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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

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  • from: クマさんさん

    2014年01月31日 06時47分31秒

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    朝方の夢

    寒い朝だ。
    目覚ましを消してまた二度寝をしてしまったらしい。
    起きたら六時を過ぎていた。
    日々の疲れが溜まっている。

    すごい夢を見てしまった。
    この夢のストーリーとは、ぃったい誰が考えるのだろうか。
    この奇想天外なる夢の脚本と演出と役者たちとは、
    私の中のどこに存在していたのだろうか。

    夢は、目覚めてからすぐに思い出さないと、
    また無意識の世界に消えていく。
    自分にすらその物語を忘れさせる。
    自分とは四分でありながら、不可思議な存在なんだな。

    その無意識な世界は、確かに自分の中で存在している。
    その夢を創っている自分と、その夢を見ている自分が居た。

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  • from: クマさんさん

    2014年01月30日 06時02分37秒

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    向こうから来るものは

    本日、やっとクマさんさんに戻った。
    なかなかこの設定が難しい。

    さて、人の生き方には、いろいろな道があると想ったほうがよい。
    自分はこうなんだとは、決めつけないで、
    世の中はこう生きることを求めているんだと、常識に頼らないで、
    案外、自分とはどう生きたらよいのかを、問い続けているうちに、
    向こうから何かがやってくるもののようだ。

    これまでの人生、振り返ってみたら、山アリ谷アリ、谷ばかりでもあった気がする。
    「クマさん、登り坂と下り坂と、まさかという坂もあるのが人生だよ」と、
    山の仲間に教えられた。
    「なんだ、俺の人生はまさかばかりだったなぁ」と、その時は想った。

    後から考えたら、と゜うしてこんなことを俺がしているのか分からないがね
    やっぱり俺がしなくてはと、やって来たことばかりだった。
    しかし、それは私がやろうとしてやってきたのではなく、
    やっぱり向こうからやって来たものなんだな。

    逆に考えたら、向こうからやって来たものだからこそ、
    私がやることができたのであり、
    私のようなちっぽけな男でも実現できたのだと想っている。
    つまり、実現したのは私ではなく、
    私にそれをやらせた、向こうの意志なんだ。

    だから、向こうから来たものならば、それは私でも実現可能な夢でもあるんだ。
    しかし、今は向こうからは、大きな声の呼びかけは無かった。
    一つだけ囁くようにその声は聴こえているが、
    今はまだその声の聴こえる方向には歩き出していない。

    56歳。やっぱり今日も迷いのまっだだなかだ。

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  • from: クマどんさん

    2014年01月29日 21時51分16秒

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    北斗七星だなぁ

    そうなんだなぁと、今は想う。
    人にこうだと語れるものが、私にはなくなってしまったようなのだ。
    無力感とでも言うのだろうか。
    この現実の風の中で、ただ吹かれつつ、飄々と生きている。

    ところが、身体がこのストレスに反応し始めたのだ。
    何だか夕方になるとがっと脱力感が身体を遅い、あぶら汗が出てくる。
    力が出なくて、その場にしゃがみこみたくもなる。
    辛いから、何も考えず、何もしないで、静かに窓の外の景色を見ている。
    朱鷺メッセのビルが見え、ばかうけ展望台の灯りが見える。
    今日は、夕日がとても美しく、そのビルに映えていた。

    低血糖状態なのだろうか。
    そんな中にあっても、私がこんなでも、夕日はいつものようにいつもの夕日だった。
    ある夏の日に、この夕日がとっぷりと落ち、空が茜色に染まり、
    いつの間にか見上げると北斗七星が柄杓を動かしている姿に出会ったことがあった。
    驚いた。奇跡だった。感動だった。
    ああ、宇宙全てのものはこの法則の中で生かされ、動かされていのだ。

    あれだけ広大なる、永遠なる宇宙の星星が、
    この宇宙が始まって以来から、ただその法則のもとに、
    森羅万象を刻々と動かしてきているのである。

    そこに、動かす動かし手としての主体は存在するのだろうか。
    自然とは、実は、こうしたつながりの中で、秩序をもち、
    ある意志の基で、いのちとしての存在を自覚しながら、
    あるがままに委ねて生きている、いのちの総体のことではないのかと、
    私は、その北斗七星を仰ぎ見ながら、
    この星を動かしている大いなる神秘なる意志の存在を感じた。

    しかし、そんな私が現実は、追い回され、やっつけられて生きている。
    世の中は、消えていく今、この瞬間でしかすぎないのだ。
    この大いなる神秘の意志とは、全く関係なく、そんな存在すらしらなくても、
    世の中は回っていくのだ。

    どこに己の居場所を置くかだろうといつも想っている。
    そこに置いたならば仕方ないのだ。
    そのまま、生きることしかできないのである。
    その他の生き方をしたら、自分にどう申し開きをすればよいのだろうか。
    この道を行く。

    人は、その道らしきものを見つけたのならば、
    やっぱりその道をあるかねばならないのだ。
    あの北斗七星のように。

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  • from: クマどんさん

    2014年01月29日 21時33分48秒

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    打たれ強くなるために、打たれる。

    今は、分からないことだらけだ。
    自分は良かれと思ってやっていることが、人からは批判の対象となる。
    私の生き方や、やり方が緩いからと、やっぱり批判される。
    そうなのだろうか。
    私には、このやり方しかないのにとは思うが、私の思いでは通らないのが現実だ。
    人は、人の仕事を評価する。
    私は、しょせん私のような男がと思うから、
    人のことは批判どころか、とやかくは言えないのだ。
    言えるような人ではないことがよく分かっているからだ。

    つまり、私の考えたように突き進むことは、
    時には、何も考えずに生きている愚かな生き方と見られることもあるのだった。
    そうかなぁと、私が思うから反省はないのだけれど、
    その人が言ったようにやることを私は自分の生き方としては受け入れられないのだ。
    しかし、言われた通りにやらないからと、またまた批判の対象となってしまう。
    だから、只今はしんなら強く、
    竹のようにして生きている。

    言ってくれる人。叱ってくれる人。批判してくれる人は、やっぱり我が師なのだ。
    56歳。そう言ってくれる人は稀なはずだ。
    それでも、しっかりと指導されるところが、
    私がやっぱり未熟で、愚かで、子供なのだとよく想う。
    私から見たらではなくて、社会的な一般的な常識的な立場からすれば、
    やっぱり、私は組織における異端児であるのだろうなぁ。

    朱に交わることをしない。
    そうしたら、どんな生き方を選択できるのであろうか。
    「サイの角のごとく歩め」と仏陀は言った。
    そうだろうな。生きるべき道は、やっぱり孤高なものなのだ。
    そこに生きたいのなら、批判やお叱りや指導は甘んじて受けねばならない。
    言われた通りに生きられない人には、徹底的に言われた通り生きるまで、
    辛い立場に置かれるのだ。

    その立場を選んだのなら、仕方ないんだ。
    後は、どう打たれ強く生きるかであろう。
    その時の心構えを鍛えるために、この日々の試練があるのかもしれない。







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  • from: クマどんさん

    2014年01月29日 06時18分20秒

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    具体的にどう生きるか

    さてさて、昨日ここへ書き込みしながら、三度消してしまった。
    こうして朝、親父達よを書く事もリハビリの一つと考えている。
    具体的な活動をすることで、何かが変わると思うからだ。
    とにかく本はたくさん読んだが、
    実はその読んだ分だけ忘れているので、
    さっぱりと想いの中には残ってはいないんだ。

    読んでいる間は、心が動き、感動はするのだが、
    やっぱりそこで終わってしまうもののようだ。
    具体的な行動の中に、本当の意味の分かるがあるからだろう。
    私は、今、その行動をお越してはいない。
    自分の中で変わるべきものがあるのに、
    自分の中で追い求めるべきものがあるのに、
    その行動を明日に伸ばしているようなのだ。

    人生50年からすれば、すでに余生である。
    この与えられたいのちは、やっぱり与えられた意味があるのだと想っている。
    「一隅を照らす人に」と、師からは言われている。
    ほんの社会の片隅で、無名であっても、その人がその人として生きることは、
    やつぱり、人としての光となるはずなんだ。
    それがいったい私にとっては何なのか。

    それを今は、知りたいと願っている。

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  • from: クマどんさん

    2014年01月28日 06時34分43秒

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    健康のために具体的な生活を

    生活を立て直すことから始めている。
    何事も具体的な行動が、人を変えると思うからだ。
    八ヶ月の間に、8キロ近く太ってしまった。
    全て内臓脂肪での蓄積だった。
    高血圧になり、高脂血症でもある。
    とうとう糖尿病にもなり、三大成人病のキャリアとなってしまった。

    悪循環は、そのままにするといつの間にやら取り返しのつかない状況になってしまう。
    おかげで毎朝薬を4錠飲んでいる。
    年寄りが大きな薬袋を抱えているわけがよく分かった。
    この年代になると、健康に対してホンの少しの油断が、
    いろいろな病につながっていることがよく分かった。

    何よりも、医療費が大変なのだ。
    二件の病院と薬局とをハシゴすると、1万円はすぐになくなる。
    病気とは、かくもお金のかかるものであったと改めて想った。
    医師からの指導を受けながらの生活改善だった。
    しかし、意志の弱い私には、なかなか実行できないことばかりだった。
    「腹八分目」だけには、気をつけている。

    最近、私をつくづく見つめることがある。
    あの突っ走っていた時代は、どこに行ってしまったのだろうかと。
    それは、後悔や寂しさでそう言うのではない。
    それは、それでよかったと、心から思いながら思い出しているだけなんだ。

    ただし、思った事は、生き方も「八分目」いや、「5分目」でもいいのではないか、
    と言うことだった。
    それが、心の健康のための生き方ではないかと、思える年代となったようだ。

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  • from: クマどんさん

    2014年01月27日 21時36分40秒

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    脱力感だよ。

    さてさて、若い人から見たら56歳のおとっつぁんなんぞ、
    何して生きてんだと想うことも自然だろうなぁと、ふと想った。
    かくいう私がそうだった。
    三十代のばりばりで突っ張っているとき、
    やはり、のろのろと生きている親父達が不思議だった。

    しかし、今は、その親父達の年になり、あることが分かった気もする。
    それは、この年にならなくては分からない一種の脱力感なのだ。
    気持ちがそんなに動かないのではない。
    やりたいことはそれなりにあり、夢もある。
    なのに、あの頃の猪突猛進の即行動力にはならないのだった。

    燃え尽きたのではない。
    やる気がなくなったのでもない。
    何とも言い難いが、無理せず、自然に、ひょうひょうと、なのである。
    それなのに、どうやってこの命を燃やしたろかと、
    虎視眈々と狙いを済ましている。

    とにかく、人々からの批判と逆風を受けながら、
    日々こうして生きているには、やっぱり意味があると想っている。
    この年になり、我が師たちの想いにやっと至ることができた。
    しかし、若者には、まだまだここに至るまでには長い長い我執の道がありそうだ。
    脱力感と書いたが、これが心身脱落となれば、道元の悟りの境地なのだ。

    ああ、苦難の道を歩き、嵐に胸を押されながら、それでも歩く菩薩の心。
    良寛さんが、やっとだんだん向こうから近づいて来てくれた気がする。

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  • from: クマどんさん

    2014年01月25日 14時34分14秒

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    山賊たちが集まった

    今日は、山賊の集まりだった。
    しかし、私は用事のために参加できなかった。
    山賊のみんなにはまたの機会をみて会いたいものだと想っている。

    みんな人生の先輩たちばかりだ。
    平均年齢は68際になっただろうか。
    75歳で現役に山の登っている人も居る。
    私にとっては、とてもかけがえのない先輩たちだ。
    山の会を創って、その人たちに山を伝えたのは、25年も前のことになる。
    ほんの数十メートルの低山から始めた山の会は、
    今では百名山を後、10山ほどのご夫婦も居る山の会となった。

    南アルプス、北アルプス、果ては、屋久島、九州の連山と、
    とにかく日本全国山を求めて旅をした人たちだった。
    現役を引退してからは、山三昧という人も居る。
    独りで飯豊に登り、独りで山形の山を歩いている人も居る。
    それぞれが、自分の目標をもって登っていた。

    昨年の夏合宿は、私は熱中症で散々な目にあってしまった。
    つくづく、自分の未熟さを感じてしまった。
    体調管理も、日頃のトレーニングも怠った罰だった。
    二日間、山小屋に停滞して、禁酒生活だった。
    私が居なくても山に登れるメンバーとなった。
    私がいるとかえって足でまといとなる山屋に育った。
    その山との出会いを創ることができて、
    私は、私なりに満足している。

    人は、やっぱり出会いだと想う。
    つくづく、今は山に帰りたいと願っている。
    また、山頂で菊水の缶を開けて、みんなのご馳走で酒わ飲みたいものだ。
    今年度の山行を今、神林で決めている。
    どんな山と今年は出会えるのか、
    そのためにも、8キロの減量が必要のようである。

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  • from: クマどんさん

    2014年01月25日 10時50分45秒

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    優しくありたいなぁ。優しさに出会いたいなぁ。

    また、消してしまった。
    どうしてこうなのかと、自分が情けなくも感ずる。
    ただし、修行を積むことで、この自分のだめさ加減に怒らなくなってくる。
    以前なら、短気な私は、きっとパニックになったはずだ。

    ちっぽけな私が、今朝、雨の中自転車で、万代島だった。
    海は灰色で、雲も灰色で、私の心も灰色だった。
    手袋も帽子も着けていなかったので、かじかみ、凍えた。
    それでも、黙々とペダルをこいだ。
    かじかむ身体には、手袋と帽子なのだ。

    それでは、かじかむ心には、何が必要だろうか。
    それは、やっぱり優しさなのだと私は想う。
    かじかむ心には、優しさである。
    しかし、世の中からだんだん失われていくものの一つに、
    この優しさがあるのではないだろうか。

    苦しみ。辛さ。哀しさ。心の痛み。生きづらさ。絶望、挫折、失望、無力感。
    さてさて、そんな想いを密かに抱えて生きている人が、
    実は多いのではないかと想っている。
    ところが、この厳しい現実の世の中では、
    その人たちは忘れられ、隅に追いやられることが多くなる。
    それは、弱さであり、愚かさであり、低い評価を受けることでもあるようだ。
    だから、みんなそんな姿を見せまいと、耐えて頑張って生きている。

    しかし、人には、できないときもあるのではないだろうか。
    自信をなくし、どうしたらよいのか途方にくれることもあると私は想う。
    その時だ、目の前に居るその人が、そんな心の苦しみをもっていたなら、
    その人の心の重荷を感じて、どうしたらよいのかを考えるのが人だと想う。
    感じたら、動く。
    それが、人としての優しさではないだろうか。

    そんな当たり前の優しさこそ、今は求められている時代なんだ。
    それは、共感であり、同情であり、相手の立場にたつて考えることである。
    自分より、まずその人を先に考え、尊重することでもある。
    それは、人に天より与えられた優れた力なのだと私は想う。

    優しくしたい時は、その優しさを遠慮することなく表現し、伝えたらいいんだ。
    ただ笑顔で向かうだけでもいい。
    挨拶をするだけでもいい。
    話を聴いてくれるだけでもいいし、じっと見つめてくれるだけでもいい。
    あなたのことを心配していますよ。
    そのメッセージが伝わればいいんだ。

    優しい人になりたい。
    そのために、人は試練と称する修行の場に追い込まれる。
    憂いとは、哀しみであり、辛さであり、痛みであり、挫折であり、絶望でもある。
    それをしみじみと体験しない人には、
    やっぱり優しい人にはなれないのだと、私は想う。

    人生は、憂いに満ちている。
    だから、その憂いの傍に黙って立って、涙を流してくれる人が必要なんだ。
    その人こそ、人としての尊厳をもって生きている人なんだと、私は想う。
    優しさには、人を生かす力がある。
    その反対は・・・・。
    かじかむ身体には、手袋と帽子とが必要なものだ。


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  • from: クマどんさん

    2014年01月23日 20時47分48秒

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    人と人との間にあるもの

    今、私は何を為そうとしているのかな。
    本当に無力で、無為なる存在の私は、私を主張するということがなくなった。
    ただ、そこに生きている。
    このただそこに生きているという境地は、なかなか難しいものだと、
    こうして生きていみては思うのだけど、
    それしか、生きようがないのだった。

    例えば、生き死にの戦地からの生還した者の想いだろうか。
    この想い、この身体、この1日だけのいのちは、私のものではないのだ。
    私が、私が、私がという人と人との関係性の中に生きながら、
    どうも、私がを言わなくなってきているのだった。

    それぞれの人は、それぞれの私がを主張する。
    または、その私がをを認めさせる。
    そうしなければ、私ががここに存在しないからだ。
    だから、他の私を否定してまでも、私がを主張する。
    ゆるい立場にある人は、そんな力関係の中で、
    どっちつかずに泳ぎ、たゆたっている。

    私は、どんなものでもなくなっている。
    世の中で生きているそれらの人間的なサンプルには、
    どうも当てはまらなくなってしまったようだ。
    だから、独りなのだ。
    独りは、しかし、この人と人とのせめぎあいの中で、
    結構、自由を感じられる境地でもあった。

    何も為してはいない。
    それに対する批判は、誹謗中傷はものすごいものもある。
    でも、どうして私のような大愚をほっといてくれないのだろうか。
    どうして私のような愚かな者を哀れんで、
    ただゆったりと休ませてくれないのであろうか。

    欲は無く、決して怒らず、いつも静かに笑っている。

    しかし、こんな立場に立たない限り、
    この今の私が感じている、何とも言えぬ想いは味わえなかったと感じている。
    人は、その人の立場に立って、やっとその人の気持ちが分かるものだ。
    良寛さんの気持ちに、少し近づけた気もしているんだなぁ。

    しかし、私は絶対に、人を悪く言ったり、差別したり、虐めたりする人にはなりたくはないな。
    人と人との間には、優しさだけあればいいんだ。
    「人間」と言う言葉の問いは、そこにあると想っている。
    人と人との間にあるものこそ、人間らしいものなのだ。

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