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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019年11月30日 07時11分21秒

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    人生は、出会いだな

    昨夜は、腹痛を感じながら、飲み会に向かった。
    15年前に7年間勤めた職場の会だった。
    そこで、私たちは学校の森を造り、ビオトープを造設した。
    県内でも初めての試みだった。
    まだビオトープと言う言葉を理解されていない時代、
    私たちは福島潟と連携したビオトープ地域の人たちと造り続けた。
    5年間をかけた壮大なプロジェクトだった。
    その同士の面々の集まりが「太田の会」だ。

    みんな15年分歳をとった。
    紆余曲折、いろいろなことが人生に起こっている。
    それでも、その人たちの本質は変わらない。
    何でも本音で語り合える先輩と同僚だった。
    この出会いが、私にとっては宝物ものようなものだった。

    75歳のAさんは、今度は「英会話」の会に入った。
    阿賀町のガイドとして長年勤め、
    阿賀町の山の神様の歴史を調べて、あちらこちらで講演している。
    会う度にいちも新たな資料を渡される。
    すごい人だといつも感動する。

    64歳のBさん(女性)は、未だ現役バリバリのキャリアウーマンだった。
    職場の同僚からの信頼が篤く、いつも慕われている人だ。
    彼女もそうだった。日々新たなる企画を立てる。実行する。
    そして、その企画に同僚たちを巻き込んでいく。
    彼女と居ると、新しい経験ができる。
    昨夜の「じっとこ組合」というお店も、彼女のチョイスだ。
    宮崎地鶏のお店。何でもとにかく美味かった。

    当時、勝手放題やらしてくれたのが管理職のCさん(女性)だ。
    どこでもやったことにないことを、助成金をとって、推進する。
    地域の人たちを巻き込み、とうとう「ハイキングクラブ」まで作ってしまった。
    その先頭には、いつも彼女がいてくれた。
    それが何よりもの心強さだった。
    理解してくれる。分かってくれる。バックアップしてくれる。
    とにかく突き進むだけの開拓者である私にとっては、
    百万の味方だった。

    Dさん(女性)は、いつも優しく、笑顔の人だった。
    人の心や気持ちに敏感で、そっと優しく助けてくれた。励ましてくれた。
    守られている。心配されている。それって、とてもありがいことだった。
    私の気付かない面に気付き、教えてくれる。
    憧れの先輩でもあった。

    Eさんは、研究熱心で、追究意欲にあふれた後輩だった。
    この開拓者の企画を最も理解し、興味・関心を持って突き進んだ。
    参謀は私で、先鋒は彼だった。
    彼が行った実践は、今でも燦然と輝いている。
    彼の実践を超えた実践に、この15年間会っていない。

    そんな仲間たちだ。

    どうしてこの会が15年間も毎年2回開かれているのか。

    それは、みんなが本音で生きたいい人たちだからだ。
    そして、みんな優しく、互いに助け合って生きて来た人たちだからだ。
    何よりも、いつも新たで、挑戦する気持ちを持ち続けている人たちだからだ。
    だから、この会で集まると、元気になれる。
    例え、腹が痛くても、会いに行きたくなってしまう。
    そんな素敵な人たちとの出会いを、心から感謝している。

    人生は、出会いだ。
    出会った人が、きっとその人の人生を決める。
    願わくば、善き人との出会いをだな。

    今夜は、胎内ロイヤルパークホテルだ。
    「山賊会」の「はばぎぬぎ」だ。
    山の仲間たちとは、30年がたとうとしている。
    今でもこの会が続いているのは、事務局のご夫婦のおかげと、
    山とお酒とおしゃべとが、大好きな素敵な面々がいたからだ。
    この会の人たちも、みな「善い人」たちだ。

    まだ腹痛は続いている。ああ、無理はできないと、身体がつぶやく。
    それでも、温泉に行く。飲みに行く。友に会いに行く。
    ここでもまた人生の先輩ばかりだ。

    私は、この先輩たちにどれだけ大事なことを学ぶことができたことか。
    そのことは、いつも心で感謝している。

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  • from: クマドンさん

    2019年11月29日 05時10分36秒

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    身体さん「ごめんなさい」

    ここのところ、体調がいまいちよくない。
    何だか腰の痛みまで加わり、とほほのまんまだ。
    昨日は、仕事場で朝から腹痛だった。
    それも断続的に続き、強い痛みが時々押し寄せる。
    「うーーーん」と唸りながら椅子に座って耐えていた。
    だからと言って、休める仕事ではない。
    とにかく、この痛みが治まることを祈るだけだった。

    胆石の痛みの様だった。
    胆嚢をとっている私にも胆石の可能性があるという。
    この石がなかなかやっかいな石で、
    胆道を塞ぐと、のたうちまわる苦しさだった。
    数年に一度。
    過去何度もこの激痛に襲われた。
    酷い時は、公園の芝生の上で脂汗を流した。

    痛みは、どうにもならないものの1つだった。
    それは、私自身全くコントロールができない。
    「やめてくれ」「まいりました」といくら懇願しても、哀願しても、
    その激痛は去ることはしない。消えない。ずっと続く。
    その内に、気まで遠くなることがある。
    私は、どれだけ激痛というものにやられたことだろうか。

    入院中は、点滴で鎮痛をする。
    椎間板ヘルニアの時は、座薬でなだめた。
    それでも、激痛は収まらない。
    すると脂汗が出て来る。
    それでも歯を食いしばって、それに耐える。我慢する。
    しかし、今、こうしてこれを打っている。
    あの激痛は、過去のこととなっている。

    そんなものなんだなぁと、ふと感じた。
    激痛はある。しかし、いつまでも続かない。
    しかし、その激痛の意味は、大きい。
    そこから、人は何を学ぶかだった。

    先週は、ハードな飲み会とイベントの連続だった。
    そして、今週は火曜日の飲み会と水曜日の独り飲み会だった。
    実は、私の身体がこうしたハードな生活には、
    耐えられない身体となったようなのだ。
    そのことを、昨日の痛みを味わいながら、考えた。

    「酒は、もう辞め時かもだよ・・・」
    そんな身体の声が聴こえた。
    「俺たちは、生きる為に頑張って仕事している」
    「それなのに、お前は、酒ばかり飲み、こんなにものダメージだ」
    「日々生まれ変わり、死に変わり、この身体を維持している」
    「それは生きたいためだからだ」
    「お前は、生きたくはないのか」の「問い」だった。

    激痛は、「問い」ではなく「怒り」なんだな。
    「何をやってんだ。」
    「もっと自分の身体を大事にしろ。」
    「こんなにも弱り、こんなにも衰えた。なのに、どうして・・・。」
    「馬鹿者」という怒りの声が聴こえたな。

    膵臓なのかなぁと、少し心配している。
    昨日から突然、腰の痛みも加わった。
    こんな時は、眠ることだ。
    合唱の練習をお休みにして、8時には布団に入って眠った。眠った。
    これは、入院中に学んだことだった。
    身体が辛い時は、休養を求めるサインだ。
    だから、積極的に休む。身体を横にする。眠る。動かない。

    生きている間は、この身体にお世話になっている。
    自分ではコントロールできないこの身体は、
    自分のものではないのかも知れない。
    この身体は、この世に生きている間だけ、神様から預かっているものだ。
    そう思えば、この身体をぞんざいには出来ない。
    傷つけたり、壊したり、ぼろぼろにしたりしては、
    何だか神様に申し訳ない気がする。

    身体は生命体として生きる使命をただ只管全うしようとしている。
    傷んだら回復させる。
    壊れたら何とか蘇生させる。
    そうやって休むことなく日々を生きてくれている。
    「ありがとう」だった。

    それなのに、今夜も飲み会。
    明日は胎内で泊まりの飲み会。
    みんな懐かしい、大事な人たちばかりだった。
    だから、身体に訊きながら、自制しながら、飲むこととする。
    しかしなぁ・・・。飲み始めるとなぁ・・・。

    「ありがとう」が、「ごめんなさい」に変わるんだなぁ。
    痛みが出ないことを祈っている。

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  • from: クマドンさん

    2019年11月28日 05時36分50秒

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    この手の人たち

    自分の言いたいことだけを言う。
    自分が損をしないで、得をすることだけを言う。
    「こんなことはおかしいでしょう」と言いながら、
    本当におかしいのはそれを言っているあんたなんだと分からない人がいる。
    そんなことは、人として恥ずかしいから言わないことを、
    何だか私の言っていることが正しいのだと、
    強気で、はっきりと、恥も無く主張する人がいる。

    どうしてこんな人になってしまったのかと、
    何とも哀しく、呆れてしまう。

    自分だけがよければ、それでいい。
    こんな面倒な仕事は、やめさせてほしい。
    ただでさえも忙しいのだから、
    そんなことを私にさせるなと、皆に言う。
    それってベテランとしては、アウトなのではないだろうか。

    若手からの提案があった。
    ならば、その若手の意見や願いを聞き入れ、
    何とかするのがベテランの立場、役割だと思う。
    その意見は、まっとうであり、正統である。
    当然そうならざるを得ないことを、
    我儘を言ってひっくり返そうとする。

    とにかく、この人は、そうやって生きて来た。
    自分が嫌なこと、やりたくないことは、
    徹底的に正当化して、訴える。
    「何でこんな仕事をやらせるのか」と、
    会議の時にがんがんと文句を言う。

    その文句を言うということが、
    愚かなことであり、情けないことであり、どうしょうもない自己中であることを、
    この人は、知らない。
    言った者勝ちだとばかりに、ぎゃんぎゃんとわめく。
    心の底には、自分の想い通りにしたい、それだけのこと。
    全体を見て、担当者の想いをくんで、自分が諦めるは、ない。
    どうあろうとも、自分の意見を通したい。

    そして、その意見に反対する者を悪として、
    ことごとく抵抗する。やっつける。こてんぱんにする。
    こうした人を今のところ7人知っている。
    みんな同じ行動をとる。
    とにかく、自分の思い通りにいかないと、暴れ出す。
    徹底的に反対する者を攻撃する。
    愚かで、どうにもならない幼稚な自分自身が見えない。
    我慢できない。考えを変えない。悪いのはお前だと、しりをまくる。

    どういう訳か、こういう人とかかわらざるを得ない立場にある。
    しかし、その時、はっきりと分かることがある。
    50になっても、60になっても、
    こんな自分の利益のことだけで、瞬間湯沸かし器のように湯気をたてる。
    全体のことではない。みんなのためではない。
    ただ、自分が思ったことを通すために、
    それだけのために、がんがんと怒り、相手を攻撃し、誹謗中傷をする。

    分からない人とは、この人たちのことだと、
    いつもその人たちの攻撃に会い、激高の姿を見る度に、
    ああ、こんな人でなくてよかったと、安堵する。
    本当にそう思う。
    人のことを陰で悪く言っている人たちが、この人たちだ。
    自分自身のことはどうなんだうか。
    みんなから呆れられ、ほっとかれていることが、分からない。

    何だか共通することは、自分のことを偉く正しい人だと勘違いしていることだ。
    自戒をこめて、そのことをここに書き記す。
    分からない人とは、相手の気持ちが分からない人のことだ。
    きっとその人は、その歳までそうやって生きて来た。
    途中でどれだけの人たちを攻撃し、傷つけ、悪口を言ってきたことか。
    それが愚かなことで、罪であることも、分からない。
    自分に逆らう者は、全て敵であるあるからだ。

    とてもとてもシンプルで、幼稚で、単純な人だ。
    自分のことをいい人だと言ってくれる人は、その人の味方だ。
    少しでも自分のことを批判する人は、その人の敵だ。
    この分類の仕方が、シンプルであり、幼稚であると思う。
    そんなに自分の思い通りなんかいかないものだと、分からない。
    言ったもの勝ち。ごねたもの勝ち。怒鳴った者勝ち。苛めた者勝ち。
    この手の人たちは、そうした権力や力を振り回す。

    私は、金輪際この手の人たちにはかかわりたくはない。
    ただ、平穏無事に、穏やかに暮らしたい。
    心をこんな人たちとかかわったことで、乱されたくはない。
    しかし、生きているということは、こういうことなんだ。
    思い通りにはいかない。
    この手の人たちとも一緒に暮らさねばならぬのも、
    この世での大きな修業の1つだ。

    私は、よくこの手の人たちにいじめられた。
    言うことをきかないからだ。
    その人たちに従わないからだ。
    後から来たのに、飄々と自由に生きているからだ。
    そうすると、私のような者をやっつけたくなるのが、この手の人たちだ。
    「生意気だ」「大嫌いだ」「懲らしめよう」だな。
    いつもそうされてきた。
    今も、そうされている。
    しかし、それは仕方ないことだ。

    この手の人たちは、絶対に変わらない。
    そのことも分かっているから、ただ距離を置き、
    ニアミスを起こさないように片隅で静かに生きるだけだ。

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  • from: クマドンさん

    2019年11月26日 05時37分11秒

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    仕事では、職人であれ

    どういう訳か、テレビで「帰れマンディ」にはまっている。
    昨夜の番組では、我が永遠のアイドル風吹ジュンさんがゲストだった。
    何と彼女たちが歩いた場所は、塩沢から湯沢たった。
    この新潟を歩いてくれたことを、ただただ感謝だった。
    海の無い山間地ですし屋を探す旅。
    何とも奇想天外な発想なんだが、これがこれで面白い。
    山の中のすし屋には、それはそれはポリシーが満載だからだ。

    あるすし屋では、手巻きずしが評判だった。
    とにかくその愚妻が凝っていた。
    クルミを入れて独特の食感を出している。
    太巻きにクルミを入れるのは新潟の郷土料理の1つだと聴いた。
    確かに、あれが入ると旨味は増すな。

    国道沿いのお握りの名店がある。
    いつもいつも行列だった。
    ただのお握りではない。
    日本一の塩沢のコシヒカリを使っている。
    県外からもお握りを求めてやってくるという。
    お客様は、その味を絶賛する。

    湯沢のすし屋だった。
    先代は毎日、100キロを往復して、築地に買い出しに行ったそうだ。
    今から60年も前、物流が無い時代には、
    自分で運転して築地に通うしか、美味くて新鮮なネタを仕入れないからだ。
    その料理人根性が凄いと感じた。
    二代目は、トリフの塩を使っての握りずしだった。
    この味がまた絶品だそうだ。

    新潟の寿司は、美味いとの評判だ。
    しかし、その美味い寿司には、それなりの苦労と創造する力のある職人がいる。
    その人がいるから、その寿司はここにある。
    その寿司の味を喜びとして、その店に通う常連さんがいる。
    だから、そのご当地限定の回る寿司もそこそこの繁盛だった。
    農家をやって自家製のコシヒカリで握り寿司を出している職人さんも居た。
    それぞれ、こうして工夫して、独自の味と気骨を守っているから、
    この山間地でのすし屋を続けられる。

    そこに、何だか、人としての尊さを感じた。
    同じものを同じように真似て作っているから長年続いているのではない。
    例え、何十年のお店でも、日々新たなに、何かへのチャレンジだった。
    まず、美味い素材を探す。吟味する。工夫する。
    その試行錯誤の連続の中から、「これだ」の逸品がこの世に誕生する。
    どのお店も、独自な味をお店の売りとしていた。
    そして、そこにはど根性な寿司職人の親父が居た。
    作り手がしっかり頑固に味にこだわり、
    自分が理想とする味をとことん追求し、
    どんな努力も惜しまないと言う気概があるから、
    ここで、この店で、あの寿司は出せる。

    「グランメゾン・東京」にもはまっている。
    先回は、鰆を使っての新たな魚料理への挑戦だった。
    トップ50を目指すためには、驚きの味が求められる。
    それは、どこかの店の真似ではどうにもならず、
    とことんオリジナルで、存在感のどっしりとある味のことだ。
    鱒を選んだ。
    そこから、二人のシェフの苦闘が始まる。

    つまり、それをいかにして調理したら、この鱒の本物の味を引き出せるかだ。
    フライパンで炒める時間とオーブンで火入れする時間を記録する。
    その組み合わせはきっと何百通りもあるだろう。
    その中で出来上がった鱒を食べ比べする。
    すると微妙な味わいの違いを感じられる。
    その中で、ある組み合わせが、絶妙なる味と感ずる。
    そして、その組み合わせをレシピとする。

    ソースは、独特なソースが創作される。
    ソースによって、このベースの味がより深くなるからだ。
    それもまた、スーシェフの苦労の賜物だ。

    その勝負のレシピが盗まれた。
    ライバル店にそのレシピは売られ、そこにスーシェフがそのレシピで調理した。
    食べてみたら、ただの、焼き魚料理だった。
    レシピ通りに真似て作った。
    しかし、そのレシピは、本物の鱒の味を出せなかった。
    ただ不味い鱒料理が出来上がっただけ。

    仕事とは、そうなんだ。
    いつもオリジナルの追究だ。
    妥協はせずに、理想を常に追究し、根気強く何度でもトライする。
    人から教えられたものは、身には着かない。
    教えられたことは、身体でつかみ取ったことではないから、
    いつか忘れる。
    というか。いくら教えられ、レシピを見せられても、
    その職人に本物を味わう力が無かったら、
    ただの焼き魚の鱒料理となる。

    それは、真似事には、「魂」が籠っていないからである。
    そんな真似事、盗作では、作り手の喜びや感動も無いと思う。

    ポリシーと哲学をもち、オリジナルを創作することを喜びとする人を、
    私は、職人だと思っている。

    道こそ違えど、私もこの仕事で職人になりたく、研鑽を積んでいる。
    修業には、きっと終わりや、ここまではないと思っている。

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  • from: クマドンさん

    2019年11月25日 05時36分43秒

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    さてさて、無力なんだなぁ

    なかなか生きることとは、思う様にいかないものだ。
    それは、自分だけが生きているのではなく、
    いろいろな考え方をする他者と共に生きているからだ。

    そんなことは当たり前だと思っていても、
    その現実を突きつけられ、
    にっちもさっちもいかなくなると、
    何だか生きることへの無力感すら感ずることがある。

    自分と違った考えを認めない人たちがいる。
    その人たちは、集まりをして、次にどうやって攻撃しようかと画策をする。
    とにかく、自分たちの思いを通したい。
    自分たちにとって邪魔な人や、嫌な人は排除したい。
    自分たちだけで、その場を運営したい。

    新たなやって来た指導者を嫌い、
    お世話になった元の指導者への恩と義理とを感じ、
    とにかく新たな人を追い出し、
    また、以前のように自分たちだけで好きにしたいと思っている。

    そのために狡猾な嘘をつき、
    人のことを誹謗中傷し、
    集団で1人の人を攻撃する。
    そして、その嫌がらせを執拗に繰り返す。

    しかし、この人たちには何も見えない。
    あのイジメ教師たちのように、
    していることの悪を、本人たちは正当な行為として勘違いしている。
    正義のためにやっていることだ。
    私たちはこの場を正すために義をもって立ち上がった者だ。
    そんな勘違いのまま、一年以上たっている。

    詳しくは語らない。
    しかし、その惨状を目の当たりにしながら、
    私は、本当に無力と諦めとを感じざるを得なかった。
    「どうにもならない」
    それが正直な想いだ。

    何故なら、それは他者の心の在り方・気持ちだからだ。
    私のことを嫌っている人が、私の悪口をあっちこっちで言いふらす。
    それを私は止めることもできない。
    拡散された悪意の情報だけが独り歩きする。
    いつの間にか、事実に反することが事実として理解される。
    拡散する他者は、その効果を知っている。
    だから、悪意を隠して、まさにほんとのようにして偽情報を拡散する。
    そういう他者に対して、
    私は、全くの無力だった。

    それでは、毅然として闘ったらどうかと言う人も居る。
    しかし、私は、しない。やらない。
    そんなこといくら抗弁したって仕方ないからだ。
    拡散されてしまった偽情報を、
    世間のみんなが忘れるまでの時間を、じっと待つだけだ。

    この悪意に満ちた他者たちは、
    あれやこれやと策略を練って、作戦を立てて、足並みをそろえて、
    その新しい指導者の評判・信頼を落とそうとやっきになっていた。
    そして、上層の理事会に、嘘の情報で、この人を誹謗中傷するデマを流した。
    そして、その理事たちがやって来た。
    流された情報とは、恐ろしい効果のあるもので、
    「おれおれ詐欺」のように、この一方的で悪意な嘘が、信じられた。
    不思議なものだが、人と言う者はそういうものであるらしい。

    しかし、悪事はいつか必ず露見する。
    この新しい指導者と共に立つ私たちの意見を彼らが聴き、
    今まで信じられていたこととは、事実が全く逆であることを知る。
    そこで問題は、さて、事実はどちらなのかだ。
    何故、彼等は、この地に来て、直接立場の違う人たちと会ったのか。
    それは、そのことを語る「人間」を「人」を見るためだった。
    嘘を嘘で塗り固めようとする人たち。
    本当のことを本当のこととして語る人たち。
    その違いは、目が明いた人たちには、歴然としていることだった。

    人は、会って話すことが大事なことだ。
    手紙では真意は伝わらず、電話でも誤解は生まれる。
    しかし、直接会って、面と向かって話すならば、
    どちらの言っていることが本当のことなのかは、
    何となく分かる気がする。

    その結果、攻撃側の他者たちの訴えは退けられ、
    この場に集っている全員の協議によって運営を委ねられた。
    つまり、彼等は当てにしたが、あてがはずれたのだった。
    つまり、そうなったら、こちら側の立場の人への直接攻撃だけである。
    彼等は矛先を切り替え、策を練り、狡猾に既得権を取り戻すために、
    闇の中で集会を開き、次なる一手を考えている最中だった。

    その攻撃の矛先は、新たな指導者であり、その傍に立つ私たち少数だった。
    さてさて、そうやって一度狂ってしまった他者を、
    どうにもできない。変えられない。正常には戻せない。
    悪意に満ちたその他者たちは、
    絶対に指導者の言葉を聴かない、受け入れない、肯かない。
    怒りと不信感かは分からないが、
    身体全体での拒否反応だった。

    全くの立往生だ。
    そこから先には、どうやって進めたらいいのか皆目見当がつかなくなった。
    数を頼む他者たちだ。
    古参の人たちばかりの他者たちだ。
    新参者に自分たちの既得権を奪われたくない。
    今までのようにして自分たちの勝手に運営し、金も自由に使いたい。
    そのことができなくなった恨み、つらみだ。

    私は、だから、諦めた。諦めることにした。
    こんな無力な私が何をしてもこの状況は変わらない。
    仕方ない。ただ、どうなっていくか、見守るだけ。
    全てを委ねて、黙ってその攻撃に身を曝す。

    怒りは既にここに無い。ただ、諦めだけだ。
    しかし、それもいいかになぁとも、思えるようになった。
    好きなようにしろ。だな。
    しかし、嘘はいつか必ずばれる。
    悪事はいつか露見する。
    その真実を信じ、全てをただ委ねるだけである。

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  • from: クマドンさん

    2019年11月24日 07時52分58秒

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    「境目」の無い生き方をしよう

    私は、あんまし変わっていないなぁと、思う。
    20年ぶりに再会したある小学校で音楽を教えた看護師のIさんだった。
    本当に私が生き死にの時に新大病院で再会だった。
    救急車で運び込まれた急患が私だった。
    その名前を聴いて、「クマ先生だ」と分かった。
    その夜、緊急の手術で、10時間死線を彷徨った。
    目が覚めたら薄暗いICUのベッドで、喉に管が入れられ、目玉しか動かなかった。

    個室に移ったら、彼女が見舞いに来てくれた。
    こんなクマのことを覚えていてくれたことの嬉しさに、
    何だかこの仕事をして来てよかったとの安堵だった。
    個室に入ってから、少しずつ身体が動くようになったら、
    ラジオを持ち込み、クラシックを毎日聴いた。
    私の個室に来る看護師さんがみなこの音楽に驚いていたなぁ。
    そのことを、Iさんも話していた。

    自分では自分のことはよく分からない。
    だから、周りの人に多大な迷惑をかけることもある。
    それでも、反省しつつも、何だか、クマの本筋はそのままなんだな。
    息子も言っていた。「境目がない」「いつでもどこでもこのまんま」と。
    舞台に立った時も言っていた。
    「父さんが舞台に出て来ると、そのまんままだから、劇にならないよ」と。
    ああ、私って「名優」なのかもしれないと、その時の勘違いだ。

    私は、そんなこんなで、いつも今、ここの生き方を語り、演じてきたようだ。
    私は、いつでも私だった。
    どこかで、私が豹変したり、全く違う役柄になったことはなかった。
    何だかずっと、ボーダレスにこのままを生きている。
    歳はとった。少し身体的には衰えも感ずる。疲れが残る。仕方ない。
    それでも、いつも好奇心旺盛で、何やら興味をもったものを追究している。
    今は、「樹木希林」のインタビュー本にはまった。はまった。
    仏を生きている。しょせん、人は、地位や名誉ではなくて、どう生きたかなんだな。

    私は、平の教員でリタイアをした。
    今でも、それがよかったと思っている。
    だから、こうして講師となり現場復帰しても、ボーダレスだ。
    境目が無い。それって、とても幸せなことだ。
    最近は、自分と子どもたちとの境目も感じなくなっている。
    何だかね。手のかかる。言うことをきけない子は、本当はとてもかわいい子なんだ。
    「おいおい、いいものもってるな」
    「おいおい、私は、君がかわいいよ」かな。
    それは、その子の屈折した気持ちは、私にもあるからそう思うだけ。

    そして、こうやって世間からは後ろ指をさされ、
    なんだかんだと言われながらも、今は、そんなことはどこ吹く風で、
    飄々と生きている。
    世間とは不思議なもので、こうして変わったことをしている人や、
    自由に勝手気ままに生きている人をやっかんで、許さない傾向がある。
    駄目な私は、そうやってどれだけ個人的にアゲンストの風をくらった。
    「どうでもいい」から、平気なのだが、
    またこんなことを書くと、袋叩きに会うことだろう。仕方ない話だ。

    希林さんの言葉を読んでいると、すーっと胸のつかえが降りる気がする。
    そんなこんなげつばたと躓きそうなことを、
    「さいですか」「ごめんあそばせ」と、さーっと風のように通り抜けるからだ。
    沢山の試練。ガンの痛みと闘病の日々。死を前にして今日を生きる覚悟。
    何だか、その本当は厳しいのにそれを気にかけず、飄々と生きる。
    そんな生き方を私もしてみたいの憧れでもあった。

    樹木さんは、どんな役でも樹木さんだった。
    樹木さんではない、役はどこにも存在していない。
    樹木さんは、樹木さんを生活においても、映画においても演じ切った。
    いや、全うしていた。それだけ。

    それが、まさに「境目」のない生き方だ。
    素直に自分のままに生きるだけ。
    だから、いつも胸の中での「問答」は繰り返される。
    ちゃんと生きているかな。私は自分に正直に生きているかなぁ。
    この生き方に嘘はないかなぁだな。
    そうすると、世間の生き方・在り方と少しずつのずれが起こる。
    世間とは、みんなの目を気にする場所で、
    こんなことをすると何か言われるからやめようの場所で、
    いつも人からの評価を気にしている場所でもある。

    世間に生きようとする人は、「境目」を自分で作る。
    その「境目」をまたぐと、違う人に豹変する。
    この場所の顔と、あの場所の顔は違う。
    ここで言うことと、あそこで言うことを使い分ける。
    それが、世間で生きる善い生き方と教えられる。
    「嘘」は「方便」として許される。

    しかし、ずっとずっと「境目」をもたずに生きて来たクマは、
    全部が中庸、境目がない。
    どんだけ自分でも酷いことをしてきたかは、よく分かる。
    それでも、それでも、ここまで生きて来られた。
    そして、安心している。安堵している。

    今、朝日が昇った。その朝の光が眩しく感ずる。
    「嬉しいなぁ」と、思って生きる。生きられる。
    それはきっと、余計なしがらみを持たず、難儀な仕事を持たず、
    何も無い人として、ここに飄々として生きられるからだと思う。
    地域での恩返しは、これまでの40代~50代でたくさんやってきた。
    もうそれで充分ではないかと、自分に言っている。
    だから、「やらない」「辞めさせてもらう」だな。

    これからもきっと私は、「境目」のないまま生きるのだと思う。
    それは、あのIさんが4年生の時、音楽室でギターを弾いて音楽を教えた頃のように、
    黄色い鉢巻きをして笑って生きるクマの生き方なんだと、私は想っている。
    だから、もうこの歳になったのだから、
    これからも、素直に正直に自分自身を全うして生きたいと願っている。
    もし、ここで、世間に気かねして豹変したら、
    私の生き方に「嘘」が混じるではないかの「問い」なんだ。

    Iさんは、今でも「大好きだ」と言ってくれる。
    今の担任の子どもたちもそうだった。
    それで充分。それで大満足。
    れからも本気で子どもたちを愛して生きる。ただそれだけ。

    境目の無い生き方とは、慈悲と愛に満ちた生き方なんだな。
    Iさんとの病院での再開と、五十嵐さんのラストコンサートでの再会で、
    私は、また、境目の無い生き方の楽しさの原点に立てた気がした。

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  • from: クマドンさん

    2019年11月23日 12時42分43秒

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    五十嵐文さん、ラストコンサート・・・

    昨夜は、私が企画するコンサートをシンさんのお店で行った。
    「サックス五十嵐文さん・ピアノ小林美知子さん」のduoコンサートだ。
    私にとって五十嵐さんは、本当に魂を震わせる人だ。
    音になるとでもいうのか。
    その音そのものに感化される。
    じんと響く。深く味わう。
    そうした音と出会えたことの感謝だった。

    だから、シンコンサートを始めた昨年、オファーをした。
    いつものように快諾で、小林さんとしっかりと合わせて準備してくれた。
    その音楽に対する真摯で一途で、決して力を抜かない彼女の姿勢に、
    いつもいつも感動だった。
    とことん追究する。その追究の極限まで行く。
    そして、コンサートその瞬間にまたそれを超えた追究だった。
    全ての音は、オンタイムで今、ここで生まれる。
    五十嵐さん・小林さん。その一体感から生まれる音の何と凄いことか。

    昨夜は、突然「これが新潟での私のラストコンサートになります」の発表だった。
    「えっ」と驚いたのは、私だった。
    旦那様が暮らす愛知に来年の春には転居される。
    そして、そちらをホームベースにしてサックスを続ける。
    そんな意外な話に、訳なく私は涙した。
    「この音ともう出会えないのか・・・」
    奇しくもそんな一期一会のコンサートとなってしまった。

    ただ今、子育てに大奮闘だそうだ。
    旦那様は愛知県。
    しかし、とても幸せそうで、何だか私まで嬉しくなった。
    「練習をしないと、腹筋が弱くなり、サックスを吹けなくなってしまう」
    「子育てに集中すると、音楽の時間がだんだん少なくなっていく」
    「それでも、この曲を子どもが大きくなったら聴かせてやりたい」
    ああ、母となり、深い深い愛情から奏でられる音は、
    やっぱり深い慈愛に満ちた音だった。

    音楽って、やっぱりその人の人生なんだなぁと、改めて感じた。
    胎内にその子を宿していた時、5月のコンサートだった。
    その子に聴かせるために、渾身の音を響かせ、音楽を創造した。
    その音に、私は、身体が震えた。涙がとまらなかった。
    そして、コンサートの後で、結婚したこと。子どもが宿ったことを、報告された。
    そうか、それで・・・。私は、その日の音が納得だった。腑に落ちた。

    人生の大きな節目。
    新たな幸せへの気付きと喜び。
    この音は、その時でなければ、けっして出せない音だった。
    そして、昨日の音もそうだった。
    「新潟でのラストコンサート」を想い、決意をもって臨んだコンサートだった。
    二人での演奏が、これが最後となるかも知れない。
    そんな二人の想いが交わされ、綴られ、輝いた。

    そんな夜に、私は出会えた。
    それは、聴く者としての至福でもあった。
    残念だ。何とかしたい。また、来年もここで演奏してもらいたい。
    その願いだけは、五十嵐さんには伝えた。
    そして、深く深くこれまでの数々の演奏に対する感謝だった。

    凄いサックス奏者だ。
    そして、「のだめちゃん」のようにパリで音楽を学んだ2年間の話は、
    何かを成し遂げようとする人の教科書のような話として絶対に忘れない。
    凄い音の人は、生き方も凄い人だった。

    五十嵐さん、いつまでも、いつまでも、お幸せにと、祈っています。

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  • from: クマドンさん

    2019年11月22日 05時46分06秒

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    ゲーリーカーは、円熟だった

    円熟だな。
    コントラバス奏者のゲーリーカーのコンサートだった。
    りゅうとの舞台にピアノとコントラバスだけだ。
    そこに好々爺の白髪のダンディーなおじいさん。
    その人がコントラバスを抱えて演奏しだすと、
    心ときめき、惹きこまれた。

    何だろうなぁ。
    「俺が、やる」「俺の、演奏を聴け」がない。
    とにかく、演奏そのものを楽しんでいる。
    だから、力まない。そのまんま。笑顔で弦を引く。
    その生き方そのみのが、彼の音として伝わって来る。

    私は最前列の席だった。
    すぐそこに舞台があった。
    彼は。5~6m先に居る。
    彼と言うヒューマンビーイングを感じた。
    彼は、きっと飄々と、こだわりなく、いつも笑顔で生きていね人なのだろう。
    その人柄が、音にになった。
    だから、「いいなぁ」「好きだなぁ」となる。

    歳をとるなら、こんな風に歳をとりたいものだと思った。
    もし、私が彼のように79歳になれたら、
    どんなことを思い、どんなことを感じて生きているのか、
    その日のことが何だか待ち遠しくもなって来た。
    62歳にして、分かったことばかりだ。
    私の生き方からも、力が抜けた。
    「ああ、そうだったんだな。ここへ行くんだな」の気付きだった。

    私が円熟した老いを私は求めてい。
    老いることは、自然なことだ。
    私の憧れの人たちは、老いるどころか、既にこの世には身体として存在しない。
    みんな、そうなる。みんな、老いる。歳をとる。衰える。

    だから、逆にそうだから分かることがある。
    そうだから、新進気鋭の演奏者には、絶対出せない音が在る。
    私は、その円熟した音を聴き、円熟の姿を見て、聴いて感動していた。
    老いることは哀れなことでは決してないのだ。
    人としての理想形。
    かく老いることが、生きることの目的だ。
    彼の話を、彼の生き方の哲学を聴きたくなった。

    ハーモン・ルイスのピアノもいい。
    大親友だ。
    何でも分かり合える友である。
    お互いに尊敬し合い、絶対の信頼を寄せあってている。
    二人はカナダの家で同居している。
    そして、世界中を演奏旅行しているそうだ。
    彼が居るから、私が居る。

    円熟には、こうした魂を分かち合える友も居て欲しいものだ。
    老いるという言葉とは全く違う彼の粋でハイセンスな有り様だ。
    老いるは、ないなと、私は感じた。
    私も、どこも老いてはいない。
    それは、生物的に衰えているところばかりかもしれないが、
    老いるとは、ただ若さとの比較だけで言える言葉だ。
    何も、老いては居ない。

    彼は、確かに79歳の今、ここの、この刹那の音を求めて、顕した。
    そして、その音とは、円熟した彼だけの達観した音だった。
    正しい音程を求めているわけでもなく、
    魂で感ずるままに、感じたように、表現する。
    そして、その顕すことを、こよなく心の底から楽しんでいる。

    ピアニストの音もそうだった。
    それは、森をわたる風の音。せせらぎの音。鳥の鳴き声。静けさの音。
    ああ生きたいなぁ。
    つくつぐ二人を見ながら、そう思った。
    「歳をとらないと、分からなかったね」と、この言葉が私の目標だ。

    「そうか、歳をとると、分かるのか」
    二人の演奏を聴きながら、歳をとることの「意味」をも味わうことができた。
    私も、昨日より少しだけ歳をとった。
    それだけのことだが、それだけのことを当たり前として受け入れる。
    目指すは、ゲーリーカーおじさんだな。

    ラフマニノフのヴォカリーズは、魂に沁みた、沁みた。
    円熟した味わいそのものの。
    人生は、音楽なんだな。

    ゲーリーカーおじさんのように、歳をとりたいと心から願っている。

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  • from: クマドンさん

    2019年11月21日 05時42分45秒

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    輝きを育てる

    昨日は、1年2カ月の成果の日だった。
    信じて、続けることだ。
    できるかできないのかではなく、
    できると信じてやり続ける。諦めない。途中でやめない。
    そんな一歩一歩が長い月日になると何かの形となってそこに顕れる。

    1人1人には本来の輝きがある。
    しかし、その輝きは、誰かに見つけられ、引き出されるものだ。
    なかなか自分でその輝きを発見し、
    その輝きの尊さに気付き、
    その輝きを大切に磨くことは至難の業と私は思う。

    こんな私にもそんなちっぽけな人としての輝きは与えられている。
    しかし、その自分自身の輝きと出会うまでには、
    多くの苦難と試練とを味わった。
    そして、そこには、いつもその自分で見失っていたその輝きを示し、
    「そこにある」「それを信ぜよ」と教えてくれる師や友が必ずいてくれた。
    不思議なものだ。
    私には「輝き」が与えられているのに、
    私には、そのことが気付かれない。

    「こんなどうにもならない男はいないなぁ」の挫折と絶望だ。
    本当にそんな艱難辛苦の最中に居る時、
    その師や友が必ず私の前に現われた。
    そして、そんな自分のことを人として認め、尊重してくれた。
    人から、そうした勇気と励ましの言葉をもらう。
    人から、大丈夫と倒れた私を再び立たせられる。
    そして、「私はけっしてクマさんを見捨てない」
    「私は、深く深くでクマさんのことを信じ、尊敬している」との言葉。

    これが本来の慈悲であり、深い深い愛である。
    愛があれば、人は必ず育つ。
    愛は、その人本来の輝きに気付かせ、その人の生まれた意味を悟らせる。

    つまり、生きる傍に愛する人が居ることが、大事なことなんだ。
    しかし、その愛する人に恵まれなかったら。
    一番愛して欲しい親から、その愛のかけらも感じられなかったら、
    その子の、その人の輝きは、失われてしまうのか・・・。

    いや、どんな状況であろうとも、その子、その人は、ずっと愛されている。
    その子、その人が、愛されない日は、一日も存在しなかった。
    この世に生を受けて、この世の艱難辛苦を受け続け、孤独で、辛く、哀しく、
    死んでしまいたいと思っていたとしても、
    その子、その人は、愛されている。

    それは、その子、その人として、この世に生まれた。
    そのことだけで、その慈悲と愛とを信じていい。
    実は、生きているとは、生かされているということ。
    生かされているということは、愛されているということに他ならないからだ。
    そのことを信じられるか、そのことを疑って生きて行くか。
    それは、全く違う生き方の道と鳴って行く。

    仏教には「長者窮児」の譬えがあり、
    聖書には「放蕩息子」の譬えがある。
    ここに、失われることの無い私たちへの永遠からの慈悲と愛が語られている。

    何をしたから。どんなことができたから。どんな能力があるから。
    人は、そのことで愛されるのではない。
    何かの条件を備えたら、達成したら愛するという愛は、愛ではない。
    放蕩息子そのものでいい。
    その息子がいつか必ず自分のところに返ってくるはずだと、
    その帰還を信じて、期待し、待ち続けるところに長者の愛がある。

    私にとっての師や友も、そうだった。
    私がいつか必ず正気に戻り、家に帰ることを信じて待っていてくれた。
    そのために、私のぼろぼろの着物の襟に「宝物」を縫い込んでくれていた。
    私は、その「輝き」に気付かず、放蕩し、放浪した。
    そして、はっと気づき、我に還った。
    だから、愛する父の待つ、故郷に還る旅に出た。

    そうだったなぁと、私は、思う。
    だから、私は、こうして不思議な愛に救われた。
    そして、分かったことは、いつでも、ずっと、
    この愛で育てられていないことはなかったという事実だ。

    私の庭の花たちが、この寒さの雨風の中でも育つように。
    庭に遊びに来る雀たちが育つように。
    その愛があるから、全てのいのちは育まれ、生きている。
    ならば、その愛をどうして疑うことができるだろうか。
    自分のことを振り返ってみても、
    私が生きて来たのではなく、私は生かされて来たのであって、
    その一つ一つには「意味」があったことを、62歳になって気付いた。理解した。

    私は、そうやって慈悲と愛とで、今、ここでも生かされている。
    ならば、その慈悲と愛とを確信し、味わっている私が、
    その慈悲と愛とを顕す人となる。
    それが、自然な慈悲と愛との願いではないか。
    とういうことで、今、ここで、私はその子、その人のために生きている。

    この世は、実は、慈悲であり、愛なんだ。
    そのことを素直に信ずる。
    それだけで、人は幸せに生きられる。
    そんな幸せを感じさせてくれる人が、私の師であり友でもあった。

    私は、その人たちから尊ばれた。信じられた。期待された。忍耐された。
    それは、その人たちを通してこんなちっぽけな私に恵まれた慈悲であり、愛だった。
    その慈悲と愛とによって私は救われ、ここに輝きを放てる人となってきた。
    だから、私にとっては実感なんだ。信仰なんだ。真実なんだ。
    そのことに、全てを委ね、お任せして今は、生きている。
    悩まないし、くよくよしないし、心配しないし、不安にならない。
    「どうにかなる」し、「どうでもいい」からだ。

    だから、私は、その子、その人を、そんな眼差しで見守る。
    そして、1人1人の中に在る「輝き」を信じて期待する。
    そのために、譬え話も、方便も、説教もする。
    時には、激しく怒り、時には涙することもあるな。

    その結果が、昨日の学習発表会だ。
    私は、子どもたちの素敵な輝きを見ながら、
    やって来てよかったなぁと、込み上げる嬉しさだった。

    人は、輝く。
    だが、その輝きを知らずに生きている。
    だから、「ほら、これだよ」と、教える人が必要だ。
    そして、その人は、根気強く、期待しつつ、教える。育てる。その力を引き出す。
    それが、本来の意味での「教育」なんだ。
    英語で言う。エデュケートの意味は、「引き出す」なんだな。
    その1人1人の輝きを引き出し、ほらと輝かせる人が、先生なんだ。

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  • from: クマドンさん

    2019年11月20日 05時32分23秒

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    決めることが、生きること

    いつの間にか、12月がもう近くに来ている。
    月日は、向こうからやって来るものなのか。
    私は、ただ日々の生業と生活をするだけ。
    欲は無く、けっしていからず、いつも静かに笑っている・・・。
    そんな何も無い日常生活の繰り返しをしているだけ。
    それなのに、木枯らしが吹き、また、冬の訪れを感ずる寒さの季節となっている。

    移り変わって行くことが、自然の成り行きだ。
    その中で、どう生きて行くかの「問い」の連続。
    生きると言うことは、何か1つを決めることだと、
    最近は思うようになった。
    何もしていないようでも、心ではちゃんと一つを決めている。
    だから、歩けるのだし、仕事もできるし、生活することもできる。

    昨夜は北区での合唱の練習だった。
    練習を終えて、帰宅すると10時を過ぎる。
    それでも、残りの練習回数が限られているので、行かねばならないと決断する。
    時間調整のためとして、トレーニングに体育館に向かう。
    4キロの走りをノルマとする。
    減量のためというよりか、また元の走りの足腰となるためだった。
    数年間のブランクで、すっかり弱り果てた私の身体だ。
    それをまた元に戻す。鍛え直す。それも、自分で心で決めたこと。

    合唱の練習は、北区文化会館だ。
    江南区での勤務から、そこに通うことがなかなかの試練だった。
    車で30分間。新郷川沿いの暗い道をひたすら走る。
    事故に遭わぬように、細心の注意をはらっての運転だ。
    トレーニングと大盛の拉麺で、身体はすっかり休憩モードだ。
    それでも、行かねばならない。
    まだまだ歌えていないからだ。
    ステージに立つためには、練習は不可欠なことだった。
    そのことも、自分が決めたこと。

    木曜日にシンさんのお店で、五十嵐文さんのコンサートを企画している。
    ここでのコンサートは8回目となった。
    その打ち合わせのメールが入る。
    シンさんとは、メールだけのやりとりとなってしまった。
    それは、私が平日に予定を次々と入れることと、
    シンさんのお店の開店が遅くなったためだった。
    明日はりゅうとぴあのゲーリーカーのコンサートだ。
    次々と入れ込む。ぎっしりと予定が並ぶ。
    それもまた、私が決めることだ。

    もし、決めなかったら、私のスケジュールは真っ白のまま。
    本当は飲みたい、語りたい人が居るのに、
    その人との飲み会も設定できない過密スケジュールだ。
    まだまだ身体がこうしてついてきているからありがたく感ずる。
    二日酔いは無くなった。
    それだけ、酒は節酒して飲んでいるからだ。
    これも身体に訊きながら生きている。
    これも私が決めたことだ。

    つまり、みんな自分が決めたことで、一週間を生きている。
    生きるの主体は、自分でありたい。
    そんな気持ちも、確かにある。ある。
    それは、とても我儘で、贅沢な生き方なのかもしれない。
    でも、それができる身体の内は、自由に生きたいものだとも想っている。

    それまでは、しがらみや、責任や、役割や、立場で縛られることが多かった。
    自分の予定よりか、そうした公的な、みんなのための予定が優先された。
    その時は、我慢した。諦めた。「分かったよ」と、それに従った。
    しかし、いろいろとあって、いろいろと言われ、こてんぱんにやられ、
    よくよく分かったことは、それを降りること。そのことだった。

    「降りる」と決めた。
    そうすると人はあれこれと私のことを言う。
    やっていた私は、やっていない人たちにこきおろされる。
    それも地域だ。それも仕方ない。それもありだと降参する。
    でも、ほっとした。
    何だか、身体も心も軽くなったことを感ずる。
    そのことも、私が決めたことだ。

    今、私は、どんな色を滲ませているのだろうか。
    こうやって我がままに、自由奔放に生きている私。
    あれもこれもやりながら、まだまだ何かをやりたい私。
    やっぱりそう生きるしかないのだと、それを自分に許している私。
    だから、もっともっと独りだけの道になった気もする。

    組織から離れ、群れから離れ、独りここで生きようとしている私。
    「ドクターX」の再放送を毎日録画で観ていると、
    何だかこれだと、カタルシスだ。
    歳をとったら、自立なんだ。
    歳をとったら、孤独を生きるんだ。
    しかし、本当に自立したなら、きっと同じく自立した友に恵まれるはず。
    組織の中での共依存ではなく、自立した個で老いは生きたいものだと思っている。

    後は、ただ家族を大事にすることだ。

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