったかとも想えるようになった。

    「人は、生きてみないと分からないねぇ」と、Sさんと笑って話す。

    「自分であることの不思議」と、池田さんは言っている。

    不思議なのは、今、ここに、私が在る、そのことなんだ。
    こんな不思議はないではないか。

    いったい私は、どこから来たのか。
    私とは、いったい何者なのか。
    そして、私は、どこへ行くのか。
    その問いと、私への不思議と、いかにして在るになれるか、
    これが実は、池田さんの言う、「哲学」ではないのだろうか。

    「魂を想うと、全てが腑に落ちる」とも、彼女は語っていたような気がする。

    さてさて、明日は、そんな魂の語り合いができたら本望だと想っている。
    「奇跡は、人が起こすもの」
    またまた、魂の闘いを観られたら、
    きっと私が、今、ここに、語った魂の存在を目の当たりにすることができるはずだ。
    魂は、在る。
    しかし、魂は、目には見えない。
    奇跡は、在る。
    それは、魂が、在るからだ。

    魂のアルビレディースは、優勝する。
    その奇跡に、ぜひ魂の存在を感じて欲しい。

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