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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2012年09月29日 06時15分40秒

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    体験・体験

    とうとう、リポビタンDスーパー2000のお世話になるようになった。
    不思議なのだが、相当にやっつけられている時、これが効くのだ。
    疲労困憊。慢性的な睡眠不足。気力・体力の限界モード。
    ああ、ここから先は、無理をすると地獄を見るな。
    そんな極限状況を自分で作っているのだから、仕方ない。
    昨日と今日で2本飲んだ。

    さて、昨夜の稽古のことだった。
    遅れて行ったら、既にBSNテレビの取材で、カメラが回っていた。
    音楽室に入るとすぐに、フィナーレの私の出番だった。
    ここは、私のソロから入る。
    そして、間にはゾマイとガンネの感動的な台詞が入る。
    失敗は許されないところだった。
    ところが、そこで台詞を言うのを私が忘れてしまい、立ち往生だった。
    ドキッ。

    決戦の場面での私のソロを、なかなかマスター出来ずに困っていた。
    出来ない私の歌の出来栄えを、そこに居る全ての人たちは気にしてくれる。
    何とか歌えますようにと、祈りさえ感ずる。
    毎日、朝夕は車の中で歌っている。
    入りの難しい曲だった。
    「歌わねばならない。」それは、使命であり、責任であり、義務だった。
    そして、歌った。歌えた。グッドの合図がでた。
    ホッ。

    ガンネとのハモリがある歌で、私はどうしてもラの音が出せなくなってしまった。
    とてもとても単純な作業なのだ。
    同じ音で歌い出せばいいのだが、その音で歌えなくなってしまったのだ。
    こんなはずはない。何度やっても駄目出しだった時は、情けなくて泣きたくなったものだった。
    トラウマとなった。それでも、ハモリを完成しなければならないのだ。
    耳を澄まして、フルートのラの音を聴き、歌った。歌えた。やった。
    ウルウル。

    歌うことで、大変な経験を積ませてもらっている。
    何たって上條恒彦さんが演ずるはずの役なのだ。
    そのために、わざわざスペクトの高い役に造り変えているのだ。
    人生、何が起こるか分からない。
    私は、この名優の代役を一週間後に舞台で努めねばならないのだ。
    ウーーーーン。

    ドキッ。ホッ。ウルウル。ウーーーん。
    こんな体験が人を育てるのは間違いはなかった。
    体験を通してしか、人は学ばぬものだからだ。
    そして、その壁を乗り越え、やり遂げた時、新たな自分自身と出会うのだった。

    そんな私の劇に対する想いを語った記事が、昨日の新潟日報にでかでかと出ている。
    ぜひご覧いただき、この劇をご観覧いただきたいと願っている。

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  • from: クマさんさん

    2012年09月28日 05時46分26秒

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    まだまだ大人にならない

    稽古と仕事の日々で、土日も私には存在しなかった。
    いつも言われる。
    「そんなことばかりしていると、人はよくは思わないよ」と。
    髭をはやしたまま、仕事場に居る。
    これもやっぱりマイナス評価の対象だろう。
    「目立つことはするな」である。

    そうかもしれないが、やっぱりそう言われると寂しくなってしまうものだ。
    私は、人が何をしていようと気にならない人なのだが、
    人の話に聞き耳を立ててまでも介入したがる人も中にはいるのだ。
    どうにもこうにも人のことが気になり、落ち度があったら指摘しようとその人はしている。
    可哀想な人だと、私は想う。
    しかし、その被害者に私はどれだけなったことであろうか。

    妻が忠告するように、やっぱり人とは、そういうものなのだろうか。
    今回の役柄のおかげで、テレビのニュースの特番に私の歌う姿とインタビューが映った。
    テレビの効果は大きいもので、子どもたちには声をかけられた。
    私のことをインタビューした記事が日報に今日か、明日に掲載される。
    それは、劇団のある人からの推薦があったからだ。
    稽古の最中にインタービューを受けた。
    語ることは、山ほどあった。
    14年前のビオトープの活動から、私の私としての活動が始まり、
    演劇の脚本家としてのスタートを切った。

    妻の言う通り、目立つことはやはり周りからの批判を浴びる対象となるのだろうか。
    だから、人は、あまり目立たないようにする。
    人の目を気にするあまり、自分らしく生きることを制御する。
    「何かを言われるから」「ねたまれるから」「批難されるから」
    やりたいことがあってもやらず、言いたいことがあっても言わない。
    我儘で、がみがみと怒鳴っている者から睨まれたくないばかりに、
    黙っていて、言いなりになっている。

    それは、子どもたちに対しても同じことを大人は言っていないだろうか。
    「世間体があるよ」「周りの人に合わせなさい」「みんなと同じにしなさい」と。
    そのおかげで、個性が潰され、周りの声や視線ばかりを気にする人に育つのではないだろうか。
    本当は、人と違うことを見つけ、そのことに没頭し、
    その自分だけに在る個性を磨き、育てることが大切なのに、
    平均的な、目立たぬ人に育つことを願う親は多いのだと、私は想う。

    振り返ると、私の歩んで来たレールは、そんな普通の人の外の世界ばかりに設置されていた気がする。
    いつも何かをやらかし、何かを創り、形に残してそこを去っていた。
    確かに「そんなことをしていては、人はよく思わないよ」ということばかりをして来たようだ。

    しかし、この生き方に、私は何も後悔はしていない。
    かえって、よくぞそう生きて来たなぁと、自分で自分を褒めてあげたいぐらいだった。
    こんな言い方はおかしいかも知れないが、
    こんな愚かでいい加減な私と出会って、人生が少し変わってしまった人が結構いるのだ。
    もし、私が平穏無事で平凡な目立たない道だけをびくびくと選んで歩いていたら、
    今の私も、その人たちも存在はしないのだった。

    私は、子どもたちには、そんな生き方を進めたい。
    世間なんか気にするな。まず、自分がやりたいことがあったなら、独りであろうとも、
    とことんその道を進めと。

    私の亡くなった母は、私のそうした生き方の最大最強のサポーターだった。
    だから、もっともっと一人一人が独自の生き方を貫き、何かのために自分を忘れて働くようになることで、
    きっとみんなが生きやすい世の中ができるのではないかと、私は信じている。

    55歳。まだまだ大人にならない。目立つ生き方を貫いている。

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  • from: クマさんさん

    2012年09月27日 06時27分58秒

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    どうしたら大人になるのか

    さて、やらねばならないことから、ちょっと逃げているかも。
    どんどん〆切が迫ってくるのに、
    その仕事に手をつけずに、窮地を自分で作ってしまう。
    その性格は変わらないものだった。

    自分と言う人は、この年になっても昔の自分とはあまり変わっていなかった。
    20代の頃、この55歳の年齢の先輩を見ると、
    何とも大人で、何とも親父で、何ともくたびれた存在だった。
    あの年でよくやっているなぁと、ある意味思ったものだった。
    その年に私がなってみると、
    何ともたかがしれた男なのだ。

    まだまだ途上だ。
    やるべきことの十分の一もできていない。
    みんなには迷惑をかけている。
    自立どころか、まだまだ助けられつつ生きている。
    どうも情けない状況だが、今は焦らず、その状況に甘んじて生きている。

    その気持ちは、55歳ならではのいい加減さかもしれない。
    自分を責め、自分を追い込み、自分で自分に苦しんでいた時代がある。
    それは、自意識なのだろうか、自尊心なのだろうか、まだ自分を諦めていなかったからだろう。

    今は、たかが知れた自分を理解している。
    だから、何を言われても、何が起こっても、どんな理不尽があっても、
    腹を立てず、焦らず、動揺しないで生きようと想っている。
    変な言い方だが、胃を充血させない。余計なことは考えない。無理はしない。

    これが55歳ならではの、私の生き方となった。
    その割には、あらゆることに全力投球なことは変わりはないが・・・・・。

    しかし、大人になるって、どういうことなのか。
    死ぬまで分からないで終るかもしれないなぁ。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年09月26日 04時50分41秒

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    求めよ、さらば与えられん

    人生、何が起きるか分からない。
    ただし、その試練の最中には、どこからか助けが与えられるものだ。
    私は、看護休暇の間のことをまとめねばならない状況に立たされている。
    3時に起きて、仕事をしなければならないのだ。
    どうしたらよいのか途方に暮れていたら、
    救いの電話が昨夜届いた。

    それは、私の仕事を代わりに行ってくれた人からの電話だった。
    ありがたかった。嬉しかった。
    実は、私から助けを求める電話をしなければならないと思っていたからだ。
    しかし、大先輩の彼女にこの仕事をお願いするのには、少々気が引けていたのだった。

    「求めよ、さらば与えられん」だな。

    試練に立った時、解決の道が見えずに、途方に暮れることしばしばだった。
    ところが、私は「人生こんなことがあるのか」という試練の連続の中で、
    その危急の度に、どこからか助けがやってきて、その窮地を乗り越えることができた。
    試練の最中に、私は弱音を吐き、助けを求める。
    実際に、助けを求めてその手を差し延ばす。
    すると、その手をつかみ、引き上げてくれる力を感ずる。

    助けは、助けを求める者に、向こうからやって来るものだった。

    そのことを潔しとせず、みっともないと想い、弱さを人には見せまいとする人もいるが、
    私は、弱い人だから、そんな我慢は絶対にしないことにしている。
    試練は、次々と与えられながら、こうして今日は生きているのは、
    そうした、私の自分の弱さを認めて、その弱さに徹する?生き方ができるようになったからだと想っている。

    そうすると、腹も立たなくなってくる。
    人は、変わらない。いや、頑固で偏見をもって生きている人は、絶対に変わらない。
    だから、この手の人に何を言われても、「その通り」とスルーすればよいのである。

    そんなことも試練の中で学んだことだった。

    痛めつけられ、さんざんな目に会い、これでもかこれでもかとやっつけられても、
    そのことが、私にとっては振り返ってみると、よき経験だったと今は想える。
    その最中にあっては、とても苦しく、逃げられるならば死すらもと想うこともあった。
    しかし、こうしてその試練を過去の出来事として振り返ってみると、
    「あれがあったから、今の私が在るのだ」と、感じられる。

    弱音は、吐こう。
    助けを、求めよう。
    いつか必ず、その助けが向こうから来ることを信じよう。

    これでもかこれでもかの私の人生の試練の経験から言えることは、
    やっぱり私は生かされているのだから、助けられるのだということだった。
    それを期待して、待つことも、大切な試練の最中の処世術だった。

    「メシア」は来たではないか。あの荒野のエルサレムに。

    4時に我が家の全員は、起きて活動している。
    次男が、本日修学旅行で沖縄に旅立つのだ。
    次男の上にも予期せぬ幸福が舞い降りることを祈っている。

    「メシア」は、誰の人生にも必ず訪れるのだ。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年09月25日 06時14分46秒

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    これでもかこれでもか

    さてさて、いよいよ公演まで二週間と迫って来た。
    ところが、稽古に専念できない状況が続いている。
    こんなことも人生にはあるのだなぁと、想うことばかりの一年だった。
    現場復帰してから一か月。
    いよいよ正念場を迎えなければならないのだ。

    どうしてこんなことになったのか。
    それは、天のみ知ることだった。
    東区の劇には、私は上條さんの代役として、
    無理をせずに協力するだけの役割だった。
    ところが、上條さんの事情で、何と本役となってしまった。
    厳しく、難しい役だった。

    北区も同じだ。
    原案を書いた私は、挨拶のつもりでオーディションを受けさせてもらった。
    ほんの片隅のチョイ役で良かったのだ。
    それが人生のある記念となると思ったからだ。
    ところがだ、歌を歌う重要な役になってしまった。
    東区が決まらない前だったので、大丈夫だと思って引き受けた。

    今は、何とも言えぬ状況となっている。
    どんなプロセスであれ、引き受けたからにはベストを尽くしたい。
    しかし、人間には限界があり、時間にも限りがあるのだ。
    追い込まれる日々に、焦りのようなものを感じている。

    この嵐の中、私は舟を漕ぎだし、漕ぎきらねばならないのだ。
    そうしなければ、沈没してしまうだろう。
    そしたら、どれだけの人たちに迷惑をかけてしまうことか。
    それを想うと、この責任の重さに恐れさえ感じている。
    どうしてこんな状況を作ってしまったのか。

    しかし、これは私が選んだことというよりか、与えられたものだとも感じている。
    だから、委ねることだ。
    母が、助けてくれるはずだ。
    お地蔵様が、助けてくれるはずだ。
    私は、ここで倒れることはできないのだ。

    人生、こんなこともあるのだなぁ。
    その連続が、私の人生だった。
    いや、そうではないのだ。
    人生とは、予測不可能な予定外のことばかりが起きているのだ。
    そんな不確かさの中でも、その人が嵐の中でも漕ぎきれるように、
    最善・最良の助けは、同時に与えられているのである。

    それを信じよう。
    独りではないのだ。
    誰かが、目に見えない何かが、ちゃんと心配して、見守っていてくれるのだから。

    もし、生き延びられたら、振り返って、もう一度その大いなる存在を信じよう。

    その日が来ることを楽しみにしている。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年09月22日 05時59分41秒

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    キビタシの森をぜひご観覧下さい

    音楽劇「キビタシの森 淳足の柵物語」の公演が迫っている。
    期日 10月7日 ・午後1時〜  ・午後5時〜
          8日 ・午前11時〜  ・午後3時〜

    料金 前売1500円(当日2000円)

    電話でチケット予約OK 東区市民劇団 座・未来
                   025-384-0244

    私に電話やメールでもOKです。当日受付で料金と引き換えにチケットを渡します。

    会場 東区市民プラザ 東区区役所の中 

    647年(大化3年)に大和朝廷は、北方の蝦夷を征服するために兵を出した。
    ここ東区の大山や物見山辺りに「淳足の柵」という大きな砦を築き、
    ここを前線基地として北方に向かった。
    新津の八幡山辺りには、ガンネを長とする山の民たちがキビタシの森の教えを守って平安に暮らしていた。
    朝廷は、ガンネ達に恭順を迫った。
    しかし、ガンネ達は、負けることを分かりながらも、この森を守り、命のつながりをまもり、
    人としての誇りを守るために戦うことを決意した。
    そして、決戦前夜、悲劇が起きる。

    壮大な太古の歴史ロマンとなっている。

    私がこの劇で伝えたいことは何だったのか。

    それは、森や川や海や空や、その生まれた土地の自然を守ることは、故郷を守ることであり、
    人としての幸いを守ることでもあるのだ、ということだ。

    また、自然は絶えず私たちに命の言葉で語りかけていてくれる。
    しかし、その言葉が聴こえなくなり、聴かなくなったから、人の世は滅びに向かっているということ。

    そして、天や自然からの声に素直に聴き従うことで、本当の生きる道が示され、
    その道を行くことこそ自由であり、人間としての尊厳と誇りをもって生きられる道なのだということ。

    何よりも、私たちは、すでに愛されて生きていること。
    私たちは、すでに生まれながらに見守られて生きているのだということ。

    これは、全て3.11からの残された私たちへのメッセージだと想っている。

    続きは、走ってからまた書こう。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年09月21日 06時25分26秒

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    消極的な生き方

    心の元気がなくなると、この掲示板にも向かえない。
    そうか、今週はとてもとても疲れているのだと、
    この掲示板のお休みを見てそう思った。

    とにかく、日々やるべきことが山のようにあり、
    それをこなすことだけで精いっぱいだった。
    もし、ここに前のように家事が入っていたら、
    とっくに私は参っていただろう。

    だから、今は参らないように自分のことを制御しつつ生きている。

    まず、無理なことはしないことにしている。
    ベストはあるかもしれないが、ベターで良いと自分には言い聞かせている。
    自分の力の限界は、自分でよく知っているから、
    それ以上でもそれ未満でもないのその所に居場所を置いている。

    次に、人と言うものは、人のことをとやかく言うように出来ていると諦めることだった。
    私は、全然人が何をしようとは気にならず、
    困っている人がいたなら助けたいと思っているが、
    その逆の人も多いのだ。
    だから、何を言われ、どう批判されても、聴き流すことにしている。
    どうせ、私の立場にたったら、出来やしない人たちなのだと思っている。
    まず、自分の心を平常心に保つことである。

    それから、あれもこれもと焦らないことだ。
    かって心の病になった時は、やっぱりこの妄想によって不眠になったものだった。
    考えていても、悩んでいても、何も状況は変わらない。
    即今の現場でしか、結果は出せないのだ。
    つまり、切り替えることである。
    つまり、一つずつなのである。
    つまり、出来ることから始めるである。

    そして、休むことだった。
    もはや55歳の身体は、その年相応な身体となっている。
    無理が効かない。無理をすると、どこかでひずみが起きる。
    そのひずみが、必ず病に繋がるということだった。
    自分を守れるのは、自分しかいない。
    だから、いつも自分の身体に聴くことが大切だった。
    このどうにもならないスケジュールの中、
    私が倒れたら、どれだけの人に迷惑をかけ、取り返しのつかない状況となってしまう。
    だから、捨てるものがあったら捨てる。

    こんな消極的な生き方でないと、この時代は乗り越えられないのだ。

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  • from: クマさんさん

    2012年09月19日 05時53分42秒

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    櫂を漕げ、嵐に向かって突き進む勇気を持って

    生きずらさを感じている。
    自分が自分らしく突き進めば突き進むほど、
    どうにも周りとの温度差が生まれるからだ。

    演劇に没頭せざるを得ない日々だ。
    稽古を積めば積むほど、その責任の重圧に苦しめられる。
    確かな感動を伝えるためには、身体に台詞や歌が沁み込むほどの稽古が必要だった。
    だから、稽古に出かける。
    私は、この家に居ないことが多かった。

    やっぱり妻は、よくは思っていないだろう。
    彼岸が近づいても、母の仏壇がまだなのだ。
    いろいろと片付けねばならない仕事もあるのに、
    それにも手つかずだった。
    これはやらねばならない使命なのだが、
    それを全うすることで、いろいろな抵抗勢力の想いとぶつかる。

    しかし、後悔したくないので、この道を私は選んだ。
    また、それを母が期待して、こんなチャンスを創ってくれたのだとも思っている。
    だから、「任せ」たいし、「委ね」たい。
    後は、迷惑をかけずに、身体を大事にしながら、全うしたいのだ。

    人は、そんな趣味の世界に・・・、と批判的な目で見る人もいる。
    あんまり目立ち過ぎると、やっかまれるよ、と忠告されることもある。
    しかし、後戻りは出来ないのだ。

    ぜひ、皆さんにこの演劇を鑑賞していただきたい。
    そうしたら、何故私がこんなにも没頭しているかの意味を分かってもらえるはずである。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年09月16日 08時22分30秒

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    祭りに参加できない

    山ノ下祭りだ。
    しかし、今年は参加できない。
    いつもならば一番太鼓を押して町内を回っている。
    しかし、今年は母が亡くなったので、鳥居をくぐれないそうだ。
    つまり、来年の春祭りも参加できない。
    祭りは、一年間のお休みだそうだ。

    祭りに参加できることは、家族が平安であるということだった。
    それだけ、我が家は平安な日々が続いたということだろう。
    私が参加できない代わりに、長男に助っ人を頼んだ。
    彼は小1から太鼓を叩いている。
    とにかく一番太鼓の名手である。

    小学生の頃、彼の太鼓はよく褒められた。
    役員の人がわざわざ彼に近づき、太鼓を褒めてくれたこともあった。
    彼にとっては、祭りの太鼓は一つの自慢の種だった。
    誰にも負けない。自分で誇れる。
    そういうものをもっていると生きられるものだ。

    次男もそれ真似て太鼓を叩いた。
    母は、祭りになると親子で太鼓を叩いている私たちの姿をそれはそれは楽しみにしていた。
    そう言えば、祭りのたびに母は手料理を作り、東京の従兄弟の家族を呼んでいた。
    従兄弟の一人息子が太鼓が好きで、毎年この祭りに参加することを楽しみにしていた。
    しかし、今年は母がいないので来ないようだ。

    ああ、母がいないのだ。
    そう思う時が、ときどきある。
    生きていてくれたらとは、思わないことにしている。
    母には、チーンで話をしている。
    今でも、いつまでも、私の背中を見て、励ましてくれ、守っていてくれる。
    それを感じているから、母が・・・とは、思わないのだ。

    祭りに参加できない朝だ。
    そんな日が来てしまったのだ。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年09月15日 05時58分54秒

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    お地蔵様との出会い

    お地蔵様のことを偶然聞くことができた。
    私がお参りしようとすると、
    玄関先の草を取っている初老の男性がいた。
    この家のご家族なのだと思い声をかけた。

    彼は、このお地蔵様を建てた女性の息子さんだそうだ。
    70歳だと言っていた。
    優しそうな瞳に、このご家族の温かさを垣間見た。

    このお地蔵様は、昭和40年に建てられたお地蔵様だった。
    山形の月山にある善宝寺?から、彼の母親が新潟県の代表と認められ、
    ここにこのお地蔵様を建てたのだそうだ。
    由緒あるありがたいお地蔵様だから、
    月山でのお祭り?の時には、赤道の両側に観光バスが何台も並んだそうだった。

    私は、そんなことを知らなかったが、
    誠に誠にありがたいお地蔵様なのだった。
    今でも信者さんは多く、いつもきれいなお花を飾っている。
    私もランの途中には必ずこのお地蔵様をお参りし、
    お賽銭をあげさせてもらっている。
    500円玉がある時は、500円玉をあげる。
    5円玉がある時は、5円玉を台の石にのせて行く。

    そうしたくなるお地蔵様には、
    やっぱり人をそうさせる力があったのだ。
    走っていた私を振り向かせたお地蔵様だった。
    しかし、あの頃、母の病のことがなかったら、
    私は、今でもきっとただ走って通り過ぎていたはずである。

    やっぱりあの時、独り苦しみ、母の為に切なく涙していた。
    とうとうそんな日が来てしまったのか。
    できることなら、そのことは間違いであってほしい。
    そんな切なさの中に居た時、やっぱり人はその呼び声を聴くようなのだ。
    走り去る私の背中に確かにお地蔵様は呼びかけてくれた。

    私は、立ち止り、振り返り、お地蔵様と向かい合った。
    私は、手を合わせ、お参りし、母のことをお願いした。
    そしたら、すっと肩の重荷が融けた気がした。
    これは何なのか、自分にも分からなかった。
    翌日も、その翌日も、お参りした。
    今度は、素通りできなくなっている自分がそこに居た。

    繋がった気がした。
    ありがたかった。

    私は、そんな信心の人ではなかった。
    それは、お年寄りがするものだと思っていた。
    それもあんなに車や人がひきりなしに通る大道のお地蔵様に、
    手を合わせるなんて、恥ずかしくてできないことだった。

    しかし、今は違う。
    私は、お地蔵様の声を待っている。
    いつかきっと私の魂に大切な「言葉」を語ってくださるはずだからだ。

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