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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020年06月30日 07時19分17秒

    icon

    「子は親の鏡」なんだなぁ

    「いったい、人間はどうやって間違った方向に行ってしまうのだろうか。
     原因はいろいろあるが、やはり親の生き方そのものが、かなり影響を
     与えているようにわたしは思う。たとえ片親でも、その親が人生というものを
     しっかりとみつめて生きて行く時は、子どももいつの間にか親にならって
     いるものだ。両親がそろって、経済的な安定があっても、母親が父親を
     バカにして、子どもに父親の悪口を言って聞かせたり、父親が母親を
     どなりつけたりしている家の子どもたちは、案外非行に走るものらしい。」

    「つのり、父と母の間が、しっくりと行っていない時は、おとなが考えている
     以上に、その子の性格はどこか破れてくるものだ。両親が愛し合っていて、
     まじめな職業についているのに、子どもがおかしくなるということはまず
     あり得ない。よく、わたしは親たちに言ったものだ。」

    「親は針、子どもは糸ですよ。親の進んだように、子どもは進みますからね」

    「また、小学校時代には大したパッとしない子どもでも、年齢と共に着実に
     伸びていく生徒がいる。そういう家は、けっしていわゆる教育熱心な教育
     ママのいる家ではない。落ち着いた雰囲気の家庭であって、小さな樹が、
     大きくなるように、自然に伸び伸びと育っていく。まだまだ若い木だと
     思っていた子どもが、思いもかけない大樹に育っていることがある。
     その子は必ず、親思いの子である。そして、教師思いでもある。」

    「親孝行でありながら、横道に外れたという子どもなど1人もいない。
     親に心配をかけるまい、親を喜ばせてやろうという子どもは、非行に
     走ろうとしても走れないわけではないか。その姿を見ていると、わたしは、
     あらためて、家庭というものの大事さを思う。利口ぶった母親が父親を
     けなして、子どもを自分の味方につけようなどと考えている家庭に、
     親孝行は育たない。その母親まで、子どもは軽べつしてしまうのだ。」

    「また、兄弟の1人を偏愛する親も、けっして珍しくはないが、そんな家庭も
     親孝行の子どもはでない。親自身が怠け者であったり、粗暴であったり、
     不まじめであったなら、これは、むろん論外である。」

    「わたしの教え子の1人は、母親が近所の人と語る時、絶えずうわさ話を
     しているのに、わが親ながら、憎しみさえ覚えたという。そのうわさ話
     が悪口であったのはもちろんである。」

    「自分の子どもたちが、将来どんな子になって欲しいと思うならば、鏡を
     みるといいと思う。自分に似た姿が、将来のわが子の姿であろう。姑や
     小姑たちに、親切にすることのできない狭い女心をみている小さな子どもの
     目は、意外に鋭いのだ。尊敬できない親を持つ子どもが、親を大事にしない
     自分勝手な子どもに育って行ったとしても、親は、文句のつけようがないと、
     わたしは思う。」

    「親孝行などというと、今の時代に古くさい話だと思う人がいるかも知れない。
     しかし、聖書には、四、五千年前から、「汝の父と母とを敬え」と、いましめ
     ている。これは、古い言葉だが、何万年の後までも、人間がふみ行くべき、
     新しく永遠なる真理ではないだろうか。この真理の道を、まず親自身が生きて
     行く時、子どもの問題は自ら解決されるものと、私は信ずる。」

    「子どものゆくては、今、親自らが決めつつあるのだ。子どもは、自分の親が
     尊敬できる親であって欲しいのだ。親は子どもに期待しているが、子どもも
     た親に期待しているのだ。」

    「あさっての風」 三浦綾子 著
    その中の「子どものゆくて」という章の抜粋だ。
    この文章の引用を許していただきたい。
    どうしても、原文のまま、ここに記したかったからだ。
    天の三浦さん、ごめんなさい。

    しかし、この言葉の前に、私立ち尽してしまった。
    言葉とは、こんなにも圧倒的な力を持って、私の心に迫るものなのか。

    私は、苦い後悔をもって、この文を読ませてもらった。
    何度も何度も同じ個所を読み返し、赤いボールペンでその言葉を囲った。
    大事な言葉には、その上に☆を書く。
    そうすれば、そのページを開くと、その言葉に真っ先に目が行くからだ。

    実は、学童保育で保父さんをして、私が考えるようになったのは、これだった。
    まだ、6歳、7歳、8歳の子どもたちだ。
    その子どもたちの今、ここは、家庭で育ったことの、今、ここだった。

    この子どもたちが最も影響を受け、感化され、モデルとしたのは親である。
    特に、今は祖父母の居ない家庭で育てられている子が多い時代だ。
    そして、一番愛情を求めているのが、父親や母親に対してだった。
    だから、愛されて育った子は、違う。
    明るく、素直で、落ち着いて、大人たちへの信頼感があるので、言葉が入る。
    いつもいつも反発したり、人に嫌なことをしたり、全く言うことをきかない子もいる。
    それは、そうされて育って来たからだ。

    しかし、その子にもし、そうせざるを得ない「困り感」があったら、
    自分ではどうにもならない無意識のまま動く自分であったら。
    感情も思いも身体の動きをコントロールできない子であったら、
    その「あるがまま」理解して、おおらかな気持ちで親には接してもらいたい。


    「親は針、子どもは糸ですよ。親の進んだように、子どもは進みますからね」
     私が子どもに示した進路とは、どんな道であっただろうか。

    「落ち着いた雰囲気の家庭であって、小さな樹が、大きくなるように、自然に伸び伸び
     と育っていく。」
     そんな家庭で我が家はあっただろうか。

    「親孝行でありながら、横道に外れたという子どもなど1人もいない。」
     そうだと思う。では、私が私の両親に対して親孝行はできていたのか。

    「自分の子どもたちが、将来どんな子になって欲しいと思うならば、鏡をみるといいと
     思う。」
     私のようになる。私は、人としてちゃんと誠実に生きているのか。

    「この真理の道を、まず親自身が生きて行く時、子どもの問題は自ら解決されるもの
     と、私は信ずる。」
     私が人に優しく、困っている人を助ける人なら、子どももそうなる、はずだ。

    「子どものゆくては、今、親自らが決めつつあるのだ。子どもは、自分の親が尊敬でき
     る親であって欲しいのだ。親は子どもに期待しているが、子どももた親に期待してい
     るのだ。」
     この言葉が胸に刺さった。私は、子どもから尊敬される人であるのか。
     私は、何だか、そう考えると、子どもには何も語れないような気がする。
     28歳と24歳の長男と次男だった。
     さんざん私の愚かな姿を見て来た二人だ。
     それでも、今でも、期待していてくれているかの「問い」だな。

    「子育てとは、親育てであり、自分育てである」と、誰かが言っていたような・・・。

    子どもたちは、いつも絶えず、育ててくれている親に「問う」ている。
    その「問い」を真摯に受け止め、
    「ああ、そうだなぁ。まずは、わたしがちゃんと人として生きることだなぁ」
    「つまり、生きている姿、その後ろ姿で、伝えることだなぁ」と、
    生き方の「問い」を忘れず、人としての生き方を全うすれば、
    三浦さんではないが、「非行に走ろうとしても走れないわけではないか」だな。

    「子は、親の鏡」だ。
    その子を見ると、「ああ、わたしだ」と、分かる親はまだ救われる余地がある。

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  • from: クマドンさん

    2020年06月29日 07時12分58秒

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    人との出会いの在り難さ

    昨日は、午前中はヨガでリモート。
    それから教会での礼拝の司会。
    そして、ランチをはさんで教会の大部屋のワックスがけ。
    そして、3時前にはおやつをたべて解散となった。

    予定が密だ。
    それが、私だから仕方ない。
    帰って来たら本当にぐったりと疲れていた。
    何よりも眠くなった。
    それでも庭に出ていたらナデシコから力をもらえた。
    何とあれだけ短く刈り取ったナデシコが、
    真っ赤な小さい花を3つも咲かせていた。
    この命の力強さ。蘇生する力に、本当に勇気づけられる。

    死なない。生きる。復活する。
    まさにその事実を目の当たりにすることが、昨日も出来た。感動だった。

    それから、Kさんとリモートでちょい飲みだった。
    たった1年間、同じ学校に勤務した彼だった。
    数年間も会うことが無く、どこの学校かも分からなかった。
    年賀状でその時の近況を知り、
    「ああ、そうか、来年は定年だなぁ」と思っていた。
    「そしたら、私と彼とでお祝いでもするか」ぐらいだったはず。

    このstayhomeのおかげで、
    彼は、この3月に定年となり、4月からは自宅待機で何もしない。
    先日からは、「林住期」の本を読んでいるかもの生活。
    庭の草取り。花壇の整美。趣味の時間。自治会のボランティア。
    どれだけ心身ともに疲れていたのか、ぼーーっとして生きていた。
    私も、どこへも行けない緊急事態だんら、
    かれにリモートでの飲み会を呼びかけた。
    これだから、人生は予想のつかないドラマの連続。
    自分勝手に結末を決めつけないこと。
    きっと大どんでん返しが来る。来る。

    彼には学童保育での気付きの話だった。
    私たちはどうやって子どもたちを育てて来たかの話だ。
    学ぶべきは、本当は、私たちだったのだということ。
    そのことをしっかりと分かってから、気付いてから、
    言葉をかける。教える。諭す。導いて行く。
    それが子どもの傍に居る大人の役割。

    そんな話を分かってくれる元教師はなかなかいないねの、合点だった。
    「教える」ことに自信をもって突っ走る人は多くいた。
    子どもから学んでじっくりと子どもと向き合う教師は・・・。
    彼は、その希な教師の1人だった。

    だから、語り合える。分かり合える。
    共にここのあるものが、同じような「あるもの」だからだ。
    これは、違った人とは、絶対に分かち合えない「あるもの」だ。
    教師には、分かっていないのに、分かったつもりの傲慢な人が多い。多い。
    だから、彼も、私も、その集団の中で孤立する。
    格好良く言えば、一匹オオカミだったな。(どうしてオオカミなんだ?)

    その話の中で、そうした悪戦苦闘の中でも、
    出会うべき人と出会えて、どれだけ助けられたかの話でもあった。
    私は、彼と出会い。彼は、私と出会い。どこかで、何かが、救われた。
    だから、退職した今も、こうしてリモートのちょい飲みが続けられる。
    こんな私の友となってくれた彼には、深く感謝している。

    それから、夕食の時に電話がかかっきた。
    80歳の大先輩、元大校長であるKさんだった。
    宮沢賢治の会の案内だった。
    この会で賢治の童話の再発見と、その深さに改めて気付かせられた。
    まさに「遠野物語」だった。
    自然と命の声無き声が、賢治によって物語として語られていた。
    「仏の教え」「法華経の教え」つまり、「悉有仏性」「悉皆成仏」だな。

    そのことを私に教えてくれた恩師でもある。
    次回の会には、教会の臨時総会のために参加できないことを告げた。
    すると、飲み会のお誘いだった。
    私と、一つ年下のJさんは、臨時で同じ小学校に勤めていた。
    その時、私たちを親身になって可愛がり、酒を飲みにつれ歩き、
    時には、教師道の真摯な厳しさを指南してくれた人がkさんだった。
    かっては、よく3人で都合を合わせて飲んでいた。
    その学校の元職員での飲み会が、毎年七夕の土曜日に設定されていた。
    しかし、今年は、それが無い。

    彼は、生涯独身だった。
    そして、今は100歳近くの義理の母の介護をしている。
    西郷隆盛の松浜滞留の史実を元に、一冊の本を3年前に上梓した。
    私にとっては、こんな馬鹿な男を可愛がってくれた恩人でもある人だ。
    まさに、私の人生のターニングポイントで出会うべく出会った人だった。
    その人からのお誘いだった。
    私は、懐かしさと共に、Kさんの老いと寂しさとをその声に感じた。
    「すぐに、Jさんに電話して日時と場所を決めますね」

    そして、Jさんに電話した。
    彼は、先日私の勤める学童に、高級な焼酎を一本わざわざ届けてくれた人だ。
    腐れ縁といつも二人で言っている。
    同じ臨時職員の立場から、山に登り、一緒に酒をよく飲んだ。
    彼は、独身時代によく我が家のあばら家に泊りに来たものだった。
    何だか気が合う。話ができる。いつも真剣に生きている。
    禅の修行のために毎年5月の連休には道場に籠る。
    こてんぱんにやっつけられて、山を降りる。また一層、深く落ち着く。
    県のマスターでは、スイムのメドレーではトップクラスのスピードだ。
    10キロ走るのは、彼にとってはなんてことない日々の日課だ。

    「この前は、ありがとう。嬉しかったよ」
    「おお、クマさん、久しぶりに顔を見られてよかったよ」
    「Kさんから電話があった。また、3人で飲みたいって」
    「いいね。いつ?今、手帳を見るね」
    「18日土曜日の4時からは」
    「いいね、ちょうど空いているよ。決まりだな」
    「いつかまた飲みたいとずっと思っていたよ」
    「・・・俺さ、3月から、酒飲んでいないんだよね・・・」
    「・・・・どうしたん・・・」
    「ウーロン茶でいいは。そのこと、今度会ったら言うね・・・」

    二人で飲み放題に行くと、彼はメニューを見て、
    「ここからここまでやるさ。まずはこれで」と、
    その書かれてある飲み物を順番にオーダーして飲み干した豪傑だった。
    何だかねぇ・・・。何とも言えない。分からない・・・。

    その後、柏崎のWさんに電話した。
    どうしても直接話したいことがあったからだ。
    それは、83歳の小千谷のSさんと、私とWさんで、
    もう15年以上になるだろうか、続けて来た「途中の会」についてだった。
    2年前に彼がP病であることが見つけられた。
    この難病には治療する薬はなかった。
    その症状を緩和して、進行を遅らせる治療をするだけが残された道だった。

    私の知り合いに、彼を含めて4人の人がこの難病と共に生きている。
    だから、私は、彼の身体とこれからの人生や家族のことが心配だった。
    よく、会った時に本気になってアドバイスすることがあった。
    あまり強い口調の為に、彼もSさんも閉口したと思われた。
    彼は、頑固に、聴くのだが、受け入れない。
    自分の思いをやはり通す。しかし、「問い」はいつも発して来た。
    病の話の会になった。
    これでは、この会の「意味」と「在り方」が違うのではないのかと、
    一時、中断とした。そうした会の話だった。

    「再開しよう。Sさんが創り、育てて来たN中の森に行くよ」
    「その森の中で、森の命の声を聴き合って、お互いに感じたことをシェアしよう」
    「そのことだけで、集まろう。晴れていたそこでランチだ」
    「Wさんは、そこて、森と向き合うだけでなく、身体の声を聴いたらどうかな」
    「・・・分かった・・・お願いします」
    まぁ、ここでも酔っぱらって私は、厳しい言葉を幾つ伝えた。
    また、腹を立てていることだろうなぁと思っていたら、
    朝、よろしくお願いします。のメールだった。

    Sさんに、そのことを報告したかったが、
    8時を過ぎていたので、止めにした。
    だから、今日、昼前に報告の電話をかけよう。

    私は、きっと友達が少ない男だ。
    でも、友達は、いてくれる。
    その人たちとは、人生のいろいろな場面で出会えた人たちだ。
    私は、その友の繋がりを大事にして来たつもりだ。
    その間には、疎遠になり、声をかけず、しばらく会わなくなった友もいる。
    しかし、その友とも、何かのきっかけがあれば、また再会する。

    友は、いいものだ。
    昨日の話では無いが、「素」になれる。
    私は、いつもあるがままの私でありたい。
    だから、仮面はつけない、このまんま。
    そんな私とそうやって「会おう」と言ってくれる人。
    「飲もう」と誘ってくれる人。
    その人が、友であったことを、私は心から感謝する。
    そして、その人と友であれたことを、誇りにも感じている。

    人は、自然の命の中の人だ。
    人は、人の命の中の人だ。

    その命とどう出会い、感じ、深まって行くかで、
    その繋がりの「意味」はますます深まり、在り難く、尊いものとなる。
    これからも、リスペクトできる人と、出会いたいものだと願っている。

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  • from: クマドンさん

    2020年06月28日 07時32分56秒

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    昼飲みの奇跡だな

    何だろうなあ。
    居心地のよい場所に行き、気持ちよい人たちと話す。
    そこには、美味しいお蕎麦があり、チーズがある。
    濃厚な蕎麦焼酎を飲み、少々高めのワインを飲む。
    そこで、私の独り語りを笑顔で聴いてくれる人が居る。
    まだまだお日様は輝いている。
    明るい通りを通行人が次々に通り過ぎる。
    自転車の親父だ。あのJ山タクシーだ。

    学童保育の保父さんとなってから、
    金曜日の午後からの昼飲みに行っていなかった。
    行っていないというよりか、行けなかったことが実情だ。
    慣れない仕事だ。
    子どもたちの名前を憶え、日々の仕事を覚えるだけでいっぱい、いっぱい。
    映画にも行けていないことで分かるように、
    私は、疲れがどんどん蓄積されている身体となっていた。

    それに、寝不足だ。
    それは、3時半に目覚め、4時から真剣にラジオを聴いている。
    つまり、仕事が始まる午後1時は、目覚めてからの11時間半後のことだ。
    座って折り紙を鋏で切っていると、眠りにすとんと落ちてしまう。
    「まずい、まずい」と、頭をスッキリさせようと努力する。
    子どもとテレビを観ながら、眠っていることもあった。

    こうした身体の状況に、私は素直に応えた。
    たから、土曜日にも昼飲みには、行けなかった。

    そして、分かった。
    やっぱりこの昼飲みは、私にとっての至福なのだと。
    そして、そんな至福を午後の数時間味わえることの感謝だった。
    これも、そうした出会いができたからの天の恵みだ。

    「桜こまち」の花屋さん。
    実は、この美しい彼女とは、ユッカの時代から知り合いだった。
    これは、花束王子が、ステージの度に彼女に花を贈ったおかけだ。

    千屋さんは、お酒屋さんだ。
    それもなかなか厳選された新潟の地酒を適正価格で売っている。
    私はワゴンセールのワインを必ず一本購入する。
    80歳近くだろうか。
    おばちゃんが毎週行くことをとてもとても喜んでくれる。
    「保父さんになったっけ、金曜日に来れねなったんさ」と言うと、
    「そうらね、でも、仕事できる内は仕事しなせ」と笑顔だった。

    小千谷蕎麦「あき乃」
    先回の天ぷらのことを覚えていた息子さんと、店主から、
    「もうしわけありませんでした」と言われて、
    こちらの方が、恐縮、恐縮だった。
    蕎麦焼酎はそのおかげで、いつもよりもまた濃厚だった気がする。
    ここで2杯飲むと、充分に酔っぱらいに出来上がる。
    天ぷらは美味いし、蕎麦も絶妙な美味しさだ。
    私は、込んだ時刻に店に入り、客が1人も居なくなっても、飲んでいる。

    パーキンソン病の話だった。
    難病には、治療薬が無く、ただ病気の進行を遅くする努力だけだ。
    私の妻は、リュウマチだ。
    世の中にはこうして難病で苦しんでいる人が多い。
    しかし、みんなはそのことを知らずに生きている。
    知らないことは、健康であることの証だな。
    ただ、ただ、私が知っている4人の人の心配ばかりだ。

    3軒となりのJ&Yは、チーズの名店である。
    マスターのTさんは、まだ30代の若さで、この店を開いた。
    ここのチーズパスタは、絶品だ。
    私は、一口食べたら、言葉を失った。
    何も言えない・・・・。ただ只管、噛みしめた。味わった。
    ちょび髭のつぶらな瞳のこの人は、
    こうみえてもアートの人だった。
    彼の卒業作品の手が、店内の片隅に飾られてある。

    「あるものは、ある」の話だった。
    向かいのお店でイベントの出店だった。
    丁度店じまいの頃だった。
    親父の横に大きな筆字で「素」と書かれてある。
    この店では、「素」を販売しているらしい。
    「素」?と私には大いなる「問い」だった。
    「素」という商品を見たくなった。
    そして、ある意味で、「素」であることの大事な「意味」を感じた。
    そこで、「素」から、それをきっかけてして、また、私の馬鹿話だ。

    あるものは、ある。
    しかし、そのあるものに促されて、Tさんは彫刻する。
    私は、脚本を書く。
    しかし、そのあるものは、何かを分かったから彫塑し書くのではない。
    あるものが、あるものとして顕わになりたいから、
    Tさんは彫塑させられ、私は書かせられる。

    そして、苦悩する。苦闘する。
    しかし、あるものが、あることへの信念は変わらない。
    いや、始めた時はおぼろげであったそのあるものは、
    彫塑し続ければ、書き進め続ければ、
    次第次第に、明らかとなる。
    その内に、「ここだ」「そこだ」「こっちだ」と声が聴こえる。
    没入してしまったら、魂の自動機械だ。
    夢中になる。止まらなくなる。宿られる。自分がいない。

    そして、この手が姿を現す。
    「王瀬の長者」の特別編の物語が顕れる。
    不思議なんだが、私は、私の書いたはずの人物の生き方に泣く。感動する。
    Tさんにとってのあの手の彫刻もそうだと思う。
    あるものは、ある。
    ただ、まだ、それを見ていない。
    でも、あるものは、創り手を見つけて、そこに宿る。
    すると、宿られた創り手は、まるで胎児を宿したかのように、
    常に「問い」をもって、そのあるものをあらわにするまで、生き続けさせられる。

    そのあるものこそ、「素」ではないかの気付きと、発見だ。
    親父はあの店で、その「素」を売っている。
    何と言う偉大な哲学の店なんだろう。
    賢治さんの童話で出て来そうな店ではないか。
    「ええーーっいらっしゃい。素はいかかですか。とれたて新鮮の素ですよ。」
    いくらで売っているのだろう・・・・。うん?
    そしたら、親父が左に動いた。「水」という字が見えた。
    「水と素・・・・。水素・・・・。」
    つまりね親父が店頭で販売していたのは、あるものの根本の「素」ではなく、
    左から読んでも、右から読んでも同じ言葉「水素水」だった。
    大笑いだなぁ。

    時給900円の私が、千円札をTさんに渡した。
    「私の1時間の労働の対価だよ」
    Tさんは、それを両手で受け取ってくれた。
    嬉しかったな。

    次に、TETTOだ。
    酔っぱらいとしては佳境に入っていた。
    久しぶりのカウンターだ。
    いつも美女たちとダンディーな中年男。
    とうとう私のミューズが、このお店を辞めるとのこと。
    しかし、ファンクラブ第1号としては、
    美しすぎるこの白鳥が飛び立つことは嬉しいことだった。
    踊りをする人は、踊る人だ。
    ならば、その現場から離れては行けない。
    それは、あの瀕死の白鳥そのものとなってしまう。
    ぜひ、また、あの舞台と言う大空を羽ばたいて欲しい。
    願わくば・・・・。ここは、言えない。心に秘める。期待する。

    さてさて、連れの美女が「じゃ、またね」と去って行った。
    独り残された同じ歳くらいのダンディーな男性。
    話し方で関西から来た人で、
    新潟に8年前から居つき、住んでいる人だと分かった。

    このカウンターは、信じられないほど奇跡のカウンターだ。
    「クマさんだからだよ」と、Mさんは、笑って言うが、
    断言できる。
    このカウンターは、人と人とが出会える奇跡の場所であるのだと。
    私のミューズとの出会いもそうだ。
    そう言えば、ここでは、数々の奇跡の出会いがあったなあ。

    私は、「jazzpiano」という言葉に、ピンと来た。
    直ぐにその人に話しかけた。
    大企業から傾きかけた子会社を個人で買い取った人でもあった。
    凄いたことだと驚いて、お互いに意気投合して話を進めている内に、
    「うん」とヒットする事実と出会ったる
    「先週の土曜日、スワンでセッションがあってさ」
    「えっ、あのう、そこにギターの若い男居ませんでした」
    「いた。いた。これがまた、うまいのなんのって。とてもいいギターでしたよ」
    「その男、私の長男。子グマです。」
    「えっ、そうなの・・・」二人とも絶句だね。

    会わねばならない人とは、会うようになっている。
    奇跡とは、神様からの必然なんだな。
    まさか、ここで、この人と、
    そう思って探し回っていたとしても、絶対にこのタイミングで会うわけはない。
    それも先週の今日で、それも隣り合わせで、お互いにワインを飲んで、
    昼から酔っぱらっている親父二人は、
    その予想外の出来事に、驚き、感動し、感謝した。

    私は、彼に、この私の昼飲みのコースを全部レクチャーした。
    彼は、全てそれを携帯にメモをした。
    私の感想までも記録したようだった。

    やっぱり現場だな。
    行ってみなければ、何が起こるか、予想もつかないことなんだ。
    そこに行ったら、そこを楽しむ。
    そのために大事なことは、「素」であることだ。
    何も飾らず、気取らず、仮面を被らず、嘘をつかず。
    私は、いつもこうした愛する人たちのお店でも、
    「素」のまま生きている。語っている。飲んでいる。

    「俺って、社長のようにイタリアの話できねっけなぁ」と言うと、
    カウンターの向こうのMさんが、
    「クマさんは、クマさんでいいんですよ」と、言ってくれた。
    嬉しかったな。

    二人の帰る時の合言葉だ。
    「信濃川に落ちないでよ」
    「大丈夫だ。河が曲がる」
    「モーセか」
    「俺が帰るのは、こっち、あっち」
    「左ですよ」
    「また、来るよ」

    大収穫の午後だった。
    それから、帰って、アルビの甲府戦の観戦だ。
    午前はヨガのレッスンだった。
    午後は昼飲み3軒だった。
    そして、6時からはアルビの観戦。
    その夜の焚火は、自粛することにした。

    さてさて、長々と書いてしまった。
    その結論とは何か。
    「健康第一」に決まっているでしょう。だな。

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  • from: クマドンさん

    2020年06月27日 06時40分23秒

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    保父さんとしての修業は続く

    学童保育での保父の仕事を続けている。
    幸いにも晴れと曇り。
    昼食を造り、それを食べてから自転車で向かう。
    到着すると汗が出る。
    黄色いタオルで鉢巻きをする。
    エプロンを着る。
    マスクを付けて、名札を下げる。
    保父さんへの変身だった。

    心掛けていることがある。
    それは、「黙って、仕事する」ことだった。
    ダジャレと冗談は、封印した。
    子どもには時々、言っているが、仕事中はそれをしない。
    だから、黙々とルーテーンのまま、掃除機をかける。
    手摺や棚の上の誇りを払う。
    テーブルのアルコール消毒をする。

    子どもたちが返って来る。
    「お帰りなさい」と1人ひとりの名前を呼んで1年生を迎える。
    帽子と水筒を自分の場所に掛けてから部屋に入る。
    それだけのことを忘れている子どももいる。
    だから、声をかける。
    その時、「名前を呼んで」声をかける。
    名前を呼ばないと、誰のことか本人も分からないからだ。

    部屋に入ってからも走り回っている男の子たちがいる。
    そうしたいから、きっとそうしていると、私は思う。
    ただ、一度だけは注意する。
    「危ないから、止めましょう」と。
    それで止められる子どもたちではない。
    クラスの違う友達に、ここでは会える。
    きっとその喜びからなのだと、私は思う。
    だから、危なくないようにして、しばらく「見守る」。
    すると落ち着き、行くべき場所で座って待っている。

    子どもたちの表情をよくよく「観察」する。
    何気なく見ているのではなく、
    「よく見よう」として、その近くに座りじっと見ている。
    傍からは、私は、何もしないでただ子どもたちと一緒に、
    テレビを観ているように思われる。
    しかし、私の思考はフル回転だ。
    「子どもは一冊の本」である。
    それも、日々新たなページが付け加えられている。
    そうやって観ることで小さな「成長」に初めて気付くことができるからだ。

    子どもを観る時は、「プラス思考」で観る。
    昨日と今日とは、どこが違うか。
    何か違っていたら、その「原因」を探る。考える。
    A子さんが、いつも玄関でぐずぐずとして部屋の中に入らない。
    ランドセルをロッカーに入れ、連絡帳を出すまでに時間がかかる。
    「どうしてかなぁ」と、毎日、観察する。
    すると、ある日、大好きな先生が席に座るまでの全部の行動に寄り添ってくれた。
    優しく、笑顔で言葉をかけ、出来たことを褒めてくれた。
    すると、すーーっとどこにも滞らず、席に着いた。
    その時の子どもの気持ちを「察する」。
    そしたら、その気持ちに応えて、寄り添う。

    私は、子どもは、感情的に充たされない時、
    素直に自分の行動をコントロールできないものだと思っている。
    ここへ来るとすぐに暴れ、走り回る男の子がいる。
    先生から何度注意されても、従わない男の子がいる。
    連絡帳をその子に届けても、「俺のじゃない」と、返す男の子がいる。
    とにかく喋り続け、全く落ち着かない男の子がいる。
    先生から声をかけてもらい、寄り添ってもらわないと先に進めない女の子がいる。

    しかし、それらは、その子の個性であり、その子らしさだ。
    確かに、他の子どもたちとの比較の中で評価したら、
    手のかかる子となるだろう。
    けれど、そうだろうかの「問い」だった。
    彼も彼女も、そうしたくてそうしているのではない。
    何だかそうなるから、そうなっているだけではないのか。
    学校が始まってまだ一カ月も経っていない。
    この子たちは、まだまだ入学したての1年生だ。
    幼稚園・保育園のままの子も多くいる。
    それが、この目の前の事実なんだとの気付きだった。

    すると、いつか、本人が学ぶ日が来る。
    それは、いつかはまだまだ誰も知らないが、
    ある日、ある時に、「あれっ、座っているよ」という日が必ずやって来る。
    つまり、今、目の前の困った事象は、
    困っている大人たちに対する、その子たちからの「問い」でもあった。
    「ぼくのことを、何とかできますか」
    「私は本当はこうしたくないのだけれど、どうしたらいいですか」だな。
    それは、本人も気付かない、「無言の問い」だと私は考える。

    つまり、ステロタイプで判断しない。
    この子は、この型。この子は、この型と、すぐに決めつけない。
    この子は、とても困った子だとは、思わない。
    この子は、今、ここに居る、この子だけの唯一の存在と感ずる。
    だから、アセスメントが必要になる。
    とにかく、鍵穴と同じだった。
    この子の心の扉を開けるためには、
    この子に合った、この子だけの鍵を見つけねばならなかった。
    そして、試行錯誤を繰り返し、長い時間と月日をかけて、
    その蠣を少しでも完成に近いものにするために努力する。
    それが、その子と出会った大人の役目だ。

    尊重するとは、けっして、注意しない、指導しないということではない。
    尊重するとは、その子と出会った大人が、私を捨てることだ。
    私のちっぽけなプライドを捨て、私の周りからの評価を捨て、
    私の怒りの感情を捨て、私の固執した子どもの見方を捨てる。

    私を捨てると、その子が、ありのままに、ここに生きる。
    私が、私で居る限り、きっと私は、その子のありのままを観ることはできない。
    つまり、その子の本質は、本心は、ここにあるのだけれど、
    ありのままを観ようする大人が居ない限り、
    きっとこの子の本質である「善さ」は、
    この子も、この子の親も、この子の先生も、
    気付かないで過ぎることだと私は思う。
    そのことは、この子にとっては、とてもとても残念なことではないだろうか。

    「言うことをきかない」「落ち着かない」「手がかかる」「暴れる」
    こうした子どもは、大人たちから「困った子」と感じられる。
    まず、前提がそこだ。
    次に来るのは、いつもいつもその子だけに集中する大人の注意・指導だ。
    時には、大声で怒鳴られ。叱責され。説教をされる。
    しかし、その本人は、どうしてこんなに叱られているのかも分かっていない。
    怒鳴られて、叱られた子は、どんな気持ちや感情になるか、
    それは大人たちも分かっているはずだ。
    しかし、大人は、根気が無い。短気である。感情的過ぎる。
    だから、大きな声で注意する。
    言うことをきかないから、もっといらいらとして厳しい態度で当たる。

    「また叱られた」「また怒鳴られた」「また注意された」
    その百や千の日々の繰り返しの中で、
    子どもは考える。
    「どうしてぼくだけ、先生は注意するのだろう」と。
    そして、苛立ちを募らせ、怒りを貯め込み、反発を感じる。
    そう考えると、どちらが先か、分からなくなる。

    そうなっているのは、きっとそうされて来たからなんだ。

    そう考えてくれる大人が、その子の傍には必要である。

    黙って仕事をしているのは、何も人から仕事をしていないように見えるのは、
    今は、とにかくよくよく1人ひとりの子どもたちを見つめ、
    この子の本質・ありようを少しでも分かりたいと願うからの努力でもある。
    周りの大人のことを気にして仕事すると、子どもは見えなくなる。
    じっと定点での観察をしないと、小さな変化・成長を見落としてしまう。
    絶対に「善さ」はある。
    この見かけの荒々しく落ち着かない行動をしているのは、
    この子の身体だ。
    多動であるその身体を、この子はコントロールはできない。
    この行動は、全て身体が行う無意識だからだ。
    それを、「叱って」どうしようというのだ。

    私は、子どもの行動だけを見ない。
    いつも、身体の動きやその態度の奥に本人すら分かっていない、
    その子の人としての本質・「善さ」は何かと、ずっとずっと見つめ続ける。

    すると、その子の声が聴こえて来る。
    「私は、こうしたいのに、先生はそれを認めない」
    「私が悪くないのに、先生は私だけを叱る」
    「私は、お母さんから叱られてイライラしているのに、分かってくれない」
    「何だか身体が勝手に動きたがっているだけなのに、怒られる」
    「私は、あのことがとてもとても気になって落ち着かないだけなのに・・・」
    「私だってやろうとしているのに、みんなと同じようにできないだけ・・・」
    そんなつぶやきや独り言だ。

    学童の先生方は、本当に優しい素晴らしいお母さんたちだ。
    私は、学校現場からやって来た教師であることをここでは捨てている。
    私も、他の先生方と同じようにここでは父親にならねばならないと感じているからだ。
    つまり、「教える」「指導する」人ではなく、
    「育てる」「親」としての立場の人として、子どもたちに接する努力だ。
    すると、だんだんこうした声が聴こえるようになってきた。

    まず、教えない。
    まず、よく見る。じっくりと考える。

    今は、そうした自分を捨てて、相手のことを先にする態度で、
    いろいろなものを見つめなおしている最中でもある。
    「分かったつもり」「この子はこうだ」ということは、やりたくはない。
    まず、相手になる。「なりきる」「きなりになる」。
    そこで、聴こえる声だけを、心に留める。

    これが、私の「保父」さんとしての日々の修業だ。

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  • from: クマドンさん

    2020年06月26日 07時48分13秒

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    「わたし」で生きる人に

    さてさて、こんな時刻にこれを書いている。
    私のタイムリミットは、後僅かだ。
    「まぁ、いいか」と、とにかく今朝の思考をここに記す。

    3時に目覚めた。
    それから、ずっと天井を見つめながら思考した。
    「わたしは、どこにいるのか」の問いだった。
    おかしな話だが、私は確かにここに存在しているのだが、
    その私を、私だと認識しているのは、この「脳」なのかの問いでもあった。

    能が私たちとは、何だか、今は思えない。
    脳は他の臓器と同じ、つくり生きるための一つの器官にしか過ぎない。
    そうではないのかと、おぼろげに思っていた。
    今、「私とは、誰?」と考えているのは、
    脳の私では、絶対にないような気がしたからだ。
    今も、そうだ、こうやって書いている内に、
    誰がこのことを書いているのか分からなくなっていくが、
    その書かれていることを書いているのは、
    脳の機能である私なのかの違和感だった。

    何だかぼやっとだが、胸の辺りに「わたし」が居るような感じがした。
    わたしは、私として生かされているのだが、
    その私を私しているのは、
    ここにある大いなる普遍の「わたし」。
    その「わたし」は、Sさんの「わたし」であり、私の「わたし」。
    その「わたし」がありそうなんだと、考えると、
    何だか今、二人で考えているもやもやも、
    少しすっきりするような気がする。

    それでは、脳は、何?
    これは、ホメオスタシスではないのかの気付きだった。
    「生命体」という言葉が思いついた。
    そうだ。私は「生命体」なんだ。
    その「生命体」とての私の身体と命を維持して、生かすための働きを、
    生まれてから死ぬまで瞬時も休むことなく続けているのが、
    この「脳」ではないだろうか。

    あの人工呼吸器のようなものだ。
    これが止まったら、私の「生命体」としての命は終わる。
    だから、脳は、無意識に、私とは独立自尊に、今も、働いている。
    心臓が動くのも、肺で呼吸するのも、胃や腸で消化吸収するのも、
    私が、絶えず「そうせよ」と指示・命令を出しているから働いているわけでない。
    この脳の自律神経が休むことなく生きて働いているから、
    私は、ここに、私のままに生かされている。
    生きているのは私ではない。
    私は、この自律神経によって、生かされている私なんだ。

    「生命体」とての私には、ホメオスタシスが存在する。
    それは、「元に戻る」「平時に戻る」「復元される」能力のことだった。
    私は、仕事のために、毎日、検温をする。
    忘れても、施設に入ると、まずエプロンを着て支度をしてから検温する。
    「36.4」「36.3」「36.6」時には「35.7」のこともある。
    「どうして?」と、測る度に不思議になる。
    「38.5」では、身体の異常で、危険信号となるのだった。
    それでは、どんな仕組み・システムで、この体温はほぼ一定に維持されるのか。
    それが、身体に与えられているホメオスタシスの働きだった。

    それだけでない、生きている全てのことは、この力の働きでもあった。
    もし、今、ここを基準のゼロ地点とするならば、
    そこから少しでも変化し、異常な状況に身体がなると、
    必ずその異常を感知して、サインが出される。
    実は、昨日、夕食後に私は、吐いた。
    最近、時々胃の違和感を感じていた。
    だから、そま危険信号を示すために、身体は違和感や痛みを感じさせる。

    その時、胃がゼロ地点から、大きくぶれて、異常な数値を示したはずだ。
    それを感知する。それを知らせる。そのサインを送る。
    それがホメオスタシスを管理し「生命体」としての身体の私を維持するための、
    優秀で明確なる脳の仕事・働きだった。

    つまり、私は、そう考えると、
    脳とは、感ずる場・異常を感知してサインを出すだと考えた。
    するととてもすっきりとする。
    脳は、実はスパコン以上の働きを私のために休まずしてくれる器官なんだと。

    その時だ。
    それでは、「人生の意味」を考えているこの私は、
    いったいどこに居る。身体のどこに生きている私なんだと、不思議に思ったる
    しかし、その「わたし」を身体の外に設定してみたらどうだろうか。
    どことは言えない。ここにあるとは言えないが、
    今、こうして考えているのは、その「わたし」なのではないのか。
    では、その「わたし」とは、一体誰なの?
    と、また、「わたし」が私に「問い」を与えた。

    「わたし」を考える。
    すると、「わたし」で考えられる。

    「わたし」で考える。
    すると、みんなの「わたし」と一つになれる。

    「わたし」の「わたし」は、
    きっと私の「わたし」ではない。

    「わたし」の「わたし」で生かされると、
    それだけで、自由になれる。気持ちよくなれる。

    それでは、「わたし」はどこに生きる?
    でも、「わたし」でなかったことは、一度もなかったよ。

    きっと生まれてから、死ぬまで、ずっとずっと「生命体」であるように、
    「わたし」は、「わたし」でのあるがまま。

    そして、この「わたし」には、果てが無い。
    この「わたし」には、限定は無いな。

    一つの「わたし」がここにある。
    そして、その「わたし」が、
    こんなちっぽけでどうにもならない私のことを、
    ずっとずっと愛してくれていたのだ。

    私は、「わたし」という友と生きている。
    「やっと気付いてくれたね」と、その「わたし」が微笑んでいる。

    「わたし」何だ。
    「わたし」だっんだ。

    脳に「生命体」としての私の身体を、預け、委ね、任せた。
    すると、「意味」を求める私が、「わたし」と出会えた。
    一体の私なんだが、そこは「生命体」であり、「わたし」でもある。

    こんなことを考えていたら、4時5分だった。
    ラジオから、谷川俊太郎さんと、工藤直子さん。二人の80歳の詩人のお話。

    人間を草や魚や木と同じ命として生きるという生き方。
    きっと「ふぁふぁ」と、死ぬまで嫉妬しない人間として生きるのだろうねえ。

    起きる時には起きて、眠る時には眠る。
    勝手なことをして相手を傷つけたら「ごめんなさい」と息子にも土下座する。

    自分はいつも母親だとは思えなかった。
    お腹の中で動いた瞬間、逆さに眠る無遠慮な怪物と感じた。
    子どもは、生まれた瞬間、「友達」「親友」「盟友」「ソールメイト」だった。

    子どもに対して丁寧な言葉で話した。
    教育したという意識はひとつもなかった。

    子どもは命をかけて守るぞと決意した。
    子どもは私にとっては完全に友達。
    親としては、失格ですね。

    子どもは、言葉で言わなくても、親の行動を見ているものだ。
    ただをこねても何にもならない。その内に、ただをこねなくなる。

    詩は作者のものではあるけれど、
    作者の手を離れたら読者のものだ。 by 谷川俊太郎

    受け取った人の反応があって、初めてポエムとしての存在。

    私には、友達が1人もいなかった時があった。
    だから、こっそり鏡に向かって自分に言ったる
    「心配するな。直子がついている」「直子がついている」「直子がついている」

    「ミミズミツオ」の歌

    「おい、ぼくよ。ぼくが居るから、大丈夫。
     ぼくがいるから、大丈夫。
     ぼくがやっぱり、いるみたいで、元気になれる。
     さびしいときにささやく声、かくれんぼしてももうひとり、
     おい、ぼくがいるから、大丈夫。
     ぼくが、やっぱり、いるみたいで、元気になる。」
        …聴き採りなので間違っていたら多謝・多謝。

    谷川さんは、人間以外の「生命体」の気配の人だ。

    おのまとべが、心地いいね。
    ころころ・ふあふあ・すりすり・とんとん・きらきら・ちんちん・ころころ
    日本人だけだね、この言葉があるのは。

    「しーん」 谷川俊太郎

    「静かなのがいい 大声は聴きたくない でも 雷は嫌いじゃない
     静かなのがいい せかせかは好きじゃない おっとりしてるとほっとする
     静かなのがいい げらげら笑うのも悪くないけれど にこにこの方が落ち着く
     静かなのがいい 爆発の音は聴きたくない ため息もうめき声も

    独り遊びが楽しいですね。
    自分用のお呪いを唱えています。
    はははっと笑ったり、「まぁ、いいか」と言ってみたり。
    三日坊主も十日やれば30日。「おーーーし、」と想える。

    さてさて、そろそろゴミ出しに行かなければ。
    しかし、思考とは、面白いものだ。
    本当にだんだん「わたし」に近づいて来た気がする。

    できれば、谷川さんや工藤さんのように、
    「わたし」で生きられる人になりたいものだ。

    そうすると、「わたし」の「言葉」で話せる人に、
    きっとなっているだろうなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2020年06月25日 07時22分42秒

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    私の優先順位とは何かの

    昨日、午前中に教会で「αの学び」があった。
    これは、全部で15回の信仰の学びの講座だった。
    イギリスの牧師が講師として、教会員たちに信仰とはなにかを語る。
    そのDVDの映像を観ながら、
    私たち教会員たちが改めて信仰に付いての原点を学ぶ講座だった。

    1講座に映像は50分間。
    そこから1時間のお互いの思いや考えをシェアする時間とする。
    ここで、クリスチャンとしての今の自分を語り合う。
    そこにもまた新たな気付きと学びとが生まれる。
    私は、2月からこの講座に参加した。
    第1回から15回まで。
    本当に仕事をしながらよく続けられたことと感謝している。

    全てのことには時があった。
    この講座をもし、何も無かったら私は受けなかったと思う。
    どれだけ牧師さんに勧められても、
    なんだかんだとこの受講を拒んでいたのではないだろうか。

    しかし、あることから、この講座を受けることが余儀なくされた。
    選択肢は、「受講する」しか与えられていなかった。
    それが、私にとっては時となる。
    「そうか、今、なんだな」
    いつもこうして選ぶべき道は、選ぶべき時に示される。
    私は、そこで私の思いではなく、神の思いに従う。
    それだけが、きっと今の生き方。私を育てていると信じている。

    優先順位の話になった。
    私たちクリスチャンの優先順位は決まっている。
    それは第一に神である。
    私は、今回のさまざまな試練の中で、
    確かに、いろいろな選択を迫られてここまで至って来た。
    そして、選択が続けば続く程、
    何ができたかというと、
    「全てをお任せします」という「委ねる」という態度だった。

    だから、私は、いろいろな選択場面において、
    もし、自分自身が悩んでいたとした、
    それは、私の我がままや利益を優先に考えてのことと考えていた。
    もし、ここで、「やめます」「それはできません」と言えば、
    そのことで、御心にかなった決定ができないからだ。

    つまり、その選択肢が生まれたことは、
    私に対する神からの内面での「問い」が生まれたことでもあった。
    生きることは、問うことだ。
    生きることとは、問い続けることだと、私は思って生きている。
    だから、その「問い」は、いつもみの胸にある。

    問いということは、その答えを探すと言うことだ。
    その答を探すと言うことは、
    自分自身としっかりと向き合うことだ。
    そして、考えることだった。
    池田晶子さんがいつも語ったように、
    「悩むな。考えろ」だ。

    私は、この歳になるまでどれだけ多くの選択の場に立たされたことか分からない。
    私は、30年以上も教会に行かず、聖書も読まなかった。
    まさに、放蕩息子そのものだった。
    しかし、母が亡くなり、父が介護施設に入り、あることから孤独に陥り、
    本当に人生に絶望したその日、私は、この教会に導かれた。
    そこには、私に35年前に洗礼を授けてくれたS牧師の祈りがあったからだった。

    つまり、私は、ある日、ある時に、礼拝に参加することを選択した。
    それは、既に、私の思いや考えでなく、
    そうなるべきことが、ただそうなったのに過ぎないことだった。

    ここで、とやかく考えないことにした。
    次は、毎週の礼拝を最優先として、日曜日にこの教会に行くことだった。
    身体をまず運ぶ。
    とやかくその理由だとか、意味だとかは、考えない。
    呼ばれたまま、招かれたまま、そこに行った。
    そして、孤独と絶望の最中であったから、
    その聖書の御言葉と、牧師からのメッセージが魂に沁みた。

    「いかに人が生きるべきか」
    「いかに人が愛を求め続けているか」
    「その愛は、このイエスの教えそのものにある」
    そんな「問い」と「確信」とが、次々と繰り返された。
    その度に、私は、選択の場に立たされた。
    そして、自己決定した。
    それは、「全てを委ねる道」へ歩むことへの決意でもあった。

    それからだ。
    私の決定には、神が介入した。
    それが、私の心にいつも浮かぶ「問い」だった。
    ある日、分かった。
    「そうか、この問いは、私が造り出したものではないな」と。
    つまり、「問われているのは、私なんだ」という気付きだった。
    では、一体誰がこの「問い」を私に与え続けているか。
    それが、神であり、イエス様だった。

    つまり、信仰を持てば持つほど、
    その確信を深めれば、深めるほど、
    その「問い」とは、神の道か、己の道かの選択となって行った。

    だから、信仰を持たない人たちにとっては、
    「お金」「仕事」「時間」「地位・名誉」「権力」「家族」「遊び」等等
    その選択と決定の中には、
    神の視点は必要がないのである。
    自己の視点とでも言うのか、
    いろいろな条件や場合を考え、吟味し、計算して、
    自分にとって利益となるもの、
    得となるものの選択となることが多くなるのではないかと考える。
    それは、私が、そうだったからだ。

    損することは選びたくなかった。
    しかし、いつも相手のことは考えた。
    だから、その相手との折衷の場はどこかと模索し、
    そうした半ばを決定とした。
    その時、何を優先にするか、きっと考え、値踏みしたと思う。

    しかし、今、ここでは、違うのだ。
    私にとっては、全ての基準が神となる。
    というか、神としてのこの内面の「問い」となる。
    つまり、私は、フランクルではないが、
    内面に生まれるこの「問い」に対する敬意と信頼とをもてるようになったのだ。

    「問い」で、生かされる。
    「問い」に対するアンサーが、私自身の生き方となる。
    だから、まず、何か困難なことに出会ったら、
    何か選択すべきことに出会ったら、私は、真摯にその「問い」に向かい合う。
    そして、その「問い」が無言で語るその唯一の答えを選ぶ。
    その時は、私が選ぶのではなく、
    本当は「全てを委ねる」「お任せする」

    すると全てのことが気持ちよく、スムーズに進む。
    それは、私の自己を先とした想いではなく、
    私の「問い」を宿したこの身体の選択だからだ。
    だから、私は、「問い」を信ずると同時にね
    今は、その「問い」を宿しているこの身体のことを信ずるに至った。

    身体は、自然のあるがまま。
    そして、身体は神からの被造物だ。
    ここには、確かに神の息吹が宿されている。
    この身体に聴くこととは、その無言の言葉を聴くことである。
    だから、私は「問い」を聴き、素直に身体の選択に従って生きるようになった。

    今回の学童保育の支援員の仕事もそうだった。
    本当は、指導支援員の試験を受けるために願書を出した。
    しかし、60歳定年とのことで、丁重に願書が送り返された。
    そして、同時に市報にある学校の学童保育の支援員の募集があった。
    私は、午後から5時間のこの保父さんの仕事に、興味があった。
    それも、自転車で通える距離である。

    だから、一日考えてから、主に委ねた。
    結果は、身体がまたいっそう気持ちよくなっている。
    日々、修業は、今の私には必要なことだった。
    我が家に居て、林住期だけでは、
    鍛えられる道場とはなかなかなれないからだった。
    自分にはどうしても甘くなる。
    「まぁ、いいか」と、ついつい言って慰める。

    しかし、責任ある仕事つけば、それは言えない。
    人間関係のしがらみの中にも入れられる。
    時間に縛られ、義務に縛られ、責任を負わされる。
    それでも、やっぱりよかったと、私は思う。
    疲れ果てて、ぼろぼろになって帰宅する。
    その時のビールの美味いこと、美味いこと。
    これも身体が喜ぶ証だ。

    さてさて、日々の生活のなかで、選択はいつもいつもだ。
    実は、生きると言うことは、選択の連続のことだった。
    選択するから決定があり、決定があるから行動が生まれる。
    絶えず、絶えず、そうやって生きているのが、私の、今日一日。

    その時だ。
    何をその選択と決定の基準にするか。
    何を優先順位のトップと考えるか。
    そのことで、その人の生き方と人生とが決まると言うことだ。

    どうしてこんな人生になったのか・・・ではない。
    実は、全て自らが選択し決定した結果に過ぎないのだ。
    ただし、私は違う。
    今は、少しでもまだ自己が残っているが・・・(ごめんなさい)
    今は、全てをお任せして、委ねて生きている。

    これが一番楽で、気持ちよく、自由で、身軽な生き方だと、
    62歳と10カ月は、実感している。

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  • from: クマドンさん

    2020年06月24日 06時51分15秒

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    身体のことを想い出そう

    ぼーーっして生きることの気持ちよさかな。
    何もしないことは、何もしていないことではない。
    きっと、何もしていないように見えても、
    何かに気付き、考えているのかもしれないからだ。

    だから、何もしないでキュウリの葉っぱの前で椅子に座って本を読む。
    読んでいるのだから、何もしていないのではないが、
    そうやって穏やかに、眠そうに、ゆったりと、
    その庭の命たちと共に時間が流れる。
    そのことを、焦らない。
    そのことを受け入れる。
    いや、そうあることを気持ちよく感ずる。

    やっぱり気持ちよさなんだと、改めて思った。
    「バカの壁」を読み直している。
    私たちが忘れて来たことは、「身体」のことだった。
    そのことに最近、私も気付き始めた。
    だから、腑に落ちる言葉だった。

    身体で感じている。
    まず、身体が反応する。
    全てはそれから、そこからではないだろうか。
    頭だけで考えている人たちには、
    この「意味」は絶対に分からないはず。
    それは、身体を使って働くことを、低く見ているから。

    思ったことをどんどん実現した都市に住む人たちは、
    思ったこと、考えたことを、優先にする。
    そのことに価値を見出す。
    しかし、幸せになったのだろうか。
    都市に住んでいる人たちの生活に、虚しさはないのだろうか。

    ところが、身体で生活している人たちは、どうだろうか。
    農家の人たち。昔、百姓と呼ばれた人たちだ。
    百の才能・技術のある人たち。
    それは、大工や左官屋さん等、職人さんもそうだった。
    身体の合理的な動き・働きを知っている。
    何も考えずとも、身体が自然に動く。無駄無く、すっすと。

    あの身体の動きの気持ちよさだ。
    我が友Kさんが、昨日のメールにこう書いてあった。
    「人は、汗をかくように生まれて来たのだ」と。
    そうなんだな。
    頭で生活している人たちには、この汗が無い。
    しかし、身体で生活している人たちには、
    この汗を流した後の心地よさが感じられる。
    そうなんだな。
    人は、身体を使い、働くために、生きているのだという気付きと発見。

    では、どうやってその身体を使っているのかの「問い」だった。

    私は、今、「そうだ」と何か思いついたら、
    すぐにぱっと立ち上がってやることにしている。
    「後にしよう」「面倒だなぁ」とは、思わない。
    そんな隙間を身体には与えない。
    「さっと」やる。
    料理したら、食べる前に鍋やまな板をさっと洗って片づける。
    食べ終わったら、さっと食器を運んで、洗って乾燥機に立てかける。
    だから、気持ちよく何でも進む。

    とにかく、庭に出る。
    やる仕事は、向こうから教えられる。
    「雑草を抜く」「枝を剪定する」「花を刈る」「カボチャを受粉させる」
    ぐずぐず言わない。
    そんな意味も考えない。
    まず、考える前に、さっと動く。それでいい。

    ルーテーンを決める。
    朝は、今は3時40分に目覚ましが鳴る。
    ぐずぐずしない。
    さっと起きる。トイレに行く。入れ歯をはめる。ポットでお湯を沸かす。
    そして、パソコンを立ち上げる。
    それから、ラジオをつける。4時前の全国の天気予報を聴く。
    4時からは5分間のニュースだった。
    そして、4時5分から「明日への言葉」だ。
    今朝は小説家の浅井さんの江戸時代の人と植物とのかかわりのお話。

    それから、メールをチェックして、友たちに返信を送る。
    これは、毎朝の私の日課としている。
    その日、その時の、私の気持ち。
    そうした交流が、何よりの嬉しさとなる。
    そして、これを書く。打つ。打ち続ける。

    今朝の小説家の浅井さんが言っていた。
    自分で結末を決めて書きだしても、途中で筆が止まると。
    それは、主人公や登場人物が造り物になっているからだ。
    だから、書きながら、そう来るかと、ワクワクしながら書き進める。
    この気持ち、よく分かる。
    自然に生きるものは、自然の生き方そのものとして、その世界を生きるものだ。
    私のこの「言葉」もそうだった。
    次々と、書き進める。
    途中で止まらない。
    しかし、止まる時は、自然から外れた造り物となった瞬間だね

    その身体の意識の流れのままに、任せて、流される。
    養老さんが言っていたことに、
    人が忘れているもう一つのことは、「無意識」だということだった。
    頭だけで生きている人は、この存在すら気付いていない。
    本当は、この無意識の世界・阿頼耶識の世界が、
    何だかこの身体と一体となって、生きているのではないのかと、私は思う。

    考えたことは、造り物だ。
    それは、妄想であり、虚仮である。
    本当のものは、この自然に在るものだ。
    自然に生かされているこのいのちそのものが、
    在るものとして、ここに在る。
    それに、成りきる。それになる。
    Sさんがよく言っていたなぁ。
    「きなりに成る」と。

    こっちから考えで、あれはどうだ、こうだとは決めない。
    勝手にあれはこうだから駄目だ。あれはああだから情けないとも決めつけない。
    だから、まず、あれになってみる。
    だから、そのまま、きなりになってみる。
    それで、やっとあれも、これも「ああそうだっんだ」と、分かるはず。

    身体で考えるとは、こういうことだと私は考えている。
    つまり、あれである。あれになる。
    そうならないと、そのものの気持ちも感じも分からない。
    だから、不思議だ。
    どうして頭だけの人が、そのものを「分かっている」というのかが。
    そのものと一体にならなければ、
    そのものは何も語らないのに、
    見ただけ、聴いただけ、遠く離れて、そのものを判断し、価値を決める。

    身体を使う人は、決してこんな愚かなことはしない。
    キュウリの鶴と葉と花になる。カボチャの実になる。トウモロコシの雌花になる。
    すると、どう身体を使って手助けすればようのか、教えてくれる。
    それは、むこうも無意識、こちらも無意識。
    間髪を入れない。
    ここで、少しでも我儘な思考が入り込んだらアウトなんだな。

    身体を使って考えるとは、こういうことなのだと私は考える。

    子どもたちに対しても同じだった。
    私は、その子に出会う。
    そしたら、そのまま、その子になる。きなりになる。
    すると、その子にかける言葉が分かる。
    どうしたらお互いに気持ちよくなるのかが感じられる。
    そうしたら、それをするだけ。
    笑顔はもちろん当たり前。
    お互いに気持ちよくなるためには、笑顔と優しさ、それだけだ。

    すると、私は、居ても居なくてもいい人としてここに居られる。
    そして、いつか居てもいいかも知れない人としてここに居られる。
    そのかかわり、関係性は、自然なものだ。
    そうした無意識の空気感で子どもたちは生かされている。
    まさに、花や野菜と近い人たち。

    大人になるとだんだん、足から頭に上昇する。
    そのおかげで、裸足で大地に立つあの心地よさを忘れる。
    頭だけで、人の人を値踏みして、評価して生きる人になる。
    しかし、目は前しか見えないから、自分自身を見れない人となる。
    そうした大人を、たくさん見て来た。
    子どもたちは、そんな大人を哀しく感ずる。
    そんな大人にイライラとする。

    だから、身体を使って気持ちよくはたらく大人を喜んでいる。
    そういう大人のことが、大好きだ。
    それは、子どもがきなりで生きている証だと私は考える。

    「大人たちよ、書を捨てよ、頭を捨てよ」だな。
    「身体を使ってはたらくことの気持ちよさを再発見せよ」だな。
    「身体で考えよ。身体の声を聴け」だな。
    これって、学校や家庭で教えることの反対なことかもしれないな。

    人は、身体と無意識とを忘れて、頭で生きる人となってしまった。
    人は、幸せになるためには、どう生きたらよいのか。
    その「問い」をきっと神様はstayhomeで私たちに与えたのだと私は信じている。
    after新型ウイルスの「生き方」なんだな。

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  • from: クマドンさん

    2020年06月23日 06時46分10秒

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    ここにある一つに気付くために

    禅僧の生活に学んでいる。
    それは、本当に小我を捨て去る生活だった。

    朝は3時半に起床する。
    それから、直ぐに夜具を片付け、走って坐禅に向かう。
    そして、沈黙の中での坐禅が続く。
    食事の時も、沈黙は守られる。
    全ての所作には作法が決められている。
    その決められた通りに、有無を言わずに従う。

    読経をする。
    頭でとやかく考えず、ただ腹からの大声で読経する。
    師を中心にして向かい合った修行僧たちが、
    声を一つに和する。響き合う。
    その響きの中に没入する。
    恍惚の中で、我を忘れる。

    托鉢をする。
    走って回る。
    各家の門に立ち、玄関に立ち、大きな声で読経する。
    いくばくかの米をいただく。野菜をいただく。
    感謝して、また次の家に向かう。
    また、そこで読経する。

    作務をする。
    落ち葉を竹ぼうきで払う、払う、払う。
    だからどうだとも思わない。
    いつまで続くのだとも思わない。
    ただ、只管道路の上に散った山のような落ち葉を払う、払う。

    9時に就寝の時刻となる。
    みな単の上に夜具を敷く。
    やっと眠れる。やっと休める。
    しかし、直ぐにみんなは起きだし、
    お寺の軒下、廊下の上に並び坐禅する。
    夜座と言う。
    寺の裏山でもやっていたが、
    山の獣たちが徘徊するので危険なので今は止めている。

    夜座は、先輩の修行僧が終わったら、
    その次の先輩の修行僧が終わり。
    その次の、またその次のと、ずっと全部の先輩が終わってから、
    やっと一番の新参の修行僧は単に戻って眠ることができる。
    その時刻は、既に午前2時を過ぎている。
    凄いことだと、私は思う。

    この話をしてくれた、師家である山田氏は、
    そんな新参時代に、死にそうになったと話す。
    身体も心もどうにもならず、逃げだそうと考えた。
    ここで意識不明になって倒れれば、
    きっと救急車で病院に担ぎ込まれる。
    そうしたら、しめたものだ。
    医師に診断書を書いてもらい、故郷に還れるだろう。

    そう思った氏は、人一倍に徹底的に修業したそうだ。
    こんなことをすればもう一週間で意識不明となるだろう。
    えい、これでもか。これでもか。
    身体と心を究極の極限まで追い込んだ。
    そして、ある夜座の後だった。

    時は、既に午前2時だ。
    ここで眠った所で、3時半には起こされる。
    つまり、眠れる時間は1時間半だけ。
    その時、
    「ああ、1時間半も眠れるな」と、ふと思ったそうだ。
    それまでは、「たった1時間半しか眠れにない」と思っていた氏だったのに、
    その時、「1時間半も」と、「も」がついた。
    そこで、氏の何かが回転した。回心した。感謝だったと言っていた。

    さてさて、この禅僧の生活全てに渡って、
    我が侭はどこにも無かった。
    本当に凄いなぁとの感動は、
    自分の思いや感情を無にしないと、
    この厳しい勤めは勤まらないということだ。
    まぁ、私のようなぼんくらには絶対に無理、無理だと
    思った。

    だから入門に当たっては、本当にその覚悟が問われる。
    入門を許されるまで10日間、試される。
    その者の覚悟を観る。
    本当にこの者が世の中の全ての欲としがらみを捨てて、
    ここに本心で入門したのか。
    この者が、ここでの厳しい修業に耐えられる者なのか、
    それを先輩の修行僧はしっかりと見極める。

    入門が許されたら、
    その日から、私は居ない。私を捨てる。
    音に対して、規則に対して、身体を動かす。ただ従う。
    有無を言わぬとは、このことだ。
    カンと版木の音がする。
    さっと、やるべきことをするために、走って向かう。
    そこに至ったら、すぐにそれをやる。
    やる時は、黙々とただ只管そのことだけに向かう。

    また、版木が鳴らされる。
    「ああ、またか」「嫌だなぁ」「やりたくないな」「休ませてくれ」
    そんなことを人は思いやすいから、
    そんな妄想が現われぬうちに、それを打ち消すように、
    さっと、風のように身体を動かす。
    その位置に就く。
    そしたら、そこで果たすべきことを、果たす。ただそれだけ。

    氏は言った。
    禅寺での厳しい修業は、身体がそれを覚えるまでやるためだと。
    身体が覚える。
    身体を動かす。
    身体を練って、鍛え上げる。
    ここには、小我の妄想は全く入る余地はない。
    入りそうになったら、顕れそうになったら、身体を動かす。

    只管打座が道元の教えだ。
    心身脱落・脱落心身。
    そのために、日々の生活における日々の修業が存在する。

    私は、坐禅をするわけでない。
    こうした日々の厳しい修業をすることもない。
    ただ、身体を動かす。身体を使う。身体を先にする。
    有無を言わない。
    ルーテーンがあるなら、それにただ従う。
    余計なことを考えて、迷わない、文句は言わない。
    「はい」と従う、それを、やる。

    そのことを、私自身の日々の生活における修業なんだと考えている。
    日々是道場。
    その生き方は、実は、とても気持ちよい生き方だった。
    本当に何も考えずに生きられたら、気持ちいいのだ。
    あれや、これや、あのこと、このこと、
    人は自ら考え出して、悩みのどつぼにはまる。

    人から言われたら、「何で私が」「どうして今、これをやらねばならぬか」と、
    不満を言ったり、腹を立てたり、感情を乱したりだ。
    妻とはよくよくこんなことが多くある。
    その度には、反省、反省。
    まだまだ未熟で、修業が足りない。足りない。

    だから、気持ちよく日々を生活するために、
    頭を捨てる。俺が、俺がを捨てる。自分を忘れる。相手を先にする。
    そして、ルーテーンに従い、規則・規律に徹する。従う。
    指示・命令には、例え意に添わずとも、「はい」と笑顔で応える。
    そして、その仕事を黙々とこなす。

    今、私は、日々の仕事をこれでやっている。
    つまり、この仕事場は、ぼんくらな私を鍛える道場だった。

    もし、私が、ここで、このまま、stayhomeだけだったら、
    それでも、ここを道場とすることもできる。
    しかし、私ではなく、多くの人の我に囲まれ、
    その人たちとのかかわりの中で生きることは、
    なかなか一筋縄ではいかない、困難なことでもあるのだった。

    人の思いは、私の思いではない。
    人の思いを、私はコントロールすることはできない。
    そして、新参者の私は、全てその人たちの下で働く。
    そこに徹する。
    62歳と10カ月。
    全く何も分からない新人として、初心者として働く。

    実は、この立場が、私にとっては修業そのものだ。
    禅寺の修行僧たちのように、頭を捨てる。身体で動く。考える。
    そこに徹する。
    徹底的にそこに追い込む。
    ちっぽけなぼんくらな私に気付き、
    その私ではない、「わたし」で生きる。はたらく、仕事する。

    ここからしか、きっと私は、「わたし」に出会えない。
    私は、わたしと一つになるために、
    ちっぽけな私を、捨てるためにそこへ行く。

    仕事とは、道場・修業の場であったとの、新たな気付きと感動だった。
    そこでは、修業をさせてもらいながら、
    お金さえくださると言うのだ。
    5時間働いて、4,500円だった。
    1,000円と言うお金の価値や、在り難さもここで変わった。
    無駄にはできない。大事に使おう。

    禅僧の修業生活と出会った。
    師家の山田氏の語りを聴いた。
    私は、日々是道場と仕事している。
    そのことが、みんな別々なのに一つになった。

    その一つをみんなは求めている。
    その一つは、ここにある一つだ。
    なのに、どうしても見つからない。
    その一つをみつけるために、
    ここにある一つに気付くために、
    私は、今日も日々の修業の生活をするだけだなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2020年06月22日 07時17分21秒

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    「言葉」と向き合う生活を

    昨日の夕方5時から、
    旧豊栄の友人Kさんと、Zoomでのちょい飲みの会をした。
    この会が始まったのは、stayhomeのおかげだった。
    退職した彼の慰労会をと思っていたが、
    外出禁止の戒厳令下だ。
    そこで、ヨガのレッスンで学んだこのZoomに注目。
    パソコンの得意な彼は、直ぐに習得、直ぐに繋がった。

    不思議な気分だった。
    彼の日常生活に私は、立ち入っている。
    写っているのは、彼の部屋だった。
    そして、二人で乾杯をしてから話を始める。
    お試しタイプだから、60分間しか使えない。
    だからからか、凝縮した濃い話が続く。

    まぁ、私が一方的に話していることが多いようで申し訳ないが、
    こうして彼と、Zoomで繋がった。
    もし、このアイテムがなかったら、
    「いつか、飲もうな」で、疎遠になっていた可能性もある。
    また、私が電車で豊栄まで毎週飲みに行くわけにはいかない。
    つまり、こうして深く深くを語り合えるようになったのは、
    この新型ウイルスのおかけでもあった。

    私は、この二カ月半のstayhomeの生活で随分変わったものだと感じている。
    この「親父たちよ」がまずそうだった。
    私は、ここに書き込みながら、考えている。
    考えながら書いている内に、自動的に言葉が湧いて来ることがある。
    Sさんによく話をするのだが、
    身体が気持ちよく感ずる言葉は、
    そのままここに書き込めるが、
    そうでない言葉は、書いていても気持ちよくなく、指が止まる。
    だから、いつも身体に聴きながら書いていますということだった。

    すると、身体は身体として刻々と変化している。
    その変化とは、とてもとても自然なことだった。
    「ゆく河の水は、もとの水にあらず」だ。
    そうやって、今、ここの、身体の言葉を顕わにする。
    すると、私は身体から何かを教えられ、
    その気付いたことを、ここに「言葉」に顕す。
    すると、はっと気付くのは、私だった。

    そのための時間を今は、たっぷりととっている。
    気付くと7時15分だったりする。
    3月まではもうすぐ学校に到着する時刻だった。
    生活の流れが変わったことで、
    私は、身体の声を聴くようになった。

    それから、身体の変化につれて、その変化するままに生きていると、
    同じようにして日々刻々と変化する自然と出会えた。
    そうやって庭を見つめ、野菜たちの世話をゆっくりとする、
    そうしたゆとりの時間は3月まではなかなかなかった。
    だから、この身体と自然の命とのシンクロには、
    なかなか深く気付かないで生きて来た。

    つまり、私は、私として、
    これも同じように日々変化しているということだった。
    人は、変わらない。
    これは、大間違いだ。
    昨日の私と、今日の私とは、全く変化した違った人間だ。
    それはそうだろう。
    全く微細まで同じコピーができるわけはないからだ。
    まず、私の身体は、変化し、衰え、老いている。

    昨日の身体は、もう今は、無い。
    今、あるこの身体も、刻々と変化しつつある身体だった。
    同じものは、どこにもないのだ。
    そう感ずると、花やカボチャや雀たちとも御同胞だ。

    だから、その変化する身体に聴くことで、
    今、ここの、私が何でありつつあるのかが、わく分かる。
    いや、感じられる。
    そして、その感じたままに、素直に従って生きようが、
    私と小千谷のSさんとの確認事項だった。

    そう考えながら、分かったことがあった。
    それは、この身体の「言葉」を言葉として語る時に、
    通じる人と、全く通じない人がいるということだ。
    こんな私の「親父たちよ」を面白いと感じてくれる人は、
    きっと身体の「言葉」を感じられるマイノリティーなのかも知れない。
    「そうだよなぁ」「分かる、分かる」という共感ができる人は、
    きっと、私たちと同じ身体の「言葉」を感じている人だけだろう。

    頭でものを考える人たちは、
    頭で考えて決めつけたことに執着して、縛られている人たちだ。
    「この時、こうすることが当たり前。」
    「みんながそうしているから、そうしてください。」
    「決まっているでしょう。」
    ここから抜けられないその不自由さに気付かない。

    私たちは、身体の「言葉」で生かされる。
    その大多数の人たちは、頭の言葉や他人の言葉で生かされる。
    しかし、養老さんが言っているように、
    情報は固定して、変化をしない。
    決められたことを決められたまま生きている人たちは、
    その決められたことにだけしばられて、変化することを恐れるようになる。

    しかし、身体の言葉で生かされている人は、
    この身体の日々の状態のように、
    その日その日、その時その時、感ずるままに変化する。
    変化することを喜んでいる。
    潔く変化する。
    すると、自然のみんなと御同胞となれる。
    まさに賢治の自然観だな。

    しかし、この頭で人間が勝手に作りだした情報は、
    実は、ご都合主義で創られているから、
    人が変わると、それも変わる。
    世の中のことを振り返ればそうだと思うはず。
    この頭で考え出された思想やイデオロギーほど、
    全く当てにならないものはないのだ。
    こんなことを信じているから、予測不能の明日におろおろとする。

    しかし、身体の「言葉」で生かされている人たちは、
    変化しているようでいながら、
    実は、この普遍なる身体の「言葉」のおかげで、
    何も変わらず、愚かなる世の中が紆余曲折しながら迷走しても、
    どんと座って、腰を降ろし、
    本分であるその「言葉」で生きることができるのだ。

    この「言葉」太古から。
    いや、この世界が生まれる前から、不変なる「言葉」だった。
    そして、私もSさんも、この普遍であり不変である「言葉」を感じた。
    そして、その「言葉」が、私たちが日々出会てる自然の命の源でもあると、
    何だかだんだん分かって来たから、面白くなった。

    人は無上の中で、流転して、変化して、この世からいつか消え去るものだ。
    しかし、本当の私。
    「言葉」で生かされている私は、
    きっと死んでも死なない私だと、庭を見ながらよく思う。
    「言葉」になればいい。
    「言葉」のままで生きればいい。
    「言葉」ままであればいい。かな。

    そうすると、生まれては、消え、生まれては、消える、
    この命の大いなる循環の中の私として生きられる気がする。
    頭を捨てる。
    そうしなければならないを捨てる。
    昨日までの私を捨てる。
    明日のことをくよくよする私を捨てる。
    すると、今、ここ、わたししか居ない。
    そのわたしすら、捨てられたらもっと楽なことだろう。

    禅の師が語った言葉。
    「大きな川の流れ。そこに現われる泡。それが私たち人間です」
    「その泡は、その川の流れに流されるまま流れて行く」
    「その内に、時至れば、ぱちんとはじける。消えて無くなる」
    「どこに行くと思いますか」
    「またその大きな川の流れに戻っただけです」

    「法という文字を考えてください」
    「さんずいに去るですね」
    「つまり、大きな川に流されて、泡となり、ぱっと消えて元に戻る」
    「そうした生き方こそ、法なのだ、ですね」

    「私たちは小我で生きています。俺が、俺がの生き方ですね」
    「大我は違います。大河とは本来の自分です」
    「つまり、人は本来の自分で生きられるのに、小我に執着しています」
    「本来の面目、それを悟るための日々の修業です」

    「身体ですね。身体がぱっと動く、感ずる」
    「頭で考えて動いていたら、余計なことが入り込みます」
    「ぱっと音を聴いたら、ぱっとその動きをする」
    「道場で言葉で言わないのは、音に即反応する身体を造るためです」
    「修業とは、そのことなんですね」

    今、ここに、別々のことを記しているようだが、
    本当は、一つのことだけを語っているのに過ぎないんだな。
    絶対に一つなんだ。
    一体が生きているんだ。
    その一体を、自らの身体を探究しながら、感じ、考える。
    それが、「言葉」としての人の役目ではないだろうか。

    だから、私は、ここに「言葉」を日々紡いでいる。
    昨日とは、違う私が、今、ここで、感じた「言葉」に促されつつ。

    例え、離れて居ても、豊栄のKさんとも、小千谷のSさんとも、
    一体の同じ「言葉」で語り合っている。
    そのことは、人としての喜びであり、感動であり、感謝だと思う。

    stayhomeで、私は、よりいっそう深く、静かに、
    この「言葉」と向き合うことができたようだ。

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  • from: クマドンさん

    2020年06月21日 07時14分34秒

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    疲れたら土を触ろう

    何だろうかなぁ。
    分かると言うのは、身体で分かること。
    そうなのではないかなぁと、最近考えている。

    小千谷のSさんとの対話でいつも感ずることだ。
    身体が分かっていることを分かるから、
    私とSさんとは共通で何か同じものを了解できる。
    それは、全く頭で考えた個別なことではなく、
    同じ一つから生まれた、ものであるから、
    「そうだなぁ」「そうなんだなぁ」と、腑に落ちる。

    だんだん深くなると、
    同じ水脈にたどり着くのではないだろうか。
    そこまで行くと、別々は全く存在しない。
    そこから全ては生まれているのだから、
    そこから生まれたまさに兄弟姉妹としての私たちだ。

    そのことを感じ、認識で来たら、
    この庭の花や樹木や雀や、アゲハの幼虫も、
    一体の中の別々にしか過ぎない。
    つまり、一体から生じた全てのものは兄弟であり、姉妹なんだ。

    そう想うと、楽になる。
    これでいいと、ただ想える。
    気持ちよく生きたいなぁ、それだけで十分だ。
    Sさんは、今朝も信濃川の川べりを散策しているだろう。
    見えるもの、聴こえるもの、感じられるもの、
    そうした一つ一つの感動を味わっているだろう。

    こっち側で生きていると、その喜びを感じられる。

    ところが、私は、半日だけ向こうの世界に出ることとなった。
    しばらく、この林に住みながら、
    久しぶりの向こうの世界だ。
    やっぱり疲れたな。
    楽しいことは楽しいのだが、身体が疲れを感じている。
    どんよりと身体が重たい。
    何だか外出したいとは思わない。
    だから、やっぱりstayhomeだった。

    ビオラとパンジーとナデシコをお終いにした。
    つい二週間前までは満開の盛りだった。
    しかし、この暑さが続く日々の中、
    確かに花たちは弱って行った。
    花は枯れ、枯れた蕾だけが残された。
    もう少し・・・と思っていたが、
    その時が来たのだと、決断をした。

    花の茎をどんどん刈っていく。
    その丈を短くする。
    根っこと本の数センチの茎だけ残す。
    さてさて、これからどんな蘇生を見せるかが楽しみだった。

    すでにナデシコは、薄緑色の小さな花芽を伸ばしているものがあった。
    パンジーの茎には、ギザギザの小さな葉だ。
    次の命は、すでに準備され、その伸び頃を待っていた。
    つまり、私が刈っても、刈られたままではなく、
    そこをきっかけにして、次の命を目覚めさせているわけだ。

    命の本来の姿とは、死なないということだ。
    生き延びるということだ。
    そして、全ての命には生き延びるための力と知恵とか備わっている。
    私は、いつもこの季節に花を刈ることで、
    その力の確かなことを実証している花たちと出会う。
    そのことは、とても嬉しく、希望を感じさせる出来事だった。

    花と私は、身体を通しての兄弟であり、姉妹である。
    別々であるようだが、本当は一体の別々なんだ。
    だから、細胞や微生物単位の私とこの花とは、
    大きさこそ違うだけで、同じ命で成り立っているはずだ。

    同じ太陽の光を浴びて、同じ空気で呼吸し、同じ水を飲んでいる。
    そして、同じ大地の恵みで育っている。
    人は、その大地の恵みを食物により間接的に自然からいただいている。
    つまり、食べたものが、私の身体なら、
    その食ものが等しいこの命たちとは、
    私は同じ身体を持っている生き物でもある。

    光りで繋がり、空気で繋がり、水で繋がり、土で繋がる。
    そして同じ自然のままのこの身体を持ってこの世界に生きている。
    御同胞とは、よく言ったものだ。
    その繋がりの輪の中に私が生かされていることの感謝かな。

    昨日は、疲れていたらしい。
    本当にそんな日もあるのだと、諦めてここに居た。
    気が付くと、庭に立っていた。
    キュウリの葉が大きく広く、つるは既に2mを超えていた。
    カボチャの葉は大きく連なり、雌花がきれいな黄色だ。
    サヤエンドウは長い実をつけ、一日で長く太くなる。
    ダダ茶豆は、可愛い枝豆を付け始めていた。
    日々、新ただ。

    その小さな畑の中でじっと突っ立っていると、
    それだけで気持ちよくなるのはどうしてなのだろう。
    その内に、手が動き始める。
    日陰をつくるズッキーニの大きな葉を取り除き、
    ミニトマトの摘果をする。
    剪定ばさみを持つと止まらなくなってしまう。
    あちらこちらで、ちょきちょき、チョキチョキ。
    1時間も庭に居ると、すっかりと様変わりする。
    これがまた気持ちいい。

    今朝、東京の渋谷のビルの屋上でどでかいプランターの畑をやっている、
    「アーバン・ファーマーズ・クラブ」の代表の山倉さんの話だった。

    「畑は、土ですね」の一言だった。
    神奈川県でオーガニックの野菜を育てている友の畑で修業をした時、
    本当にニンジンやホーレンソウ、トマトの味が美味いのだそうだ。
    化学肥料を一切使わず、たい肥を作っての土づくりだ。
    その土が、この滋味のある深い深い味を出していた。
    光りも、水も変わりないはず。
    なのにこんなに味が違うのは、やっぱり「土」何だの発見だった。

    だから、その屋上のプランタには市販の培養土の上に、
    その友から教わった土づくりで発酵させた土を乗せていると言っていた。
    私も昨日プランタの固くなった土を移植こてでこねて、かき回した。
    この土をいじる感触は、私の好きな感触の1つだった。
    こねこねとする内に、何だかむにゅむにゅと活性化される気がするからだ。
    大きなミミズがくねる。ダンゴムシたちが足早に逃げ回る。
    足が数え切れないムカデとゲジゲジ。
    何の幼虫か、宇宙人の蛹か、得体の知れない生き物が眠っている。
    その虫たちが生きているのは、この土に微生物たちが暮らしているからだ。

    何とこの小さなプランタの中では、自給自足の循環する宇宙があった。
    その発見。その驚き。その感動。
    土をこねくりまわすことの楽しさを、知っている人は、幸せな人だ。

    小倉さんが言っていた。
    「人は、土を触ると、幸せになる」とのことだ。
    「脳から、幸せを感じるオキシトシンが土を触ると出る」そうだった。
    つまり、ストレスを解消し、気持ちよくなるためには、
    土を触ることがとてもとても大切なのだということだった。
    だから、実際に大都会で仕事をし、暮らしている人たちが、
    その土を求め、農作業を求め、野菜を育てることを求めて集まって来る。
    現在、会員は370名だそうだ。

    やっぱり疲れた人は、土に還る。
    疲れた身体は、土が癒す。
    農家のお年寄りのあの気持ちよさそうな優しい笑顔は、
    この土が育ててくれた気持ちよさなんだな。

    やはり、ホームには、ガーデンが必要だ。
    そけが人が人として自然のあるがままに育つ環境だからだと私は思う。
    どうして「家庭」と言うのか、久しく私には謎の言葉だった。
    しかし、人が人として暮らすためには、
    住居だけではなく、やはりそこにガーデン・自然が共にあるべきなんだと、
    きっと昔の人が教えてくれていたのだと思った。

    「テューダーさんの森」をBSで観た。
    本当は庭ではなく、森の中に家を建てたい。
    そんな気持ちに私はなった。
    いつか、そんな夢を叶えられる日が来ることを願っている。

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