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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017年01月31日 05時57分04秒

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    彼のように生きたい

    日曜日からちょっと喉が痛い。
    咳が出るし、痰がからむ。
    咳をする度に、縫った腹がきりきりと痛む。
    まだ繋がっていないこの縫った部分が、いつも痛んで仕方ない。

    「思う通りにならないことを思う通りにしようとする」
    「だから、人は苦しむ」とは、ある医師であり僧侶である人の言葉だった。

    そうだなぁと、いつも感ずる。
    思い通りにいかないことばかりが、人生だからだ。
    自分が思ったようになったことは、本当に少ないのではないだろうか。
    「こうきますか」という、予想外の出来事や、
    「それは勘弁してください」という、
    どうにもならないことの連続が人生だったような気がする。

    昨年の今頃は、ふらふらだった。
    術後の回復もままならず、体力がないために、外出もできなかった。
    「どうしてこんなになってしまったのか」と考えるだけ無駄だった。
    「だから、今日をどう生きるか」と、その問いだけが私には残された。
    「死にたいわけではない」
    「もっと生きたい」ならば、今日、今、ここをどう具体的に生きるのか。
    その「問い」が、そんな無力なる日々の内に、自分のものとなった。

    僧侶は、癌で死に行く人たちのためにホスピスを作った。
    「余命数カ月」の人たちが、そこに入る。
    そして、医師である彼にずっとある眼差しで「問う」ている。
    「人は、何のために生きているのですか」と。
    「私の人生は、いったい何でしたか」と。
    「人は、死んだらどこへ行くのですか」と。

    その問いに、応えられる医師は居ない。
    医学はあり、治療はあり、手術はあり、投薬はある。
    しかし、「死」という究極の体験に対して、
    「安心してください。大丈夫ですよ」と、言ってやれる医師はいない。
    死と向き合って答えを求めているその強い眼差しに対して、
    「安心」を与えられる医師はいない。

    それは、「宗教」の仕事なのだと、彼は言っている。
    刻一刻と死に近づいている私の人生。
    死なない人は、一人もいない。
    生きている者はみな衰え、老い、病を得て、死んで逝く。
    そんな当たり前で、ごくごく自然なことから、目をそらせて生きている。
    だから、思い通りにならないものを思い通りにしたくて苦しんでいる。

    護摩を焚くとは、その護摩というちっぽけな己を燃やすことらしい。
    「自分はいらない」
    「自分を捨てる」
    「自分のことは一番あとにする」
    それは、自我の欲とは、全く反対な生き方だった。

    私は、突然の生き死にの十時間にも及ぶ大手術だった。
    その間、きっと私は死んでいたのだと、そう想っている。
    でも、怖くはなかった。
    何も覚えてはいないが、あのままご臨終になっても、それでもよかった。
    「施無畏」だった。
    あの状況の中で、私には「死ぬ」ことは怖ろしくはなかった気がする。

    ただ、こうして生きている日々から死を想うと、
    やっぱり恐ろしく感ずることもある。
    「どこへ逝くのだろうか」と、不安に想うこともあるからだ。
    しかし、逝く先は、きっとこの身体が知っているだろうとも想っている。

    痛みは、ない。
    苦しみは、ない。
    まるで眠ったようにして、母も父も逝った。
    それは、私にとっての何よりもの「施無畏」だった。

    この「施無畏」こそ、「安心」だ。
    僧侶は、癌になり、余命数カ月となった。
    病院の経営と患者の診察とは、娘と妻とに任せて、
    今は、患者さんと語りながら、自分の死を見つめながら生きている。
    誰にも、その日はやって来る。

    思い通りにならないことが、人生なんだ。
    この腹の痛みを感じつつ、何もできない自分を情けなく想いつつ、
    「いかに今日、今、ここを生きるか」の「問い」は、
    死ぬまで持ち続けたいと、彼の献身的な姿を見て、私は感じた。
    願わくば、彼のように生きてみたいものだと・・・・。

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  • from: クマドンさん

    2017年01月30日 06時08分50秒

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    奥深い味を求めて

    太威がラーメングランプリをとれなかったそうだ。
    昨日の昼、吉報を信じて店を訪ねたら、
    店主も若い彼女も、「残念でした」との報告だった。
    お客さんが選んだラーメンは、5つの内太威がダントツ一位だった。
    それは、お客さんたちが貼って行くシールの数で一目瞭然だった。
    何か今年からルールが変わったと言う。

    しかし、よくよく考えてみたら誰にでもわかること。
    食べたお客が一番美味いと言って投票しているラーメンが、
    やっぱりグランプリに選ばれるだろうと。
    ところが、シールの数では圧倒的な一位でも、
    結果は何と三位だったそうだ。

    どんな採点が行われたのかは理解できないが、
    その採点基準からすれば、
    結果的に三位の順位となるのだそうだ。
    「勉強になりました」と、店主は笑顔で語っていた。
    私は、この味をここまで信じて、応援して来た。
    そして、ふるさと村での感触では、
    絶対にグランプリは間違いないと確信をしていた。

    しかし、現実とは、かくも厳しいものなのか・・・・だ。
    担々麺の大盛を食べた。
    やっぱり奥深い味だった。
    この味の他に、担々麺は存在しない。
    その味とは、私が求めてやまない究極の味でもあった。
    奥深い。だから、未だ味わいつくせぬ美味であった。
    私にとっては、この担々麺こそ、グランプリだ。

    そしたら、ある夜、あるパスタ店に言った時のことを思い出した。
    この店の「渡り蟹」の味が好きで、昔はよく通った店だった。
    最近は、映画に行くことも少なくなり、この店に来ることがめっきりと減っていた。
    久しぶりだと、ある夜、その店を訪れて、この「渡り蟹」を食べた。
    楽しみに、楽しみにしてきた「渡り蟹」
    なのに、フォークで撒いて一口食べたら、味が全く違っていたのだ。
    「何だ、これは」と、私は自分の体調がおかしいせいかと思い、
    目をつぶって、丹念に、丹念に、このパスタを味わってみた。

    「語らない」
    実に、いい加減な、何も工夫のない、どうにもならない凡庸な味だった。
    「どうしたのか」と私は感じ、やっぱり店の女の子に聴いてしまった。
    「味、変えましたか?」と。
    女の子は、しばらくきょとんとしてから、
    「そんなことはありませんよ」と、笑顔で去って行った。
    しかし、不味いのだ。
    こんなものにお金を払うことがもったいないくらい、不味いのだ。

    いや、不味いのではないのかもしれない。
    それは、私が求めていた大好きな味ではなかったから、
    きっとそう感じたのだと、私は想った。
    しかし、それなら先に言ってくれればいいのに・・・・。
    「渡り蟹は、お客様がご期待する味は当店では出せなくなりました」と。
    そうしたら、余計なお金を使わずに、食べずに帰れたのに・・・。

    レジで支払う時に、もっと驚いた。
    「お客様の貴重なご意見ありがとうございました。
     新人のシェフだったので、きっと味が変わったのだと思います」と。
    馬鹿な。何をこの人は言っているのだろうか。
    新人だから仕方ないのですとでも言いたいのか。
    その味を求めてわざわざ食べに行ったお客を馬鹿にするなと、ちょっと腹が立った。
    味が全く違うものを出しながら、正規のお金をとるのは、
    詐欺ではないのか。

    ただ今、新人がシェフをしています。
    お客様のご期待する味は出せません。
    それでもよかったらお召し上がりください。
    値段は半額の500円です。

    味とは、そういうものではないだろうか。
    味は、既に私の中に存在している。
    いや、きっと普遍としてここに在るのだと私は思う。

    その普遍を自らの修行でつかみ、試行錯誤の果てに生みだせる人こそ。
    本当の料理人であり、シェフなのではないだろうか。
    本物の奥深い味を出して、グランプリをとれなかった店主が居る。
    いい加減な不味い味しか出せないのに、いつもの同じお金をとるシェフがいた。

    でも、お客が求めてやまないのは、
    「これぞ」という、究極の味なのだと、私は想った。
    だから、美味いものには奥深いものを感じてしまうのだ。

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  • from: クマドンさん

    2017年01月29日 10時11分45秒

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    叔母たちには、いつも教えられ、励まされる。

    さてさて、起きられなかった。
    飲み過ぎなのだろうか。
    絶対的な身体の疲れを感じていた。
    立て続けに夢、夢。夢だった。
    「そうか、そう来るか」と、登場人物とシュチェーションに驚いた。
    また、眠ると夢だった。
    そして、8時過ぎに起きたら、何と声変わりをしていた。
    ガラガラ声だ。
    人並みに風邪をひいたらしい。

    土曜日のお昼は、叔母たちとの新年会だった。
    4名の叔母と1人の叔父。
    この5名の平均年齢は85歳くらいだったかも。
    全く昔のままの元気な叔母たちだったが、
    寄る年波には確かに勝てないものだと思った。

    最近は、こうした高齢者の人たちの話を聴く機会があると、
    必ず聴くことがあった。
    それは、「年を取らないと、わからないことって何ですか」だった。
    私自身、またまだ若造だが、
    59歳になってみて、やっとわかりかけてきたことばかりだった。
    まだ、わかってはいない。
    でも、何だがそのわかることのとても近くに生きているように感ずる。

    私よりも20年以上先輩の叔母たちには、
    もっともっとそのわかるべきことが、わかっているのだと思っている。
    叔母たちは、私が語るいろいろな話が大好きだった。
    トランプを語り、豊洲を語り、イスラムを語った。
    みんな目を輝かせて、黙ってそのいい加減な私の語りに耳を傾けていた。

    その時、「ああ、そうだったのか」と、わかったことがある。
    10名のこの姉妹たち。
    すでにその半分の人たちは鬼籍に入った人たちだ。
    それなのに、本当に仲の良い姉妹たちだった。
    それは当たり前のように喧嘩することも、お互いに愚痴ることはあっても、
    この姉妹としてのSファミリーとしての絆は強く、太く、絶対に切れないものだった。
    「友達が、私たちのことをよく羨ましいって言うよね」と、S叔母。

    どうしてこんなに仲が良いのだろうと思って叔母たちを観ていたら、
    何だかその理由が私にはわかったような気がした。

    まず、叔母たちはみんな正直で、欲が無いことだ。
    偉くなろうと言う人たちではなく、
    偉くなれなかった人たちを助け、支えてきた人たちだった。

    次に、家族のことを一番に大事にしてきた人たちだった。
    みな子どもたちを愛し、本当に可愛がってきた。
    私は従妹の筆頭だったから、みんなが集まると幼い従妹たちの子守だった。
    だから、今でもみんなはこんな親父の私を「Aちゃん」と呼んでかわいがる。
    59歳6か月のこのむさ苦しい男が、「Aちゃん」と、下の名前で呼ばれている。

    それから、よくよくお互いに話すことだった。
    本当によく話す。よく語る。よく笑う。そして、しみじみと思い出を語る。
    そこでわかったことは、叔母たちがとても聴き上手だということだ。
    私が話していてもそうだ。誰かが話している時もそうだ。
    聴く人は、じっと耳を傾け、その人の話を聴いている。
    途中でその話をさえぎったり、反対を唱える人は居ない。
    「そうだねぇ。」「そうらったね。」
    同意と肯定でその話は続けられる。
    だから、誰もが話していて気持ちいいのだ。

    そして、興味関心が高いということかな。
    実に実に好奇心旺盛な80代90代の叔母さんたちなんだ。
    私が池上彰さんのようにして、時事ニュースを解説すると、
    本当に真剣な眼差しで、身を乗り出すようにして聴いてくれる。
    そして、「そうだったんだね」と、学ぶのだ。
    大したものだと、いつも語るこちらが感心させられる。

    「小池さん、万歳」
    「舛添さんが悪いね」
    この反応は、まったくごくごく普通の市民の反応だった。
    革新・左翼・リベラルそのもの。
    そこをみんながぶれていないから、この叔母たちの語りは楽しいんだ。

    「この世の片隅で生きる」人たちだ。
    そして、その生き方を静かに、細やかながら全うして来た人たちだった。
    人生、いろいろなことがありすぎた。
    3人の叔母には、夫がいなかった。
    みな60代前半で死に別れた人たちだ。
    それでも、今日、ここで、独りでも生きている。

    私は、まだまだわかるの近くにいるようで、まだまだ遠いようだが、
    叔母たちは、わかるを生きていると感じた。
    笑いあり、涙あり。
    「この世の片隅で生きている」この叔母たちを誇りに思い、
    私も静かに、細やかにその生涯を全うしたいものだと考えた。

    いつもいつも教えられる叔母たちだった。

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  • from: クマドンさん

    2017年01月28日 07時58分09秒

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    踏まれた人の傍に居る

    昨夜、豊栄での飲み会だった。
    わざわざ豊栄から車を置きに自宅に戻り、それから電車で豊栄だった。
    その電車が強風のため遅れ、満員電車の車内だった。
    その車内で座ったまま、せっせとクレンジングからファンデーション、
    鏡を見ながら、マスカラにチークだった。
    この大胆で傍若無人な我がまま女は、どうしてこうやって生きているのか、
    ずっとその不思議さに呆れ、見とれていた。

    さてさて、知らない人ばかりの飲み会は、なかなか居場所のないものだった。
    しかし、歳は取るもの。
    大倉屋の素晴らしいご馳走に感動しながら、
    日本酒を私だけ頼み、手酌しながらそのご馳走を堪能していた。
    飲み会は、適量を知るために、手酌に限る。

    帰りの電車に間に合うために、まだ雪が凍っている歩道を走った、走った。
    そして、9時23分の新潟行きに間に合った。
    3分遅れて到着したから、間に合った。
    ほっとして帰りの電車のために購入したハイボールの缶を開ける。
    菊水一番搾りでは、この新潟までの20分間では飲みきれないからだ。
    いつもいつも、次にどのようにして酒を飲もうか考えての行動だった。

    駅前のバスステーションから、10時5分の「下山スポーツセンター」最終便だった。
    そして、切っていた携帯の電源を入れて、せみさんにメールした。
    実は、彼の大事なお父さんの具合がよくないのだった。
    熱があり、意識が薄らぎ、排尿は管からだった。
    父がそうだった。だから、私は余計な心配をしてしまった。

    彼のお父さんには、会ったことはなかった。
    職人気質の頑固なお父さんだとは聞いていた。

    私が心の病で、長期休職している時だった。
    私は、もう職場には戻れないかも知れないと弱気な日々を送っていた。
    家で欝々としているよりか、外でお日様を浴びていようと、
    近くの通船川で、生まれて初めてへらぶな釣りを始めた。
    この釣りは、釣った魚をリリースするから、その時の私にはぴったりだった。

    そんな私を見て、彼は、一本の浮きをもって来てくれた。
    確か、お父さんの自作の浮きだったと思う。
    へらぶなは実に実に微妙な当たりだった。
    口の中に餌を加えてからも、何度も何度も浮き沈みする。
    その浮きにしてから、その浮き沈みの意味がよく分かった。
    合わせられるのだ。
    釣れた、釣れた。ありがたかったなぁ。

    それから、ある日、一本のへらぶな釣りの竿をいただいた。
    「親父の竿、黙ってもってきました。使ってください」と。
    彼のお父さんは、へらぶな釣りの名人だった。
    あのへらぶなの竿は、調子が微妙だから、どれも高くて私には買えない代物だった。
    私の竿は、5本つなぎで2千円の竿だった。
    私は、その竿をもったとき、手が震えた。

    しかし、そんな大事な竿なのに、横にしておいて、私は気付かずに踏んでしまった。
    やってしまった。
    ぽきっ。
    私は、哀しくて、哀しくて、申し訳なくて、申し訳なくて、
    やっぱり黙っていられなかったので、せみさんに謝った。
    そしたら、どうだ。
    お父さんは、大笑いだったそうだ。
    「あの竿を素人が使うと、そうなると思っていたて」と。
    私は、その話を彼から聞いたとき、
    その豪快で磊落なお父さんのことが、何とも言えず好きになった。
    一度もお会いしていない、その人を。

    釣りには、自転車に竿を縛り付け、荷台にクーラーボックスを乗せて走った。
    走って10分のその川だった。
    帰りに近くのサークルKに寄った。
    するとそのレジには、彼の美人妻が立っている。
    私が惨めにこんなんになって毎日麦わら帽子を被って、
    釣りに行っていることは知っている。
    そんなどうにもならない哀れな中年叔父さんなのに、
    彼女は、いつもいつも笑顔で、優しい。

    ただ、他のお客さんと同じように、ピッとして、会話を交わす。
    それだけだ。それだけだ。
    だけど、そのことがどんだけ嬉しかったことか・・・・。
    もう職場に復帰できないかもしれないなぁと、
    浮きをみながら、ただなんとなく日々を生きている私だった。

    せみさんは、そんな私に浮きと竿とを届けてくれた。
    お父さんは、竿を折った私を大笑いだった。
    奥さんは、私が来ると、何気なく、優しく声をかけてくれた。
    まだ、父と母とが生きていた。
    帰ると、今はもう聞けない「おかえり。お腹減ったろ」の母の言葉。
    父は、テーブルの自分の席でお茶を飲んでいた。

    バスが、長者町南に着く間に、
    私は、ずっとこの切ない日々のことを思い出していた。

    そして、わかった。
    足を踏まれてつぶれてしまった中年親父が、
    今、ここで、来年度は退職を迎えることができるのは、
    あのつぶれたときの私に、さりげなく私の心の気兼ねにならず、
    何となく傍に居てくれて、気遣ってくれた、その優しさがあったからだと。

    「優しさ」とは、その人のことだった。
    「憂」は、私だ。
    その横にずっと離れずに居てくれた、その「人」

    私は、どうにもならない感謝を感じた。
    そして、踏まれてつぶれた人がいたら、
    私もそうすればいいんだと、59歳でやっとわかった気がした。

    せみさん、ありがとう。

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  • from: クマドンさん

    2017年01月27日 06時04分22秒

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    足を踏んづける人

    さてさて、どうにもならない自分を感じている。
    やってきてしまったことは、どうにもならないことだった。
    そのことを今から、変えようとしても、それは無理だ。
    本当に人生は、一回こっきりの一方通行の旅だった。
    忘れ物をしたからと言っても、もうそこには戻ることはできないんだ。

    そのために、もっともっとよく考えて生きればいいのに、
    なかなかそうもいかないのも生きるということらしい。
    その時は、それしかなかったという選択であり、決断であっても、
    後から考えたら、どうしてそんなことを・・・と思うことも多い。
    振り返ると、「それでいい」と、想える日も来るだろうが、
    今は、「どうして?」と自分自身に問うことのほうが多い。

    「足を踏まれている人には痛みが分かりますが、
     踏んでいる人には痛みが分かりません」と、阿部寛さんが語っていた。
    そうだなぁと、本当にそうだなぁと、痛く感ずる。
    そんな気持ちはなかったとしても、
    何も考えていなかったとしても、
    それでいいと勘違いしていたとしても、
    人の足を踏んづけていることには変わりはないのだ。

    踏まれている人の痛みは、踏んでいる人には分かりようがない。
    何故なら、踏んでいるという自覚が本人には全くないからだ。

    「結婚はどちらかが必ず相手より少しだけ我慢しているもの」
    しかし、もし少しどころか、一方的な我慢を強いていたとしたらどうだろう。
    それは、子どもたちにもそうだった。
    私が、こうした私であるために、
    私がわからずやで、感じられなかったために、子どもたちの心を傷つけ、
    寂しい想いにさせていたとしたら。
    そのことは、もう取り返しのつかない事実なんだなぁ。

    「恋妻家宮本」という映画の台詞だそうだ。
    「正しいことより、優しいことのほうが大事じゃないですか」と。
    私も、きっとそう想って、そう信じて生きて来たつもりだ。
    しかし、そう想っていたとしても、その行動や言葉が、足を踏む人であったとしたら、
    そして、踏んづけている私自身が、その自覚すらなく生きて来たとしたら、
    私は、いったい何ともどうにもならない人間であったということだろう。

    今、ひしひしと感ずる寂しさがある。
    そうなんだろうなぁ。
    きっとそうだったんだよなぁと、その寂しさは私に静かに語ってくれる。
    この「親父たちよ」を始めた13年前から今日まで、
    いったい私は、何をしてきたのだろうかと、
    ふっと感じて、昨夜は夜中の2時半に目が覚めて、
    心が冴えて眠れなくなってしまった。

    私も、きっとこの世とサヨナラする時は、
    たとえどんな状況であろうとも、あのバルジャンの最期の時のように、
    亡くなっている愛する魂に迎えられて、旅立つことを信じている。

    しかし、どうしてこの途中の人生の旅というものは、
    どうにもならない失敗と、後悔と、取り返しのつかない罪を繰り返しながら、
    そのことに気付かず、気付いた時にはすで遅いことになっているのだろうと、
    いつも感ずるものだった。
    その時には、わからない。
    後になって、そのことがわかる。

    だから、愚かな私は、正しさで生きることはできないのだ。
    私は、この台詞のように優しさを大事に生きる道を、
    迷いつつ、立ち止まりつつ、自分自身に溜息をつきながら、
    歩くことしか、道はないと、今は、想う。

    この映画の主題歌は、吉田拓郎さんが歌っているそうだ。
    「私は今日まで生きてみました」
    「そして明日からもこうして生きていくだろう」と。

    「いろいろなことがあって、反省することもいっぱいあったけれど、
     とりあえず今日まで生きてきて、明日も生きて行く。
     生きていっていいんだ、という自分への肯定感と優しさがあって、
     初めて人にも優しくできるんじゃないでしょうか」と、阿部寛さん

    本当にどうにもならない私です。
    それでも、今日も、明日も、生きてみる。だな。

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  • from: クマドンさん

    2017年01月25日 06時00分17秒

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    賢治さんの童話を読む会

    日曜日に「賢治の会」に参加した。
    松浜の元お茶さんの空き店舗を利用した休憩施設でそれはあった。
    昔お世話になった先生のKさんが始めた会だった。
    毎月一回。第二日曜日に開催される。
    既に17回目だそうだ。

    何よりも宮沢賢治の童話を読もうと、
    この会を始めたKさんがすごいなぁと感動だった。
    自分から何かを始めることは、なかなか大きな挑戦である。
    また、その会の想いに賛同して、どれだけの人が集まってくれるか分からない。
    でも、自分のライフワークとして、宮沢賢治のことを語りたい。
    みんなで賢治の童話に出会い、賢治の世界を感じたい。
    そう思って、きっと始められた会だったのだろうと思った。

    集まって来た人たちは、みな60代~70代の女性ばかりだ。
    7人の人が集まり、畳の上に座布団を敷いて座った。
    空き店舗は、がらがらと店の土間までよく見えるつくりなので、
    寒さはひしひしと感じられた。
    それがまた雪深いイーハトーブのようでよかった。
    みんな賢治が大好きな人たちだった。

    この年代の人たちで、こんなに懐かしそうにして賢治を語れる人たちが、
    何だか羨ましくもあった。
    昨年は没後80年とのことで、
    岩手の賢治のお祭りにわざわざ行った人もそこに2人居た。
    賢治を訪ねる旅は、きっとその人の心の故郷を訪ねる旅だっただろうか。
    私も、新婚旅行で賢治と啄木を訪ねる旅をしたことが懐かしい。
    「下の畑にいます」だなぁ。

    Kさんが「獅子踊りのはじまり」を、松浜弁に直して脚本にしていた。
    ドラマ・リーディングだった。
    輪読はいいものだ。
    そのひとりひとりの声に、その人の人柄や人生がにじみ出る。
    初めて出会った人たちだけれど、
    声を聴くことでぐっと近しいものを感じた。

    会の途中でお茶になった。
    手作りの温かいお汁粉と、黒豆の煮物が登場した。
    寒さの古民家の和室で、いただいたお汁粉と黒豆の美味いこと美味いこと。
    何か私たちは日本の大切な文化を忘れて生きているなぁと、ふと感じた。
    岩手から遠く遠く離れたこの松浜の片隅の古民家で、
    賢治が、賢治さんとして、何だかとても親しい先生や友人のようにして、
    その人のことをみんなが語り合っている。

    こうして語られる賢治さんは、不思議な人だと改めて思った。
    賢治さんの童話は素晴らしい。
    みんなはその童話と共に、賢治さんの生き方に憧れ、共感し、
    ここに集っていると感じた。

    賢治さんは、言葉の人だ。
    そして、やっぱり懐かしい人であると、改めて感じたときだった。

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  • from: クマドンさん

    2017年01月24日 05時53分17秒

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    土曜日のジャズストリート

    またまた寒波に襲われている。
    昨日は一日雪、雪、雪だった。
    帰りの道路には轍ができて、圧雪が凍ってノロノロ運転だった。
    何も考えない。
    そうならば、そう受け入れる。
    スピードは出さないし、車間距離はとるし、信号手前で減速する。
    その状況に合わせて、ただ運転するだけ。
    何も考えない。それに任せる。

    土曜日、ふるさと村のラーメングランプリだった。
    開店と同時に太威の列に並んだ。
    お店の人は私の顔を見て、にっこりと笑ってくれた。
    ご主人には「がんばって」との挨拶だった。
    妻と二人で四杯のラーメンだった。
    その票を全て、太威に入れた。
    夕方のNSTのニュースに、私の後ろ姿が映ったそうだ。

    次に、ジャズストリートだ。
    大好きなピアニスト尾崎さんの追っかけをいつもしている。
    まだ開始40分前のジョイアミーナでは、
    尾崎さんたちのサウンドチェックが行われていた。
    矢川さんのボーカルも私のお気に入りだった。
    そして、長澤さんのサックスの何と何と歌うことか。

    私は、次の会場パルムの一番前のカウンター席で、
    また尾崎さんの到着を待っていた。
    そこで出会ったのが、アルトサックスの佐野佳子さん。
    ああ、こんなに可憐で美しいジャズ奏者がいらっしゃるのだな。
    次は、この佐野さんの追っかけもやることを心に決めた。

    ジャズ喫茶スワンは、長蛇の列だった。
    入れ替えになっても、私には席はなかった。
    そしたら、偶然にもカウンターの叔父さんの隣の席が空いていた。
    待ち人来たらずなので、どうぞとのこと。
    超超満席のこのスワンで、こんな奇跡もあるものだ。

    ここでは、新潟のポールチェンバース。トップ・オブ・ベース。
    五十嵐誠さんの出演だった。
    長澤さんのグループでのメンバーだった。
    尾崎さんのトリオで彼のベースに出会ってから、
    もう十年以上はたっただろうか。
    ここでのボーカル大波さんがとてもとても大人の歌声でよかったなぁ。
    その歌に、惚れました。

    満員御礼は次の阿部さんのグループでも同じだった。
    私はここに残り、今度はドラムの内山さんの応援だった。
    だから、ドラムと向かい合う席に陣取り、
    並々とたたえられたオンザロックのウイスキーを飲んで演奏に聴き惚れた。
    ベースは五十嵐さん。大竹さんのギターが美し過ぎた。
    ピアノのリリシズム。内山さんは、ドラムで歌を歌える人だった。
    そして、秀逸は20代前半だろうか。ボーカルの吉田睦さんだ。
    ソウルがあった。歌心があった。堪能できた。酔いしれた。

    最後は、とぼとぼと歩いて音楽文化会館へ。
    「フォッサマグマ」の会場だった。
    彼女たちは、少々疲れていたようだった。
    福井・糸魚川・新潟とツアーと連日だったそうだ。
    彼女たちと出会ってからも5年以上はたっている。
    初めての出会いは、衝撃的だった。

    応援に行く。
    好きな人に逢いに行く。
    大好きな味を深く深く味わう。
    ジャズに酔いしれ、時を忘れる。
    応援する人と、ほんの短い言葉を交わす。
    そして、みんな笑顔で別れる。
    それでいいし、それだからいい。

    新潟に生まれてよかった。
    疲れ切った帰りのバスの中だったが、
    何だかやり切った感があり、心がほかほかと温かかった。
    出発が午前9時。
    家に着いたのは午後8時過ぎだった。

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  • from: クマドンさん

    2017年01月23日 22時15分24秒

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    「はたらきたくないと」というあなたへ  パート3

    「生きることを楽しむ」ことは、創意と工夫が要る。

    人が、「考える」ということを、していないということです。

    何よりも自分で考えて、考えて、とことん考え抜くこともせずに、
    人の意見を聞く方に労力を使ってしまったことが今でも残念です。

    考えるということは、自分が自分の人生を生きていることを、
    最大限に実現できるということに気付けたことが、
    昨年の後悔から学べた、とても大事なことでした。

    楽しく生きるは、楽に生きるではない。

    自分が楽だと思っている裏には、しんどいことを引き受けてくれる人がいる。
    それを忘れた人には、想像力が欠如しているのでしょう。

    「なら、どうやったら楽しくなるか、考えてみ」 さんまの師匠

    人生で苦しいことをやらなければならないときは必ずある。
    けれど、そこにささやかな楽しみや幸せを見つけるのは、知恵ひとつでできる。

    「たのしい」と「らく」は別物です。
    だから、たのしければ、らくでなくても頑張れる。
    らくを追求しすぎると、たのしくなくなってしまいそうです。

    自立とは、周囲の意向や期待にかかわらず、現在の個人の意図や思いを実現すること。
                          (自己主張・自己実現)
    自律とは、周囲に求められている自分の役割を認識し、それの調整を図りながら、
    自分の新たな可能性や価値観を開発していくプロセス。
    自分の多様な可能性に気付き、発揮し続けること。
    自分の価値の絶対化ではなく、自分の役割の開発と発揮。

    自立と自律の違い。我がままとアサーティブな主張の違い。

    実存神経症は、自分自身の実感や、自分自身の内側から生きられた実感や、
    情熱を持てない状態にあること。

    人生や行為を自分自身のものとして「所持」できず、「自立」できず、
    そして、行為や選択の内的根拠や源に直接接近できないために、
    「本来的」なことができないのです。
    そこに空虚感、存在価値のなさ、絶望や不安が生じます。

    実存的な不安は、人を多様な保護者や逃避の道を探し求めるように駆り立てます。
    思考するにも、感じるにも、何かとても浅い感じがする。
    でも、それは考えないように育てられたから。
    与えられた価値観に沿うように求められたから。

    すべてをそぎ落とされた先に、それでも立っている自分を見つけました。

    それからは、まわりに合わせ、相対的に生きることかから、
    自分の中心から出て来るものを信じて進む絶対的な自分へ、
    環境に合わせる自分から、環境に働きかける自分へ。

    追い詰められると、自分を考えずにはいられない。

    自分の中心からの声が聴こえなくなる。

    仕事というのは、大勢の人々が協同に生きて行くための方法論です。
    自分が仕事をする代わりに、他の沢山の人が自分のために仕事をしてくれいてる。
    そういうネットワークの中に身を置くことが就職の本質です。

    子どもは人の仕事の恩恵にあずかるばかりですが、大人になるにつれて、
    誰かの仕事の恩恵を受ける代わりに、
    他の人の仕事をすることを求められている。

    皆がこうした仕事をしなくなったら、世の中は大混乱に陥ります。
    だすから、互いに人のために役立つことが、仕事の本質だと思います。

    「浅い」から、一歩ずつ深みのある言葉へ、
    表面的な文章から、一歩ずつ実感のある文章へ、
    自分の表現を磨いていこう。できるか、と私は言いたい。  ズーニー

    そして、「楽しく生きたい」が何故違和感を伴うか、
    それは、ひとりひとりが背負って来た経験が発する、
    「楽しいだけでは、得ることのできない、大切なことが存在する」
    という直感なのだと思いました。

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  • from: クマドンさん

    2017年01月23日 21時34分53秒

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    「働きたくない」というあなたへ  山田ズーニーさん パート2

    しかし、「楽に生きる」ことはできないことと思う。
    なぜなら、「生きる」=「活きる」とは、「成長する」=「成長実感」を持つ
    ことだから。
    人はなぜ「活き」続けられるのか。それは、成長実感があるからだと思う。
    昨日できなかったことが、今日できる。この前分からなかったことが、分かった。
    私のしたことが感謝された。私は、感謝される人間なんだ。
    そんな成長実感が、明日も生きる力となり、その成長実感を求めて、
    明日を活きるのではないか。

    人は、どんなささいなことでもいいので「成長」は、欠かせないものである。
    そして、成長をあきらめた人は。「死んでいる」のに等しいまではないか。

    人は、なぜ働き続けるのか。

    「働く場」が最も成長実感を獲得できるからではないか。


    「楽しく生きたい」という若者は、イコール「早く死にたい」という若者。
    だから、みんな放っておけない。 森 智貴

    言葉を発する人の根にある想いは、にじみでてしまうものだ。

    「助けてほしい」

    社会と自分がツナガラナイ。

    あなたには、潜在力がある。
    生きる限り、それを生かして、伸ばしていかなくちゃないい。

    酷くても、傷だらけでも、はいずっても、
    前に進んだら、自分は成長できるんだ。

    毛虫みたいに鈍くって、気持ち悪い見た目でも、ノロノロはって歩いていても、
    見ると可愛く見える。そんなんでありたい。
    傷ついても、挑戦することに意味があるんだ。
    私は、傷ついても会社で働きたい。いっぱい傷ついて、泣いて、笑って、
    おっきな人間になりたい。

    進路選択にしても、受験勉強にしても、苦しみを自覚している子はいい。
    なんとなく生きている子ほど、いま受けている傷が深いのではないか。

    しかし、「なんとなく」で来てしまった人。

    「アウトプットする」つまり、「出す」ということが、自分のまわりにあるものに
    気付く道だと思う。

    人生も同じだ。人について行くから、
    いつまでたっても自分のものにはならない。

    「自分で考えて決める」
    決めたら言葉にして行動として「出す」
    周囲とぶつかってみる。
    失敗を引き受ける。

    「楽しく生きる」と「生きることを楽しむ」
    この二つも似ているようで、すごくちがうんだ。

    働くってことは、楽しいよ。

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  • from: クマドンさん

    2017年01月22日 17時39分28秒

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    「はたらきたくない」というあなたへ パート1

    山田ズーニー著「働きたくない」というあなたへ

    言葉は、私の発見である。
    私だけではない。
    そうか、そういうことだったんだと、
    きっと同じ立場で悩んでいる若者は多いと思う。
    まさか私も、その言葉で救われる一人になろうとは想わなかったが。
    著作権の問題もあるが、
    ここにこの本に載っていた、貴重なる本物の言葉を書きたいと思う。
    ズーニーさん。お許しください。

    「実際に自分を広げてくれるものは、
     自分の思いや願望とは無関係の外の世界から与えてもらえる。」

    「行く場所」がない、「やるべきこと」がない、「社会とつながらない」
    そんな状態は自由でも何でもなかった。

    働かないのって、そんな楽しいことではなかったよ。

    仕事は、人に喜んでもらうためにするものではありませんか。

    いま多くの人が「自分さえよければいい」と、
    無意識の意識の中に生きているように感じました。

    自分だけが幸せになりばいいという選択ではなく、
    自分以外の誰かを幸せにするような選択ができるようになってほしいと思います。

    身体も心も、人にはほど良い熱が必要です。
    深めてもらうには、自ら発熱し続けるしかなく、
    発熱し続けるためには、歩き続けるしかない。

    疲れたら休んでいいから、とにかく歩き続けるしかない。
    ゆっくりでいいから、自分のペースで歩き続ければ必ず着く。

    私にとって、働き始めるということは、
    降りられない一生のレールに乗ってしまうことのようで、
    すごく怖かったことを覚えています。

    むしろ素直ないい子なのですが、
    自分で考え、見つけ、進むということが苦手なようです。

    一緒に歩いてくれる人はいても、
    おんぶしてくれる人はいないんじゃないかなと思います。

    とにかく社会との接点のない毎日。辛いです。

    社会人になって、個人として社会的な責任を負うことを、
    怖がっているということです。

    楽しく生きる。大事なことですが、
    消費したり、受け取るだけの楽しさでは、
    あっという間に底をついてしまいます。

    仕事とは「かまえてしまう」ほど遠くにあるものでなくて、
    ごく身近にあるものだと思います。

    私は、今、子育てに束縛されていて、
    そこが私の居場所で、ここから社会とつながるのが、
    私の仕事なのだと思いました。

    「けっしてはなればなれにならないこと
     みんなもちばをまもること」  スイミーから

    今、自分が立っている場所をもっとよく見渡したら、
    きっとそこに自分が探しているものがあるはずです。
    見慣れ過ぎて、見ていなかったものが、絶対にあるはずです。

    考えるとは、「自分に問う」ことだ。
    考えることを通して、自分と交信して、
    自分と言う氷山の奥底にある自分の想いを汲み上げ、
    言葉にし、表現する。 ズーニー

    考えることを通して、自分らしい言葉、行動が生まれ、
    自分らしい選択ができるようになり、
    選択が意志になり、進路になる。 ズーニー


    潜在力は、充分だ。

    ただ通じていないだけなんだ。

    社会と通ずる。

    小・中・高、人によっては大学でまで、大人に依存するカタチで生きて来た人も、
    就職のタイミングで、自立の波が外から押し寄せて来る。

    まず、自分と言う氷山にもぐり、自分に通じ  ・・・ 自己理解
    次に、目指す仕事について掘り下げる     ・・・ 仕事理解
    業界をめぐる社会背景やお客さんについて理解する・・・社会認識

    自分を掘る。仕事を掘る。社会を掘る。

    自分と社会とをへその緒でつなぐ設計図。

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