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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2014年02月28日 06時37分03秒

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    体調不良な一週間

    今週は、体調が絶不調で、身体がだるくて使い物にならなかった。
    とにかく朝は起きられなくなってしまった。
    起きるどころか、だるくて身体を動かすことすら難儀だ。
    身体のどこかに変調をきたいしているようだ。

    年だからというならば、もっと身体を勞らねばならない。
    それは分かっているがなかなか実行できずにここまで来た。
    高血圧と糖尿病と心の病の薬を四種類飲んでいる。
    体重は4キロくらい減量できたが、まだまだ重い。
    ここまでにならないうちに、何とかできた時期もあった。
    しかし、そのまま見過ごしにしてきたつけがこれだった。

    身体のサインを見落とさないことだ。
    初期のうちならば取り戻すこともそんなに難しくはないはずだ。
    しかし、その症状が進行していくにつれて、リカバリーは難しく、
    回復できない可能性が増えていく。
    まだ大丈夫という安心感が、リスクを増大させている。

    一昨日、窓から見える朱鷺メッセや、北越製紙の煙突が煙っていた。
    霞がかかりぼんやりしていた。
    PM2.5の注意報が発令された。
    とうとう新潟までこいつがやってきたのか。
    海の向こうの国の話と思っていたが、実は大気で繋がっている。
    大気汚染が深刻化する前に、規制ができたはずなのに、
    やっぱり経済を優先させてしまう。

    初期の変調を見逃さず、即座に対処する。
    それは身体の健康も同じだった。
    この身体を回復するためには、あることを実行しなければならない。
    それは十分わかっているが、やっぱり先延ばしにしてしまう私だった。
    それだけは、やめたくないんだ。

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  • from: クマさんさん

    2014年02月25日 05時31分37秒

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    三日月の夜明け前

    今朝、すごい三日月が夜空に光っていた。
    月を見るようになった。
    月は、ルナだ。
    その眼差しに心を癒される。

    昼にはお日様が光り輝き、夜には月が輝いている。
    よくしたものだ。
    いったい誰が考えて、この摂理を作ったのだろう。
    夜、月がなかったら、漆黒の闇夜となる。
    しかし、月が輝くおかげで、闇夜から救われる。

    昔、月明かりだけで山に登ったことがある。
    ヘッドランプをつけると、その光の輪だけが明るく、
    その周りは闇だった。
    試しにヘッドランプを消したら、目がなれるに従って、
    満月の明かりで、ずっとむこうまで見渡すことができた。
    私たちは、獣のようにして、月明かりだけで山道を登った。

    たとえ心の闇になろうとも、月は必ず登って、照らす。
    三日月の光は弱いかもしれないが、
    その輝きのおかげで、心がほっとするものだった。
    ここに居てくれた。
    ここで私のことを見守り、照らしてくれていた。
    まさに「一隅を照らす」ではないだろうか。

    ろくな生き方をしていない私であるが、
    誰かの心を照らす三日月ぐらいでもありたいと願っている。

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  • from: クマさんさん

    2014年02月23日 07時05分38秒

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    誰が語る? Sさんでしょう。

    さて、本日はメデアシップで、我が師のSさんの講演会がある。
    「がっこうの森」についてのお話だ。
    昨年の春から8ヶ月くらい、この日のためにお互いの考えを交流してきた。
    不思議なもので、向こうからやっぱりやってくるものだ。

    私は、長年山に登った経験をいつも思い出していた。
    そこには、太古から永永と繋がっている大自然があった。
    雪山の森に入ると、私は人間のちっぽけな存在をいつも感じた。
    この自然の中で熊や狐や兎たちは生きている。
    しかし、人はこの山で迷ったら、どれだけ生きられるもだろうか。

    この山では千年二千年は当たり前の時の流れだった。
    そして、ブナの大木がとっしりと私の前に立ち、私を見下ろしていた。
    「よく来たね。」「生きていたね。」「大丈夫。大丈夫。」
    ありがたいくらいに、自然のいのちは優しかったな。
    山に登ることで、山の気を全身に吸い込んで、私は里に降りたものだった。

    春から庭づくりに没頭した。
    私が花壇を造って、花を植えている。
    出かけた先に花屋があると、必ずのように苗を買って帰ってきた。
    その苗を願いを込めて、花壇やプランタに植えた。
    すると、そこがまるで学校のように、様々な個性の花盛りとなった。
    私は、ある日、この花たちに見られている自分を感じた。
    「そうか、私が見るが、花たちもじっと私を見ていてくれるんだ。」
    嬉しい発見だった。
    そこからだ、花が友達のようになり、私が花と話ができるようになったのは。

    そて、やっぱりこの小さな小さな花壇であろうとも、
    自然のいのちの繋がりがやっぱり確かに存在していたことを、私は分かった。

    小千谷のSさんとは、そんなお互いの日々の発見を交流しあった。
    気づきのおかげで、ものの見方が変化する。
    すると、自分が自然の一部なんだと感じられるようになり、
    自然ではない、いのちではないものは、ここに存在していないことがよく分かった。
    だからなんだ。
    森のブナたちや、庭の花たちや野草たちが呼びかけるようになったのは。
    私も、その自然のいのちの仲間入りができたのだろう。

    雲が私に語りかける。
    月が私の魂に歌を歌う。
    青空が心を清々としてくれる。
    みんな友達だったなぁ。

    そして、20歳先輩のSさんとは、自然のことを素直に語り合ってきた。
    本日の講演は、そんなSさんの自然と魂との邂逅の話となるはずだ。
    不思議だねぇ。我執を捨てると、向こうから何かがやってくるよ。
    その時、人は聴こえない自然の声の語り手となる。
    Sさんは、今日は自然の魂の語りべとなると思う。

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  • from: クマさんさん

    2014年02月22日 09時50分22秒

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    異業種交流の夜は更けて

    さて、昨夜は久しぶりの異業種交流だった。
    職業も、年齢も違う人たちが集まると、何かが生まれる予感を感じた。
    「未来ずワークス」の活動発表会だった。
    いつも美味しいパスタとワインのフーデリックが会場だった。
    まさか、ここにこんな素敵な二階のフロアーがあろうとは。
    何でもその奥は深いものだった。

    飲み放題のワインをがぶ飲みだった。
    とにかく羞恥心を捨てるためには、こういう場では酔っ払うことなのだ。
    まず、物見山に済むという女性と話した。
    障害者の授産施設で作られたものを商品化するためのプロデュースしている人だった。
    白根の中学校では、ル・レクチェを加工して販売するプロジェクトを中学生としていた。
    Cさんと一緒にアート展を開催した美術家でもあった。

    外資系の生命保険会社の男性は、新潟総踊りの立ち上げの人だった。
    彼は総踊りの会場では山の下市場が一番人気があると語ってくれた。
    ここではバナナがもらえるのだ。
    そして、あの歩道に腰掛けて楽しそうに声援を送るまちの人がいいとも言っていた。
    ここにはまだまだ下町の人情が残っている。
    表現することの喜びとは、自分が自分を出し切ることの感動だと言う。
    その感動が汗と共に輝く笑顔から、感じられる。
    この踊りで救われた若者も多いと聞く。

    次は、子供電話相談室をNPOでやっている男性だった。
    教えないこと。ひたすら聞くこと。問い返すこと。答えはその子がもっていること。
    それは、教育の本来のあり方だった。
    人間関係に傷ついている子もいる。
    しかし、今の子どもたちは、そんな悩みをなかなか相談する相手がいないそうだ。
    大人たちは、子どもたちに背中を向けているのではないだろうか。
    腰をおろし、子供の目線になって、その子をみつめてあげる心のゆとりが、
    今の大人たちから失われてしまったようだ。

    そして、市会議員に立候補して落選した2児の父親。
    イチローそっくりの好男子だった。
    学校だけでの教育では限界があると感じ、
    何か子どもたちのために自分ができることはないのかと模索している若者だった。
    「無職です」その言葉に何かただならぬ決意を感じた。
    コップの中のちっぽけな価値観に合わせられる子どももいる。
    しかし、大部分の子どもたちはそのコップの外に存在している。
    でも、コップの中で評価されるためには、コップの中に入らなければならない。
    そこで、自分を見失い、息苦しさの中で窒息していく。
    だから、もっともっと子供らしくのびのびと育つ環境を作りたい。
    だからの「無職」だった。こんな男がまだ生きている。

    そして新潟大学1年生の女子。
    生涯学習こそ、教育のフィールドだ。
    学校教育だけで、教育を語るから本当の学びが育たない。
    人は、死ぬまで学ぶものだ。
    学校の時期は、そんな生涯の中ではほんの一時だ。
    学力だ、成績だ、合格だ、なんだかんだと言ったとしても、
    学校の授業を覚えている人は少ないはずだ。
    学校とは、知識を記憶するための場ではなく、やっぱり生きるを学ぶ場であり、
    「学ぶ」を学ぶ場であると思う。
    その「生きるの哲学」を身につけて社会で生き抜く人となす。
    生涯学習とは、そうした持続可能な学びなんだで、いたく共感した。

    もう一人についてはここで明かさない。
    私は、フィールドオブドリームにぶち当たった。
    いよいよ大舞台が私を待っている気がした。

    どうだろうか、これが20代~30代の若者たちなんだ。
    そして、こんなクマさんの話を真剣に興味深くみんな聴いてくれた。
    ありがたかったなぁ。
    これが酩酊するまでワインをがぶ飲みしたわけなのだ。

    それなのに、階段を降りてから、また例の大好きな椅子とカウンターで、
    グラスワインを注文していたクマでもあった。


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  • from: クマさんさん

    2014年02月21日 05時59分19秒

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    男声合唱団に入りませんか

    浅田真央さん、6位入賞だった。
    16位からの追い上げはさすがだなぁ。
    イナバウアーの人の解説によると、
    持てる力を出し切った最高の演技だったそうだ。
    メダルのことは、忘れよう。とにかく、頑張った。お疲れ様だ。

    フィギアーの演技ではないが、突然むくむくと表現する想いにかられてしまった。
    この掲示板もその想いによって成り立っているが、
    突然私は歌を歌いたくなった。
    3年前にほんの数回参加した「東区ボーイズ」という男性合唱団がある。
    そこで、指導ししているKさんに連絡したら、何と18名になっているという。
    とにかくバスが足りないから来て欲しいとのこと。
    喜んでとばかりに昨夜参加した。

    会場が分からずに彷徨ったが、到着すると何と先輩ばかりだった。
    つまり、リタイアした団塊の世代。
    ロマンスグレーの親父達よだった。
    カラオケを歌うために、歌の練習もしてみたい。
    歌を思いっきり歌えば、酒もうまく飲めるに違いない。
    生涯の趣味の一つに合唱を経験してみたい。
    このメンバー構成がなかなか魅力的だった。

    ここには、今度は人生の師匠ばかりが集まっていた。
    これもまた素敵な出会いだと、すぐにこの合唱団に入会させてもらった。
    歌うことは大好きな私。
    次々と曲が変わり、みんな歌いだすが、私は音を聴きながら合わせて歌う。
    これも水泳と同じだ。
    脱力して、無心になって隣りの人の音に合わせる。
    自分を捨てる。我執を捨てる。そして、ただなんとなく声を出す。
    考えてみたら七つの音の組み合わせだ。
    リズムを取れれば、何とか数フレーズはバスのパートを歌えるようになった。

    また、歌は泳ぎと一緒で、その歌に集中するとき、無心になって何も考えていない。
    本当に立ちっぱなしで歌うのだが、へとへとになってしまう。
    合唱もまたアスリートなのである。
    歌うためには、腹筋と持久力とが求められる。
    声は出せる。ある程度の音域はカバーできる。
    しかし、楽譜通りに正確に歌わなくてはダメである。
    取りにくい音もあり、そこには細心の注意をはらう。

    真央さんは、最高の演技に感極まって涙したと、イナバウアーさん。
    私は、演劇の舞台の上で、そのこみ上げ、溢れる涙を経験した。
    本当に身体が震えるんだな。
    今度は、合唱でそんな瞬間を味わいたいと思っている。
    男声合唱団の歌声は、なかなか魅力的なものだと歌いながら感じた私だった。

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  • from: クマさんさん

    2014年02月20日 05時58分22秒

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    正義について

    浅田まおさん、ショートプログラム16位。
    トップのキム・ヨナさんと20点近くの差が付いた。
    試合後のインタビューでは、全く覚えておらず、
    信じられないという表情だった。
    こんなことがあるものだ。
    引退を懸けてのぞくんだオリンピックでは、金メダルは確実だった。
    たった2分何十秒かで、決まってしまう人生もある。
    フリーでの演技に期待している。応援しているよ。日本中の人たちが。

    さて、正義とは何かと、泳ぎながら考えた。
    私は、よくこの正義によって批判され、責められて、孤立してしまう。
    それはどうしてなのか分からないが、相手はいつも正かった。
    だから、絶対だった。そして、ぶれなかった。そして、変わらなかった。
    正義とは、時にはそんな一方的な偏った姿を見せる。

    また、正義には見方が多かった。
    少数の正義ではなく、やはり多数の正義だった。
    みんながそうしている。それが常識だ。あなたのしていることはおかしいことだ。
    その正義は、そうして絶対に自分たちの正当性を主張する。
    もし、その正義に反論したらどうだろうか。
    私は、正義に対する反対者として否定される。
    時には、多くの人の怒りに晒され、いじめの対象となってしまう。

    ああ、こうやってストーレーシープは集団の中で作られていくのか。
    それは、とても恐ろしいことだが、正義は絶対にぶれることはない。
    私が参ったと言わない限り、攻撃はだんだんエスカレートする。
    それは、自分たちが正義だという信念からだった。
    その正義の集団は、しばらくすると周りから異常な集団と化していく。
    それは、目的がその対象を叩き潰し、
    やっつけることにいつの間にかすり変わるからだ。

    どうしてこの正義である私たちの言うことを聞けないのだ。
    だから、もっとエスカレートしてやってしまわなければ、
    私たちの正義は何のための正義だか分からなくなってしまう。
    やり始めたら、相手が死ぬまでとにかくやらねば、
    自分たちの存在価値がおかしくなってしまう。
    まさに、いじめのためのカルト集団となっていく。

    いじめは、社会全体に蔓延している。
    それは、人とはそういうものだからである。
    集団の中で孤立する者や、独自な者や、個性的な者がその対象となる。
    理解できない存在は、居ては困るのだ。
    また、自分たちのヒステリックな不満をぶつける対象も必要とするようだ。
    そんな時に正義は、少数を狙い撃ちする。
    みんなから迷った羊を狼のように集団で追い掛け回す。
    時代によっては、正義とは、このように恐ろしいものとなる。

    「ハンナ・アーレント」シネ・ウインドで上映中の映画だ。
    彼女は、ホロコーストを行ったアイヒマンの裁判の傍聴記事を書いた哲学者だ。
    あの時代、ドイツではナチが正義だつた。
    アイヒマンはただその上官の命令を聞いただけの、
    凡庸なる人物に過ぎないと、彼女は発表した。
    そして、彼女はユダヤ人社会から、過激で猛烈な迫害を受け、公職を追われた。
    ひとりの戦いだった。勇気とは彼女の生き方だ。

    正義と闘うために、孤立を選ぶこともある。
    ただ、だからと言って、弱気になり、その時代の正義に巻き込まれないことこそが、
    真の意味での正義ではないのかと、彼女はその孤独なる生き様で語ってくれている。

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  • from: クマさんさん

    2014年02月19日 22時10分59秒

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    教えるということ

    さて、腹が立ったら、無心に泳ぐことだ。
    何様になったつもりだという馬鹿は、世の中にはいるものだ。
    仕方ない。ご本人は何も分からず、自分が偉いと思っている。
    しかしだ、そんな連中こそ、可哀想なものだと想う。
    人を悪く言ったり、人を批難できるほど、人は天狗になってはいけないのだ。
    つまらない人ほど、そういう輩になりやすい。
    ちゃんと常識をわきまえた人は、そんな人にはけっしてならないものだ。

    クロールと平泳ぎとで、500mずつの1000mだった。
    とにかくプールには、水泳の兵者が泳いでいる。
    コースにいれてもらって泳ぐが、クロールの早さが半端ではなかった。
    腕のかきはとにかくゆったりと綺麗なのだが、
    どうしてあんなにスピードが出るのだろうか。
    私は、彼の邪魔にならないように、追い越されないように距離をとった。

    我が師匠の教えをいつも思い浮かべながら泳いだ。
    伸びて、遠くの水をキャッチすること。
    目線を前に置いて、指先のあぶくの数を数えること。
    リカバリーはゆったりと、指先からしたたる水を感じること。
    6ビートを意識するが、力まないこと。
    左でも呼吸できるような意識で泳ぐこと。

    それこそ、師匠は、身体を通して、感じるままに言葉にして教えてくれた。
    50を一本やると、そこで彼のコーチが始まる。
    彼は、自分の体感を言葉に起きなおすために、言葉を選んでいた。
    饒舌ではない、言葉を一つ一つ探しながら、懸命に私に伝えようとする。
    そこには、彼の真摯な誠意があった。
    「俺もまだうまくないんだけどさ」と、ポイントを教えてくれる。
    そのためには、私の下手な泳ぎをじっと見つめている。
    私がやっとのことでたどり着くと、しばらく黙って考えた後に、
    「手がぐっと伸びるようになったね。」と、一つを褒めてくれる。

    彼は、それからまた私に次の課題を言って、先に泳ぎだす。
    私は彼の泳ぎをずっと見ながら、ポイントを確認する。
    そして、私が泳ぎたし、彼は私の泳ぎをじっと見ている。
    私は、教えるということは、本当はとても謙虚なものではないかと思っている。
    相手の立場に立ち、自分も学ぶその人になって教える時、
    きっと言葉は彼のように静かに、分かりやすいものとなるはずだ。
    怒鳴ったり、怒ったり、苛立ったりして教えている人を見ることがある。
    それは、教えているのではなく、単に自己満足と自己中なだけだ。

    教えるとは、相手の気持ちを尊重し、相手の心を大事にすることだ。
    後は、できないその人が一番困っているのだから、
    一緒になって悩み、苦しみ、どうしたらできるようになるのか考えることだ。
    指示、命令、恫喝とは、けっして教えではない。
    それは、精神的な暴力でもあるかもしれない。

    私は、水泳でもよき師を得ることができた。
    おかげで、今日のクロールではそんなに息が苦しくはなかった。
    鏡に写った我が肥満体は悲しくもあったが、
    こうして無心に泳ぐことで、腹が立ったことも忘れることができた。
    ああ、こんなに愚かで木偶の坊な私なのに、
    今日はまざまざとバカで愚かな人にはなりたくないと、思わされた。
    そうしたまま生きている人がここには居るのだ。

    次も、無心になりたかったら、泳ぎに行こう。
    何年も経てば、彼のようにゆったりと、スピードをもって泳げる人になれると想う。
    教えるとは、本当はとてもとても優しくて、謙虚なことなんだ。

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    2014年02月19日 06時40分05秒

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    習慣化する

    やっちまった。寝坊だぜ。
    何と目覚まし時計が止まっている。
    ああ、目が覚めたら世の中が少し明るくなっていた。
    そのおかげで、今朝はランができなかった。
    しかし、生活リズムを変えることで、走ることが日常となっている。
    体重はいっこうに減らないが、焦らずに生きることにする。

    そう言えば、今は一日一日を生き延びることを目標としている。
    それが精一杯だからだ。
    明日のことは考えていない。今日一日だけ生きる。それだけ。
    一日を生きると言いながら、只今を生きる、それだけだ。
    ついさつき目が覚めた。
    パソコンに向かって、掲示板を書いている。
    ごみ捨ては出勤のついでにすることにした。

    今、この瞬間しか、やっぱり私には存在していないのだ。
    今、ここで何を選び、何を決定し、何を行うか。
    その積み重ねが、私の一日となっている。
    その一日だが、「優しく」ありたいと願っている。
    いろいろと言われても「腹を立てない」ことを信条としている。
    そして、「感情的にならず」落ち着いて行動しようとも思っている。

    たった一日だが、本当に嵐の中に飛び込むようなものだった。
    その中にあっても、自分をぶらさずに、淡々と生きたい。
    それが、私の一日を生き延びる生き方だ。
    これがなかなかうまくできないが、減量と同じ。
    焦らずに、気長に、そうした生き方が習慣になるように心がけている。

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    2014年02月18日 06時52分24秒

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    雪には雪の中を

    今、走ってきたら突然の雪だった。
    窓の外は灰色に暗く、大雪になってしまった。
    本当に天気はどうなることか分からない。

    それは、日々の生活も同じだった。
    さっきまで道路が見えていたのに、今は真っ白な雪景色だ。
    こんなものだ。本当にこんなものなんだ。
    だから、我が身に何が起ころうが、それは全て自然の成り雪なんだ。

    だから、こだわることもなく、思い悩むこともなく、
    今、目の前のことに動いていけばいいだけだ。
    先のことをいくら考えても、この雪がいつ晴れるのか。
    それともこのまま大雪となるのかは、天のみぞ知ること。

    雪には、雪の中を。
    雨には、雨の中を。

    さてさて、そろそろ支度をする時刻となってしまった。

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  • from: クマさんさん

    2014年02月18日 05時37分12秒

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    浮く感覚とは。

    男子ジャンプ団体で、銅メダルが決定した。
    何と12年ぶりの快挙だった。
    ジャンプ日本の復活を、日本中が喜んでいる。

    さて、私のことだが、復帰してからもいろいろなことが日々やってくる。
    その嵐を想うと、人生とはやっぱり嵐の連続なのだと思ってしまう。
    その現実をちゃんと見つめていけばいい。
    どうして・・・とは考えずに、それが人生なんだと想う。
    すると、心の動揺も少なくなってくる。

    相手は自分ではないから、相手の気持ちは変えることはできない。
    案外、自分らしく生きることとは、独りで生きる勇気なんだとも思っている。
    人から見られる自分を気にするのではなく、
    このままの自分しかいないのだから、そのままで生きる。
    力を抜いて、風のように、その日常の中を通り抜けていく。
    不思議な感覚だったが、ああこれかなぁと、思える瞬間もある。

    脱力だった。
    今、Jさんに水泳のコーチをしてもらっている。
    先日は、西海岸プールだった。
    泳ぎながら感じたことは、このプールの水が浮くということだった。
    そのことをJさんに話したら、「そうだよ。」と答えてくれた。
    プールの水深によって浮力が違うのだそうだ。
    「浮く感覚」実は、泳ぎでは全ての泳ぎの基本がこれだった。

    浮くとは、まさに脱力だった。
    力が入っている部分が、必ず沈むからだ。
    水が持っている浮力という浮かす力に、全てを任せて浮くためには、
    無駄な力を体全体からそぎ落とすことだ。
    しかし、これが難しい。私のような初心者であればあるだけ、力がはいる。
    力が入ると、沈んでいく。沈むから、なおさら力が入る。
    反対なんだ。
    任すことが、脱力することが、浮きになる。
    それは、重力との闘いであるジャンプもそうだと聞いている。

    その脱力で風になる。
    今の日々の修行の目的は、身心脱落して、居ても居なくてもいい人になることだ。
    すると、どんな嵐の中でも自然に浮力を受けて、
    力まずに飛ぶことができるだろうし、浮力を利用して浮きながら泳ぐことができるはずだ。
    脱落身心。

    私は、泳ぎを通してその感覚を覚えようと思っている。

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