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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2011年08月31日 05時58分17秒

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    ぼくさぁ、ボクサー生活

    年をとると言うことは、健康にもリスクが加わるということらしい。

    とにかく記憶力が落ちて来ている。
    人の名前や、ちょっとした物の名前がすぐに出なくなった。
    三日前のことを聞かれても定かには答えられない。
    同じことを何度も聞き返してひんしゅくをかっている。

    股関節の筋肉の痛みが二週間しても治らない。
    少しずつリハビリのつもりで走ってはいるが、
    距離はぐっと縮めて走っている。
    そのおかげで体力そのものも落ちいてる気がする。
    今年は劇団が上演する関係で新潟マラソンには参加できない。
    モチベーションが落ちているのだ。

    そして、人間ドックで個別な指導を受ける人となってしまったのだ。
    検査結果を聞く前に、私の番号が呼ばれ、個室に入れられた。
    「まさか・・・」悪いことしかこんな時は想像しないものだ。
    「実は・・・」と相手は栄養指導の女性の先生だった。
    「クマさん、血液検査で多くの項目で指導が必要になりました」とのこと。

    特定健康何とか指導に当たるので、
    栄養指導と長期の減量計画を立てて欲しいとのことだった。
    「がーーーん」
    国の政策で健康保険の費用を減らすために、
    私のような三大成人病予備軍は、減量勧告が出され、
    その勧告を受諾したメタボ体型の人には、
    何と個人的に栄養指導をして、
    長期的な展望に立ちメタボを改善しようということなのだ。

    ありがたい話だった。
    さんざん「このままでは」と病気について脅かされた後、
    「それでは」と私の日頃の食生活と飲酒生活に対しての改善が提案された。
    「総カロリーを抑える」
    「酒は350の缶ビールとワイン400mlと焼酎少々」
    「夕食に炭水化物を極力減らす」
    「ご飯の分量はお茶椀で軽く一杯」
    「天ぷらや揚げものは極力控える」
    「12月までに4キロ減らし、腹囲を5センチ減らす」
    「毎日体重を記録する」

    実は、私と同年代の友人が軽い脳梗塞で緊急入院をしている。
    サッカー選手の急性の心筋梗塞の例もある。
    糖尿病になれば一生のお付き合いなのだ。
    「今なら、大丈夫ですよ」
    若い栄養士さんの笑顔に励まされ、
    他人の私の健康をこれほど想ってくれるのかと感じ入りながら、
    私は、「やります」と書面にサインをしてしまったのだ。

    年を取ったおかげで、体力・抵抗力が落ちた。
    筋力も少しずつでも鍛えていないとどんどん劣化してしまう。
    記憶力も同じことだった。脳の活性化が求められているのだ。
    そして、基礎代謝が落ちたために、同じ飲酒生活では、最悪の結末が待っているとのことだった。
    しかし、毎日の自主的な飲み会のおかげで未だ達成はできていないが・・・。

    一人でやるのではなく、見守られながらやる。
    私はトレーナーに観察されたボクサーのように、
    今は体重計の数値に敏感になっている。
    ただし、効果はその割には望めないようだ。

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  • from: クマさんさん

    2011年08月30日 05時48分10秒

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    手造りの町育てを

    とにかく疲れが残った日曜日だった。
    午前中は仕事があり、自転車で職場に向かった。
    帰りに山ノ下市場を通ると、
    市場のイメージが一変していた。
    内山さんがドラムを叩き、五十嵐さんがサックスを鳴らし、
    田中さんがアコーディオンを弾き、さとうさんがボサノバを歌った。
    市場にはそんな映像と音とが、残像のように残されていた。
    何とも不思議な感覚を味わったものだった。

    大きな舞台の後、その大きさに比例した喪失感を味わうことがある。
    それはやり遂げた心地よい疲れでもあるが、
    もうすでにそこには存在しなくなった大いなる寂しさでもあるのだ。
    祭りの後の静けさかな。
    多くの人たちが想いと願いとを一つにして創り上げた作品だった。
    そう考えると、やっぱり人生は一つの舞台なのかもしれない。
    その世界は出演者とスタッフの力を合わせて創りだされた世界である。
    そして、二度と再び帰らぬ世界でもある。

    夕方、「栗の木川の夕べ」JAZZコンサートに行った。
    実行委員長のTさんに会うためだった。
    毎年行われるこのイベントにも、立ち上げの頃から私は参加させてもらっている。
    初回の出演者は堀川久子さんで、かがり火を炊いての熱演だった。
    夏の終わりに、夕日を見ながら、川端の公園で行われる。
    その日のバンドのドラマーは、やっぱり内山さんだった。
    昨日の音楽市場と違うメンバーでの出演だった。
    とにかく精力的に活躍する人なのだ。

    こうして山ノ下には、「山ノ下なじらね音楽市場」が誕生した。
    沼垂には、8年前から「栗の木川さくら祭り」があり、「栗の木川の夕べコンサート」が開催されている。
    音楽やパフォーマンスを通しての町育てである。
    しかし、そこには仕掛ける人と手伝う人と演ずる人が必要なのだ。
    町の人たちの楽しみを、自分たちの手で創りだす。
    創りだした人同士が新たな出会いをし、さらに絆を深めて行く。
    そのために、こうしたイベントは行われているのである。

    町育てには、町の人たちの手造りが必要なのだ。
    その手作り感が溜まらなくて、私はせっせと参画している。
    音楽を通した町育て。
    なかなか大変だが、遣り甲斐のあるものだと実感した。

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  • from: クマさんさん

    2011年08月28日 14時04分07秒

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    本日 誕生日のクマです

    まさに夢のような時間だった。
    山ノ下市場でJAZZが流れてもいいではないか。
    そんな発想から生まれたコンサートだった。

    車両通行止めにして、4つのブースで同時にコンサートを開催する。
    そんな無謀な計画だったが、やるしかないと決断した。
    準備のために集まったスタッフの人たちのやる気と熱気。
    出店もどんどんスタンバイをしてくる。
    ステージの設定が西日の関係で急遽変更となった。
    それでもスタッフは、臨機応変に対応していた。

    あっちこっちから「クマさん」と呼ばれ、いろいろな注文を聞いた。
    とにかく全く初めての音楽祭のために、
    会場のイメージすらなかなかつかめぬ状況だった。
    それなのにステージの変更で出演者の皆様には多大なご迷惑をかけてしまった。
    いかにスムーズに進行出来るかは、
    水面下でどれだけ私が涼しい顔をしながらばたばた走りまわるなのだ。
    大プロデューサーのTさんに「クマさん、自転車だよ」と笑われた。

    山小の素晴らしい演奏のおかげで、熱い想いでスタートができた。
    後はお客さんに呼び掛けて各ブースに参加してもらうだけである。
    司会のFさんと打ち合わせた。彼女はプロである。本当に助かった。
    動き出せば、各セクションのスタッフの力なのだ。
    私は全てを任せて、全体の調整に走り回った。
    つまり、腰を落ち着けて演奏を聴く時間もなかったということだった。

    晴天の市場の路上で、ライブを行うことの解放感。
    空はあくまでも青く、吹く風には秋の気配を感じつつ、
    目の前には確かに山ノ下の中高年ばかりのお客さん。
    お互いに声をかけ合い、かかわり合える距離感でのアットホームなライブだった。

    フィナーレでは、私が作詞した「音楽市場のテーマソング」を、
    何と何と私の敬愛する田中さんたちのバンドで歌わせてもらった。
    出だしキーが合わず、ただの酔っ払いの親父だった。
    夢のような時間はあっという間に過ぎ、
    夕闇に入り、ステージからお客さんの顔が暗くて見えなくなった。
    真っ暗な中でのジャムセッションは「いかった」の一言だった。

    慰労会では、何と私の誕生日を祝ってもらい、ケーキまで内緒に用意してもらっていた。
    疲れ切った体と心には、震えるほどの喜びだった。
    こんな私のために、ここまでしていただけると、何だか泣けた。
    スタッフが、実に充実した笑顔だった。
    Kさんも楽しそうに酔っ払い親父だった。
    私はこの日が来るまで、コンサートを開催するためのいろいろな心配事を抱えていた。
    何度Kさんのお店に足を運んだことだろうか。

    しかし、人の力とは凄いものなのだ。
    出演者一人一人の音楽に対する想いと、
    このコンサートに参加してくれた優しさとをひしひしと感じた。
    スタッフ一人一人が、確かに成功させようと全力で仕事していた。
    劇団の人たちのここまで来るための深夜に及稽古の日々も知っている。
    出演者とスタッフの共通な熱い想いと願いとに支えられて、
    「第1回山ノ下なじなね音楽市場」は大成功の内に終了した。

    今朝は、祭りの後。
    イベントが大きければ大きいほど、心の寂しさは比例しておおきくなるものだ。
    ただクマが言えることは、「ありがとうございました」それだけだ。
    この音楽市場、来年もやってもいいのだろうか。

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  • from: クマさんさん

    2011年08月27日 06時24分04秒

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    本日「山の下なじらね音楽市場」開店です

    本日、山ノ下なじなね音楽市場である。
    この音楽祭を、山ノ下市場で実現できることを感謝している。
    「念づれば通ずる」
    想いを強く持てば実現できるものだ。

    しかし、そこには必ずその想いに共感し、共有し、
    共に活動する多くの仲間たちがいることこそ大切なことなのだ。
    人は、独りでは限られている。
    人は、人と力を合わせることで、その力は足し算ではなく掛け算となり、
    想ってもいなかった大きな力になることができるのだ。

    思い返せば、「やろう会」だったねと、昨日Cさんと語り合った。
    7年前になるだろうか。
    親父の会を立ち上げ、「春のにぎやか広場」を開催し、
    親子での楽しいお祭りを親父たちが楽しんだ。
    その時の楽しさが私たちの原点だと、Cさんが言っていた。
    親父たちの手で、そんなことも出来るのだ。
    ある意味、開催した親父たちの人生観を変える出来事だった。

    そこで出会った仲間たちが、小中学校でのPTA活動で活躍をしている。
    山ノ下地域では、親父たちのPTA活動参加は当たり前になっている。
    それは、先輩親父たちの後姿が、残して行った貴重な財産だった。
    Cさんは、学校を越え、福祉の地域社会づくりに貢献している。
    私は、「なじら家」での8回のコンサートをきっかけに、
    音楽を通じての町づくりの手ごたえを感じた。
    体験と感動とが、人をつなぎ、新たな力へと成長させる。
    そのコンサートでの出逢いから、本日の音楽市場が誕生したのだ。

    新潟市のイベントでは有名な大プデューサーのT氏と知り合うことができた。
    この出会いは、私の人生にとってはとてもとても大きな収穫だった。
    今回のストリートミュージックのアイデアを教えていただいた
    田中トシユキさんとの出会いも感謝、感謝、感謝である。
    そして、協力し、喜んで?参加して下さった出演者の皆様。
    本当に心から「ありがとうございます」です。

    福祉関係の人たちや、親の会の人たちの出店でも盛り上がりそうである。
    生ビールはもちろん、焼きそば、串揚げ、綿菓子・ポップコーン・金魚すくい等、
    本日の午後3時〜山ノ下市場がお祭り会場に変身である。
    子どもたちにもぜひぜひたくさん参加してもらいたいものだ。
    スタッフ・出演者・出店関係者を含めると、
    総勢100名は越えるだろうと予想される。
    せめてお客さんは、その5倍は来ていただきたいものである。

    想いを一つにした人たちが集い、作りだすものは何か。
    それは本日の「山ノ下なじらね音楽市場」に参加していただければ一目で分かるはずである。
    地域のためにすることは、自分のためにすることでもある。
    参加する私たちが多いに汗をかきながら、楽しめる祭りになることを願っている。

    御来場には、バスがとても便利である。
    「松浜」「医療福祉大」行きに乗り、北葉町で降りる。
    バスが山ノ下通りの前を通るので、
    場所は迷わずに来れるはずである。
    復興祈念チャリティーコンサートである。
    入場は無料。
    多くの方のご参加をお待ちしています。

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  • from: クマさんさん

    2011年08月26日 07時06分48秒

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    8月25日

    最近、夜中に目が覚めることが多い。
    今朝は2時過ぎだった。
    それから目が冴えてしまったので、寝たまま本を読んでいた。
    「新約聖書を知っていますか」だった。

    新約生者は27巻からなっているそうだ。
    旧約聖書は39巻。
    「三・九・二十七」と覚えるといいそうだ。
    そこには福音書が4つ。使徒言行録が1つ。パウロの手紙が13.その他が8.
    そして、最後には「ヨハネの黙示録
    がある。

    「クオ・ヴァディス」まさにそれは伝道と迫害の物語だった。
    ユダヤ教と言う律法に厳しい教えから、キリスト教は誕生した。
    イエスの復活を信ずる信仰は、世の中から受け入れられるものではなかった。
    だから、その教えを伝えようと努力したペテロもパウロも信仰による苦難の生涯を生き。
    最後にはローマの地で殉教した。

    古い権力は、既得権を脅かされることを恐れて、
    新たな時代の先鋒を生きる人たちを理解せず、迫害することが多い。
    違うものや、異質なものは、この秩序ある社会を乱すものとして排除される。
    信念を持ち、その時代に対して抗った生き方を貫けば貫くほど、
    時の権力者にとっては恐ろしい存在と映る。
    だから、いわれなき罪に問うて、迫害を続ける。

    パウロは、イエスの教えを広めるためにまことに凄絶な後半生を生きていた。
    鞭打ち・投石・難船・川の難・盗賊の難・同胞からの難・異邦人からの難・飢えと渇き・眠れない夜
    それでも彼はローマを目指した。
    それは彼にイエスが会い、直接に使命を与えたからだった。
    迫害に耐えるには、信ずることが必要なのだ。

    パウロはカエサレアという地で2年間未決のまま牢に入れられていたそうだ。
    私はこの個所を読んだ時、あることが心の中で閃いた。
    やはり、明和義人と呼ばれた涌井藤四郎も、
    長岡藩に囚われてから、2年間も未決のままで牢に入れられていたのである。

    何故、未決のままだったのか。
    それは、そこには裁くための罪状が存在しなかったからである。
    パウロは、キリスト教の伝道のために来ただけなのだ。
    藤四郎は、困った人たちを救うために約240年前の新潟で町民の自治を2カ月行っただけなのだ。

    信念の人は、迫害を受ける。
    真実の人は、苦しみの生涯を与えられる。
    としたら、人はどうすることだろうか。
    そんな恐ろしいことにはかかわらず、見て見ないふりをするだろうか。
    守るべきことが多いので、他人のふりして生きるであろうか。
    それとも、迫害する人と一緒になって、信念の人を迫害する仲間となるだろうか。

    パウロは1900年前の話である。
    藤四郎は240年前の新潟の話である。
    そして、現代はやっぱりいろいろな意味で迫害に会っている人が存在しているのだと想う。
    信念と真実の人であるか。
    差別や迫害を見て見ぬふりをする傍観者であるか。
    差別や迫害をして人権を侵す当事者となるか。

    しかし、まだ差別や偏見をもって個人を攻撃する輩は、どこの小さな社会でも存在している。
    腹立たしく、情けないことである。

    明和7年(1770年)8月25日 藤四郎と岩船屋佐次兵衛が新潟町引き回しの上、打ち首になった日である。合掌。

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  • from: クマさんさん

    2011年08月25日 05時48分16秒

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    27日「山ノ下なじらね音楽市場」

    本当に振り返ると8月はぼろぼろだった。
    あれだけ続けていた「親父たちよ」すら、書けなかったのだ。
    今は、その生活をこうして戻しつつある。
    あの暑さのせいだったり、酒のせいだったり、事故のせいだったりする。
    想えば切ない状況であったかもしれないが、
    今は、こうして生きている。
    あがけば沈むが、脱力すれば浮くのかもしれない。

    27日(土)に山ノ下市場での一大イベントがある。
    「山ノ下なじらね音楽市場」だ。
    市場通りを通行止めにして、そこで4つのブースを使っての音楽祭を行う。
    市場に来て買い物する乗りで音楽を堪能してもらう。
    そんな気軽なコンセプトで企画された音楽市場である。
    「なじら家コンサート」からその発想は生まれた。
    商店街のKさんがその企画に乗ってくれた。
    「山ノ下を考える会が全面的にバックアップしてくれた。
    何でも言ってみるものである。

    午後3時〜出店での販売が行われる。
    福祉関係の団体や親の会の人たちが、焼きそば・串揚げ・生ビール等を販売する。
    子どもたちのためには、金魚すくいや綿あめを用意している。
    午後4時〜オープニングイベントだ。
    ここでのメインは、山小のブラスの本格的なビックバンドJAZZである。
    そのスイング感と見事なハーモニーには感動ものの演奏だ。

    4時20分〜ファーストステージが始まる。
    A さとうえみ   素敵なボサノバギターと歌である。
    B カポエィラ   打楽器を駆使したエネルギッシュなアフリカンダンス。
    C フラケパニー  アロハとウクレレそして癒しのフラダンス。
    D 内山二夫バンド 名ドラマー内山さんが熱烈なるJAZZを聴かせるはず。

    5時20分〜セカンドステージが始まる。
    A デビットバンド ソプラノサックスの名手がクールなJAZZ魂を伝える。
    B 東区劇団&劇団あかつき ショーとコントと音楽との融合。笑いと感動のステージは必見の価値あり。
    C フルール    五十嵐文さんのサックスが聴ける。とにかく中高年のための選曲に笑顔。
    D 田中トシユキ  アコーディオンの郷愁を誘う音色で、どんな田中ワールドに連れて行ってくれるのか。

    6時30分〜はサンバでダンスの大フィナーレ。
    最後は「夏の思い出」に参加者全員でのサンバ・カーニバルとなる。
    そして、午後7時には、「音楽市場」が閉店となる。
    それからは、延々と・・・・・。

    こんな音楽祭を開催できる山ノ下となったのだ。
    さてさて、当日は晴れることを祈っている。
    そして、そして、大勢のお客さんに来てもらいたいものだと願っている。
    本当に人の力とは凄いものだ。

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  • from: クマさんさん

    2011年08月24日 08時22分42秒

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    お久しぶり

    さてさて、いつものようにこの季節ぼろぼろになってしまう。
    先週からいろいろなことがありすぎて、
    だから、かえってこの掲示板を書けなくなってしまった。
    どこで自分を止める努力をするかであるが、
    堕ちるところまで堕ちないと、なかなか本気にはなれないものだ。

    右足の付け根をいつの間にか痛めてしまった。
    暑さと雨で走れなかったので、今朝はちょっと走ってみた。
    やっぱり痛みが残っていた。
    無理をしないことと、今はジョグも休止中だ。
    研修と免許更新の連続だった。
    そのおかげなのか、飽和状態でことごとくやる気が出なかった。

    このぼろぼろの状態がそれを証明してくれているはずだ。
    何とか途中でなったはずなのに、
    何とかここまで堕ちなくてもよかったはずなのに、
    自堕落に堕ちてしまう弱さが私にはあった。

    そうすると、考えることも、書くことも、おっくうになってしまう。
    パソコンに向かっても何も言葉が出てこないのだ。
    しかし、よくよく考えたら、
    ジョグをすることと、ここにメッセージを書くことが、
    私の精神状態をよりよく保つ習慣なのだと改めて想った。
    書けない状況が続き、
    書かないことが当たり前になったら、
    やっぱりいろいろと鬱が続いた。

    変えられない過去をくよくよするより、
    自分で努力して書き換えられる「今」を大切に生きることなのだ。
    もし、暗く心が沈んでいたら、
    やっぱりいつものことを、いつもの通りにやることなのだと改めて想った。
    この内転筋の痛みが抜けない時は、歩けばいいのだ。
    心に元気がなくなったら、
    人と話したり、海を見たり、歌を歌ったり、本を読んだり、
    それでもできることを、できる範囲でやればいいのだ。

    そんな気持ちにもなれない時は、
    じっと黙ってしゃがんでいてもいいではないか。
    そんな憂鬱な気分は内転筋の痛みと同じだと想おう。
    その痛みが消えるまでは、無理はやっぱり禁物なのだ。

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  • from: クマさんさん

    2011年08月14日 06時43分41秒

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    疲れが抜けない

    今週は、何だか疲れが抜けない日々が続いた。
    朝、走らなくなっている。
    暑さのせいだが、それだけではないような気がしている。
    山の疲れだと妻は言うが、
    やっぱり身体の何かが変わりつつあるようだ。

    研修のために二日間N大学だった。
    長男のアパートまで妻に送ってもらい、そこから歩いて行った。
    妻はその間、せっせとアパートの掃除をしいた。
    とにかく80分間の講義には参っていた。
    認定試験も最後にはまっていた。
    彼が受けただろう教室で学び、
    彼が食べているだろう学食で食べた。
    講義を終えてアパートに帰ると、冷たい缶ビールがあった。
    そこから妻の運転で我が家に帰る。

    金曜日の夜は、山ノ下市場で夜市があった。
    私は生ビールを飲みに出かけた。
    すると、SさんがK酒屋さんの前で販売の手伝いをしていた。
    既に生ビール6杯目らしい。
    私も負けじと椅子に座って生ビールを飲み始めた。
    そこへNさんが来た。そして、Tさんに、Hさんも登場した。
    「やろう会」立ち上げのメンバーだ。
    久しぶりなのでそこに座り、宴会が始まった。
    ここに来ると、仲間に会える。
    そんな山ノ下になっていた。

    しかし、五十代半ばなのである。
    研修会で出会った久しぶりの仲間たちも、やっぱり五十代半ばとなり、
    その年なりにやっぱり老けているのだった。
    「やろう会」の仲間たちは十才若いが、
    それなりに年を取り、叔父さんになっていた。
    過ぎ去ったしまった年月の多いことを、私は独りで感じて寂しくなった。

    あんなに小さかった長男は、大学1年生になっている。
    いつの間にか私は年を取り、今月の28日で54歳になってしまう。
    残された年月を想うと一抹の寂しさがある。
    何をして生きて来たのだろうか・・・・。
    酒はとにかく飲んで来た。
    しかし、飲むとやっぱり眠ってしまう。
    おかげで最近本を読んでいないし、趣味の時間も作れないでいる。

    研修と缶ビールと、生ビールの一週間だったが、
    何故か虚しい、今日この頃でもある。

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  • from: クマさんさん

    2011年08月11日 06時08分09秒

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    聴く

    相手の人と仲良くなるためにはどうしたらよいのか。
    そんなことを昨日考えていた。
    そのためには、やはり相手のことを大切に想い、
    相手の意見や考えを尊重することなのだと感じた。

    まず、その人を知ることだった。
    偏見と誤解とで、勝手にその人を決めつけていては、
    仲良くなろうなどとは決して思わない。
    憶測や想像ではなく、その人と向かい合い、
    その人の言葉を通して、その人を理解することなのだ。
    知ることだけでは駄目で、やっぱり理解するまで行かないと、
    なかなか本音のその人とは出会えないものだ。

    次に、その人の好きなことに興味・関心を持つことだ。
    その人の趣味や、習いごと等の話をよく聴く。
    その時は、ただ聴くのであって、絶対に否定的な意見は言わないことだ。
    受け入れ、共感し、同じ想いを持つ時、
    その人は、その人らしい生き方や本音を語る。

    そんな共感的な理解から、その人は聴き手に対して好感をもつはずだ。
    人の社会的な欲求の中には、
    自分のことを分かって欲しい。
    自分の生き方や考え方を認めて欲しいという気持ちは確かに存在する。
    よき隣人とは、よく共感者なのかもしれない。
    好感は、実は相手が持つより先に、
    聴き手がもっていた方が仲良くなる度合いが強くなる。

    肯き、驚き、感動し、賞賛し、共感する。
    これは聴き手にとってとても大切な態度である。
    否定しない。批判しない。ただひたすら聴き手に徹する。
    そのように自分の話を聴いてもらい、
    自分の気持ちや感情を分かってもらうと、
    話し手にはカタルシスが生まれ、
    その聴き手に対しての親近感が生まれて来るものだった。

    人のことを判断し、批評し、批判する人とは、付き合いたくないものだ。
    我儘で、自分勝手で、何様のような人ともお付き合いはごめんである。
    しかし、こうして共感的な態度で私の話を聴いてくれる人を通して、
    私はもっともっと自分を知ることができ、
    その聴き手の言葉を通して、自分の存在の意味を理解することができるのだった。
    それは、人は、語りながら自分自身を発見するからだと思う。

    私は、そんな聴き手によって、育てられている。
    そんな魅力的な聴き手と出会うと、その人を好きになる。
    不思議なものだが、只管相手の話を親身になって聴いてあげられる人は、
    相手からの好感度が高いのだ。
    話し手がもっと語りたくなるような聴き手がいたら、
    きっとその人は、話し手のことを人として尊重している人なのだと想う。

    そんな聴き手に私もなりたいものだ。
    実は、私にはジョギングするたびに手を合わせるお地蔵さんが居る。
    それは、宝町の民家の玄関先に立つお地蔵さんだ。
    そのお地蔵さんは、切れ長の目を伏せて、優しく微笑んでいる。
    このお地蔵さんは、何でも黙って聴いてくれる。
    そんな安心感を感じ、毎朝、私はこのお地蔵さんの前で祈ることを楽しみにしている。
    お地蔵さんは、私の願いを何でも黙って聴きいれてくれる人なのだった。

    つまり、素晴らしい聴き手とは、仏様のような人なのだ。
    私は、こういう人を知っている。

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  • from: クマさんさん

    2011年08月10日 06時12分03秒

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    尾瀬が教えてくれたこと

    京都の大文字焼きが中止になった。
    330本の亡くなった人への想いを書いたマツの木に、
    放射能が含まれている怖れがあるからとのことだった。
    瓦礫の処理も他県へお願いしなければならない状況だが、
    福島県の瓦礫は拒否されている。
    放射能の恐ろしさもよく分かる。
    しかし、復興や鎮魂への支援は、必要なのではないだろうか。

    肉牛の全頭出荷禁止が続いている。
    畜産業者はそのために肉牛を市場に出すことが出来ず、
    月額500万円もかけて収入が一銭もない畜産業者の話が出ていた。
    その損害賠償は当然東電なのだが、
    個別の戦いではどれだけ支給されるか分からないだろう。
    とにかく風評被害を含めて、
    被害を受けた人たちは訴訟団体を作り、訴えるべきなのだ。

    広島と長崎の原爆の日があった。
    被曝国日本が世界に訴えていたのは、核の廃絶だった。
    二度と再び核による放射能の被爆者を出さないことを世界に訴えた。
    しかし、その日本が日本人を被曝させた。
    放射能による汚染は広がり、
    現在現場で作業する人たちは、日々被曝しながら必死に戦っている。
    核の平和利用なんぞ、嘘っぱちなことはよく分かった。
    放射能は人間が作り、この世界に放出したものだった。
    ノーモア広島・ノーモア長崎・ノーモア福島。
    そんな声がもっともっと日本中から上がる日が来ることを願っている。

    マスコミは、福島第一原発の現状についてのニュースを報道しなくなった。
    原発の放射能漏れはどうなっているのだろうか。
    原子炉の冷却化は進んでいるのだろうか。
    汚染された水は確実に処理されているのだろうか。
    工程表通りに作業は進んでいるのだろうか。
    現在放射性物質は放出されていないのだろうか。
    そして、何よりも最も知りたいことは、
    何故、絶対に安全と言っていた原子炉がメルトダウンを起こし、
    最悪の事態に至ったか、その原因が未だに明らかになっていないことだ。

    まず、時系列でどのような事態が起こり、人がその緊急事態に対してどのように対応し、
    対応した結果、どのような事態に進展したか、
    つまり、この爆発の原因を未だに究明できないのならば、
    他の原子炉の運転は即刻停止すべきだと私は思う。
    「人間の技術には限界がある。」
    二度被曝した技術者の人の言葉は重い。
    そう言えば、海水注入を躊躇したのは東電だったなぁ。

    家庭で30年間使っている電化製品はあるだろうか。
    30年間毎日毎日多くのストレスをかけながら使っている製品はどうなるか、
    それは誰でも想像すれば分かることだ。
    原子炉は、もちろん30年間も使用したものは事故を起こさない内に即刻廃炉にすべきなのだ。
    また、国民の生命と安全とを優先にするならば、
    20年以上使用した原子炉は廃炉にするという決断も必要なのだ。
    柏崎・刈羽の原発が定期検査に入った。
    その原発を再稼働する決定は、全ての新潟県民の総意で行うべきだと思っている。
    何よりも原発事故の終息の目途も立たず、
    その原因究明も行われていない内に、
    同じ原発を稼働すると言う無責任なことは絶対に行政はやってはいけないことだと思う。

    想定すべきことは、「柏崎・刈羽の原発が爆発したら」なのである。
    ヨウ素は準備されているのだろうか。
    すぐに緊急避難命令が出されるのだろうか。
    放射能汚染された地域の住民は、どこへ避難したらよいのであろうか。
    その爆発が福島のように何カ月も止まらなかったら、
    新潟県の農作物はどうなってしまうのだろうか。
    風評被害で買う人がきっといなくなってしまうだろうと想定できる。

    私たちは、広島・長崎に学ばなければならないのだ。
    そして、福島の現状は、明日の原発を持つ県の姿なのだと想定すべきなのだ。
    日々報道される悲しい現状は、原発があったから起こったものなのだ。
    もし、福島県に原発がなかったら、
    去年と同じ平安にお盆を迎えられたのである。
    原発を持たない県は、ほっとしていることだろう。
    原発の隣りで暮らしている人たちは、いつ爆発するか分からない恐怖を感じているはずだ。

    それでも原発は必要なのだろうか。
    尾瀬の自然を歩きながら、
    この美しい水と草原と森とを後世にまで受け継ぐことの大切さをひしひしと感じたクマだった。

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