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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2016年08月31日 06時33分34秒

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    風に吹かれて

    朝、のんびりできることの幸せ。
    走ることが出来ない分、40分間の余裕ができた。
    その時間を庭に出て新聞を読む時間に当てている。
    何もしないことは、いいことだ。
    風に吹かれてここに居る。
    それでいいではないかと、ふと想った。

    心乱れることもある。
    感情に任せて怒鳴ってしまうこともある。
    どうしてか分かってもらえずイライラとしてしまうことも。
    そして、必ずその後で深い深い後悔が襲って来る。

    エゴとセルフとをしっかりと見分けようと言っている。
    これはエゴなのか、これはセルフなのかと。
    もし、これは絶対にエゴからだと感じたら、深呼吸する時だ。
    それ以上これに任せてしゃべりだしては後の祭りだ。
    とにかく、その二つを分析して選択できる冷静さが欲しいものだ。

    ところが、酔っているとそれができない。
    どうにもこうにも感情の赴くままにイライラをぶつけてしまう。
    そして、一度関を切った感情は、とどまることを知らない。
    後から冷静に、客観的に考えたら、非はやっぱり私にあった。
    なのに、なのにだ。
    その瞬間は私が正しいのだと、一方的に話し、攻撃をする。
    つくづく、どうにもならない者だと自己批判だ。

    こうして、何事もなく、どうでもよく生きていたら、何でもないこと。
    人は人、私は私。
    なのに、どういうわけか我がままになってしまう私だった。
    まず、感情が高ぶりそうになったら、深呼吸して席を離れよう。
    そして、次に相手の言い分を冷静に考えよう。
    これも是だし、あれも是だ。
    ならば公平に考え、「まぁ、いいか」と、諦めよう。

    平穏な心には、その「まあ、いいか」の切り返しが必要だった。
    酔っている時は、ついついそれを忘れてのまっこう勝負だった。
    そのおかげで相手に不快感を与え、心に少なからぬ傷をつける。
    やっぱりどうにもならない私だなぁと想いつつも、
    その私をどうにかしねばとも考えている。

    日々これ道場だ。
    人が人となるための、そんな修業が日々続いている。

    「風に吹かれて昼寝をしている
     あとはもういらない

     タマシイはユラユラ
     なんにでもなれるのよ
     あらまあ
     しあわせ」       池田 晶子さん

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  • from: クマドンさん

    2016年08月28日 12時53分11秒

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    59回目の誕生日

    本日、私の59回目の誕生だ。
    何もないけど、朝からあわただしい一日を過ごしている。

    朝飯前に庭の水やりと、家の側道の草取りだった。
    15mほどだろうか、びっしりと生えた草を鎌でせっせと刈っていた。
    それから朝食を自分で作って食べ、合唱の練習に海老ケ瀬に行った。

    9月4日(日)に東区プラザホールで1時30分から、
    三つの合唱団合同の「歌のブーケ」コンサートがある。
    入場料無料だから、ぜひぜひたくさんの人たちにおいでいただきたい。
    混成のなかなかの大曲も用意してある。
    そのための合同練習がさっきまであった。

    歌を2時間歌っていると、まさにアスリートの心境だった。
    とにかく手術後に体力がなくなったので、
    立って長く歌うことが難しい。
    だから、座ってでかい声を張り上げて歌っている。
    酸欠でくらくらとすることもある。

    今は、こうして家に帰り、これからりゅうとぴあのコンサートだった。
    「石田組」でビバルディーだった。
    妻の車で向かう予定だ。
    昼も食べていないので、今は腹が減ってふらふらだ。
    それでも、これからコンビニでお握りを買って、コンサートにでかける。

    それも私のささやかなご褒美だと思っている。

    本当にここまで生きてこられたことは、ただただ恵みだったと感謝している。
    三度の手術からこうして生還できた。
    そして、仕事も続けることができる。
    家族もみな健康で、一緒にこの家で暮らしている。
    夕方庭に出てかっぱえびせんをつまみにビールを飲むのを楽しみとしている。
    雑酒も、角瓶のウイスキーを垂らすと、クラフトビールに変身する。
    ささやかな楽しみを、ささやかであるからこそと、満足している。

    この年になって分かったことは、
    この「足るを知る」という生き方だ。
    力は抜けた。欲はない。ただ、生きる。感謝しつつ、一日だけを楽しく生きる。
    そんな脱力した生き方ができるようになったことが、何よりもの収穫だった。

    帰って来たら、みんなで焼き肉に行けそうだ。
    ありがたいことだ。
    とにかく、これからすきっぱらのままコンサートに出かけて来る。
    報告は、帰ってからだ。

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  • from: クマドンさん

    2016年08月27日 07時10分14秒

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    映画は人生そのもの

    朝の日報に、「FAKE」の監督のMさんのエッセーが出ていた。
    「イージーライダー」「いちご白書」をライフで観た。
    「ジョニーは戦場へ行った」「卒業」「パピヨン」を高校時代に観た。
    名画座の「ライフ」があった。
    何だ何だと驚いて年齢を見たら、私より一つ年上の人だった。
    あの時代の新潟市を知る彼と私。
    きっとどこかの映画館で一緒に映画を観ていたのかもしれない。

    高校時代に自主制作の映画を創ったことが映画との出会いの始まりだそうだ。
    私もそうだった。
    M高校で半分不登校だった私が、
    それでも文化祭のクラスで作る自主映画に出演を依頼された。
    8ミリ映写機の音と、あの暗い教室で写される白黒映像に、
    何とも言えない郷愁を感じたことを覚えている。

    私は、よく学校の授業をさぼって映画館に行った。
    坂妻の映画を観ながら、パラスで母が作ってくれた弁当を食べていた。
    卵焼きの匂いがブーンとただよった。

    ライフにはよくよく出かけた。
    いい映画になると立見は当たり前だった。
    狭い客席に映画好きの青年や学生がいっぱいだった。
    新潟の私には知らない世界ばかりだった。
    スクリーンは、都会と世界と繋がる私にとっては大事な窓だった。
    映画を観て感動する度に、
    ちっぽけで寂しかった私の中で何かがほんのわずかに修正された。

    孤独だったし、人と付き合うことも苦手で、
    人と同じことは決してしない変わり者だった。
    だからだろうか。
    映画の中のドラマやそこで生きている人たちは、
    私にとってとてもとても大切な友であり、恋人であり、師匠だった。
    ATG全盛期。
    原田芳雄さん、桃井かおりさん、秋吉久美子さん、だったなぁ。

    映画は、私に人生の大部分を教えてくれた。
    物語の中に真実なる生き方が在り、
    その生き方を真似したくて、どこかで跡をついていきたくて、生きていた。
    本当に、寂しくて、孤独で、つまらない生き方だったが、
    映画の人たちがいつもいつも心の傍に居てくれて、
    何だか「それでいいよ」と、言ってくれていたような気がする。

    映画があったから、生きて来れたなぁ。
    「小さな恋のメロディー」で、グランド劇場に早朝から並んだなぁ。
    「わらの犬」で、ペキンパーにどきも抜かれたなぁ。

    あの時代の映画の話をすると何だかつーんと懐かしく感じられる。
    その映画と当時高校生の私とは、シンクロしてここに現れるからだ。
    映画が居てくれたから、こんな変わり者も生きられた。
    行く場所のない私にとっての行く場所は、映画館だった。
    映画と出会えて本当によかったなぁ。
    映画が傍に居てくれて本当によかったなぁ。

    今朝の日報の窓に「ジョニーは戦場に行った」のことを書いている
    52歳の男性だった。
    小学生の時に観たような記憶にあった映画が、この年で観直したら、
    鮮明に蘇ったということだった。
    私は、その言葉を読んで、「思い出の夏」を観たくなった。

    映画とは、人生そのもののだったと思う。
    Mさんの言葉を読んで、私は懐かしいあの映画館の匂いまで感じてしまった。
    始まりのベルの音。ゆっくりと灯りが落ち、ぱっとスクリーンに映像が映る。
    その瞬間、私は別の世界に旅に出る。

    映画さん、ありがとうございました。

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  • from: クマドンさん

    2016年08月26日 06時32分45秒

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    何とカレーに替わっていた

    昨日、東区ボーイズの練習だった。
    練習の日には、Dラーメン店の担々麺を食べることにしている。
    私の一番のお気に入りのラーメンだった。
    しかし、カロリーのこともあり、炭水化物の取り過ぎになるので、
    昼は、カップラーメンとお握り一個で抑えていた。

    そして、いよいよカウンターに座って注文したら。
    「昨日までで担々麺は終わりました」とのこと。
    「何でーーっ」と聞くと、
    「拉麺コンテストに参加するための新メニューに替わった」と教えてくれた。
    何とカレー味の担々麺だった。
    「カレーですか・・・・。」
    きっと店主の金メダル狙いの苦心の作品なのだろうが・・・・、
    どうしようかなぁと、しばし思案の私だった。

    「それでは、今日から始まったカレーでお願いします。」
    せっせと汗を流してラーメンを作るイケメンの店長を観ながら待つのも味の内。
    さて、届いた拉麺の味は・・・・。
    「うまいけれど、ただそれだけの味になってしまったなぁ・・・・。」
    その個性とパンチ力に乏しいラーメンの味に、何だか少しだけ項垂れた私。

    うまいとは、全くの個人的な感想に過ぎないし、
    それぞれの好みもあることだから、これだとは言えないものだと想う。
    でも、やっぱりここの担々麺を初めて味わった時の衝撃は、忘れられないんだな。
    うまいは、私の身体が知っている。
    その私が敏感に反応した瞬間、うまいは私の中で決まるのだった。

    人生の中で、そんな瞬間に私は何度か出会ったものだった。
    すると、また食べたくなるのでリターナーとなってお店に通うことになる。
    そのたびに、「うまいねぇ」と感動を店主に伝える。
    店主はその私の反応を喜び、私のことを覚えていてくれる。
    いつの間にか、店主と話すようになり、知り合いになる。
    「いらっしゃい」の声が少し変わる。

    しかし、カレーをわざわざ890円で食べるだろうかと考えて、
    しばらくにんにくをたっぷりと加えながら、スープを味わっていた。
    確かに、うまいのだ。しかし、あの担々麺のような深さがなかった。
    きっと試行錯誤の途中なのだろう。
    しかし、店主は、このカレーで勝負に出たのだった。

    この一生懸命に、心から応援したい。
    そうは思うが、あの幻の担々麺を10月末まで食べられないことのショックは、
    私には計り知れないくらい大きかったようだ。
    どうしよう。これから、東区ボーイズの練習の晩飯は・・・・。

    新たなラーメン店を開拓しようかね。
    それとも、大好きなさんぽう亭で、辛子ネギ味噌ラーメンでも食べようかね。

    いつものようにいつもの味を味わえる幸せを、
    何だか改めて感じた一杯のラーメンだった。
    店長。金メダルとれるといいね。応援するよ。

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  • from: クマドンさん

    2016年08月25日 07時04分20秒

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    特別支援とは、私が変わること

    みんな本当は特別支援なんだなぁと、研修会のたびに考える。
    そして、この支援とは、障害のある人たちだけの支援ではなく、
    私たちの周りに暮らす人たち、そして、家族一人一人に対する支援なんだと、
    いつも私は考える。

    先日、視覚障害者の人が、盲導犬と一緒に駅のホームから転落して亡くなった。
    本当に痛ましい事故だったが、もし、この時誰かが声をかけていたら、
    こんな悲惨な事故は起きなかったと、私は想う。

    満員のホームを白状をつき、盲導犬と一緒に歩いている人がいる。
    それもホームの点字ブロックの上を、線路に落ちるすれすれを歩いている。
    その人の存在に気付いた人は、きっとたくさんその場には居たと想う。
    でも、「何か手助けしましょうか」と、
    自分から声を出し、手を貸す人が居なかった。
    そして、彼は誤って線路に転落して、亡くなってしまったのだった。

    「私が、言わなくても誰かが声をかけてくれるさ。」
    「何だか心配だけど、どうやって声をかけてあげたらいいのかな。」
    「手伝ってあげたいけれど、次の電車に乗らないと遅刻するしな。」
    「手伝うのはいいけれど、何だか恥ずかしいなぁ。」

    私も経験があるが、その瞬間、人は、こんなことを考えて躊躇するものだった。
    その内に、「何とかなるさ。」「きっと誰かがやってくれるさ」と、
    その場を離れて、その人の存在をすっかり忘れて、
    自分の日常生活にシフトを戻す。

    でも、もし誰か一人が声をかけ、彼の手を自分の肘に添えて、
    ゆっくりと声をかけながら彼のことを導いていたら、
    彼は、きっと今日も自分の日常の中で、
    みんなと同じように生活できたはずだった。

    私は、公共の場所やバスや電車等の乗り物で、
    そうした障害のある人が困っているようだったら、
    私から声をかけるようにしている。
    先日も視覚障害の老婦人がバスのステップに足をかけて難儀していたので、
    「ここに段がありますよ」と、声をかけてその人の左腕をとった。
    すると、乗客の一人の中年の婦人が素早く歩み寄って来て、
    その人の杖を持った右腕をとりながら、
    「大丈夫ですか。もう一段ありますよ」と、声をかけた。
    私は、何だかとてもすがすがしい気持ちになって、バスに乗った。

    今、求められている特別支援とは、この言葉かけと手助けと連携なんだ。
    その支援の場は、特別な特殊な場所ではなくて、
    私たちの日常生活の行動範囲の中にその場所は随所に存在しているはずだった。

    大きな荷物を抱えてバスに乗車しようとしているお年寄りに、
    「持ちましょうか」と、声をかける。
    満員のバスだったら、目の前にお年寄りが居たら、
    「どうぞ」でもいいし、黙って席を譲ればいい。
    街中で白状をついた人が立ち止まっていたら、
    「何かお困りですか」と、声をかける。
    もし、認知症かなぁと心配なお年寄りに出会ったら、
    ついて行って声をかけてあげる。

    何だかこうした親切と呼ばれて尊ばれていたことが、
    今は、余計なおせっかいと言われて、迷惑をかけてしまうのではと、
    遠慮して、はばかられるようになってしまったみたいだった。

    私は、そうすることにしている。
    周りの人たちなんかどうでも関係ないではないかと思っている。
    まず、目の前の困っている人を手助けすることが優先だからだ。
    声をかけることなんか、恥ずかしいことではない。
    困っている人が居たら、それは人として当たり前のことだからだ。

    「何かお困りですか」
    「私にお手伝いできることはありませんか」
    それでいいと、私は思っている。

    しかし、特別支援教育では、インクルーシブ教育と言いながら、
    この言葉と態度とを教えてはいなかった。
    それは、特別支援教育の哲学でもあり、生き方でもあった。
    「困っている人が居たら、傍に居る人は誰でも助ける。」
    それは障害のある人だけではなく、老人や、病人や、心病む人や、弱き隣人誰でもだ。
    「彼、彼女は、私なんだ。」
    そうした共感的な想いを独り独りの魂に育てることも、
    特別支援教育では大事なことだった。

    その人は、変われない。だから、私たちが、変わる。
    特別支援教育とは、私たちがどう生き方を変えられるかの教育であるのに、
    そのことを明確に言わない社会であるから、
    いっこうに社会の中で困り感を感じ、孤立して、
    命まで落としてしまう人がなくならない。

    その視点を180度変えことの大切さを教えてくれる本物の先生は、
    いないものだろうかと、法律とノウハウの話ばかりのつまらない講義を聴いて、
    「そんな話はもういいよ」と、抗議したかった私だった。

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  • from: クマドンさん

    2016年08月24日 06時40分33秒

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    当たり前がありがたい。

    座っていると、腹筋が固まってしまうのか、動き出すと痛みを感ずる。
    固まってしまうと、柔軟ではなくなるので、痛みを感ずる。
    いかにして、その固まった筋肉を柔らかくするかだ。
    しかし、それもあなた任せ。
    私の身体のことは、私の身体に聴いてください。

    今朝、日報を見たら、私の一言にこんなことが書いてあった。
    「当たり前の反対は、何だと想いますか。」
    「当たり前の反対は、感謝ですよ。」
    反対かどうか分からないが、
    私たちは当たり前を当たり前として日々素通りしている感がある。

    今朝、こうして起きられたのも、朝日を浴びて庭で水やりできるのも、
    こうしてパソコンに向かって言葉を紡いでいるのも、
    朝ご飯を食べられるのも、何よりもこうして生きているのも、
    それはみんな当たり前のことだった。

    でも、その一つ一つを数えながら、感謝していたら、
    どんなにかここにこうして生きていることだけで幸せなのか、
    きっとそんな当たり前の幸せを発見できるのだと、私は感じている。

    実は、当たり前とそうではない状況とは、表裏一体。
    私が突然の発作で、入院手術をしたように、
    そうではない状況にいつなんどき、なってしまうかは、誰も分からないことだった。
    どうして私が・・・・。ではない。
    本当は、どうして私がこんなにも当たり前の生活ができるのか、
    ありがたいなぁ。感謝だなぁ。となるべきだろう。

    そうなっていないことは、天からの恵みである。
    そして、当たり前の全てのことは、やっぱり天からの恵みだった。
    自分の意志や想いや願いで何とかできるなら、何とかしてみるがいい。
    この身体のことだけでも思えば、
    自分とは関係なく、自ずから然りで、淡々と生きている。
    私がかかわってどうこうできることの、本当に少ないことを実感、実感だ。

    目が覚めないこともあるだろう。
    突然、心臓発作に襲われて痛みに苦しむこともあるだろう。
    通勤途中に交通事故に遭うこともあるだろう。
    私だけでなく、家族一人一人がこうして健康で、同じ家で暮らせることの幸せ。
    そう考えたら、今朝もお日様が眩しいことも、やっぱりありがたいことだった。

    在ることを感謝する。
    S叔母さんに言ったように、手を合わせてみる。
    そうやって生活するうちに、
    どんどん自分が居なくなっていくこともきっと感ずることだろう。
    自分がしているのではない。
    自分はあの花たちと同じようにして生かされている存在だ。

    私は、この腹筋の痛みと、大きな腹の穴を見る時、
    そうだよなぁ。私じゃないよなぁ。と、つくづく感ずる。

    今日も、朝をありがとうございます。
    本当にこれしかないなぁと、今は思う。

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  • from: クマドンさん

    2016年08月23日 06時20分00秒

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    在るの物語

    腹の穴に指を突っ込むと、ごつごつと固い筋肉とぶつかる。
    今、この部分で私の皮下部分は創られている。
    その技と力とをただ信ずるだけだ。
    身体のことは、身体に聴く。
    身体のことは、身体にお願いする。
    任せて生きる。
    すると、こんな身体でも少しは楽になるものだった。

    昨日、小千谷のSさんからの電話だった。
    「生きる」についてこんなに楽しく話せる人は、Sさんしか私は知らない。
    いよいよ「新潟県の森」についてのネットワークができそうだった。
    それぞれの地域で、それぞれの活動をしている人たちを訪ねたら、
    どうもみんな大きな一つの想いによって活動しているのではないかと分かった。

    津南や湯沢の森を訪ねた時、
    私たちは何だかとてもとても懐かしい故郷に帰ったような気持ちになった。
    それは、山古志や小千谷の東山でも同じだった。
    そこで感じられたものこそ、私たちが森に求めるものであった。
    しかし、それがいったい何であるのか。
    こんなにも自分の生き方そのものとかかわって、
    ここに生きているその時味わった感覚とは、いったい何なのか。
    その答えを、これからも探したいと二人で語った。

    新潟には山間地に里山があり、棚田があり、そこで昔から農を営む人たちがいる。
    そこに行って、その風景を観て、その風土に触れ、その人たちの話を聴く。
    すると、どういうわけか忘れかけていた原点に戻れる気がした。
    この棚田のど真ん中で感じられたあの懐かしい原点とは何か。
    その何かを言葉に表したいと二人で語った。

    私たちは、「がっこうの森」というコンセプトで、三年間その森を訪ね歩いた。
    その旅は、その森を訪ねる旅でありながら、
    これからいかに生きるかを訪ねる旅でもあったような気がする。
    三年前、この旅を始める前と、今とでは全く違っている私がここに居る。
    それは、私がこの三度の手術から生還して、今もここにあるからだけでなく、
    その「生き死に」から感じたことが、
    私たちが訪ねた里山や棚田やそこに生きている人たちに在るからだと感じている。

    私たちが知らずに求めていたものが、ここにはリアルに存在していた。
    いや、私もそのリアルな存在の部分集合であり、現象の1つだった。
    私は、里山に入ることで、里山を感ずることで、私を再発見した。
    きっとそうなのかも知れないと今は思っている。

    私の生きるのモデルは、ここにリアルに存在している。
    どうしてこんなにはっきりと「在る」のに、分からなかったのだろう。
    ずっとずっと生まれてからこれまで、
    「在る」から離れたことも、「在る」を失ったこともなく、
    常に、いつも、ここに「在る」によって生かされてきたのに、
    今も、この瞬間も、この「在る」が生かしてくれているのに、
    それに気づかずに、迷いばかりで、あっちこっち探し回って生きていたのか。

    私たちは、きっとこの里山で「在る」に出会ってしまったのだろう。
    しかし、その「在る」とは何か。
    それをどのようにして表現したらよいのか、
    その「在る」の実存をどのようにして分かち合えたらよいのか。
    そのことが、今の私たちには分からなかった。

    そこで、この新潟県各地の里山と森と棚田とで、
    営々として生きて来た人たちのお話しを聴いてみたいとなったのだった。
    そう生きている人たちこそ、その「言葉」を語れる人たちだからだ。
    私も、その人たちの話を笑顔でゆっくりと聴いてみたいと願っている。
    あの高柳の紙作り職人のKさんの語りには、滂沱の涙だった。
    私の中にある「在る」がどっと感じて動き出す。
    その瞬間、私は涙でそのリアルを確認する。感動する。

    涙を流すことばかりになってしまった私は、
    そんな「在る」に少しずつ近づいているのかも知れない。
    最近は、池田晶子さんの言葉一つ一つが身体に沁みるようなのだ。

    さて、そこでSさんに言われた。
    「クマさん、何とかそれを表現できないでしようかね」と。
    あっそうか。私のできることはそれだったなぁ。と、その時感じた。
    「森の物語ですよ」と、Sさんに言われているような気がした。
    そうか。森の物語だな。それも里山の、棚田の、そこに生きて来た人たちの。

    「在る」は、「在る」
    しかし、それは流転し、流れ行く「在る」だった。
    だから、これですと手の上に乗せて差し出すことはできないし、
    ましてや、こうですよと、言葉では表すこともできない何かだ。
    だから、「物語」があるんだと、池田さんは教えてくれた。
    イエスも、たとえで語った。彼の言葉は、在るの物語だ。

    在るの物語。
    それは、既にここにきっと存在しているはずだ。
    しかし、誰かがそのことに気付いて、読み解かない限り、
    その物語は幻のままである。
    あっちとこっちとの間にこの物語は存在している。

    さて、「なぜ、善は存在しているのか」は、池田さんの本の帯の言葉だ。
    さて、「なぜ、物語は存在しているのか」は、
    私がずっとずっととらわれている問いである。

    誰かこの物語を語ってくれる人は居ないのだろうか。

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  • from: クマドンさん

    2016年08月21日 17時10分58秒

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    物語を待っている

    さて、何もしない日曜日。
    もうこんな時刻になっていた。
    サッカーの天皇杯の新潟大会決勝をテレビで観た。
    次男の友達が出場していた。
    この真夏の炎天下に、本当に熱戦を繰り広げていた。

    ここに居てもいい。
    どこかに行かなくても、ここでいい。
    年を取ったのだろうか、そんなことを感じている。

    昨日、「ウエストサイドストーリー」を観た帰り、
    ぶらぶらとやすらぎ堤を歩いていた。
    そして、テーブルを並べていた屋台で、生ビールを飲んで川を見ていた。
    ぎらぎらと太陽が照り付けて、痛いような夕方だった。
    川の中で大きな魚が動いたようだ。
    私はただ流れるまま流れて行く川面をずっとずっと見つめていた。

    昼には「あき乃」で、蕎麦の特盛だった。
    ちょうどそこに居た映像作家のTさんと話をしながら。
    伝えられるものは物語ではあるが、感覚的に伝わる何かだ。
    リアルな空気感とでも言うのだろうか。
    黒澤ではなくて、成瀬なんだ。
    感じられることの大切さ。
    きっとそこで感ずることでの、涙となるのだと、話を聴きながら感じた。

    その感じがつかみたかった。
    その感じを実感したかった。
    ミュージカルの歌にはその感じがある気がした。
    マリアの歌や、トニーの歌には、涙が流れた。
    一所懸命なその群舞には、圧倒され、涙が流れた。

    その感ずるものを創りたい。
    今は、ずっとずっと離れていたそうした物語が、
    再び私の中に戻って来ることを願っている。
    それでは、その物語とはいったどんな物語なのだろうか。
    その言葉が、私を通して、私を使って現れることを今は待っていた。

    すると、メデアシップで、懐かしい人に声をかけられた。
    劇団で一緒にやっていたHさんだった。
    彼とは、不思議なる出会いだった。
    彼は、私で、私が、彼でもあった。
    それは、家族のことも同じだった。
    「そうだよねぇ」「分かる分かる」が共通の想いだった。

    「飲みますか」と言われて、また萬代橋脇のテーブルに戻って行った。
    彼の母の話を聴いた。
    介護についてのこれからの話だった。
    何と彼は、私が手術をする時、
    手術室で背中の消毒をしてくれた、
    看護師のKさんの結婚祝いの二次会に参加するとのことだった。
    彼女もまた劇団の一人だった。

    そんな偶然は、やっぱり必然だったといつも感ずる。
    「またHさんと、一緒にやりたいなぁ」と、心から感じた。
    私は、そうやって語りながら、向こうからやって来てくれる物語を待っている。
    「新潟から新潟だけのミュージカルを発信しよう」
    「レミゼのような、レントのような、魂に響く物語を」
    それは、劇団のSさんとの昔々の約束だった。

    私の夢は、そんなミュージカルを創ること。
    だから、「春のホタル」はありがたかった。
    Hさんは、その舞台で主役を演じてくれた人だった。
    やっぱりここで会ったのは、偶然ではなくて必然だったと今も想う。

    昼には、小千谷蕎麦で、Tさんの映画講義を聴くことができた。
    感覚的に感じられるものを創ることだ。
    今、ここ、ここに在るものを在るがままに物語にできないだろうか。

    そして、劇団四季のミュージカルに感動をして、
    「ものがたり、ものがたり・・・」と、やすらぎ堤を独り歩いた。

    すると、劇団の仲間と出会い、
    あの頃の熱かった日々を思い出した。
    賭けていたし、本気だったし、馬鹿だったし、一途だった。
    ああ、お互いによき時間を生きたものだと、その感慨は2人とも同じものだった。
    「また、飲もうよ」と、握手で別れた。

    炎天下で熾烈を尽くして闘う者たち。
    その闘いに再び私も還りたいと、ふとふと想っている。

    何だかどう言ったらよいのか分からないが、
    「物語を待っている」
    静かに私の中で私だけの物語が発酵することを、待っているような気分でいる。

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  • from: クマドンさん

    2016年08月20日 10時17分54秒

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    ブラボー・シネウインド様

    リアルだなぁと、最近想う。
    リアルなものだけが、心を打つ、心に響く。
    涙とは、そのリアルとの出会いだった。
    涙を流すことが多くなった。
    オリンピックの闘い終わっての選手の歓喜と涙を見て、
    いつもいつも泣かされている。
    涙を流せることは、幸せなんだと、そんなことを感じながら。

    「花、香る歌」

    韓国のパンソリを女性として初めて歌ったチェソンとその師匠ジェヒョンの生涯。
    ラストの純粋で一途な二人の想いに、涙が止まらなかった。
    命かけで幼い王の前で歌うチェソン。
    ここで優勝しなければ、彼女と師匠の首は刎ねられる。
    それでも、彼女は歌うことを許されるために、王の前に出る。
    彼女は師匠を想い、師匠は彼女を想い、2人は見つめ合って花の想いを歌う。
    そして、彼女たちは優勝するが、
    宰相に見初められた彼女は、宰相の傍に残されることとなる。
    2人はお互いの深い深い愛を悟った。

    純粋なる魂の物語を、私も物語りたくなった。
    魂を語るのは、真実なリアルな物語だけである。
    魂は、作り物にはけっして宿らない。
    魂が宿る物語には、独特の空気感があるものだ。

    どこまで男と女とは純粋に一途に愛することができるのか。
    それは、見つめることであり、憧れることであり、歌うことだった。
    本当の歌とは、その魂からしか生まれないものではないだろうか。
    純粋に一途に歌う時、歌うのは彼女ではない。
    彼女の中で目覚めた魂、死者たちの歌声になる。
    だから、私の魂も震えて、ただただ涙する。

    私も、物語を語りたくなった。
    リアルなものだけが、心を打ち、心に響き、涙がそれに感応する。

    「ふたりの桃源郷」

    大事なことは、人は、老いて、死ぬという事実だ。
    だから、人は、どう生きて、どう死んだらいいのか考える・・・・はずだ。
    私は、父と母の老いと死によってそれを認めた。
    自然とは、かくあるものだ。
    いつか私もアディュと手を振り、ありがとうと去って行く。
    そんな自然な生き場所を、二人の父と母は、山奥の畑と田んぼと廃屋に求めた。
    25年間の記録は、人が生きて、老いて、衰えて、死んでいく記録だった。

    それをたくさんのお年寄りたちが見つめていた。
    前に座った老婦人は、ハンカチで涙をふいてばかりいた。
    ここの映る父と母の顔が、私の父と母の顔にダブった。
    きっとこの人も、老いた父と母を介護して、見送ったことのある人なのだろう。
    この映画館に集まった人たちは、みんなここに描かれた二人の生涯を、
    自分の父と母のこととして、きっと思っていたはずだった。

    「おお、どうしょばね。」
    「ほれ、難儀げらね。」
    後ろで観ている年配の女性の会話だ。
    黙って観ていられないほど、この二人の生活はリアルに伝わって来る。

    山暮らしできなくなった二人は、里の特別老人ホームに入居する。
    昼間テレビと炬燵の生活に耐えられなくて、車で山に帰って農作業をする。
    山の中でのんびりと風呂に入り、2人で缶ビールで乾杯する。
    おじいちゃんに癌が見つかり、入院する。
    それでも、退院したら子どもたち家族が二人を山に連れて行く。
    三女の夫婦は大阪の寿司店をたたみ、ホームの近くに住み、
    2人で畑をまた耕し、父と母とが開墾したこの場所を再生させた。
    その三女夫婦も60歳を越し、夫に癌が見つかった。

    おじいちゃんは、92歳で亡くなった。
    遺されたのばあちゃんは、認知症が進み、おじいちゃんが亡くなったことも忘れた。
    山の畑に連れて行ってもらうと、おじいちゃんを心配する。
    どこにいってしまったのかと、「おじいちゃん」と森に向かって呼びかける。
    ここは、2人が生きた場所。
    ここで2人は助け合い、支え合い、話しながら、年をとった。
    2人は、どんなに子どもたちから促されても山を下りなかった。

    この二人の気持ちが、何だか分かり過ぎるほど、感じられた。
    「生きるって何だろう。」
    「夫婦って何だろう。」
    「親子って何だろう。」
    「老いるって何だろう。」
    「死ぬって何だろう。」

    私は、そのことを思い悩みつつ生きて来たようだ。
    そして、この二人に出会ったら、
    「ああ、そうだったんだ。これでいかったんだ。」と、腑に落ちた。
    大事なことは、私自身も「生涯」を考えることなんだ。
    そして、考えたまま、魂の命ずるままに生き切るということなんだ。

    2人は、見事に生き切った。
    そして、この映画は見事にその二人の生涯を記録しきった。
    死は、けっして終わりではない。
    私は、切なくなり、無性に亡くなった父と母と会いたく、会いたくなっていた。
    「おとうちゃんと、おかあちゃんに、会いたいなぁ。」涙、涙、涙。

    魂のリアルだけが、傑作の物語と生涯とを語るものだ。
    そして、それは全て死者の語りでもあった。
    その声やその歌声が聴こえるだろうか?

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  • from: クマドンさん

    2016年08月19日 10時26分29秒

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    何だかずいぶんと楽になった

    昨日、妻の実家からもらった柑橘系樹木の植わった鉢に、
    親指ほどの太さのアゲハチョウの幼虫を見つけた。
    樹は幹を切られて、20センチほどの高さで、
    葉っぱもやっと生えた若い葉がちょろちょろだった。
    その葉を旺盛な食欲でバリバリと食べていた。
    しばらくすると、もうその樹には食べる葉がなくなってしまった。
    可哀想に、このまま飢えてしまうのかと、何とかしたくなった。

    出かけた帰りにコメリに寄った。
    ポンカンの樹を一本千円で購入。
    これでしばらくは幼虫の飢えをしのげると想い帰ってみると驚いた。
    幼虫の姿がどこにもなかった。
    葉っぱを全部食べつくした後で、
    自身が鳥にやられてしまったということか。
    私は、仕方なくポンカンの樹を花壇の真ん中に植えた。

    ほんの短い出会いであった。
    かの幼虫は、去って行った。
    しかし、その去り方、消え方が実に自然で潔かった。

    お腹の穴をまじまじと見つめる。
    確かに深さが増していた。
    人差し指の第一関節がすっぽりと入る。
    広さは直径3センチの円形の穴だった。
    その穴がここにある。
    これもまたリアルな自然だと、何気なく想っている。

    だからどうしたのか。
    身体が身体として機能して、きっと働いてくれている。
    いつも腐ったような匂いを感じ、動くとちくちくと痛みも感ずる。
    すると、だんだん身体が私ではないもののように感じられてきた。
    不思議なものだが、そんな身体の変化を傍観している。
    それは、あの幼虫を見つめていた目である。

    リアルなものがどうなんだろう集まって?私を創っている。
    私は、リアルな一つだ。
    そのリアルさは、あの幼虫にも、あのポンカンの樹にも、萎れた花にもそれはある。

    同じだなぁと、ふと感じた。
    何も足さない、何も引かない。
    あるがままにあるがままを見る、感ずる。
    そのぼんやりした私という、私。

    かのものの死を、このものが生き。
    かのものの生を、このものが死する。

    何だか分からないが、頭を捨てて、のほほんとそのままに生きると、
    ああ、これでよかったんだと、想えるようにもなってきた。
    幼虫は、何も感ぜず、無心に喰われた。
    でも、幼虫はいなくなったわけではなかった。
    ああ、まだまだ存在しているではないか。

    きっとそうなんだ。
    リアルは、今、ここにだけ存在するものだ。
    そして、そこには全てがあり、全てはプロセスのまま存在し続ける。
    何も消えない。何もなくならない。ここにあるだけ。それはそのまま。

    これだ。あれだと、説明したら、それは見えない。分からない。
    それは、今、ここに、通過している、過ぎ去っていく、流れて行く、
    そうそのまま、そのまんま。それでいい。それがいい。

    私もきっとそうやって創られている自然の一つ。
    幼虫とポンカンと私。
    それは生かされているいのちとしては、同じもの。
    私は、幼虫であり、ポンカンであり、私であることもある。

    エゴを捨てると、その目が開ける。
    空ほど、全てが満ちてあらゆるものであるものはない。
    だから、すっかり自分のことを忘れると、すっきりするんだ。
    この穴の開いた身体は、自然なる身体だ。
    ここで動いている働きは、全ての働きと同じ働きだ。
    だから、任せて、死ぬ時には死ねばいい。

    死ぬということは、本当にあるのだろうか。
    死ぬこととは、終わることではないと、今はそう感ずる。
    死ぬことで繋がり、生誕する向こう側があるからだ。
    そのすっぽぬけた、向こう側とこちら側とのひと繋がり。
    ならば、あっちとこっちとで始まりも終わりもないのだ。

    そこから、私も、あなたも、生まれて来た。
    私であり、あなたである、そのキャラクターは確かに限定されたものだった。
    そこには、個性と言う個別なる違いは存在している。
    しかし、そこから生まれたのだから、同じ父と母とをもつ人と人なんだ。

    不死なるものが、死するものとなり。
    死するものが、不死なるものとなる。

    死するものと不死なるものとは、ひとつで同じ。
    万物斎同。
    あるものしかない。

    私が私にこだわる限り、私が私のエゴに聴き従う限り、
    「眼横鼻直」は、絶対に見えないものだ。
    もうすっかりどこにも存在しない過去にこだわり、
    何が起こるかどんなことになるのかも全く分からない未来を憂い、
    私は、いったい何をして、何を考え、何に迷って生きていたのだろう。
    過去の私も、未来の私も存在はしない。
    そんなもの全くリアルではないんだ。

    リアルとは、この大いなる広大無辺な魂に包まれ、魂に生かされ、魂のまま。
    きっとその言葉が聴こえてくるはずのその言葉。
    同じところから、私のために個別に聴こえる言葉。
    その言葉を通して、感動を通して、腑に落ちたままに、
    その生を生きる。
    人生は、死者の物語を生きる舞台なのかもしれないなぁ。

    溶ければ、満る。
    確かに、宇宙はここにある。
    ならば、そのままに生きるだけ。

    忘れよう。私のことを。
    私は、死んだ。
    そう、死んだようにして、今日、今、ここに生かされればそれでいい。
    そうならば、死んでいるのだから、いつ死んでもいいではないか。

    このことを知らない内には死ねなかったけれど、
    何だかもう少し、もう少し(実はここからが遙か彷徨なのだが)のところに来たら、
    「もう、いいよ」って言えるかもだ。

    池田晶子さんなんだなぁ。
    昨日がっちがっちの結び目がほどけたようで、
    頑丈な壁で遮られていたものががらがかと崩れ、
    どっと溜まっていた水があふれだすように、
    何かが内からほとばしり、溢れ、流れ出して止まらない。

    説明はできない。これだとは言わない。いや、絶対に言えやしない。
    だから、仏に会ったら、仏を殺す。
    きっと私は、物語でしか語れないのだろうと想った。

    いいんだ。そのままで。
    私だけでなく、妻も、長男も、次男も、叔母も、みんなも、誰も彼も。
    「それでいいのだ」byバカボンのパパ やっぱり名言だね。

    どうしてこんな当たり前のことが、分からなかったのかね。
    やっぱり年はとるものだ。
    やっぱり苦労はするものだ。
    そして、手術は受けるものだね。

    何をどう説明もできないし、そんな気も全くなかった。
    「どうでも、いい」は、楽な楽な生き方だった。

    このお腹の穴からは、臭い臭い匂いがする。
    これは、私がいただいた身体だった。
    その身体は生きようとしている。
    しかし、無理なんだと悟ったら、きっと撤退して、弱り、衰えるだろう。
    それは、それで、やっぱり、「どうでも、いい」ことなんだ。

    あの幼虫もそうだった。
    腹いっぱいに葉っぱを食べた後、突然鳥に食べられた。
    無心で食べられ、やっぱり、「どうでも、いい」だった。

    自然の命とは、「どうでも、いい」の働きなのだ。
    だから、感ずるままで、十分なのではないだろうか。

    何だかずいぶんと楽になった。

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