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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2011年05月31日 05時52分23秒

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    昔の私より

    「マイ・バック・ペイジ」
    この映画は、ある意味では私の青春映画だった。
    何かに自分を賭けて、奮い立たせる。
    にっちもさっちも行かない状況を造り、自分を追い込む。
    過激にアジり、周りの人を巻き込んで行く。
    学生たちが熱く日本中で戦い、
    ベトナム革命と同時に蜂起することを目指した時代。
    その熱さは、今でも燻っているかも知れない。
    嘘をつき続ける梅山とカウンターで泣く沢田の対比。
    あの涙、分かるなぁ。

    「プリンス・トヨトミ」
    父から子へ一生に一回、この秘密は伝えられる。
    父がその話をする時は、父の人生が終わる時だった。
    大阪は独立した国だった。
    その着想の面白さと、真摯に真実のために生きる人たちの生き様が感動だ。
    「世の中で一番難しいことは、自分に正直に生きることだ。」
    父は子に、その正直に生きることを教えて行く。
    聴覚障害者のために日本語の字幕スーパーがついていた。
    それがドラマをいっそう明確にしてくれていた。
    新潟市を舞台にしたこんな壮大なドラマを書いてみたくなった。

    「オーディション」
    東区市民劇団で、10月の公演に向けてのオーディションがあった。
    課題は、歌と決められた台詞での演技だった。
    六畳くらいの座敷で、演出・脚本・制作の3名が審査した。
    「コーラスライン」というミュージカルがあった。
    まさにその世界なのだ。
    2時間近く、本当に楽しませてもらった。
    そこには、自分に挑戦しようとする人間ドラマに溢れていた。
    緊張感と心の動揺。
    怒りがあり、悲しみがあり、傲慢があり、願いがあった。
    想いがあり、愛があり、自信があり、夢があった。
    ドラマとは、まさに人間の感情表現なんだと改めて思った。
    20名の劇団員のオーディションだった。
    そこには20名の人生が在り、20名の個性が在った。

    私も、私の人生を自分に正直に生きねばならない。
    それでは、私の道とは何だろう。
    そんな私の生き方を、長男と次男は見ていてくれるだろうか。
    私が、私らしく生きるとは、どういう生き方なのだろうか。

    「マイ・バック・ペイジ」のエンドロールで、歌われていた歌の歌詞。
    「今の私は、昔の私より若いかもしれない」?
    そんな生き方をこれからもしたくなった。

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  • from: クマさんさん

    2011年05月30日 06時28分54秒

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    映画を観た

    午前10時の映画祭によく行っている。
    この映画祭のラインナップが、懐かしい映画ばかりだからだ。
    映画は、私の青春のある時間を記録してくれている。
    その映画と出会った時代は、その映画に記憶されているからだ。
    映画と向き合う時、中学生や高校生の私と出会う。
    同時に、当時の映画館の雰囲気を思い出す。
    よく行った「名画座 ライフ」や「グランド劇場」「スカラ座」等など、
    映画狂であった私には、映画館が学校であったような気さえしている。

    「真夜中のカーボーイ」
    この映画のポスターと、あの名曲が中学生だった私には憧れの存在だった。
    カゥボーイ姿のジョン・ボイドと、
    小柄でよれよれの恰好でタバコを吸っているダスティン・ホフマンがそこにいた。
    大都会の片隅で孤独に生きる男同士の友情物語。
    秀逸は、片足を引きずりながら廃屋のビルで生き残っているホフマンの演技だった。

    「タクシードライバー」
    高校生の時、内容も分からず映画館で出会って衝撃を受けた作品だ。
    トラビスという役名が、彼そのものとして心に残った。
    デビュー間もないデニーロが生きていた。
    精悍で、神経質で、病的で、凶暴で、それでいて優しい笑顔で。
    彼が心に決めて、襲撃に向かうプロセスが凄かった。
    肉体を強靭に鍛え上げ、銃やナイフを入念に装備し、
    突撃する時は、モヒカンとサングラスだ。
    この襲撃シーンのリアルさと共に、
    打たれながらも突き進むトラビスの演技は圧巻だった。
    そして、冒頭の地下鉄から上がるまっ白い煙の中から登場するイェローキャブ。
    甘く切ないあのテーマ曲。
    ラストのデニーロの瞳に映るハーレムのネオンサイン。

    「ナチュラル」
    自然ではなく、天才と読む。
    中年男性必見の感動的な物語だ。
    ある日、負け続け最下位を低迷する弱小メジャー球団に、
    35歳の中年の選手がやって来る。
    ロバード・レッドフォードが実に渋くていいのだ。

    経歴も前歴もぱっとしない無名中年選手に、監督は呆れてほったらかしにしておいた。
    彼は、それでもベンチで耐え、チャンスを待っていた。
    ある日、監督がチャンスを与え、バッティング練習をしたら、
    特大のホームランの連発だった。
    ワンダーボーイ「神童」と書かれたバットは、
    彼の自作のバットだった。
    しかし、どうしてこんなに凄い選手がこれまで無名で生きていたのか。
    16年前に彼は、ある事件に巻き込まれていた。
    実は、彼はピッチャーとしては「ナチュラル」の持ち主で、
    メジャーリーグにテストを受けるところまで行った男なのだ。

    私は、録画した映画を午後から観ていた。
    いやはや泣けた。泣けた。
    「フィールドオブドリーム」がやはりアメリカ人なのだと感じた。

    ダスティン・ホフマン。ロバート・デ・ニーロ。ロバート・レドフォード。
    いい役者だよなぁと、いつもいつも想う。
    それは、私が中学生だったり、高校生だったりした頃の、
    憧れの人だった。
    こんな生き方をしてみたい。
    こんな男になってみたい。
    私にとっての大人の見本は、スクリーンの役者さんたちだった気がする。

    今、東区市民劇団とかかわり、脚本を書かせてもらっている。
    映画を通してドラマツールギーを学び、台詞を学び、光と音楽を学んでいる。
    しかし、このスクリーンの憧れの役者さんたちを観るにつけて、
    役者として舞台に立ちたいとも願うようにもなってきた。
    もうそろそろそんなことを許してもらえる年になってきたのではないだろうか。
    何だかそこに私の人生の新境地がありそうな予感もしている。

    ぜひ、この三本をご覧あれ。

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  • from: クマさんさん

    2011年05月29日 07時37分34秒

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    それなりの理由

    今週は、この親父たちよを三日も休んでいた。
    それは、それなりに理由が在る。
    しかし、休んでいる時は、やっぱり体と心とに弱みがあるときだ。
    人は、壊れものである。
    特に年を取って来ていることを自覚できない私のような男は、
    突然病魔に襲われ、後悔することもあるかもしれない。
    それなりに最悪の事態を想定し、課題解決に向けて対処すべきなのだ。

    影で悪口を言われているってとても嫌なことだった。
    本人は分からないかも知れないが、
    心ある人たちが、私に何と言っていたか教えてくれる。
    情けなく想う。哀れに想う。
    そんなら直接言ってくれればいいのにと想う。
    陰口・悪口を言う体質の人がいるようだ。
    その人から、人は去って行く。
    私も去った。
    人を悪く言うことで何を期待しているのであろうか。
    しかし、諦めていても私の心は重いのだ。
    陰口・悪口と言う名の正義感に。

    飲み過ぎサインは出ているる
    そして、肝臓からのSOSも絶えず発信されている。
    止めた方がいいよなぁと想いつつも止められない。
    それが人の業というものかもしれない。
    「入船うどん」のマスターと話せるようになった。
    あることからマスターが私に話しかけてくれたことがきっかけになった。
    彼の話はとても興味深いものだった。
    ヨットマンでもある彼が、自分の人生と言う荒波を乗り越えて来た話は、
    思わず聴き入り、唸ってしまう話ばかりなのだ。
    体験を通して語られる言葉の重みを感じてしまった。

    金曜日の夜に、友と飲んだ。
    やろう会からの付き合いだから、もう7〜8年にはなるだろうか。
    不思議な出会いであった。
    もしあの時、やろう会が無かったら、
    ここで付き合っている親父仲間たちはどんな生き方をしているのだろうか。
    今のような地域活動を果たしてしていたであろうか。
    私は、やろう会の存在意義を改めて感じた。
    気心を知れた友と飲む酒の旨いこと、楽しいこと。
    あっと言う間に時間を忘れた。
    いつの間にか、「なじら家」のマスターも一緒になって飲んでいた。
    地域の親父たちの絆は固いのだ。

    さてさて、人は出逢いだといつも想う。
    嫌だけれど、いじめっ子とも出会わなければならない。
    頑固親父とも出逢うことで、多くを学ぶことができたりする。
    そして、地域の親父たちと出逢い、その絆をより強くすることもある。
    そのたびに酒を飲むから、
    三日もこの掲示板を書けなかったのだ。

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  • from: クマさんさん

    2011年05月27日 05時10分59秒

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    へこんだ親父

    へこんでいた。
    やっぱり頑なな心の持ち主は、苦手だ。
    何様のようにして人を批判し、平気で否定する。
    正義感で、悪の親父を裁いている。
    裁かれた親父は、たまったものではない。

    夜中に目が覚める。
    今朝も3時だった。
    この季節、寝不足が続く訳なのだ。
    また寝ようとすると、そんな腹が立つことや、上手くいかない現実が頭をよぎる。
    すると眠るどころか、ますます興奮して目が冴える。

    4時には仕方なく起きて、行動を始める。
    半ば眠りながら、ニュースを観て、こうしてパソコンに向かっている。
    脳を休めることの大切さは、過去の失敗からよく分かっている。
    しかし、思うに任せないのが人の生き方なのだ。
    いろいろと抱えながらも、やっぱりそれは自分で処理をしなければならない。
    だから、まず私が受けた災難については、多くの人に語っている。
    「酷いなぁ」と、みんな同情してくれる。

    それから、やっぱり酒を飲んでしまう。
    寝不足とぎりぎりの体力で帰宅する私は、
    いつの間にかテレビを前に寝てしまっている。
    そのことに気づいた時も、悲しいと想う。
    夜の充実した時間がないからだ。

    それより何よりも、肝臓・膵臓は大丈夫なのだろうか。
    心と言う臓器は無いが、ぼこぼこにへこんだ状況の中、
    睡眠不足・体力低下・アルコール依存と悪循環が続いている。
    弱いなぁと想っている。
    でも、弱いなぁと自分のことを想えるだけ気が楽になった。
    変にみっともなく生きていても、
    自分を過敏に責める必要がないからだ。

    弱さの自己認識からは、新たなる具体が見えて来る。
    ただし、人は支えられ、理解され、励まされることで、
    その弱さが強さに少しずつ方向転換されるらしい。
    だから、愚痴る。酷い事実は、逆に多くの人たちに語り同意と共感を求める。

    家族がいて、友がいて、それでも理解してくれる仲間がいれば、
    へこんだ親父も元気を取り戻せるというものだ。
    悪口・陰口は、大嫌いだ。
    相手のことを想うなら、ちゃんと相手に言ってあげるべきなのだ。
    それも、誰にも知られず、その人にそっと教えてあげることが、
    優しさというものではないだろうか。

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  • from: クマさんさん

    2011年05月25日 05時54分06秒

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    言葉を伝えること

    昨夜は、次の公演のための脚本の第2稿を書いていた。
    いろいろとアイデアをもらう中で、
    伏線を付け、整合性をつけ、ドラマとして盛り上げて行く。
    登場人物の台詞一つで、その人物の性格と生き方が見えて来る。
    台詞だけをつなげても、小さなドラマはできあがる。
    いかに語る言葉が、心や想いを伝えるか、
    そのことはこうして脚本を書いているとよく分かる。

    言葉とは、想いや願いを伝えるものだ。
    その想いと願いとをもって言葉は相手に伝えているだろうか。
    2年前の劇団のワークショップで、私はそのことを教えられた。
    「ありがとう。」をどんな気持ちを込めて言っているかである。
    「お疲れ様。」を何を感じて相手に伝えているかである。
    不思議なことだが、語る人には言葉にすぎなくとも、
    受け取る人には、言葉と共に相手の心が伝わって来るのである。

    「ありがとう」と心から想って言う場合と、
    ただ儀礼的に言う場合とでは、「ありがとう」の重みが違うのだ。
    「お疲れ様」の言葉でも、相手が心から想っている場合と、
    ただの挨拶では、これまた感じ方が違うのだ。
    「言霊」とはよく言ったもので、
    言葉には、話す人の魂がのりうつっている。

    書いては、消し。
    付けくわえては、また削り。
    残すべきものだけを残す作業をしていると、
    私たちの日常生活の舞台でも、
    やはり人生の役者である私は、
    この脚本を書く作業のようにして、
    言葉を選び、言葉を吟味して、
    想いと願いをもって、相手に届けることが大切なのだとしみじみと想った。

    ぞんざいに使わず。
    無駄に語らず。
    聞く人の心がほっとする温かな言葉こそ、
    人と人とのかかわりの中では大切なことなのだと、改めて学んだ。
    家族とは、かけられた言葉の思い出の中に存在しているのではないだろうか。

    脱原発。
    2号機・3号機もメルトダウン。
    そんな情報を二カ月後に発表する。
    まるで嘘つきの幼児のようなものだ。
    今なら言ってもお母さんには怒られないだろう。

    チェルノブイリ以上の事故であることが明らかになった。
    ということは、今後の展開はチェルノブイリと同じかそれ以上のプロセスが想定される。
    もっともっと恐ろしい事実は分かっているのに、
    その事実の発表は10年後なのかもしれない。

    言葉とは、こういう時は、便利な道具なのだ。
    人を騙すためにも、この言葉は巧みに使われるのだ。
    今回の脚本では、その二つの立場の言葉がドラマを創っている。

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  • from: クマさんさん

    2011年05月24日 05時48分07秒

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    一日一日

    母の具合がよくないようだ。
    85歳で、昨年胃癌の手術を受けた。
    それは年相応に体力が落ちるとは思うが、
    最近ぐっと体力が落ちて来たような気がする。

    体重は、また減っていた。
    気力では誰にも負けない母は、炬燵の中で元気がなかった。
    肩や背中がそれこそげっそりと痩せていた。
    夕食のための山ノ下市場への買い物や、
    天ぷらを揚げることはしていてくれる。
    だが、元気な声が聞こえないのだ。

    父と向かい合って俯いて座っている。
    テレビを観ながら横になっている。
    座っているのも難儀なようだ。
    「5月に入ってから、体が少しだるいんだよね。」と言っていた。
    食欲も少し落ちいるらしい。
    そんな体の変化がある中で、
    児玉清氏の訃報を知った。
    同じ胃癌の母は、少なからぬショックを受けた。

    児玉氏は、手術ができないくらい進行していたようだ。
    母は、早期ということで摘出はできた。
    そのことを母に言っても、やはり自分の体の状態から心配は尽きないらしい。
    「どうにもしてやれない。」
    「日々平安でありたい。」
    「優しさが一番の薬なんだ。」

    母も、私たちも、この生活を一日一日貴重な一日と想い生活している。
    本当は誰にとっても一日は貴重な一日だったのに、
    生かされていることを忘れ、不平不満で生きることが多いようだ。
    しかし、あの震災にあい、家族を失った人たちにとって、
    家族と共に暮らした日々は、
    とてもとてもかけがえのない大切な思い出となっているはずだ。

    生きている間に、そのことに気づこう。
    一日一日。
    別れは必ず来るのだから。

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    2011年05月22日 14時34分24秒

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    コンサート大盛況に終わる

    第6回なじら家コンサートは、大盛況のうちに終了した。
    いつもいつも感ずることは、音楽の力の素晴らしさだった。
    そして、生の演奏を身近に聴けることの有り難さだ。
    昨夜は30名近くの人が集い、満席状況だった。
    「にぽにぽ」の取材もあった。
    みんな心待ちにするコンサートになった気がした。

    なじら家・ここだけ・ピアノトリオは、なかなか凄いメンバーだった。
    3時にはなじら家に到着し、とにかくすぐにリハーサルを始めた。
    チェロの音色がコンサートホールに響いた。
    私はいつか必ず「セロ弾きのゴーシュ」をこのホールに呼ぶことが夢だったので、
    その念願がかなって、何とも言えぬ気分で聴いた。

    クラリネットの甘い響きもとてもよかった。
    またピアノがあることの音楽の豊かな表現力も感じられた。
    クラリネットとチェロとピアノのトリオはありなのだなぁと、
    リハーサルを聴きながら合点がいった。
    そして、5時45分までリハーサルが続いた。
    私は途中お握りを買いにコンビニに行った。
    帰って来てもまだまだ続けるようだった。
    その根性には感服だった。

    「音楽は、ロマンです。」
    「音楽は、人生になくてはならないものです。」
    「音楽は、最高の趣味です。」
    そして、みんな音楽が好きで好きでたまらない人たちなのだ。
    そして、コンサートに集まった人たちもまた、
    お酒を片手に音楽にどっぷりと浸りたい人たちなのだ。
    そんな一体感が、このコンサートには存在していた。

    演奏の素晴らしさだけでなく、
    選曲もみんながどこかで聴いたことのある曲を選び、
    クラッシック初体験の人たちにも好評だった。
    私はチェロと50㎝の距離で聴いた。
    弓が私の後ろ頭をかすめる気がした。
    これがなじら家コンサートの特色でもあるのだ。

    コンサートは、熱狂の中でアンコールを迎えた。
    「歓喜の歌」私たちはハミングで一緒に歌った。
    ブラボーの声と熱い拍手でコンサートの幕は下りた。
    Oさんにオファーしてから、半年が過ぎた。
    ここで生まれたN交響楽団との縁を大切にして、
    これからも逆にこのホールを発表の場として使ってもらいたいと切に願っている。

    懇親会には東区劇団の仲間たちが多数残ってくれて有り難かったなぁ。
    ここにも仲間の絆の確かさを感じて嬉しかった。
    その席で、Oさんにはクリスマスコンサートのお願いをした。
    12月第三週は、なじら家クリスマスコンサートができそうだ。

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  • from: クマさんさん

    2011年05月21日 10時53分40秒

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    山ノ下なじらね音楽市場

    肝臓がメルトダウン寸前だ。
    何でこんなに飲み続けるのか。
    たとえ飲み会に参加しても、セーブすればいいのだ。
    そのブレーキが、アルコールの潤滑により破壊されてしまう。
    そして、体を破壊してしまう。
    そんな悪循環の中にいる私。
    「やめられない。止まらない。」
    やっぱり行くところまで行かねばならぬのかもと、寂しくなった。

    昨夜なじら家で「山ノ下を考える会」の話し合いがあった。
    まぁ、話し合いと称する飲み放題の会なのだが、
    今回の議題は、私が企画した「山ノ下なじらや音楽市場」についてだった。
    企画書と会場図を速攻で作成して、会場に向かった。
    地域住民による新たなる祭りの創造がテーマだ。
    この祭りを通して山ノ下に賑わいと活気が戻ることも願いの一つだ。
    それよりも何よりも、楽しいことをやって、わいわいと仲間と飲むことが一番の目的である。

    あの「栗の木川さくら祭り」も、
    十数人の有志が千円ずつ出し合って始めた祭りなのだ。
    私は、その発起人の一人でもある。
    山ノ下にあのさくら祭りのような祭りをと、かねてから願っていた。
    そこに「なじら家コンサート」が実現し、
    音楽の演奏者たちとつながりができた。
    「東区を表現特区にする」という夢に向かっての大きな一歩となる。
    またまたでかい夢への挑戦なのだ。

    期日は8月27日土 16:00〜19:00
    会場 山ノ下市場 車両通行止め
    参加バンド JAZZ・ボサノバ・クラッシック・ハワイアン等8グループ
    フィナーレは、大サンバカーニバルを予定している。
    山ノ下市場は、音楽も発信する市場なのだ。
    市場に買い物に来た気分で、自由に音楽に浸って欲しい。
    地域コミュニティーの全面的なバックアップだ。

    さてさて、またやっていると、私を見て誰かが呆れる。
    よく体がもつねぇと、憐れんでいる。
    それでもやっぱりやってしまう。
    「長生きはできないかもなぁ」と、最近は少し弱気にもなっている。

    今夜はなじら家コンサートだ。
    またまた肝臓にアルコールを注入しなければならない。

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  • from: クマさんさん

    2011年05月20日 05時41分13秒

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    第6回なじら家コンサートへどうぞ

    震災から2カ月たって、やっと津波で被害を受けた瞬間の写真が公開された。
    情報を整理するのに時間がかかったと言うが、
    またまた真相は闇の中だ。
    かっての大本営発表のような情報操作を感ずる。

    地震から津波に原発が襲われるまで1時間あった。
    その間、この原発を安全に停止できたはずなのに、
    この企業は、停止命令を出していない。
    それは、停止することを恐れたからだろう。
    また、そんな大きな判断を誰も下せない企業体質があったのかもしれない。
    「停止」と誰も言えない。

    これだけでも十分「人災」という証拠になると想う。
    この甚大な被害を回避できるチャンスは1時間あったのだ。
    想定外の被害を受けているはずの原発をまずは即停止すること。
    そして、すぐに冷却にかかること。
    被害の程度を調査すること。
    もし、放射能漏れがあったなら、すぐに地域住民に知らせること。
    その1時間にどのような危機管理と課題解決が行われたのか、
    第三者の調査組織・検察も含めて、
    厳しい検証をすべきなのだと私は想う。

    これは、この企業による「人災」なのだ。

    閑話休題

    なじら家での第6回目のコンサートが21日の夜に開かれる。
    今回は是非にと昨年からオファーしていたチェリストのOさんが出演してくださる。
    有り難いなぁと、いつも感謝の気持ちいっぱいだ。
    このコンサートのために、クラリネットとピアノの人に呼び掛けて、
    トリオを組んでくれた。
    名付けて「なじら家・ここだけ・ピアノトリオ」だ。

    音楽は、感じることだ。
    それも少々のお酒を飲みながら、音楽に浸り、音に酔うのだ。
    すると、音楽の素晴らしさが分かるはずだ。
    クラッシックのコンサートは、想い想いに体を動かし、リズムを取って、
    もっと気軽に聴くことをお勧めする。
    そんな入門編にピッタリのコンサートだと想っている。

    今回、東区市民劇団のメンバーがたくさん参加してくれる。
    有り難いなぁと、これにも感謝だ。

    それにしても、震災で避難している人たちには、
    音楽を聴く平安すら奪われている。
    それを奪った人たちは、やっぱり懺悔しかないだろうと私は想う。

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  • from: クマさんさん

    2011年05月19日 20時48分59秒

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    一言

    東電の社長を逮捕することで、
    初めて日本は法治国家であり、
    民主主義の憲法を遵守する国であると、
    国際社会の中で言えるのではないだろうか。
    これほどの国民に対する犯罪はないのではないだろうか。
    東北の酪農農家までが壊滅的なダメージを受けている。
    憲法と法律とは、誰のためにあるのであろうか。

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