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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017年11月30日 06時33分18秒

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    行きなさい。

    昨日、帰ってきてポストを見たら、届いていた。
    何と、介護職員初任者研修の修了証だった。
    合格だった。
    何だかジーンと深くで喜びを味わった。

    7月の末から始めての15回の教室だった。
    今、ふと、あの教室で学んだ日々が思い出された。
    いつも隣に座って眠っていたSさんだったな。
    実習ではエプロンを着けて、楽しかったな。
    ある人生の限られた時間を、若い彼等・彼女らと学べたことは、
    とてもとても貴重な体験になった。

    どうしてこの初任者研修を受けようとしたのか。
    それは、いろいろな理由があり、
    いろいろな体験と出会いの結果だとしか、
    私には、言いようがなかった。
    私が、介護職員の資格を取得する。
    それは、全くの想定外であり、予想外の出来事だった。

    自分のこの人生に起こることすら、分からないのが人生だった。
    だから、私は、いつからか、勝手に決めることをやめにした。
    その人生に起こることを、ジャッジするのもやめにした。
    それは、私の想いを超えて、起こるべきして起こったことなんだと、
    そう想えるようになったからだ。
    その自分に起こった出来事が、
    例え、人から見たら不幸で悲惨な出来事であろうとも、
    それは、起こるべきして起こったことなのだと、今は、理解している。

    資格を取ろうという選択をし、決定したのは確かに私だ。
    しかし、その資格を取りたいという願いや、想いが起きたのは、
    私の深いところからのきっと促しだったと思う。

    そして、そのことを決定できたのは、
    ちょうど私にとってチャンスの次節に、
    この講座の期間が設定されていたからだった。
    これよりも、早すぎても、遅すぎても、きっと私は諦めたと思う。

    また、初めて座った席の周りの仲間に救われた。
    毎週土曜日に会うこと、話すことがとても楽しみになった。
    これもまた不思議な出会いだった。
    もし、この人たちでなかったら、
    こんなにも楽しみにして新潟駅行きのバスに乗ったかどうか、
    今では、分からない。
    やっぱり人生は、出会いだった。

    そして、何よりも、この講座で学びながら感じたことは、
    私が腹膜炎で生死を彷徨い、緊急手術で一命をとりとめたあの経験と、
    この3月、椎間板ヘルニアで、坐骨神経痛のために、
    一か月以上激痛に苦しみ、寝たきりだったあの経験と、
    回復してからの杖をついての不自由な生活が、
    私の介護への想いを深めていたということが、よくよく実感された。

    実習では、いつも私は「リアル利用者」だった。
    ベッドに寝たとき、それは、想定ではなく、ある日の私の日常・現実だった。
    人は、明日、いや今日、身体に突然障害をもつことがある。
    それは、教会の席に座ったまま、発症した私には、よくよく分かる実感だ。
    だから、私は、実体験を通して、語れる。
    そして、身体の不自由に耐えて、しのいで生活している人たちの気持ちは、
    私のこととしてよく分かり、感じられる。

    そんな病と不自由と痛みとに一体になれる私。
    そのことがあったから、きっとこの介護への道を進もうと決意したのだろう。

    それから、やっぱり亡くなった父や母や、施設に入所している叔母のことだ。
    私は、その数年間で、
    介護の現場とそこに働く人たちの献身的な姿を見ることができた。
    そこで大事にされていることは、痛みのケアでもあるが、
    心の痛みのケアだった。
    つまり、看取りなんだな。

    若い人たちは、介護を不自由な生活をしている人たちが、
    どうしたら自立した生活ができるようになるか、具体的な支援を考え、行動する。
    そのための実習であり、介護者としてのそれが大事なスキルとなる。
    しかし、私には、まず、その人の寂しさと孤独と辛さとに共感し、
    その人の心に寄り添い、傍にいて、話を聴き、分かち合うことが、
    なんだかその人の人生にとって大事な日々の支援であるのだと考えている。

    そこが、このどん底を経験し生き残った還暦の私と、
    人生まったく、これからこれからの若者たちとの違いだった。
    その痛みや苦しみが分かるためには、
    そうした痛みや苦しみを実感として味わっていなくては、
    その味の深さは絶対に分からないものだった。
    それは、事実だ。
    何と言っても、どうにもならない。

    だから、謙虚に自分ではなく、その人を尊重し、
    その人の気持ちになるための努力を日々の多忙な仕事の中でもすることだった。
    人は、身体の痛みもあるが、
    本当は心の痛みこそが、痛みの本質なのだとは分かっていない。
    看護師さんの優しい言葉かけや、微笑みで、どれだけ救われたことだろう。
    家族の優しさで、どれだけ痛みを忘れることができただろう。
    そんな私の実感から、
    介護とは、共感的な支援であると、この講座を通して学ぶことができた。

    共感には、自分はいらない。
    自分が空になることで、自分の空っぽの中に、相手の人が入ってくる。
    そしたら、その人にだけなればいい。
    ジッャジは要らない。
    ただ、「そうですね」「そうだったんですね」と、観ずればいい。
    そうだよな。感ずることは、観ずることでもあるな。
    見ることは、看ることでもある。
    その違いに私は、どん底の経験を経て、初めて至ることができた。

    そして、「慈悲」だ。
    この想いが、全ての介護の根底に存在していなくては、
    その介護には、魂が入らない。
    その相手に対する尊敬の念。
    尊厳を守る。
    そんな自分を捨てる覚悟の他に、介護の覚悟はないと思う。

    それは、私が人としてこの人生を生きながら行う、
    日々の修行そのものだった。
    「善く生きる」「善い人になる」
    そのために、私は、老人に、身体の不自由な人に、障害のある人に、子供たちに、
    学ばせてもらわねばならないんだな。
    なぜなら、その人たちこそ、私の人生の先生だからだ。

    退職してすぐの4月から就職するつもりはない。
    しばらく、地域の施設でのボランティアを続けたい。
    そして、地域包括には何が求められているのか、
    現場の人たちの実生活や生の声を通して、実感的に学びを深めたい。
    それからだろう。
    きっと、内からの不思議な促しが生まれてくるのは。
    その日は、きっと来る。

    ぐるりと一回大きく歪な円を描いて、今日に至った。
    これからの円は、私が自分で決めたい。
    そして、「慈悲」の生き方を貫く生き方で、
    この円の軌跡を一歩一歩喜びをもって歩きたい。
    そのためのパスポート、許可書が、昨日、私に届けられた。
    その「修了証」には、きっとこう書いてあるに違いない。

    「行きなさい。汝の想うように生きなさい」と。

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  • from: クマドンさん

    2017年11月29日 06時10分11秒

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    奇跡に感謝

    身体が、ほとほと疲弊している。
    ああ、疲れているという段階をとっくに超えている。
    何というのだろうか、
    これ以上無理をしたら、大変なことが身体に起こるよという、
    何だか切羽詰まった段階のようだ。

    その身体の声には、ちゃんと呼応するように私は、なれた。
    だから、休養をとることはやぶさかではない。
    声を聴いたら何もしない。
    それは、撤退の勇気だった。
    無理に自分を励まし、鼓舞する暴挙は取らないことにした。
    後、どれだけ生きられるのか。
    多生の中の一生を、大事に生きたいと想っているからだ。

    ああ、そうは言っても、いつかし死ぬな。
    死ぬって、どんなことだろうと、みんなは考え、みんなは想い、
    そして、臨終ではその死に出会い、
    「ああ、そうだったのか」と、死を越えて向こうに逝ったはず。
    その日は、誰でも、いつか、必ずやって来る。
    だから、「今、ここ」をどう「生きるか」なんだな。

    奇跡は、在る。
    ただ、そのここに在る奇跡を、奇跡だと認識すればの話。
    それは、感謝するという生き方でもあると想う。
    「今、ここ」を与えられた恵みとして感謝できるならば、
    こうして、ここで親父たちよを書いている今、そのものが、
    実は、奇跡に他ならないということだ。

    毎朝、目覚めたら、神に感謝する。
    「今朝も目覚めることができました。ありがとうございます」
    「今日も家族でこの朝を迎えることができました。ありがとうございます」だ。
    痛みの無い身体。自由に動く身体。病ではない身体。
    ただ、ただ、感謝だ。
    こうして、指を動かせること、脳の命令が正確に伝達されること。
    やっぱり、感謝だ。

    その感謝の一つ一つが、本当は奇跡の一つ一つなんだな。
    そのようにして、自分の日々の人生をとらえると、
    その奇跡のありがたさと同時に、その意味の深さを理解できるようだ。
    本心から、「生かされている今、ここが、在り難い」と感じられたら、
    それで、やっと幸せとは何だということを、
    本心から感じられるようになると、私は想えるようになった。

    日曜日は、奇跡の連続だった。
    振り返って見たら、ここに呼ばれていたことがよくよく分かった。
    成るべきものしか、この世には成らない。
    そこには、大いなる神の意志が働いている。
    それを、宇宙の法則・意志とでも呼べるのかも知れない。
    「これは、私の想いではなく、そう為さるべき想いであった」という気付き。
    その気付きは、ある意味、畏敬の念を感ずる気付きでもあった。

    奇跡とは、その当たり前の日常に、偉大なる存在の意志・働きを実感することだ。
    「ああ、そうだったのか」と、
    私ではなく、私を超えた何かによって、導かれ、語られ、成るべきものを、
    その時代で選ばれた私が、ただ、そのまま、やっただけのことだった。
    そのことの意味は、こうして15年間も経た後で、
    やっと為した来た私自身が理解できることでもあった。

    私がやったのではない。
    私は、そうせざるを得ない促しを感じたから、
    その促しに従うことが、後悔しない生き方だと感じたから、
    あの日・あの時、みんなに語った。
    そして、5年間をかけて、その言葉をここに具現した。
    それは、私ではなく、みんなの力と働きによってだった。

    さてさて、「春のホタル」の「故郷の歌」は、
    このO小学校の子どもたちと親たちに地域の人たちに歌ってもらいたい歌だった。
    その歌が、アンコールで響いた時、深く深くの感動で涙が溢れた。止まらなかった。
    ああ、この今、ここのために、あの日々はあった。
    その深い意味の気付きと実感こそ、奇跡にほかならなかった。

    「うだつや」さんの、最後に立ち会えた。
    午後9時を迎えると、潔く、きっぱりとその店の歴史は閉じられた。
    きっと、私がその場に立ち会えるように働きかけられた出会いだった。
    そのために、私は、このカウンターに、あの日に座った。
    「麒麟」のお姉さんたちから、この店の閉店を聴いた。
    親父さんと女将さんの人柄と優しさに感じた。
    だから、酒とだしまきたまごが美味かったな。

    そして、店を閉じて、名残惜しく残っていた8名のお客だった。
    その中の一人の中年の女性に驚いた。
    何とO小学校の卒業生だと言う。
    「えっ、ここで、会えるの」の驚きだったな。
    在り得ないでしょうだった。

    閉校記念式典の帰り、ここで閉店するお店に寄った。
    そして、私が取り出したその記念誌に、
    彼女の卒業写真が載っていた。
    「この日、じいちゃんの葬式で、私、欠席だったんだよね」と、
    彼女だけ、集団から離れた、お独り様の写真だった。

    「奇跡」だよね。
    これからも、私は、奇跡が在ると信じて生きる。
    いや、毎日が「奇跡」の連続だと、感謝して生きようと心に決めた。

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  • from: クマドンさん

    2017年11月26日 10時19分22秒

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    宴席でのお独り様

    何だろうね。
    大勢の人の中でも、独りで居られるようになったな。
    お酒の席でも、よく知らない人たちと一緒になった。
    それでも、黙っていては失礼だと、話しかけはする。
    そこから、少し話が盛り上がれば、それもいい。
    共通の話題がなかったら、そのまままた独りビールを飲むだけ。

    宴席でそんな独りぼっちの私だったが、
    それでも、「まぁ、いいか」と想える歳になったのか。
    前ならば、何となく独りでいると恥ずかしいような気がしたもので、
    みんなが注ぎに行ったら、私もと席を離れたものだが、
    今は、まぁ、いいかと、自分の料理をぱくぱくと食べている。

    その内に、山登りが好きな人と話が合った。
    植物が好きな彼は、スマホで撮った花の写真を見せてくれた。
    次に、隣の人とアルビの話になった。
    ここにも熱烈なアルビファンが居ることを知った。
    サッカーの話で盛り上がってしまう。
    そんな経過をいつも辿る。

    二次会の席では、ただ聞き役に回る。
    というか、私の話を聴いてもらえる人が見つからないからだ。
    黙って飲みながら、耳をダンボにしていると、
    なかなか私の知らない興味深い話の数々を仕入れることができた。
    そうなんだよな。
    みんな違って、みんな面白いなんだな。

    職場も違うし、職歴も違うし、上司も違うし、人間環境も違う、
    家族構成も違うし、趣味も違うし、体重も違い、出身地・成育歴も違う人たち。
    歳だけは、59歳と60歳。
    世の中の若者たちから見たら、
    やっぱり引退間近の親父たちよだった。

    酒の席で、話を聴くことの面白さを、ここで感じた。
    あれだけいつも煩く語った私が、黙って聴き手に徹している。
    人の話を聴くことの楽しさに、目覚めた一夜でもあった。

    部屋に戻ると、せっせとお茶を淹れて飲んでもらった。
    「喫茶呼」の意味が分かったような気がした。
    酒で疲れ、布団が敷かれた座敷で、
    私は独り、茶坊主に徹した。
    黙って、彼らの話を聴き、そして、お茶を茶碗に注ぎ、そっと差し出した。
    これが、気持ちよかった。
    「どうぞ」なんだな。

    早朝5時に風呂に向かった。
    大浴場には、早起きのご老人が2名だった。
    静かに、静かに、温めの湯に浸かった。
    この数カ月、土日のない忙しさだった。
    それは、私が勝手に入れた予定であったが、ほとほと疲れた身体だった。
    今回の研修は、私にとっては本当に心と身体の癒しの旅でもあった。
    だから、高い高い料金を払ってまでも、湯田上温泉までやって来た。

    身体が温まると、いつものやつを洗い場のタイル上で始める。
    まず、全身のストレッチと柔軟である。
    次に、スクワットと腹筋の筋トレ。
    そして、湯船で身体を温めた後、上がってタイルの上での坐禅・瞑想。
    それを、あの大浴場の真ん中でやる。
    ほてった身体には、これが本当によく効いた。
    そんな私の姿を、仲間が横目で見ながら通り過ぎる。

    ああ、お独り様の快感でもある。

    余計な気遣いはしない。
    黙っている。
    何も語らず、傍らで湯に浸かっている。
    何を考えていることやら分からないやつだと想われても、
    それは、それでいい。

    今朝も、腹が減ったので、一番にホールに向かった。
    そしたら、もっと早いお独り様がいたので、尊敬の眼差しだった。
    気兼ねしない。みよなを待たない。独りで動く。独りで食べる。
    その我儘ができるわうになったことは、
    私にとっての嬉しい進歩だった。

    人がどう想うかに、何だか右往左往していたこともある。
    人からどう見られているかに、何だか心穏やかでなかったこともある。
    それが、そうだったのに、この小心者の私が、
    お独り様で居られた。
    集団の中でも独りで居られる。
    人が一緒に居ても黙っていられる。
    人の話を聴くことに徹して、自分のことは少なく語る。

    そうした飲み会を経ることができたことは、
    私にとっては、大きな収穫だった。
    しかし、本当に「いい人」たちばかりなんだな。

    これから電車で豊栄へ向かう。
    O小学校の閉校式典だった。
    そして、夕方からは、やっぱり酒の席に参戦だ。
    それでも、賢い呑兵衛になった私は、
    翌日に酒の残らない節度ある呑兵衛と成長できていると信じてる。

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  • from: クマドンさん

    2017年11月25日 12時48分07秒

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    想いが先

    何もしないということは、のんびりできるということだった。
    毎週、この土曜日は新潟駅前で、介護の教室だった。
    今日から、それが無い。
    寂しいものだが、修了したことはありがたかった。

    昨日、「うだつや」さんに行った。
    このお店は、明日で閉店することになっている。
    あのカウンターで、だしまきたまごで一杯もできなくなってしまう。
    「麒麟」でまたビオラを買って、それから店に入った。
    そしたら、Hさんがお母さんと一緒にカウンターに座っていた。
    へー偶然もあるものだと想ったが、
    やっぱりこれも必然だったのかも知れない。

    昔、この店が居酒屋さんをしていた時、
    Hさんのお母さんの魚屋さんから、マグロを仕入れていたそうだった。
    「懐かしいなぁ。会いたいなぁ」のそこ声に応えてのカウンターだった。
    みんな想いで生きているなぁ、そんな気がした。

    ここの親父さんも、女将さんも、とてもとても暖かくていい人なんだ。
    いい人としか言えない人たちって、居るんだね。
    そんな気持ちに二人はさせてくれる。
    何でも「心から」だった。
    その一言一言が「心から」語られる言葉だった。挨拶だった。
    それは、伝わる。

    そのことを私は、このお店に来るようになってから教えられた。
    「いらっしゃい」「ありがとうございます」
    それは、誰が言っても同じ言葉ではあるが、同じには伝わらない。
    この言葉を支える「心から」のその想いがないと、
    この言葉は、相手の心には響かないものだ。

    口先だけの言葉や、心にもない言葉は、死んだ言葉だ。
    言葉の音は相手には伝わるが、
    そこに託する想いが本気でない限り、
    そんな挨拶や感謝の言葉は、ただそれだけにしか聴こえない。

    不思議たが、私たちは、きっと心を感ずる力があるということだ。
    そのことを、昨日は親父さんに語った。
    「お父さんのように、いい人ってなかなかいませんよね」と。
    酔っぱらったからそう言っているのではない。
    私は、その言葉を健康上の理由で店を閉じるお二人には言っておきたかった。
    「お客がお店を選ぶんじゃなくて、お店がお客を選ぶって知ってましたか」と、
    何だかお店のことには素人の私が、そんなことを親父さんに語った。
    「それはね、きっとお父さんや、お母さんを好きなお客さんだけが、
     このカウンターに座っているということなんだと思います」
    これは、私の師匠の山小屋のMさんの受け売りだった。

    そして、やっぱり、想いしか伝わらないものなんだと、改めてそこで感じた。
    本当に相手のことを好きになっていなければ、
    想いとは相手の心深くには響かないし、届かないものだと感じた。
    私は、このお二人が大好きだから、そう語れる。
    そして、そう語った私の言葉には、そう本気で想っている想いが乗っかっている。
    そうだと、想う。
    だから、その言葉には、その想いが存在していなければ、
    その言葉には、命が存在しないのだ。
    言葉は、軽くなる。嘘になる。

    ならば、想いだけもって、黙っていてもいいんだ。
    言葉より前に、想いなんだ。

    今、昼食ができたようだ。
    ここで、止めにする。

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  • from: クマドンさん

    2017年11月24日 06時18分31秒

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    気付きを大切にする

    休日に家に居られる。
    どこへも出かけないで、家のことができる。
    そんな小さなことが、何だか嬉しい勤労感謝の日だった。

    雨が、寒い。
    朝は、いつもの時間より1時間遅い、5時起床だった。
    布団の中での1時間の読書も日課の1つだ。
    「ヒマラヤ聖者のいまを生きる知恵」
    これまで私の身体と心に起こったことを、
    一つ一つ解き明かしてくれる本だった。
    心は、変化する。
    そのことに気付いて、理解していたらそれでいい。

    それから、起きてスタッドレスタイヤを小屋の奥から出した。
    タイヤ交換は、3年前までは、私の仕事だった。
    妻の車と2台を、1時間かけて交換した。
    しかし、今は、腰が弱り、下手をすれば椎間板ヘルニアの再発だ。
    だから、無理をしない。
    スタンドに払うお金は高いが、医療費の方がもっともっと高額だ。
    無理をしない生き方は、諦める生き方だ。

    そう言えば、走っていない。
    山にも登っていない。
    スキーすらも何年間も行っていない。
    この身体のおかげで、あの大手術のおかげで、
    私は、いつの間にかあれだけ夢中だったことから遠のいていた。
    それでも、焦らない。やらねばとは想わない。
    つくづく欲がなくなったんだなぁと、想えるようになった。

    自分自身を客観的に見つめる。
    ジャッジしない。勝負しない。自分を正しいとは思わない。
    金曜日の夜、私の一言である人を怒らせてしまった。
    それからが大変だったので、私は、静かに礼をして席を立った。
    しかし、後から考えたら、怒らせることはなかったのだ。
    私が、もう少し考えて行動しさえすれば、それでよかった。
    ジャッジする。苦手だというオーラーが、私から出ていたようだ。
    本当は感謝しているのに、反対のことになってしまう私。
    でも、そのことにやっと気付けてよかった。

    O山台で、雨の中でMさんと畑の実況見分だった。
    いい畑だ。広さも十分だった。
    しかし、芝草の根が繁茂して、大変だと彼は言った。
    それから、東屋で今後のことを語り合った。
    すぐにできるとは想わない。
    5年間かけて、徐々に当たり前にして行きましょう。
    私たちが請け負うのではなく、みんなで動けるシステムを創りましょう。
    次の世代に受け継げるものにしましょう。
    結局、自分たちがここで幸せに生きるための仕組みを創りましょう。
    だから、自分を追い込まない。過激にならない。静かに見守る。
    そんな自然体で行きたいと、私は、気付き、そうしようと、Mさんに語った。

    雨の中、ジャンパーを着て、ウールのキャップを被り、庭に出た。
    庭の花たちは、敏感に季節に呼応して生きていた。
    既に役割と使命とを終えた花たちは、弱っていたし、枯れてもいた。
    その終いをしっかりと仕舞にしてやらねばならないと想ったからだ。
    弱った茎はよく分かった。
    すっかりあの立ち上がる力を失い、透明なビニルのようになっていた。
    手に取るだけで、ぽろっと折れる。
    花はくすみ、色を失い、哀しそうな面持ちだ。
    まず、抜いた。切った。刈り込んだ。
    そして、プランタを空っぽにしてから、
    買っておいたビオラをせっせと植えた。

    花は、いつかやって来る私の終いの時を教えてくれる。
    「みんなそうやって去って行った」
    「だから、クマさんもそうやって去って行く」だな。
    それはみんな当たり前の自然なことなんだから、
    そんな時になってもじたばたしないような人にならねばならない。
    花たちは、そんな自然体の生き方を教えてくれた。
    あの真夏の盛りの頃を懐かしんでも、仕方ないこと。
    今、ここに、終わって去って行く花たちを、
    想いをもって悼むことかな。

    3時からは、北区の合唱だった。
    7時までの長丁場の稽古だった。
    歌はいい。しかし、昨日はあまり思う存分に歌えなかった。
    それは、しっかり歌える師匠が傍にいなかったからだ。
    いつも隣で歌ってくれるIさんの姿が見られなかった。
    残念だった。
    だから、一番後ろで、音の取れないまま、小さな声で歌うだけ。
    やっぱり、歌うためにもその歌を導いてくれる師匠が必要なんだな。
    だから、帰りの車では、大声で歌を歌った。
    12月17日がコンサート当日になる。
    自主練習あるのみだ。

    さてさて、何に気付いて生きているか。
    そんなことを大切に生きている。
    しかし、休日に家に居られるだけで、
    いろいろなことができることがよく分かった。
    本当にそれまでは、忙しすぎる日々であった気がした。

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  • from: クマドンさん

    2017年11月23日 07時21分52秒

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    zz@hif

    始めることは、簡単でも、続けることは難しい。
    確かに、始めることもそう簡単ではないが、
    そけでも、やる気が在って、ちょっと勇気が在ったら、
    何とか始めることはできるものだ。
    しかし、そのことを、1年・3年・5年・10年と続けられるかと言うと、
    実は、これがなかなか難しいことだった。

    旧豊栄の太田地域で創った、「太田ハイキングクラブ」がある。
    そのクラブが、今年で20周年目を迎えた。
    凄いことたなぁと、いつも感心している。
    小学校の子どもたちを校歌で歌われている二王子岳に登らせよう。
    そのためには、山登りのトレーニングが必要だ。
    サポートする親たちも必要だ。
    ならば、低山からみんなで山登りを始めたらいい。

    そこで、私が三顧の礼で声をかけたのが、Iさんだった。
    私よりも二つ年上る
    消防団のバリバリの体力と健脚の持ち主だった。
    何と、この二王子を二時間で登ってしまう韋駄天だった。
    そして、バスの運転手は当時のPTA会長さんにお願いをした。
    彼は、百名山を踏破し、今は、二百名山を登り続けているこれまた山の達人だった。

    つまり、核になるスタッフが、その道のプロであると言うことだった。
    次に、お楽しみを用意していた。
    まず、登山初心者のお父さん、お母さんには、絶対バテないペースで登る。
    休憩をしっかり取り、軽食を食べ、お互いにいっぱいお話をする。
    自然の中でどっぷりと居ると、それだけで、人の心は穏やかに落ち着くものだ。
    そんな、山頂に到るプロセスの楽しさを演出する。
    これって、とても大事なことだった。
    「楽しい」ことは、続く。
    「楽しい」ことは、またやってみたくなるだな。

    登山の何よりもの達成感は、難儀してやっと山頂にたどり着いた、あの瞬間にある。
    その「喜び」と「達成感」とを、多くの仲間で共有する。共感する。
    その瞬間、何だかお互いの心の垣根が取っ払われる。
    「仲間意識」とでも言うのだろうか。
    山に一度でも一緒に御同行した人たちは、やっぱり「山仲間」の一員となる。
    そんな「所属感」が、さらなるお互いの「連帯感」を高めるものだ。

    山頂では、和気あいあいと語り合う。
    「語り合う」「分かり合う」このことで、何だか急にお互いが接近する。
    「認め合う」「讃え合う」ということも、深くで繋がる役目を果たす。
    そして、持ち寄った食べ物を、お互いに「分かち合う」ことで、
    何だかとてもとても親近感が湧くものだ。
    つまり、お互いを「同志」として、意識させることだ。

    下山には、「助け合い」「支え合い」が必要だ。
    一番遅い人、下りを苦手とする人、腰の引けた人わセカンドにする。
    20名いようとも、その人のペースに全体が合わせる。
    「自分を言わない」「相手を先にする」そのあ・うんが、登山にはある。
    チームとして「一体感」を抱くためには、
    こうした「相手を先にする」という「思いやり」が大事だった。
    「助けられた」人には、もっともっと「感謝の気持ち」が湧いてくる。

    下山したら、必ず温泉に入った。
    露天風呂で温まりながら、一日の山行を振り返る。
    難儀した想いを、思い出を「共有」する。
    そのことを身体の痛みや疲れとして実感できる仲間は「在り難い」ものだ。
    その温泉は、身体の疲れを「癒す」だけでなく、
    心の疲れやストレスを「癒す」力も持っている。
    「心地よい」その後味は、尾を引くものだった。

    そして、無事に帰ったら、地元の中華料理店で、「慰労会」の「乾杯」だ。
    その日、その夜に、必ずやった。
    みんなにこやかな、晴れ晴れとした顔で集まって来る。
    「座」を囲む。「酒」を飲む。「語る」「笑う」「味わう」
    そこに流れる空気感は、まさに山小屋のあれだった。

    何だろうね。「苦労を共にする仲間」とでも言うのかね。
    実は、山仲間とは、かけがえのない仲間たちになる人たちだった。
    何故なら、みんな一日の山行で、素っ裸になっているからだった。
    「自分らしく」それはかなかった。
    いい格好を見せようとも、そんなことは、山登りには無理なことだった。
    みんな、弱さとの闘いだ。わがままとの闘いでもある。
    だから、素っ裸の自分を見せる。
    自分が「顕わ」になる。それが、山だった。

    さてさて、どうして続いて来たか。
    やっぱり、そうした「裸と裸で」付き合える仲間たちと出会えたからだとね
    私は、想う。

    20年間、Iさんは、そんな山のクラブに育て続けて来た。
    そのことが、やっぱり凄いことだと感謝している。
    日曜日に豊栄でも「20周年記念の懇親会」があった。
    私は、改めて、Iさんと出会えたことに感謝した。
    本当に凄い人だし、凄い山仲間だったのだと、改めて感じた。

    追伸 二王子岳は、中一の時には、嵐で途中で断念をしたが、
       中三の秋に、登頂することができた。
       山頂でO小学校の校歌を高らかに謳った。
       その小学校も、日曜日に閉校式を行う。

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  • from: クマドンさん

    2017年11月22日 06時21分12秒

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    4人と出会えた

    土曜日は、介護職員初任者研修の最終日だった。
    15回、毎週土曜日の9時半から4時半までだった。
    この教室に行くようになってから、
    私には新たな世界がまた広がったことを感じている。

    人は、やっぱり経験したことからしか学ばない。
    そして、人との出会いによって、どれだけ自分自身をも知ることかだった。
    私にとっての初任者研修は、資格を取るためのものだけでなく、
    何だかこれからの人生をどう生きるかの、
    大きなヒントを与えられた機会だったと感謝している。

    ここで出会った若い人たちが、そうだった。
    いろいろな人生を抱えて、悩み、苦しみ、それなりに闘ってここに到っている。
    中卒で介護の会社の取締役を目指している41歳のSさん。
    高校を中退し、それでも夜学に通って卒業した27歳のTさん。
    空手の世界大会で準優勝をした、21歳のMさん。
    高校時代友達関係に悩んだKさん。
    そんな四人と、修了試験後に打ち上げをした。
    飲んだ飲んだ、四時間半の飲み会だった。

    その時、お互いに語られたことは、「いかにこれからを生きるか」の話だった。
    Sさんは、沖縄出身で、東京で暮らしていた。
    縁が在って、今年の5月に新潟にやって来た。
    実に実に苦労人で、生きることにずっとずっと真摯に向き合って来た人だった。
    だから、語る言葉の一つ一つがとても含蓄が在り、深かった。

    深いものは、個別を超える。
    個別を忘れさせるとでも言うのか、
    何だか、同感・共感、それしか感じない。
    その語りを聴きながら、ああ、いいなぁと、私は感じた。
    この人は、やんちゃな時代がきっとあり、
    世の中に刃向かう時代もきっとあっただろう。
    そのために、己で損をしたり、誤解されたり、批判されたりもあっただろう。
    「やってられるか」と、タンカを切ったこともあるだろう。

    でも、だからこそ、今は、介護職員となるための研修を受けていた。
    そして、彼が言っていた。
    「俺、学校ってあんまし行っててなかったけど、
     この研修をやっていて、毎週、みんなに会うことが楽しみになった」と。
    「だから、高校にもう一度行ってみたいと思いました」と。
    41歳。三人の子どもの父親。
    次期、代表取締役が約束されている彼が、
    そう、言った。

    私は、みんなに、「問い」を忘れず、
    「問い」続けることが、生きることであり、仕事することだと語った。
    人がどうのこうのではなく、
    自分はどうしたいのか。
    自分はどう生きているのか。
    しっかりと、問うことが、
    どんなに曲がったとしても真っ直ぐに生きるために、
    きっと必要な生き方だと、そう想うと、語った。

    Mさんは、言った。
    「職場の先輩たちからは、こんな話を聴いたことがありません」と。
    若くして主任を任せられ、
    何とか日々の業務をこなすために、突っ張り尽くして生きている彼だった。
    本音は、もっと深いところにあったが、
    本人もそれに向き合わず、気付かないようにしている弱さでもあった。
    その本音をなかなか職場では語れないのが現実なんだな。

    60歳の私と、41歳のSさんとで、
    そんな若い人たちの悩みと向き合っていると、
    ああ、私も同じだったなぁ。私も、そうだったなぁと、深くで繋がる。
    全く違った場所で、違った世代で、違った家庭で育った5人だ。
    その5人が、ここに集まる。
    そして、「いかに生きる」の話を真剣に語り合い、聴き合っている。
    私たちは、何だか出会いの不思議さと、必然さとを、
    お互いに感じ合っていた。

    二週間後に修了試験の結果が届く。
    不合格の可能性もある試験だ。
    本当に資格を取ることとは厳しいものだと、私は感じた。
    その結果が、お互いに届いたら、また連絡を取り合うことにした。
    そして、その日こそ、本当の意味の祝杯をあげたいものだった。

    しかし、不安なことが・・・・。
    Tさん、何問ぐらいは、解けた自信はありますか・・・・。
    まぁ、どんな結果であろうとも、この出会いは不思議に委ねて、任すことにした。

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  • from: クマドンさん

    2017年11月22日 05時54分52秒

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    まず何かを始めよう

    激動の三日間。
    飲み続けた三日間。
    よくまぁ、ここに無事でいられることかと、
    吾ながら不思議を感ずる。

    金曜日、この地域の福祉施設の施設長・課長との合同懇親会だった。
    せっかくこの町内に施設が在るのだから、
    もっともっと深い交流をしたいというのが、私たちの願いでもあった。
    しかし、施設の方からはなかなか「お願いします」の声はかけにくいものだ。
    まず、地域から「おせっかい」に「出しゃばって」行く。
    すると、するりと物事は上手く、動く。

    畑を造る。
    それも、施設の人と地域の人たちのど真ん中にだ。
    その畑の仕事を、日々の生業とする。
    畑の作物が、施設のお年寄りや、障がいのある人たちを招くことになる。
    作業をする。すると、仲間が生まれる。
    収穫が在る。すると喜びを感ずる。
    収穫を分け合う。するとみんなの心がほっくりと和む。
    さて、その畑の場所を決めてもらった。

    次に、カフェの話だった。
    老人福祉施設では、毎週、そのホールでカフェを開いていた。
    そのカフェに、地域のお年寄りたちも参加できないかという話だった。
    コーヒーとお茶と、お菓子とがあれば、
    そこに自然に集まった人たちの中に会話が生まれ、
    名前を覚え、知り合いができる。
    そんなかかわりが施設の人と地域の人とでできたら、嬉しいなぁと想っている。
    話し相手が欲しいのは、お互い様だからだ。
    さてさて、これをどうするかだな。

    そして、施設から呼びかけられた。
    「空いている部屋を解放しますから、
    放課後の子どもたちの居場所に活用できませんか」とのことだった。
    すごいことを考えているなぁと、感動だった。

    施設は、地域のど真ん中にある。
    特養もあり、ディサービスもある。
    お年寄りたちがそこで暮らす。
    そんな中で子どもたちが勉強を教えてもらったり、話し相手になったりしたら、
    これもお互いにどんなに素敵なことだろうと、私は想っている。
    老人福祉施設に、放課後支援の子どもたちの居場所を造る。
    これもまた、次の世代に繋がる大切な「場」になるはずだ。

    この三つの話が、どんどんと進められた。
    それは、この三つのことが今、生きる人たちに求められているからだった。
    孤立・孤独・老い・病い・寂しさ・辛さかな。
    みんなそれぞれにそれぞれなりに悩み、不安を感じつつ、
    生きているのではないだろうか。
    特に、施設に入っているお年寄りたちは、その場所が終の棲家である。
    そして、家族も訪れることなく、寂しく老いていく人たちも多いと聴く。
    その人たちが、生き甲斐を感じて、張り合いをもって日々を生きられるためには、
    何だか、誰かの為に自分が役に立っている実感が必要な気がする。

    畑は、「農福連携」を目的とする「生業」の場所になる。
    カフェは、「認知カフェ」のようにお互いの出会いと憩いの場となる。
    放課後支援は、「富山型」の新しい福祉の在り方だ。

    福祉とは、みんながどうやったら幸せに暮らせるか、
    その「場」と「かかわり」と「生きがい」を創造することだと想っている。
    だから、誰かが、勇気をもって始めればいい。

    始まったら、動きだしたら、歩きながら考えればいい。
    実は、最近、ふと想ったことがある。
    それは、人とは、クリエイテブな存在ではないかということだ。
    創るとは、今は存在していない何かを、形として創造することだ。
    その現れは、無いものではなく、現れを待機していたものに違いない。
    その待機して、現れようとしている何かを感じ、それを現にする。
    その働きこそ、人としての本質ではないかということだった。

    どんなに小さなことでも、誰も知らない僅かなことでも、
    やっぱり何かを創りだしたとき、人は喜びを感ずるものだ。

    上手くはいかない。そらみたことかと文句は言われる。批判される。
    でも、そうだから何もしないのでは、
    それって生きることの自らへの責任と義務を、
    果たしていることにはならないのではないかと、
    今は、そう想っている。

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  • from: クマドンさん

    2017年11月17日 06時33分31秒

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    仲間たちに感謝

    明日は、介護職員の初任者研修の修了試験だった。
    全15回。それも毎週土曜日のまるまる一日。
    9時半から午前の部が始まり、45分間の昼食休憩の後、
    4時半まで講義や実技の研修が続いた。

    初日は7月末の土曜日だった。
    一番前の席に座って待っていたら、
    次々と若者が入って来たものだ。
    隣には認知症の人のためのグループホームで働いているSさん、27歳?。
    後ろには毎週小千谷から新幹線で通って来る、元レントゲン技師のWさん、35歳?
    その横には万代から自転車で来るTさん、30歳?
    も一つに後ろには、高卒で4月から介護職員となったKさん、何と19歳。
    そこに私、60歳が混じって、研修や実習を続けた。

    私は、彼らとここで出会えて本当によかったと感じている。
    きっとここだけの、今だけのお付き合いになるのだとは思うが、
    こうして出会えたことは、やっぱり天恵、何か深いものの働きだと信じている。
    それぞが、人生にいろいろな困難や挫折や、試練を抱えてここに到っていた。
    「僕は、ずっと幸せに生きて来ました」なんて、言える人に、私は会ったことが無い。
    人を知れば知るほど、辛かったね、と、何だか深くで共感できるものを感じた。
    そのことは、何も語らなくても、その人の雰囲気や、語る言葉に滲み出る。
    ただ、ちゃらちゃらしてきた人には、話す気は起きないが、
    こうして、新たな人生を開拓して、歩きだそうとしている若者には、
    何かやっぱり深いものを感じた。

    Tさんは、若い頃、白血病で死線を彷徨った経験をもっていた。
    私もそうだが、病院で不自由な身体で長期療養すると、
    本当にその日々の何気ない生活の在り難さが分かるものだった。
    身体は、いつ元に戻るのかは、身体に聴いてください。
    私は、立つことがやっとで、歩くことすらできません。
    この痛みを、どうにかしてもらえませんか。苦しいです。辛いです。
    そんな人生の一時期を経て来た彼には、
    彼だけが腑に落ちている生きるの哲学があるように感ずる。

    隣の体格のよいSさんは、学校生活での挫折をたくさん経て来たようだ。
    それでも、介護職と成り、こうして資格を取ろうとして勉学している。
    彼の現場での話が、とてもユニークで、面白おかしで、
    毎回、講義の始まりの前に、
    「今週、おもっしぇことあったけ」と、声をかける。
    新潟花火の夜の話は、最高に笑わせられた。
    提出する課題をやって来ないので、私の答案を見せ、答えを教える。
    「ありがとうございます。いつもすみません」と、恐縮している。
    彼は、施設のおばあちゃんたちに、とてもとても人気なキャラだった。
    そうだろうなぁ。この人柄は、誰からもきっと好かれることだろう。

    この研修を受けない限り、出会えなかった人たちだった。
    そして、最初に座った席が違っていたら、
    こんなにお互いを知り合えなかった人たちだった。
    不思議なもので、こうして見ず知らずの人たちが集まると、
    その中で、何だかそれぞれの人の立ち位置や、役割が決まるものだった。

    私は、実習では、白髪なのでリアル利用者として、よくベッドに寝かされた。
    Sさんは、現場での出来事をよくよく話してくれる。
    それが、訪問介護計画作成等では、とてもとても有意義な話となっている。
    Tさんは、まとめ役・発表役だった。
    いつもなんだかんだと私たちが冗談半分に語り合っている話を、
    すーっといつの間にか分かりやすくまとめてくれる。
    Wさんは、寡黙な人だが、実習では、「では、私が」と、率先して取り組んでいる。
    Kさんは、最年少の立場から、書き物を一切自分が引き受ける。
    何だか、そうした、「あ・うん」の呼吸がこのチームにはできていた。

    私は、介護職員の初任者研修の修了証のために、ここに参加した。
    60歳。第二の人生を、そこで生きようと心に決めたからだ。
    そしたら、こんなに素敵な仲間たちに出会うことができた。
    これって、やっぱり、何というか、人生の楽しみなんだと、独り想っている。

    確かに、これから深くお付き合いをする人たちではないかも知れない。
    でも、何だか旅の途中で同宿となり、
    それぞれがお互いに興味をもって、お互いの話を聴き、理解し合う。
    そして、知れば知るほど、その人のことが好きになり、
    興味をもってかかわっていく。
    そんなおつきあいが
    できただけでも、とてもとても幸せだった。

    その仲間たちとも、明日の修了試験でお別れだった。
    寂しいなぁと、私は、想っている。
    だから、これからも・・・とではない。
    みんなそれぞれの居場所や仕事に還って行くだけ。
    私もそうだ。
    一時の交わりである。
    でも、やっぱりこの仲間たちと出会えたことを心から感謝している。

    明日の修了試験、合格できないと、また再テストだ。
    酒を休むと言いながら、毎晩飲んで、酔っぱらい、眠気の中での勉強だった。
    今朝も4時からノートを写していた。
    明日がいよいよ15日目の最終日。
    修了試験が終わったら、みんなともさよならだった。

    何だか不思議に感慨深いものが在る。
    こんな年寄りを仲間に入れてくれた心の広い仲間たちに、
    心から感謝している。

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  • from: クマドンさん

    2017年11月16日 06時31分06秒

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    ビオラと共に春を待つ

    昨日は、雨だった。
    今朝もまた、雨になった。
    それも寒気が北から降りて来たので、冷たい雨だ。
    今年は大雪になる予報らしい。
    毎年、同じではない。
    日々、新ただ。

    昨日、ふっと気付いたことがある。
    「新しくないものは、一つもないということ」だった。
    同じように感ずるから、勘違いするんだな。
    どんなものでもよくよく見つめ、よくよく観察し、よくよく感ずると、
    全く違うものに変化していることがよく分かる。
    違うものを創りだして、人は自然は天気は生きている。
    同じものを創ることのほうがどんなに難しくしんどいことかだ。

    だから、昨日と今日とは、連続で延長だとも言えるけれど、
    そうではなくて、ただ、今、ここがあるだけ、
    そう考えれば、何でも楽になるし、面白くもなるし、こだわらなくてもよくもなる。

    クマさんは、いい加減だと、よく言われる。
    言っていることが変わるとも言われる。
    でも、相手にしてみたらそうなんだろうが、
    私にしてみたら、それは変わったということでもない。
    ただ、今、ここでは、こう考える。ただ、それだけ。
    だから、弁解も、言い訳も、訂正もしない。
    いつもこれで、誤解され、やっつけられる。
    私を虐めてきた人たちは、そうしたきっと真面目な石頭の人たちだった。

    まぁ、いいかで、すーっとスルーすることも多くなった。
    そんなこと、どうでもいいではないかと思ったら、
    そんなことにはこだわらずに、次に進む。
    そのことで、とやかく言っている時間は、私には残されてはいない。
    だから、すぐに忘れる。
    やっぱり、駄目な人でもあると、自覚はしている。
    でも、それを進歩だと信じてもいる。

    昨日も、「麒麟」に行った。
    雨の合間に自転車ででかけた。
    「ビオラ」を買うためだった。
    先日、このお店の人にいいことを聴いた。
    「ビオラ」も「バンジー」もこの冬を、
    雪の中でもしっかりと越すということだった。
    そして、雪の下で寒さに耐えた花たちは、
    春を待ってその蓄え、我慢し、耐えて来た力と喜びをもって、
    一気に美しい色になって咲き誇ると言うのだった。

    私は、初冬になってから、庭の花壇を仕舞にするつもりだった。
    これから、雪が来るのに、花を植えるのが可哀想だと想ったからだ。
    ところが、そうではないことがよくよく分かった。
    命は、やっぱりどこかで翌年の春に繋がらねばならないんだな。
    その繋がる形が、その種類によって、生き方によって違うこともよく分かった。

    いなくなった蝶は、形を変えて、この自然の中で存在している。
    蛹がそれだ。
    今年もコットンがよくよく咲いた。
    今は真っ白な綿をつけたまま花壇に立っている。
    すると、その綿の中に丸くってちっちゃな黒い種がある。
    そうだ。種で春を待つ植物がいるな。
    それから、昨日、チューリップの球根を植えた。
    彼岸花は深緑の葉っぱを伸ばして、土の中の球根を養い育てている。
    そして、ビオラとパンジーは、花のまま、小さな葉っぱのまま、雪に耐える。
    みんな、春を待っている。

    そうかと、その話を聴いたら、その耐えるビオラたちに会いたくなった。
    そして、来年の春に、暖かくなったら、
    その春のお日様をいっぱい浴びて、のびのびと輝くビオラの花の色たちに、
    何だか私は、会いたくなった。
    だんだん空いて来たプランタが増えて来た。
    よし、ならばと、そこにせっせとビオラを植えた。

    昨日、聴かれた。
    「お客さん、ガーディニング、ずっとやってられたんですか?」と。
    そうだなぁ。と、改めて考えてみた。
    思い返せば、ある日、突然。五年前?
    思い立って土を大量に購入し、庭の一角に花壇を造った。
    そこに、名前も知らなかった花を植えた。
    そして、せっせと毎朝、毎夕に水をあげた。
    すくすくと育ち、花を咲かせた。
    暇な日中には、その花の傍らで椅子を出して本を読んだ。
    庭で音楽を聴くようにもなった。
    天気の日には、この庭に居ることが多くなった。

    ああ、あの日、この庭に来てくれた花たちが、
    こんな私に変えてくれたんだなと、その時、想った。

    人は、変わるものだ。
    それは、その人の想定外、予想もしなかった姿・形にだ。
    変わると言う生き方が、自然そのものの生き方でもあった。
    私は、そのことも花たちや、虫たちから教えられた。

    季節は移り変わる。
    それに呼応して、応答しながら、命は、その命を繋げるために、
    その姿・形を変え、その日その日のど真ん中を生きている。
    そのことが、自然で、とてもすごいことで、
    そうした生き方の知恵を、自然に生きるもの全てに与えられてある。

    庭とは、その真実の現れを、目の当たりに見て、
    感じて、ガッテンし、学ぶ場所なんだな。
    やっぱり自然が、偉大なる先生だった。
    だから、私は、変わってもいいんだし、変わらなければ生きてはいけないんだ。
    変わることは、生きることだ。
    反対に、変われないことは、その変化に呼応・応答できないから、
    ぽきんと折れたり、弱ったり、枯れたりするんだろうな。

    日々は、全て新しいものだ。
    今、ここに感じたままに、呼応して生きる。
    来年の春に花を咲かせるために、どのような姿・形で命を繋げるか。
    冬が来る。雪が来る。さて、どうやってその寒さに耐えて、生き延びるか。
    昨日と同じ、花はない。
    変化するということは、実は、成長しているということだ。

    そして、少しずつ、終わりに向かいつつあるということだ。
    しかし、その終わりには、種があり、球根があり、蛹があった。
    終わりとは、けっして終わりではなく、次につながり、受け継がれる命のことだ。
    そして、その命が、増えていく。
    たった一粒の種から、千粒の種が生まれる。

    今年の冬は、今度私の庭にやって来た、ビオラたちと共に耐える。
    ビオラが雪の下で、春を待つなら、
    私も、そのビオラたちに負けないように、春を待とう。

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