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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2011年11月27日 12時26分34秒

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    昼酒の

    さてさて、こんなお日和は久しぶりだ。
    やっぱり晴れていると気持ちがいいものだ。
    昨日の出来事は、また後でゆっくりと記すことにする。
    とにかく朝、走ったことが一日の疲れの元であった。

    山ノ下から、りゅうと大橋を経て、フレッシュ本町、旧日和山。ここまでが32分間。
    それから、海岸に向かい日和山の展望台に立つ。
    護国神社を目指して、ドン山から松林の中を気持ちよくランする。
    途中に石碑あり。市島さんの詩に、ひどく感激したりする。
    それから会津八一記念館前を通り、ドッペリ坂、古町を抜ける。
    万代橋を渡りたくて、スピードアップで一気に渡る。
    まさに爽快な気分だった。
    そして万代を通り、明石通りに抜ける。
    ここから沼垂を通り、ひたすら山ノ下を目指す。

    15〜6キロはあるだろうか。
    朱鷺メッセの展望台からその走ったコースを見降ろすと、
    よくやるよなぁと自分でも想った。
    人は、こんなこともやれてしまうのである。

    ところが、それはそれは疲れが溜まり、
    夜の慰労会ではそのピークに達していた。
    ほとほと疲れ、ほとほと眠く、ほとほと気力が萎えていた。
    私は、いつもこうだった。
    呑みながら、とうとうふくらはぎがつってしまった。
    「いてーーっ。」と、騒ぐわけにもいかず、じっと我慢の私だった。

    それなのに、これから朱鷺メッセで「うまいもの博」に出かける。
    ブラボーブラザーズと花束王子の会談である。
    酒は地酒をほどよく試飲して、五合瓶を買って呑もうと思っている。
    B級グルメをつまみに、しばしの親父たちの楽しみである。
    最近、会う人によく言われる言葉がある。
    「クマさんが素面な時に会ったことねぇね。」
    それはそうかと、納得することもある。

    休日に 昼酒呑んで 夕日かな  byクマさん

    しかし、胃の方も過労気味なので、本日の量はセーブすることをここで誓う。

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  • from: クマさんさん

    2011年11月26日 06時55分42秒

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    O先輩のこと

    交通事故で2カ月間入院していたOさんが退院して来た。
    自宅でのこれからはリハビリになる。
    90歳の介護の必要なお母さんは、お姉さんのお宅に行ったる
    彼は、ある意味これから悠々自適な独り暮らしだ。
    それにしても九死に一生を得た人である。
    後遺症も残らず、よく生きているものと驚いている。

    昨日はせきとりの唐揚げと〆張鶴の吟醸酒持参で彼のお宅へ。
    Oさんは、明訓高校の6年先輩である。
    沼垂の山小屋の常連で、よくカウンターで呑んだ仲だ。
    彼との出会いは不思議なもので、
    私が8年前になるか、
    初めて「王瀬の長者」の脚本を書くために取材していた頃のことだった。

    「森田さん、王瀬の長者の話、知っている人いねろっかね。」
    そんな話を、主人にしていたら。突然、一人の酔っ払い親父が、
    「その話なら、子どもの頃からよく知っていますよ。」と、笑顔で登場したる
    その人が、Oさんだった。
    何と彼は、その長者町の住人でもあった。

    それからのお付き合いだ。
    勤め帰りに自転車で山小屋に現われる。
    もう一人の明訓3年先輩のHさんと3人で、
    明訓三羽ガラスを結成した。
    元々組合の専従をしていた人だ。
    頑固一徹。人の話より、自分の話。
    ある意味、信念と意志の男である。

    二人でどれだけお銚子を空にしたことか。
    そんな懐かしい話を昨日二人で語り合っていた。
    あの時代に出会った山小屋の大先輩たちには、
    本当に私はお世話になったものだった。
    私自身、夢中で突っ走って生きていた頃のことでもある。
    あっちの壁にぶつかり、こっちの壁にぶつかり、撃沈しては這い上がる毎日だった。

    辛くて仕方なくなると、カウンターに行き、独り呑んだ。
    森田さんは、黙って焼き鳥を焼きながら、声をかけてくれた。
    お銚子2本と焼き鳥2本。
    千円でお釣りをもらって帰ろうとすると、Oさんが登場する。
    「しまった。」ここからが長かった。
    妻には携帯のメールで謝罪の言葉を送った。
    「帰って来なくていいよ。」と何度も返事をもらった。

    ある意味、先輩は、私にとっては戦友のような気がしている。
    お互い、この世の中で生きることが下手である。
    自分の信念と意志のために、ごまをすることも、自説を曲げることもしては来なかったる
    だから、時には叩かれる。やっつけられて、片隅に追いやられる。
    でも、二人して、「いいではないか。」とここまで生きて来た。
    私が休職中に、彼も一度目の交通事故でリハビリ中だった。
    二人で通船川でヘラブナ釣りをしていた頃が懐かしい。

    私が、弱き時に彼は傍で酒を飲んでいてくれた。
    私は、彼が臨港病院に入院中は、何度も見舞いに行った。
    昨日は、携帯で初孫の写真を嬉しそうに見せてくれた。
    彼との出会いも「王瀬の長者」のおかげなのだ。
    彼は、初演からこの劇を観ている人だ。
    「りゅうとぴあの劇は、芸術の域に達したね。」と褒めてくれた。

    信念と意志の人と語っていると、勇気が湧いて来る。
    「世の中に合わせなくてよかった。」
    「自分に正直に生きて来てよかった。」
    そんな実感をお互いが感じて、確認し合えた昨夜の宴だった。

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  • from: クマさんさん

    2011年11月25日 06時04分51秒

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    尊厳を忘れず

    大きな仕事がひと段落した。
    どんな役割を果たしたかと言えば、目立たない縁の下の仕事だった。
    サポートすることが私の役目だ。
    大変な仕事をしている人たちを陰で支える。
    この年になり、そんな仕事が自然体でできるようになった。

    俺が、俺がではなくなった。
    自分ができることはやろうと思う。
    また、人の役には少しは立ちたいとも思っている。
    しかし、率先して改革をとは思わなくなった。
    そんな欲がだんだんなくなってきている。

    大それたことも考えない。
    出来るだけの範囲で、出来そうなことにチャレンジしている。
    来年度は、それはそれなりに大きなイベントを控えているが、
    それも自然体で、ゆっくりと、のんびりとやって行きたい。
    自分に出来ることは、限られているからだ。

    しかし、よくよく考えてみると、今こうしてあることは、
    予定され、計画されていたことなのかも知れないと想うことがある。
    どこかで選択肢を間違ったり、何かを躊躇して思いとどまっていたら、
    ここには立てなかった気がするからだ。

    この人生と言う無数の座標軸のこの一点にかろうじて立っていることは、
    ある意味天恵であり、天の配慮であったのだと思っている。
    俺が、俺がと息まいていなくとも、
    あらゆることは、あの信濃川の流れのように行くべきところに行き着くようなのだ。

    「今日だけは、生きよう。」と思っている。
    辛いなぁと感じ、嫌だなぁと思う。
    それでも、そんなおかげで私は差別や偏見を受けている人を想い、
    少しはその人たちの心の痛みに同化出来る。
    人は、生きている間にたくさん辛いことや、嫌なことに出会うが、
    そんことで、人はやっと初めて人の心の痛みを分かる人になる。

    病んだ人でなければ、病んだ人の苦しみは分からず。
    死を想った人でなければ、死に向かう人の恐怖は分からず。
    苦労した人でなければ、辛い日々を送っている人の心の重みは分からず。
    家族や友と喧嘩した人でなければ、その後悔と慙愧に堪えぬ想いは分からないものだ。

    よく母が言っていた。
    「優しさは、人には教えられない。」
    人は、言葉では教えられないのだ。
    優しさとは、やはり「憂い」を経て来た人だけが気づく人間らしさなのだろう。
    あの人は、とても優しい人だ。
    しかし、よくよくその人の人生を聴くと、悲しい物語に満ちていたりする。
    やっぱり人に優しい人は、辛さや悲しさを持ちつつ生きている人なのだ。

    しかし、私は、残念ながらそうではない人と出会うことがある。
    その人によって、相手の心が傷ついていても平気で、
    なおもっとやっつけようと意地悪に想う人である。
    「優しさは、人には教えられない。」のだ。

    俺ががなくなってしまったのは、そういう人に出会ったからでもある。
    「言っても無駄だ。」「その偏見は変わらない。」「私のことを嫌いなのだから仕方ない。」
    しかし、その時虚しい脱力と共に、
    私は世の中からそうされてきた人たちの心の叫びを聴いた気もした。
    理不尽な差別と偏見とは、こんなにも人を苦しめるものなのかと。

    先日、アメニモマケズを改めて読む機会があった。
    そして、賢治もやっぱり悲しみの人だったんだなぁと改めて想った。
    しかし、そこで私たちは、その差別や偏見に絶対に屈してはいけないのだ。
    人間が、人間たることは、人間としての尊厳を失わないことなのだから。

    悲しみと尊さとは、隣り合わせの隣人なのだ。

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  • from: クマさんさん

    2011年11月24日 06時26分04秒

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    おじいさんと草原の小学校

    「おじいさんと草原の小学校」
    英国の長い統治支配から、独立を勝ち取ったケニアでの出来事。
    政府は、全ての国民に無償で教育を受けられる権利を与えた。
    草原に小さな小学校が開校され、若い女性校長ジェーンが赴任する。
    その学校に84歳のお爺さんマルゲが杖をついてやって来た。
    「私も、国民の一人だから、小学校に入れて欲しい。」と言う。
    もちろん断わられたが、
    毎日毎日通って来るマルゲの熱意に心を打たれた校長は、
    独断で彼の入学を許可する。

    教室は狭く、机に向かえない子は、床でノートを開いて勉強している。
    とにかく学ぶことを喜びと感じ、アルファベットや英語の会話を、
    真剣に学んでいる子どもたちの眼差しが美しかった。
    「教育が、ケニアの未来を創る。」
    運筆はたった一本。それを最後まで大事に使う。
    マルゲは、生まれて初めての学校だった。

    実は、ケニアが英国から独立するために、長い長い血の闘争があったのだ。
    マルゲは、若い頃マウマウの戦士となり、
    自由を勝ち取るまでは、仲間を絶対に裏切らない誓いを立てた。
    そまおかげで、妻と二人の子どもを目の前で銃殺されている。
    そして、収容所に入れられ、誓いを破ることを強要され、拷問を受けていた。
    彼の鼓膜はその時、破られ、彼の手足はぼろぼろに痛めつけられた。

    マルゲは、子どもたちに「自由」を教え、踊りを教えた。
    足に障がいのある1年生位の女の子が、マルゲの隣に座って話した。
    「私、大きくなったらお医者さんになって、マルゲの病気治してあげるね。」
    孤独と貧困の中で生きているマルゲにとって、魂に沁みる言葉だった。
    しかし、町の人たちはこのマルゲの行動に反感をもっていた。
    ここでも、いじめと差別とは起きるのだ。
    「おかしいぞ。」「何で老人がいるんだ。」町の心ない人たちの抗議が始まった。

    しかし、ジェーンは、マルゲを守った。
    ところが、このマルゲの存在がCNNやニューヨークタイムスに取り上げられ、世界的なニュースとなった。
    マルゲの存在が脚光を浴びれば浴びるほど、やっかむ人たちとはいるものだる
    ジェーンを脅迫し、学校を暴徒に襲わせ、問題を起こし、
    ジェーンに責任をとらせて、彼女を500キロ離れた学校へ行かせることにした。
    彼女の教育に向けた情熱は、こんな弾圧には屈せず、
    その命ずるままにこの学校を去り、赴任した。

    そて、マルゲは、ジェーンのために何をしたのか。
    そして、マルゲとジェーンの運命はどうなっていくのであろうか。
    この映画は、全ての教師に観てもらいたい映画だ。

    ラストで、何故マルゲが小学校に通おうとしたのかがよく分かる。
    大統領府から届いた一通の英語の手紙を読むためだった。
    マルゲは言う。「私にはまだ難しくて読めないところがあります。読んでくれませんか。」
    ジェーンが受け取り、それを読み始めるが、涙で読めなくなってしまう。
    そして、ジェーンは副校長に代読を頼んだ。
    そして、その手紙に書かれていたことは・・・・・。

    私は慟哭し、体ががたがた震え、どうしょうもなくなってしまった。
    マルゲのために、声をあげて泣きたかった。
    本当に私の魂の奥底にあるものが、感じて、動き出した。
    マルゲの不屈な闘志と勇気に、心から尊さを感じた。
    この人は、尊い。
    このマルゲは、実在した人物なのだ。

    彼は、2004年に「世界最高齢の小学生」としてギネスに認定されている。
    2005年9月、国連で教育の大切さを訴える演説もしている。
    2009年8月11日、胃癌により永眠。享年90歳。

    マルゲの夢は、「獣医」になることだった。
    そのために84歳から小学校に入学し、残された生涯を勉強に捧げた。
    「人は、土に埋まるまで勉強だ。」

    この映画、必見である。
    この映画との出逢いが、必ず魂にある命を吹き込むはずだ。

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  • from: クマさんさん

    2011年11月23日 07時37分45秒

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    差別と偏見について

    差別と偏見について考えた。
    どうして人は、人を差別したり、偏見の眼差しで見るのであろうか?
    「みんながそうするから、自分もそうする。」
    「よく分からないけれども、そんな気がするからそうする。」
    傍観者でありながら、人はそんな雰囲気に巻き込まれてしまい、
    差別や偏見を持つのではないだろうか。

    声高に差別的な発言をする人を見ることがある。
    「あの人は、駄目だ。」
    「あの人を嫌いだ。」
    そんな発言がいかに相手の心を傷つけるかその人は関知しないことだった。
    発言には、聞き手が必ずいる。
    その聞き手は、その発言を否定はしないだろう。

    水俣病患者さんに向けた嫌がらせや、デマがあった。
    「病気でもないのに金が欲しいから裁判している。」
    「水俣病は人にうつる奇病だ。」
    神経の麻痺から来る障がいのために苦しみ、仕事を失い、
    悲惨な生活を余儀なくされた人たちに、
    世の中の心ない人たちは、そんな酷い言葉を浴びせたそうだ。
    ここにも、人が人を差別してしまうどうしょうもなさが現われている。

    生まれた地域で差別される人たちがいる。
    その地域に生まれたから。親がその地域の出身者だから。
    それがどうしたと言いたいが、
    そのことをあたかもその人の人格を否定するかのようにとらえてね
    結婚や就職で差別する人々がこの日本にはまだまだ存在している。
    それは、歴史が作り出した偏見でしかないのに、
    人権侵害がずっとずっとこの世の中では行われて来た。

    ハンセン氏病患者さんのことを知っているだろうか。
    法律によってその人たちの人権は剥奪され、
    強制的に病院に収容され、世の中から隔離され、一生死ぬまでここを出られないのだ。
    家族に会うことも出来ない。父や母の葬式にも出れない。故郷に帰ることすらできなかった。
    感染するから。
    本当はそんなのは嘘だったのだが、世の中の人はそう信じ、疑わなかった。
    「砂の器」という映画を観るとその悲惨な人生がよく分かる。

    さて、世の中からいじめや差別をなくすためにはどうしたらよいのでしょうか?
    そんな問いを60代〜70代の人たちに投げかけた。
    すると、やっぱり大先輩たちの経験で身に付けた知恵は素晴らしいものだと改めて感じた。

    まず、差別は、相手のことを知らない(無知)から生まれるということだ。
    変な人だなぁ。おかしなことをするなぁ。
    そんな憶測や勝手な判断から、偏見が自然に生まれる。
    しかし、よく事情を知れば、障がいがあったり、病気であったりと、それぞれに訳はある。
    まず、正しく相手を理解することだ。

    次に、想像力と感受性である。
    「思いやりをもつ」とは、相手の立場になって考えて行動するということだる
    しかし、相手の心の痛みや辛さを想像し、感受することが出来ないならば、
    思いやりとは、存在しないのだ。
    「人には思いやりを持ちなさい。」と言っている本人が、
    その相手の痛みに対しての感受性や想像力をもたなかったりする。
    私も自戒している。

    次に、強さだと発言した人がいた。
    例えば、「優」という漢字だ。
    「すぐれる」「まさる」という強く、優秀な人と読める。
    また、「やさしい」人とも読める字だ。
    人は本当に強く、逞しく生きるために勉強するのだ。
    そうして自分自身を鍛えて自分自身を強くする。
    しかし、その強さは暴力や権力の強さではなく、
    「勇気」なのだと、その人が語ってくれた。
    「勇気のある子」になれ。「勇気のある人」になれ。
    その勇気が、きっと差別や偏見をぶち壊してくれるはずだからだ。

    最後に、こんな話が出された。
    子どもたちにはいじめをするなと言うが、
    大人の社会にはいじめはないのだろうかと。
    子どもたちは、大人たちを見て育っている。
    ある人が講演会でこう語っていた。
    「人権意識のない親に育てられた子と、
    人権意識をもっている親に育てられた子。違いますよね。」
    大人たちがしているように、子どもたちはしているだけなのだ。

    お母さんたちが集まって、ある人の噂話をしている。
    大人たちが集まって、ある人の悪口を言っている。
    風評被害に苦しむ人たちがいるのに、その風評を信じて買わない。
    ちらちらと見え隠れする差別と偏見の姿を、
    子どもたちはちゃんと察知して、その通りにしている。

    まず、大人たちからですね。
    結論は、ここだった。
    その講師の人が言った。
    「感動したら、動いて下さい。私のように行動して下さい。」と。

    私の中の差別と偏見の眼差し。
    まず、勇気をもってそれを退治することから始めねばならないと感じた。
    地上の世の中、課題は山積されている。
    アンダーグラウンドは、静かで平安なのだろうなぁ。

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  • from: クマさんさん

    2011年11月22日 05時40分31秒

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    マイノリティーであり続けよ

    マイノリティーであること。
    昨日、ある人からそんな話を聴くことが出来た。
    世の中のマイノリティーの人たちは、
    ある意味世の中より差別を受けて来た人たちでもある。
    しかし、差別を受けた側が悪いのではなく、
    本来は差別する世の中が悪いのだ。

    人は、違う存在を排除しようとするらしい。
    弱者に対しては、同情と共感よりも、偏見を持つらしい。
    そんな自分の中の差別と偏見の眼差しを知っているから、
    その対象とならぬように、何だか人は努力しているようだ。
    「人と違う自分にはならない。」と。

    しかし、違わない自分になるために、
    自分を捨てていることを忘れている。
    みんなと同じであろうとするために、
    みんなの中に埋没して、自分は何者なのかを失って生きていることもある。
    人の言いなり。親の言いなり。上司の言いなり。世の中の言いなり。
    そんな若者を現代の学校は量産しているような気がする。

    暴れなければ、目立たなければ、この線路さえ踏み外さなければ、等など。
    私が若かった40年近く前の若者は、
    ある意味人と違った自分を目立たせようともがいていたいような気がする。
    アウトローとは、ちょっときざな表現だが、
    団塊の世代を代表する学生運動と、
    ベトナム戦争以降のヒッピー等の反体制・反社会的なアンチヒーローが私の憧れだった。

    「イージーライダー」を知っているだろうか。
    あのポスターは、中学時代の私の部屋の壁紙だった。
    ドロップアウトであり、アンダーグラウンドであった。
    主流の世の中のうねりに飲みこまれることなく、
    どうやったら独自の生き方が出来るのか悶絶していた時代が、高校時代だった。
    その頃、坂本龍馬に出会い、ATGの映画に出会った。
    脱藩だ。新潟を出でよ。東京だ。「ここがロドスだ。ここで跳べ。」寺山修司だ。

    私は、映画の脚本家になる夢を抱えて、日大の芸術学部脚本科を受験した。
    下駄ばきでずた袋。ブックバンドってどんなしろものか覚えているかな?
    今も変な男だが、そんな私から見て、昔の私は相当変な男だった。
    群れられなかった。人とうまく話せなかった。
    対人恐怖症でもあった。

    マイノリティーだったと思う。
    そこが自分の落ち着く場所だったからだ。
    酒ばかりは、確かに仲間たちと飲み歩いた。
    渋谷の永楽街があり、カウンターだけの小さな居酒屋があった。
    年寄り夫婦が旨いおでんを出していた。
    そこの看板娘のお時さんが、私のアイドルだった。
    この店、階段を上がると狭い座敷があった。
    ここで学生の仲間とよく宴会をした。
    そして、渋谷ハチ公前で全員でカレッジソングを大合唱した。

    それでも、私はやっぱり世の中になじめず、マイノリティーだった。

    私は、想う。
    独りでいることは、恥ずかしいことではないのだと。
    孤独であることは、自分を見失わず、自分であり続けることなのだと。
    人とは違う自分になるためには、マイノリティーという蛹の時期が必要なのだ。
    手あかに染まった世の中というラベルをはがして、
    そこに自分というラベルを張る為には、
    それはそれは難儀な孤独な切々たる苦しみが必要なようである。

    ある意味、マイノリティーであるから、
    私は、この掲示板を書き続けていられるらしいのだ。
    「人の真似をするな。」
    「群れるな。」
    「パイオニアたれ。」
    「独りでつっ立て。」
    いいんだてば。そんな同志がきっとどこかで生きて居るから。
    その仲間と出会った時が、マイノリティーの革命の時なのだ。

    祝160万人達成 感謝・感謝・感謝

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  • from: クマさんさん

    2011年11月21日 06時42分45秒

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    アンダーグラウンドへ

    万代市民会館で、東区市民劇団の子どもたちによる「ピーターパン」を観た。
    会場は体育館だった。
    そこには、幼い子を連れたお父さんやお母さん、
    おじいちゃんやおばあちゃんで、熱気むんむんの雰囲気だった。
    劇を待っている。みんな心から期待して待っていた。

    オープニングからミュージカルだった。
    劇団の子どもたちに素晴らしい演技に感動だった。
    彼女たちは「王瀬の長者」で舞台を何度か踏んでいる。
    また、パフォーマンススクールのステージで歌い、踊っている子どもたちだ。
    堂にいったとでも言うのだろうか、台詞も上手く、動きもしっかりと決まっていた。
    一生懸命にやり切っている姿に、やっぱり涙だった。

    劇的な体験をこうして身近な場所で無料で観られる。
    幼児たちには、心に残った観劇のはずである。
    身近な場所で演劇体験をできることこそ、
    市民劇団の市民劇団の使命なのだと、改めて思った。

    午後からは、偶然に引きこもりを経験した若者たちのトークショーがあることを知り、
    それを聴くことにした。
    「個性は、生きやすい。」この言葉に、気づきがあった。

    世の中に合わせて生きることばかり求められる。
    人と違うことは、良くないことだと教えられる。
    もっと頑張れと言われ、競争と評価の中で息が詰まる思いがする。
    やりたいことがあったが、それでは食ってはいけないと猛烈に反対される。
    みんなは友だちがいる。友だちがいない孤独は恥ずかしいことなのだろうか。
    明るく、楽しげに生きている友を、羨ましく、妬ましく、横眼で見ている。

    この世の中って、そんなに正しいのだろうか。
    大人たちの世界って、そんなにピュアな世界なのだろうか。
    そこには、いつも心の戦争があるのではないだろうか。
    戦死者は、毎年3万人を超えている。
    どうして、この世の中に合わせた生き方だけが、よしとされるのだろうか。

    人と違うこと。個性的であること。独自の存在であること。時には迷惑をかけること。
    そんな人たちが息詰まり、居場所を失い、彷徨ってしまう。
    その世界ではどうしても生きられないのだ。
    私は私で居たいのに、ここではそんなあなたは認められないと言われ、
    仲間から外される。
    そのうちに、人は自分らしく自分を表現することをやめ、飼いならされた人となる。

    大人になるとは、世の中に出るとは、何だか自分のことを廉価に売ってしまうことなのではないか。
    しかし、そんな考えを大人たちは、子供じみた考えだと言う。
    その格好は何だ。そんなことをして生きて行かれないぞ。
    ちゃんとした職につけ。世の中そんなに甘くはないぞ。
    しかし、世の中ってそんなに素敵な場所なのかな。
    大人たちは、日々の生活に追われつつも、悩み苦しんでいるのではないかな。

    「もっと自分のやりたいことをやっておけばよかった。」
    「あの時、親の言うことを聞いて、あの大学を選ばねばよかった。」
    「ああ、あの時家を出てまでも、自分の好きな道に進めばよかった。」
    そんな、苦い後悔を持ちつつも、日々の生活を支える給料と、老後の年金のために働いている。

    学校や親たちが教えているたった一本の道とは、
    当たり前のように大人たちが押しつけて来た道とは、
    本当に人を幸福にする道だったのだろうか。
    天の邪鬼で素直でない私は、いつも曲がりながら真っ直ぐに歩いて来た。
    今でも心の中では憤りと反発とを感じながら、鬱々としている。
    「そうじゃないのではないだろうか。」と思いながら、
    そうである場所に自分の居場所がなく、苦しんでいる。

    そうである人は、正しく、絶対で、そうでない人を批判する。
    時には、許しては置けない義憤にかられ、そうでない人を排斥することもある。
    これは、正義のように見せかけた「いじめ」である。
    私は、どうもいつも「そうでない人」であり続けた。
    だから、世の中とは上手く折り合いをつけて生きていけない。

    だから、私は引きこもり経験をもつ一人一人の若者の言葉が身に沁みた。
    そして、考えた。私たちが世の中に合わせることなのだろうか・・・。
    世の中とは、そんなに幸せに満ちた絶対の世界なのかと。

    心優しき隣人たちは、ドロップアウトすることで、人間としての何かに気づいた。
    みんないい顔をしているし、語る言葉がみんな自分の言葉として重みをもっていた。
    信頼できるのは、この人たちだ。
    ごくごくマイノリティーであるかも知れないが、
    何かのメッセージを世の中の人に伝えるために選ばれた人たちなのではないだろうか。

    私も引きこもりに似た経験をもっている。
    「引きこもりは、さなぎの時代なのではないかと思いました。」
    その後は、確かに人が変わる。
    私は、これが「アンダーグラウンド」のテーマだと悟った。
    アンダーグラウンドにこそ、人が人として生きられる場所が存在したのだ。

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  • from: クマさんさん

    2011年11月20日 09時59分58秒

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    走るということ

    昨日の朝は、自宅からりゅうと大橋を渡り、昭和大橋にタッチして帰って来た。
    往復10キロ?の道程だ。
    酒がやや体に残り、重たい体だったが、酒を抜くためにもトレーニングした。

    Hさんは、寺地の自宅から万代橋まで往復15キロを走っている。
    それも仕事から帰って、晩飯を食べてからだそうだ。
    2時間かけるランニングに、
    私は何かトレーニングというよりか、禅僧の修行のような気がしている。
    その継続するプロセスの中で、獲得したみのがHさんには残される。
    走るとは、消費することではになく、獲得することなのだ。

    久しぶりにやすらぎ堤を走った。
    芝の感触が気持ちよかった。
    何よりも大河信濃川を横目にして走ることは、快感だった。
    新潟市の中心部をこの大河がゆうゆうと流れている。
    近づくと川は確かに海に向かってゆっくりと、着実に流れていた。
    けっしてこの流れは逆流することはないのだ。
    私たちは知らぬ間に、幼い頃からこの信濃川に育てられてきたのかも知れない。
    私の青春の思い出の風景には、この川が存在していた。
    今はその場所にないが、新潟明訓高校が私の母校なのだ。

    折り返して万代橋に向けて走っていたら、
    高校時代のマラソン大会を思い出した。
    このコースを万代橋を折り返しにして走っていたのだ。
    「もっと真面目に生きればいかったなあ。」
    そんなことをぼつんとつぶやいた。

    今朝は小雨の中を走った。
    止むに止まれず走ってしまう。性分とはそんなものだ。
    やっぱりお地蔵さんにお祈りしたくなった。
    だから、赤道・火力発電コースを選ぶ。
    お地蔵さんは、今朝も微笑み、私のことを待っていてくれた。
    家族のこと。子どもたちのこと。そして人類の平和のこと。
    今日一日だけのことを、無心でお願いする。
    不思議と心が落ち着くのだ。

    さて、帰り道は、山ノ下市場へショートカットする。
    高野だんご屋さんで、いちご大福・醤油だんご・つばき餅・豆餅を買う。
    家族へのお土産である。
    今朝は、ひょんなことから揚げもの屋さんに目が止まった。
    80歳近くのお婆ちゃんが、天ぷらやおからを作って売っている。
    お客さんもご老人だ。
    私はコロッケ50円2個とメンチ60円1個を買った。

    走るからこそ出会える風景があり、出会える人がいる。
    短パン姿の私に、だんご屋さんの女将さんが、「若いねえ。」と笑顔で声をかけてくれた。
    古泉酒屋も開店していた。
    隣りの花屋さんも朝が早い。

    私が走ると獲得するのは、苦い青春の思い出であり、団子と餅とコロッケでった。
    しかし、Hさんも、私も、今は走ることが「今日を生きること」になっている。
    何故、走るのか。
    そこに道があるからだろうか。
    Hさんの答えを聞きたい。

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  • from: クマさんさん

    2011年11月19日 06時35分20秒

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    革命の松明・・・山ノ下の海援隊に

    山ノ下を考える会がまた動き出した。
    飲み会のたびに新たなる提案が出され、
    それが実にスムーズに具体的な動きとなって行く。
    やる気と実行力のあるメンバーのおかげと、
    「よしはら」の旨い料理と焼酎「ボカラ」のおかげのようだ。

    いつも思うが、新しい発想を実現するのは、その組織内では無理なのだ。
    組織とは、自己保身に走る傾向があり、冒険はしないものだからだ。
    「やったことがない。」「前例がない。」「まだ時期が早い。」
    改革を求めるのは、いつも少数派であり、大多数は事無かれ主義でいく。
    リスクはどんなことにもあるが、
    そのリスクは、自分たちの時代には勘弁してもらいたいのである。

    何かが変わるのは、機が熟した時である。
    「冒険とは、生きて帰ることである。」という言葉もあるように、
    無理なことは絶対にしてはいけないのだ。
    Cさんの湯の平温泉行きのように、
    「ここしかない。」というタイミングは、向こうからやって来るものだった。
    山ノ下に、その「今、ここしかない。」という時節が到来したようなのだ。

    さてさて、山ノ下の若い者は、ベテランとかかわりながら、
    結構出る杭は打たれよと、打たれ続けて来たものだった。
    頑固に自説を曲げないベテラン。
    人の話を聴く耳を持たないベテラン。
    意見を言う若者を、ただ文句を言っている煩い野郎と見下すベテラン。
    長者様のように君臨するベテラン。
    山ノ下にはいろいろな組織が未だにそんなベテランの巣窟になっている。

    そこで物を申しても、無理なのだ。
    「黙れ。」「下がれ。」「生意気な。」
    ベテランになればなるほど変化を求めてはいなかった。
    既得権を手放すことになるからだった。
    名誉心と欲のために、この地位は誰にも渡したくはないのである。

    さて、そんな事情から、「山ノ下を考える会」は、
    各セクトの垣根を越えた有志たちで組織されているのである。
    木遣り保存会・PTA会長・地域教育コーディネーター・市会議員・婚活企画・新聞社・教員等である。
    どうしてこんな愉快な人たちが山ノ下にいるのか、それだけでも驚きだった。

    ターゲットは、「水と土の芸術祭」である。
    「町を変える。」「新たなウエーブを創る。」
    そのための仕掛けを考えて、実行に向けてのゴーサインが出された。
    それはまさに亀山社中の龍馬たちなのだ。
    各藩を脱藩した浪士や改革を心に決めた若い志士が集まったこの亀山社中は、
    いずれ海援隊となり、江戸幕府を倒す火種となる活躍をする。

    土佐藩の武市半平太の組織内改革では、ベテランに叩かれて腹を切らされて終わるだけだ。
    脱藩こそ、改革の大きな一歩なのだと思い、
    その想いを実現するために邁進する者にだけ、
    新たなる世界に向かえる切符が手渡されるのだ。

    私は、「山ノ下を考える会」に、海援隊の姿がだぶって見える。
    我が憧れの師である坂本龍馬の熱い想いが乗り移り、
    山ノ下の海援隊となり、ベテランたちの閉鎖的な保守主義を打倒する力となることを、
    私たちは、改めて決意するものであった。

    革命の松明は、山ノ下では高々と掲げられているのである。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2011年11月18日 05時50分35秒

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    お願いします・ありがとうございました

    一日の禁酒が、六日間の酔っ払いを作る。
    禁酒の効果は分からないが、どうもその分をどこかで取り戻し、
    休んだ分もとそれ以上に飲んでいるらしい。
    体重がいっこうに減らないのは、そのためだ。

    昨日は機関銃ように仕事をした。
    分刻みでスケジュールを立て、それを一つ一つやっつけていった。
    任された部分が多く、それは土台の部分で目立たないが、責任のある仕事だった。
    私がこれでいいと思っていても、そのままには出来ず、何度も直しがある。
    それは仕事なのだから仕方ない。
    の指摘された部分をせっせと直して、再チャレンジする。

    飛び込みで写真を加工してデータにする仕事が出来た。
    頼まれたら、進んでやらせてもらう性分だった。
    段取りを決め、写真を選択し、コメントを考えてもらい、
    それを私が加工する。
    一時間半で勝負する。
    目標を設定したら、それに向かって爆走する。
    同じ姿勢でパソコンに向かっているために肩や肘が痛くなる。
    そんなことは何のその。とにかくキーを打ち続けた。
    予定の時刻に出来あがり、担当に渡した。
    「ありがとうございました。」

    感謝されると、疲れも吹っ飛ぶ。
    仕事は、きっと誰かを助けているはずだ。
    なのに苦労して作ったものを、
    いろいろと言われることは、どっと疲れが増すものだった。
    私は、自分の体験や感情をベースにして、人とのかかわり方を決めている。
    まず、人には感謝だと思う。
    次に、相手の良さを尊重することだと思う。
    そして、自分の考えや意見を述べ、相手に選択してもらう。

    人間関係の中でスムーズに仕事を続けるためには、
    相手の気持ちを理解して、思いやる態度は絶対必要なのだと思っている。
    「お願いします。」は、大切な言葉なのだ。

    酒を飲まない日はあっても、
    「お願いします。」と「ありがとうございました」を言わない日は無いクマである。
    それだけ人に助けてもらって生きているということか・・・。

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