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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2007年02月27日 21時03分42秒

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    「Re:PTA」
    夕飯で、妻と喧嘩した。
    息子が高校生になったら携帯を持たせるかどうかという議論だった。

    携帯と小遣いとで1万円はかかる現実。
    「そんな馬鹿な。仕事もしていない高校生が当たり前のように1万円も使うのは間違っている」
    「だから、父さんは話が分からないと言われるのよ。今時当たり前でしょ」
    「何で携帯を持たせることが当たり前なんだ。
    そんなの幾らかかるか自分で考えさせて、
    どうしたらよいのか自分で決断すればよいではないか。」
    「どうして、お父さんは頑固で、話を聞けないの」
    「お前が勝手に携帯がどうのこうのと言う前に、
    子供に判断させろ」

    彼女の理論は全部の高校生が携帯を持っているのに、
    自分の息子が持てないのは可哀想である。
    次に、携帯でかかるお金は必要経費なのだから、
    青春をするためにはその他に何がしかのお金が必要である。
    全部の高校生がやっているのに、どうして我が家はそれができないの。

    高校生は皆という理論は、何なのか。
    そうでない家があると、非常識な家なのか。
    携帯でどれだけ高校生が犯罪に巻き込まれ、非行に走っているのか。
    中学生の携帯でのいじめが陰湿で、実態が見えないという問題が起こっている現実。
    携帯のおかげで、若者のコミュニケーション能力は著しく低下した。
    どうしてこんなにおかしく金のかかる代物を、
    単純に物分りよく、現代の親たちは子供に与えてしまうのか。

    携帯を持たせないという選択肢は現代の家庭ではなくなってしまったのか。

    うちの親でいうならろくでもないところがたくさんありましたが、尊敬してます。

    頑固だったから、親父だったから、尊敬されたのかも知れませんね。
    我が親父もほとほとあきれるほどののん兵衛であり、
    競馬狂でした。サラ金の借金は毎年の話。
    挙句の果てには土地をすっかりと売り払ってしまった。
    その金は、どこへ消えてしまったであろうか?
    それでも、どこか尊敬するところがあるのだ。


    > 尊敬することは、とにかく働いていた姿があり、もう1つは「おめーにはおめーだけの人生だ」みたいのことよく言われた。とにかくおめー次第なんです。これは生きてます。
    >

    うちはうちと強くいうべきに思うよー。みんなと一緒の安心感も大事だがそれ以上に「私はこうだ。」といえる子が大事だ。なんか話ずれました。

    つまり、携帯なんか自分が働いてから持ちなさいと言う親は、
    今は絶滅危惧種になってしまった。
    子供の言いなりになる親が、子供にとってはよい親となってしまったのであろうか?
    「私は99人の親が選択したことが間違っていたら、
    一人でも私が選択した道を主張したい」と妻に行ったら、
    「話にならない」と却下されてしまった。

    現代の絶滅危惧種は、子供に迎合しない頑固親父なのかもしれない。

    ピエモンテさん、ブログとてもいいですね。
    言いたいことをどんどん発言してください。
    お互いにリンクして、
    親父の本音を公にしたいですね。

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  • from: ピエモンテさん

    2007年02月27日 10時21分22秒

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    PTA

    http://www.geocities.jp/orange_kazoku/

    このアドレスはクマさんに出せといわれて出しました。
    私の子は自閉症ですがその親の会のHPです。ここにクマさん真似てブログ立ち上げました。興味あったら見てね。

    日本の子の親に対する尊敬度が低いのは、子供に手をかけすぎ、子供の目を気にしすぎに思う。うちの親でいうならろくでもないところがたくさんありましたが、尊敬してます。私たちの時代は親が子供ほったらかしの時代で親は忙しかった。親のいやな面(とくに酒)より、高校のときなんか俺に気を使い言葉を選んでる時が1度だけあった。あー言った事は子供は一生忘れない。思春期のときはとくに親はいやなもんだ。それが当たり前におもう。
    尊敬することは、とにかく働いていた姿があり、もう1つは「おめーにはおめーだけの人生だ」みたいのことよく言われた。とにかくおめー次第なんです。これは生きてます。
    本当は子供の時は親尊敬できませんでした。大学にいき親から離れて大事さがわかりました。そばにいればわかりません。
    日本は「あそこの子はOOもっている。あそこでは塾にいっている。」それで親は言うことをきく。うちはうちと強くいうべきに思うよー。みんなと一緒の安心感も大事だがそれ以上に「私はこうだ。」といえる子が大事だ。なんか話ずれました。
    PTAはまた今度かきます。

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  • from: クマさんさん

    2007年02月27日 05時51分48秒

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    日本の父親

    昨日、高校の倍率が発表になった。
    息子の受ける高校は、何と県でも三本の指に入る倍率の高さである。
    合格者より、不合格者の方が多いのだ。
    厳しい難関である。
    親は少なからず動揺しているが、
    彼はなおさらやる気になったと受験勉強に励んでいた。

    彼のそんなところが、私から見たら尊敬に値するのだ。
    いろいろな面で彼には私を超えている部分があると思っている。
    朝の寝坊と、食事の好き嫌いについては、
    まだまだ口を出さねばならないが、
    彼が中三になってから、
    そして、この受験体制に入ってからは、
    いろいろと感心することが多くなったる

    いつまでも子供だと思っていては、彼にすまないのである。
    彼は、彼なりに私に対して自己主張している。
    それは、親に自分の存在を認めてもらいたいからではないだろうか?

    子ども扱いするな。
    いつまでもべたべたとするな。
    もっと親ならば、親らしくしろ。
    自己の成長に対する不安定な時期でもあるし、
    親が代表する大人たちに対する批判的な時期でもあった。

    ある統計が自分に載っていた。
    父親を尊敬する日本の中高生は39%、米国は93%。
    母親を尊敬する日本の中高生は43%、米国は95%である。
    この数字がいったい何を表しているのか、
    皆さんのご意見をお聞きしたい。

    とにかく息子の受験が無事に終えることができることを祈っている。

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  • from: クマさんさん

    2007年02月26日 05時54分46秒

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    親学の必要性

    中学校の卒業式が来週の火曜日である。
    小学校の卒業式に参列し、涙したのはつい昨日のことのようなのに・・・。
    彼にとっては、大きな人生の一歩を踏み出すときである。

    休日はどこへも出かけず、部屋で勉強をしていた。
    顔を合わすのは、食事の時ぐらいである。
    ただ言えることは「がんばっているね」それだけである。
    もっと何かをしてやれたのではないだろうか?
    もっといろいろな思いでを作ってやれたのではないだろうか?
    父親として反省ばかりである。

    語る言葉で子供は育つだろうか?
    私自身父や母から教えられたことはいろいろとあったはずだ。
    それが何かとは言えないが、
    何か私に身についたものがあり、それが私の個性ならば、
    それを育てた誘因には家族と家庭の雰囲気とが必ずあったはずだ。

    先日新聞を読んでいたら、「親学」という名の講座と出会った。
    私たちは無意識に、無意図的に、日常で繰り返してきた生活が、
    家庭教育として子供を育てているという現実に、
    もっと謙虚に気付かねばならなかったと、この言葉を読んで思ってしまった。

    子供を育てるという意識をもち、
    こんな子供に育って欲しいという「思い」や「願い」をもち、
    意図的に「言葉をかける」「手をかける」
    子供から目を離さず、その成長を評価して、
    次なる手立てを工夫する。

    昔の親たちならば、親としての本能でやり遂げてきたこの家庭教育を、
    現代は、学問として伝えていかねばならない時代が来たのかもしれない。
    私は、父親として迷ったからこの掲示板を作ったのである。
    私の仲間たちも、父親としての自分自身を謙虚に見つめた結果、
    「やろう会」に参加したのだ。
    ただ言えることは、そうして子供から見た自分自身の姿を、
    謙虚にあるがままに受け止める心が大切であるということである。

    私は息子には何もして上げられなかったかもしれない。
    しかし、彼は、私に人間としての成長の機会を与えてくれた。
    この2年間ここでメッセージを発信できたのは、
    息子が私の家族として存在してくれるおかげさまなのである。

    反抗期とは、父親にとって実に親孝行なことなのだ。

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  • from: クマさんさん

    2007年02月25日 14時33分17秒

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    親父の井戸端会議を

    練習試合に行ってきた。
    快勝であった。
    とにかくこのチームは試合のたびに強くなっているのである。
    お互いの気持ちがつながりあい、パスが面白いように通る。
    そこへパスを出すか、と観ている私たちを感嘆させるパスを出す。
    実戦が子供を鍛えてきたのである。
    そんな実感を子供たちのサッカーを見ていて感じた。

    ここに来ると、父親たちともいろいろと話が出来た。
    Gさんは、FWの息子Rさんのために、今朝早くインターネットをチェックしたそうだ。
    「何のページ見たん」と聞くと、
    「ドリブルで検索して、いかにフェイントをかけて相手を抜くか勉強させたんさ」と笑った。

    Aさんのお父さんは、子供たちとトンネルを走ってから、
    走ることに目覚めしまい、4キロコースを設定して体を鍛えていた。
    元ラガーマンの彼は、子供に負けたことがよほど悔しかったと見える。
    ホリデーというスポーツジムに通って、ウエートもやっていた。
    「このまんま放っておくと、体が駄目になるだけらっけね」
    中年に差し掛かった親父の目標は、やはり肉体の改造だった。

    Wさんは、管理釣り場にせっせと子供と通った話を聞かせてくれた。
    ルアーで鱒を釣るのだそうだが、ビギナーの息子の方が大物を釣ると嘆いていた。
    もっと嘆いていたのは、
    「最近、誘ってもついて来ねなったんさ」と言う事だった。
    とにかくサッカーが好きな息子は、
    サッカーシーズンに入ると、ぱたりと釣りを止めるそうだ。
    「一人で釣り、行きとねんでね」と寂しそうな笑顔が共感できた。

    山ノ下木遣り保存会のお父さんSさんは、
    祭りの太鼓と笛の音とをこの山ノ下で継承しようと燃えている人である。
    神明神社で春までに2〜3回、講習会を行うらしい。
    若いお父さんなのだが、彼の父親の跡を継いで、
    山ノ下の祭りのことを真剣に考えていた。頼もしい男である。

    さて、午前中はサッカーの試合を観ながら、
    父親たちはこんな話をしながら情報交換をしていた。
    異業種交流である。
    年代も仕事も出身小学校も違う親父たちだが、
    サッカーを肴にいろいろと話が出来ることが嬉しいのである。

    母親にはPTAや、ご近所の仲間がいてこういう話は当たり前であろうが、
    父親たちには、こうした地域の父親同士が知り合い、
    情報交換できる場が限られているのである。

    親父の井戸端会議も大切だと、ふと思ってしまった。

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  • from: クマさんさん

    2007年02月24日 20時23分09秒

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    「Re:バット」
    長男は、5年生で始めてサッカー部に入った。
    その年から、アズーリという山小FCは、
    クラブ・チームとなって広く低学年からもメンバーを募っていた。
    彼の決断に任せていたら、5月になってしまった。
    登録ぎりぎりに彼は入部した。

    土曜日に練習を見に行くと驚いた。
    とにかく低学年よりも下手なのだ。
    ボール扱いになれず、なかなかぎこちない動きだった。
    長男とはそんなことから練習の必要性を感じていた。

    実は、彼が5年生の夏休み、
    毎朝大山台のグランドでキックやドリブルのトレーニングをした。
    私は出勤する前に、あのグランドでボールを蹴っていた。
    遠くへ飛ばすこと。
    トラップを確実にすること。
    正確に相手にパスすること。
    基本的な動きで壁にぶち当たっていた長男と二人で淡々と練習をした。

    長男たちの時代は試合に出ると負けであったが、
    とにかく親たちはその試合のプロセスに一喜一憂していたものだった。
    アズーリのサッカー部とかかわって、実に5年目となってしまった。

    実は、今朝次男がサッカーの練習へ行くというのでボールを見たら、
    ボールの模様も、名前も磨り減って、かろうじて見える程度のものだった。
    私は「新しいボール買わなくちゃいけないね」と言ったら、
    彼は「これがいいよ」と言っていた。
    「ぼくが、3年間使ったボールだよ」
    彼がまだ2年生の頃だろうか、
    サッカー部に入部するために皆でスポーツ店で買いに行ったボールだった。

    道具を大事にするのは、兄弟が同じだった。
    私はそれが何よりも嬉しかった。

    > 私が喜ぶ姿だけを見ていたのだろうか?
    > そのバットで私が試合でヒットを打つところを夢見ていたのだろうか?
    > 色んな部分で口うるさい親父だったが、野球に関しては寛大で、グラブやスパイクなどは快く買ってくれた。

    さて、そんな思い入れを、
    私たち親父は道具を与えるときにしているのではないだろうか?

    明日は、次男のサッカー部は東中野山小で練習試合であるそうだ。
    それは、私の出番なのである。

    takiさん、走っていますか?

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  • from: takiさん

    2007年02月24日 08時36分28秒

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    バット

    おはようございます。takiです。

    先週、息子とバットを買いに行った。
    3年年生になる息子は地域の野球チームに入りたいと言っている。
    私自身が小・中・高と野球に野球に明け暮れていたわけで、息子の言葉は何だか嬉しい。
    1年生の時に買ってあげた金属バットは合金のモノだ。
    バッティングセンターへ連れて行くと、いつの間にか70キロのスピードでは物足りなくなっていた。
    80キロを打たせてみると、ミートはするものの軽い合金の金属バットでは力負けしていた。

    今回はより反発係数の高いカーボンを選ぶことにした。
    野球を経験した人ならわかる理屈なのだが、バットの重さとはコントロールできる最も重いものが
    理想的な重さなのである。
    彼にそれを説明しても、まだ理解できないので持てそうな一番重いバットを持たせてみた。
    「お父さん、これは重いよ。」
    ならがと少し軽めのものを持たせた。
    無言で構えて見ている。
    更に軽い物を持たせると「これが軽くていい。」
    ならばと、2番目に持たせたバットを彼に勧めた。
    バランスも先端ではなく、ややグリップよりにあるためコントロールし易いバットだったからだ。
    練習に行くときに背負って行けるようにケースも買った。
    締めてお値段、1万2千円。

    小学生の頃、親父にバットを買ってもらった時のことを思い出した。
    親父の世代は戦争中、金属バットはおろか木製のバットだってまともな代物ではなかったはず。
    どんな想いで私にバットを買い与えたのだろうか?
    少なくとも私のように反発係数や、バランスなどは考えていなかっただろう。
    私が喜ぶ姿だけを見ていたのだろうか?
    そのバットで私が試合でヒットを打つところを夢見ていたのだろうか?
    色んな部分で口うるさい親父だったが、野球に関しては寛大で、グラブやスパイクなどは快く買ってくれた。

    こんな事を考えながらバットを買い与えた私を息子はどんな思い出見ているのだろうか?
    大人になって、どんな風に思い出すのだろうか?

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  • from: クマさんさん

    2007年02月24日 06時12分58秒

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    見ること・見続けること

    長男は、あと少しで中学校を卒業する。
    彼の方から私から離れていった時代だった。
    だから、あまりかかわった記憶が無かった。
    どこかへ行こうと誘っても、父親と行くわけは無かった。

    彼と二人でたった一回だけ映画を観に行った。
    「ラストサムライ」だった。
    家族ではよく出かけたが、
    彼にとって私という存在はどのように写っているのだろうか?

    ただ、毎朝の「おはよう」の挨拶と、
    出勤する前に、子供たちと握手して「行ってきます」ということは続けている。
    「いただきます」「ごちそうさまでした」「行って来ます」「ただいま」
    そんな挨拶がなかったら、家族とはどこでつながっているのだろうか?

    「行って来ます」を言うために、彼を探す。
    彼は鏡の前で髪をとかしていることもあり、
    部屋で教科書など準備していることもある。
    「行ってらっしゃい」と私の顔を見ずに手だけ出すこともある。
    その手を握り、「がんばれ」と一声かける。
    時にはぽんと肩をたたく。
    心なしか逞しくなってきたことを最近感ずる。

    「いつでも父さんは味方だよ」そんな無言のメッセージを込めたつもりでいる。
    ただ、彼にとっては煩いだけかもしれない。
    それでも、まだ私に手を差し伸べてくれるから在り難い。

    三年間、私や妻に起こされ続けた彼である。
    せめて朝は起こされないで自分で起きろよなと思う。
    しかし、ちゃんと朝食になるとダダダッと駆け下りてくる。
    それなりに自分のことを考えて律しているのだ。
    それは、彼の理屈であろうとも、一分の理屈は認めねばならぬのだ。

    彼からは煩い親父と思われているのだろう。
    それでも、私の大切な銘酒を祖父ちゃんから救ってくれた彼である。
    「親は、子供を心配するために生きているんだよ」と、
    私は、ある子に教えたことがある。
    その言葉を言った途端にはっとした。
    「何だ、それだけで良かったんだ」と思えたからだ。

    心配し、はらはらしながら見守って、しかし、だんだん口を出せなくなっていく。
    親から子は離れるが、親は子から離れてはいけないのだ。
    過保護・過干渉はよくないが、
    見つめることや、見届けることは、やめてはいけないのである。

    私がかって大変な道を歩いていたとき、
    父も母も私の事を見つめ、見届けてくれていた。
    見限らず、見直して、見つめ続け、見送っていく。
    それは、子供を信ずるということだと思えるようになってきた。

    親という漢字は、やっぱり凄い字なのである。
    ここに親学の本質が隠されているのだ。
    何故、この漢字に「見る」という文字が存在するのか。
    それが、親であるからではないだろうか?

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  • from: クマさんさん

    2007年02月23日 21時33分18秒

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    老い、老い、おい。

    朝は、父が起きてこなくなったので、
    私がジョギングの後で、ゴミ捨てに行っている。
    生ゴミや燃えるゴミをまとめて、5〜6個の袋をぶら下げていく。
    これは、いつも元気だった祖父ちゃんの仕事であった。

    母が起きなくなってから、朝はガス釜のスイッチを妻が押す。
    実は、タイマーで炊きたいのだが、
    一晩水の中に米を浸すことが嫌いな母のため、
    我が家は妻が6時にスイッチを押している。

    前の勤務先は豊栄だったので、
    私は早朝の6時に「目覚ましテレビ」を観ながら朝食を食べていた。
    母は、5時におきて朝餉の支度をしていた。
    寒い寒い冬の台所からも、
    まな板を叩く包丁の音が聞こえたものだった。

    今は、私が茶碗にご飯をよそっている。
    子供たちの分まで私がよそう。
    それから、味噌汁をお椀にもって、長男が降りてくるのを待っている。
    母は寝ていた。父も寝ていた。
    時々、ゴミを捨てようと起きてくる父であるが、
    私がすでに捨てて来たと聞くと、寂しそうに笑っている。

    父は、一日炬燵に入り、見る気の無いテレビをぼんやりと眺めているらしい。
    じっとしていられない人で、いつもせっせと体を動かして仕事した人だった。
    長男のために15年間鯉幟を上げた人だった。
    しかし、昨年我が家の庭には鯉幟はなかった。
    へいがき一面に朝顔を咲かせることも趣味であった。
    その朝顔も、昨年の夏は見られなかった。

    父は、何かを悟ったように、何もしない日々が続いている。
    とにかく怒りっぽくなったために、
    私なんぞは、怒られっぱなしである。
    孫たちもそんな祖父ちゃんを敬遠するようになった。

    先日、私の留守中に父が二階の私の部屋に来て、
    日本酒をもっていってしまったそうだ。
    それに気付いた長男が、母と機転を利かせて、
    その日本酒を奪取してくれた。
    本醸造の八海山である。
    母がこっそりと買って、私にくれた酒だった。

    父と語りたいなぁと思って、炬燵に入って新聞を見ていたら、
    どんどん文句を言ってくるので、
    だんだん腹が立って二階に上がってしまった。

    先週の「東京タワー」を観ただろうか。
    いつもと変わらない、何の変哲も無い平穏な朝。
    しかし、突然オカンは病魔に襲われ、苦しみだしてしまう。
    もう、後戻りはできないのである・・・。

    老いることは、悲哀である。
    父は、きっと叫びたいほど孤独なのだろう。
    平穏な夜、父は下で一人テレビに向かっている。
    夜中もそのテレビはついていた。
    父はテレビの光に照らされて、その光と語り合っていた。

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  • from: クマさんさん

    2007年02月22日 05時42分26秒

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    共生の意識を育てるために

    競技時間が4時間とは、なかなか厳しい条件だと思う。
    レースであり、タイムを競う目的であるから、
    それはそれでよいとは思う。
    しかし、市民発のお祭りをと考えると、
    佐渡のトライアスロンのように地元住民の組織的な支援と、
    個人的なボランティアが可能な形が望ましいと思う。

    祭りについて考えてみると、
    それは昔からの伝統行事であり、
    参加するマニュアルは伝承として語り継がれているものである。

    おしゃぎり祭りでは、祭りのために町内会が協同で作業する。
    家族はお客や地域の人たちのためにご馳走をこしらえる。
    おしゃぎりを持たない町々の人たちも、親戚の家によばれていく。
    おしゃぎりが町を練り歩く頃、観光客がたくさんやってくる。
    その熱気たるやたいしたもので、
    見ている私たちも興奮させられた。
    村上の市民は一年かけてこの日を待ち望み、
    一年分の思いと情熱とをこのおしゃぎりに賭ける。
    市民全体を巻き込む協働の場が祭りには存在していた。

    「そこでは空間をともにする人と人との共生感が醸成される」産経新聞社説
    「東京マラソンが、これまでは砂漠といわれた東京は、
    「新しいお祭り」を手に入れた」同 と書かれていた。
    そして、祭りに参加した人達には 「共生の意識」が生まれたとも書かれてあった。

    私も、祭りとは参加する人達にこの「共生の意識」が生まれる場であると考える。
    それでは、山ノ下祭りはどうだろうか?
    夕食を母の手料理で食べ、
    家族で宵宮に出かけ、おもちゃや食べ物を買った経験は子供時代からあった。
    しかし、祭りとは私にとってそれだけのものだった。
    山ノ下に生まれて良かったとは少しは感じた。
    他の地域のお祭りは、蒲原祭りと白山祭りしか行ったことがなかったからだ。
    「共生の意識」それは、これからの山ノ下祭りの課題である。

    そして、私たち「やろう会」が行っていくであろうイベントの、
    それは大きな目標にもなっているのだ。
    基本的なコンセプトとしては、誰でも自由に参加できる。
    そして、参加した人それぞれがそれぞれの立場で楽しめる。
    祭りを参加者全員で支えながら、達成感と成就感を味わえる。
    ということではないだろうか?

    「やろう会」のイベントが続いてきたのは、
    実はこのコンセプトをしっかり守ってきたからだと思っている。

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