新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマさんさん

    2006年10月31日 05時54分06秒

    icon

    東京でも27年間

    土曜日は次男のサッカーで1日グラウンド。
    日曜日は急遽東京の90歳のおじさんの様態が悪くなり、
    母や父、叔母たちを連れて東京へ日帰りの旅だった。
    新潟部隊は年寄りだけで6名。
    全部の年を足すと450歳をゆうに越える。
    階段もおぼつかない足取りで、
    荷物を持ってやっと歩いている父でもあった。

    月日は自然と流れていく。
    東京のおじさんは江戸っ子で、八百屋を代々やっていた人である。
    私の東京時代とても可愛がってくれた人でもあった。
    まっすぐで、粋で、しゃきしゃきとものを言う人である。
    頑固者である。
    エビスビールが大好きで、
    仕事が終わると自宅の茶の間でNHKのニュースを見ながら、
    旨そうに飲んでいたのを覚えている。

    代々木の予備校に春休みだけ通ったことがあった。
    その時は、こちらの家に居候をしていた。
    私は申し訳なく、お店の手伝いをさせてもらって、
    裏方で玉ねぎの袋詰めなんかしていた。
    お店に出るのが恥ずかしかった記憶がある。

    病院のベットの上で、昏睡状態であった。
    呼びかけには時々反応するが、
    本人にはよく分からないだろうとのことだった。
    27年前、私がお世話になった人たちがみんな病室にいた。
    みんな年をとっていた。
    時間は全ての人に平等であった。

    あの頃まだ幼稚園だった女の子は、結婚して美しい女性になっていた。
    若かった従兄弟たちも、60歳になろうとしていた。
    諦めねば成らないのである。
    東京でも27年間がたち。
    叔母さんと従兄弟たちは、もうすぐ親父殿と別れねばならないのだ。

    親父殿に対するさまざまな思いがあるだろう。
    しかし、和解と許しと感謝にはもう時間がないことが感じられた。
    できれば・・・。
    人間は難しいと思った。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2006年10月27日 05時54分03秒

    icon

    子供は宝物です

    昨日は次男の11歳の誕生日だった。
    彼は2歳のときに風邪から熱性の痙攣を起こし、
    意識不明になったことがある。
    救急車を呼び、市民病院に担ぎ込まれたときも意識はなかった。
    小さな裸の体をベットの上に横たえたまま動かなかったのだ。
    「大丈夫ですよね」と医師に聞いても、
    「分かりません」としか応えなかった。
    2月、雪が降っていた。

    その夜はICUの待合室で、
    私は妻とじっと扉を見つめていた。
    中でどんなことが起こっているのか全く分からなかった。
    夜中になっても医師や看護婦からも何も言っては来なかった。
    不安と恐ろしさとで気が狂いそうだった。
    泣いた。何だか泣けて泣けて仕方なかった。

    タバコを吸うために外に出ると、
    天から雪が静かに降っていた。
    私は祈っていた。
    祈るしか人には出来ない夜もあるのだ。
    もしも、・・・・・。
    「生きてくれ」
    それだけだった。

    真夜中に医師に呼ばれてICUの中に入った。
    彼は酸素テントの中で、点滴の管を刺されて起きていた。
    「原因が分からない」と医師から言われた。
    検査のためにこんなに時間がかかったのだそうだ。

    ピコンピコンピコン。
    今でも心臓の鼓動を伝えるビーコンの音が耳に残っている。
    私は彼の手をなでながら、一晩過ごした。
    するとこの音がピーーーーっという悲痛な音に変わるのである。
    末期のお年寄りがその病室にはたくさん眠っていた。
    その一人の心臓の鼓動が止まったことを表す音だった。

    看護婦が駆けつける。
    医師もやってくる。
    状態を見て、心臓マッサージや緊急の処置を行う。
    ピコンピコンピコンは、人が生きている証なのだった。

    私は点滴のために彼の腕に巻かれた包帯に、
    機関車トーマスの絵を描いた。
    涙でよく見えなかったが、
    彼の好きなトーマスだった。

    また元気になったら大山台で遊ぼうね。
    そしたら、あのグラウンドにでっかいトーマスを描いてやるよ。

    次男の誕生日。久しぶりにそんな夜を思い出した。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2006年10月26日 21時23分13秒

    icon

    変わると言うこと

    長男から反発をくらいながら、うろたえつつ私が学んできたことは、
    私が変わらねばならないということだった。
    同じ心をもっていた時代があったはずなのに、
    私自身が父親になったとき、その時の自分を忘れる。
    どれだけ親が疎ましく思った年頃があったはずなのに、
    すっかりそのことを忘れているのである。

    私の父はいつの間にか年を取ってしまい、
    今は朝のゴミ捨てがやっとの状態である。
    あれだけ騒いだ男であったが、すっかりと気落ちしてしまい、
    ただぼんやりと日がな一日テレビを観ているだけの人生となってしまった。
    イライラとして当り散らしていた時期もあるが、
    最近そのイライラの影も薄くなった。

    小5の次男とは対等にやりあっているが、
    中3の長男からはかえってかわいそうに思われている。
    夜になると一人で布団に入って寝てしまう。
    それでいて、夜中に起きてテレビを観ている。
    しかし、私の父は私のように若かった時代が確かにあるのだった。

    時間は全ての人間には平等である。
    今年の正月に妻の父が亡くなり、
    4月には妹の旦那の父が亡くなった。
    しかし、みんな昔は私と同じく若かったのである。

    私も知らぬうちにこの年になってしまった。
    山小屋の森田さんと語り合ったことは、
    人間は最後は死ぬことが決まっているということだった。
    時間が流れることも平等なように、
    老いることも、
    死ぬことも平等なのである。

    一生とはよく言ったもので、
    たった一回の人生なのだ。
    私は長男と次男と出会い、おかげさんで父親となった。
    初めてのことでうろたえて、
    長男とはよく強い口調で対決をした。
    その後は、苦い後悔もあったが、
    彼の方が大人になって忘れてくれた。

    何が言いたいのか自分でもよくは分からないが、
    長男のおかげで私は父親として勉強する機会を与えられている。
    それにはやっぱり感謝ではないだろうか。

    いつまで家族6人で一緒に生きられるのか分からない。
    それは、神ののみぞ知るであるが、
    家族で生きることで、変わる機会が与えられていることにも感謝である。

    父は、老いた。
    母も、老いた。
    私も年を取った。
    子供は大人になりつつあり、私を越えようとやっきである。

    自転車に乗ってゴミを捨てに行く父の後姿を見て、
    若さを取り戻してやれぬことに悲哀を感じる。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2006年10月25日 05時53分37秒

    icon

    叱る

    日曜日、親父たちは神社での会合の後、
    申し合わせたように「よしはら」に集まった。
    「ちょっと一杯だけ」「すぐに帰る」
    それは誰のための言い訳なのだろうか・・・。

    子供を叱ったときの親父の気持ちについての話になった。
    子供を強く叱ってしまいすぎ、心が痛むとという話であった。
    親父にとっては許せないことを、子供がしてしまった。
    それをしっかりと子供に分からせるために、
    こんこんと諭した。

    時には強い口調で叱ったために、子供は泣き出してしまった。
    叱っている間は本気であるからどんどん攻めるが、
    ふと冷静に振り返ってみたら、
    あんなに強く叱る必要があったのかと、自問自答の繰り返しである。
    そのうちに、反省が強まり、
    子供の心が自分から離れてしまったのではないかと不安になってしまう。

    私にもこんなことは何十回とあったことだった。
    短気な性分で、すぐにカッとなってしまう。
    声が大きく、体も大きいために、怒るとものすごく怖かったらしい。
    長男を泣かしたことがけっこうあった。
    「お父さん、怖い」と泣いて訴えられたこともあった。
    怒鳴った後は・・・。
    この掲示板に書くように、いつもいつも反省して暗い暗い気持ちなのである。

    朝、怒鳴った日には、その日一日気分が重くてたまらない。
    何も考えたくないし、何も手がつかないこともある。
    ごめんな。すまなかったなぁ。言い過ぎたなぁ。

    しかし、しばらく反発して口もきかなかった長男が、
    「行ってきます」と言うと、「いってらっしゃい」と応えてくれる。
    それだけで親父は天まで昇る嬉しさになってしまう。
    「よかった」「大丈夫だった」
    嬉しくて嬉しくて、
    帰りにコンビニでお土産なんか買ってきてご機嫌を伺ったりする。

    しかし、それが親子なのではないだろうか。
    これが他人だったらこうはいかない。
    血が繋がった親子とは、そういうものなのだ。

    親父は、反省しながら親父になっていくし、
    子供は、理不尽に反発しながら、親父を理解して許していくのかもしれない。

    「ちょっと一杯」ではあるが、
    親父たちは深い悩みを抱えた親父に向かって、
    哲学的に相談に乗っていることもあるのだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2006年10月24日 05時34分35秒

    icon

    日曜日のこと

    酔っ払って、くたくたになって帰ってきた。

    祖父ちゃんのための液晶TVが我が家に来る予定であった。
    楽しみがこれしかないため、使いすぎで先代のTVが壊れてしまったのだ。
    渋滞のため電気屋さんが遅れて到着、すごいTVがやってきた。
    今か今かと祖父ちゃんは、設置する間も見守っている所がおかしかった。

    私は、夕飯を食べてから、神明宮へ向かった。
    この社務所で、新たな動きがあるからだった。
    「山ノ下祭りを若者を集めて、新たな発想でリニューアルしたい」
    そんな目的で、親父の会のメンバーや、お祭りの若手のメンバーが集められたのだ。
    何よりも凄いことは、この神社の禰宜さんが中心になっていることである。
    東地区?となって広域になった後、この地区の人たちが集い楽しめるお祭りにする。
    既存の町内の笛や太鼓は大事に継承しながら、
    町内間の横のつながりをつけるためにコーディネートを行う。
    山ノ下祭りを継承し発展させるために、
    若手の参加の場を積極的に作っていく。

    この祭りは、歴史があるだけに、参加する町内は限られているし、
    大先輩たちは頑固で融通が利かず、
    改革への方向を模索する柔軟性には欠けていた。

    それを桃小と山小、そして山中の親父たちに呼びかけてきたことが凄いのである。
    既存のものを上から押し付けてくるのではなく、
    この世代でみの世代の発想を活かして改革できないかというのである。

    さて、「やろう会」のスタンスはいかに・・・。
    それは、次回にお話しよう。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2006年10月23日 22時12分39秒

    icon

    二日間の出来事


    土曜日は午前中にPTAでの窓拭き作業。
    その後、11時から下田村に車で向かった。
    日曜日の町内ハイキングの下見である。
    やはり、大勢の人を連れて行くのには責任がある。
    楽しんでもらうためには、シュミレーションが大切である。


    何度も道を尋ねながら加茂を越えて、下田に向かった。
    登山口は見つけた。
    その後、いい湯らてぃまで向かい、打ち合わせをしてから温泉に入った。
    それから新潟に帰ってきた。
    往復120キロの一人旅である。
    ただみんなに楽しんでもらいたい。
    補導部長最後の仕事であるハイキングは成功させたかった。

    日曜日は秋晴れであった。
    バスには3家族の小学生6名と、大人たちとお年寄り。
    最高齢は我が母の80歳である。
    総勢18名の楽しい旅が始まった。

    登山を開始してから、子供たちは元気にはしゃいでいた。
    この山は300mち少々なのだが、
    ヒメサユリで有名で、とにかく眺めの良い山なのである。
    山城が室町時代にあったわけがよく分かった。
    運動不足なお父さんたちがグロッキー気味であった。
    山頂で記念写真を撮り、予定通り下った。

    温泉に入ってからは宴会である。
    町内会の三世代交流をかくもにぎやかに果たしている町内はあるだろうか?
    今年で4年目になった行事である。
    私が始めたこのハイキングと温泉のたびを、
    実はこの日に若手三羽烏に託したのである。

    「こんな楽しい会、来年もよばってくださいね」
    今年初めて参加したおばあちゃんは大喜びであった。
    帰りに茶屋でトコロテンを食べて帰った。
    一本の箸で食べる名物のトコロテンである。
    「いかったてぇ」「また頼むて」
    山ノ下に着いたバスから、みんな名残惜しそうに降りていった。

    しかし、私にはこれからたいへんなイベント待っていたのである。
    そりは、次回に話すことにする。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2006年10月21日 21時06分33秒

    icon

    ゆったりルーム完成


    金曜日の夜、ゆったりルームの完成式があった。
    Cさんの呼びかけで親父たちが集まった。
    行ってみて驚いた。
    美しすぎる。明るすぎる。
    すっかりとイメージチェンジをすましてしまった。
    これも火曜日1日かけてhiroさんが頑張ったおかげであった。

    天井の配線では、とても苦労したらしかった。
    とにかくCさんの作業が難航して、大変だったらしい。
    みんな素人の親父たちは、
    親方の命令通りに作業を進行させたのである。

    ゆったりルームには、毎日のように子供たちが集まっているとのこと。
    特に6年生は自分たちがかかわったのだからと、
    とにかくやってくるらしい。
    おばあちゃんたちもここに座っていることが多くなったそうだ。
    孫のような年頃の子供たちと楽しく語り合っている。

    地域の縁側になりかけてきた感がある。
    畳がいい感じで敷かれているのだ。
    ここに腰掛けてお茶なんか飲みながらのんびり出来たら、
    本当のゆったりルームとなるに違いない。

    親父たちにとってもそうである。
    気兼ねなくビールを飲み、
    わいわいと語り合う。
    清水フードの半額の刺身たちを肴に、
    買い物籠いっぱいにあった缶ビールは、
    全て空き缶と化してしまった。

    イケ面板さんの登場により、お開きはいつも11時近くになる。
    それがまた楽しからずやである。
    小学校のこと、地域の年寄りのこと、祭りのこと、ビオトープのこと。
    話題はあれこれと尽きないものだ。
    親父たちの茶飲み話とでもいうのだろうか?
    けっして暇でもない親父たちは、
    召集の一声を楽しみにして集まってくる。

    当の本人のhiroさんは、何と仕事中で、
    翌朝の4時までかかると言うことだった。
    hiroさん完成おめでとうございます。
    おかげさまで、旨い酒を飲ませていただきました。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2006年10月19日 20時18分10秒

    icon

    「Re:Re:若い親父たち」
    あとはどういう戦略で攻めていくかということですね。
    父親たちの参画を促し、
    参加した人が遣り甲斐と、楽しさを感ずる活動をどのように組織するか。

    ビオトープの工事は、そんな面では理想的なのだと思います。
    土木作業には何よりも父親の腕の見せ所です。
    また、杭を打ったり、防水シートを張ったりと、
    専門的な力量を発揮できる場面があります。
    協働作業で汗を流すことは、
    連帯感を育てるための一番の近道です。
    作業終了後は、その場でビールで乾杯です。
    このビール格別ですよ。
    自分たちの仕事の跡を見ながらわいわいと語れます。
    ここに学校の校長・教頭・職員がいたらいいですね。

    文化祭に出店を出すのはどうでしょうか?
    昨年度はPTAのプラバン作りが人気でありました。
    そこで、お父さんたちによる木工教室のようなノリで、
    ヒロさんにご協力をいただいて、
    廃材で作る簡単な木工はいかがでしょうか?

    パソコンの得意なtakiさんには、
    コンピュータ・ルームを開放してもらい、
    パソコンで作る絵手紙・年賀状教室なんかできるのではないでしょうか?

    イケ面板さんには、何か簡単で手ごろなおやつを作っていただき、
    販売してもらってはどうでしょうか?
    みんなおなかがすいているので、
    飛ぶように売れることが予想されます。
    板さんならば、保健所関係もクリアーしています。

    それを全て有料にして、
    「ゆったりルーム基金」とするというのはいかがでしょうか?

    > ただ一つ感じているのは「やろう会」は充分にアピールできていると思います。
    > その中で新たな親父仲間を増やすためには、学校行事のバックアップを通じた
    > 「親父の出番」を増やすことなのかもしれないと考えています。

    というtakiさんの提案に、
    こんな形の活動を考えてみました。
    ご一考ください。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: takiさん

    2006年10月17日 23時05分20秒

    icon

    「Re:若い親父たち」
    こんばんは。takiです。

    私は現在の勤め先に入社して7・8年経った時に妻と結婚した。
    結婚して長女が生まれ、保育園に通わせる時期をきっかけに両親との同居を始めた。
    ちょうどこの頃、仕事の中でも転機が訪れた。
    今までに無い仕事をスタートさせる礎を作るべく、資格取得やその資格取得者を増やすこと
    そして、そこから生まれる新たな利益を確保することが求められた。
    所属した部署は分不相応な部署であった。
    その仕事に関わりだして間もなく長男が生まれた。
    両親と同居ということと、全くの企業人であった父を持つ家内
    同じく企業人であり続けた父と生活してきた私の母の協力もあり
    私が担当した仕事は、当初の計画を大きく上回る成果を上げた。
    そのお陰で、一定を評価を得ることが出来て現在でもその部署で働いている。

    この「やろう会」に参加したきっかけは娘がチョットした事故に遭遇したからである。
    その事故の連絡を仕事中、担任の先生から受けた時、目の前の仕事が手に付かなくなった。
    全く大した事故ではないのに。
    この時、初めてのシフトチェンジが出来たのかもしれない。

    現在、我が家には2歳の次男がいる。
    ようやく言葉がはっきりしてきて、私にも色々と拙い言葉で話しかけてくる。
    私の仕事が忙しかった時期に生まれ、今の次男と同じような時期を過ごしていたはずの
    その頃の長男の記憶が断片的にしかない。
    最近、次男と接していると、長男への申し訳ない思いと同時に反省をしている。

    娘も6年生になり、少し私から離れてゆくのを感じつつ、これまでの反省からか
    最近では長男に絡んでいる私だ。
    絡めば絡むほどに「教えなくていけないこと」や「伸ばしてあげなくていけないこと」
    「今のうちに芽を摘んであげなくてはいけないこと」が見えてくる。

    > そのためにももっともっと若い親父たちに、
    > 存在をアピールする必要があると考えている。
    > いかがだろうか、takiさん。
    きっと若い親父達がクマさんを始めとするする筋金入りの親父達と接する機会を増やすことだと思います。
    学年行事にあれだけの父親が集まる訳ですから、仕掛け次第なんだと思うのですが
    なかなか妙案が浮かびません。
    ただ一つ感じているのは「やろう会」は充分にアピールできていると思います。
    その中で新たな親父仲間を増やすためには、学校行事のバックアップを通じた
    「親父の出番」を増やすことなのかもしれないと考えています。
    例えばそれがビオトープでも良いと思いますし、今年の運動会のお昼に行ったグランド整備などは
    打って付けではないかと思います。
    運動会前、文化祭前の清掃ではなく親父が参加しやすい日曜日行われる学校行事を狙いたいですね。
    日曜となると・・・運動会くらいしかないか・・・。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2006年10月17日 05時26分43秒

    icon

    若い親父たち

    若者をどのようにして参画させるか。
    これが今後の「やろう会」の課題になると思う。
    小学校の6年間、兄弟関係があれば、10年間もかかわる親がいる。
    しかし、その内どれだけの人がPTAの役員としてかかわるものだろうか?

    学校と親父との関係は、とてもとても薄いものというのが現状である。
    ただし、スポーツ関係のクラブチームではその逆転現象がある。
    親父たちは、ここぞとばかりに積極的に参加しているからである。

    サッカーの試合に行くと、応援している親父の姿が目立つ。
    そして、コーチとしてベンチに入っているのも親父たちが多かった。
    「子供とのかかわりをもちたい」
    「子供たちのために何かで役立ちたい」
    「地域に自分の居場所を求めたい」
    「同じ世代の親父たちとかかわりたい」
    そして、何よりも「美味しいお酒を仲間と飲みたい」
    これが、悩める親父たちのニーズではないかと思っている。

    企業戦士で、夜は遅く、土日もなく働き続けている親父たち。
    しかし、心のシフトを変えて、家族や家庭に目を向けるようになり、
    子供の教育がちょっと気になりかけてきた。
    家族にとっての自分の存在とは何かと、哲学的に悩みつつ、
    疎ましい、煩わしい存在として、孤独に生きる親父たち。
    そんな親父たちは、アイデンティティーを地域に求めた。

    親父たちの意識改革は、確かに進められていると思う。
    そんな潜在的なニーズに応えるためには、
    その受け皿が地域には必要になってくる。
    「やりたいときに、いつでも参加できる場」
    それが「やろう会」であろう。

    そのためにももっともっと若い親父たちに、
    存在をアピールする必要があると考えている。
    いかがだろうか、takiさん。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 2
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

もっと見る icon