新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマさんさん

    2012年05月31日 06時05分35秒

    icon

    限られた時間の中で何をするか

    我が家のことを書いていると、物語りになる。
    毎日、毎日、劇的な出来事は無いのだが、
    ここで起こっている出来事は、どこの家庭でも起こりうる出来事でもあると思う。
    この前、長男にメールをした。

    「たまにはお婆ちゃんに会いに来い。時間が限られてるんだぞ」と。
    そのメールを打ちながら、本当だなぁと改めて想った。
    「時間は、限られている。」
    しかし、それは母に限った事ではないのだ。
    私たち家族一人一人にその言葉は当てはまるのだった。
    無常迅速。生死事大。
    朝に紅顔の人も、夕べには白骨の人となる。
    「確かなものは、何一つない。」
    それが仏教の原点だった。

    母の肝臓の数値が異常だと、近所の医師から本日来るように言われた。
    母は、「肝臓が悪くなったのかね」とぽつんとつぶやいた。
    母は、少し歩くとだるくなって、座って休むようになった。
    母の姿が見えないと、座敷のリクライングの椅子で寝ていることがある。
    母の身体は、服を着ていても痩せすぎていることがよく分かる。
    毎日会っている私には分からないが、
    日々、日々、少しずつ変化をしているのであろう。
    本人に自覚がないことが何よりもの幸いだ。
    「胃の手術って怖いね。体重が全然増えないんだよ。」

    昨日、妻の病院に叔母や従兄弟たち5名が見舞いに訪れてくれた。
    あれだけ元気ではつらつとしていた叔母たちが、既に80歳を越えていた。
    妻は、再手術の結果、少しずつではあるがリハビリにより、
    指が数ミリ動くようになった。
    しかし、神経を長い時間圧迫していたので、痺れは消えていなかった。
    ギプスで固定されている左腕が痛々しかった。
    「動くようになるのかなぁ」と、焦りがあった。

    そんな妻の不安に対して「大丈夫。大丈夫」と、K叔母の言葉は力強い。
    母の癌の事を知っているのは、このK叔母だけである。
    私にはこうして何でも相談できる頼もしい叔母たちがいることがありがたかった。
    しかし、この叔母たちともこうして病院の食堂で談話しながらも、
    やっぱり「時間は限られている」ことを悟ってしまう。

    外来の駐車場から、この病室までは気の遠くなる距離だった。
    足を痛めているS叔母には、帰りにまた歩かせるわけにはいかない。
    私は従兄弟と一緒に駐車場に向かい、車を入退院の玄関まで回した。
    改めて車に乗る叔母たちを見た。
    やっぱり「時間は限られている」のだ。

    母も、叔母たちも、私を頼りにしてくれる。
    せめて私の限られた時間の中で、
    母や叔母たちに恩返しをできることを祈っていた。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 3

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2012年05月30日 06時14分26秒

    icon

    老老介護の現状とは

    さてさて、我が家の問題の本質は、父にあった。
    彼は、だいぶ鬱に入っているのかも知れない。
    または、少しずつ認知症になっているのかもである。
    とにかく何も意欲が無く、
    ただただ炬燵に足を入れたまま横になり眠っていた。
    起きて動くのはトイレに立つ時と、食事の為にテーブルにつく時だけだ。

    薬を飲まない。動かない。何をする気力も無い。
    そんな父を見て、このままでは父が弱ってしまうのではないかと、
    母が心配から、せっせと父の世話をしている。
    すると、それが煩わしいのか、父が母を怒鳴っていることが多くなった。
    それも怖くなるほど大声で顔色を変えて怒鳴っているのだ。
    これが老老介護の実態なのだろう。
    父は、我儘で、堪え症がなく、短気で、すぐ切れる。
    そんな人ではなかったのに・・・・。

    このままだと母が父によってどんどん弱って行くことは目に見えている。
    母は、妻の入院で使命感に燃え、自分の命も燃やしている。
    休んでいて。何もしなくていいよと言っても、絶対にきく母ではなかった。
    自分がやらねば・・・と、家族のために家事をこなし、市場に買い物にも行く。
    その上、父のある意味介護があるのだ。
    その父からは、怒鳴り声を浴びせられながら。

    父に、ディサービスを勧めてみようと母に相談した。
    以前、週に2回のディサービスに一か月ほど行っただろうか。
    父は、ある意味気が弱く、人見知りで、人と自分から交わる性格ではなかった。
    ここへ行った数日間で、彼は人格が変わるような経験をした。
    気を使い、気を使い、とにかく耐えられなかったのだ。
    ディサービスが近くなると、暴れた。
    家族はその原因を理解できなかったが、
    ディサービスに行きたくないのだと分かると、
    何だか可哀想に思い、行くのをやめた。

    それ以来、2年間は我が家の炬燵で寝たきりだった。
    昨日調べたら、介護の認定も昨年の11月で切れていた。
    再び担当者に来てもらっての認定審査だが、
    きっと父はそれすらも拒否することだろう。

    「そんげとこに行かせるのは、俺に死ねってことと同じら。」

    どうしたらよいのか、ほとほと困っている。
    父の頑固さと、母に対する暴言は、日に日に進んでいるように私には感じる。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 2

    icon拍手者リスト

    さけ 秋桜

  • from: クマさんさん

    2012年05月29日 09時32分09秒

    icon

    我が家の長男と次男

    みんな何かを感じて生きている。
    その感じ方にその人らしさが現われるのだろう。
    同じ状況にありながら、それをどのように感じて、どう対応するか。
    そこに、その人の人柄とでも言えるものが現われる。

    母は、自分の置かれている状況を知らない。
    しかし、あるがままの今の状態が本当の母なのかも知れない。
    だから、母が忘れているように、私たちも忘れているように生活している。
    今朝も早くから母は起きて台所に立っていた。
    私は、きっと今頃は母が入院していると思っていた。
    それは4月初めに母が倒れて、そのまま起きられなくなったからだ。
    妻の入院と母の入院とが重なるかも知れない。
    そうしたら、一日寝たままの父や、次男はどうやって面倒を見たらよいのか。
    それが、予想された我が家の5月の状況だった。

    母は、逞しい。
    この危機的な状況を誰よりも理解して、家族のために働いてくれている。
    信じられないことだった。
    しかし、現実とは人間の予想をはるかに凌駕するものなりだ。
    だから、あきらめることも、心配し過ぎることも、絶望することもないのだ。
    そうならない確率の方が、本当は遥かに高いのだから。
    この現実は、奇跡に満ちているのだ。

    次男が、何も手がかからず、淡々と己の生活を全うしている。
    朝は、自分で起き、丁寧に髪型を整え、
    朝食をきちんと食べて決まった時刻に登校する。
    母は、次男のために朝食を用意し、登校時には台所から姿が見えなくなるまで声をかける。
    「行ってらっしゃい。Nちゃん。気をつけるんだよ。頑張って。」
    その声に励まされて、次男は黙ったまま格子戸を閉めて登校する。
    彼は、彼なりに、我が家にとっての母の時間を感じていた。
    だから、何も言わない。何も逆らわない。何も受け入れる。淡々と。

    次男が、とても偉い男に見えて来た。
    そうか。彼は、彼なりに状況を理解し、それを受け止め、
    心に決めたように実行しているのだ。
    「おばぁちゃん、ありがとう。」
    彼は、母から何かしてもらうたびにそう答える。
    彼が、母にありがとうを言った回数だけ、彼の心と魂とは大人になるのだ。
    「偉いやつらなぁ。」と、父さんは次男を尊敬の眼差しで見ている。

    長男もそうだった。
    バイトとバンドと学問に明け暮れる彼は、
    稀に帰ってくると、母のことを気遣い、母から何かしてもらうたびに、
    「ばぁちゃん、ありがとう。」の連発だった。
    母は、よく離れて暮らす長男のことを話しながら涙を流す。
    「本当に我が家の二人の孫は、いい子らよ。」
    「私は、幸せらて。」

    母にそう感じさせられる、長男と次男は偉い。
    私は、だから何も言わない。何も言えない。
    心では、ただただこの二人には感謝して、頭を下げている。
    「お金あるか?」と、長男の部屋の掃除と荷物を取りに行った時聞いた。
    「ああ。」と言いながら、金に困っている様子だった。
    「コンビニに付き合え。」と、長男を車に乗せてコンビニのATMだった。
    その時、父さんの財布には、情けなくも1500円しか入っていなかった。
    お金を降ろして、母の2000円を足して10000円を銀行の封筒に入れて渡した。
    長男は、きょとんとした顔で受け取った。

    みんな何かを感じて生きている。
    確かにその感じ方にその人らしさが現われている。
    同じ状況に居ながら、それをどうとらえ、どう対応するか。
    せめてやっぱり優しさだけは、そこにはあって欲しいものだと思っている。

    母は、すごい。
    長男と次男は、偉い。
    父さんは、ちょっと情けなくとも、そんな家族を見守っているつもりだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年05月28日 10時11分04秒

    icon

    相手を思いやる言葉を

    病院に毎日通っている。
    昼食や晩飯は、できれば一緒に食べるようにしている。
    いつも一階の売店に寄ってお弁当を買う。
    それから、病室に向かう生活だった。

    緊急手術のおかげで、痛みはずいぶん和らいだ。
    やはり神経が圧迫されて、通らない状況だったらしい。
    止まない痛みほど、切ないものはない。
    夜はその痛みの為に眠られないことが多いそうだ。
    何をしてやることもできず、何を代わってやることもできない。

    私もいつかは、こんな風に病室のベットで過ごす日が来るのだろうと思った。
    その時、どんな景色がその窓から見えるのだろうか。
    出来れば海が見えたらいいなぁと変なことを考えていた。
    「死は、全ての人に平等に訪れる。」
    「それは、遅いか、早いかの違いだけだ。」
    私は、病室を訪れるだけだが、
    帰ることができない人たちで、病室は溢れているのだ。

    いつもいつも感動するのは、
    医師と看護師さんたちの毎日の献身的な態度だった。
    連絡調整を密にして、しっかりと連携してケアに当たっていた。
    情報は担当する関係者によって共有され、
    すぐに患者のニーズや状況の変化に対応している。
    何よりも、優しく、誠実に対応する態度が素晴らしかった。
    いつも笑顔で、相手の立場に立っての看護には、感謝しかなかった。

    これが世の中だったら、きっとみんなも生きやすいのだと思ってしまった。

    弱さを感じて、苦労して生活している人がいたら、
    声をかけて、手助けしてあげればいいのである。
    「ベッドから降りるときは言ってくださいね。」
    「トイレに行く時は、呼んでくださいね。」
    「痛みはありますか?」
    そんな気配りや言葉かけが当たり前の病室だった。

    弱さの中で不安に生活している人にとっては、
    そんな言葉の一つ一つが励ましとなって心に響くものだった。
    それなら、私も普段の生活でできるのではないだろうか。
    相手を想う言葉をどれだけ一日で言えるか。
    それは、やはり看護士さんたちのように、
    意識して伝えるべきものだと教えられた。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 2

    icon拍手者リスト

    さけ 秋桜

  • from: クマさんさん

    2012年05月28日 06時40分13秒

    icon

    母の痩せた背中から

    どういうわけか、三日間この掲示板を書いていなかった。
    そんなにたいそう忙しかったわけでもなかったのに、
    私にとっても不思議なことだった。
    しかし、この三日間実に濃い三日間でもあったので、
    本日は時間がありそうなので、つれづれなるままに記したいと思う。

    母が、買い物に山ノ下市場までよく出かけた。
    私は台所に立つ母の後姿を改めて見ると驚くが、
    とにかくがっさりと肉が消え、痩せてしまったのだ。
    まるで母ではなかった。
    身体のふくよかさは感じられず、
    骨格だけで生きているような状態だった。

    「具合は大丈夫?」「大丈夫らよ。今日は調子がいいわ。」
    それが母と私との挨拶だった。
    確かにあのインフルエンザで東京に行けなくなってから、
    毎日寝込んで全く動けなかった頃とは違っている。
    「本当に難儀かったら、動かねて」と、笑って言うこともある。
    最近は気が張っているのか、私を助けようとしているのか、
    お得意の料理を夜中に起きて作っていることもある。
    昨日は、ナス炒りを作ってくれた。
    それも大鉢にいっぱいのものだった。
    「味が前みたいによく分からねなったて」と、言う。
    この体力で、この辛さで、手間暇かけて料理を作る。

    母を見ていると、頭の下がることばかりだった。
    家族の為にできることはやる。
    家族を少しでも助けられるならば、時間と労とを惜しまない。
    どんどん枯れて行きながら、
    それでもその信念だけは曲げずに、全うするつもりらしい。
    そんな生き方を、私は見ている。長男も次男も見ている。
    それが、何よりもの教育だと感じている。

    教育は、生活ではなく、哲学なのだ。
    人はどう生きるべきなのか。
    人はこの生きている社会において何をなすべきなのか。
    人は人に対して何をすべきなのか。
    それを学ぶことが教育の場だ。
    そして、それを学ばせられるのは、人しかいないのである。

    次男が、最近変わった。
    「ありがとう」を、とにかく母には言うようになった。
    母からされるどんな些細なことでも、「ありがとう」を言う。
    母は、それがとてもとても嬉しくて、可愛くて、
    もっともっと次男の為に何かをしやろうと考え、実行する。
    だから、母は、死んでられないのだ。

    私は、この期に及んでも、母から教えられ、励まされている気がする。
    人は、生き様でしか、人に何かを伝えられないのではないかと、
    改めて母のやせ細った後姿を見て、感じている。

    私も願わくば、そんな背中をもった父親として、
    長男と次男の心に残る生き様をしたいものだと思ったものだった。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 3

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2012年05月24日 06時13分49秒

    icon

    減量作戦続行中

    例え少々ハードな事でも、一度決めたらやり通す。
    どうもそんなこだわりに囚われると、抜けられなくなってしまう性分でもあった。

    昨年の夏の人間ドッグから、減量に挑戦させられた。
    79キロ代の体重を74キロ代に半年間で落とすことが目標だった。
    私がこの体重と血液の数値から、特定何とかに晴れて選ばれ、
    短期的な栄養指導を受けることになったのだ。
    やりましょうと、積極的に参加した。

    しかし、運動はいつものように4キロ〜6キロを毎朝のように走っているし、
    休日にはLSDで10キロ以上は走っている。
    それでも人間は体重が落ちないということは、答えは簡単なのだ。
    需要と供給とのアンバランスを是正して、
    供給量を需要以下にすることで、運動以上の効果が出ることは分かっていた。

    そこで、そこでだ。
    何を自分は我慢するかなのだった。
    酒は、絶対に止めない。
    酒の量は、制限する。
    だから、菊水一番搾りと350mlの発泡酒と・・・。
    休肝日は、気が向いたら作る。但し、なかなかその気にはならない。
    夕食で摂取する炭水化物の量を減らす。

    一日の総カロリーを1500カロリーにしたことがあった。
    これは確実に痩せた。みるみる体重が落ちて行った。
    しかし、やっぱり日常生活においてこのカロリーを維持することは続かなかった。
    いつも空腹感を感じ、食べ物のことばかり考えているからだ。
    だから、基礎代謝すれすれの摂取量にして、
    その分をジョギングで痩せることにしたのだ。

    運動だけでは痩せない。
    しかし、運動すれば痩せるのである。
    4月に新潟ロードレースに出場した。
    そのためのトレーニングもあって、少々ハードに走り込んだ。
    こうなると私はストイックになってしまう。
    走らなくては、気が済まないようになってしまったのだ。
    そして、関屋浜やタコ公園まで走る海岸のコースを開拓した。
    お地蔵様とも毎朝ご挨拶ができた。

    今は、昼食を極端に減らしている。
    コンビニ弁当はのり弁やお握りだけである。
    揚げ物は極力採らないことにしている。
    間食はしない。
    夕食は、それぞれのおかずを小皿に盛って食べている。

    さて、体重は73.2キロまで一時下がったのだ。
    これは結婚する前、飯豊連峰を走りまわっていた頃の体重だった。
    ここから3キロ落とすと、学生の頃の夢のような体型に戻れるのだ。
    「やるぞ。60キロ代。」
    これからLSDに挑戦する。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年05月23日 08時33分28秒

    icon

    夜中に起きる

    最近、夜中に目が覚めることが多くなったる
    目が覚めてもまだ暗い。
    時計を見ると2時だったり3時だったりする。
    それからトイレに行き、しばらく眠られなくなることもある。
    そんな時に本を読むこともある。
    なおさら眠れなくなることが分かっているのに・・・。

    これも年をとったせいなのかと諦めている。
    しかし、朝が辛いのだ。
    頭がぼーっとしたまま、なかなか目覚めないからだ。
    無理にジョギングで身体と頭とを目覚めさせようとするが、
    なかなか思うようにはいかない。
    この「思い通りには行かない」ことの多さに、
    私は、「諦めること」と「根気強く待つこと」とを学び、実践している。

    この二つは、一見矛盾するように思われるが、
    私にとっては人生に向かう基本的な姿勢なのだ。
    自然や自分の思う通りにはいかない場面に出会うと、
    何とかしようと焦り、次々と策を弄して、討ち死にすることが多かった。
    確かに攻めることも必要だし、果敢に挑戦し続けることも必要なのだ。
    しかし、時にはその戦いに疲れ、反対の結果が生まれたり、自分自身がぼろぼろになることもある。

    一見強く、逞しく戦っているように見えるものは、
    案外長続きはせず、固くて強い枝のように突然ぽきっと折れることがある。
    しかし、一見弱く、いい加減に見えるものは、
    実は、とても柔軟でしなやかで、強く曲げられても元に戻る弾力性をもっている。
    前者は、いかにも仕事ができそうな人で、後者は、愚かなる怠け者に見えるだろう。

    ところが後者の心の中は、「諦める・・・明らめる」「根気強く待つ・・・見守る」として、
    ゆったりとして構えて待っているのだった。
    私は、若い頃はこの後者の生き方が分からず、私も呆れて馬鹿にしていたかもしれない。
    しかし、今はこのように生きたいと思い、生きている自分を感ずる。

    ある意味、これも積極的な攻めなのだが、傍から見ていても分からない態度なのだ。
    自分でもどうしようもない身体や体力や心の変化に対して、
    私は、そんな態度で臨むことにしている。
    そして、大自然に対しても、私とかかわる人に対しても、遭遇するいろいろな人生の出来事にも、
    私は、同じようなスタンスをとってかかわるようにしてきた。

    夜中に目が覚めたら、仕方ないのだ。
    目が覚めてしまったことを受け入れ、
    いつか来るだろう眠気を待って本を読んでいたりするのだ。
    私は、深夜にラジオを聴くという老人の気持ちが分かるようになってきた。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年05月22日 05時57分15秒

    icon

    今日一日だけ。

    母が、元気になっている。
    何だか不思議なくらい家族のために頑張ってくれている。
    私は、母が入院するものとばかり思っていた。
    そうしたら、どうしたらよいのかと不安に思っていた。
    しかし、現実は母が家事を賄い、買い物にも行っている。
    私がやると言っても、私にはさせなかった。
    それが母なのだ。

    確かに痩せた。
    確かに体力がなくなり、疲れるとすぐに横になる。
    しかし、父に対しては昔からの強い妻だった。
    動かなくなってしまった父を何とか復活させようと、
    とにかく父に声をかけて、かかわっていく。
    父もさぞかし煩いだろうが、それが母であり、父であった。

    天気の良い日くらい外に出ればよいのだが、
    父は全くその気が起きず、炬燵に入って横になっている。
    日中も寝る時間が多く、母はボケるのではないかと心配している。
    あれだけ自転車で走り回り、家の仕事をせっせとしていた頃が懐かしい。
    母が言うように、父はよく動いた人だった。
    その父が、ああして枯れた人のようになってしまう。
    それも自然なことなのだろうか。

    母の肝臓にある病巣はどうしているのだろうか。
    天は、母にどのような運命を与えようとしているのであろうか。
    母は、知らない。
    ただ、天のみぞ知るなのだ。
    父にもそんな悲しい事実は知らせていない。
    知らないと言うことは、幸せなことなのかもしれない。

    天も母を慈愛をもって見守っているはずである。
    私は、お地蔵様を通して心の安心をもらっている。
    守ってもらっている。
    その安心は、人が生きる上で大きな安心だと思った。
    私たちは、自分が知らずとも守られて生きているのだ。

    私は、母を見ていて、その意がもっともっと強くなった。
    お地蔵様は、何も言わずとも全てを分かって下さるお地蔵様だ。
    だから、こうして毎朝会いたくなってしまうのだ。
    これから走りに行く。

    今日一日。天に守られ、何とか生きる。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 3

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2012年05月21日 08時17分27秒

    icon

    やってみてよかった

    金冠日食の映像がニュースで流れた。
    和歌山や東京から雲の晴れ間からの金冠日食の映像だった。
    新潟市もそのころからだんだん外が暗くなってきた。
    メガネを持っていなかったので、私は見ることができなかった。
    何事も準備不足と後の祭りはいつものことだった。

    やってみるということを考えた。
    迷っていたら、やってみることだ。
    そんなことを考えた。

    昨日、関屋浜を目指して海岸道路を走った。
    護国神社から関屋浜に向かう時、
    青陵大学の向かいにある松林を走ることにした。
    松林の道は、幾つか交差して続いていたので、
    天辺を走ってみることにした。
    初めてのコースがどこにつながっているかは分からないが、
    走っていたら意外な景色に出会った。

    いつの間にかアカシアや広葉樹林の森となり、
    野鳥の声が気持ちよく聴こえた。
    左手の階段を降りると、水道町辺りの住宅街に続いていた。
    へえっー、こんな道があったのかと、
    新鮮な気持ちで走っていたら、関屋浜に出た。
    そこでは新大のヨット部の学生たちがせっせとヨットの準備をしていた。

    やってみると、何か必ず発見があった。
    やってみないと、何も変わらない人生であるかもしれない。

    14年前になる。
    豊栄市の太田小で地域の人たちと一緒に森と池とのビオトープを作った。
    それも5年がかりだった。
    壮大な構想と、たくさんの人たちの協力と支援を得て、
    子どもたちと大人たちとの想いと願いを実現すべく、
    夢のようなビオトープが造られた。

    昨日の朝、目覚めたらその森の夢を見ていたことに気づいた。
    あれは確かに太田小の森だった。
    「森が呼んでいる。」
    私はある用事で豊栄に行くので、ついでのこの森に久しぶりに寄ることにした。

    グラウンドに入ると、その森たちが笑顔で迎えてくれた。
    驚いた。大きく成長した樹木は、天までとどき、新緑をいっぱい茂らせていた。
    生きていた。盛りだった。伸び伸びとすくすくと育っていた。
    私はその太くなった逞しい幹に触れて挨拶をした。
    私が知らなくとも、私が何もしなくとも、このクヌギとコナラは生き抜いていたのだった。
    「そうか。ここで生きていてくれたのか。」
    何だか感慨深い想いと共に、この樹木たちに励まされるような気がした。

    やってみてよかったなぁ。
    私がこの世からいなくなっても、少なくともこの森は残っていてくれる。
    苗木を植えた時、私の背よりも低く、弱弱しい樹木だった。

    迷ったら、やってみることだ。
    やらない後悔よりも、やってからの苦労を選びたい。
    その代わり、何かがきっと足跡として残されるはずだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 2

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2012年05月20日 06時02分12秒

    icon

    大山台奇跡のコンサート

    昨日の午後、大山台でホーム主催の「ほのぼのコンサート」があった。
    何とこのステージからは、港町新潟が一望される最高のロケーションだった。
    土を持った台には雑草が茂っていた。
    バックには新日本海フェリーに、山ノ下タワーが見える。
    胸がすく景色とはこの景色を言うのだ。

    ここでコンサートをやると決断した所長さんに拍手だった。
    開始5分前頃からお客さんが集まり始めた。
    心配していた集客も、いつの間にか用意した椅子が足りなくなっていた。
    ご近所だけでなく、山ノ下通信の効果があり、
    遠路からもおいでいただけたようだった。
    ホームのベランダからは車椅子で鑑賞するお年寄りたちがたくさんいた。
    みんなで音楽を待っている。
    その姿に何だか感動だった。

    小川さんの津軽三味線の響きは、青空と港町にはぴったりだった。
    朗朗と響き渡る太棹の音が、ここが津軽だと言っているようだった。
    音を身体で体感し、景色と共に体感する。
    ワイルドなステージは、音楽そのものが景色に溶け込み、
    その景色のまま、聴く人の心深く響くものだった。

    五十嵐さんのサックスと、品田さんのピアノ。
    二人は青空をバックにシルエットで写しだされた。
    リリシズム溢れ、いつもいつも魂の悲しみや懐かしさに触れる演奏だった。
    自然と涙が流れる。
    五十嵐さんの音楽には、聴く人の魂に触れ、何かを語る力があった。
    お年寄りたちばかりのお客さんだったが、
    真剣に音楽に向かい、感動して集中して音楽と出会っていることがよく分かった。

    音楽を待っていた人たち。
    私は、百名以上集まったお年寄りたちを見て、そう感じた。
    そして、その人たちの心を一つにする音楽の奇跡の力を改めて感じた。
    音楽を心待ちに待つ人が町には居る。
    魂の震えるような音楽を演奏したい人も町には居る。
    そうしたら、その人たちを出会わせ、
    素晴らしいコンサートを町で開催しようとする人が町に居ればよいのだった。

    今回は、そんな想いが重なり、実現した奇跡のコンサートだったと思う。
    「山ノ下って、やりたいことが何でもできる町らね。」
    スタッフのSさんが語っていた。
    確かにこんなに熱く、どんな夢でも実現する可能性をもっている町はそうないと思っている。
    それは、「やろう会」での仲間の絆がしっかりと生きているからである。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 3

    icon拍手者リスト

もっと見る icon