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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2010年04月30日 05時37分50秒

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    自治会は誰が


    祭りが終わると、心地よい疲れと、筋肉痛と、何か虚しさが残る。
    燃えれば燃えるほど、終わることへの寂しさがある。
    久しぶりに会った仲間たちと、
    そこで久しぶりの話をする。
    半年ぶりで会ったお年寄りたちは、
    その期間の分だけ年を取っていた。

    自治会がなかなか大変な状況に来ている。
    育成部はあと何年かで必要がなくなる状況だ。
    シルバー部は昨年解散し、婦人部はとっくになくなっていた。
    世代的な状況を見て、整理・統合は仕方ない話だ。
    我が自治会は、平均年齢が加速度的に増加している。
    お年寄りの町になったのだ。

    ならば、お年寄りによる、お年寄りのための町になればよいのだが、
    なかなかそうは行かないのが現状である。
    自治会の活動に対して野暮な文句を言うご婦人がいるらしい。
    自治会に期待はするが、それでは私がという人がいない。
    いろいろな意見や考えの寄せ集めが自治会である。
    若い私たちからすれば、
    どんな人がいるのか分からないから、お願いのしようがないのだ。

    この人材と三世代交流のことでOさんは悩んでいた。
    本当はこの4月の改選で降りたかったが、
    諸事情で降りられなかったのだ。
    それは、どこの自治会も同じ悩みだと思っている。
    地方自治の根本は、この自治会なのだ。
    主体的に参加することで、必ず住みよい町はできるのだ。
    でも、その活動をするのは、自分ではないのである。

    人多き中に、人ぞ無き現実。
    私が動くには、まだ10年は必要なのだ。

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  • from: クマさんさん

    2010年04月29日 09時05分00秒

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    「これだ」をつかむために


    4月からの疲れが一気に溜まったようだ。
    よく考えたら、連休を前によく体調を壊していたものだ。
    何で休みなのに・・・と恨めしく思うが、
    体のSOSには休養が一番と、体の方からのブレーキだったのであろう。
    突っ走り過ぎる男には、そうした自然のブレーキが必要なのだ。
    風邪は昨夜がピークだったらしい。
    今は、喉の痛みと鼻がグスグスと詰まっている。
    節々の痛みがないだけましかと慰めている。

    昨夜の宵宮では、私は一番太鼓であった。
    それもそれもである。
    これまで10年間は太鼓の押し手としての役割だったが、
    昨夜はとうとう叩き手一本で歩くことが出来たのだ。
    人がいなかったおかげさまであるが、
    我が太鼓の師匠の新品の撥さばきとリズムを体で感じながら、
    自分なりに工夫して、叩き続けることができた。

    子どもたちのおかげで、私は末広連合に参加できた。
    長男も次男も太鼓を叩いたおかげで、
    私はいつも一番太鼓の押し手を任せてもらえた。
    そして、いつも一番太鼓の音を体で感じていたのである。
    その内に、子どもたちに教える役目もいただき、
    段ボールを叩きながら低学年の子どもたちに叩き方を教えた。
    耳だけは鍛えているので、いい音の響きはよく聴き分けられた。
    だから、太鼓を叩く子どもたちの叩き方を批評出来た。
    しかし、実は私が一番へたくそだったのである。

    そんな私が、最初から最後まで一番を叩き続けた。
    それはみんな私に叩き方のこつを伝授してくれたOさんとAさんのおかげさまなのだ。
    昨夜の宮昇りでは、山の下神社の鳥居の下で木遣りに合わせて叩くことが出来た。
    人混みの中を叩きながら神社の境内に向かうこともできた。
    かって、私の夢だったことがそこで実現していたのである。
    苦節10年である。

    あれだけ叩いたのに、豆一つ作らなかった。
    いつもならばテーピングが必要な両手は皮すら剥けていない。
    小指だった。握る強さだった。叩く角度だった。
    そして、何よりもゆったりとリズムに乗ることだった。
    延々と叩きながら、私はそれまでの謎が解けいく気がした。
    「これでよかったんだ」10年かかった。

    何事も続けることだと、改めて思った。
    風が吹いてきた。空が曇って来た。
    11時からまた宮昇りである。
    「これだ」というものをつかむために、
    風邪の体を押して、それでも私は太鼓を叩きに行く。
    馬鹿には、やっぱりブレーキがないのかもしれない。

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  • from: クマさんさん

    2010年04月28日 05時54分18秒

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    親父の会が誕生しそうだ


    4月に入ってからの疲れがピークに達しているのか、
    夕食後はいつの間にか寝てしまうことが多くなった。
    昨夜はうたた寝をしてしまい、
    気づいて起きたら既に遅く、風邪をひいてしまったようだ。
    疲れからか、体力と抵抗力も低下している。

    昨日、新たな親父の会に向けて、第一回目の会があった。
    元PTA会長のWさんと地域コーディネーターのTさんと私であった。
    そこに応援隊のKさんも偶然に加わってくれた。
    さて、どこからどのように始めるか。
    それは、山小での「やろう会」の立ち上げから一年目の実践が参考になった。

    まず、「有志」を集めることである。
    次に、「懇親会」と称して「飲み会」を行うことである。
    そこで、お互いの想いと願いを出し合い、「共通理念」を明らかにする。
    大切なことは、「この指とまれ」で参加もお休みも自由だということ。
    それから、「親父たちが楽しいことをやる」こと。
    そして、「お互いの負担にならず、少しずつ事業を進める」ことである。

    5月吉日にその有志を集めての「飲み会」をやることが決まった。
    それぞれプロや職人の方が多いのが、親父たちの特徴である。
    何かをやると具体的に決まれば、
    仕事を分担しての行動はとても速いのだ。
    新規の団体としては、
    地域活動を既に行っている公民館や地域コミュニティーとの連携も求められる。
    既存のイベントの支援に入ることが、
    最初の段階ではやりやすいのだとも思っている。

    何よりも「持続可能」な団体であるためには、
    PTAとははっきりと一線を隔して、
    独立独歩の団体とすることが大切である。
    PTAの役員をここからは出さない。(自由意志は尊重される)
    そうでないと若い親父たちは警戒して入らないからだ。

    「やろう会」での経験がこの立ち上げには生きている。
    さて、今後はどうするか。
    私はサポーターの視点から、この動きを支援し見守って行きたいと思っている。

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  • from: クマさんさん

    2010年04月27日 05時56分51秒

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    まっしぐらからゆっくりと


    筋肉痛がピークに達している。
    階段は痛みに耐えながら下っている。
    紫外線のおかげで昨日は真っ赤な顔だったらしい。
    登山とディナーショーは、馬鹿な自分をよく象徴している。

    村上の山仲間と出会った頃、
    何も考えずに生きていたように思う。
    ただやりたいことだけに驀進していた。
    「馬鹿が9割、残りは1割」
    その生き方のおかげで山の会を立ち上げ、のめり込めた。
    まだ長男が生まれたばかりだった。
    妻も大変だったと思うが、
    私はボランティアと称して山に登った。

    その頃、休日は日曜日だけだった。
    その貴重な一日を山に費やすという、贅沢で我儘な男だった。
    今でもその馬鹿は変わらないが、
    少し大人になり、割合を減らしてきたつもりである。
    昨年は演劇「王瀬の長者」とぷれジョブに打ち込んできた。
    そして、今は何に打ち込もうかと模索中である。

    子どもたちが小学生の頃、
    長男と次男がサッカーをしていたので、
    休日は自動的にサッカーの試合や大会の予定が入っていた。
    送迎だけでなく、どっぷりと応援団として浸かっていたから、
    自分の予定を入れる間も少なかった。
    今は、それが懐かしく感じる。

    居ても居なくてもよい親父となった今は、
    休日の予定がなく、自分を持て余すことがある。
    何をしようかなぁと考えている内に時間が過ぎる。
    焦って自転車に飛び乗りそこら辺りを放浪する。
    一人でぼんやりと海を見ていることもある。
    その横のベンチに同じようにぼんやりと老いた男性が海を見ている。
    ああーー、この年代に私も達したのだなぁと、思う。

    人は、孤独なのだ。
    人は、独りで生きるのだ。
    だから、人は仲間を求める。
    自分を忘れて、夢中になれるものを求めるのだ。

    何も考えずに日々馬鹿街道をまっしぐらに生きた男も、
    52歳となり、人生の黄昏の憂いを少し感じるようになった。
    「もう一花」
    それを今年は「親父の会」と「山の会」の設立で咲かせたいと願っている。
    少し大人になった視点で、ゆっくり、楽しみながら創りたい。

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  • from: クマさんさん

    2010年04月26日 06時30分25秒

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    ハードすぎる


    昨日は、ハードな一日だった。
    大いに充実した一日だったが、よくやるよと自分でも思う。

    朝電車で坂町に向かう。
    新潟駅のホームでサンフレッチェ広島の監督と会い、握手した。
    坂町からは山仲間の車で、薬師岳の登山口に向かう。
    途中、桜が満開だった。
    沢沿いのその桜でいっぱいの広場に降りて、しばし花見を楽しんだ。

    さて、久しぶりの登山に足は重く、なかなか難儀な登りだった。
    特に縦走路のほう坂への登りの急なこと。
    這うようにして登って行く。
    山頂の祠の前での宴会となる。
    山賊会名物の山のごっつぉうである。
    山菜がのタッパが回され、春鱒まで回って来た。
    私たちはこれが楽しみで山に登る。
    仲間たちは連休明けに四国へ行くという。
    いつも前向きな仲間たちだ。

    帰りは電車の時刻と体力的な問題があり、
    要害山へは登らず下山した。
    私は駐車場で全部を着替え、ディナーショーモードとなった。
    次は、新潟のイタリア軒で「yuccaさんのディナーショー」である。
    いなほに乗り、菊水を飲んだ。

    長者様と待ち合わせして、大畑公園でショーの前に花見をした。
    「ブラボー・ブラザーズ」には使命があった。
    とにかく私たちがこのコンサートを熱く盛り上げるのである。
    会場に行って驚いた。
    参会者230名、あの広い会場が着飾った人たちで埋め尽くされていた。
    12月にファンクラブを結成してからまだ4カ月である。
    yuccaさんの歌力の賜物である。

    そして、何よりもの感動は、プログラムだった。
    「映画音楽・・・」これは私がメールでリクエストをしたことだった。
    私は濃すぎるハイボールを飲んで、大酩酊だった。
    「ブラボー」その声にyuccaさんへの愛を込めた。

    登山とディナーショー。
    そんな取り合わせはまずないと帰りのタクシーの中で思っていた。
    「本当によくやるよ」
    帰ってからお好み焼きを一枚たいらげていた。
    またメタボ・・・。

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  • from: クマさんさん

    2010年04月24日 09時57分20秒

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    人生の22000歩


    昨日も22000歩を達成した。
    その内10000歩が職場にて歩いた歩数だ。
    どんな仕事かこの歩数から想像してほしい。
    3時にやっと腰を下ろす。
    へとへとだ。人間の限界に毎日挑戦している。
    しかし、その疲れはとても心地よい。
    何かをやり遂げた後の充実感を感ずる。

    昨夜は、前の職場の歓送迎会があった。
    懐かしい人たちの顔に出会い、心がほっとなごんだ。
    何でも語り合える先輩や友がいることは、
    人にとっては幸せなことなのだとつくづく感じた。
    この人たちと出会うことで、私は変わった。
    そして、この人たちから学んだことで、地域社会は変わって来た。
    そんな夢の実現を目の当たりにして生きて来た7年間だった。

    流れものである私であるが、
    その地域の人たちと深い絆をもってこの地を去れたのは、
    微力ながら足跡を残せたからだと思っている。
    とにかく飲んだ。
    本気になってネットワークを築いた。
    とことん沼垂の地域学を実践した。
    そのプロセスの中で「栗の木川さくら祭り」が生まれ、
    水と緑の広場が生まれた。
    それは、地域の人たちの熱意と力の賜物だった。

    この7年間、私はすごいものを見せてもらった。
    そして、人はその気になれば、
    夢のようなすごいこともできるのだと実感した。
    何かをやり遂げた達成感は、
    そこでかかわった一人一人の顔を見ると心から感じられた。
    「面白っしぇかったね」「あの時難儀したね」「よくやれたね」
    そんな気持ちでお互いの心がつながる。
    そんな素晴らしい地域の仲間に加えてもらえたことが、
    私にとっての何よりもの財産になった。

    Tさんは、伝説のPTA会長だ。
    私はこの人に憧れ、この人の実践の追っかけをして来た。
    そして、今また彼は新たなスタンスで「海援隊」を創ろうとしている。
    昔の同志である侍を再び結集して、
    独立独歩で学校を支援し地域活動を遂行すると宣言した。
    Tさん発の「親父の会」(それも中高年シルバー仮面だ)が誕生する。

    人は面白いとつくづく感ずる。
    きっとTさんのことだからこの侍たちと共に新たな伝説を創ることだと思っている。
    微力ながら、私もその仲間に入れてもらうつもりである。

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  • from: クマさんさん

    2010年04月23日 05時08分14秒

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    23000歩を達成する


    昨日、万歩計をつけて23000歩歩いた。
    やるときはやる。やらないときはやらない。
    その極端が私らしい。

    朝は、通勤のために職場まで沈埋トンネルを越えて下町まで歩いた。
    トンネルは、雨の日でも快適である。
    早朝からウォーキングのお年寄りがたくさんいた。
    初めて歩いたが、予想通りの41分で到着だった。
    1キロ10分を大体の目安としている。
    この段階で7000歩だったと思う。

    実は、職場だけで午前中にすでに5000歩は歩いているのだ。
    とにかく移動と階段の上り下りだけなのだが、
    たいした運動量だと思った。

    出張は白山裏の市庁舎だった。
    そこまで下町から西堀を通って古町に至り、
    バスを待つ間がもどかしいのでまた目的地まで歩くことにした。
    足の裏が痛くなり、限界を感じたが、
    あらゆることは山へのトレーニングであると、踏ん張った。

    研修が終わり、またバスに乗るために古町まで歩いた。
    ここまで来たら、行けるところまで行こうと思った。
    西堀ローサでは、あちらこちらの店で開店準備をしていた。
    萬代橋ファンクラブのコーナーは残念ながら撤収されていた。
    このローサも地下街であるから、雨の日でも快適なのである。
    また私が高校生であった頃の賑わいが戻ることを祈念している。
    ついでにいつも三越のデパ地下を探索する。
    腹が減った時には、なかなか魅力的な場所なのだ。

    それから、向陽三丁目行きのバスに乗り、
    長者町南で下車して、コンビニで菊水一番搾りを買った。
    さてさて、どんなに体重が減ったかと期待していたが、
    風呂に入る時に測って驚いた。
    何と体重が1キロ以上増え、危険数値に達していたのだ。

    この苦労は、いったい何だったのだろうか。
    それがやっぱり私らしいと悲しくなった。

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  • from: クマさんさん

    2010年04月22日 06時14分05秒

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    何もしないと言われても


    とにかく疲労がたまっている。
    蓄積された疲れはなかなか消えてはくれないものだ。
    10時にはダウンする。
    スタンドをつけたまま眠っていることもある。
    読んでいる文庫本のページが増えない。
    いつも数ページで夢の中である。

    健康的と言えばそうなのだが、
    ぎりぎりでやっているとも言えるのだ。
    とにかく3時までは休憩がなく、仕事の連続なのだ。
    毎日の歩く距離も半端ではなく、
    朝の4キロのジョギングもきいてきた。

    昨夜、夕食の後で私が食器を洗っていたら、
    「貴方は何もしてくれない」と妻が言った。
    今目の前で食器を洗っているのに・・・。
    腹が立った。
    こちらも疲れているので堪え性がなくなっている。
    食器洗いを途中で投げ出した。

    「何もしない」とは、本当に「無」ということではないか。
    朝は、ごみ捨てが私の仕事だ。
    それから、朝食後の食器洗い。
    昨日は、洗濯機を回してそれを籠に取り入れ、
    ベランダで干してから出勤した。
    部屋の掃除は、私がしないと誰もせず、
    布団を敷くのはもちろん私の担当だ。

    確かに「家事分担が少ないかもしれない」
    しかし、「無」ではないことを彼女は分かってくれないのだ。
    それは、そんなことは当然と思っているからである。
    「情けないなぁ」と私は思った。

    そして、それならば「何もしない夫になろう」と宣言をした。
    「何もしない」とは、どういう意味なのだろう。
    本当にそう思っているのならば、
    今までの私の家事は何だったのだろうか・・・。
    あっ、風呂掃除も時々の私の仕事であったことを思い出した。

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  • from: クマさんさん

    2010年04月21日 05時38分54秒

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    yuccaさんのディナーショー


    とにかく帰って来ると、眠い眠い。
    昨夜は豪勢な刺身で晩酌をする。
    そして、部屋に入るとすでに睡魔に襲われる。
    そりゃそうだ。4時半に目が覚めるのだから。
    この時刻に新潟市は白々と明るくなってくるのだ。
    つくづくお年寄りの域に達したことを思ってしまう。

    今週の日曜日にイタリア軒でyuccaさんのディナーショーがある。
    満席だそうだ。
    これはyuccaさんの歌の実力と
    それに魅了された新潟市のファンが多いことの証明である。
    これを仕掛けているKさんがいる。
    彼女のことを心から愛し、
    新潟から世界に向けてのデビューを狙っている。

    私は昨年の10月「古町どんど」で初めて出会った。
    「惚れた」「心酔した」「夢中になった」
    そんな衝撃的な出会いであった。
    12月には市民プラザでの「クリスマスコンサート」
    その夜は、スタッフと一緒にyuccaさんと飲み、語った。
    間近にyuccaさんが居て、語っている。
    「あーー、何と美しい人なのだ」
    別れた後も、心の中のyuccaさんの余韻はしばらく消えなかった。

    2月、ローサでのコンサート。
    彼女はこうした会場がよく似合う。
    マイクの前に立ち、歌い出すと全ての人の心を一瞬でつかんでしまう。
    歩いている人は立ち止り、
    いつのまにか観客の一人となって聴き惚れている。
    私は、yuccaさんの「歌力」を信じている。
    そして、そのソプラノの響きを聴くと、
    「歌が生まれた意味」が分かる気がする。

    MCにはいつも泣かされる。
    本当に「いい人」なのだ。
    歌を通して聴く人一人一人に心の癒しを差し上げたい。
    新潟の人が大好きだ。
    新潟からデビューできたら幸せです。
    その語りを聴いていると、心がジーンとしてしまう。
    「人力」とでもいうのだろうか。
    yuccaさんの歌を聴くたびに、人が歌を歌うという原点を考えてしまう。

    さて、24日の日曜日にブラヴォー・ブラザーズは集結する。
    花束親父のSさんは、
    もちろん抱えきれないほどの花束を抱いて登場することだろう。
    yuccaさんの歌を聴きたいファンが百名以上集まることだろう。
    チケットは、発売してすぐに完売したそうだ。
    新潟ではyuccaさんコンサートチケットは、
    今後プレミアチケットとなることであろう。

    再会を、今から心ときめかしている。
    まるで片想いの恋人に会える日のように・・・。

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    2010年04月20日 05時32分21秒

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    ばく進する日々


    休みなく働く状態である。
    とにかく3時までは行きつく暇もなく動き回っている。
    休憩・昼休みはないことは覚悟していた。
    日々是道場である。
    ほっと一息をつくのもつかの間、
    それから情報交換と文章処理と会議が始まる。
    まさに体力勝負の一日である。

    おかげさまで、夜は夕食の後ゆっくりとテレビを観ていながら、
    いつの間にか爆睡している。
    疲れと眠気で、起きてはいられないのである。
    「今日から、今日から」と思いつつも、
    何だか毎日こんな状況なので先送りになっている。

    それなのに何だか心が温かく、充実しているのである。
    自分なりに考えて、突っ走っているせいであろうか。
    それとも、この一日がきっと誰かの何かの役に立っているという自覚からだろうか。
    だから、腰を下ろすことも、一休みすることもないこの一日に、
    心地よい疲れを感じている。

    「龍馬伝」が面白すぎる。
    とにかく高校時代に「龍馬がゆく」を読み、心酔してから、
    確かに私の馬鹿さ加減に拍車がかかった。
    武智半平太の組織内改革・革命ではなく、
    脱藩浪人の何もしがらみのない「海援隊」こそ、
    私が目指す道と、私自身の生き方のお手本を龍馬として来た。

    「勝海舟に会いたい」その一念で、突っ走り、
    名君松平春嶽から紹介状をもらって会いに行く。
    それは、ただ只管学ぶためである。
    「自分は、何のために生きているのか」
    「自分は、この世で何を為すべきなのか」
    それは、求めるものにだけ時代が応えてくれる答えだった。

    半平太は、権力を持つことでテロの道に生き、
    京都を血なまぐさい殺戮の場とした。
    龍馬は、攘夷の無謀さを悟り、時代が求める海防の道へと向かった。
    閉じられた人と開かれた人の違いがここにあった。
    私は、龍馬を鮮やかに浮き立たすためには、
    半平太の生き方が対極を為すと思っている。
    作者は、その対比を見事に物語として描いている。

    さて、どうして龍馬なのか。
    私は、一日休むことなくばく進している。
    それをよしとしている。
    そのために私は生きたいと思うし、
    それが私に与えられた仕事だと思っている。
    そして、こんなに毎日が楽しいのは、
    私にとっての「新たな世界」がそこにあるからだった。
    ある意味、この仕事は、天が与えた最後の仕事なのかもしれない。

    今年は、龍馬を目指し、龍馬と共に、ばく進する年にしたい。
    ただし、「いい加減」でやらないと、
    また私は壊れてしまう。難しいものだ。生きるとは。

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