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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマドンさん

    2015年10月29日 04時55分53秒

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    何もない日々の生活

    帰って来て、晩酌をして、テレビを観て、洗濯物を干す。
    それだけで、いつのまにかどこかで眠ってしまう。
    まさに爆睡の日々だった。

    そんな日々の繰り返しで、どんどんと時間は流れる。
    何かをどこかで変えねばなぁと想いつつ、
    何もしないまま日々を過ごす。

    そうやって振り返ってみたら、
    仕事すること、生活すること、それだけで終わっている気もする。
    何か定年後につながる生き方はないだろうか。
    これからずっと続けられる生き甲斐はないだろうか。
    そんなこんなを現在模索中だが、
    そのための一歩を踏み出してはいないようだ。

    自分と言う人のちっぽけさをよく想う。
    師が私から離れて行ったわけも分かる。
    友が私から疎遠になったのも分かる気がする。
    そう想われる私と言う人を、私は生きているようだ。

    そうは思わない。
    それは私ではないと思いつつも、
    そう決めつけられた私はどうにもならない私のようだ。

    でも、独りであると感ずるとき、ふと逆に楽になることがある。
    それは、我儘な自分で居られるからだった。
    まずこれからは人からよく想われようと言う気持ちではなく、
    自分が人のために何ができるかを優先して考え、行動する時間なんだ。

    かってそうであったように、
    やらなければならないことが向こうからいつかはやって来る気がする。
    その日はいつなのか皆目見当はつかないが、
    天啓とは、そんなものだ。

    ただし、その日のために、日々の訓練は必要なことだ。
    朝は4時に起きる。
    台所の食器を片付ける。
    自分のための朝食を作る。
    ジョギングに行く。
    新聞を丹念に読む。

    いろいろとあり、へこむことも、落ち込むことも多い私。
    こんな私だからではなく、こんな私だからこそ、
    きっとこの世に残す何かがあるはずだと、自分に言い聞かせている。
    「その日」のために、実は家族と共に生活することや、
    職場で同僚と仕事をすることは、自分を鍛えるための訓練だった。

    それを、不平不満を言わずに、淡々と笑顔でやり遂げる。
    その一日の生業を終えて、心地よい疲労感で酔っぱらって爆睡する。

    ある意味、何もない日々も、
    十分に生きている日々と考えられるのではないだろうか。

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    waka たまご

  • from: クマドンさん

    2015年10月28日 05時59分32秒

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    誕生日の奇跡

    次男の誕生日だった。
    20歳になった。
    彼が産まれ、我が家に来てからそんな月日がたったんだ。
    そして、私たちも同じ月日を過ごしてきた。

    彼を可愛がり、育ててくれた父と母は、今は鬼籍だ。
    彼は、母と父の死を見ている。
    そして、二人のことを送っている。

    私は、彼にはすまないことをして、
    彼の心を傷つけたことがある。
    彼は黙って何も言わないが、
    今は、彼との会話はとても少ない。

    彼にとって、私はどんな父親として存在しているのか、分からない。
    私は、そうではなく、そうとは思っていなくても、
    相手の中で私と言う人はある形で在り方で存在している。
    彼は、そんな男を父親にもってしまった。

    誕生日の夜。
    三の友だちが彼を訪ねて、わざわざやって来た。
    彼は8時過ぎに帰って来た。
    彼の誕生日を祝うために集まったのだそうだ。
    よき友をかれはもっている。
    お腹が減っているだろうと妻がお握りを出し、
    独りは泊まって行った。

    誕生日の翌日、中学時代のサッカー部のエースがやって来た。
    もう少しで帰るからと、待ってもらった。
    彼が帰宅してからは、座敷で賑やかな笑い声が何度も響いた。

    さて、彼はそういう20歳になった。
    それは、彼の素晴らしさなのだと、私は何だか父親として安心させられた。
    私には、こんなことは決してなかった。
    私には、そうした友だちはいないからだ。

    58歳になって、つくづく独りを感じた。
    20歳になって、友のありがたさを感じているのは次男だ。
    それは、私の生き方の結果であり、
    次男の生き方の収穫なのかともしれなかった。

    私は、独りになる生き方だったし、
    次男は友と深く繋がる生き方だったのだろう。
    彼は、「優しい」「いい男」なんだ。

    小さな頃から、一緒に風呂に入ると、
    私は、長男と次男とを一つの言葉を念じながら洗ったものだった。
    「いい男になーれ。いい男になーれ」って。
    長男も次男もその効果があり、いい男になっている。

    親ばかだれど、私の祈りが天に届いたと、
    密かに居ても居なくてもいい親父は、心に自負しているのだ。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2015年10月26日 10時30分07秒

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    無為無言の勧め

    そうなんだな。自分との対話なんだな。
    その対話ができていないと、何か大事なものを見失ってしまうんだな。
    ということは、大事なことをちゃんと自分は知っているということだな。
    つまり、その大事なことを明らかにするためには、
    「問い」を忘れてはならないということだ。

    山の疲れがまだ残っている。
    太ももの筋肉痛もある。
    それでも今朝は久しぶりのジョグで5キロ近くゆっくり走った。
    この疲労感の中で、行動は起こしたくなかった。
    だから、座って、横になって本を読んだ。

    こうして何もしない時間は、私にとっては必要な時間でもあった。
    無為自然。
    私は、無為無言である。
    しかし、無為と言いながらも、けっして何もしないわけではなく、
    精神はまっすぐに自分を見つめ、対話はしている。

    「何のために生きる」ということは問わないことにしよう。
    「どう生きているか」ということだけを問うていこう。

    突然、こうして無為無言で心の対話をしていると、
    そんな言葉が心に浮かんだ。
    「何の為」では、それが見つからない限り、
    いつでもいつまでもそれを探す旅にこの日々がなってしまう。
    そうではないんじゃないだろうかが、58歳の私の答えだ。

    「生きることそのものをこそ楽しむことだ。」
    何だかうまくは表現できないが、そんな感じだ。
    ちっぽけな野の花が、誰に見られず、誰にも褒められず、認められずとも、
    ただそこで咲いている。
    きっとあの花たちは、散るまで生きてお日様を浴び、雨に打たれ、風に吹かれる。
    確かに「無為自然」そのものの生き方だ。

    ところが、ここに大事な命の生き方の教えがある。
    黙って花たちはそのことを私に語って、教えてくれる。
    「それでいいのだ。」
    「それしかないのだ。」

    ぼーっと何もしなくてもいいじゃないか。
    疲れていたら、休んでいたらいいしゃないか。
    心が弱っていたら、休養しよう。
    思い通りには何も行かないのだから、思わないことだ、焦らないことだ。
    無為自然。咲く時は必ず来るのだし、散る時も必ず来るもんだ。

    ああ。鳥が鳴いている。お日様が眩しくなった。
    ゆっくりコーヒーを飲んで庭を見つめてのんびりしてもいいではないか。

    そのとんでもない恐ろしい行先の皆目見当もつかない大きなうねりから、
    そのあっぷあっぷとのまれてばかりのうねりから、
    這い出して、岸に上がり、振り返り、
    その怒涛のうねりを静かに見つめてはどうなのだろう。
    そのうねりの中で、無数の人間がもがき苦しみ溺れ助けを求めている。
    でも、心配だから、不安だから、みんなと同じじゃないと困ると思うから、
    みんなと一緒に流されて去って行くその大きなうねりを。

    「一抜けた。」
    それが私の孤独なる「無為無言」なのかもしれない。
    ところが、本当はここに「生きる」という「自由」があることを、
    やっぱり周りの人ばかりを気にして、自分との対話を忘れてしまった人たちは、
    気付かずに、闇の中に吸い込まれて行ってしまうのだ。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2015年10月26日 10時05分59秒

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    ただ時々想い、一緒に山に登る

    土曜日に大峰山に登った。
    その時一緒に登ったのがMさんだ。
    彼は20歳になる。私の次男と同級生のはずだからだ。
    彼は、小学校2年生から学校に行っていない。
    いや、正確には行けなくなってしまったのだ。

    彼にとっては、この山は大きな大きな挑戦だった。
    急登を一歩一歩登りながら、息が苦しく、心臓は破裂する寸前だった。
    歩くと立ち止まり、そして目をつむって黙って立っている。
    170センチ以上あり、がっちりした体格だ。
    私たちが追い越した60代のおばちゃん二人に、
    その若さと体力とを褒められていた。

    とにかくこの展望広場にたどり着こう。
    きっとそこが彼のターニングポイントとなるはずだと私は思った。
    「山から、気をもらうんだよ。」
    「その気をいただくと、元気になるんだ。」
    本当の話だった。
    山の中にある時、ふつふつと細胞一つ一つが呼吸して蘇生する。
    本来の体が、ここに来ると取り戻される。

    到着した山頂では、笑顔の後で放心状態だった。
    成し遂げられた喜びよりも、極度な疲労感が彼を満たしているようだった。
    黙って私は鍋におでんの大根と卵とを入れて、温めて彼に渡した。
    「コンビニのおでん、苦手なんですよ。」
    私は首を振って、「これ家のだから食べてみた」と、促した。
    恐る恐る煮込んだ大根をかじった彼は、
    「おいしいですね」と言って食べてくれた。
    これも山の為す不思議な力だ。

    山では食べることと飲むことの喜びを味わえる。

    「思い通りにいかないんですよね。」
    彼が、私を見つめてぽつりとつぶやいた。
    「俺もそうだよ。みんなそうなんだよ。」
    「そうなんですか・・・・。」
    「思い通りに生きている人、俺は会ったことないよ。」
    本当にそうだ。
    だって、死にたくなくてもみんな死んでしまうのだから。
    健康でいたくても癌になったり。
    毎日毎日、思い通りではない人生を生きることが人生なんだ。

    それがリアルなんだと、最近つくづく思っている。
    しかし、私は今ここでメッセージを誰かに向かって打っている。
    「こうなるか」と、驚くのはまだまだ先のことなんだ。
    ただ、私は「こうなってきた」ことに、後悔はしていない。
    その最中ではぐるぐるにどろどろに悩み苦しんでいても、
    その闇夜のトンネルを抜けてみたら、
    こんなに明るく爽やかな朝が来てた。

    思い通りととは、私ではなく、私をこの世で生かしているものの、
    そのものの思い通りに私はなっているのではないかと、
    私はMさんの言葉を聴いて思ったものだった。

    欲が無くなるということは、諦めるということでもあるが、
    本当は委ねて生かされるということなんだ。
    Mさんは、自分で何とかしようともがき、焦り、苦しみ、
    結局一歩も前進しない自分を見つめて哀しくなっている。
    私もそうだった。
    でも、こうして何とかなって今がある。
    「そんなもんなんだ」と、今は彼には語ってやれる。

    「いいんだよ。いいんだよ。そのまんまで。」
    「ただし、どんな小さくともちょっとの勇気で一歩出すことだよ。」
    「そうしたから、今ここでおでんの大根を食べているんだよ。」

    私がMさんにできることは少ない。
    ただ遠くから彼を時々想うことであり、一緒に山に登ることでしかない。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2015年10月25日 22時50分23秒

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    次男の誕生会だよ

    次男の誕生会だった。
    誕生日は明日の10月26日なんだけれど、
    やっぱりお休みの今日がいいと、今日に設定した。
    20歳になる。
    あのノリぼうがである。
    子どもは、やっぱり神様からの授かりものだ。
    私は、長男と次男とを、神様から預けられたとある時思った。

    私に託されたその子どもたち。
    なのに、心配をかけているのは私の方だった。
    不良中年親父だ。
    そんな親父をじっと黙って、見つめて来た二人だった。
    私には、何も親父らしいことを言えない二人でもあった。

    次男が二歳の時、インフルエンザから生死を彷徨った。
    市民病院のICUに三日間だった。
    医師からは、「何とも言えません」とだけ。
    あの閉ざされた扉のこっちで、
    涙涙で待たされていたあの夜中の恐れと、絶望。
    二月の雪は、深々と見上げる私に堕ちて来た。
    何だか、降る雪を観ていて天に昇るような錯覚だった。

    必死で神様に祈っていた。
    駄目親父のできることは、命だけは救ってくださいと祈ることだけだった。
    ああ、ああ、と叫び、呻き、嘆き、悶絶しながらも、
    ただただ雪は静かに降り落ちて来た。
    あの夜の孤独は、絶対に、一生忘れない。

    ノリぼうが、今ここで、どうなるか分からないと言う。
    何で、そんな、馬鹿な、どうして、ノリが。
    そうだったなぁ。

    やっと入ることを赦されたICUのベッドの上で、
    たった2歳のちっぽけなノリぼうは、
    小さなベットの上で、点滴に繋がれながら、
    おしゃぶりをして泣き目のまんま、
    「とうしゃん、とうしゃん」だった。

    私は、か細い腕に巻かれた包帯に、
    ノリが大好きなトーマスの絵をマジックで描いていた。
    「ノリぼう、また父さん、トーマス描くからな」
    「また、元気になった、でっかいトーマス描くからな。」
    涙でぐしゃぐしゃになりながら、
    その包帯に私は、機関車トーマスの下手な絵を描いた。

    あっちこっちのビーコンが止まるのだ。
    「ピッ、ピッ、ピー------」って。
    すると看護師さんが駆けつけて心臓マッサージをする。
    息の止まったおじいちゃんの蘇生のために、
    心肺停止を蘇らせるで電気ショックをかけるのだ。

    人が生き死にをする最前線の戦場だった。
    ノリぼうは、その戦場から生還してくれた。
    医師からここを出る許可を得てからも、
    2か月間あの小さな体で市民病院の小児病棟でかれは暮らした。
    どれだけ泣いたことだろうか。

    いたいけな。
    注射を嫌がり、手すりの端まで身を縮めて抵抗する姿に、
    私は、泣いた。泣いた。泣いた。
    ただ、祈ることしかできなかった。
    でも、本当は祈ることこそ、最良なる救いの道だったと後からは分かった。

    私は、職場からの帰りに、市民病院に行った。
    そして、その地下の食堂で夕食を食べた。

    彼が、退院してくれた。
    或る日の日曜日だ。
    私は、いつものようにノリぼうを連れて大山台に遊びに行った。
    そこで、桜の木の長い枝を拾って、
    あの大山台のグラウンドいっぱいに、
    どでかい機関車トーマスの絵を私は描いた。

    ノリぼうは、
    「トーマス、トーマス」って、大喜びだった。
    私は、そんなトーマスの笑顔を見て、
    ノリぼうとの約束が果たせたと、
    そして、ここに神様は再び私にこの子の命を託してくれたのだと、
    ただただ涙が、涙が、止まらなくて、嬉しくて、たまらなくて、

    私にとっては、二度と出会えない機関車トーマスの絵でもあった。
    ジッ、ジッ、ジッと、枝で土を削りながら絵を描いたんだ。

    ノリぼう、20歳の誕生日、おめでとうございます。
    生きていてくれてありがとう。
    父さんは、ただノリに頭を深く深くたれるばかりだよ。

    思う存分、ノリを生きてください。
    父さんの願いは、それだけです。
    面と向かっては言えないけどね。

    大好きだよ。ノリぼう。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2015年10月25日 04時33分33秒

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    大峰山登山

    昨日は、大峰山に登りに行った。
    25年前に登ったコースをたどる旅だった。
    白山神社のそのコースを歩きだして驚いた。
    ここ数年、人がの彫った感じがしない獣道となっていた。
    栗やドングリがたくさん落ちたままだった。
    下に会った「熊出没注意」の看板の意味がその時分かった。
    そうだ、ここはクマたちの餌場なんだと。

    それらは、声を出しながら登った。
    「おー」「おー」と、その声を山に響かせた。
    熊は臆病な動物だから、人が来ると知ったら、山の奥に隠れるものだった。
    まさに熊たちの住み家のど真ん中を通らせてもらうのだから、
    そこではそれなりの礼儀と言うものがあった。

    「ごめんなさい。ちっと通してもらうね」という、
    謙虚な気持ちが大切だ。
    こんな小さな山なのに、おかげさまで緊張の連続だった。
    そんな気持ちで歩いていると、
    私の眠っていた細胞がふつふつと起きだし、動き出す感じがした。
    野生に戻るとでも言うのだろうか、
    何だか活性化されていくのだった。

    非日常に入る。
    自然の中に入る。

    その場に置かれることで、
    何か私の中で眠っていたもののスイッチが入るようなのだ。
    自分を目覚めさせ、新たにするためには、
    そんな旅も必要なのだと改めて思ったもだった。

    大峰山の展望台は、
    実に大勢の登山者で賑わっていた。
    後期高齢者から小学生と若いお母さんたちと、
    その年代にも幅があった。
    みんなは正規の王道ルートを短時間で登って来た人たちだった。

    私は、古きよき登山道を歩きここに来たことを、
    何だか逆に誇りに思えた。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2015年10月23日 05時20分57秒

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    夜回り先生

    昨夜、「夜回り先生」の講演会に行った。
    ユニゾンプラザがとにかく満席だったことに驚いた。
    私もそうだが、みんな何を求めてここに来たか、分かる気がした。
    子育て、親との関係、そうした家族との悩みを、
    それぞれがそれぞれなりに抱えているのだと思った。

    水谷さんが語ることは、子どもたちの深い深い心の声だった。
    彼は出会った子どもたちに真摯に向き合い、その傍に生きた。
    夜の世界の子どもたちは、寂しさと孤独の中に居た。
    一番安心して、信頼できる場である家庭が崩壊している場合が多い。

    自暴自棄になり、自分すら愛せなくなった子どもたちは、
    リストカット・引きこもり・不登校・ドラッグ・覚せい剤・売春と、
    そんな闇の世界に引きずり込まれる。

    誰が自殺なんかしたいと思いますか。

    そんな絶望に追い込んだのは、大人だった。
    そして、そうした子どもたちを性や欲望の対象としているのも、
    やっぱり大人だった。
    あのおぎゃーと生まれたばかりの子どもたち。
    全ての子どもたちはここから始まっているのに、
    途中で闇の世界を絶望したまま徘徊するのは、
    子どもたちを傷つけ・見捨て・孤立させた大人たちなのだ。

    彼が、定時制高校の教師になったわけを語ってくれた。
    やむにやまれぬ教師魂。
    どん底不良学級崩壊。花札をし、煙草を吸い、バイクが廊下を走る。
    そんな定時制に自分から志願してやって来た教師。

    信頼関係は、ここでは生まれないと、
    不登校の子どもたちの家庭に夜中に訪れ、
    プリントをやらせ、学習させる。

    本気でこんな俺にも、私にも付き合ってくれる先生がいたんだ。
    俺や私のことを馬鹿にして相手にもしてくれなかったのは、
    親と先生だったのに。
    私に暴力を振るい、私を罵倒して、私を否定し、私を捨てたのは親なのに、
    この先生は、どうしてこんなにまで私のことを大事にしてくけるんだ。

    彼と出会った子どもたちは、きっとそこから目を覚ましたのだろうと思う。
    この人は、私が今まで出会った大人とは違う。
    私という私をいいと言ってくれる。
    私のことを好きだと言ってくれる。
    私のことをいつもいつも心配して声をかけてくれる。
    そして、私がどうにもならなくて死にたくなった時、
    黙って涙を流して傍にいてくれる。
    こんなに熱く熱く抱きしめられたことはなかった。

    その人間としての驚き。
    愛との出会い。
    そこから、そこからしか、人は方向転換できないのだと思った。
    希望は、希望を与えてくれる人と出会った時、希望となる。

    そんな教師と私もなりたいものだ。

    そんな親と私もなりたい。

    いや、なることが私がここにいる本当の意味ではないだろうか。

    せっかく出会えた子どもたちなのだ。
    せっかく我が子として授かった子どもたちなのだ。
    誰がその傍に居てやれるというのだろうか。

    菩薩は、彼だった。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2015年10月22日 04時48分18秒

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    よき時間を過ごす

    よき時間は、過ぎているのか。
    毎日毎日、同じことの繰り返しの中で、時間は次々と流れては去って行く。
    山はすっかり紅葉している時期になり、
    その紅葉を愛でないうちに、この時となってしまった。

    しかし、今は悔いの少ない日々となっている。
    それは、欲がなくなって来ているからかもしれない。
    あれをやりたい。これをやろう。
    そうやって突き進んだ日々は、過去のようだ。
    今は、こうして静かに諦観している。

    昨日、特割のコンサートに行って来た。
    飯森さんは、私が大好きな指揮者である。
    クラッシックの入門編として、
    みんなが知っているディズニーの名曲や、アンダーソンの曲を演奏していた。
    実にサービス精神旺盛な演奏だった。
    その中に、東京交響楽団のしっかりとした音楽魂も感じられた。

    威風堂々はオルガン付きだった。
    この曲の響きには、その出だしから涙が流れた。
    吾知らず、その曲を体に感じ、
    あのメロディーが崇高に流れる時、
    私の魂は奥深くで、静かに静かに感動していた。

    私は、3年前にこのりゅとぴあの指揮台に立ち、
    タクトを振ってシェーナというプロのオケを指揮したことがあった。
    その目の前には、私の尊敬する佐渡裕氏が笑顔で立っていた。
    そんなことも私にはあったのだった。

    音楽は、時間の芸術と言われる。
    それは、奏でられた音は瞬間に消え去り、もう次の旋律を聴かせている。
    そして、感動の嵐に包まれながら、
    感極まってブラボーと立ち上がった瞬間、
    全ては消えてそこには存在しないからだ。

    消えることの美しさ。

    私は、よく独りでブラボーと叫び、
    スタンドオブオベーションをする。
    それは、感動の感謝を指揮者とオケに伝えたいためだった。
    そんな時間は、やっぱりよき時間の流れなのだろう。

    昨日は、初めて長男と一緒のコンサートだった。
    彼にとっては生まれて初めての世界であった。
    その新鮮な感動と驚きとは、彼にとっては忘れられない時間となったはずだ。

    しかし、そんな大きな感動ではなくとも、
    心に優しい音楽が鳴っていれば、きっとよき時間を日々過ごせるのだと私は思う。

    時にはディズニーで、時にはウィーナーワルツで、時には威風堂々で、
    そうして今日1日を生きてみようと思った朝である。

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    waka たまご

  • from: クマドンさん

    2015年10月21日 04時27分56秒

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    これでいいのか。これでいいのだ。

    これでいいのか、クマさん生活。
    今朝は3時45分起床。
    夜空には誰も観てくれなくとも輝いている星と星。
    こんな時刻に起きて、掲示板を書いている。

    出勤までの朝の3時間は、私にとってのゴールデンタイムだ。
    膝の痛みをかばいながらも、昨日はジョグとウォークを復活した。
    炭水化物ダイエットは、効果なく、
    体重はいっこうに減ってくれない。
    まるで着ぐるみのような腹の贅肉を両手でつまんでいる。
    昨日は二日分の洗濯物をたたんでしまった。

    さて、こうだから夜は、一番搾りと缶ビールを飲み、
    夕食をバクバクと食べながら、ニュースを観ていると、
    それでけで眠くなってしまう。
    昨夜はとうとう借りて来たDVDを観ながら、爆睡だった。
    私は、いったい何をしているのだろうか。

    そんなおかげで本も読んでいなかった。
    継続的に趣味も続けていなかった。
    ここ何年かは、クマさんの停滞状況が続いている。
    合唱の自主的な稽古もしなくてはならないが、
    それも少々怠っている状況だった。

    眠い。眠い。起きてはいられない。
    本気でサバイバルを夢の中でしていることが、今朝よく分かった。
    私はバスの運転手になり、雪原に突進していた。
    子どもたちと話し合い、どんなバイトがみんなのためになるか話し合っていた。
    夢の中では、クマはクマのまま、シャウトな人生を生きていた。
    「おもっしぇなぁ」と、ぞくぞくする夢だった。

    ただ、現実は・・・・・・。
    これでいいのかクマの生活。

    ふっと想うことがある。
    後、どれくらい生きられるのかと。
    せっかくこの世に生まれて来ながら、
    その残されている貴重なる日々を、
    私はちゃんとありがたく使っているのかと。

    終わりを考えると、今の情けなさがよく分かる気がする。
    人は、パンのみに生きるにあらず、である。
    では、私はパンの他に何の為にこの命を使っているというのだろうか。
    そんなだいそれたことは、もう考えないことにしている。
    だが、人生にとって、それまで生きて学んできたことを活かし、
    この世の誰かの為になる仕事はあるのではないか・・・・。

    そう想うと、毎晩爆睡なクマの生活を、情けなくも想うのだ。
    クマは、天からの呼びかけを待っている。
    平平凡凡な日々の中で、天啓がきっとくると信じながら。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2015年10月20日 04時39分19秒

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    「春を背負う」

    昨日、「春を背負う」という映画を観た。
    立山の山小屋を死んだ親父から受け継いだ新米息子が、
    一人前の山小屋の親父に成長していく姿を描いていた。

    この時、舞台として映し出される雄大な立山の景色が、
    何よりも私の心を引き付けていた。
    ここに遊び、ここを歩き、ここで学んだ。
    私にも山を歩いた青春があったんだ。

    山と向き合う。
    山と語り合う。
    どっしりと岩山は、何も語らずとも多くのことを教えてくれた。
    言葉はここにはなくとも、確かに私はその言葉に学んだ。

    新米息子を育てるために、死んだ親父の親友である風来坊がやって来る。
    歩荷の荷の重さは60キロだった。
    それを生きも切らさず担いで上がる。
    山小屋に3年前から勤めている若い女性は、
    山小屋を何とかたち手直し、
    いつものようにお客さんを迎え、喜んでもらえるように奮闘していた。

    遭難や事故や、病人が出るなど、
    そんな山小屋にはただ平穏な日常だけではあり得なかった。
    その度に、その時のためのように力を合わせ、
    力を尽くしてその難局を乗り切って行く。

    この大自然の中で生かされているちっぽけな人たちの物語には、
    やっぱり助け合い、信頼し合い、互いにしっかりと結びついた絆が存在するのだった。
    あの人が居てくれるから私がここに居る。
    あの人のために何かをしたいから私はここに居る。
    絆とは、そうした無私の繋がりからしか生まれては来ないものらしい。

    この3000mの山小屋で、大自然の美しさと偉大さと畏ろしさとに包まれながら、
    人の魂とは、ピュアな単純で素朴なものに変えられる。
    忘れていた、見失っていた自分が、そこで姿を現してくれる。
    ここで生きるとは、その自分で生きることであった。
    そして、そうしたピュアな人と人とがつながらない限り、
    ここでは人は生き抜くことは不可能なのだと、山はまた教えてくれた。

    無私なる想いで繋がれる家族に。
    きっとそれが死んだ親父の遺言だったのだろう。

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