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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2016年03月30日 10時07分33秒

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    小さな花でいい

    れを書かなくなっている時は、やっぱり何かの理由があった。
    最近は、飲み過ぎと言うことも理由の一つのようだ。
    歩いてはいるが、その分飲む機会が多く、飲み過ぎている。
    すると、朝は肝機能が衰えて具合が悪く、起きても活動できない状況だ。
    今日は、大学病院での外来だった。
    CT検査もあるために、いつ日かがりになってしまった。
    これで、ヘルニアの手術の日が決まる。

    ずいぶんと小さくなった自分を感じる。
    58歳になって、こんなに自分のことをちっちゃく感じてしまうとは、
    想ってもいなかった。
    確かに想ったようには人生はならなかった。
    何とも「まさか」のひとばかりが続き、だいぶ落ち込むこともある。

    どうやってそれらを受け入れ、それでいいんだと思えるか。
    後悔はやっぱりしたくないから、あるがままを受け入れることにする。
    しかし、その踏ん切りがつかず、まだまだうじうじとして、
    往生際が悪いこと、悪いこと。

    振り返ると「ああそうだったなぁ」と、それなりの意味を感ずる。
    それは、私にとっては必然であり、宿命だったろう。
    そうやって自分に言って聞かせて、今日一日を生きる。
    そうしなければ分からなかったことばかりだからだ。

    日曜日に柏崎に行った。
    「途中の会」のSさんと、Wさんとだ。
    石地海岸にある小さな山で、雪割草が満開だった。
    私たちは、300円の協力費を払って、花を愛でながらの散策をした。
    こんな潮風を感じる場所で雪割草だった。
    この日の晴天を待つようにして、花たちは満開だった。
    一つとして同じ色の花はないそうだ。
    同じものが存在しない、この宇宙でたった一つだけの色の花。
    それは、やっぱり尊いことだ。

    その後、カタクリの群生で有名な高内山に向かった。
    一年前にも三人でこの山に来た。
    私のヘルニアをSさんは気遣って声をかけてくれる。
    この一年間にどれだけ私たちにとっての人生に変化があったことか。
    そのことは、一年前にこの山に登った時は、全く予想もつかないことだった。
    西日の当たる明るい斜面に、カタクリが咲いていた。
    恥ずかしそうに俯いている。
    そっとカメラを近づけて写真を撮った。
    カタクリは、長い冬の後で春を待って花を咲かせた。

    春が来たなら、花を咲かせよう。
    その花の命はたとえ短くとも、せっかく生まれて来たのだから、
    やっぱりここで花を咲かせよう。
    落ち込んでいる場合ではないな。
    今、ここ、そこにしか生きる場所と機会とはないんだから。

    たった一つの花を、大事に咲かせたい。

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  • from: クマドンさん

    2016年03月26日 10時32分37秒

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    叔母の束の間の帰還

    寒い朝だ。それでも時折薄っすらと日が差している。
    書かないときは、書かない。
    考えると落ち込むような日には、考えないことにした。
    考えても、不安に想っても、その事実は何も変わらないからだ。
    そんな時は、考えて悩むよりか、外に出て冷たい風の中を散歩することだ。

    叔母が、木曜日に帰って来た。
    一泊二日の短い帰還だ。
    叔母は、私が施設を訪ねるといつも言ってくれた。
    「帰ったらみんなでビール飲もよ」って。
    そのビール代を叔母は、T叔母に渡してあった。

    木曜日、私はその日が叔母の帰還の日だと忘れていた。
    施設に行ったら、担当の男の人が申し訳なさそうにそのことを告げてくれた。
    「そうだった」と、私は車でT叔母の家に向かった。
    そこには、K叔母、A叔母も集まっていた。
    「待っていたよ。どうしたんかと想って心配していたよ」と、みんなから言われた。
    施設に入っている叔母も、私が顔を出さないから心配していたと言うのだった。
    しかし、私は、月曜日に歩いて施設に行って、叔母と話している。
    忘れてしまったのだと、叔母の認知が何だか心配になった。

    「飲もうよ。飲もよ」と、ちょうど夕食だったので、ビールが出された。
    はて、どうしたものかと思案した。
    その夜は合唱の練習日だったからだ。
    でも、叔母はこの夜をどれだけ待っていたことだろうと想うと、
    飲まないわけにはいかなかった。
    私は、叔母から買ってもらったビールを感謝しながら飲んだ、飲んだ。

    90歳近くの叔母たちに囲まれて飲むビールは、発酵した味わい深く格別なものだ。
    深いとは、長い年月をかけて熟成したものだけに言える味わいだった。
    人の生き方もそれと同じだ。
    幼い頃から可愛がってもらった叔母たちに囲まれてビールを飲みながら、
    月日はやっぱり平等に、無情に流れ去って行ったことをつくづく感じた。
    叔母たちは、すっかり発酵していた。

    お金ではないなぁ。
    健康だなぁ。家族だなぁ。心の在り方だなぁと、いつも感ずる。
    みんなそれぞれが心配事や悩み事が尽きない人たちだった。
    生きていれば、家族と一緒に暮らしていれば、例え独りで暮らしていても、
    日々を老いて生きると言うことそのことだけでも、大変だった。
    でも、嘆かない。受け入れる。あははっと笑ってこだわらない。

    「孤独でない人は居ない。」
    「悩みや苦しみのない人は居ない。」
    「老いない人は居ない。」
    「死なない人は居ない。」

    そう想うと、ほっとする。
    それは、その真実を理解することで、深くで独り独りがつながるからだ。
    そうすると、素直に自分の愚痴も、辛かったことも、心のわだかまりも、
    すっと話して楽になる。

    叔母は、そんな私たちの話を、ベットにもたれて黙って聴いていた。
    手足の麻痺のために、動くことができなくなった叔母。
    介護認定4をもらっている。
    今朝は、やっぱりあの施設のベッドで、
    目を開けてぼんやりと天井を見つめているだろう。
    生涯独身で通してきた。
    でも、叔母にはこんなにも親身になってくれる姉妹がいてくれる。

    幸せって、何だろうと、ふと想う。
    どうしたら、人は「ああ、幸せだよ」と、心から言えるのだろう。
    しかし、全ての人は、幸せになるために、
    この世に生まれたんだとある人が言っている。
    それは、真実だと私も想う。

    「幸せは、自分の心が決める」  みつを

    「人生は、美しい」  仏陀

    これは、仏陀の臨終の言葉だ。

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  • from: クマドンさん

    2016年03月23日 05時48分14秒

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    落ち込んだ時はどうするか

    どっと落ち込むことがある。
    ああ、そうなんだなぁと、どっときた。
    それはもうどうにもならないことだったりする。
    まさかこんなことになろうとはと、考えることもしなかったこと。
    そうなってからでないと、人は分からないものなのか。
    いや、やっぱり私がそういう生き方をした人なのだと、己に気付いた。

    さて、ここからどうやってリカバリーするかだ。
    くよくよしたって、いくら後悔したって始まらない。
    禊という言葉があるが、
    どこかでじっと耐えながら、己の身体を削って行くしかない。
    まず一つは、耐えることを受け入れること。
    耐えるということは、待つことであり、わずかでも希望をもつことかも。

    諦めることも肝心。
    それはそれでどうにもならないことを知っているのは私。
    ならばまず、変えることのできるものを変えることだ。
    変えることのできないことは諦めて、
    変えることのできることは何かを見極める。
    そしたら、そのことを成し遂げるために日々を生きればそれでよい。

    「何かをなした人は、何か大きな決断をした人だ」と、
    さっき突然テレビでテロップが写された。
    喪ったものは大きい。
    これからももっともっと喪うことになるかもしれない。
    でも、だから、つまり、ここに生きている意味とは、
    そこで生かされて行く意味とは、
    私にとっての大いなる天から与えられた試練なんだ。

    ここは、試練の場。
    その試練を与えられたのは、私。
    そして、その私をこの試練を通して鍛え、気付かせ、
    生き直させようとする意志がここには存在している。
    私は、それを信じる。信じている。
    こうしない限り、私はそれとは出会えなかっただろうと想っている。

    確かに私の人生にとって大きな試練であり、岐路でもあった。
    それは、震災と一緒だ。
    突然予期もせず、何の予兆もなくやって来て、私を変えた。
    孤独と苦しさと辛さとの中から、私が見ようとしているものは何だろう。
    その暗闇の中にも微かに輝く光があるとしたら、
    その光に向かってやっぱり少しでも歩いて行って近づきたい。

    試練は、闇である。
    しかし、闇であるから、微かなる光を感ずることができる。
    その光と出会わない限り、試練は闇の中で続くだけ。
    つまり、孤独と苦しさと辛さとの中でのみ、
    私は、自分を空しくでき、死んだ人のように空っぽになれる。
    その場所だけが、実は真の光と出会える場所ではないのだろうか。

    人に向かうか。光りに向かうか。
    それは、人生における大きな唯一の決断なんだ。
    この試練の中で生き抜くということは、
    私がその光に向かって日々を歩くことを決断し、実行すること。

    「大死一番」
    「一大事」
    ターニングポイントをどう生き切るか。かなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2016年03月21日 09時59分00秒

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    忘れて生きたいものだ

    さて、本日はユナイテッドがメンズディー。
    映画に行きたいなぁと想いつつも、ここに居る。
    何だか二日間の湯巡りの疲れなのか、元気が出ない。
    そんな時は無理をしない。
    そうした切り返しが、自分でもできるようになった。

    のんびりと互いに抱き合い、睦み合い、毛づくろいしている猿たち。
    それもそうした生き方も、ありだなぁと想わされた。
    私は、どうしてここに生きているのだろう。
    生きるって、いったい何だろう。
    そんなことを想うことが多くなった。
    それは、私が年を取り、少し老い、少し弱り、少し無理がきかなくなったから。

    そんな時に、庭のヒメオドリコソウやミミナグサやタネツケバナの野草を観る。
    ふっと心が和んで、穏やかになる。
    大山台の桜の樹木と語り合うこともある。
    木の芽はその冬の最中にもしっかりと固く中で育っていた。
    葉っぱをすっかり落とした樹木は、冬眠しつつも英気を養い、春を待つ。
    そんな樹木の生き方に、そうだよなぁと教えられる。

    たいしたこともなく、変わり映えもなく、昨日は何があったっけと覚えていない日々。
    朝、目覚めてストレッチして、瞑想して、感謝の祈りをする。
    朝食をいただき、「行って来ます」と、寝ている子どもたちに言い、
    車の中で中島美嘉の歌を歌う。
    こだわらず、それがいいと、ただ流れる時間に任せているだけ。
    阿賀野川の土手に出ると、遠くに真っ白に輝く飯豊や五頭の峰々。
    それだけでも、ほっと救われたような気持ちになる。

    何かばかりを追い求めていると、この落ち着きとは出会えない。
    「これでいい。」「これがいい。」
    あの野草たちや樹木たちや猿たちのように生きられたら、
    どんなに楽なことだろう。

    休日にロングを歩く。
    その時は、時間なんかを気にしないで、ただ歩く、歩く。
    お日様が今出てきたので、歩きにいこうかなぁとも、今は思っている。
    何もない。何もしない。何でもいい。ただここに居る。
    こうして書くことは、私にとっての生きるでもあった。

    「何からの自由ではなく、本当の自由とは選択することの自由なんだ。」
    池田晶子さんだったけかな。
    何だか、何をしたらいいのかと、焦って探し回っていた頃の選択は、
    それはそれで豊かで有意義で、また寂しく虚ろで落ち込む選択でもあった。
    でも、この何もしない。これでいい。の選択は、
    何だかとても空っぽなんだけれど、いっぱいが溢れているような選択な気がする。

    きっと独りだからそれができるのだと想う。
    野草たちは野草たちの時間を何もこだわらずに過ごしている。
    樹木はこの春の暖かさを全身で感じながら、喜んでいるかもしれない。
    そして、咲く時に咲き、実をつける時に実をつけ、枯れる時に枯れる。
    耐える時にじっと耐え、待つ時にいつまでもいつまでもただ待つ。
    諦めるとか希望をもつとかということもなく、
    お日様ならお日様を、
    雨ならば雨、。
    冷たい風なら冷たい風を感じたまま、ただそれだけの他には何も感じない。

    私が目の前で観ているのは、無心なる姿と生き方で、
    その無心で空っぽだから、何も考え感じていないから、いいんだなぁと想っている私。

    ああ、あれをしなければ。
    ああ、あんなことしなければよかった、とはもう想わないで。
    ただ黙って、たそがれて、空を観る。風を感じる。ただ歩く。ただ食べる。
    その「ただ」っていうことがとっても素敵なんだと、やっと思える年になった。

    無理をしない。無心にある。
    無とは、けっして否定的な言葉ではないなぁと、今、ふと感じた。
    無と言う在り方が在る。とでも言うのだろうか。
    理屈を忘れ、私の心を忘れ、何かをしなくてはを忘れ、欲しいを忘れ。
    その忘れたところに、野草も樹木も猿たちも生きている。

    私は、そこに還りたい。
    そんな私の師が、きっとこの野草で樹木で猿たちだった。
    そのことを悟らない限り、そのことが腑に落ちない限り、
    やっぱり死ねないと、私は想う。

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  • from: クマドンさん

    2016年03月21日 08時16分04秒

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    長野県の渋温泉にタイムスリップ

    レトロな温泉街だった。
    長野県の渋温泉は、昭和を懐かしく感ずる人にはお勧めだ。
    昭和を知らず、日本の日本らしさを知らない人にもお勧めのエリアだ。
    何だかあの横浜ラーメン館に入った時のような錯覚を覚える。
    時代を超えて、ここはあの父や母に手を繋がれて歩いた街ではないか。
    タイムスリップしたような懐かしさを感じた。

    九つの外湯巡りをする。
    一の湯から九の湯までの小さな小さな湯船の温泉だ。
    大人が四人も入ればいっぱいになる風呂もある。
    中には源泉が近すぎるために、「火傷注意」と書かれた風呂もあった。
    それでも、水道で薄めて薄めて、じっと身動きしないで入った。

    外湯の鍵は家族に一つ。
    だから、妻と長男と私とは、常に一緒に行動しなければならなかった。
    「何時に出よう。」
    入りながらも隣の女風呂に声をかける。
    「こっちは熱っくて、入れねよ。」
    「こっちはちょうどいい湯加減だよ。」
    「もう出るぞ。」
    何だかこの薄い壁越しの会話が、とてもとてもレトロだった。

    この街の路地がこれまたいい。
    人二人が横になって歩けないくらいの狭さの路地。
    その裏の世界に入ると、この温泉街の古さと言うか、歴史を感ずる。
    煉瓦の壁の大正時代を思わせる信濃喫茶があった。
    ひょんなところで老舗の旅館の玄関がある。
    表通りも乗用車一台が通れるだけの幅しかない。
    それが全部美しいタイルのような石畳で覆われている。
    下駄の音が妙に響く道だった。

    夜がまたいい。
    セピア色の街灯に彩られ、まるで千と千尋の世界のように、
    トンネルを抜けたら異世界だった。
    小石屋という旅館のカフェに行った。
    カウンターには外国からのお客さん。
    エスプレッソマシーンが新しい。
    何でも証券マンをしていた彼が、一念発起して廃業したこの老舗旅館を買い取り、
    実にモダンに改装して、格安な宿として昨年の夏にオープンしたばかりだった。

    その彼と語りながら、この渋温泉の魅力を共感し合った。
    心と言うか、魂と言うか、その奥深くで「ここだった」と想わせる場所だった。
    ただ、新参者には歴史と伝統の街は厳しく、
    温泉協会には入れてもらえないそうだった。
    だから、この格安の宿に泊まっても外湯巡りはできない。
    ただ、この宿に居るだけで、ワールド感を満喫できる。

    それは、スノーモンキーというインタネットに載った一枚の写真から始まった、
    何とも不思議な地獄谷温泉の物語だった。
    雪の露天風呂の温泉に野性の猿たちが入って和んでいる。
    お客のスマホを奪った猿が、温泉にどっぷりつかりながらそのスマホを見つめている。
    そんな写真がネットに載ったものだから、
    世界中からその温泉の猿たちを観るために観光客がやって来る。
    冬期間は一般車両は通行止めとなる山奥の奥にその谷はある。

    野猿公苑に行ったら、いたいた。
    観光客がわんさとスマホやカメラで、猿たちを撮っていた。
    すれ違う人の半分は、外国からの観光客だ。
    すごいものだと、この猿たちの実力をここで悟った。
    ほんの足元に猿の子どもたちが遊び、戯れている。
    何も人間たちのことは気にせず、ごくごく自然に生活している。
    家族が一つに抱き合って、暖をとって和んでいる。
    「かわいいーーーー。」は、人にとっては癒しの感覚だ。

    子猿のあどけない表情や、その仕草に、思わず笑みがこぼれてしまう。
    確かに、猿の数よりも人の数の方がはるかに多かった。
    一人500円の入園料。
    一万人で500万円だ。
    こんなに稼ぐ猿たちも他にはいまい。

    最期に志賀高原ビールの醸造所へ向かった。
    そこは昔からの酒造で、ギャラリーにもなっている。
    このビールが、クラフトで、雑穀で、なかなかの美味だった。
    小瓶に入ったビールのラベルがまたまたおしゃれで、素敵だった。
    この連休には、この会社が主催したコンサートが志賀高原で行われている。
    集客にも一役をかっている酒造所でもあった。

    昭和を頑固に守り続ける温泉街。
    新たな感性でワールドな旅館を創造しようとする新参者。
    古臭いは、文化であり魅力なんだと譲らないホテル「N正」の人たち。
    そして、こんな山奥まで外国の人たちを呼び寄せる猿たち。

    やはり、旅とは、新たなる発見であり、出会いであると、改めて想った。
    「また来たいね。」
    それは、車の中の妻と長男と私との感想だった。
    心に残る温泉街は、やっぱりあったんだと、この出会いがとても嬉しかった。

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  • from: クマドンさん

    2016年03月19日 07時20分41秒

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    老いる・病める・終える

    昨日、職場で若い女性職員から「身体大丈夫ですか?」と優しく声をかけられた。
    嬉しかったなぁ。
    その何気ない言葉は、すーっと心に沁みるもの。
    私は、彼女に今回の経験から学んだ「老いる」と「病む」について語った。

    人は生きていながら、生きているということを忘れている。
    それは、死ぬということを忘れているからだ。
    この人生は、たった一回ぽっきりの人生だとは、生まれた瞬間に決まっていた。
    私は、今は、毎日「生きる」とは何だろうと考えている。
    それは、きっと生きるための意味を知ることだから。

    その意味を知り、その意味を深め、その意味を味わって、刻々を生きる。
    流れるように、こだわらず、ただあるがままに、ごくごく自然に。
    そうなれたら、きっと生きる喜びが初めて分かるのかもしれない。

    今、ここで、私は何を感じて、どう動いたら心地よいのか。
    その答えは、きっと深くに潜んでいる「本来の自分」はちゃんと知っている。
    人は、本来の自分で生まれながら、
    私と言う自分を自分だと錯覚してしまい、日々を生きている。
    だから、その本来の自分に戻るために、リセットするプロセスが必要だ。

    それが、「まさか」の「死」なのだろう。
    ああ、そうだったのか。
    この私のいのちは、明日をも知れないいのちだったんだ。
    突然の激痛と、突然の緊急手術。
    身体はいのちを生かすために、必死の再生への蘇りへの闘いを続けた。
    私は、痛みに苦しみながらも、身体とは違う自分を感じた。
    身体は、私を生かすために刻々と闘いを続けて、やめない。
    私は、その闘いに感謝し、祈り、励ました。

    そして、感じた。
    もし、私が死んだとしても、終わるのはこの必死で生の闘いをしている身体なんだ。
    その身体を慈しみ、愛しく感じ、励ましている自分は、
    もしかして、身体を喪ってもそのままの自分であり続けるのではないだろうか。
    身体とは、魂の器なのだ。
    で、この身体に束縛された魂は、自由なる魂となり、
    大いなる一つに融和・融合されたりするのだろう、と。

    「自分は、死なない」

    その死なないはずの自分で、この短く儚い人生の一日一日を、
    一瞬一瞬を生きていけたら、それだけで十分幸せな人生になるのだろう。
    だから、その深くに潜んでいる「自分」に出会いたい。
    もう、そんなに欲も無くなった。
    あの良寛さんが懐かしく感じられる私になった。

    だから、知りたい。
    本来の自分を。
    その自分を知り、その自分と出会い、その自分で生きたい。

    「自分で、自分を、自分する」は、道元さんの教えだ。

    そこで、「老いる」だ。
    それは、弱り、衰え、頼りなく、日々を生きるということであり、
    そのことによって、「死」をいつも我がこととして見つめる時節でもある。

    当然「病む」ことはあるだろう。
    大病もあり、事故で大けがをすることもある。
    その時、私がそうだったように、きっと「死」「終わり」を考えることだろう。

    人は、幸せになるためにこの世に生まれた来た。

    なのに、幸せを感ずるどころか、日々心の虚しさと喪失感に襲われてしまう。
    それは、きっと、本来の自分で生きていないからだった。
    今の私には、この道元さんの言葉が懐かしい。
    そうだなぁと、少しは共感できるようになった。
    それは、私が「死」と「終わり」を実体験として経験したからだ。

    だから、ほんのわずかなものしか欲しくなくなった。
    でも、この本来の自分には、死ぬまでになってみたいと想っている。
    そっちの方が、一大事なんだ。

    「あなたは、若いからまだまだそんなことは考えないし、気付かないよ。」
    「でもね、老いるということと、病むということは、みんな同じだよ。」
    「このいのちは、いつか必ず終わるんだ。」
    「そんなことも感じないまま、人はどんどん老いていくんだよ。」
    「老いと病と死とは、全てのいのちに等しく与えられたものなんだね。」

    だから、生きたい。
    本来の自分自身で。

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  • from: クマドンさん

    2016年03月18日 05時56分21秒

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    歌なら、歌える

    昨夜、あるところでゴスペルを歌った。
    ゴスペルは、神様への賛美の歌。

    私は、ヘルニアのために身体を使えことの全てを失ってしまった。
    それは、ある意味、妻の気持ちになることでもあった。
    妻は、リューマチの発症のために、やりたかったことの多くを断念をした。
    やれないことの哀しさ。
    諦めることへの悔しさを、私は分かってあげられなかった。

    それなのに、私だけは、自分の好きな山へばく進だった。
    とうとうスイスや屋久島まで行ってしまった。
    そのことを妻は一生忘れないと言っている。
    いつもいつも馬鹿な私は、後からあっと想ってそのことに気付く。
    やってから気付くから、どうにも救いようがないようだ。

    走れない。筋トレができない。泳げない。
    そうなってみてやっと分かったことが、
    身体の事情のためにできない哀しさだ。
    ただ、こうなってみてやっぱり私は世界の半分の人に出会うことができた。
    それは、障害のために思うようなことができない人たちのこと。
    その人たちが健常者と呼ばれる人たちをどんな眼差しで見つめていたか。
    私は、その複雑な想いを感じられただけでも、
    このヘルニアには感謝している。

    おかげさまで、私は「分かりますよ」と言える人が増えて来た。
    「あの人は、私だ。」
    この障害は、自然に私自身を深くしてくれた。
    そして、その深さとは静かさのことでもある。
    どうにもならないものは、どうにもならないんだ。
    そうした諦めの訓練が、私の日々の生活の日課となっている。

    もしもこうだったらは、ない。
    どうして私だけがこんなことにとは、想っても、何も変わらない。
    そう言い聞かせながら、自分自身と対話する。
    すると、できなくなったことを嘆くよりも、
    今、ここで、できることを楽しもうと思えるようになってきた。

    だって、こうして今日も1日のいのちを与えられているのだし、
    ハードはもうできなくとも、日常のソフトなら、何とかこなせる身体なんだから。
    そしたら、歌に再会することができた。
    「歌なら、歌える。」

    日曜日にY教会に行くのは、讃美歌を高らかに歌うためだ。
    T区ボーイズで初老の男性合唱団で歌っているのも、生きる力を得るためだ。
    車の移動中は、ずっとずっと力いっぱい歌っている。
    そしたら、ゴスペルを歌う道も開かれ、与えられた。
    「歌なら、歌える。」

    それは、私にとって生き方の大転換だったかもしれない。
    山もスキーも諦めた。
    本当は人生、これを楽しみ尽くして終わろうかなぁと想っていた。
    しかし、そうは簡単にはいかないものが人生だ。
    私がとっておきにしていたものを、あっと言う間に奪って行った。
    「やればできる」ではなく、「やりたくてもできない」だ。

    しかし、だから尚更、今、ここで、やれることをやる。
    そんな心の切り替えが、私にとっては生き方の大転換だったと想っている。

    昨夜は、コンサートに向けた練習だった。
    素晴らしいハーモニーとパワフルな歌声に、歌いながらの感動だった。
    「私には、神様は歌を与えて下っている。」
    喜びをもって生きるとは、こういうことではないのかなぁと、
    ふと歌いながら感じた。

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  • from: クマドンさん

    2016年03月17日 05時50分21秒

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    懐かしい生き方

    昨夜は、「ためしてガッテン」を観ながら、椅子に座って眠ってしまった。
    「飲み過ぎなんだから」と、妻には呆れられている。
    しかし、決して飲み過ぎでこうなっているのではない。
    夜中の2時過ぎに起きてから、眠られなくなったので本を読んでいた。
    池田晶子さんの語りを聴いて、さもありなんと肯くばかりだった。
    その内に4時になり、「明日への言葉」に耳を傾ける。
    5時になったら起きだして、ここに想いを書くことで、脳のトレーニング。
    それでは、やっぱり眠くはなるはなぁ。

    これはやっぱり老人の生活だ。
    ラジオ深夜便を友とする人たちは、世の中にいるのだなぁと、
    健康な頃はそれは他の世界の人のことだった。
    それなのに、あの病院の個室で孤独と痛みで不眠に陥った私は、
    すがるようにその音に、言葉に耳を傾けた。
    私もいつかは、その世界の人の一人になった。

    あの日から、やっぱり私にとっての生きるが変わった気がする。
    「一度は死んだのだから」と、そう想うこともある。
    「あのまま死んでしまったかもしれないな」と、思えば思うほど、
    こうして息をして目を覚ましているということだけでも在り難い。
    やっぱり「いのち」は一つで、一回きりの人生なんだと、それが分かった。

    それから、その手術後の痛みに耐え、
    孤独なる病人としての長い長い病院生活を経験し、
    復帰までの間、自宅でまったく中途半端な生活を送ったことで、
    私は、きっとこれは私だけではないぞと、気付くこともできた。
    つまり、私がそれまでは気付くことも考えることもしなかった半分の世界の人たち。
    私は、この年になって、やっとその世界で生きざるを得ない人たちの、
    心の呻きや辛さ、孤独感や喪失感が、何だか分かる気がするようになった。

    これは、やっぱり「災難」に遭ったおかげ様だ。
    自然は時には無情にも想像を絶するカタストロフを人に与える。
    その時だ。その意味を人はどうとらえ、その意味を自分のものとしてどう受け入れ、
    そこから、再びどう立ち上がって、生きるを始めるか。
    私は、まさにそんな状況に見舞われた後、
    立てるようになったら、点滴棒を頼りに、そろそろと歩く訓練を始めた。
    生きるとは何かという問いを、再び自分に取り戻すためには、
    人はきっと死からの生還が必要なのかもしれなかった。

    人は、孤独に生きている。
    人は、老いを生きている。
    人は、いつかは死ぬものだ。

    それって実は、当たり前のことで、普遍な原理原則だった。
    それを、私たちは忘れてはいけない。
    忘れたまま、今、ここを、意識せずに過ごしていてはもったいない話だった。
    だから、「自分はどう生きるか」は、生きている間、ずっとずっとの問いなんだ。
    「死ぬことから、哲学は始まる」のだし、
    「問うことが、哲学すること」なんだし、
    「悩むな、考えろ」と、精神としての存在を生きよとは、やっぱり池田晶子さんだ。

    58歳の名もなく、何もなく、ただの平平凡々なこの私は、
    今、ここで、同じ年だったころの良寛さんが、辺に懐かしく想われるようになった。

    この生 何の似たるところぞ
    騰騰としてしばらく縁に任ず
    笑うに堪え 嘆くに堪えたり
    俗に非ず 沙門に非ず
    瀟湘たり 春雨の裡
    庭梅 未だ筵を照らさず
    終朝 炉を囲んで座し
    相対するも也た言なし

    今朝、読んだ本の中に書かれてあった良寛さんの漢詩だ。

    ここに良寛さんの、徹底した諦めと孤独とがあるように感じた。
    そうやっても、そうであっても、彼は生きた。
    その生き様が、とてもとても懐かしい。
    良寛さんがいてくんなさると、私のような男はほっとして救われる。
    やっぱりここからは、その生き方なんだと、我に還った。

    うかうかして生きていると、大事を喪うぞ。

    昨夜、ためしてガッテンで一番観たかった糖尿病の話の前に、
    私が爆睡をして、観れなかったように・・・・・・。
    努々(ゆめゆめ)油断なさるるな。

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  • from: クマドンさん

    2016年03月16日 05時50分21秒

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    電波時計は教える

    私の目覚まし時計は、電波時計。
    この時計は、私が目覚める時刻の5時少し前に機能する。
    「修正しなさい」と、電波をキャッチして動き出す。
    秒針がぐるぐると回りだし、いったい何時なのか分からなくなる。
    いつもは困ったものだと呆れてしまうが、
    ふと、今朝はああそうかと、合点した。

    そうなんだ。
    人もこうして毎日決まった時刻に、天からの電波をキャッチして、
    遅れたり早くなったりしてしまった心の時刻を修正する必要があるのではないか。
    ああそうだったなぁと、
    再び見失っていた原点に戻される時間とでもいうのだろうか。
    そんな電波をキャッチすることは、
    生きるにとっては、とても大事な機能なんだと、はたと気付いた。

    すると、確かにどうでもいいことばかり書いている私だが、
    書かされている私がここに居るように、
    何だか私の内から湧いてくる、この自分の言葉をここで表現しているこの時間は、
    この電波時計の修正の時間となっていると、今は感じる。

    生きるを考えることは、日常のジェットコースターの中ではなかなか難しい。
    次々と目の前に向こうからやって来ることと向き合い、無心で対処する。
    そんなこんなでへとへとになって1日を終える。
    そんなことをしている内に、やっぱり心の時計はおかしくなっていく。
    振り返り、見直し、修正していないからだろう。

    リセットという言葉がある。
    私の電波時計の目覚ましは、ある時刻になるとちゃんとリセットされる。
    そのリセットされた正確な時刻から始められる。
    そして、この精密な機械である時計ですら知っている。
    生きていれば、動いていれば、きっとどこかで狂いや間違いが生ずることを。
    そのことは生まれた時から既に想定内のことなんだ。

    そのために、ちゃんとリセットする機能と機会が設定されている。
    そして、その決められた時刻になると、無心にただ秒針がぐるぐると回るだけ。

    私のこの手術と入院とヘルニアとは、
    こんな私にとっては、原点回帰のリセットの時間と機会であると、今は思う。
    走ることも、山に登ることも、自転車に乗ることや、泳ぐこともできない。
    やりたいことができない状態になったとき、
    池田晶子さんが言ったように、
    世界の半分の今までは見えなかった病気の人たちに会うことができた。
    「病気を知らない人には襞がない」とは、ある作家の言葉らしい。
    健康な人は、病人を知らない。
    しかし、病人は、健康な人を知っている。

    私は、このリセットのおかげで、ちっぽけで取りに足りない自分と出会った。
    そして、池田さんの言っていた、世界の半分の人になり、健康な人を見た。
    確かに、ここでは「いのち」のリセットが行われた。
    しかし、そのことに対して不平不満を言っていたら、
    きっとそのリセットは行われなかっただろうとも私は想う。

    人生、諦めることと、受け入れることは、大事な生きるの態度だった。
    「これでいいのだ」と、どんな状況であろうとも自分に言ってやれることは、
    やっぱりこれも、池田さんの言うように、
    「優れた魂」だけにできる生き方なのだろう。

    「私は、諦めたよ。」
    「私は、こうなってよかったよ。」
    そう自分でつぶやくことで、心がすっと軽くなる。
    私の魂の秒針がぐるぐると回り始め、気付いたら真っ直ぐに立っていたりする。

    バカボンのパパの名言「これで、いいのだ」は、
    私のように愚かな人には、
    ちゃんとリセットするための大事な言葉なんだよと、
    きっと天が教えてくださっていることなんだ。
    リセットすためには、人は災難と試練とに会わねばならない。
    まず、今日1日だけでもここから始めようと想っている。

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  • from: クマドンさん

    2016年03月16日 05時21分34秒

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    子どもたちからの問いとは

    土曜日辺りから急に何だか落ち込んでしまった。
    何だか寂しく、無力で、そのまま消えてしまいたいような気持だった。
    この寂しさは、久しぶりの寂しさだった。
    どうせ独りなんだと、独りでとぼとぼと生きていた。
    なのにどうしてか、何だかそのことが寂しくなってきてしまった。

    私は、何をしてきたのだろうか。
    私は、家族のためにちゃんとしてきたのだろうか。
    ふと、そんな疑問に襲われた時、
    何とも言えぬ後悔の気持ちになってしまったのだ。

    かかわりをしていなかった。
    声がけをしていなかった。
    団らんの時間を持たなかった。
    私は私で、家族は家族で、そのままで生きていた。
    それでいいのではないかと、私は好き勝手をしながらも想っていた。
    親父の背中を見て子どもは育つもんだと、想っていた。
    それなのに、ろくな背中も見せてはいなかった。

    語る言葉がない自分にも気づいてしまった。
    生きるを語れない。
    子どもが現在直面している悩みや苦しみに何も言ってあげられない。
    彼等も、私にはその言葉や慰めは求めていない。
    孤立しているのは、家族の中での私の立ち位置だった。

    私は、人とかかわることを苦手としてきた。
    どういうわけか集団の中には入れない。
    わいわい騒いでいる人たちの輪の外に居る。
    こちらから入れてとは言えない人だった。
    いつも人の目を気にしていたのかもしれない。
    何だか自分のことをどう思われているのか、気になった。
    やることなすことに自信はなかった。
    それなのに、時には尊大で傲慢な人となる。
    それは、私の抱えている弱さの裏返しのようなものだった。

    子どもたちは、その私のリアルを知っている。
    それはそうだ。
    生活の中で、私とはどんな人間なのか嫌と言うほど感じているからだ。
    優しくもされたことがあるだろうが、
    こんな私に傷つけられたことも多くあるだろう。

    私があまりにも自分勝手に外の世界で突っ走っている間は、
    寂しさと哀しさとを感じさせてしまったかもしれない。
    それは既に成人した子どもたちにとっては、
    親として取り返しのつかないことだと想う。
    私の父は、酔っぱらいの気弱で優しい男だった。
    競馬のための借金で、土地を二つも失くした人だ。
    夫婦喧嘩が絶えない家でもあった。
    貧しさは当時はみんながそうだった。
    そんな父に育てられたので、私は父親がすべきことが何かは知らずに育った。

    いや、そう言ってしまったら、親としての私の逃げとなる。
    この「親父たちよ」を書き始めたのは、
    息子たちの反抗期に対して、
    親父としての私の生き方を問うためのものだった。
    息子たちの成長と共に、親父としての課題は変化してくる。
    その時、その時に、臨機応変に親として為さなければならないことがあるはずだ。
    それを、私は知らない。
    だから、考える。
    そうしてまた落ち込んでしまう。
    本当に駄目な親父だった。

    けれど、そうやって子どもたちには何の役には立たなくとも、
    子どもたちの悩みや哀しみを自分のものとして、同じに悩み哀しむことはできる。
    こうなんだよと、答えを言うことはできなくとも、
    じっと黙っていて、耐えながら傍に居ることはできる。
    今は、毎朝、妻と子どもたちのことを祈っている。

    本当にできることは、たかがしれている。
    長男は、こんな私に似ているために苦しんでいると言っている。
    そう言われて、私には「ごめん」としか返す言葉は見当たらない。
    私が思春期から社会に出るまでの間感じ、苦しんでいたことを、
    その同じことを、子どもたちが感じて悩んでいた。
    それに気づかず、それを助けられず、ほったらかしにしていた親父が私だ。

    哀しいことだが、それが事実だ。
    土曜日からのどん底は、そのことに気付き、
    そのことがいつも心から離れないからだ。
    後悔しても、やり直すことはできない。
    ならば、今さらだが、やれることだけをやるたげなんだ。

    それでは、どうしたらいいのだろうか。
    かかわりを持たず、信頼されていない親父にとっては、
    その今、ここで、何をすべきなのか分からなくなってしまったのだ。

    子どもたちの前では、真っ裸だ。
    本当に情けないが、愚かで弱い私が居るだけ。
    ここからどう生きるか。
    本当に意味での生き方を、子どもたちから問われている気がした。
    まさに、それは60歳を前にして、私が再誕するための天の声だと想っている。

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