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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019年03月31日 10時21分12秒

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    独り静かに生きよう、今、ここを、

    先週の心と身体の不調を振り返って見た。
    本当に何だか活力がなく、孤独を感じた。
    たくさんの人たちの中に居たのに、
    どんだけ多くを語ったのに、
    やっぱりどこか虚しくて、寂しくてだった。

    「ああ、もう、飲み会では語らないことにしよう」
    そんなことを想うだけ、語る自分自身が虚しく感じた。
    それは、何故なのかと・・・考えた。

    それは、生き方が違うと言うことに尽きる気がした。
    私がいくら思っていることを語ったとしても、
    その想いは理解されない。
    それだけでなく、きっと誤解され、違和感を感じられるということだ。

    ある意味、私は、そうありたいと願うし、
    そうあって欲しいとも願う人だ。
    しかし、みんなそれぞれきっとそう考え、そう思って生きている。
    何を今更、私のような退職した臨時職員に言われたくはないかな。
    というよりか、
    この仕事の原点とは何かの「問い」をもし忘れている人が居たら、
    きっと、私の熱い話は、全く余計なお世話と感じられるだろうとのことだ。

    孤独とは、分かり合えない人たちの中に置かれることだ。
    そして、その人たちは、きっとある意味では了解して分かり合っている。
    私は、それを分かろうとしない。
    そうではない、自由に自分の信ずる道を独り行くだけ。
    だから、いつまでも交わらずに、平行線をたどる。

    それは分かっているから、私はいつも独りで居る。
    そちらの方が、気が楽だからだ。
    きっとそれは組織や集団の中では我儘な姿と映っているのかも知れない。
    しかし、再任用の身だ。
    今更、みんなとわざわざ気を使って交わろうとしなくてもいいと、
    私は思って、そうやっていた。

    明日から、いよいよ新年度が始まる。
    同じ職場を継続できた。
    これは、私にとっては幸いなことだった。

    これからの私の目標は、三つだ。
    「家族を大事にする」
    「健康を大事にする」
    「仕事を大事にする」
    本当にシンプルな目標だが、この三つを貫こうと考えている。

    先週の孤独と虚しさの原因の1つに酒があった。

    3月になり肝臓のことを労わるつもりで、三日間休酒をした。
    何だか休んだおかげで爽快感を感ずるかと思っていたが、
    体調がさほど変わらない現実に、逆に驚いている。
    それでも、きっと沈黙をしながらも、肝臓は喜んでいるのだろうと、
    私は、それを三週間続けた。
    先週は、その三日間が飲み会の日だった。
    だから、肝臓は休まずの営業だった。

    前には、絶対に「酒を止めよう」なぞ、思うことはなかった。
    「飲めるならば、いつでもこい」だった。
    土曜日は昼に、「あき乃」で山菜天ざると蕎麦焼酎二杯だった。
    だから、今週は、休酒日を作っていない。

    ところが、酒に弱くなったのか、酔ってからの失敗が続いている。
    何だか声高に組織改革を訴えていた自分自身が恥ずかしい。
    立派に同僚に対して説教していたことが恥ずかしい。
    くどくどと同じことを言い続けた自分が恥ずかしい。
    できれば、そんな記憶を相手の人たちから消してしまいたいほど恥ずかしい。
    そんな傲慢な態度を、Sさんは腹立たしく感じたことだろう。
    本当に酒が入ると、気が大きくなり、勝手なことを話し続ける。

    今は、そのことでの虚しさをも感じている。
    何だかね。裸の王様だよ。哀しいドン・キホーテだよ。
    どうしても私が分かった方がいいと思うことがある。
    それは、私が感じたり、思ったり、考えたりしていることは、
    本当に「不思議だなぁ」を感じて生きている人にしか、理解できないということだ。

    つまりだな。
    語れば、語るだけ、独りぼっちになるということ。
    そのことを、肝に銘じて諦めること。
    そして、分かってもらおう、共感してもらおうとは、決して思わず、
    独り淡々と自分の信念をそのまんまに生きればいい。
    それだけなんだと言うことだ。

    こんなことを言うと、卑怯なり、弱虫なりと思うかも知れないが、
    小千谷の途中の会でWさんに言われた。
    「クマさんが、その子を救えばいい。同僚のみんなに教えればいい」
    私もそう想う。そうやりたいとも願っている。
    でも、この平行線の中で僭越ながらの越権行為は、
    ただただ反感・反発を感じさせるだけではないのかという怖れ・不安。

    だから、私は、地域社会でも活動をしなくなった。
    いや、降りようと後ろ向きの努力をしている。
    それは、出る釘となり、どんだけ痛い目に合わされたか分からないからだ。
    臆病になったのではない・・・。
    確かに弱虫の道であるかもしれないが、
    何だか無益な無意味な確執・反発・批判・非難から、
    逃れようとしている。
    組織内改革の敗北を、これまでどれだけ味わって来たことか・・・・。

    何が言いたいのかと云うと、
    やりといことがあったら独りでやれということだ。
    人を相手にせず、天を相手にせよということだ。
    そうでないと、いつまでも私のこの孤独と虚しさとは消えることはないだろう。

    人の中に居ると寂しくなってしまう。
    人の中こそ、孤独を感ずる。
    だから、人に頼らず、人を当てにせず、独り行くことだ。
    酒を飲んだら語らず。
    酒を飲んだら聴くことに徹しよう。
    いや、酒を飲まなくてもよかったら、酒は飲まないでいいではないか。

    先週の孤独と虚しさの中から、
    私は、このことに改めて気付かせられた。
    独り静かに生きる。
    それが、これからの私の生き方の答えであるのかも知れない。
    この孤独と虚しさとは、そんな真実を私に明らかにしてくれたようである。

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  • from: クマドンさん

    2019年03月30日 05時41分23秒

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    黙って聴こう、感じよう

    ああ、反省。反省。慙愧。慙愧。
    どうして私は、酒が入るとくどく長くなってしまうのか。
    情けないほど、それは、哀しい事実だった。

    人様のことには、口を出すべきではない。
    余計なことを言ってはならない。
    お前は一体何者なんだ。
    自分自身を顧みよだな。

    従兄のMさんにもそうだった。
    何であんなに厳しく言い切ることができるんだ。
    確かに、ガツンと言わねばと思ったとしても、
    それは、ちょっと控えるべき話だったと、今は反省。

    同僚との飲み会でもそうだ。
    他者を批判・非難するようにことは、絶対に言うべきではない。
    例え、そのことで組織が改革されようとも、
    私が、それを言う立場でないことは、よく分かっているはず。
    なのにここでも余計なことを言ってしまった。

    Wさんに対してもそうだった。
    私は、自分がそうだったからと、
    親身になって考えて苦言を呈したつもりだった。
    こんなことを言えるのは、私たちしかいないとの忠告のつもりだった。
    しかし、そんなことは、彼自身重々分かっている。
    分かっている上での決断だ。
    それなのに、他人の私がとやかく言うことはない。
    云う必要も無い。

    酒が入ると、くどくなる。長くなる。同じことを繰り返す。
    その内に気分が高揚して、声も大きく、何だか威勢だけがよくなっていく。
    そんな話を聴かされている相手はきっとたまらない。
    それも、自分自身の決断に対する批判や非難では、
    何だか聴いていて腹も立つだろう。

    Sさんからのメールも届いた。
    途中の会は、どこへ行ってしまったのかかな。
    いつもは、お互いに「いかに生きるか」の気付きを語り合った。
    今、ここで、何を感じているかを聴き合った。
    そして、何か心を豊かにして、しばしの余韻を残しての別れだった。
    そうやって、何年も続けられたこの会だった。

    しかし、Wさんの病から、私は、そのことだけで語り続けた。
    彼もまた、そのことで悩み苦しんでいる。
    だから、私は勝手によかれと思い、そのことへの私の想いを語った。
    すると、どうだろうか。
    私は、聴くことをしていないのだった。
    ただ、黙って相手の想いを受け入れ、感ずることをしていなかった。

    1年前までの途中の会は、互いに感じ、聴き合う会だった。
    その聴いた話から、また新たな気付きが生まれ、
    発見が生まれた。
    その気付きと新たなる視点とが、この会の何よりものお土産だった。
    しかし、あの時以来、その原点が見えなくなっている。
    そこに私が気付かなかった。
    いつもいつも愚かな私だ。

    もう、熱を帯びたようにして、一方的に想いを語ることは、止めにしよう。
    そのことで、私は、人を傷つけている。
    そして、何よりも、自分自身のことを傷つけている。
    私は、そうやって友を失う。
    私は、そうやって人が離れる。

    こんな恥ずかしいことなのだが、恥ずかしいことだからこそ、
    これからの私のために、ここにこのことを記している。
    「いい気になるな」「何を生意気に」だな。
    酒は、やっぱりおっかない。

    聴くことから始めよう。
    感ずることだけを大事にしよう。
    語るのは、ずっとずっと後でいい。
    そして、少しだけにする。
    61歳の自戒である。

    孤独になるのは、こんな私だから、仕方ない。

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  • from: クマドンさん

    2019年03月29日 21時09分49秒

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    Wさん、身体の声を聴け

    体調不良か・・・・。
    当たり前だろうとの天からの声。
    三日間、まさに飲み続けたトライアスロンだったな。

    送別会の二次会で、大いに語った。
    妻の誕生日では、とんときで日本酒を4合だった。
    小千谷のちぢみの里でも、缶ビールに菊水一番搾り2本だった。
    そして、気付いた。
    最近、飲むと強気になって、本音ばかりがんがん語っているということに。

    そして、そんな私のテンションの高さと、
    一方的な本音を聴かされている人たちは、
    きっときっとはた迷惑な話だと思ったと思うと言う反省・後悔だった。

    言いたいことがある。
    だから、言う。
    ちゃんと言う。
    ストレートに言う。
    だから、嫌われる。煩がられる。何だこいつは・・・と思われる。
    その空気感を読めないまま、言い続ける。

    飲み会の後で、その翌日で、しらじらとした空気が流れる。
    ああ、また、やっちまっただな。
    本当に言わねばならないことだし、
    改革への道標であるし、
    やっぱり誰かがやらなくてはならないことなのだが、
    そうやって言い続けている私に対しては、
    やっぱり反感をもつ人も多いだろうなぁということの気付きだった。

    露天風呂に入りながら、しばしの瞑想だった。
    そこに、Wさんがやって来た。
    その瞬間、はっと閃いたことがあった。
    それは、「家族」と「健康」こそ、私たちが大事にすべきことなんだという、
    何とも当たり前のことだった。
    「家族と健康は、金では買えない」
    「いくら何億ものお金があっても、家族と健康がなかったらそれが何だ」だった。

    私が、週三日間の休酒をしたのも、家族と健康のためだった。
    私が、ここで病気で倒れたらどうなってしまうのか。
    その病に倒れた後は、家族に介護してもらい、寝たきりで何も出来ない。
    でも、家族が居てくれたらそれはそれでありがたいが、
    もし、妻がそんな私を見捨てて去って行ったとしたら、
    私は、どんな60代を送ればいいのか・・・。

    情けないけれど、そんな気付きが、はっと湯船の中で閃いた。
    「そうなんだ。家族と健康こそ、かけがいのない宝なんだ」と、
    やっとこの私が、そこに落ち着いた気がした。
    それは、隣で湯に浸かっているWさんが、
    夏休みのインド旅行で、その二つと、仕事までも失おうとしているからだった。

    詳しくは、書かない。
    でも、彼がこの旅行を強行すれば、きっと「家族」「健康」「仕事」を失う。
    身体は切々と彼にそのことを訴えている。
    その身体の切なる声を聴かない。無視をする。
    それでも、どうしてもそのインド北部の四千メートル級の高地の旅をしたい。
    彼は、憑き物につかれたように、その旅を止めようとしない。

    私と、Sさんとは、意を尽くして、彼を諭した。
    しかし、彼の眼は、その言葉を心で受け止めていないことを現していた。
    どんなことがあっても、彼は行くつもりだ。
    彼には、理屈が分かっていても、諦める気は全くなかった。

    これなんだ。
    人が何かに憑かれている時には、どんな忠告も説教も心には入らない。
    私にも、彼と同じことがあったから、よく分かる。
    彼は、行きたいし、どうしても行くのだと決めている。
    私たちの諭しは、無駄なことは明らかだった。

    かれは、きっと強行をするだろう。
    しかし、きっと羽田に向かう途中で、
    または、インドに向かう飛行機の中で、
    身体がおかしくなっていくことは想定された。
    日々の生活や仕事に支障をきたしている彼が、
    海外の旅にその身体が耐えられるわけはないんだ。
    でも、彼は、どうしても行きたいから、諦めない。
    「やめる」とは、絶対に言わない。

    人間らしいなぁと、つくづく感じた。
    私もそうだったなぁと、改めて想った。
    そして、あの日、SさんやJさんは、必死になってそんな私のことを説得した。
    大事なことに気付かずに生きている私に、根気強く語りかけた。
    彼のように全く分からない私に対して、腹を立てて怒鳴ったこともあった。
    そうやって、私が失いかけていたものを、守ろうと懸命に語ってくれた。
    しかし、私は、その真摯な想いに、その只管の願いに、応えなかった。

    「まともになったら、また、会おうや」と言って、去って行った友がいた。
    多くの人たちは、静かに、視界から、かかわりから、姿を消した。
    それでも、遺って、私のことを心配して、声をかけてくれる友も居た。
    こんな時こそ、よく分かるものだ。本当の友が。

    Sさんも、私も、彼の為に、この説得は続けるつもりだ。
    それでも、彼は、インドへ行くと思う。
    そして、その後については、彼がどん底を味わうだけだ。
    私たちは、彼の友として、この説得だけは、止めないつもりだ。
    どんなに煩がられ、嫌がられてもだ。

    ああ、しかし、今の私には、酒はよい結果に結びつかない飲み物となったようだ。
    言いすぎる。
    本音を語り過ぎる。
    時には、人を批判しすぎる。
    それは、駄目な酒なんだ。

    今は、反省し、心がどうも元気がないようだ。

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  • from: クマドンさん

    2019年03月28日 06時45分33秒

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    新たなる課題に向けて

    火曜日 送別会・・・ギターを弾く
    水曜日 妻の誕生日・・・焼肉屋で花束を贈る。
    本日  小千谷の温泉・・・途中の会

    休酒日でありながら、飲まずにはいられない日々が続く。
    今朝は、4時には目覚ましが鳴るが、
    本を読みながらまた、二度寝、三度寝だった。
    今、こうして起きても、身体の不調を感ずる。
    とにかく、眠たい。
    一日ずっと寝ていたいと、ついつい思う。

    来年度からの準備に入った。
    私は、再任用で今の職場に継続で勤務する。
    それはそれでありがたいことだった。
    私には、やらねばならない仕事があった。
    それは、Tさんを始め、4人の5年生を卒業させる使命だった。

    しかし、4月からは頼りにしていた支援員さんが別のクラスに。
    そして、私のクラスには支援員さんがつかないとのこと。
    ガーンだった。
    Tさんは、なかなかの強者だった。
    自分がそうと思わない限り、てこでも動かない。
    今までは支援員さんが優しくそんなTさんを支えてくれた。
    4月からは、私が彼とマンツーマンだ。試練だな。

    確かに、仕事とは、修業であり、試練だった。
    いつもいつも同じ自分では、対応はできない。
    まず、問われていることは、
    その場に置いて、いかに自分を変えられるかではないだろうか。

    ノウハウもあり、知恵もあり、経験による見通しもある。
    しかし、そこに胡坐をかいてしまったら、
    私自身の成長は期待できない。
    何よりも、変化する現場・現状に臨機応変に対応はできない。
    歳をとると、これができなくなるので、失敗が多くなる。
    仕事に求められるのは、幾つになっても柔軟な姿勢だった。

    課題し向こうからやって来る。
    まず、アセスメントだ。
    とにかくこの課題を解決するためには、
    分析をして、この課題の正体を明らかにする必要がある。
    本質を見失い、過った解釈では、課題がもっと大きな課題と変化する。
    このアセスメントを慎重にやることだ。

    次は、いろいろな手立てを工夫して、トライしてみることだ。
    それも、短期の目標を設定して、暫く続けてみることにする。
    結果とは、その暫く後にじわじわと顕れるものだからだ。
    その根気が求められる。

    そして、日々の経過観察を入念にやる。
    ちょっとの変化、成長、進歩を見逃さない。
    その兆候が顕れたら、すかさず褒める。
    そして、なかなか効果が顕れず、
    停滞が続いても、自分を攻めない、諦めないだな。

    そんな柔軟心を持ち続けられたら、
    何とかこの課題を乗り越えられるのではないかと、
    自分自身に言い聞かせている。

    生きるとは、自分対するトライでもあった。
    そのまんまでええがな、なのだけれど、
    こうしていつも新たな課題が向こうからやって来る。
    その時なんだな。
    いかに生きているかが試されるのは。

    諦めない。責任を転嫁しない。見て見ぬふりはしない。人のせいにしない。
    それは、子どもを何とか成長させることでもあるが、
    本当は、私自身を成長させるための道場でもある。
    さてさて、またまた新たなる道場だ。

    今、ここに、腹を据えてかからねばと、気持ちを新たに構えてもいる。

    「心はいつも新しく」
    「日々是好日と楽しもう」だな。

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  • from: クマドンさん

    2019年03月26日 05時35分31秒

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    やりたいことをやる時間に

    酒を飲まない日を作ってなら、何か身体に変化があっただろうか。
    劇的な変化を期待しつつも、それなりに何事も無く日々を送っている私。
    しかし、大きな変化は、「酒を飲みたい」ではなく、
    「今日は、飲まないことにする」と、自分に言えるようになったこと。
    これは、大きな人生のターニングポイントだ。

    日々行っていることは、一つのルーテーンとして当たり前になっている。
    その内に、そうすることが自然の成り行きで、
    そうでなくなってしまうことへの違和感と抵抗感とを感ずるものだ。
    私にとっての酒とは、まさにそれだった。

    帰って来たら、「まんぷく」の録画を観ながら缶ビールだった。
    夕飯までの時間お腹がすくので、おかき・ナッツ類のおつまみを食べる。
    その発泡酒には、角瓶のウイスキーを垂らす。
    そうやってクラフトビールの味にして飲んでいた。
    ビールが無くなると、ワインをグラスに注ぐ。
    それをちびりちびりと味わいながら飲んでいる。

    妻が帰宅し、7時には夕飯だ。
    そしたら、日本酒を燗にする。
    「鶴齢」であったり、「麒麟山」であったり、「〆張り鶴」であったりだ。
    テレビを観ながら、料理を食べながら、話しながら、酒を飲む。
    その内に、私は、いつの間にか眠くなる。
    いつものパターンで、座ったまま、爆睡に入る。
    それだけの、日々の、人生だったと、今は、思う。

    さて、飲まなかったら。
    昨日は何年振りかの、夕方のランだった。
    身体が重く、足は昔の様には全く機能せず、息もしこたま苦しかった。
    走っては、歩き。歩いては、走る。その繰り返し。
    4キロを30分をとうに超えたタイムだった。
    かってはここを20分間で走っていた。
    「一年かけて、元に戻ろう」と、自分のことを慰めた。

    今夜の送別会の余興で、私はギターを弾くことになった。
    20年ぶりくらいのギターだった。
    「さくら」を12名の女性の歌に合わせて伴奏をする。
    ヒョンなことから楽譜を渡され、「クマさん、やって」となってしまった。
    そう言われて断る理由も無く、引き受けたのが先週の木曜日だ。
    簡単なコードすらも、おさらい直してのトライだった。

    昨夜、ギターの名手である我が長男に弟子入りした。
    難しいコードを簡単な指使いに直してもらい、
    コードの進行をスムーズに調整してもらった。
    親子でギター談義ができるとは、何とも嬉しいことだった。
    彼も、61歳の父親が本気で挑戦している姿を黙って見てくれていた。

    眠る前には、ほんの数ページであっても本を読める。
    そんな時間が、呑兵衛・酔っぱらいには無くなっていたのだった。

    つまり、ルーテーンで生きている人は、
    そのルーテーンが当たり前の為に、
    そのルーテーンによって、何も疑問を持たずに、
    日々をそのまんま過ごすことになっている。
    それは、それでいいのだが、時には、それを見直す、変えてみる。
    そんなことから、何か新たな自分自身の生活が見えて来る。

    私が、休酒をして体得したことは、そんなことの実感だった。
    私は、酒で失ったことは、肝臓の健康だけではなかったということだ。
    つまり、私は、大事なたった一回の、限りのある人生の時間を、
    相当ロスをしていたということだった。

    「酒を飲み。酒に飲まれた」私の人生だ。
    しかし、いつも前向きに考える。
    これからの人生にとっては、この休酒の気付きは、
    とてもとても大きかったと言えることだ。

    私は、そのことに気付かないまま、60代を生きたら、
    そう長くは生きられなかったのではないかと、思っている。
    そして、失ってしまったその時間を後悔していたかもしれない。
    やりたいことがあったら、酒を飲まずに、その時間を作ることだ。

    また、ギターを再開する。
    キーボードの稽古もしよう。書道も始めよう。歌も歌おう。本も読もう。
    童話を書こう。ランをしよう。ヨガをしよう。筋トレをしよう。
    飲まなければ、これができる。

    さぁ、どうする。クマさん。

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  • from: クマドンさん

    2019年03月23日 06時13分05秒

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    人は、変わるもの

    人は、変わる。
    いや、人は、変わるものだ。
    しかし、頑固に自分に固執する時、
    人は、変わることを頑なに拒む。
    それは、変わることへの不安があるから。

    みんながそうしていることをしていればいい。
    みんなが正しいと言うことを聞いていればいい。
    世間はそうしているのだから。
    その世間の目や評判を忖度していればそれでいい。

    みんな我慢している。
    みんなやりたいことを諦めて生きている。
    そんなことをしたらこの世の中で生きてはいけない。
    みんながそうしているように、私もそうしなくてはならない。
    目立たぬように。人から何か言われないように。
    人には、良い人だと思われるように。

    変われない人は、そうした固定された生き方に自分自身を当てはめた人だ。
    そこには、自分で考え、体験から理解し、創り上げた生き方は存在しない。
    本当に自分自身が腑に落ちて、「ああそうだ」という生き方も在り得ない。
    ただ、「そういうもんなんだよ、世の中は」で生きる。
    そうではないと言う生き方を、想像すらできない。

    頑固に一途に変わらないということが、その人の信念であり、正義でもあった。
    「自分は、これでいい」と、ただそう信ずる。

    でも、本当にそうした生き方が、その人の幸せなのだろうか。
    その我見に捕らわれ、縛られている生き方の人に、
    本来人として生かされている私たちの自由を、
    感ずることができるのだろうか。との「問い」だった。

    私は、「生きるとは、何ですか」の「問い」だった。
    その人は、「何を言ってんだ。こうに決まっているだろう」の断定だ。
    しかし、そこから先には、話は進まない。
    「こうだ」と思い込んで、その考え方で何十年も生き、
    70歳・80歳の今に至って、自分の信念を変えることは、絶対に難しい。
    本人にその気が無く、後悔が無く、懺悔が無い限り、
    きっとその頑固な想いのまま、生き続けることだろう。

    まぁいいかと、思う。
    それは、最近よく感ずる。ただの「生き方・考え方」の違いだからだ。
    そして、どちらも是であり、たまたま私は、こっちを選んだだけなのだ。
    だから、議論することもいらない。
    年寄になってしまったら、そこから柔軟心を得ることは至難の業だ。
    「いい加減」が大っ嫌いな真面目な人たちには、
    変わると言うことは、負けるということと感じるらしい。

    しかし、子どもたちは、違う。
    子どもの内に、そうした我見だけを身に着けてしまい、
    みんながこうだから、こうしなければならないと思い込まされてしまっては、
    何だか可哀想な気がするからだ。
    みんななんてどこにも存在しないのに、その幻のみんなに縛られている。
    本当は自分自身の中にしか「答え」は存在しないのに、
    周りの目や批判を気にしすぎて、おどおどと小さくなって行く。

    それは、周りに生活している大人たちが、そうであるから、
    そうでなければならないと、感ずる。
    それは、それで、尊いことだとも、私は思う。

    ただし、そうではない生き方も、この世には存在しているのだよというモデル。
    その自由で創造的に人として生きている大人のモデル。
    そのモデルが、今、子どもたちの生きている身近に、
    存在していないのではないかと思う。

    人は、変わるんだ。
    変わるとしいことが、学ぶと言うことだ。

    学ぶとは、真似をするということだ。
    善きモデルの真似をする。
    善きモデルを見習う。
    そして、その生き方を自らの生き方として体得する。

    人の尊厳とは、自由と創造だと私は思う。

    だから、変わることへの勇気と喜びだ。
    その変わることへの喜びとは、
    自分自身への本来の気付きに他ならない。
    変わった先に、本来の自分は立っている。
    その素のままの、ありのままの自分自身と再会する。

    そうやってこの世に生を受けたはずなのに、
    自我に目覚め、知恵をつけ、世の中に巻き込まれ、頑固になるに従い、
    その本来の自分を忘れ、記憶の彼方に置き去りにされてしまう。

    この人生の旅とは、その本来の私を探し、再発見する旅でもあるのだ。
    私と出会うために、私を生き続ける。
    私とは何かの「問い」を持ち続ける。
    精神という私は、やっぱり不思議な存在なんだと、私は思う。

    それを、する。
    それを、しない。

    生き方の違いとは、ただこれだけの違いではないだろうか。

    だから、頑固な大人と出会う度に、
    「ああ、この人は、本当の自分といつ出会うのだろうか」と思う。
    向こうの人は、こんないい加減な、口ばっかりの無責任な男を、
    「あいつは、駄目なやつだ」と、ただ思っている。

    でも、こうして61年と8カ月生きて来て想ったことは、
    この二つの生き方のどちらがいいと悪いは存在しないということと、
    この二つの生き方の平行線は、その文字通り、絶対には交わらないとしうことだ。

    私には、そのことが深い深い自覚だった。
    私は、こちら側を歩き続けて幸せだった。
    その人は、そちら側を歩き続けて幸せだ。

    その自覚は、私をすーっと楽にしてくれた。
    仕方ないことなんだ。
    それは、きっと分かり合えないことなんだ。

    またまた、彼の話になって恐縮だ。
    しかし、あるもの。目に見えるもの。みんながそうだと信じているもの。
    それを信じて生きてきた人たちは、
    それが本当に信ずるに値するのかを、それが本当に生きるの幸せに繋がるのか、
    人生の途中で、時々、振り返り、見つめ直し、点検してねいいのではないかと、
    老婆心ながら、そう想う。

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  • from: クマドンさん

    2019年03月22日 05時40分26秒

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    きっと余計なお世話だったのだろうな

    起きてページを開いて驚いた。
    「イチロー引退」
    そうだったのか。そんなことがあったのか。
    45歳。偉大な人だ。
    さすがに、その歳による身体の衰えには勝てなかったのだろう。
    打席に立つ機会も少なくなり、打率も下がる一方だった。
    三振で終わる度に、何を考えてベンチに戻って来たのだろう。
    いつまでも続かない。
    いつか必ず辞める日が来る。
    そうなんだよなぁと、厳しいけれどそれが現実だった。

    全く話が変わるが、
    生き方の違いとは、その人の考え方の違いだった。
    特に、お金や世間の目や、地位や名誉に執着して生きている人は、
    語ることは、50歳になっても、60歳になってもそのことだけだ。

    どうしてそんなつまらないことばかり語るのか。
    それは、他に語るべき言葉を持たないからだ。
    自分が生きて来た信念が、お金と地位だから、
    目に見える物だけに固執して来たから、
    その他の世界のことを全く知らないままにその歳になったからだ。

    「世の中はそうなんですよ」
    「みんなそうやってますよ」
    「やっぱり、お金でしょう」
    「組織の中で生きて行くためには、きれいごとではすまされないよ」
    「上に上がるためには、犠牲も必要ですよ」

    そんなことが、信条となり、それを忠実に守ってここまで生きて来た。
    つまり、そうであると教えられ、
    人がみんな歩いていると言われるその道だけを、
    只管信じて歩いて来た。
    そして、上に上がり、ステイタスと金を獲得するために、
    組織の中で立ち回り、いつしか望みのその地位と金とを手に入れた。
    しかし、それって、それだけのことではないだろうか。

    「いかに生きるか」の話をしても、
    帰って来る言葉が、
    「クマさん、甘いな」だ。
    Sさんと昨日、話したばかりだった。
    「不思議たなぁを分かる人とだけ話したいですね」だった。
    この手の人には、この不思議だなぁが全く通用しないのだ。
    いくらその不思議だなぁを話そうとしても、
    全くその不思議だなぁを人生で一回も感知していない人には、
    「一体、それって何の話?」でしか過ぎなかった。

    腹も立てながらも、根気強く話すが、
    彼から見たら、私のような不思議だなぁ男は、
    きっと馬鹿な男に見えるのだろうなぁ、だった。
    それでも、私が話を続けた。
    「お父さんは、どう思っていたと思う」と。
    「何も私は感じなかった」と。
    「どうして、あれだけあなたのことを心配して、悩んでいたのに」と。
    「だって、私には伝わってこなかったんだもん」
    「では、今も、そう思っているのか」と。
    「それは、きっと伝わらせ方が悪かったんだ」と。

    何だかね。とてもね。寂しくなってしまった。
    やっぱり、私は、孤独なんだなぁ。
    私が大事にして、今、ここを、どう生きているかの話をしても、
    その話は、目には見えないし、金にはならないし、
    そんなことは誰も言っていないし、
    そんな歳になってまだそんな夢のような話をしているのかであった。

    話をするためには、話をする相手を選ぶことだ。
    でも、こういう人が100人居たら、99人なのかも知れない。
    「みんながそうだから」「私だけじゃない」「そうしないと負けるよ」
    「どうして自分が損をしないといけないの」「私だって生きて行かねばならないよ」
    「親のことよりも、私の生活」「お金でしょ。お金が無くてどうするの」
    そうやって、50歳・60歳・70歳となる。

    生きるとは、「お金」なのか・・・・。
    こういう人と話していると、腹が立ってくる。情けなく生って来る。哀しくもなる。
    でも、相手も私の言葉に腹を立て、情けなく思い。哀れに思うだろう。

    どちらが正しく、どちらがまっとかではない。
    それは、それぞれの生きる道なんだ。
    ところが、人生の途中で試練や逆境、大病や大事故に遭遇しない幸せな人には、
    その本当の生き方への「問い」を生むチャンスを、
    神様が与えていないということだ。

    いや、今、彼は、その「問い」を持つべき状況なのだが、
    そこには、絶対に目を向けようとはしなかった。
    それは、自分でもよく知っている、アキレス腱・急所であるからだ。
    今更、それまで信じて来た「お金」の生き方を無にはできない。
    そうすれば、それまでの人生を否定することになる。

    本当にそうだった。
    どん底まで堕ちきらないと、人は変わることはできないのだ。
    そして、一度情けない自分に死なない限り、再生は無理だと言うことだ。
    わたしにすれば、「今なのに・・・」だったが、
    彼は、までまで本質を見ないように目を反らしている。

    イチローは、今を観た。今を自覚した。そして、決断した。
    それは、無理を続けないという英断だった。
    ここで、変える。
    それは、自分に還ることでもあった。

    その決断は、50歳の今なんだと、昨日の彼には分かって欲しい。

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  • from: クマドンさん

    2019年03月21日 06時20分29秒

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    人となる修業なんだな、生きるとは

    喉が傷む。
    それでも熱は出ないので、平常生活を続けている。
    どこかが傷むと、やっと日々の健康が理解される。
    忘れているということは、ちゃんと機能していたということだ。
    病に成ることで、平常の幸いを改めて気付かせられる。

    毎朝、4時から布団の中で腹這いになって本を読んでいる。
    今は、「道元禅の真髄 渓声山色の巻講話」 澤木興道著を読んでいる。
    全部で8講あり、1講をちょうど1時間余りで読み切れる。
    道元の書を澤木さんが独特の観点から解いて聴かせる面白い話ばかりだ。
    実は、この本を読んだのは、今回で3回目かな。
    いつも心に遺った言葉を、赤ポールペンで、欄外に書き留めている。
    同じ言葉にまた深く深く共感すると、またその言葉をそこに記す。
    だから、この本を開くと、赤いその言葉の数々がぱっと目に入る。

    しかし、こうした心に遺る言葉を、
    今、ここで生きている同時代の人たちの中で、
    どれだけ語れる人がいるのかと思うと、何だかとても寂しい気がする。
    それは、この「菩薩道」をちゃんと生きている人がどれだけいるのかという、
    何とも根源的な仏からの問いのような気がして、身が引き締まる思いもする。

    「お前は、どう生きているのだ」との「問い」だ。
    「はい、ここに、ちゃんと人として生きています」とは、私は言えない。
    どこか恥ずかしく、後ろめたく、嘘がある気がする。
    そうやって考えたら、自分自身を振り返るだけで、
    まだまだ不完全で、愚かで、分からんちんの木偶の坊だと自分を想う。
    だから、本を読む。言葉を探す。生き方の師を求める。
    本当は、そうやって「いかに生きるか」を問い続けて生きることが、
    人間として生まれて来た私の宿命なのではないかと、考えている。

    日々是好日であるためには、日々是精進であり、日々是道場だった。

    修業には、師が必須だ。
    私は、その師を求めて、半年自由気ままにあっちこっちを訪ね歩いた。
    その半年で、確かに忘れ得ぬ、人生の師匠に何人か出会えた。
    それは、その人たちがその道の極みを求め、
    長年探究している人であるからだった。
    その道の人は、何かが違った。
    ちゃんと背筋が伸びていた。
    深く深くの言葉があった。
    そして、立ち居振る舞い。そこでの在り方そのものが憧れでもあった。
    そういう人と出会えたことだけで、幸いだったと今も思う。

    すると、その人に成りたい。
    その人のようにして、日々を生きたい。
    そう想うようになる。
    すると、書道をしようと、ヨガをしようと、スイムをしようとも、
    心に遺ったその師の教えがいつもいつも私に語りかける。
    「言葉」が、私の目指す姿となって行く。
    師が私の今、ここの至らなさを観てずばっと言った言葉とは、
    この今のほんのちょっと、爪先の進歩のための強烈な示唆だった。

    その「言葉」を体現する。
    その「言葉」に成る。成りきる。
    最後には、その「言葉」を忘れる。
    自然にその「言葉」が示したように成る。行う。やっている。生きている。
    それは、言葉を身体で体得することだ。
    そして、その体得された姿は、「言葉」そのものの現れとなる。

    「言葉」を「身体」に仕上げなければならない。
    それが、きっと道を生きると言うことなのだろうと、
    澤木さんの話を聴きながら、ふむふむと納得納得腑に落ちた。

    そしたら、突然に閃いた。
    「人間」とは、人として生きている間のことだ。
    つまり、人として生きている間は、人としての道を修業すればいい。
    「人生」とは、人として生かされているということ。
    つまり、せっかく人としてこの世で生かされているのなら、
    少しでも「善き人」になることを目指そう。
    その人として生きる道を学ぶための娑婆が、私にとっての「道場」なんだな。

    「生きた見本を見て、仏祖を見習い、仏祖の起こした菩提心を学び、
     ずっとついていくのがわれわれの道である。」

    「彼岸に修行あるゆえに修行なる彼岸到なり」

    「先聖の道をふまんことを行履すべし」

    「師をたずねて、道をとむろうて参禅をなす」

    このことならば、その気持ちが在れば、発菩提心があれば、
    日々、どんな人でも、だれでもやれる人としての修業なんだと教えられた。

    それは、たとえ、年老いて動けなくなった人でも、
    病のために寝たきりになった人でも、
    どんな試練や過酷な状況に置かれた人でも、
    「発願」すれば、きっとその道を行履できる道だと私は思った。

    もし、周りに人が居なかったら、
    自分がその人となるように、日々是精進・日々是道場と、
    仏祖を見習い、仏祖の起こした菩提心を学び、
    ずっとついて行き、
    その言葉を、身に着けて、言葉そのものの人となり、
    その言葉である菩提心を日々生きる人になればいい。

    どんなにちっぽけで、無名で、人知れずあっても、
    その置かれた野で小さな花をただ咲かせればいい。
    一隅を照らす灯りになればいい。

    例え、身体は病になっても、
    心は病むことをせず、日々是好日で生きたいものだと、私は思う。
    喉の痛みと、私の魂は別物なんだ。

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  • from: クマドンさん

    2019年03月20日 05時37分08秒

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    休酒は身体に良くないのでは・・・

    昨日から喉が何だかひりひりと痛い。
    これは、風邪の症状ではないか。
    少しだけ身体も怠く感ずる。
    帰って来たから床屋に行った。
    髪が短くなり、すーすーしているせいなのか。
    やっぱり休酒のせいなのか。
    酒を飲まない翌日の朝なのに、何だか体調不良を感じている。

    飲まないことで、飲まない時の過ごし方を再発見した。
    とにかく飲んだ月曜日は使い物にならない状態だった。
    テレビで「鶴ベエの家族で乾杯」を観ていたはずだが、
    途中で記憶がまだらだった。
    部屋に行って音楽を聴いていたはずだが、
    途中で爆睡してしまい、気付いたら11時を過ぎていた。
    そんな生活が、20年以上続いていた。

    飲まない日がなかったので、
    それが私の日々の当たり前だった。
    ところが、飲まない日が出来、何をしたらよいのか、
    実に手持ちぶたさの有様だった。

    まず、酒のことを思い出さないことだ。
    時には、「飲んだら身体に悪い、悪い」と言い聞かせる。
    晩飯までの時間が長く感じられる。
    走ればよいのだが、まだその気が起きない。
    風呂に入って気分転換をする。
    晩飯を食べる。ご飯を食べる。
    ご飯を食べたら、飲むことはできないう自分なりの炭水化物の法則だ。

    次に、部屋に行き、何をするでもなくぼーっとしている。
    すると、部屋や机上の乱雑振りに気付く。
    時間はたっぷりあるのだからと、片づける、掃除をする。
    探し物をする。
    机の引き出しの中を全部出して、整理する。
    たっぷりたまったほこりを、きれいに水拭きをする。
    こうした日常的な整理・整頓ができる時間は呑兵衛には存在しなかった。

    次に、大切な書の師匠からいただいた落款を探した。
    実は、書棚に置いておいた落款がいつからか消えてしまい、
    見当たらなくなっていた。
    子どもたちの記念にと書いた色紙に朱が欲しかった。
    そして、探したら、どこにもなかった。
    「ああ、これは書棚の後ろに落ちたのに違いない。」

    手を入れて探したら、師匠からの懐かしい暑中見舞いが出て来た。
    そして、懐中電灯を照らすと、あった、あった。
    書棚と壁との間に、途中で小さな箱が引っかかって止まっていた。
    さてさて、この太い腕ては届かない。
    どうしたものかと考えて、長い棒を持ちだして、それでひっかけた。
    少しずつ上に上げて、最後はやっとゲットできた。
    嬉しかったな。
    探し物と久々の再会だった。

    そして、ふと、ふと想った。
    蒲水先生、どうしているかな・・・、と。
    養護老人ホームに入ってから、もう10年以上たっただろうか。
    突然の脳梗塞で右腕と足とが不自由になり、
    口もよく回らず喋れなくなってしまった。
    先生は、書家だった。
    私は、先生に可愛がってもらい、書の手ほどきを受けていた。

    その深い深い恩のある先生のことを、すっかり忘れていた。
    見舞いにも3年以上行っていない。
    不義理も在り、先生を怒らせてしまったために、敷居が高くなったこともある。
    もう80歳に近いのではないか。
    「行かねば、ならない」
    この探し物のおかげで、先生から「クマさん」と呼ばれた気がした。

    飲まないことで、蒲水先生からいただいた大事な落款が見つかった。
    風が吹けば、桶屋がもうかるかな。

    さてさて、やっぱり風邪をひいたようだ。
    喉の痛み。肩の辺りの違和感。少しの寒気と少しの怠さだ。
    シンさんの言うように、禁酒は身体に悪いようだった。
    少なくともこのクマには、善くない気が、この実験から感じている。

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  • from: クマドンさん

    2019年03月19日 05時27分11秒

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    「さくら」をギターで

    突然「ギターを弾きなさい」だった。
    何のことか分からないまま、命じられた。
    「送別会の出し物です」
    「みんなで歌います」
    「曲は「さくら」です。森山直太朗です」
    「ギターで伴奏してください」
    「歌詞と簡単なコードです」

    私は、何十年ぶりにギターを弾いた。
    それは、職場で歌うためだった。
    祝う会の企画で、私が歌を歌った。

    中学生の頃だったか、高校生の頃だったか、
    フォークソングを歌いたくて、ギターを買った。
    そして、独学で教則本を習い、拙く弦を押さえていた。
    まったく下手くそでなってはいない。
    C・F・G等の簡単なコードだけは弾けた。
    それだけだった。

    仕事をしてからはすっかり忘れていた。
    しかし、最近。息子からフォークギターを返してもらい、
    酔っぱらって歌うことがあった。
    家族からは、大ブーイングだ。
    とにかく「煩い」から止めろコールだ。
    それでもめげずに歌い続けるから嫌われるのは仕方ない。

    6年生の女子が二人、卒業する。
    それにらばと、祝いの会で「乾杯」を歌った。
    気持ちよかったのは私だけか・・・。
    それでも、1年生の3人の女子がファンになって、
    昼休みに私の歌を聴きに来た。
    「アンコール」の声にいい気になり、
    いっちょまえに握手してミニコンサートを終える。

    それが、突然のメジャーデビューだ。
    ビビってしまった。
    実は、弾き続けている時は、
    左手の四本の指の先が固くなり、タコになっている。
    だから、弦を押さえてもそんなに痛くはないのだが、
    軟になった今は、押さえるだけで痛むのだ。

    しかし、しかし、・・・・。
    本当に何が起きるか分からないものだと、ふと想った。
    初心者程度にギターを弾けた。
    それは、昔々の話だった。
    ところが、この61歳でメジャーデビューを迎えた。
    これって、どういうことかと考えた。

    そして、思った。
    「ああ、ギターを弾いていてよかったな」と。
    つまり、若い時は何も考えずに、
    とれあえずは何でもトライするものだということだ。
    興味・関心があったら、手に取って見る。
    やってみる。習ってみる。少しだけでも続けてみる。
    その経験が、いつ役に立つのかは、本人は知らなくていい。

    時には、こんな形で、敏腕プロデューサーに見初められ、
    デビューを迎えることもあるのだ。
    それにして、この時期に過酷なる宿題だ。
    昨日は、1時間半の特訓だった。
    難しいコードは、ギターの名手の長男に伝授してもらった。

    さてさて、本番まで一週間だ。
    ものにする。
    そのためには、日々の練習が大切になる。
    人は、どこでどかなことが起きるのか、
    全く見当も予想もつかずに生きている。
    それだから、「人生、生きてみないと分からない」なんなだ。

    「さくら」とにかく、やりきるだけだ。

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