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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2012年03月31日 08時46分40秒

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    町内会の若手と呑む

    昨夜は、町内会の若手から相談があるとのことで、
    彼の自宅へ缶ビール持参でお邪魔した。
    補導部の3名がそこには集まる予定だった。
    全員忙しい年代となってしまったので、
    次年度の補導部をどうしたらよいかという話し合いだった。

    私が補導部長をした時には、
    まだこの町内会にも彼らの子供たちが小学生でいたものだった。
    その時、ハイキングや温泉旅行や、餅つき大会等を計画し、実行していた。
    しかし、我が町内は、年寄りばかりの町内となり、
    小学生もたった一人なってしまったそうである。
    こんな町中でも過疎化が進み、後期高齢社会の真っただ中になってしまった。

    だから、補導部はやっぱりしばしの間凍結しようという話になった。
    未来がないのだ。希望がないのだ。可能性がないのだ。
    その代わりに「三世代交流部」なる怪しい部を立ち上げようとの提案だった。
    これならば、町内会役員のOBや現役引退した前期高齢者たちも参画できる。
    時代のニーズに見合った新たなる仕組み作りをしていかねばならないのだ。

    自治会なんてどうでもいい。
    そんな人たちが多い中で、
    我が自治会の若手たちは、自治会の将来を憂い、どうすればよいのか考えているのだ。
    しかし、面白い会議だった。
    テーブルの上には、缶ビールの空き缶がずらりと並んだ。
    酔いが回るうちに、いつしかそれぞれの仕事の話となった。
    2人は転勤で、春から新しい職場に替わるそうだ。
    心機一転。緊張と不安と期待との時期なのだ。

    町内に呑み仲間が欲しい。
    それを目指しての補導部長であり、親父の会であった。
    その時、一本釣りをした彼が、こうして補導部長を続けてくれていたのだった。
    あの時、呼びかけ、仲間に入ってもらえたからこその缶ビールだった。

    やっぱり人は出逢いだなぁとつくづく感じた。
    そして、誰かのための活動を続けることは、
    その人の人生を充実させ、新たなる仲間を作るものだなぁと感じた。
    そんなこんなで7時〜始まった話し合いは12時近くになっていた。
    ご主人のOさんがご酩酊で、倒れる寸前だったので、お開きにすることにした。
    その後のOさんがどうなったのか、未だ確認できていない。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年03月30日 05時50分23秒

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    健康第一にしたい

    母が、炬燵で寝ていることが多くなった。
    父は、その前で俯いたまま座っている。
    朝、「行ってきます。お願いします。」と、言って出かけた時と、
    帰って来て、「ただいま。ありがとうこざいました。」と、言う時と、
    その状況は変わりがなかった。

    インフルエンザ以来、体がだるいと話している。
    まだ少し熱があるようだとも言っている。
    私は、母の顔を見るたびに、「具合はどうら?」と聞いている。
    母は、心配させまいと思うのか、「大丈夫らよ。」と答える。
    しかし、あれだけ家事で動いていた母の姿が、台所にはなくなってしまった。
    私が夕食を食べる時には、台所にいたものだが、
    今は、寂しいことに炬燵の中だった。

    母は、しぼむように痩せて来ている。
    顔を時々見ると、母ではないように感ずることもある。
    あれだけ健康そうに肥っていた母なのだ。
    医師からは心臓に負担がかかるからと、減量を勧められた母なのだ。
    それが病気になったことで、こんなにまで痩せてしまった。

    肝臓を患っているために、異常な体のだるさなのだと思う。
    私もそうだからよく分かる。
    この肝臓と言う臓器は、黙っているのだが人の生活を司る大事なエネルギー源なのだ。
    人の体は、余りにも正直に反応しすぎる。

    よく「心・技・体」と言うが、
    これは「体・技・心」の順番が本当ではないかと思う。
    健康第一。ご自愛下さいが、私たち50代以降の人たちの挨拶なのだ。
    それなのに、連日の飲酒・飲酒・飲酒である。
    まず、酒を休む日を作ることだと反省している。
    しかし、これがまたストレスになってしまうんだなぁ。

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  • from: クマさんさん

    2012年03月29日 06時18分07秒

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    健康第一に

    朝、走らなくなってから一カ月以上たってしまった。
    膝の筋を痛めてから、しばらくは階段を上がると痛みがあった。
    そのために、ウォーキングもしていなかった。
    体が痛むことは、体を思うように使えず、不自由であるということだった。

    その痛みが治ると、次は突然の発熱だった。
    この風邪は三週間以上続いている。
    喉と鼻。アレルギーの症状だった。
    いつも頭が重く、なんともはっきりしない日々だった。
    辛かったなぁ。
    その間、もちろん走ってはいない。

    今週は、年度末ということもあり、心と体とが疲労困憊だ。
    朝布団から起きられなくなってしまった。
    5時起きが当たり前の生活だったが、
    最近は6時頃まで布団の中でぐずぐずしている。
    今朝のこの天気が実にもったいないものだ。
    どうも肝臓の機能が低下しているらしい。
    送別会の後から、体がだるくて具合が悪い。

    shiraさんのご心配は、とてもありがたい。
    心の状態は、体の状態そのもののような気がする。
    体が健康であれば、心もそれに伴い明るくなるのだ。
    それがこうしてトラブル続きの体となってよく分かった。
    健康第一で生きたいと思う。

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  • from: クマさんさん

    2012年03月28日 06時20分17秒

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    今日だけ

    母がインフルエンザ以来元気がなかった。
    よく炬燵に入ったまま眠っている。
    今までは私が食事をしていると、必ずやってきて一緒に座り話してくれた。
    今は、それもしなくなった。
    東京へ行けなかったことが、とても残念だったようだ。
    何だか一日一日と変化する。

    体が難儀なのだろう。
    「大丈夫」とは私には言うが、やっぱり辛いのだと思う。
    何もしてあげられない。
    ただ、ゆったりと、心配することなく、免疫力を高めてもらうだけだ。
    家族としては、祈るしかなかった。

    日曜日に久しぶりのLSDだった。
    お地蔵様に行ったら驚いた。
    ある人が願をかけたご縁のこよりと五円玉がぶら下がっていたからだ。
    祈りだなぁと、思い一心にお願いした。
    「大丈夫。大丈夫。」その言葉がありがたかった。

    私は、またまた己の無力さを痛感している。
    こんな時が危ないのだが、母のためにも、家族のためにも、
    しんなら強く生き抜かねばならなかった。
    どうしたらいいだろうと悩む時、
    みのお地蔵様に拝みに行くことにした。
    そして、「大丈夫。大丈夫」と自分に言い聞かせることにした。

    ある意味辛い3月だった。
    まだまだ乗り越えねばならない山がある。
    どうしょうと思いつつも、今日だけを生きることにする。

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  • from: クマさんさん

    2012年03月25日 13時06分18秒

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    元気をもらう

    それから駅前の居酒屋に行った。
    ランチをとは思ったが、何だか感動で胸いっぱいだった。
    生ビールで乾杯してから、いよいよ「途中の会」新潟編が始まった。

    Sさんは、新潟大学4年の春に、突然我が母校Y中学に講師として呼ばれたそうだ。
    一カ月ぐらいならと思っていたら、病休が延び、三か月の新米教師生活だった。
    自分が教職の道を選択しようかと迷っていた頃だった。
    そしたら、生徒たちがSさんに寄り添って行った。
    その時の感激が教師への原点となったそうだ。

    私はその話を聴いて、やっぱり縁なんだなぁと感じた。
    私がM小の1年生だった時、師となるSさんはY中学校で講師だったのだ。

    次に、大学院で「教育心理学」を専攻するまでの話をしてくれた。
    自分の教授が病気で倒れ、Sさんをある教授に推薦してくれた。
    その教授に会ったSさんは、いろいろと議論をもちかけ、
    納得するまで専攻は決めないと心に決めていたそうだ。
    しかし、その先生は見事に三日間その若い学生の話を聴いてくれたのだそうだ。
    そこで、これまで親身になってくれる先生ならばと、
    Sさんはその学問の道に行くことになった。

    Y中の純真な生徒たちとの出会いと、その教授との出会いで、
    Sさんという教師が誕生し、この道を全うするまで歩き続けることとなった。
    人生とは、やっぱり出逢いだなぁとその話を聴いて私は思った。

    私にも感謝すべき人たちがたくさんいる。
    今は、その感謝を直接その人たちに返すことはできない。
    私が逆境にあり、どん底にあり、暗闇を歩いていた時、
    必ずのようにして、人と出会い、その人の助けで生き延びて来た。
    今も、ある人たちが傍に居てくれるから、生きていられるようなものだった。

    Sさんの場合は、生徒たちからの愛であり、教授からの愛であったかもしれない。
    「大好きです。」「あなたを信じています。」「あなたに任せます。」
    そんな気持ちを相手から受けると、
    人の心は元気になり、奮い立つものを感ずるものだ。
    私は、Sさんと出会い、その愛なる元気をたくさんもらっている。
    その元気は、Sさんがこれまでの人生で多くの人との出会いから受けたそれなのかもしれないと思っている。

    つまり、私の魂を人として奮い立たせる元気の中には、
    そのSさんが出会って、学んだ人たちの元気が一緒に含まれているということだ。
    そして、Sさんは手のひらで私が発する気を感じてくれた。
    私からも、人の魂を奮い立たせる元気が発せられているようなのだ。

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  • from: クマさんさん

    2012年03月25日 10時49分40秒

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    縄文の魂の復興を

    Sさんとの話に、よく漢字が出て来る。
    昨日の初めは、やすらぎ堤のバンブーハウスの前だった。

    「興」という漢字の話だった。
    ある僧侶によるとこの字の真ん中に同じと言う字があるのは、
    左右に違うものを繋げて、同じ力にすることを意味しているのだそうだ。

    私は、「親」という漢字が最近よく分かって来たことを話した。
    手を離して自立させても、見守り続けるものが親なんだ。
    確かに「あきらめ」たが、だから尚更可愛く思える。
    自分のことをいつも見てもらえる安心感ってとても大事なことだと話した。

    すると気づいた。
    私は今でもこうして生かされながら、目には見えないが多くの魂に見守られ、
    育てられているのだと。
    そうした多くの人の優しさによって、守られていたのだと。

    そしたら、「魂」という漢字と出会った。
    鬼が云う。鬼が伝える。
    そうだったのか、死んだ人たち(鬼籍)は、けっして死なない人たちとなり、
    いつまでもいつまでもこの大自然の中で生きているのではないだろうか。
    そして、私たち生きている者たちに、
    「本当に大切なもの」を伝えようと、語りかけているのではないだろうか。
    そのかすかなる光である、その声を聴くことが、私たちの使命なのだ。

    そのスピリッツは、ストーリーとして語られる。
    忌み語りが、物語の原点だと言う人がいた。
    あの世からの物語。
    亡くなった人たちからのメッセージ。
    太古の昔からの語りかけ。
    私は、それを聴き、それを物語として書き、舞台に上演する。
    そうか。そうだったのか。

    「Sさん、私たちはその物語を受け継ぐことをやめてしまっていたのではないでしょうか。」
    「一万年以上続いた縄文の物語を、この現代に蘇らすことができないでしょうか。」
    「縄文人の魂の復興です。」
    そんな話をしている内に、上映の時刻が近づいた。

    たった15分間のやすらぎ堤での二人の話だった。

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  • from: クマさんさん

    2012年03月25日 09時04分33秒

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    Sさんが新潟に来てくれた

    土曜日の朝9時に新潟駅の改札の前に立っていた。
    小千谷から電車で来る我が師Sさんを迎えるためだった。
    シネウィンドで上映されている映画「かすかな光へ」を観るために、
    Sさんはわざわざ予定を変えて新潟に来てくれた。
    それと、私とじっくりとゆっくりと向かい合って話したいからだ。

    私は2回目の映画だった。
    10名ほどの観客にウインドの波の音が大きく聞こえた。
    教師や教師を志す学生さんには、ぜひぜひ観てもらいたい映画だった。
    なのにやはり観客は少なかった。
    Sさんは隣りで観ていた。
    映画については、以前語ったので詳しくは書かない。
    大田尭さんの生き方そのものが、憧れの人なのだ。
    尊厳をもって生きるとは、彼の生き様と人生を観るとよく分かる。
    わたしも、Sさんも、実はマイノリティーの中でかすかな光を追い求めて生きて来た。
    「やっぱりこれでよかったんだね」と、改めてこれまでの人生を肯いた。

    終映後、何も語れなかった。
    語ると涙が流れてしまうからだ。
    二人でトイレで並んで立った時、Sさんがぽつりと言った。
    「何をしてきただろうかなぁ。」
    73歳のSさんのその一言に、私はまた涙が流れた。
    本当に深いところで感動すると、
    言葉に出すことはその感動を台無しにするような気がして、お互いで映画については触れぬようにした。
    肩を並べて新潟駅に向かって歩いた。

    「ああ。今しかないなぁ。」
    「今ってとっても幸せな瞬間だなぁ。」
    私は、Sさんと冷たい風に向かって歩きながら、心に温まるものを感じていた。
    「途中の会」は、いつもは小千谷の山本山の山荘だった。
    私だけ缶ビールを呑み、Sさんたちはお茶を呑みながら、
    延々と時間の過ぎるのを忘れて、「生きる」ことについて語り合う。

    Sさんが語り、私たちが聴く。
    私が語り、Sさんたちが聴く。
    自分を語るのだが、そこには語りながらもう一人の自分が居たりする。
    相手の語りの中にも、もう一人の自分がいたりする。
    余計なものや、己の欲にかかわることを徹底的にそぎ落としそぎ落とし、
    真摯に素直に正直に自分の心を露わにする。
    語ると言うことは、何と心地よく、人の心を幸せに満ちたものに変えるものか。

    私たちは、聴くという無心に励まされ、語り続ける。
    私は、無心に聴ける人は、幸せな人だと思う。
    私には、真剣に無心に私の話を聴いてくれる人たちがいる。
    聴くと言うことは、愛することと同じなのだとその人たちから教えられる。
    そして、語ると言うことは、
    私が忘れていた、私の中に存在する自然なる吾との出会いなのだとも感じている。

    この吾に人をつけると、「悟」という文字になる。
    禅の世界で真面目と呼ばれ、主人公と呼ばれる吾は生まれる前からここに居た。
    その吾がここに生きていながら、世の中を見て、人を見て、己のことばかり考えて、
    右往左往と迷って苦しんでいる我となる。
    しかし、「我執を捨ててただなんとなく」生きようとしたところから、
    何だか世の中から数には数えてもらえなくなったが、
    この「吾」が内なる声として呼ぶようになった。

    Sさんとは、その「吾」と「吾」とで向き合い、語り合う。
    その「吾」は私の「吾」でありながら、
    私の中でのSさんの「吾」だった。
    その「吾」とは、唯一無二の「吾」である。
    もともと全ての命は、その一つの「吾」から生まれている。
    そして、生きると言う迷いの中で、その吾を忘れ、我執の海を彷徨っている。
    その内に我執はこてんぱんにやられ、
    ことごとく我を否定され、潰され、死にたくなることもある。
    その瞬間だ。この魂の奥底で潜んで生きていた「吾」が語りだすのは。

    長くなってしまった。
    実は、母が軽いインフルエンザになってしまった。
    東京行きは、中止となった。
    今朝は母の熱は下がり、辛さも少しはいいようだ。
    東京で発熱するよりずっとよかったと仏様に感謝している。
    そんな訳で、本日は家に居る。
    昨日Sさんと呑んで語り合い、またまた目から鱗がぼろぼろと落ちた。
    触発された。新たなる吾とも出会った。つくづく愛だと感じた。

    本日は、ゆっくりとじっくりとSさんと語ったことをここに記そうと思っている。

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  • from: クマさんさん

    2012年03月22日 05時52分06秒

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    東京行き

    母は、昨日病院のかけもちだったようだ。
    K病院に行き、先生の診察を受けた。
    いつも笑顔の先生に癒されるようだ。
    「肝臓の数値が少し悪いから、
    一カ月を二週間おきにしてくれると先生が言っていたよ。」
    母は、その変化に何もこだわらなかった。

    先生には心配だったから、私から二週間にすることをお願いした。
    本人には気づかれぬようにともお願いした。
    先生は、人の心を和ませる力をもっている人だった。
    その人柄に惚れて、母は命を任せた人である。
    名医とは、患者を安心させ、上手に信じさせる力ももっていた。

    今、東京の叔母のお見舞いのために、東京行きを考えている。
    しかし、父が「何で俺が行かねばなんねんだ。」
    「途中、俺が倒れたらどうするんだ。」と、頑として拒否をしていた。
    確かに歩くことすらしなくなった父は、東京への旅は難儀だと思う。
    「倒れたら、俺がおんぶするてば。」と言っても、聴く耳をもたない。
    だから、一時この東京行きは、父が行かないならと、母もやめることにした。

    しかし、先生が母に行ったそうだ。
    「東京。行ってきなさい。何でも思ったことしても大丈夫ですよ。」と。
    私が帰って来たら、母がすぐにそのことを笑顔で私に教えてくれた。
    「兄ちゃんとNちゃんと、三人で東京に行こう。」
    私は、そうすることにした。
    幸いこの日曜日には予定がなかったので、切符を手に入れることにした。

    あの父を置いて行くことは忍びないが、
    母のいない一日から、日ごろの母のありがたさを感じてくれたらとも思っている。
    「思ったことはすぐにやろう。」
    それは、私にも言えることかもしれなかった。

    昨日の夜遅く、酔っ払ってフォークギターを弾いていた。
    「トンボよーー、」長淵剛だった。
    思ったことはすぐにやった。

    この東京行きは、母との思い出の旅になりそうだ。

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  • from: クマさんさん

    2012年03月21日 06時35分01秒

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    かすかな光へ

    「かすかな光へ」
    教育哲学者 大田尭さん。94歳。
    素晴らしい映画だった。

    命とは何か。
    それは、みんな違っていることである。
    一つとして同じものは存在していない。
    だから、違っていることに尊さを見よう。
    違っていることにこそ、人が人として生きる尊厳がある。

    命とは何か
    それは、自分から変わる力をもっているということである。
    学ぶことで命は変わる。
    変わることが学びである。
    その変わる力は、生まれながらに命には与えられている。
    幼虫が蛹になって蝶になる。
    それは命の存在である人も同じだ。

    命とは何か
    それは、かかわるということである。
    全ての命はかかわりの中だけで存在する。
    お日さま・水・土・風と命はその風土によって育まれている。
    命には命そのもので生きる力はもっている。
    その力を力として発揮させるのが、命とのかかわりだ。
    だから命を見つめよう。
    何をしてもらいたがっているか。
    その命の言葉を聴き、
    その手を差し伸べられる感性こそ大切にしなければならないものなのだ。

    命は、違うものだ。
    命は、自ら変わるものだ。
    命は、かかわるものだ。
    それは、一人の命としての私のことでもあった。

    教育とは、その命を育てる場である。
    その命が、自らの力で育つように手助けをする場である。
    次の時代を作る子供たちにこそ、その命の教育をしなければいけない。
    しかし、現実の教育は・・・・・。

    だから、93歳になっても、かすかな光を求めて、日々歩む。
    長生きの秘訣は、「夢をもつことだよ」と笑っていた。
    「その夢は、私だけのものだよ。」とも言って笑っていた。
    私だけの夢。
    私だけのかすかな光。

    それは、全ての命には平等に与えられているはずである。
    ただし、そのかすかな光に気づく感性をもっているかであり、
    それを自分の夢として追い求めるかであると思った。

    私は、かすかな光へ向かう人となりたいと、
    大田さんの人生と出会ってそう思った。

    深く深く魂の中に眠っていた何かを目覚めさせる力をもった名画だった。
    林光さんの音楽も美しい。心に沁みた。

    追伸:障がいのある子をもつ親の人たちにはぜひお勧めの映画だ。

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  • from: クマさんさん

    2012年03月20日 07時39分00秒

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    恩送りを読んで

    目が覚めたら、町の屋根が真っ白だった。
    まだまだ雪は降りますか。
    春を待つ心でいながらも、このなごり雪を楽しむ心も私にはあった。
    今年手のひらに受ける雪は、これが最後かもしれないからだ。
    最期の雪。最期の冬。
    そういう人は世の中にたくさんいるのだろうと、ふと思った。

    先日、新潟日報に「河北新報」のコラム「河北春秋」が載っていた。
    作家井上ひさしさんの「恩送り」の話だった。
    『受けた施しや恩を、直接その相手に返すのではなく、
    自分ができるようになったときに地域や周りの誰かに返す』ことだそうだ。

    井上さんは、激務の合間をぬって一関市の市民400名以上のために、
    作文の指導に当たったそうだ。
    なぜ、井上さんがこの市民のためにこの作文教室を開催することを了承したのか。
    井上さんは、その講義の途中である秘話を明かした。

    井上さんが、この市で中学時代を過ごした時の話だ。
    彼はある書店でどうしても欲しかった辞書を見つけて万引きしようとしたそうだ。
    店主はそれを見つけ、井上さんは警察送りを覚悟した。
    しかし、店主は彼を店の裏に連れていき、夕方までまきを割らせた。
    『そして、「職人に頼む代金に比べたら辞書代は半分だ」と言い、
    辞書と半額分の賃金を手渡した。』
    『人気作家による無報酬の作文教室は、その「恩送り」だったのではないか。』 河北新報 河北春秋より

    私は、晩酌をしながらこの記事を読み、不覚にも熱いものがこみあげて、
    黙って頭を垂れて嗚咽していた。
    昔、こんな店主のような温かな人は確かに生きていた。
    井上さんにとったら、その店主はきっと仏様のように感じたことだろう。
    「ああ無情」にもそんな物語があった。
    ジャンバルジャンは、その神父の赦しと愛に出会い心を入れ替えた。
    きっと井上さんにとって、この店主は彼の人生を変えた人だったのだろうと思う。

    私も、ここまで生きて来た間に、どれだけの施しと恩とを受けて来たことだろう。
    私を可愛がってくれた人。私のことを慰めてくれた人。
    私を遠くからじっと見守ってくれた人。
    数知れないその恩人たちに、私は直接何も返すことはできないのである。
    だから、私は、その人たちのこころを胸に、私が私らしく生きることを選ぶことにした。
    それは、デクノボウの道かもしれなかった。
    でも、誰かのために、何かのために、少しでもお役に立つなら、とも思っている。

    井上さんは、そう思って一関市で市民のための作文教室を開いた。

    雪は降り続けば、いつしか町は真っ白な町になる。
    今朝はこの雪が仏様からの慈悲の雪のように感じられた。

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