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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2011年03月25日 06時28分08秒

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    絆がドラマを生む

    いまどんどん雪が降っている。
    もう春が近いと言うのに、これが新潟の気候なんだ。
    東北地方の天気はどうなのだろう。
    未だに原発は放射能を出し続けているのだろうか。

    作業員3名の方の被曝が報じられた。
    水道水の放射能汚染もある。
    これは日本の話だとは想われないニュースばかりだ。
    放射能が当たり前になってしまった社会とは、何か恐ろしい社会ではないだろうか。

    この雪の中に、大量の放射能が混じっていないことを祈っている。

    昨夜、久しぶりにドラマを観た。
    三谷幸喜作「家族の歴史」だ。
    主人公の長女の年代が、母と同じなので、母にも観るように言った。
    母はいつもはとっくに寝ている時刻なのに、
    炬燵の中から顔だけ出して、最期まで観たようだ。
    「よかったよ」と感想を言っていた。
    それは、自分が歩んで来た時代そのものであり、
    昭和を生きた人の歴史そのものだった。

    太平洋戦争が母たちの青春時代だった。
    東京にいる叔母たちのために、物資を運んだ話をよく聞いた。
    敗戦のどん底でも、日本人は逞しく生きていた。
    一人一人が生きるために必死な時代。
    こんなことでへこたれては生きてはいけないという気概と強さが日本人にはあった。

    ダンスホールは、父がよく通ったそうだ。
    そんな父をホールの前で待っていたこともあるそうだ。
    父と母との結婚は、昭和31年だ。
    そう言えば結婚した日を私は知らない。
    最初は母の実家での居候。
    それから父は実家を出て、分家として家を借りた。
    その翌年の8月に私が生まれた。

    本当にまだまだ日本中が貧しさの中で生きていた時代だった。
    その後、戦後の目覚ましい経済的な復興は、奇跡のように行われた。
    確かに、我が家に電気冷蔵庫が入り、電気洗濯機が入り、
    そして、テレビが入って来た。
    いつのまにか隣りの家ではカラーテレビを観る時代がやって来た。
    「黄金バット」のカラー版を今でも覚えている。

    何故、今この時に「家族の時代」を再放送するのか。
    それは、そこに家族と共に逞しく行き抜いて来た日本人の原点があるからだと私は想った。
    私の家庭もいろいろな困難な状況にぶち当たり、途方に暮れたことは何度もあった。
    あんなことも、こんなこともこの小さな家族を襲って来た。
    「どうして家だけが」と、そんな嘆きも何度もあった。

    しかし、こうしてこの春の雪の下、ひっそりと生きていけるのは、
    この家族が一緒に生きていてくれたからではないだろうか。
    独りぼっちではなく、父も母も居てくれた。
    今は、妻も長男も次男も居てくれる。
    そんなお互いに寄せる想いが、生きる力となり、生きる励みとなっている。
    「家族の歴史」とは、「家族の時代」であり、
    今こそ持続可能な日本を再び創り上げるために、
    「家族の絆」こそ大切にすべき時代になったのだと、
    作者が語っているような気がした。

    私は舞台の脚本を書く一人として、三谷さんの信奉者である。
    そして、私の脚本の先生は倉本聡さんである。
    二人のドラマには、私の大好きな人間らしい人が出ている。
    そして、根底にはヒューマンがあり、温かな涙があった。
    そして、何よりもドラマにはその時代に生きる人たちに、
    伝えるべきメッセージが存在していた。

    85歳の母が、炬燵の中で「よかったよ」と言えるドラマだからこそ、
    この大震災と原発問題の最中に放映されたのだと想っている。

    願わくば今回の東区市民劇団「王瀬の長者」特別編が、
    観客にとっての感動の舞台であったらありがたいと想っている。

    私たちは、ドラマのようには生きられない。
    しかし、家族と言う絆の中で、
    一人一人がドラマを創りながら生きることは可能なのだ。
    今、日本中のあちらこちらで、そんな熱い涙のドラマが生まれているはずだ。
    「その絆は、決して断ってはいけない天の掟なのだ。」by「王瀬の長者」徹造
                   

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  • from: クマさんさん

    2011年03月24日 06時25分21秒

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    手遅れになったら、いつまでもダメージは残る

    ダメージがまだ残っている。
    肝臓辺りに違和感がある。
    何よりも慢性的な疲労感で、起きることもやっとだった。
    自分の体が自分のものでなくなった感じは、何だか怖いものだった。

    その原因が分かっているのならば、その原因を取り除けばいいのだ。
    しかし、そのことをやり切れない自分の弱さと浅はかさが悲しくなって来る。
    我が家の変化は、この春大きい。
    それなのに親父が先週受けたダメージからまだまだ回復できないでいる。

    長男は、既に入学手続きを済ませ、引っ越しを待っている。
    予備校時代の友達と会い、お互いの進路を確認し、健闘をたたえ合った。
    心はもはやこの家にはなかった。
    次男は、昨日も高校のサッカー部の練習に参加した。
    彼がサッカーを続けてくれることを願っていた親父だった。
    彼は志望校に合格し、サッカーをまたやる気になってくれたようだ。
    毎日数キロ走り、朝はリフティングで鍛えている。
    何だか逞しくなった次男が眩しかった。

    春は次の希望へのスタートの時期でもある。
    こうして自分の進路を決め、それに向かって意欲を燃やす二人を見て、
    当たり前がこんなに素晴らしいことなのだと、つくづく想った。

    今、福島県から避難している人たちが、新潟県には一万人近くいるらしい。
    その中には、病気を抱えているひとや、独り暮らしのお年寄りや、障がいのある人もいるはずだ。
    その人たちはどんな気持ちで避難所で暮らしているのだろうか。
    そうした社会的な弱者に対しての特別な支援を行う余裕は、
    市町村の行政にはないだろうと想う。

    その中に、小・中・高の子どもたちも大勢いることは報道で知っている。
    その子どもたちは、学校へ登校できないのだ。
    教科書や学用品もなく、クラスの友達ともバラバラになっている。
    何よりも学校で学ぶことの見通しが全く立たない現状なのだ。
    それは、一つの家庭では何ともできない大きな課題だと私は想う。
    特に義務教育の子どもたちの「教育を受ける権利」はどうなったのだろうか。
    未曾有な災害は自然災害として考えなければならない部分があるが、
    原発事故については、これは明らかに一企業が起こした人災なのだ。

    この企業が犯した罪は計り知れないものがある。
    「国民が生きるための権利」
    「国民が健康で文化的な生活を行う権利」
    「国民が仕事をする権利」
    「国民が家族と共に平穏に暮らす権利」
    「国民が教育を受ける権利」
    こうした権利を侵害し、その一人一人の幸福な生活を奪い去ってしまったのだ。
    それも、日々その汚染の範囲を広げ、
    どれだけの国民を絶望的な状況に追い込むつもりか分からない。

    国は、野菜の出荷停止や水の放射能汚染の危機を警告する前に、
    現在稼働している全ての原発を即刻停止し、
    再度今回の震災規模に適合した安全基準を設定し、
    全ての原子炉の再点検を行い、
    再稼働については、
    半径30キロの市町村に住む全ての住民の住民投票で決する法律をつくるべきなのだ。

    福島県や栃木県・茨城県・群馬県の農家の人の苦悩ははかりしれないものがある。
    ならば、今後原発の稼働の可否については、
    こうした放射能被害を被る可能性のある国民が決定する権利があるべきではないだろうか。

    この国は、民主主義の国だったはずだ。
    一営利企業はこの被害全て保障するだけでは済まない人道的な責任をどう果たすか、
    これも国民がしっかりと見つめている。

    とにかく、手遅れにならないうちに、柏崎と刈羽の原発を停止すべきだ。

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  • from: クマさんさん

    2011年03月23日 06時12分13秒

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    ダメージからの回復を

    演劇の上演が終わってから10日たった。
    一度燃え尽きた体は、なかなか復活しなかった。
    アルコールによる消毒のせいもあるが、
    ガンマーの値が高くなり、とにかく体がだるく、走る気力も失せている。
    昨日は、起きることも難儀で、体が自分の体ではないようだった。

    この掲示板が書かれない日は、私が精神的にも肉体的にもダメージを受けた日だ。
    今月に入り、この劇の公演がらみで、とにかく疲弊していた。
    人間は、やっぱり生モノなのだ。
    もっともっとこの中年の体を慈愛すべきだとつくづく想った。

    連日の原発と大地震での被災地の復興の様子が報道される。
    あるものを分け合う。
    お互いにできる力を出し合う。
    弱い人たちを守り合う。
    お互いさま。お陰さまで助け合う。
    そんな人の人らしい温かな姿がこの被災した人たちの中に見られた。

    ある山の集落では、倉庫に何世帯も一緒に共同で住んでいた。
    食料はお互いにある物を持ち寄り、
    生活必需品もお互いに供出して共同の物資として使っている。
    水は山の水を汲み、燃料は薪を使う。
    自然豊かな環境で暮らしている人たちにとって、
    その自然こそ自分たちのライフラインだった。
    お風呂と洗濯も生活に欠かせないものだった。
    それはある道具を工夫して、作っていた。
    人間の知恵とは、こうした環境の中で生まれるものだった。

    「一人じゃないから、励まされる。」
    ある年取った男性被災者の言葉だった。
    一人じゃないことのありがたさは、
    病気な人、老いた人、家族のいない人には、最も感じられるありがたさだろう。
    その人と人とがこうした危機的な状況の中で自然につながっていくのだった。

    あるコンビニの店長が、駐車場を被災者に解放し、
    店の商品を提供し、小さなコミュニティーを作っている例が報道された。
    「この人たちのためにできることはしたい。」
    その店長の意気により、ここでは温かな炊き出しが毎日行われた。
    見ず知らずだった人同士が、声を掛け合い、助け合っている。
    ここでは、女性たちが料理を作り、男たちが火を焚いて、子供たちが手伝っていた。
    小さな共同生活の中に、とてもとても人間らしい温かさが感じられた。

    今回の原発で、私は「想定」と「絶対」という嘘・偽りが明らかになったと思う。
    「想定」とは、科学者が勝手に作った「想像」なのだ。
    「絶対」とは、それは科学者の傲慢と「希望的な想像」なのだ。
    そして、その「想像」や「希望」を遥かに超えているのが、
    この大自然なのだという、謙虚な想いが現代の社会には求められていることも知った。

    もう一つは、チェルノブイリとスリーマイルがあったのに、
    この福島で20年以上稼働している恐ろしい原子炉が存在していたということだ。
    リスクを想像するよりも、利益を優先する。
    それは、企業としては当たり前のことなのだろう。
    絶対の危機が来ても、廃炉を恐れて海水を注入する命令が出せなかった。
    企業とは、何を優先的に選択するか、この事態を見てもよく分かる。

    昨日、やっとこの企業の関係者が、
    避難所に謝罪に行ったのだという。
    故郷を追われ、学校を追われ、仕事を失くし、
    農業や酪農がが出来ない状況になった。
    いつこの放射線が無くなるのか全く見通しが立たない悲惨な状況になった。
    その被害は周辺の県にも及び、農作物が出荷停止となり、
    各地で買い取り拒否がせ起きている。

    本当は、原発を持っている県や市町村の長は、
    この大いなる失敗と被害から学び、
    県や市町村の住民の生命と健康と安全と財産とを守るために、
    即刻原発の停止を命じて、せめては安全基準を見直し、
    徹底的な追究を行うべきではないだろうか。

    福島の次に、新潟となるだろう。
    「想定」と「絶対」が存在しないことが証明された現在、
    新潟の危険性は、当然「想定」されることで、「絶対」に存在しないわけではないのだ。
    目先の利益だけで、住民の生活を危険に晒すことは、憲法違反ではないだろうか。

    まず、命と生活とを守れる行政でありたいものりだ。
    私は、原発のない新潟県であって欲しいと心から祈り、願っている。

    一度受けてダメージは、なかなか回復できないものだ。
    本日も私の体はぼろぼろだ。

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  • from: クマさんさん

    2011年03月21日 12時11分18秒

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    原子力 郷土の発展 豊かな未来

    連日の地震と原発関連の報道で、涙を流すことが多い。

    東京消防庁のハイパーレスキュー隊の隊長の言葉には泣けた。
    命懸けで日本を守ろうとしているその姿に、心が洗われる気がした。
    今回の「王瀬の長者」特別編で、良念という坊主が大水の中に飛び込んで行く。
    この危機を食い止めるためには、誰かが行かなくてはならない。
    そんな状況の中で使命感を持って放射能の中に飛び込んで行く。
    今もその人たちは懸命に働いている。頭が下がる。尊いことだと思う。

    80歳のお婆ちゃんと16歳の高校生が奇跡の生還をした。
    10日間もあの瓦礫の下で生き延びていたのだ。
    雪が降りどんなに困難な状況だったことだろう。
    声をかけ合い、冷蔵庫の中のわずかな食べ物を食べて命をつないだ。
    その生きる力に、感動した。

    そんな中で、本日の新潟日報からである。

    「海水注入をためらったのは長年の投資が無駄になることを心配したためだという。」
    「この災害は60%が人災だ」
    「福島原発事故 屋内退避区域 支援なし 不安増幅 住民次々故郷脱出」
    「地方自治体 政府見限る」
    「柏崎原発 安全徹底を 3首長、東電に申し入れ」
    「原子力損害賠償法では原発や核燃料加工施設で起きた事故について、原子力事業者に賠償責任を課している。」
    「国は例外規定を適用せざる得ないと判断に傾いた、本来は東電が行うべき賠償を国が肩代わりすることになる」
    「東電も賠償責任は免れないとみられるが、国との費用分担は法律上明確ではない。」
    「国による損害賠償の財源には税金の投入が避けられず、東電との分担が焦点となりそうだ。」

    「原発まで距離3キロ 限界超す測定器」
    特に豊田直巳さんの最前線・福島レポートは読んでもらいたい。

    この企業天下りが多い企業だ。
    もちろん何千万円の退職金は返納するだろう。
    重役・役員は給料を全額災害見舞金として送ることだろう。
    企業として義援金を何十億も出すことだろう。
    企業がどれだけ災害の被害を受け、苦しみの中にある人たちを涙をもって支援するか。
    それを日本中の国民は見つめている。

    税金が1兆円の規模で投入されるという。

    「原子力 郷土の発展 豊かな未来」
    柏崎や刈羽の人たちはどんな気持ちで生活しているのだろうか。
    今日も原発は稼働している。

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  • from: クマさんさん

    2011年03月20日 10時46分48秒

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    命を守る。自然を守る。

    本当にいろいろとあり過ぎた一週間だった。
    長男の大学合格、次男の高校合格、親父の劇の上演。
    その最中に、東日本大地震と福島での原発事故。
    津波で壊滅的な被害を受け、多くの尊い命が失われた。
    ただただ涙、涙の毎日だった。

    新潟市にも何千人人が避難してきたことだろうか。
    市の体育館の様子が報道されていた。
    みんな安堵と共に今後の不安と家族の安否とを訴えていた。
    新大前の不動産屋さんには、福島から移住希望者が何組も来ているとのこと。
    津波だけでなく、この被災者の中には原発の被害を恐れて逃げて来た人も多いと聞く。

    被災者数が36万人以上とあるテレビ局が発表していたが、
    ここには原発の被災者が含まれていないそうだ。
    津波の被害を幸いにも受けなかった人たちも、
    目に見えない放射能の恐怖で、全てを捨てて逃げ伸びて来たのだ。
    しかし、そんな惨状と被災者の情報を伝えるべきマスコミは、
    既に報道番組を減らし、普段の番組編成に替わっていた。

    日本中が今見つめ、心配し、考えなければならない現状がそこにあるのに、
    私たちからその悲惨な現場が遠のいて行くような悲しさを感じた。
    原発ではやっと電力を供給するための工事が始まったようだ。
    その最前線では、命懸けで放射能を浴びながら戦っている人たちがいる。
    水をかけても燃料棒の熱が一向に下がらない。

    この原発を落ち着かせるために、水をかけて、電気をつなぐ。
    何とも情けなく、お粗末な対策だ。
    原油タンクがむき出しで、バックアップの発電機が地下にあり、
    停電のために冷却システムが停止し、高温になり溶けだした燃料によりプールの水が熱せられて、
    水蒸気爆発を起こし、建て屋が破壊され、炉心がむき出しとなった。

    「止める」「冷す」「閉じ込める」原発事故の三原則だそうだ。
    素人の私が考えても、想定できる危機管理だと考える。
    想定外の地震は来る。では、どうするか。
    想定外の津波は来る。では、どうするか。
    タンクが流され、燃料が切れる。では、どうするか。
    冷却システムを動かす電源が切れる。では、どうするか。
    水蒸気爆発で建て屋が破壊された。では、どうするか。
    最悪の事態である放射能漏れが起こった。では、どうするか。

    そこまで「想定」しなければ、危機管理など存在しないと同然だろう。
    まさにこれは起こしてはいけない「人災」だった。
    私たちは、この事実を忘れてはいけない。

    今、国がしなければならないことは、この最悪の事態を想定をして、
    その上でいかにして国民の命を守るかと言う緊急な行動ではないだろうか。
    この愚かな企業のように起きてしまったから、焼け石に水をかけるようでは、
    多くの命がまた失われることになるのではないだろうか。

    この平穏な生活がこの新潟市でも明日はないかもしれないという状況なのに、
    テレビ局はその報道をやめ、この原発についての映像を映さないようだ。
    私たちはどうすればこの瞬間における原発の危機を知ることができるのだろうか。

    本日の新潟日報の窓に、「想定外ではかたづけてはならない」と、
    私と同じ意見が掲載されていた。
    何だか心強かった。
    柏崎刈羽の原発はこんな状況でもまだ稼働しているのだろうか。
    原発を監視する市民団体があるとも知った。

    私たちは今、何かに気づき、何かを真剣に考える岐路に立たせられているのではないだろうか。
    これからの方向を誤らぬためにも、
    しっかりと目を見開いて、今日本で起こっていることを見つめ、
    記録し、検証するひつようがあると思っている。
    だから、どうしてもこの原発を書いてしまう。

    子どもたちに美しい日本の自然を残してやりたい。
    縄文の祖先から受け継いだこの国土と豊かな自然を、
    私たちの時代で絶やしてはならないのだ。
    次の子どもたちに伝えるためにも、
    私たちはどこかで声を出し、
    命を守るための戦いをしなければならないのだと私は想う。

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  • from: クマさんさん

    2011年03月19日 14時30分10秒

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    原発か命か

    もしあの時、巻町に原発が建設されていたら、
    新潟市もこの退避圏内に入っている。

    町には金が必要だ。
    原発が来ると莫大な補助金がもらえて、仕事が出来る。
    原発が来るとみんな幸せに暮らせるんだ。
    と、誘致する時は金で住民の目をくらませる。

    しかし、事故が起こったらどうするんね。
    絶対に安全です。
    想定以上の地震や津波が起こっても、
    事故が起こらないシステムになっています。
    日本の原発は安全水準では世界一です。

    チェルノブイリやスリーマイルの例がありますよね。
    もし、地震が起こったら、自動的に炉心は停止し、
    放射能漏れなど絶対ないように万全の対策をとっています。
    日本の電力事象を考えたら、原発はなくてはならないものです。
    ここが駄目ならば、他を探しますぜ。

    その時、果たして反対運動は起きたはずだ。
    そして、反対派の理由は、科学的な根拠のないものと否定した学者もいる。
    そんな安全ならばと、市町村の長は住民を説得して誘致に乗り出す。
    そんな時には、反対派は少数派となってしまい、
    村や町のことを考えない者のように想われたりする。

    お前たちのおかげで、俺たちの町に補助金が来ねかもしんねれ。
    お前たちはこの町の将来を考えているのか。
    このままらと若い者が都会に出てしまう。
    原発があれば仕事があるんだがな。
    絶対に安全らと、偉い学者さんたちが言ってるねっか。
    何でお前たちは反対するんだ。

    そんなやり取りは、この福島の原発を建設する前きっと行われたはずである。
    巻町は、町を二分した争いになった。
    町長選挙で原発反対派の笹川さんが勝利した。
    そのおかげで、新潟市は原発の放射能汚染から免れたのだ。
    もし、あの時推進派が勝利していたら、
    私たちはいつまでもいつまでも被曝の恐怖に曝されたわけである。

    金と権力と利権の力で、造り続けられた原発が日本には57基?あるそうだ。
    柏崎の原発は何度事故を起こしたことだろう。
    情報は出さず、それをひた隠しに隠ぺいしようとして来た。
    今、原発推進派はこの福島の惨状を見て、どう想っているのだろうか。
    その原発のそばで生きねばならない人たちは、
    その原発の建物を見て、何を想うのだろうか。

    そして、その原発を誘致した市町村の長は、
    どんな責任を取ろうというのだろうか。

    一企業が犯した甚大な被害と市民の命への脅威とは、
    しっかりと一企業の責任として行動を起こし、
    何十万とし言う人たちに救援と支援の手を差し伸べるべきなのだ。
    あらゆる手を尽くしても支援物資を家に閉じ込められている人一人一人に運び、
    その被曝の怯えの中で、生きている市民に安心と安全とを与えることに、
    企業を上げて全力で向かうべき時なのではないだろうか。

    国は国民の生命と財産を守る義務が憲法で規定されている。
    その二つを危機に陥れたこの一企業の罪は重大だと私は想う。

    絶対に安全です。
    想定外の地震にも耐える設計になっています。
    事故が起こっても絶対に放射能漏れはありません。
    さて、こう言って建設させたこの企業は、
    国民に対して次に何を語るのだろうか。

    未だにこの企業の社長の謝罪会見はないのだ。

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    2011年03月17日 06時26分28秒

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    スリーマイルの現実

    スリーマイルの現地で監視活動を続けるエリック・エプスタイン氏の談話が新潟日報に掲載それた。

    「原子炉の温度が下がり事故が終息しても、その土地は使い物にならなくなる。」
    「国土の狭い日本なら広さにかかわらず、土地を取り上げられてしまうのは大打撃だろう。」
    「スリーマイルでは事故後32年経ても道路や施設の放射能は除去されていない。」

    「事故後に私たちが決めたのは、政府や企業の情報に頼らなくてもよいよう、
    自分たちの放射能測定のネットワークを構築し、核物理学者を参加させることだ。」
    「私たちは未来を自分の手で決する。だが、スリーマイル、チェルノブイリ、そして福島の人たちが逃れられないのは、
    事故の結末がどうなるかを決める力までは持てないことだ。」

    パリ共同
    「フランスの原子力安全局のラコスト局長は15日、
    福島第一原発の事故は、国際原子力事象評価尺度で上から2番目
    「レベル6」に相当するとの見解を明らかにした。
    1976年の米スリーマイルアイランド原発事故は「レベル5」とされており、
    それを超える重大事故との認識。

    86年の旧ソ連のチェルノブィリ原発事故は最も深刻な「レベル7」
    「原子炉格納容器は、もはや密閉された状態にない」として、
    放射性物質が放出された可能性に言及した。

    地震大国日本は、チェリノブイリとスリーマイルの教訓に学ばず、
    「絶対に安全だ」と言い切ったその言葉に騙されてここまで来た。
    今、毎日報道されている状況は、明日の新潟であり、
    全ての原発が稼働している地域なのだ。
    一市町村にその被害は止まらず、
    半径20キロ、30キロの土地は全て人間や生物が住めない死の土地となる。

    放射性物質で汚染された、米も畑の作物もその飼料を食べた牛や豚も全てを失う。
    住みなれた故郷から強制的に退去され、人と人との絆を失う。
    この豊かな新潟県の自然が、この美しい大地が、
    スリーマイルのような不毛な土地に一変させられる。
    どうしてこんなに自分たちの将来の生活がかかる大事なことに、
    私たちの意志や意見が反映されずに、
    知らぬ間にどんどんと進められて来たのであろうか。

    「想定内」の「絶対安全」と言って、
    この原発を日本中に造り続けて来た政府と都道府県と市町村と企業とは、
    この現状をどのように説明し、どのように解決し、どのように責任をとるつもりなのだろうか。

    この平和な日本に、今被曝を恐れて、家の中に閉じ込められている人たちがいる。
    世界で唯一の被曝国である日本が、
    今度は己の欲のために日本の国民を被曝者にしようとしている。
    この国は、何と思慮のない、浅はかな国だったのか。
    「電気」か「命」か。
    日本人はいつその選択をしたのであろうか。
    私には、その選択権はなかったのであろうか。

    私は、「命」を取りたいのだ。
    そして、原発ではなく、自然エネルギーと省エネで、
    原発に頼らない電力政策こそ、思慮深く、理性的な政府のする決断だと信じている。

    何故なら、チェルノブイリとスリーマイルと、福島があるからだ。
    とにかく世界中の英知を集めてこの原発事故を最小限の状況で食い止めてもらいたい。
    それは、祈りだ。

    原発を建て、維持する莫大な税金を、
    日本中の屋根にソーラーパネルを設置する費用に使いたい。
    電力は地域社会で造り、それを小さなエリアで備蓄しよう。
    そんなことはできないのだろうか。

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  • from: クマさんさん

    2011年03月16日 06時06分43秒

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    3月16日の報道

    地震発生から五日目の朝だ。
    新潟市でも計画停電が発表された。
    災害は人の命を奪うだけでなく、人の生活も奪い去ってしまう。
    まことに惨いことだ。

    家族や親せきを探すために、避難所を訪れる人たちの姿があった。
    運よく再会できた親子が涙で抱き合っていた。
    変わり果てた我が家に行き、茫然自失の60代の漁師さんがいた。
    船もない。家もない。火事で思い出も焼いてしまった。
    避難所では多くの人が肩を寄せ合って暮らしていた。
    食糧の備蓄が底をつき、救援物資を待っている状況だった。
    「助け合ってなんとか生きています。」
    公民館の館長さんの言葉が心にしみる。

    緊急を要するのは、病気の人たちだった。
    子宮がんなんですと語る女性には薬は届かない。
    病院では緊急用の医薬品のストックが底をつき、
    人工透析の患者さん用の薬が、あと10日分しかないそうだ。
    ここで病気を発症しても、手当ができないのだ。

    遠方の家族に無事を知らせるシーンがあった。
    「お父さんと、お母さんは無事だよ。」
    「危ないから、絶対に来ちゃだめだよ。」
    まだまだ家族や知り合いと連絡がつかない人たちが何千人といることだろう。
    ある町では消息が分かった人が半数で、
    たくさんの人たちがまだまだ生存すら分からない状況だった。

    余震は今も頻繁に続き、富士吉田市では震度5?の地震に見舞われた。
    日本列島で広範囲に渡っての地殻変動が起こっている。
    この岩盤のバランスが崩れ、その影響が連鎖的に起こっているのではないだろうか。
    日本そのものも、想像を絶することが、
    私たちのしらない地下で推移しているのかも知れない。
    「無常」まさにこれが現実なのだ。

    地震列島の日本のあちらこちらに原発が建っている。
    それも炉心を冷却するのに海水を使うために海のすぐそばに建っている。
    大津波は地震にはつきものなのに、こんなリスクの多い場所に建っている。
    災害時には、すぐに停止するはずの炉心が、
    今も高い温度を保ち溶けだそうとしている。
    炉心を冷やすための海水を注入するポンプの燃料が切れたからだそうだ。
    驚いた。そのタンクは津波にさらわれてしまったのだ。

    今も危険な状況は変わらない。
    水素爆発建屋を破壊して、原子炉がむき出しになっている。
    被爆の危険が大きく、高濃度の放射性物質が放出されているために、
    作業員が作業するのも危険な状況だそうだ。
    人間は、人間が創った太陽を制御することができなくなったのだ。

    半径20キロ以内の人たちは、強制的に退去させられた。
    今は半径30キロの人たちが屋内での非難を余儀なくされている。
    ここは津波の被害を受けた町だけではない。
    その町の人たちの生活や仕事や故郷や自然を、
    今人間の驕りが創った太陽が破壊しようとしている。
    もし、そんなことになったら、新潟県にも放射能は流れて来るだろう。
    田や畑を汚染し、海を汚染し、人の体を汚染し、全ての命を汚染する。
    放射性物質は人体の中では溶けないのである。

    柏崎で同じことが起こったら、どれだけの市町村に影響が及ぶことだろう。
    同じことがこの新潟県にも起こるとしたら、
    もはやその人たちの生活も家族も夢も、自然も農業も水産業も何もかも失ってしまうのだ。
    もはや「想定外」の言葉は許されないはずだ。
    全てのことは事実として行われている。

    地震と大津波は避けられぬ天災であったが、
    この原発については避けられる災害ではなかったのだろうか。
    地方には原発を必要とするだけの電力は求められていないはずだ。
    この電力、全て首都圏に送電されている。
    ならば都庁の脇に原発を建設すればいいのだ。
    莫大なお金を市町村がもらうことで、甚大なリスクを地方は負っている。

    さて、事実だけをこれからも記録したい。

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  • from: クマさんさん

    2011年03月15日 06時10分02秒

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    ただ涙

    何から書いてよいか分からないほどだ。
    この四日間の出来事は、人生を一変してしまう出来事でもあった。

    あの未曾有の災害を心から悲しみ、悼んでいる。
    あの町が全て津波によって消え去って行く光景には、
    涙が止まらなくなってしまう。
    私たちは、あの大地震・大津波に抗う術は無いのだった。
    突然、歴史的な地殻変動が起き、
    それが世界でも初めての規模の大地震を生みだし、
    そのエネルギーによって、大津波は発生し、
    その津波は、一気に陸に襲いかかり、
    全ての物を飲みこんで、去って行った。

    ここに一体何があったのか。
    ビルが数棟残された木材や車が散乱し、山積みされる平野を見ると、
    そこに人々の暮らしがあったことすら想像できない惨状だった。
    では、ここに生活していた人たちはどこへ行ったのか。
    逃げることができたのか。
    現在連絡が出来ない人が2万人以上いるという報道がある。
    この惨事は、地震列島である日本では、
    どこで起こっても不思議ではない出来事なのだ。

    炉心の隔壁が水蒸気爆発をして、微量であるが放射能が漏れた。
    炉心の内部では燃料棒が露出し、現在も温度を上昇させている。
    それを冷却するために海水を注入するポンプの電源をおくる発電機の燃料が切れた。
    炉心内の圧力を下げるためのバルブが故障して作動しない。
    このまま温度が上昇すれば、ウランを保護している金属が溶けてしまう。
    その後は・・・・・。

    想定外の出来事ばかりだ。
    しかし、この大自然の中での人間の想定とは、
    あの太平洋の中に浮かぶ小さなブイのような程度のものだと私は想う。
    全てのことは「想定外」なのである。
    だから、「想定内」で「絶対に安全だ」とは、
    人間は言ってはならないし、
    この事実の前に、いかに想定内とは危うい嘘・偽りであるかよく分かる。
    私は、ただちに日本中の原発を停止すべきだと願っている。

    何が一番大切なものなのか、今回の大災害で分かったのではないだろうか。
    それは、人の命だ。
    そして、その命を守るために、お互いに助け合う家族や地域の絆なんだ。
    一人では弱い。みんななら少しは頑張れる。
    家族がいれば力づけられ、隣近所の手助けがあれば生きる勇気も湧いて来る。
    災害に合って分かることは、人が生きるための原点だ。

    「命」と「絆」
    私たちは、私たちはもっと謙虚にそのことの意味を、
    一人一人が噛みしめる必要がある時代に来たのではないだろうか。
    あまりにも「己の欲のために」その「弱い人たちの命」や「家族や地域の人たちとの絆」を、
    ないがしろにしすぎてきたのではないだろうか。

    実は、土曜日の朝、大火事と洪水のシーンがある「王瀬の長者」の劇を上演すべきかとても悩んだ。
    今、目の前に起こっていること、そのものの劇なのだ。
    私は、迷い、苦しんだ。
    本当に本当に想定外の状況設定なのだ。
    しかし、リハーサルを観て、心が決まった。
    この劇は、今こそ魂を込め、涙を込めて、演ずる必要がある劇だと想ったからだ。
    ご批判は当然あることは覚悟だった。
    しかし、私たちの演劇を通した祈りが、
    ぜひぜひ届くべき人たちへ届いて欲しい。
    劇団員・スタッフ一同。本当に涙を流しながらこの役を演じた。

    劇中で私は二度大水に向かって飛び込み、二度死んだ。
    そして、そのたびに奈落の底から復活をした。
    疲れた。疲れた。ぼろぼろだった・・・・・。
    私は、舞台下の通路を通りながら、悲しくて悲しくて仕方なかった。
    感動ではなく、悲しみだった。

    午後1時からの公演を終えて、みんなが去ったステージの袖で、
    泣いた。泣いた。
    人間には涙があるんだ。
    人間には涙が必要なんだ。
    人間はもっともっと人のために熱い涙を流せるんだ。
    この涙は、私の人生を一変する涙だった。

    最後に舞台からこの劇団の想いを語らせてもらった。
    そこで気づいた。
    忘れていたのは、この「涙」だったのではなかったかと。
    もっと泣こう。もっともっと人の悲しみや寂しさのために涙を流そう。
    泣くことは、みっともないことではけっしてないんだ。
    泣くことで人は、人に戻るのだ。

    私たちにとってかけがえのないものは、
    「命」と「絆」と「涙」なのだ。
    私は、劇の公演の間、どれだけ泣き続けたことか分からない。
    いつの間にか、クマさんはいつでも泣いている人になってしまった。
    今も泣いている。涙が頬を伝い、落ちる時温かいのだ。
    涙とは、人の心の姿なのではないだろうか。

    宮沢賢治さんも良寛さんも涙の人だった。
    デクノボウトヨバレ ホメラレモセズ クニモサレヌ
    ソウイウヒトニ ワタシハナリタイ
    もっともっと日本中で涙を流そう。
    涙でもっとつながろう。

    無念にもこの災害で亡くなられた人のご冥福を心から祈ります。
    ただ涙です。滂沱の涙です。

    追伸:今走りながら気がついた。
       人は泣くことで、立ち上がれるのだ。
       泣くという字をよくよく見て欲しい。

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  • from: クマさんさん

    2011年03月11日 05時43分04秒

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    合格発表の朝

    本日2時に合格発表がある。
    本人が知らなくても、運命が既に決まっていることもある。
    次男のこれからの人生は、既に決まっている。
    しかし、本人も家族も誰も知らない。
    それは、私たち一人一人の運命も同じかもしれない。

    親父としてどう対応すべきか。
    いろいろなことを考え過ぎるほど考えてしまう。
    その時は、どうすべきか。
    しかし、いくら考えても決まっていることだった。

    今、彼の心の中で起こっている葛藤や苦しみが、
    彼の今後の生き方を決めるかもしれない。
    こうして自分の進路を自分の意志で決め、
    そのために努力してきたのも自分なのだ。
    「やるべきことはやった。」か、
    それとも、「もっとやるべきだったか。」は彼の心だ。

    どんな気持ちで会場に向かうのだろうか。
    友達も一緒だ。
    不安と期待と緊張が絞殺して、複雑な心境だと想う。
    人生に絶対はない。
    しかし、少しでもその絶対に近づくことはできる。
    そのプロセスで、どれだけ自分の力を発揮したかなのだろう。

    ここから先は、彼の人生だ。
    本日午後、彼の一つの人生の道が決せられる。
    合格を切に、切に、親としては祈っている。

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