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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018年09月30日 06時04分06秒

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    不思議だなぁを生きている。「半分、青い。」

    不思議を生きている。
    61歳の私は、そのことが確信となっている。
    不思議だなぁ。
    振り返ったら、どうしてこんなことが起こるのかと想うことばかり。
    奇跡は、今、ここに日常に起きる。

    昨日9月29日(土)に磐梯山の隣の猫魔岳に登ることになっていた。
    その数日前に、子どもから、
    「私のおばあちゃん、山小屋やっているよ」と聴かされた。
    私の夢は、その山小屋でワンシーズン働くこと。
    「その山小屋、どこにあるの?」と、問うと、
    「磐梯山だよ」とのこと。
    がーーん。あの山小屋だ。

    私は、急遽山賊の仲間に電話した。
    八方の駐車場から私だけ、単独で磐梯山に行きたいことを告げるためだった。
    ところが向こうからの電話で、
    山賊の山行は中止になったけれど、ご夫婦で磐梯山に登ることにしたとのこと。
    何と言うことだろう。
    「磐梯山が私を呼んでいる」
    本当に不思議だなぁの確信だった。

    二時間をかけて「O小屋」に到着した。
    小屋に入って、主らしい女性に声をかけた。
    「Oさんですか?」63歳だと言う小柄で美しい女性が、「はい」との返事。
    私は、ここに来た目的を彼女に話した。
    すると、ぱっと笑顔になって、「電話で聴いています」と、喜んでくれた。

    それから、なめこ汁を出してもらい、いろいろと語り合った。
    不思議だなぁ。
    私は、山小屋の主と知り合いになり、
    来年の小屋が忙しい頃、ボランティアとして訪ねることを約束した。
    「酒と食事と寝る場所があればいいです」と言ったら。
    「どうぞどうぞ、お願いします」だった。
    夢ってこうして、予想もしない形で叶うものだと、改めて感じた。

    この日は、「半分、青い。」の最終回だった。
    同行のYさんの奥さんは、やっぱりこの朝ドラを観ていた。
    そして、この「半分」の意味を感じ、その不思議を深めていた。
    「目に見える世界だけで、この世界はできてはいない」ということ。
    「死者としての在り方で生きている人たちが居る」ということ。
    「その人たちの声や言葉に励まされて人は生きる」ということ。
    「糸電話で話した相手は、死者であること」
    「死者は、生者の想いの中で蘇り、生き続ける」こと。

    この話を「そうだね」と聴いてくれる人が、ここにも独り居てくれた。
    山頂から降りて、またO小屋に戻った。
    少し風が出て、ぱらぱらと雨粒が笹に落ちていた。
    パラパラと細やかな雨の音。
    「雨の音が美しく聴こえる傘」なんだな。
    私たちは、窓から檜原湖を見下ろし、青く煙る山々を眺めながら、
    「半分、青い。」の話を続けた。

    「生死には、きっと境いはないはず。」
    「あの十時間の大手術の間、私はきっと向こうの世界に行っていた。」
    「全く覚えていないが、はっと目覚めた時、往きかえったと感じた。」
    「助かる確率は、五分五分だった。妻が同意書を書いていた。」
    そしたら、彼女が教えてくれた。
    「作家の人は、難病だったか、
     今でもその病気に苦しみながら書いているそうですよ。」と。
    「ああ、やっぱり、そうだったんたな」と、合点が行った。

    この物語を観て、どれだけの涙を私は流したことだろう。
    朝から、声を出しての号泣だった。
    すずめが、涙をつーっと流す。
    その瞬間、私の魂も感じて、動いて、どうにもならず感極まる。
    和子さんと律の岐阜犬での会話もそうだった。
    裕子の骨箱をしっかりと抱きしめる時もそうだった。
    何だかね。
    すずめも、律も、仙吉さんや、和子さんや、裕子さんに生かされる。

    死者からの言葉は、人を人として生かす言葉だ。
    言葉は、生者たちだけのものでは決してないはず。
    死者は、「おるんよ」とのあの言葉。
    今、ここに、「おってくれる」その確信。
    目に見えるものがある。
    目には見えなくともあるものがある。
    その半分と半分とで、全部なんだな。

    すずめの聴こえない耳は、仙吉さんの声を聴く耳。
    いつか私も、その目には見えない死者となる。
    死者である母。死者である父。死者である大好きだった婆ちゃん。叔母ちゃん。
    死者である山の仲間のOさん、Iさん、Yさん。
    みんなこの胸に生きている。
    そして、今、ここで、私のことを見守ってくれている。
    私は、きっとその声を聴き、言葉を与えられるから、生きられる。

    すずめは、裕子からの言葉を生きる糧として、希望とした。
    死者は、生者に時が熟すると、不思議な機会を使って顕れるものだ。
    きっと、「全部」とは、「不思議だなぁ」と感じて、
    こうして生きている日常なのではないだろうか。
    今、ここで、生かされている、そのことこそ、不思議だなぁなんだな。
    そのことは、「生き死にの境」を経験した人にしか分からないかもだ。

    ラストは、こうだった。
    仙吉さんも、和子さんも、裕子さんも、「ここにおる」んよ。
    「律とずっと一緒に居たい」「死ぬまですずめを守ってあだたい」
    お互いの想いを言葉にして、声で伝えられる律とすずめ。
    そして、静かに、強く抱きしめる2人。
    これは、二人がここで生きているからできる喜び、幸せだ。
    和子さんの声は聴けない。
    どんなに愛していても和子さんを抱きしめることはできない。
    それができるのは、生きている私たちだけだ。

    では、私たちは、そうして生きているだろうか。
    想いを声に出して、人に伝えているだろうか。
    大事な人を抱きしめているだろうか。
    それは、生きている、今、ここでしかできないことなんだ。

    そして、雨の音を聴く。その傘にすずめとかんちゃんと春さんだった。
    ぽつんぽつんと雨の音。
    「マザー」は草原を流れるそよ風だった。
    「この風を、裕子に届けたい」
    「きっとこの風は、裕子にも届いているはず」
    雨の音・そよ風は、何かとの交信であったりするかも。
    その雨や、風は、その訪れを知らせる顕れではないのかな。

    そして、私は、驚いた。
    三人の周りの背景が青い、青い、空になった。
    私は、その瞬間、はっとした。
    遠くの山々は、確かに青く煙っていたではないかと。

    つまり、私は、青を存在する「色」とばかりに想っていた。
    しかし、そうではないのだと、その瞬間分かった気がした。
    「半分、の青」とは、仙吉さんであり、和子さんであり、裕子さんが生きている世界。
    その世界のことではないかと、見方を改めた。
    やっと、あの、「。」の意味がよく分かった。
    あの「。」とは、北川さんの確信であり、言い切りであり、「そうなんだ」なんだ。

    「みんな、半分の青は、あるよ。ここにおるよ。」
    その意味は。きっと生きる死ぬを経験し、
    不思議だなぁを日々生きている人たちには、分かる「。」だ。

    これは、北川さんからの魂のメッセージだった。
    それは、きっと、北川さんが、死者から託された物語だったんだと、
    最終回に涙しながら、私は、
    この物語との出会いを、深く深く不思議だなあと、感じてしばらく黙ったままだった。

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  • from: クマドンさん

    2018年09月28日 05時34分40秒

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    津軽の魂の顕れは奇跡だ

    青森に泊まった時のことだった。
    本当はこの青森は、通過点だった。
    三内丸山遺跡だけは予定に入れていたが、
    宿泊したら翌日は鶴岡への異動と考えていた。
    しかし、北海道の大地震だ。
    新幹線が止まり、停電により、道内は全てのJRが止まってしまった。
    私は、急遽、青森駅前のホテルをとった。

    そして、青森を訪ねた。
    青森歴史博物館。
    棟方志功記念館だった。
    こんな時は、観光用の循環バスがありがたい。

    棟方さんの大作を目の当たりにした。
    動けなくなった。
    本気の魂。命懸けの仕事かな。
    それは、この世からのものではなく、
    向こうからの魂のメッセージだった。
    板で語る。
    その板を刻むことで、板に命を吹き込んでいる。
    それは、縄文人の土器や土偶造りと繋がっている。

    「わてば、青森のゴッホになる」との一念だった。
    そのすさまじい生き方そのものがあの板画になっていた。
    「版画」とは言わない。「板画」と書いて「はんが」と読む。
    魂の遺作。
    それは、高村光太郎記念館であのブロンズ像と出会った時も感じた。
    深いものは、魂から生まれたものだけに宿る力だ。

    その魂の力を、魂の在り方を、ここに表現したのが志功さんだ。

    その夜、民謡居酒屋「うさぎ茶屋」へ歩いて出かけた。
    本当は違う店に行ったのだが、満員で入れなかった。
    そこで、この店に行くことにした。正解だった。
    こうやって私は、必然的に本物に導かれて行く。
    その不思議さを、いつもいつも感謝している。

    カウンターには3組の中年のカップルだった。
    みんなここの津軽民謡を楽しみにしている常連のお客さんだ。
    70歳前後だろうか、矍鑠とした女将さんが、
    私の前に座って、話をしてくれた。
    さてさて、一体誰が津軽三味線を弾くのかと待っていたら、
    カウンターの中の着物の女性と若い男性がカウンターを出て支度を始めた。
    彼女は30代前半かな。笑顔の美しい女性だった。
    彼女が太棹を手に、音を整え始めたとたん、
    何か、私の魂がどきんと震えた。

    曲が始まった途端に、涙が、涙が溢れて止まらなくなった。
    こんなにも涙って出るものなのか。
    津軽には津軽の魂がある。
    その魂を継承し、その魂に華を咲かせ、歌わせられる人が居る。
    それは、やっぱり本場の津軽の人なんだ。
    真似事はできる。
    それなりに上手には弾ける。
    だも、私がこれまで聴いていた津軽三味線って何だったのか。

    高校生の頃、県民会館で、高橋竹山を聴いた。
    撃たれた。
    それは、魂叫び。魂の悲哀。魂の鮮烈だった。
    音と人と魂とが一体となり、響き、轟く。
    その感動と同じような、いや、
    私がもっともっと歳をとって来たので、もっと深く、深く、
    私は、ずっとずっとカウンターで酒を飲み、涙を溢れさせ続けた。
    私の魂が、この音に歓び、目覚めていた。

    女将は、こんな客をとてもとても愛してくれた。
    「おめさんのようなお客さんも居るよ」と、酌をしてくれた。
    この女将は、この津軽民謡の世界では、
    偉大なるマイスターであったことを、後で知った。
    私は、その演奏が終わることが、とてもとても名残惜しかった。
    女将の太鼓と、掠れた伸びのある歌声はいぶし銀の冬の日本海の風だった。

    音が消えた。
    お客たちは、「いかったよ」と、帰って行った。
    私は、動けなかった。
    女性は、女将さんの娘だった。
    そして、魂を継承する一番弟子だった。
    若者は、世界大会での優勝経験者でもあった。
    本物の人は、当たり前の人の中に居た。

    私は、彼女に声をかけた。
    「おめさん、青森のベートーベンになれ」と。
    彼女は何のことやらと、きょとんとした顔で笑顔だった。
    ここに津軽三味線の棟方志功が居た。
    私は、必然のこの出会いを心から天に感謝した。

    民謡居酒屋「うさぎ茶屋」だ。
    魂の顕れの奇跡と出会いたくなったら、
    またきっといつか、青森に行き、棟方さんと彼女の津軽三味線に会いに行く。

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  • from: クマドンさん

    2018年09月27日 05時50分05秒

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    自転車22キロだぜ。

    さてさて、またまた無謀なトレーニングを始めた。
    自転車で往復22キロの走りだった。
    片道10キロは自転車通勤距離と想っている。
    亀田までちょうど10キロだ。
    河を渡らなくてもよいことも、このロードの利点でもあった。
    赤道を真っ直ぐに行く。
    勝手知ったる道を走る。走る。

    歩道を走っていても、いつも緊張を感ずる。
    一番恐れていることは顚倒だった。
    そのために、ヘルメットを被って走っている。
    交差点も危険な場所だ。
    交差点や段差になったら、原則をする。
    歩行者がいたら低速で追い越す。

    状況は寸時に変わるので、
    その情報に即対応して、細心の注意で走る。
    その緊張感がロードには在る。

    走りながら身体との対話を交わす。
    痛めていた左足の付け根の具合はどうだろうか。
    腰をずっとかがめていると、痛むので、時折背中を伸ばして走ろう。
    息を切らないスピードをキープしよう。
    目印の地点でタイムを刻み、その後のスピードを調整しよう。

    大体11キロならば、35分から40分間の距離と考える。
    そこまでに、東区区役所・高速道路・丸山の信号と、
    目標タイムを設定する。
    そして、その区間でのスピードを調節する。
    歩道がフラットだったら、スピードをあげて負荷をかける。
    昔は、路線バスを追い越したこともある。
    ただし、絶対に無理をしない。

    目的地には、35分での到着だった。
    体力はまだそこそこ持続していることを実感した。
    今朝は、そんなに身体も重く感じない。
    ある意味、ちょうどよい負荷での走りだったと想う。

    実は、土曜日に磐梯山に登る。
    村上の山賊会の仲間たちとだ。
    5月の月山以来の山登りだ。
    私のかっての夢は、退職したら山三昧だった。
    百名山は目指さないが、東北の山巡りや、
    北アルプス・南アルプスの縦走登山をしたいと願っていた。
    人の二倍の時間的な余裕をもって登れば、
    いくら体力が衰えたとて、行けない山はないと想ったからだ。

    しかし、ここ数年、2回の手術と1回の坐骨神経痛とで、
    山に登ることは、全くできない状況だった。
    そまおかげでヨガとは出会えたが。
    そろそろ復活の時が来たと密かに想っている。

    また、山に登る。
    1から出直す。
    初心に還る。
    そのための、自転車での通勤だった。

    さてさて、またまた山への憧れに火が付いたようである。
    ゆっくり月日をすけて、身体をこれから鍛えていく。

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  • from: クマドンさん

    2018年09月26日 05時21分41秒

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    出勤時刻がある生活なんだ

    最近は、夕方になると睡魔に襲われる。
    それはそのはず。
    夜中の2時・3時に目を覚ます。
    それはそのはず。
    夜は9時には既にうとうとと眠りの中だ。

    生活が変わると、身体の反応もそれなりに変わるものだ。
    無色無収人であった頃。
    お金は無くとも、時間的なゆとりがあった。
    この時刻、「さて、今日は何をしたものか」と、一日の段取りを組んだ。
    自分のための一日の予定は、自分で立てる。
    人との約束事が無い限り、
    私にとっての一日は、自由な時間。やりたいことができる時間だ。

    しかし、今は、こうして寸時を惜しんで、せっせとこれを書いている。
    出勤の時刻が定まっているからだ。
    そこからの逆算で、目覚めてからの全ては決まる。
    そして、出勤してからの予定は全て決定済みのものだった。
    私が考えることは、「さて、ここで何をするか」だった。
    何をしたいかではなく、何をすべきかにシフトが変わった。

    独りの時は、そんなに話すことも無かった。
    気付いたら、妻の他誰とも話していなかったりすることもあった。
    でも、独りが好きだから、別にそれは気にもならなかった。
    独りは、いいなぁ。独りは、楽しいなぁ。
    その独りであることの味わいを、深く深く味わっていた日々だった。

    今は、人、人、人の中。
    自然とこちらからのかかわりが生まれる。
    挨拶をする。声をかける。対話を交わす。指示をする。
    一日が終わると、確かにへとへとな生活だ。
    しかし、この生活も、期間限定だから救われる。
    長期にずっとこのままでは、もたない自分を今は感じている。

    理想は、半年働き、半年無色無収人でのほほんと生きる。
    働く期間はせっせと働き、生活費を妻に渡す。
    自由人になった期間は、やりたいことをやり、行きたい所に旅をする。
    移住することは考えていないが、
    今、ここで、どうやって面白く生きられるか、知恵を絞り、実行して来た。

    そうしたこの自由人の半年の経験から、
    私は、学んだことがとても多い。
    この組織から離脱して、独りになったことによって、
    初めて気付いたことだらけだった。
    だから、今、これからは離れられないというその場所、その組織。
    そこから、期間限定で離脱して、独りになって、何かを考える。
    そんな空白の時間は、人生の岐路には大切な時間なのだとよくよく分かった。

    離れてしまったら、自分を守る拠り所がなくなってしまう。
    そうした怖れや不安の為に、その組織から離れられない。
    また、依存的に生きているために、自らの人生を選択して生きる技を知らない。
    もし、その組織から離脱したら、まさに荒野を彷徨うに等しいことだ。
    「やりたいことがない」「何をやったらいいのか分からない」
    そういう人こそ、今すぐにその組織を離脱して、荒野を歩くべきなんだな。

    私は、その荒野を独り彷徨って、大いなるサムシングに出会ことができた。
    それは、自分の弱さと愚かさとを痛感させられると共に、
    いかに人と云うものは頼りないものであり、
    そうした人に依存して生きていても、
    迷いや苦しみからは決して救われることがないと分かったからだ。
    だから、今は、人を相手にしない。
    西郷さんを目指して、「敬天愛人」で生きることを決意した。

    そのことは、まだ自分を組織に縛り付け、安堵している人には、
    絶対に分からない心境だった。

    さてさて、そろそろ辞めにしよう。
    出勤までに残された時間は、後、1時間45分だ。

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  • from: クマドンさん

    2018年09月25日 05時20分02秒

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    私の仮説

    縄文にはまる。
    私もその独りとなった。
    私がずっとずっと求めていた答えは、ここにある。
    その確信が、私をこの縄文時代に誘っている。

    あの火炎式土器の美しさはどうだろう。
    あれは縄文のアーチストたちの渾身の傑作だ。
    あの縄目と渦と蛇のようなぐるぐるに、
    一体何が託されているのか。
    それは、未だに謎だった。

    監督がのたまうように。
    縄文時代を生き、そこで土をこね、あの土器を手作りで造る。
    その作業を通してしか、
    その縄文の人たちの魂の声は分からないと想う。

    あの土偶もそうだった。
    あのユーモアのある、何だかほのぼのとと、
    ののほほんとするあの顔・あの姿。
    女性であるとは、よく言われる話だし、
    宇宙人であるとの説もある。
    でも、現代を生きる私には、皆目見当がつかない。

    しかしだ。
    私にもこの縄文人の血が、DNAとして流れているはず。
    縄文人を私の外に求めるのではなく、
    私の内にその姿を求める。
    または、こうだ。
    私の中で生きている魂は、
    この土器たちのようにまでまで発掘されていない。
    この土器や土偶は、必然的に発掘されることによって、
    その存在を顕わにした。

    私の中に埋もれているその魂も、
    今、ここに、何かのきっかけ、必然で顕わになるのではないか。
    私には、実は、そんな不思議な予感を日々感じられるんだ。
    私は、私であるが、今は、その私ではない。

    弥生時代から土器がすっかりシンプルに、簡素化される。
    祭器というよりか、実用的な道具に変わる。
    そこに神だとか聖霊だとか感じさせず、
    何だか人間臭く、時には、権力や戦の音すら聴こえるようだ。
    弥生で日本人は、がらりと転換した。

    そこから現代まで歴史を振り返ると、
    戦争の歴史だ。
    権力者が顕れ、想うがままに他国を侵略し、支配する。
    栄枯盛衰。奢れるものは久しからずだ。
    弥生以降とは、簡単にくくられるのではないだろうか。

    しかし、3.11以降はどうだろうか。
    「半分、青い」の北川さんは、
    ちゃんとここでその日を日本人に想い出させた。
    これが物語の力だった。
    3.11以降、日本人が変わった。
    本当にそうありたい。
    これも東北の縄文人からのメッセージなのだと受け止めている。

    とにかく、1万年平和に平安に続いた縄文人たちからのメッセージは、
    この私のまっだだ中に埋められてあるはずだ。
    その魂の声を、私は聴かねばならない時が来た。
    今朝、ふっと気付いた。
    縄文人の生死には、きっと境目はなかったのだと。
    こことそこ。
    身体がなくなってしまったら、そこに居て死者として生きている。
    時が熟せば、また、この生者としての復活をとげる。
    ただし、その時は、レーテの河・忘却の河を渡る。

    人は、創造する生き物だと私は考える。
    では、私がここに「親父たちよ」を記しているように、
    縄文人も想い・願っていたのではないかという仮説だ。
    つまり、あの土器も土偶も自らこの世に生きた魂の証なんだ。
    「私は、ここに生きて来た」
    「私は、ここに生きている」

    そして、死んでまた生まれ変わった時、
    自分の創作した作品としてその土器や土偶に出会えたら。
    きっと、魂としての邂逅が起きるだろう。

    あれは、生きた証・魂の実録なのではないだろうかと、
    私の中の縄文人が仮説を立てた。
    面白いなぁと、私は感じた。

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  • from: クマドンさん

    2018年09月24日 06時42分51秒

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    メメントモリ

    涼しすぎる朝だ。
    夜中は寒くて毛布にくるまって眠っている。
    彼岸だなぁ。
    此岸に私は生きている。
    彼岸とは浄土のことだ。
    苦海の上を小舟でゆさゆさと揺られて生きる。
    昨日、近所のお寺で、ありがたいお話を聴いた。

    仕事が始まってから、確かに朝の生活は一変した。
    まず、行かねばならない時刻ができた。
    遅くなると渋滞があるので、7時には家を出る。
    すると、全てのことがそのために逆算され、
    スケジュールが決まってしまう。
    3時50分起床・読書
    5時ヨガ 6時ゴミ捨て・朝風呂・朝食準備・朝食だな。

    無色無収人の時は違った。
    お終いの時間を設定することは必要なかった。
    エンドレスだ。
    本を読みたかったら、ずっと読んでいる。
    「親父たちよ」を書きたかったら、ずっと書いている。
    朝食後の時間はたっぷりとある。
    よくSさんと電話で話した。

    一日に一つだけ予定を入れる。
    何と無色無収人の時の方が手帳のスケジュールはびっしりだ。
    書き込む隙間も無いほど予定が入っていた。
    それが、出来た。
    逆にその予定を忘れないように注意する必要があった。

    定年になったら、やることがなくなる、何て全く嘘だった。
    やることや、やるべきこと、やりたいことに充ちているからだ。
    私は、「今日は、じっとして休養日にしよう。」
    という日を意識的に作らないと、
    連日なんやかんやと本当に忙しい日々だった。
    まず、身体を動かす。頭では考えない。身体で感ずる。身体で想う。

    「何もやりたいことがない」という、退職まで3年の友人が居る。
    実は、人生は、やりたいことが無いほど寂しいものはないのではなかろうか。
    やりたいことがないということは、日々に生きている喜びがないということだ。
    喜びや楽しさを感じなくて、何のこの苦海の人生であるか。

    御住職が言っていた。
    「死は、全ての人に訪れます」
    「老いること、病になること、死ぬこと。それは誰にでもあることです」
    「だから、その苦を認め。この世は苦海であると悟り」
    「独り独りがその人生をどのように生きるかが」
    「人生を生きるための深い深い問いになりますね」

    本当にそうだった。
    深い問いとは、「独りをいかに生きるか」の阿弥陀様からの問いである。
    では、どうしたらよいのか。
    実は、簡単なことなんだ。
    「日々是好日」これなんじゃないかなぁと、私は暇人の時そう悟った。

    人生って、これからのことではない。
    人生って、ずっと先のことでもない。
    今、ここ、ここで、いったい何を感じ、何を味わい、喜びと平安とをもち、
    ただ、素直に、独り、あるがままを生きること。それだけ。

    だから、「やることがない」では、もったいないんだ。
    深く息をして、今、ここにあるものを感じ、味わう。
    その今、ここの繰り返し、リフレーンとルーテーン。
    至極単純で簡単で当たり前のことを、
    そのまま身体を動かし、楽しみとする。

    そして、ここからは、自分のことを一番後にして、
    少しは人助け、人の為になれる働きをする。
    困っている人を見かけたら、見過ごしにはしない。
    「何かお手伝いしましょうか」と、声をかける。手を携える。

    流しの食器を洗ったら、助かる人が居るはずだ。
    天気が良かったら洗濯機を回して、洗濯物を干す。
    涼しかったら庭に出て、雑草を刈る。
    散らかっていたら片づけをして、掃除機をかける。
    時には、溜まり溜まった物を整理する。断捨離する。

    本当に身体を動かしていると、あっという間に夕方になった。
    それから買い物に出かけ、一杯やる。
    とにかくじっとしていない。身体を動かす。仕事は向こうからやって来る。
    そうすると、わざわざトレーニングセンターに行かなくてもよい。
    日常の家事で充分運動の負荷はある。
    そして、疲れたら早めに床に入り、ぐっすり眠る。

    やりたいことがないのではなく、
    やりなから次々と考え、実行していけばいい。
    そこに、何もこだわらない。
    実に単純でシンプルな生活だ。

    そのまま、死を迎えたとても、それはそれでいいのではないだろうか。
    死なないために生きているのではない。
    メメントモリ。
    死を想いつつ、死を傍に感じつつ、今、ここを、笑顔で生きる。
    明日のことは、誰にも分からない。
    でも、今、ここに、私が生きている。

    だったら、「やりたいこと」等余計なことを思い煩わず、
    ただ、動き、働けばそれでいい。
    その身体は、いつか働かなくなるのであるから、
    今、赦されている自由な身体を、喜びを感じ、感謝しつつ生きること。
    それが、人の「やること」であり、きっと「やりたいこと」なのだと想う。

    まだまだこの苦海を航海する身であれることを幸いと想う。
    「やりたいことがない」等と言って愚痴をこぼし、
    この娑婆の時間を無為に過ごすことこそ、
    阿弥陀様の問いに反する生き方であると、私は感じた。

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  • from: クマドンさん

    2018年09月23日 09時28分06秒

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    61歳のリストラなんだ

    またまたやってしまった。
    防災訓練が今日だと思い、さっき消防署に行った。
    誰も来ていなかった。
    集合時刻の8:35はとっくに過ぎていた。
    「おかしいなぁ。どうしたのかなぁ」と。
    そこで、はっと気付いた。
    防災訓練は9月30日日曜日。今日は・・・。
    いつもの自分勝手な思い込みだった。

    実は、カレンダーを見ずに、
    スケジュールを書き込んだ手帳を見ずに、
    勝手にそうだと思い込んで失敗することが多くなった。
    楽しみにしていたバレーのチケットを失効させてしまったときは、
    絶望のどん底だった。
    予定を手帳にびっしりと書き込んでいるのだが、
    何を書いてあるのか判読不明なこともあり、
    こんなことばかり繰り返している。

    失敗は、受け入れる。
    時には、その失敗を冗談にする。
    笑い話にする。
    そんなスタンスで今は自分の情けなさを納得している。

    ぶち壊すことだなぁと、かの鬼婆コーチのことを考える。
    私が身に着けているこの泳ぎは、全てが我流だった。
    それは、友人から教えられ、美人コーチからも教えられ、
    少しずつ進化した泳ぎでもあるが、
    やっぱり基本とは全くかけ離れたところに居るらしい。

    本物の人から見たら、「何をやっていだ。てめぇは、全くなってない」だ。
    出来る人とは、やっぱりその道をマスターした人だ。
    その道については、少なくとも体現している。
    だから、実技では、自分が背浮きをしたり、バタ足をしたりする。
    その一つ一つの技が、実に見事に洗練されている。
    「やってみれ」の言葉は汚いが、技そのものは美し過ぎる。

    ところが、言っても言ってもそうできないのが私だった。
    何故か。
    それは、そうやってずっとやってきたようにしか泳げないからだ。
    頭では分かっていても。
    身体にその言われた通りの動きを覚え込ませるためには、
    それはそれは長い時間がかかるはず。
    そのことは、彼女は十分理解している。
    短期決戦。そのためのストラテージが彼女の圧倒的なパワハラだ。

    世の中でこれだけパワハラの指導についての批判が起こっても、
    彼女にとってはへの河童だ。
    とにかく、基本に忠実にこの私を泳がせる。
    本気なんだな。決意なんだな。覚悟なんだな。
    だから、パワハラもやりきってしまう。
    へっちゃらだった。

    徹底的に平泳ぎの足で痛めつけられながら、
    何だか「できない自分」がここにいて、
    本当に足から力を抜けないどうにもならない自分がここに居て、
    そのこと自体が、何だかおかしくなって、笑ってしまった。
    彼女は私の両足を持って、「ほら、力抜くんだてば」と怒鳴り散らしている。
    何だかそのことが、腹も立たず、愉快に感じた。
    こうやって私のことを本気になって怒ってくれた人は、
    一体何人いたかなぁと、ぼーっと想い出していた。

    人生も、同じだ。
    ずっとこれで生きて来た。
    でもね人生のマスターから見たら、「お前は、何をやってんだ」かもしれないな。
    自分では61年間疾風怒濤・ご迷惑をかけっぱなし・失敗だらけの人生だが、
    これは、やっぱり、これでよかったのではないかと想っていたりする。
    自分の我流の生き方をそれなりに納得してはいても、
    マスターから見たら、基本がなっていないと、いうことになるかもしれない。
    そんな気付きを、61歳の私に彼女は与えてくれた。

    まず、「壊す」ことだ。
    そこから、「新たに創る」ことだ。
    その勇気が、この61歳の頑迷な男に在るか、無いかだな。

    つまり、創造するためには、それまでの当たり前をぶち壊すということだ。
    壊すのが先だ。
    その後、空っぽになったところに、創造の種が植えられ、芽を出す。
    その逆ではないんだ。
    在るものの上に確かに積み上げることはできる。
    しかし、その在るものの基礎が歪んでいたり、曲がっていたり、違っていたら、
    その上にどれだけのものを積み上げられるだろうか。
    ドミノタワーのように途中でガラガラと崩れてしまうのが落ちだろう。

    そのことを、彼女は、スイムを通して教えてくれた。
    「お前、そのままの泳ぎでは、何も進歩がないぞ」だな。
    マスターとは、しっかり道を指示し、
    私をいったん全部捨てさせて、空なる状況にして、
    新たな道を歩かせる力をもった人のことを言うのだ。

    61歳のリセットだ。
    61歳のリストラクチャーでもある。
    再構築の為の勇気を持て。
    果敢に自分自身を無にして、再構築せよ。
    過去の自分自身のリストラを断行する。
    そのためには、罵倒に耐え、ぼろくそに耐え、パワハラに耐えよ。
    この疾風怒濤をの航海を経なければ、
    その再構築された新たなる私には出会うことはできないぞ。

    鬼婆コーチであるマスターの教えは、深いと、私は悟った。

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  • from: クマドンさん

    2018年09月22日 17時17分35秒

    icon

    サーシャコーチがいいなぁ

    やっと土曜日にたどり着いた。
    生き延びた。
    そんな感じだ。
    身体は本当に正直でありがたく感じた。
    ここに無事に生きているのは、身体からサインのおかげだ。
    ただ、歳をとったおかげで、そのサインに素直に従っている。
    ここでねそのサインを無視したらどうなるか体験ているからだ。

    さてさて、土曜日は午前中にヨガとスイムだった。
    再就職によってこうしたハードなスケジュールになってしまった。
    ヨガは、私にとっての身体と心とのリセットである。
    リスペクトできるマスターのおかげで、
    私は、身体と向き合うことの意味と味わいとを感じることができた。

    まず、身体を動かす。
    伸ばす、ねじる、曲げる、捻る。
    そこで、生まれる身体からの反応を感ずる。
    そうか、こうなるのかという新たなる驚きの連続だった。
    今日は、いつもはたった独りの男性であったが、
    何と若い男性の参加だった。
    2対3それでもまだ女性が多い。
    マスターの厳しい欲求に、身体が悲鳴をあげていたな。

    スイムは「平泳ぎとバタフライ」の初心者のクラスに入った。
    しかし、これがこんなに怖ろしい虎の穴たったとは、
    入ってから知って、身体ががたがたと震えた(笑)。
    すさまじきパワハラ熱烈激烈なコーチだった。
    70代の女性。とにかく言葉が酷い、酷い。

    「ちゃんと伸ばすんだてば」
    「そうじゃねぇろ。ちゃんと見ていたんか」
    「あんた、一番後ろに行きな」だな。
    実は、10名のオールドレディーステューデントの中の私。
    一番下手くそで、どうにもならない落ちこぼれの私だった。
    前回の背泳ぎの時は、耳元で怒鳴られた。
    言われたように泳げないから業を煮やした鬼コーチが、
    背泳ぎの私の頭を支え、
    「肩の力を抜け。胸をしっかりとはれ。息をしろ」と、
    マンツーマンの指導になった。

    衆人の前で怒鳴られる。怒られる。駄目だと言われる。
    出来ない者は一番最後にさせられる。
    指導の一つ一つが怒鳴り声で、力づくで引っ張られることもある。
    「ああ、いじめだなぁ」と、何だか心臓がどきどきとした。
    「みんなはきっと私が下手だから仕方ないなぁと、想っているだろう」と、
    そう想うと、もっともっと自信喪失。

    「ああ、サーシャ―コーチがいかったな」と想っても、後の祭り。
    他のオールドレディーステューデントたちは、
    水泳を生きがいとしている方たちだから、
    毎年このスイミングに通い、平日も練習に通っている人たちだ。
    俄かスイマーの私の泳ぎとは、格段の違いだった。
    そのことが、このコースに入って、よくよく身に沁みた。
    「私は、今まで、何を習って来たのだろうか・・・・」
    つまりね基本そのものが全く身についていないのだった。

    かの鬼コーチは、実はこのスイミングのコーチの中でも、
    水泳指導のトップ水準のコーチとして有名な人だった。
    その人の名を聞くと、人は、
    「本当に基本をしっかりと教えてくれるいいコーチだよ」との評判だ。
    しかし、落ちこぼれの私には、恐ろしいコーチだった。
    だから、今日も、何だかスイミングに行くのが気が重かった。
    「ああ、落ちこぼれの子どもって、いつもこんな気持ちで学校に来るんだな」
    そんなことを考えていたら、
    実は、そのコーチによって感じさせられているこの気持ちは、
    とてもとても貴重な体験なのだと悟った。

    まず、できない子どもの気持ちだ。
    みんなができるのに自分独りだけできない気持ち。辛さ。焦り。哀しさ。惨めさ。
    次に、みんなの前で叱られる子供の気持ちだ。
    自分だけをターゲットに先生が叱る。腹立たしさ。反抗心。恥ずかしさ。惨めさ。
    それから、手厳しく強い口調で指導される子どもの気持ち。
    「力を抜け」と言われても、言われたことを本当にできない子どもの辛さ。哀しさ。
    そうなんだな。そうだったんだな。こんな気持ちだったんだな。
    何だか、私も子どもたちにそうしたことがあったとしたら、
    その子どもたち全てにここで謝罪したい。ごめんなさい。だった。

    今日も、クロールで首を回したと言って怒鳴られた。
    平泳ぎの足の個別指導で足の力が抜けずに怒鳴られ続けた。
    しかしだ、その時、私は、何も腹が立たない自分を発見した。
    61歳の爺さんがみんなの前で罵倒されている。
    でも、何だか、その指示を素直に受け入れている私がそこに居た。
    「あれっ、どうしちゃったんだ」だった。

    「あんたは、初心者なんだから」と、はっきり言われた。
    最後に全員に鬼コーチからの話があった。
    「みんなにはじっくりと教えてやれる時間はないよ」
    「だから、変な泳ぎはさせないで、基本の泳ぎをさせたいんだよ」
    「お金をもらっているんだから、ちゃんと泳がせたいよ」
    何だかね。わけもわからないが、いつの間にかリスペクトだった。
    ここにも私がリスペクトする教師がいたんだ。
    ただし、激烈に怖ろしく、まさに鬼のような教師であるが。

    レッスン後に、私は、独りで復習をする。
    とにかく、言われた一つ一つのことが深すぎる。
    それをこの身体で実現でき、実感として自分のものとするためには、
    繰り返し繰り返しの練習しか方法はなかった。
    頭で分かっていても、いつまでたっても初心者の域から脱出できない。
    怒鳴られて、教えられた一つ一つの動きを無意識に出来た時、
    初めて、この域からの次のステップへの成長となる。
    さうした深い深い「問い」を彼女は私に植え付けた。
    まるで、禅の偉大な師匠のようなもの。
    「帰れ」「何を学んだつもりになっているんだ」「駄目」だな。

    そうやって独り背泳ぎのキックの練習を繰り返していたら、横に彼女が立っていた。
    「何で膝を水面に出すんだ。もっと付け根から動かしなさい」と、
    私の前で、膝の出る下手な泳ぎと、しなやかな上手な背泳ぎを見せてくれた。
    「付け根を押さえて、その動きを感じながら泳ぐんだて」
    彼女は、私の独り練習を遠くから見つめていたのだ。

    私のリスペクトできる教師は、深く深く生徒を愛する教師だ。
    上達させるために、今あるおかしな癖をふっ潰してくれる教師だ。
    そして、少しでも基本の動きを体感できるように具体的な指示を出す教師だ。
    いつも生徒を見守り、情熱をもって指導する教師だ。
    こいつを何とか一人前にするために、本気で闘ってくれる教師だ。

    私は、初めは、パワハラと感じ、動悸を感じ、腹立ちも感じた。
    しかし、今は、心から信頼し、リスペクトしている。
    同じ彼女なのに、彼女と云う教師の見方が全く変わった。
    次回もまた、「あんた、一番後ろ」
    「何やってんだ」「力を抜け。足首を伸ばせ」と、怒鳴られるだろう。
    ただ、それが私に対する熱意で在り、想いであるなら、
    それはそれでありがたく受け止めようと、今は、感じる。

    あの女子体操の選手とコーチの関係が、
    何だか少し実感できたようだった。
    でも、やっばり、私は、サーシャコーチが好きだな(笑)

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  • from: クマドンさん

    2018年09月21日 05時30分25秒

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    少々の回復。

    不思議なものだ。
    極限に達した時、身体はちゃんとサインをくれる。
    そしたら、休む。休む。
    そのことを人は、しなくなった。
    もっともっと自分のことを追い込んで、
    休むことを逃げることや、ずるいことのように勘違いする。

    私は、仕事に忠誠を尽くしているから、
    休むなんてことはしない。
    みんな頑張っているのだから、
    私だけ休むわけはいかない。
    とは、人と自分とを比べての判断。

    しかし、身体は、自分の身体。
    その身体がギブアップしているのだから、
    素直に降参することが、懸命な判断だ。

    私は、身体は回復するものと信じている。
    自然なものは全て蘇生に向かうとは、真実だからだ。
    だから、身体の回復に向かう力・働きを、
    私が阻害せず、支援することが大事だった。
    それは、つまり、安静にすること。

    二日目の朝、まだ本調子ではないことを感ずる。
    頭が重い、身体を動かすことがおっくうだ。
    もっと寝ていたい。休んでいたい。ゆっまりしたい。
    そんなところまでの復活だった。

    61歳の身体になった。
    そのことを素直に受け入れることだ。
    気持ちは、まだまだ行けると感じた。
    身体は突然悲鳴をあげた。
    それも一切、何の前触れもなく。
    私は、何度も何度もこういう経験をしているから、
    その声に聴き随った。

    やっぱり61歳の身体には、
    61歳なりの課題を抱えた身体になっているんだな。
    老いというのではない。
    ただ、確かに5年前とは、違うと言う意味での衰えだ。
    その分、確かに、精神的にはしっかりとしてきたようだ。
    身体の衰えと、精神の成熟とは、反比例する。
    衰えることでなお一層豊かになる。

    まず今日は、再開の一歩。
    アイドリングから初めて、ゆっくりとスタートしよう。

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  • from: クマドンさん

    2018年09月20日 06時09分43秒

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    倒れた。

    またまた、倒れた。
    火曜日の帰りの車で、
    胸が締め付けられるように苦しく、頭ががんがんと痛くなった。
    どうしたんだ、私。
    とにかくハンドルにしがみついて、やっとの帰宅。

    それから毛布にくるまり布団に入った。
    苦しさと難儀さが増幅される。
    身体に起こっている今、ここ、が理解できない。
    身体は身体としての反応を継続するだけ。
    そこには身体だけが知る意味が在る。

    身体はそんな極限状況から回復・蘇生しようと努力する。
    身体は本来生きようとするものだ。
    だから、発熱や痛み、嘔吐、悪寒等、
    そうした具体的な症状で危機を私に訴える。

    私は、そうした身体の誠実な真摯な想いを知っている。
    だから、私にできる最善のことは、
    身体が回復のための働きを少しでも助けるために、
    絶対安静。無理をしない。休息をする。眠る。ただ、それだけ。
    しかし、その行為は、身体の蘇生作業の何よりもの助けとなる。

    不具合を起こしている。
    どこかで機能不全が発生している。
    しかし、この神秘なメカニズムをもっている身体自体は、じたばたしない。
    すぐにカンファレンスを行い、
    自らその原因を探り、そこに集中した治療を施す。

    あれだけ痛み、歩くのが辛かった左足の付け根の痛みは、
    いつの間にか無くなっている。
    まだ全治ではないが、ほぼ治りかけている。
    この痛みを諦めていた私だった。
    身体は、治すことを使命として、努力する。

    だから、休んだ。
    とにかく、眠った。
    今朝、まだ、身体がふらふらとする。
    でも、こうしてパソコンに向かっている。
    いろいろとあった。
    そして、退職てからのそのいろいろが一気に身体に出たようだ。

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